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2016年06月24日

サマースクールの思い出(三)――一年目二日目以降(六月廿一日)



 二日目の朝、学校に行くと、昨日クラス分けの表がはってあった掲示板の前に、ちょっとした人だかりができていた。ここには、午後チェコ語で行われる専門的な講義の内容や、週に二回夕方から上映される映画のタイトルや、週末の遠足の予定などがはり出されるので、毎日チェックするようにと言われていたような気がする。
 それで、自分も覗いたらサマースクールについての新聞記事がはり出されていた。オロモウツのパラツキー大学で行われるサマースクールは、日本的に言うと夏の風物詩のようになっており、毎年テレビのニュースで取り上げられたり、新聞の記事になったりしているらしい。授業前の短い時間の立ち読みでは理解できそうにないので、あとでコピーをもらって、辞書を引き引き読もうと考えていたら、日本人の知り合いに、写真に出てると指摘された。
 見てみると、初日の休み時間に中庭でしょんぼりとしゃがみこんで地面を見つめている自分の姿が写っていた。すぐ隣には、立ってにこにこと笑顔で話をしている二人の人の姿があって、見事なコントラストを作り出していた。恥をさらしたと呆然としていたら、いい記念になるじゃないと励まされた。笑い含みの口調だったから、からかわれたのかもしれないが、職場へのお土産にはできそうだった。いや、お土産というよりは土産話かもしれない。
 かくして、新聞の入手先を聞くために、三度事務局に向かった。記事が載った新聞は、「ムラダー・フロンタ」もしくは、「ドネス」と呼ばれているもので(どちらが正式名称なのか知らない)、全国版ではなく、オロモウツ地方のページに掲載されていた。授業が終わってからだと、一般の売店では売り切れになっているかもしれないからと言って、ホルニー広場にあった新聞社の直営の販売所を教えてくれた。昼食の後に行って、残っていたら買いたいとお願いしたら、ただでもらえてしまった。この時間から売れるとも思えないとか言っていたかな。オロモウツの人は優しいのである。

 この日の授業は、幸せだった。教科書も、先日の中上級向けの訳の分からないものとは違って、初級向けの教科書の途中からだったので、文法事項はすでに日本で日本語で学習を済ませており、問題は先生と同級生たちの言葉が理解できるかどうかだけだった。先生は、きれいな発音でゆっくり丁寧に説明してくれたので、大半は理解できたし、理解できなかった場合でも、何を質問すればいいかは分かった。師匠は発音はめっちゃくちゃきれいなんだけど、特に上級者を相手にすると話すスピードがとんでもなく速くなって、質問さえできないことが多いんだよなあ。素人に毛が生えたような語学学習者に言えたのは、もう一度ゆっくりお願いしますだけだったし。
 同級生たちも、同じぐらいできが悪かったので、みんなたどたどしい発音で、ゆっくりしゃべっていた。そのおかげでちんぷんかんぷんということはなかった。語学のクラスでは、このみんな大体同じぐらいできるというのが重要である。一人だけ飛び抜けてできたり、できなかったりする人がいると、本人はもちろん、先生も大変なのだ。それに気づかされて、遠くから師匠にお詫びの言葉を送っておいた。
 このクラスがよかったのは、みんなチェコ語は下手くそだったけれども、安易に英語や自分の母語に頼らず、何とかチェコ語で表現しようと努力していた点だ。どんなに難しいことでも、とにかくチェコ語で表現しようとして悪戦苦闘する同級生たちの存在は、自分のチェコ語を使う姿勢にもいい影響を与えてくれた。もちろん、何をどう説明しても理解できなくて、グダグダになってしまうこともままあったけれども、それも外国人同士でチェコ語で話す楽しみのようなものだ。

 ただ、残念なことに、時の流れと、三回目のサマースクールの同級生たちの印象が強すぎるせいで、この年の同級生たちの記憶があいまいになってしまっている。フランス人のパトリックだったかとは、翌年のサマースクールでも再会して、名前が出てこなくて申し訳ないことをした。スイス人のマティアスには、いろいろお世話になった。授業中大抵隣に座っていて、わからないことがあると説明してくれたし。イタリア人の畏友アレッサンドロと出会ったのは、この年のこのクラスだったかなあ。カレル・クリルの話で盛り上がったのは覚えているから、多分そうだよなあ。
 昼食の時にコフォラを飲んでいて、授業中に同級生の知らない難しい言葉を使っていたのは、ドイツ人のカティだったかな。フランス人のちょっと姉御肌の確かサーラには、日本に荷物を船便で送ろうとしていたら、航空便にしろって怒られたのを覚えている。当時はチェコからの船便は、飛行機に乗せるなんて話は知らなかったから、言うこと聞いちゃったんだよ。
 他にも何人かいて、顔はうっすらと思い浮かべられるのだけど、名前とか、どんな人だったかとか、本当にこの年の同級生だったのかとか、肝心なことが思い出せない。結構一緒に食事に行ったり飲みに行ったりしたはずなんだけど。

 こんなことを懐かしく思い出していたら、授業中に困ったことも思い出した。動詞が、何格を取るのかを説明するときや質問するときに、みんなラテン語起源のゲネティフ、ダティフなんて言葉を使っていたのだ。「プルブニー」などの順番を表す言葉で済むと思っていて、そんな文法用語は知らなかったので焦った。何だか覚えにくい言葉で、サマースクールが終わるまでに完全に覚えることができなかったんじゃなかったか。今でもいくつか怪しいのあるし。
 それだけではなく、「kdo(誰)」「co(何)」の変化形で、格を示す人もいて、日本語の教科書や辞書の巻末の表をめくるのが大変だった。なぜか、日本で書かれて教科書では、これらの疑問詞の変化形があまり取り上げられておらず、ほとんど全く覚えていなかったのだ。こちらは書く変化だということで、繰り返し繰り返し書いて、必死に覚えたので今では問題なく使えるはずである。でも、覚えた後に、「誰の」は、二格の「koho」を使えばいいと思っていたのに、実は疑問文に使うには、形容詞化した「čí」を使うんだと言われたときには、ちょっと泣きそうになった。
 多分、語学なんてこんなもんなのだ。いくら完全にできたと思っても、完璧にわかったと思っても、それは誤解でしかなく、次々にわからないこと、できないことが出てくる。本当の意味で、母語と同じレベルで外国語を身につけるのは、不可能なことである。それでも、できるようになりたいと思うのが、人間というものなのだろう。
6月23日18時30分。


 この話は書き出すと止まらないだろうと思って封印していたのだけど、実際書いてみたら、いくらでも書くことが出てきてしまう。6月23日追記。

2016年06月23日

サマースクールの思い出(二)――一年目初日(六月廿日)



 初日の月曜日の朝、日本から来ていた人たちと、一緒に学校に向かいながら、前日のクラス分けのテストについて話していたら、嫌な予想をされた。テストは簡単だったし、日本人は文法事項に関してはしっかり勉強して身に付けている傾向が強いので、一番上のクラスに行かされるかもよと言われたのだ。
 当時は、語学学校に通い始めてまだ半年足らず、自学自習を始めてからでも一年になるかならないかだったのである。そんな人間が初めて参加するサマースクールで一番上のクラスでなんて勉強できるはずはないし、放り込まれることはないと思いたかった。思いたかったのだが、前日の試験は妙に簡単で、できないことは一つもなかったし、ミスさえなければ満点だという自信はあったのが、不安をもたらした。こんな簡単なのほとんどみんな満点だろうとも思ったのだが、日本人以外は喋るのが上手な人でも、文法的なことは結構いい加減なことが多く、文法的な正確さを問う試験では、成績が悪くなる傾向があるのだという。

