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2016年06月24日

サマースクールの思い出(三)――一年目二日目以降(六月廿一日)



 二日目の朝、学校に行くと、昨日クラス分けの表がはってあった掲示板の前に、ちょっとした人だかりができていた。ここには、午後チェコ語で行われる専門的な講義の内容や、週に二回夕方から上映される映画のタイトルや、週末の遠足の予定などがはり出されるので、毎日チェックするようにと言われていたような気がする。
 それで、自分も覗いたらサマースクールについての新聞記事がはり出されていた。オロモウツのパラツキー大学で行われるサマースクールは、日本的に言うと夏の風物詩のようになっており、毎年テレビのニュースで取り上げられたり、新聞の記事になったりしているらしい。授業前の短い時間の立ち読みでは理解できそうにないので、あとでコピーをもらって、辞書を引き引き読もうと考えていたら、日本人の知り合いに、写真に出てると指摘された。
 見てみると、初日の休み時間に中庭でしょんぼりとしゃがみこんで地面を見つめている自分の姿が写っていた。すぐ隣には、立ってにこにこと笑顔で話をしている二人の人の姿があって、見事なコントラストを作り出していた。恥をさらしたと呆然としていたら、いい記念になるじゃないと励まされた。笑い含みの口調だったから、からかわれたのかもしれないが、職場へのお土産にはできそうだった。いや、お土産というよりは土産話かもしれない。
 かくして、新聞の入手先を聞くために、三度事務局に向かった。記事が載った新聞は、「ムラダー・フロンタ」もしくは、「ドネス」と呼ばれているもので(どちらが正式名称なのか知らない)、全国版ではなく、オロモウツ地方のページに掲載されていた。授業が終わってからだと、一般の売店では売り切れになっているかもしれないからと言って、ホルニー広場にあった新聞社の直営の販売所を教えてくれた。昼食の後に行って、残っていたら買いたいとお願いしたら、ただでもらえてしまった。この時間から売れるとも思えないとか言っていたかな。オロモウツの人は優しいのである。

 この日の授業は、幸せだった。教科書も、先日の中上級向けの訳の分からないものとは違って、初級向けの教科書の途中からだったので、文法事項はすでに日本で日本語で学習を済ませており、問題は先生と同級生たちの言葉が理解できるかどうかだけだった。先生は、きれいな発音でゆっくり丁寧に説明してくれたので、大半は理解できたし、理解できなかった場合でも、何を質問すればいいかは分かった。師匠は発音はめっちゃくちゃきれいなんだけど、特に上級者を相手にすると話すスピードがとんでもなく速くなって、質問さえできないことが多いんだよなあ。素人に毛が生えたような語学学習者に言えたのは、もう一度ゆっくりお願いしますだけだったし。
 同級生たちも、同じぐらいできが