 ちょっとどんよりした気分で、クラス分けが発表されていた掲示板を見に行くとさらに気分は落ち込んだ。予想されたとおり、一番上のクラスに分配されていたのだ。一応、事務局に無理だから下のクラスに行かせてくれとお願いに行ったのだが、何とかなるかもしれないから、試すだけは試してみたらなどと無責任なことを言われて、一番上のクラスに送り込まれた。当時はまだチェコ人的なずうずうしさを身に付けていなかったので、事務局に言われたことを、嫌だなあと思いながらすんなり受け入れてしまったのだ。救いだったのは、学校まで一緒に来た日本人も、すごくチェコ語ができる人で、一緒に一番上に放り込まれたことだった。
 正直に言うと、このときテストの結果が一番上のクラスに入れられるほどよかったことに、そこはかとない満足感を感じていたのも事実だ。そして、口では無理だといってはいたが、頭の中ではテストもよくでできたんだから、もしかしたら一番上のクラスでも何とか勉強できるかも知れないという、今にして思えば、気が狂ったとしかいえない希望を抱いていたのだ。いや希望じゃないな、妄想だな。

 最初の授業が始まってから、その希望、ないしは妄想が現実によって木端微塵に打ち砕かれ、深い深い絶望に取って代わられるまでに、おそらく十分も要さなかったのではなかったか。自己紹介してもらいましょうという、後に我が師となる先生の最初の言葉は理解できた。難しい言葉はなかったし。だけど、それに続いた同級生となるべき人たちの発言が、日本に人のものを除いて、まったくと言っていいほど聞き取れなかったのだ。名前すら聞き取れなかった人も何人かいた。
 それから90分の間は、地獄のようだった。同級生達の発言は、何を言っているかすら聞き取れなかったし、師匠の言葉は聞き取りやすい発音だったのだけど、知らない言葉が多すぎて念仏を聞いているようなものだったし、時差ぼけ気味の頭で師匠の発音の美しさに聞きほれていると知っている言葉すら聞き取れないという絶望的な状況だった。最初の授業で何を勉強したのか、何か勉強できたことがあったのか、まったく記憶にない。ただ絶望感だけは、こうしてあのときのことを書いている今も、確実によみがえってくる。

 授業と授業の合間の休み時間には、みんな中庭に出て夏の日差しとさわやかな空気の中で、知り合いたちと情報交換をしたり、同級生達と会話を楽しんだりしていたが、私はベンチに座る気力も、立ち上がる気力もなく、しゃがみこんで周囲の幸せそうな風景を自分が入っていけそうにないことを悲しみながら眺めては、視線を地面に落としていた。頭の中には、もう帰ってしまおう、サマースクールなんか来ようと思ったのが間違いだったんだ、語学の勉強なんて自分には向いていないんだなんて考えが渦巻いていて、チェコ語はおろか日本語でも話せそうになかった。

 多少の光明が見えた気がしたのは、休憩の後の二コマ目に入ったときのことだ。一時間目にいたはずの人の姿が何人か消えて、新しい人が増えていた。訳知りの日本の方にこっそり話を聞くと、サマースクールでは最初に入れられたクラスに満足できない人が、クラス替えを求めることはよくあることらしい。つまりは、希望すれば下のクラスに行けるということだ。
 下に行けば何とかなる、下に行ってもどうせ駄目だという二つの気持ちの間で揺れながら、90分という時間をすりつぶし、授業が終わったら真っ先に教壇の師匠のところに向かった。勝手にクラスを移る人も多いようだが、日本人としては、まずは担任の許可をもらってからと考えたのだ。
「先生、私にはこのクラスは無理です」
「だろうね。私も下に行ったほうがいいと思う」
 師匠も快く許可をくれたので、心置きなく事務局に出向きクラス替えを申し出た。一つ下でいいよねと言われたのを、ごねて二つ下にしてもらった。ごねたといっても、クラスのリストを見せて、ここ、ここ、ここと繰り返しただけだけど。実は一番下のクラスに行こうと思ったのだが、一番下は英語かドイツ語で教えるクラスしかなかった。大学の授業で取って以来、ほとんど使う機会もなかった英語とドイツ語で、チェコ語のの授業を受ける自信は、チェコ語で授業を受ける自信以上になかったので、チェコ語で授業をする一番下のクラスを選んだのだ。

 もし、自費でサマースクールに参加していたら、初日の最初の授業で諦めて逃げ出していたのではないかと思う。奨学金を出してくれた大使館に迷惑をかけてはいけないという一心で、苦行と化したチェコ語の勉強に耐えていた。ただ、この初日が何の役にも立たなかったかというと、そんなことはない。下のクラスであまり理解できなくて苦しかったときでも、初日の地獄を思い出せば、大したことはないと思えたし、天狗になりかけていた鼻をぽっきり折ってもらえたのもありがたいことではあった。語学の学習においては、勘違いして自分ができるなんて思ってしまったら、成長は止まってしまうのだ。
 そういうことは、重々理解した上でなお、あのときはつらかったと、声を大にして言いたい。けれども、ここまで苦しい思いをしたのだから、できなくなる前にやめてしまったのでは、チェコまで来て苦しんだことが無駄になってしまう。だから、できるようになるまでは、チェコ語の勉強をやめるわけにはいけないという自分でもよくわからない論理で、チェコ語を勉強し続ける理由の一つになったのである。
6月22日22時。


2016年06月22日

サマースクールの思い出(一)――一年目開始前(六月十九日)



 先日知人から、今年の夏、オロモウツのパラツキー大学で行われるチェコ語のサマースクールに参加するという連絡があった。日本にあるチェコ大使館が出しているサマースクール向けの奨学金に申し込んだら、もらえることになったらしい。そういえば自分もチェコ大使館の奨学金をもらって、オロモウツに来たのが最初のサマースクールだった。
 あのときは、プラハ、ブルノ、オロモウツの三ヶ所で行われるサマースクールが奨学金の対象だったのだが、大使館に申請に行ったときに、オロモウツ以外だったら行かないと、担当者に駄々をこねてオロモウツに行かせてもらった。ほかにオロモウツを希望した人がいなかったのかもしれないが、こちらの希望を通してくれた担当の方には感謝の言葉もない。
 当時関っていたあるプロジェクトは、まったく予定通りに進行せず、日々の仕事を考えると、休ませてもらえる余裕はなかったのだが、逆に考えると一人ぐらいなら一月抜けても、本質的には進行に大差がないとも言える状態だったので、大使館から、つまりはチェコの政府から奨学金をもらえることになったのを、口実にして半ば無理やり休みをもぎ取ってチェコに向かった。当時出入りしていたチェコ関係の商社で、スロバキア産のワインやら、ベヘロフカやらを購入して、お詫びのしるしに関係者に配りまくったし、チェコからお土産を買って帰ることを約束させられたけれども、その甲斐は十分以上にあるはずだった。

 出発前には、チェコ語で授業を受けることを想定して、当時通っていたある語学学校の先生に使いそうな文法用語の一覧をコピーしてもらい、空港や駅、ホテルなんかで使いそうな表現をチェコ語会話帳みたいな本から書き抜いて、飛行機の中の退屈な時間を使って覚えることにした。映画なんか見てもただの時間の無駄だし、有効に活用しようと思ったのだけど、実際にはほとんど寝ていたように気もする。
 このときどの経路でチェコに向かったかが思い出せない。当時は、ウィーンまで直行便で入って、鉄道でオロモウツに向かうという知恵がなかったので、成田からどこかの空港で乗り換えてプラハに入ったはずなのだが、パリ、モスクワ、ロンドン、フランクフルトのうちのどこだったか。パリ着早朝四時か五時の飛行機だったような気もするし、乗り換えの関係でモスクワの空港のホテルに一晩監禁されたのがこのときだったような気もする。

 とまれ、プラハの空港のパスポートのチェックも、駅での切符の購入も何とかチェコ語でこなして、チェコに到着したその日のうちにオロモウツに向かった。鉄道の線路も改修前だったし、車両もおんぼろで、鉄道での旅は快適とは言いがたかった。おまけに車内放送がなく、どこまでたどり着いたのかわからなかったので、電車が停車するたびに駅名を確認していた。時刻表の到着時間から、大体わかりそうなものだが、今以上に電車が遅れることが多く、遅れも数分のオーダーではなく、数十分のオーダーだったし、どのぐらい遅れているのかの情報も不確かだったので、まったく当てにならなかったのだ。
 昼間であれば、車窓にスバティー・コペチェクの教会が見えてきたら、そろそろオロモウツに着くと考えればいいということがわかったのは、こちらで生活を始めてからだし、夜の電車の場合は、コペチェク自体が見えないので、停車駅で駅名の確認が必要なのは変わらない。最近は、プラハ行きに使う特急が車内放送を導入していて、停車駅が近づくと教えてくれるので、神経質になる必要がなくなったのが嬉しい。

 オロモウツに着いて、サマースクールの事務局から送られてきた地図を片手にトラムに乗った。90年代の初めに来たときには、ニコルナだった乗車券は、六コルナになっていた。指示通りにナムニェスティー・フルディヌーで降りたのだけど、地図を見てもどっちに行けばいいのかわからず、道行く人を適当に呼び止めて聞いたら、親切に教えてもらえたのを今でも覚えている。オロモウツを選んでよかったと思った瞬間だった。
 この年のサマースクールの寮は、体育学部の寮で、サッカーチームのシグマ・オロモウツのスタジアムと、パラツキー大学の体育館が近くにあった。原則として二人部屋で、一緒になったのはポーランド人の若者だった。うまくもないチェコ語で話したところでは、大学ではなく宗教関係の学校でチェコ語を勉強しているといっていた。チェコのカトリックの教会には、ポーランド人の神父が多いらしいので、チェコ語ができるポーランド人の宗教関係者には需要があるのだろう。ただ、二人ともあまり部屋にいなかったので、交流といえるほどの交流はなかった。

 さて、土曜日に寮に入り、サマースクールの事務局に出かけて必要な手続きを取り、日曜日にクラス分けの試験を受け、大学近くのホテルのレストランで開かれた夕食会にでて、というサマースクールが始まる前のイベントを、すべてつたないチェコ語でこなせてしまったとき、私は自信を持ってしまったのだと思う。クラス分けのテストは簡単だったし、夕食会で自己紹介をさせられたときには、大半の人が英語を使っていたのに、英語ができないからという理由はあるのだが、チェコ語で自己紹介できたし、俺って意外とできるじゃないみたいな感想を持ってしまったのだ。
 その根拠のない自信は、サマースクールの初日、月曜日の最初の授業の最初の十分で完全に崩壊してしまうのだが、そこまで書くと、長くなりすぎるので、本日分はここまでということにする。
6月21日23時。


2016年06月19日

クノフリカージ(六月十六日)



 今から十五年ほど前、2000年前後にチェコに滞在していた人は、みな次の質問に悩まされたはずである。斯く言う私自身も、会う人ごとに、日本人だと知られるたびに、繰り返し質問をされ、うんざりしながら頭の中で答えを作り上げて、うんざりした口調で口に出していた。
「あのさあ、チェコの映画で見たんだけどさあ、日本語にはナダーフカってものがないって聞いたんだけど、ほんとなの?」
 チェコ語の「ナダーフカ」というのは、何か不快なことが起こったときなどに、思わず口から漏れてしまう罵りの言葉である。だから日本人が、「くそ」とか、「畜生」とか言ってしまうのも、ナダーフカにあたるはずである。そういう説明をして、日本語での本来の意味まで説明したのに、なかなか納得してくれずに、「でも映画では……」と言われたり、「もっと下品なのはないの」などと聞かれたりしていた。気分がいいときには、自分では絶対に使わないだろうけど、漫画や小説に出てきて存在を知っている言葉を教えたりすることもあったが、大抵は日本語ってのはそんなもんなんだよで話を終わらせていた。チェコ語もそこまでできていなかったし。

 では、チェコ語でよく使われるこの手の言葉となると何だろう。日本人の耳に優しい言葉としては「サクラ」がある。日本語で言うときよりは、「サ」を強めに、「ク」を軽めに発音するとチェコ語っぽくできる。派生バージョンとしては「サクリーシュ」なんてのもあるかな。本来は、「スバティー(聖なる)」などとも関係のある言葉らしい。
 それから、キリスト教を信じている人は嫌がるかもしれないけど、イエスさまの名前から、「イェジーシュ」とか「イェージシュ」なんて言葉を使う人もいる。マリアさまも一緒に、「イェージシュ・マーリア」のほうが一般的かな。こちらの上級編としては、存在感の薄い父親の名前を添えて、「イェージシュ・マーリア・ヨゼフェ」と一息に言うものがある。最後が「ヨゼフェ」と呼格になっているのが肝らしい。これはキリスト教関係者がいないことを確かめた上で、チェコ人の前で使うと、笑ってもらえるので非常に重宝する表現である。
 キリストの足を意味する言葉の呼格「クリストバ・ノホ」も、「チェトニツケー・フモレスキ」で使われていたし、もっとも神聖であるはずの言葉が、卑俗な罵詈雑言の言葉として使われているのである。このことは、中世以前の日本において賎民とされた人々が、実はその一方で天皇と直結する回路を有していたという学説を思い起こさせ、キリスト教世界においても、聖なるものと賎なるものとの間に何かしらの回路が存在していたのではないかと考えてしまう。堀一郎氏とか、エリアーデあたりの著作で何か読んだ記憶がなくもないのだけど、すでに忘却のかなたである。時の流れというものは残酷なものだ。

 2000年代初頭の陸上の世界選手権で、槍投げの鉄人ヤン・ジェレズニーが、投擲に失敗した際に、思わず叫んでしまう様子が世界中に配信された。ジェレズニーの声までが聞こえてきたかどうかは覚えていないが、口の形の動きから明らかに「ク……」と叫んでいた。意味は聞かないでほしい。
 ジェレズニーに限らずスポーツ選手は、ナダーフカが口から出てくることが多いらしい。テニスの世界では、チェコ語の罵詈雑言集というものが存在していて審判に配られているという話を聞いたことがある。選手がチェコ語だからわからないだろうと思って、審判を罵るようなことをいうと、そのリストに基づいて審判侮辱でペナルティが与えられるようになっているのだそうだ。ツアーを回っているチェコ人選手の数は多いから、何らかの対策は必要だったということか。

 さて、表題の「クノフリカージ」である。これこそ日本語にはナダーフカはないという説を広めてくれたありがたい映画なのだ。チェコ人の中には、映画の内容は知らないけれども、この説だけは知っているという人も多い。私も映画全体の内容はほとんど覚えてないけど、この日本語に関する部分だけは覚えている。
 チェコの映画なのに、なぜか長崎に原爆が落とされた日の、本来の目標であったといわれる小倉の様子から始まる。土砂降りの雨に打たれる家の中で、三人の男たちが議論めいたことをしている。エンドロールに出てくる配役表によれば、「年寄りの日本人」「髭の日本人」「若い日本人」となる。 日本語にはこのいやらしい雨を罵る言葉もないんだから、英語で罵る練習をしようという話になって、延々英語の汚い言葉を叫び続けるという他愛もない話である。日本語で「くそったれの雨がふりやがって、畜生め」なんていえば、十分に罵っていることになると思うのだけど、映画のストーリー上それではいけなかったらしい。

 もともと、この部分は、古い日本映画の一シーンを切り出してきて、冒頭に据えたものだと思っていた。出ている人たちも何か古い日本のモノクロ映画に出てきそうな感じの演技だったし。しかし、最近知り合ったプラハ在住二十年という人が、実は「若い日本人」を演じたのだということを知ってしまった。素人三人でチェコテレビのあるプラハのカフチー・ホリの撮影所に通っていたらしい。そして、さらに衝撃的だったのは、「髭の日本人」を演じていた人が、今年の春にオロモウツまで訪ねてきてくださった方だったという事実だ。教えてくれた「若い日本人」に、思わずチェコ語で「ティ・ボレ」と言いそうになってしまった。
 録画してDVDに落としたものがあったので、確認のために見てみたら、「若い日本人」は、確かに最近知り合ったあの人だった。でも「髭の日本人」は、今のほうが印象がはるかに柔らかくなっていて見ただけでは気付けそうもない感じだった。最後の配役表を見て確かに春に来られた方だと確認できたのだが、瑕疵があった。「若い日本人」と「髭の日本人」を演じた人の名前が入れ替わっていたのだ。
 まあチェコだし、よくあることだ。尤も自分が映画のスタッフだったら、これを見て「イェージシュ・マーリア・ヨゼフェ」とか、「ド・プル……」と叫ぶのだろうけどね。
6月17日14時30分。



 どのカテゴリーに入れるか悩んだが、チェコ語にしておく。6月18日追記。

2016年05月31日

ファウナ、フローラ(五月廿八日)



 おそらく外国語を勉強した人は皆苦労したし、今も苦労しているだろうと思われるのが、動植物の名前である。問題のひとつは、日本語における名称を知らないものがあることだ。日本で目にすることのできるものなら、たいていは日本語の名前は知っていると言いたいところだけれども、動物学者でも植物学者でもない身としては、そんなことは言えない。
 名前自体は知っているのだ。日本にないものでも名前自体は知っているものもある。問題は、名前を聞いても、実際にどの植物、どの動物を指すのかわからないものがあるということだ。椎、楠、たぶ、樫、樅、楢、どれも木の名前であることは知っているけれども、どの木か見分けろといわれたら、見分けられる自信はない。アヤメ、ショウブ、カキツバタを見て、それがどれかを見分けられる人なら問題はないのだろうが、チェコ語の「コサテツ」の日本語名がどれなのか悩んでしまう。

 チェコで動植物を見て日本のものと同じなのか悩むことも多い。一般に、ブラベツは雀と訳されるけど、日本のものと同じなのか確証はない。以前、チェコ語のチャープをコウノトリだといったら、日本のコウノトリとチェコのコウノトリは、別種らしいと言い出した人がいた。チェコには日本のコウノトリはおらず、日本にもチェコのコウノトリはいないのだから、これはどちらもコウノトリで処理しておけばいいと考えている。チェコの人がよくタヌキだというチェコ語のイェゼベツは、実は日本のアナグマで、日本にはどちらもいるし、最近はチェコにもタヌキが生息しているらしいから、区別したほうがよさそうだ。ただ日本国内でもタヌキとアナグマとムジナの呼称には混乱があるらしいからややこしい。

 最近悩むようになったのが、タカとハヤブサの違いである。日本語のタカは、チェコ語の「ソコル」だと思っていたのだが、もう一つ「イェストシャープ」という鳥とどちらだかわからなくなってきた。それは、テニスのデビスカップなどで、判定に不満がある選手が異議を申し立てたときに、確認のために使うホークアイシステムが、チェコ語で、「イェストシャービー・オコ」と呼ばれていて、「ソコル」から派生した言葉は使われていないせいだ。日本語でタカと言うと、「鵜の目鷹の目」なんて言葉もあるぐらいだから、目のいいものとしてのイメージがある。そうすると、タカはチェコ語で「イェストシャープ」なのだろうか。
 しかし、実際に遠くから見て、ハヤブサとタカの区別がつく人はそんなにいないだろうし、日本人ならワシやタカの仲間で、小さめのものはとりあえずタカと呼び、ハヤブサを使うのは本当に種類を区別する必要があるときだけという使い分けをしている人が多いだろう。日本語のハヤブサには、バイクの名前に使われたように、「速い」というイメージがある。だから「速い」というイメージが必要なときだけハヤブサと訳して、そうでない場合には、生物学的な区別は無視して、とりあえずどちらもタカと訳すことにしている。チェコ語の「ソコル」に、ハヤブサ的なイメージがあるのかどうかは、よくわからない。

 チェコ語を使うときに、困ることのひとつが、タカのような同種の動物、植物を一まとめにして示す言葉がしばしば欠如していることである。日本語だと、ミツバチでもアシナガバチでもスズメバチでも、とりあえずハチと言って済ませることが多いが、チェコ語ではハチに当たる言葉がないので、フチェラ、ボサ、スルシェンの中から選んで使わなければならない。カラスもそうだ。ハシブトガラス、ハシボソガラス、ミヤマガラスなんて種類があるということは知っているが、普通はあの手の黒い鳥はまとめてカラスで済ます。でもチェコ語には、カラスっぽいブラーナ、ハブラン、クルカベツをまとめて言う言葉は存在しない。
 かつて、チェコの十種競技の選手が、日本で大会に出たときのエピソードとして、「ありがとう」と言う代わりに、「クロコダイル」と言ってしまったという冗談を聞いたことがある。日本人にはちっとも面白くないのだが、チェコ人には結構受けていた。チェコ語でワニの一種であるアリゲーターを「アリガートル」というので、「ありがとう」という表現を使うためのヒントとして「アリガートル」という言葉を覚えていたのに、ワニの一種であるクロコダイルと混同して間違えたということらしい。説明されても笑えるかどうか微妙なところだけど、チェコ語にはワニにあたる言葉もないのである。

 それから反対に、必要以上に分類されていて困ることもある。動物の場合には、オス、メス、子供でそれぞれ別の言葉を使うし、家畜の場合にはさらに細かい分類をされることもある。ただ、オスとメスのどちらの言葉を、一般的に使うかは決まっていることが多いので、一々確認しなければらないと言うわけではない。犬ならペスとフェナのうちオスのペスを使うし、猫ならコチカとコツォウルのうちメスのコチカを使うと言う具合にである。
 さて、そこで問題、夏目漱石の『吾輩は猫である』の場合には、コチカとコツォウルのどちらを使うのだろうか。一般的にネコと考えればコチカだけど、あの吾輩がオスかメスかを考えるとコツォウルのほうがいいような気もする。

 題名に使った「ファウナ」と「フローラ」の使い方は、多分正しくない。でも、動植物の名前の使い方に問題があることを人に言うときには、「ファウナとフローラは難しいんだよ」なんて言ってしまう。何となく専門家の発言っぽく聞こえて、説得力がありそうでしょ。
5月29日22時。


 うーん、最初の入りがいまいちだなあ。5月30日追記。
タグ:動物 植物 名称

2016年05月13日

方言の話――チェコ語版落穂拾い(五月十日)



 昨日の分のチェコ語の方言の話が、予想以上に長くなった上に、うまく落ちたような気がして、そこで終わるしかなく、書こうと思いつつ書きそびれてしまったことがたくさんある。後日、書き残したことをまとめて、一つの脈絡のある文章にするのは、何を書き残したか不明になって、余計な手間がかかるだけである。だから、今日の分は、方言にまつわるよしなしごとで、一文物するには小さなものを思いつくままにつらつらと書き連ねることにする。

 モラビア地方に特徴的な方言に、「ス(su)」(日本語の「ス」よりは、ちょっと長めに強く発音する)がある。これは、チェコ語を勉強するときに最初に学ぶものの一つである「イセム(jsem)」(実際には「セム」と発音することも多い)のことである。だから「ヤー・ス・ズ・オロモウツァ」(私はオロモウツから来ました)などと使うと、オロモウツ人になれたような気分に浸れるのである。
 それから、南モラビアでは、活用語尾に表れる「オウ(ou)」を「ウー」と発音し、ハナー地方では、「オー」と発音する。特に動詞の三人称複数の形でよく使われ、例えば「ほしい」という意味の動詞は、南モラビアでは「フツー」、ハナー地方では「フツォー」になる。

 モラビアの首都であるブルノには、ハンテツと呼ばれる方言がある。これはプラハと同じ言葉を使いたくないという反骨心から生まれたある意味で人工的な方言らしい。ただその影響は、ブルノを超えて、モラビア中、言葉によってはボヘミアのほうまで広がって、プラハの人でも知っているものも在るようだ。恐らく一番有名なのは、「シャリナ」で、「トラムバイ」のことである。チェコ語には、トラムやバスなどの市内交通機関に使える定期券を、一語で表せる言葉がないため、ハンテツのひとつである「シャリンカルタ」という言葉を使う人が多い。

 昔、オストラバ近辺で通訳の仕事をしていたことがある。通訳の仕事そのものも大変だったのだが、一番大変だったのは、時々チェコ人たちの言葉が聞き取れなくなることだった。オストラバ地方の方言は独特なのである。
 特徴が二つあって、一つは長く伸ばす長母音が存在せず、短母音になってしまうことである。そのためオストラバ近辺の人たちのことを、「くちばしが短い」なんていうこともあるようだが、これはそれほど大きな問題ではない。正確には「クラートキー」と言わなければならない「短い」という意味の形容詞を、短いのだからと思いつつ「クラトキー」と発音してしまうことはよくあるし。
 もう一つの特徴は、アクセントの位置が違うことである。これは近隣のポーランド語の影響を受けたもので、チェコ語では一般に語頭の母音にアクセントがあるのに、オストラバでは後ろのほうにずれるため、とっさに聞き取れないことがある。正直な話、それまで、日本語で話すときにも、チェコ語で話すときにも、アクセントはあまり重視していなかったのだが、このとき以来、アクセントを多少は意識して話すようになった。
 これは最近知ったのだが、この地方の人は、「ここ」という意味の言葉を使うとき、場所を表す「タディ」と、方向を表す「セム」を反対に使う。これはチェコ語を勉強し始めてすぐの段階で、耳にたこができるほど間違えてはいけないと言われたことである。方言とはいえ、それを逆に使ってしまう人がいるというのは驚きであった。しかも、大卒でありながら自分が逆に使っているのが正しいと思い込んでいる人までいる。こういうのは、誰かに指摘されるか、自分で意識して聞くかしないと気づけないのだろう。

 オストラバよりもさらに、ポーランドとスロバキアに近づいていくと、特別なポナシムという方言が使われる地域になる。ポーランド系の人たちも多い地域で、チェコ語にポーランド語、ドイツ語の要素が混ざった不思議な言葉が生まれたらしい。これは、聞いて理解できる自信がない。
 この地方は方言自慢というものをあまり聞かないチェコの中では、例外的に、自分たちの使っている方言に誇りを持っている地域のように思われるのだけど、どうかな。
5月11日15時


2016年05月12日

方言の思い出――チェコ語版(五月九日)



 チェコ大使館が出している奨学金をもらって、初めてサマースクールに参加したとき、宿舎はサッカーのスタジアムと、パラツキー大学の体育館の近くにある寮だった。確か部屋番号が「206」で、相部屋だったのはポーランド人で、初心者だと言っていたのに、同じ東スラブ語を使う民族との強みで、チェコ語の理解には何の問題もなさそうだったのが無性に腹が立ったのを思い出す。

 それはさておき、大学の寮だったせいか、外出するときには鍵を受付に戻して、戻ってきたら部屋番号を伝えて受け取るというシステムになっていた。何日目だっただろうか。授業が終わって戻ってきて、覚えたチェコ語で意気揚々と「206」というと、受付に座っていた気のよさそうなおばちゃんは、にこにこ笑いながら、「違う」という。そんな番号はないということなのかと思って、もう一度言っても「違う」と言う。そして、鍵を取ってこちらに向かいながら、「ドバ・スタ・シェスト(dva sta šest)」と言う。どうもこちらの「200」の発音が気に入らなかったらしい。繰り返せというような顔をしているので、仕方なく「ドバ・スタ・シェスト」と言うと、その通りと言いながら鍵を渡してくれた。当時、その寮に宿泊していたのは、みなサマースクールの学生だったから、少しでも勉強になるようにと考えてくれたのだろう。
 しかし、本来のチェコ語の文法にのっとれば、「ドバ」は男性名詞につくときの形で、「100」は、中性名詞だから、「ドビェ(dvě)」になり、「300」と「400」は確かに「スタ」でいいけれども、「500」以上は「セット(set)」になるし、「200」の場合には特別に「ステ(stě)」になるはずである。自分一人で考えていても仕方がないので、翌日の授業で先生に質問してみた。先生は、「ドバ・スタ」はこの地方で使われている方言だけど、寮のおばちゃんには文句は言わないで上げてねとか何とか言っていた。もちろん、こちらの学習に力を貸してくれようとした方に、文句をつける気は全くなかったし、それまで意識の中に入っていなかった、モラビアの方言と言うものを意識できるようになったことに関しては感謝してもいいぐらいだった。
 その結果、翌年のサマースクールで、授業中に廊下に引っ張り出されて、チェコ語を学ぶ日本人としてテレビのインタビューを受けたときには、部分的にモラビア方言でしゃべって見せたのだが、語尾を少し変えただけで、他は書き言葉的な正しいチェコ語でしゃべったから、発音の微妙さと相まって珍妙なチェコ語になっていたに違いないと今にして反省する。一応、モラビア方言っぽく話すためのコツを一つ上げておけば、「ほしい/〜たい」という意味の動詞の一人称単数で、「フツィ(chci)」ではなく、「フツ(chcu)」(「ツ」はちょっと強めに長めに発音するとなおよし)を使うことである。

 オロモウツでチェコ語を勉強し始めた、その年だったか、翌年だったかに、友人に誘われて実家の南モラビアの町を訪ねた。顔の広い奴で、夜飲み屋でお酒を飲みながらいろいろな人と話すことになってのだが、「ス・カマ」と質問されて、意味が分からなかった。最初は「ス・キーム(s kým)」(誰と一緒に)のことだろうと思って、「友達と来た」と答えるのだが、「違う」と言下に否定されて、何の説明もなしに「ス・カマ」「ス・カマ」と繰り返されて、お手上げになってしまった。その時に誰かが、自分はどこどこの出身だけど、お前は「ス・カマ」と質問してくれたので、「オトクット(odkud)」(どこから)のことだと理解できた。
 「どこへ」を「カム(kam)」と言うので、それに二格につける前置詞「ス(z)」(場合によっては「ズ」)を付けて、「ス・カマ(z kama)」にしてしまったらしい。名詞とは言えない方向を問うための言葉「カム」に前置詞を付けることができるなんて思いもしなかった。後で聞いた話では、「どこから」を意味する言葉は、方言のバリエーションが非常に多く、チェコ人でも一瞬わからなくなることがあるらしい。そんなの外国人に使うなと言いたいところだけれども、方言だけを使って暮らしている人にとっては、その言葉が方言であるかどうかなんてどうでもいいことなのだろう。同じ変な言葉でも、外来語は許せないのに、方言だと許せてしまうのは何故なのだろう。

 実は、モラビア地方でも、ハナー地方にはそれほどひどい方言はないのだろうと思っていた。オロモウツの人たちは、外国人であるこちらにもわかるような言葉で丁寧に話してくれるから、普段からそんな話し方をしているのだろうと誤解していた。師匠は、このあたりの方言はチェコの中でも汚い部類の方言に入るから、地元以外の人や、外国人と話すときには、できるだけきれいな言葉で話そうとするのだと言っていたけれども、あまり信じていなかったのだ。その後に続いた、「だから、外国人がチェコ語を勉強するには最適なんだ」という部分は、最初から実感を持って大賛成だったけれども。
 この師匠の言葉の前半が理解できたのは、当時オロモウツに住んでいてチェコ語を勉強していた知り合いに、「プシンドゥ」とか、「ネンデ」と言うのはどういう意味かと聞かれて答えられなかったときのことだ。うちのに質問したら、それぞれ「プシイドゥ(přijdu)」「ネイデ(nejde)」のことだと言う。行くという意味の動詞「イート(jít)」そのものの変化形は、問題ないのだが、それに接頭辞が付くと、なぜか「イ」が「ン」に音韻変化してしまい、こんな変な言い方になるらしい。一般に方言は好きだけれども、これはちょっと使いたくない。

 それから、師匠の話では、このあたりでは、日本語のいいえ、つまりチェコ語の「ネ」の代わりに「ホブノ(hovno)」と言うことがあるらしい。さすがにそれは師匠一流の冗談だと思いたかったのだが、ある日レストランで食事をしていたときに、母子の信じられない会話を耳にしてしまった。母親が息子に、何か質問したら、息子は「ホブノ、トイレ」と言って立ち上がったのだった。
 問題は、この場合の「ホブノ」が、師匠の言った「ネ」の意味で使われたのか、それとも本来の意味で使われたのかである。レストランで本来の意味で使うことはないと思うのだけど、状況が状況だけに判断が難しい。「ホブノ」の本来の意味については、書くのがためらわれるので、自分で調べてみてほしい。
5月10日22時。





現代チェコ語日本語辞典 [ 小林正成 ]



2016年05月06日

チェコ語における外来語と外国語の固有名詞(五月三日)



 件の日本語ぺらぺらのチェコ人をはじめ、日本語ができるチェコ人が時々ぼやくのが、日本語の外来語の多さ、わかりにくさである。外来語の多さには日本人であっても辟易することがあるし、意味不明なままに使われているものもある。でも、もわかりにくさとは何なのだろう。聞いてみると、英語から入った外来語は、日本語に取り入れられてカタカナ化される際に発音にずれが生じるため、日本語で見ても聞いても元の英語の言葉を思い浮かべることができないことが多いのだそうだ。その意味を聞いて納得はしても、どうしてカタカナでそう書くのか首をひねってしまうという。
 しかし、外来語、もしくは外国語の言葉の発音がめちゃくちゃだという意味では、チェコ語も日本語と大差ない。表記上は同じアルファベットを使うので、チェコ語化した外来語なのか、外国語をそのまま使っているのかわからず、目で見たときには意味はわかっても(わからないことも多いけど)、読み方がわからない。そして耳で聞くと、何だかさっぱりわからないこともままある。

 かなり昔の話だが、「プツレ」と言われて何のことかわからなかったことがある。聞き返したら、現物を指さしてくれ、見たらパズルだった。英語の“puzzle“をローマ字読みした上に、ドイツ語の影響で“z“を「ツ」と読むため、こんなよくわからない発音になってしまっているらしい。日本人でも英語の言葉をローマ字読みして、変な言葉にしてしまう人はいるけど、そういう人は間違いに気づいたら、深く恥じ入って、正しい、もしくは日本語で一般に使われているカタカナの読み方を使うようになる。それに対して、チェコの人は、みんなではないかも知れないが、堂々と「プツレ」を使い続けているのである。

 ドイツ語の発音の影響というのは意外に大きくて、日本の新幹線は、チェコ語でもそのまま使われるのだが、「シンカンセン」ではなく、「シンカンゼン」と言う人のほうが多い。チェコ語でもSをザジズゼゾで読むことがないわけではないが、新幹線は、チェコ語の発音のルールに従えば「シンカンセン」と読まれるべきなのである。人名のヨゼフが、表記上は「ヨセフ」と読むほうが自然なのに、「ヨゼフ」になるのも、ドイツ語の影響だと見ている。
 ドイツ語の読み方は日本語の表記上でも結構問題があって、語末のGを「ヒ」に近い音で読むことがあるのを、拡大解釈して、1980年代までは、ハイデルベルクが、「ハイデルベルヒ」と書かれた本もたくさんあった。Gが「ヒ」になるのは、たしか語末が“ig“で終わっていとき時ではなかったかな。だから、“ König“は「ケーニッヒ」と書くのが普通だけれども、“berg“は「ベルク」と書かれるはずである。ちなみに、チェコ語の名字の場合には、「ケーニッヒ」は、ドイツ語の影響などなく「ケーニク」と普通に読まれる。

 プツレの他にも、カプセルのことを「カプスレ」と言うし、アメリカ軍のミサイルについてのニュースで、「トマハフク」と言うのを聞いたときには、耳を疑った。チェコで「ハフ」というのは犬の鳴き声を現す擬声語なので、何でここで犬が出てくるのか、まったく理解できなかったのだ。いろいろ考えて、日本にいたころに名前を聞いたことのあるトマホークにたどり着いたときには、もう力なく笑うしかなかった。

 人名、地名にも悩まされる。チェコ語化した、もしくはチェコ語訳のある地名、人名についてはもはや何も言うまい。女性の名字に「オバー」がつくのももう慣れた。問題なのは、英語やフランス語などのアルファベットを見てもすぐには正しい読み方がわからないものを、チェコ語風の読み方にしてしまうことだ。
 イギリスの話をしているときに、「テチュロバー」という人名が出てきた。話の内容から、これはどうもサッチャー首相のことらしいと気づくまでには、かなりの時間を要した。英語の子音“th“を日本語では、サ行、ザ行で処理することが多いのに対して、チェコ語ではタ行で処理することが多い。また、英語独特のアとエの中間にあるあいまい母音を、日本人はアで聞き、チェコ人はエで聞く。それがわかっていてなお、「テチュロバー」からサッチャーを導くのは無理だった。もし、チェコ語で何の説明もなしに、サッチャー首相についての話を聞いて、誰のことかわかった人がいたら、心の底から尊敬する。
 フランス語の人名の場合には、末尾の発音しないはずの子音を発音することがあったのが問題だった。こちらは、カタカナで覚えているだけで、フランス語のつづりなど知らないから、余計な子音がついていると別の人名だと思ってしまう。最近は、ニュースなどでは、一格はフランス語の発音を優先して、発音しない子音は発音しなくなったけれども、格変化をすると、発音しない子音も発音した上で語尾をつけるので、例えば、一格はミッテランでも、二格ではミッテランダになってしまう。これも大分慣れてきたけど、とっさだと辛いものがある。

 最近、何かと話題に上ることの多いイギリスのレスターだが、チェコではどうも「リーチェスター」と読まれていることが多いような気がする。つづりを見たら書かれている通りに読んだだけだとわかるのだけど、最初は同じ地名を指しているとは思わなかった。まあイギリスの地名が名前の起源になったウスターソースも、チェコ語だと「ボルチェストロバー・オマーチカ」になるからなあ。
 この手の日本語のカタカナ地名からは想像しにくい地名としては、「エディンブルク」を挙げておこう。スコットランドの地名だとわかれば、気づく人も多いだろうが、エジンバラのことである。最初に耳にしたときには、ドイツの地名だと思ったんだけどね。

 日本語の場合、カタカナ表記をして原語の表記は使わないことが多いので、一度書き方が定着してしまうと、よほどのことがない限り読み方が変わることはない。チェコ語の場合には、原語の読み方に近い読み方をする人がいても、それを知らない人がチェコ語の発音のルールに従って、場合によってはドイツ語の影響と共に読むことで、チェコ語風の発音で定着することも多い。私は特に気にならないのだが、日本語では「ニューカッスル」と言われることの多い地名を、チェコ人がつづりにひかれて「ニューカットスル」と子音の“t“を発音するのが気に入らないと、うちのは言っている。
 原語のつづりがどうであれ、ある程度正しい発音を固定してくれるカタカナ表記というものは素晴らしいものである。ただ語学の教科書でカタカナでルビを振るのはどうなのかなあ。カタカナでは表記できない微妙な発音がカタカナで表記できる発音に変化して定着しそうな気がするんだけど。

 外国の言葉、地名などを使用するときの表記、発音に関する問題というのは、チェコ人たちが言うように日本語にもあるから、「だからチェコ語は」などと言っても、目くそ鼻くそのレベルの非難のしあいになってしまうけど、外国語を勉強する人間にとっては、その言葉における外来語、もしくは外国の人名、地名というものが、運用の上で一つの大きな壁になるのは、何語を勉強するのであれ、同じなのだろう。
5月4日18時。


 お、なんか久しぶりに真面目な題名になっているような気がする。これはちょっと読んでみたいかも。5月5日追記。



世界の〈外来語〉の諸相 [ 国立国語研究所 ]


2016年05月04日

チェコ人も知らないチェコ語――トルハーク三度(五月一日)



 ここ三日ほど、筆が進まず、内容も中途半端で時間も無駄にかかりすぎているのは、金曜日に久しぶりに飲みに行ったからに他ならない。最近飲まなくなったせいか、一度に飲める量が激減し、飲んだら翌日、翌々日ぐらいまで引きずるようになってしまった。金曜日も、四時間で二杯しか飲んでいないのに、土日は半分使い物にならなかった。午後は、コーヒーを飲んで目を覚ましたはずなのに、昼寝してしまったし。昔は昼寝なんてできなかったのが、できるようになったと考えたほうがいいのだろうか。

 とまれ、ゴールデンウィークを利用して、十年以上前にオロモウツでチェコ語の勉強をしていた知人が、オロモウツに来ることになったから、一緒に飲みに行こうと日本語ぺらぺらのチェコ人から連絡があったのが、二週間ほど前のことだっただろうか。そのチェコ人と飲みに行くのも久しぶりだったし、否やはない。場所もスバトバーツラフスキー醸造所のビアホールだから歩いていけるし。

 こちらに来てから思うのは、年をとったせいなのか、外国にいるせいなのか、時間の流れが実感よりもはるかに早く、その人と会うのも十年以上ぶりなのだけど、何年か前のことのように思われてしかたがない。懐かしいねえ、久しぶりだねえという感じはあるのだけど、十年といわれるとそんなになるのかなあと思わず遠くを見てしまう。体内時計ではまだ2014年ぐらいのはずなのだけど、それでも十年ぶりかあ。
 チェコに来るの自体が久しぶりだというその人は、現代人の例にもれずフェイスブックなどでチェコの友人たちと連絡を取り合っているらしく、一緒にいたチェコ人と二人で、チェコにいる我々より、日本にいる人のほうが、共通の知人の消息に詳しいってのはどうなんだろうと首を傾げてしまった。そんなに連絡を取り合えていたら、久しぶりに会うときのありがたみがなくなるよねというのが、我々の負け惜しみ。

 共通の知人の話をしていて思い出したのが、その人が日本に帰った後、ビールを送るといって颯爽と郵便局に向かうのを見かけたチェコ人のことだった。なんか適当な梱包の仕方だったから無事に届くのかどうか不安だったのだが、やはり無事には届かなかったらしい。クッション付きの封筒に瓶ビールを二本入れただけで送ってしまうのはチェコ人だからなあだけど、割れてびしょびしょになってしまった郵便物を律儀に配達してくれる日本の郵便局は素晴らしい。それにしても、流出したビールで他の荷物にも被害が出ていたのではないだろうか。
 スーツケースに入れて飛行機に乗せるにしても、小包として郵送するにしても、パッケージングには細心の注意が必要である。郵便局は丁寧に扱ってくれるかもしれないが、外国の飛行場での荷物の扱いのひどさは周知の通りである。ぽんぽん放り投げられても大丈夫なようにしておかないと、大変なことになる。以前、日本から荷物が送られてきたときに、中に入っていた煎餅が粉砕されて、おそらく袋が破裂するのと同時に袋から噴出し、中に入っているもの全てが煎餅の粉まみれになっていたのには閉口した。空気を抜く小さな穴でも開けてあれば、割れはしても粉まみれにはならなかったと思うのだが。その辺は実際に体験してみないとわからないだろう。
 スースケースに缶ビールやスリボビツェを入れて帰ったら、缶や瓶が割れてしてえらいことになったという人も多いし、以前はこういう割れそうなものは、手荷物として機内に持ち込んで丁寧に持ち運ぶというのが一番の手だったのだけど、機内に液体を持ち込めなくなってしまったのが痛すぎる。結局は衝撃を吸収するための緩衝材として、タオルや服で巻くのはもちろん、スーツーケースや箱の中でがたがた動かないように固定する必要があるとかいう話で盛り上がってしまった。チェコ人の話では、知り合いの日本人の中には、お酒お持ち帰り用キットとして、そのためだけにスーツケースにつめるものを準備している人もいるらしい。何でも一度スリボビツェが割れてしまって……。
 また、そのチェコ人が言っていたのは、最近日本からの荷物が税関で引っかかって消費税を請求されるようになったことへの対策として、日本で買ったものをすべて開封したり、袋にはさみを入れたりして、販売できない状態にしたうえで、価値のないものとして送ると、税関で引っかからないということだった。郵便事故が起こった場合に、何の保証もなくなるだろうけれども、毎回税金を取られるよりはましかもしれない。

 その後、チェコの映画で何が好きかという話になったときに、日本から来た人が挙げたのが、「ブルノでの退屈」(直訳)で、これはチェコに住んでいる我々二人は、題名は知っているけれども見たことのない映画だった。チェコの友人は、最近初めて見たんだけどと言いながら「球雷」というツィムルマングループの作品を上げた。チェコ最高の名優ルドルフ・フルシンスキーの演技に感動したらしい。日本だとチェコの映画はお涙ちょうだい的な泣ける話が受けるようだけど、チェコ映画で一番素晴らしいのは、やはり笑えるコメディなのだ。外国人には笑えないことも多いけど。

 というわけで「トルハーク」である。この映画を日本から来た人が知らなかったのはともかく、驚いたのは、チェコの友人もスポーツの世界で「ぶっちぎり」的な意味で使われる「トルハーク」を知らなかったことだ。こういうチェコ人多いんだよなあ。スポーツの中継を見ないということか、それとも、中継を見ても実況を聞いていないということだろうか。日本でもここの中継は聞いていられないなんて人がいることを考えると、後者かな。
 思い返せば、昔民放のノバがスポーツの中継をしていたころはひどかった。選手の名前を間違えるのはしかたがないにしても、得点したチームを間違えたのには唖然とさせられたし、90分のサッカーの試合中に同じ選手についてのどうでもいい情報を十回以上も繰り返し聞かされたときにはやめてくれと思った。批判がすごかったせいか、ノバ本体はスポーツの中継から手を引き、今ではスポーツ専用チャンネルで中継するようになっているのは、スポーツ界にとっても、視聴者にとっても幸せなことだ。いまでもしゃべるなと言いたくなるアナウンサーはいるけど、昔に比べれば雲泥の差である。チェコテレビでも、アイスホッケーは素晴らしいけど、去年のラグビーのワールドカップを担当していた二人のうちの一人はひどかった。あまりにひどかったので、音量を絞って、集中して聞かないと何を言っているのかわからないぐらいにしてしまった。
 だから、チェコ人でも「トルハーク」の意味を知らない人がいるのだろうと考えたのだが、そもそも映画「トルハーク」を知らない人も多いんだよなあ。とまれ、「トルハーク」も、チェコ人の知らないチェコ語なのだ。ふう、やっと題名にたどり着いた。
5月2日11時30分。


2016年04月22日

チェコ人も知らないチェコ語 いんちきチェコ語講座(四月十九日)



 チェコのレストランで、何を選ぶか考えたくないときに、メニューにあれば選ぶ料理がある。一つは、オンドラーシュと呼ばれる料理で、ブランボラークの生地で鶏肉か豚肉を包んであげた料理である。ブランボラークは、名前にブランボラとついていることからもわかるように、ジャガイモを使った料理で、ポテトパンケーキとか言われてもイメージがわかないだろうから、摩り下ろしたジャガイモに小麦粉と卵、調味料、場合によっては牛乳を加えて作った生地を、フライパンで油で焼いて、もしくは揚げて作る、もしくは、お好み焼きの具を全部ジャガイモにして、特別な調味料香辛料の類を加えて焼いたものと説明しておこう。
 昔は街中のスタンドで売られていて立ち食い、歩き食いをしている人を見かけたもののだけれど、最近はファーストフードに駆逐されたのか、クリスマスやイースターなどのマーケットのときぐらいしか外では食べられない。ビールのつまみとしては、ブランボラークが大好きなのだが、食事となると一緒に食べるものを考えなくてもいいので、オンドラーシュのほうがいい。
 そして、もう一つがスマジェニー・シールである。かつてサマースクールのイベントで、スラフコフの城館と、アウステルリッツの古戦場を見学に出かけたとき、大挙して入ったレストランの人に、出発までに時間がないようだから、皆同じ料理にしてくれないと間に合わないと言われ、全員一致で選ばれたのがこの料理だった。料理自体は、チーズにパン粉の衣を付けてあげたチーズカツとか、チーズフライとか言いたくなる料理で、チーズ嫌いでもない限り口に合わないとは言わないはずである。そのスマジェニー・シールと一緒に食べるのは、たいていフライドポテトである。

 このフライドポテト、チェコ語では複数形で「フラノルキ」という。一本単位で注文する人なんかいないから、複数形で問題はないのだろう。でも、これが男性名詞なのか、女性名詞なのかは、一格、四格以外の格では重要である。特に料理を注文するときには、メインの料理の名前を言った後に、「s+七格」を使う。だから、男性名詞として「ス・フラノルキ」と言うのが正しいのか、女性名詞として「ス・フラノルカミ」と言うのが正しいのかは、チェコ語を学ぶ外国人にとっては、重要なことである。
 それなのに、チェコ人に聞くと、たいてい「ス・フラノルカマ」だという答が返ってくる。これは、典型的な話し言葉表現の七格で、女性名詞には、そのまま「マ」をつけ、男性名詞には「アマ」をつけるため、男性名詞でも、女性名詞でも複数七格の語尾は同じである。例えば、学生の複数七格は、男だったら「ストゥデンタマ」、女性だけだったら「ストゥデントカマ」となる。

 仕方がないので、授業時に師匠に質問したところ、「フラノルキ」は男性名詞だから、「ス・フラノルキ」が正しいと答えてくれた。ただ、チェコ人の中には、話し言葉の複数七格の語尾の「マ」を「ミ」に変えれば、文法的に正しい表現になると思っている人が多いから、そういう説明をする人には、チェコ語に関する質問はしないほうがいいとも言われた。複数七格の語尾の「マ」は、本来は手や足など二つセットで人間の体についているものに使われるいわゆる双数の七格が、他の名詞の複数七格に転用されてしまったものらしい。
 男性名詞なら、「フラノルキ」の単数一格は「フラノレク」だということになる。師匠の説明によれば、それは細長い角柱を意味する「フラノル」の指小形だという。「フラノル」という言葉で、表されるものとしては、鉄道の線路の下に敷かれているコンクリート製の枕木を挙げてくれた。なるほど、フライドポテトの形状から、枕木を小さくしたものを想定したということか。すんなり納得できてしまった。
 最後に師匠は、チェコ人でも「フラノルキ」の単数一格が「フラノレク」であることを知らない人は多いから、いろんな人に質問してみるように付け加えた。実際に、あちこちで質問してみると、同じチェコ人でも意見が合わずに、質問したこちらをそっちのけで議論を始めてしまうこともあって、なかなか楽しかった。チェコ語を勉強するに当たって、こういう師匠に出会えたことは、本当に幸せなことであった。

 他にも男性名詞か女性名詞かわからないものはいくつかあって、例えば、ジャガイモの単数一格が「ブランボル」なのか、「ブランボラ」なのか、キュウリは「オクルカ」なのか、「オクレク」なのかで、いつも悩むのである。
4月20日14時。


 なんか尻切れトンボと言うか、落ちがないと言うかうまくおさまりがつかなかった。本当はこの後「トルハーク」という言葉の意味についての話を書くつもりだったのだけど、長くなってしまいそうだったので次回回しにした。4月21日追記。






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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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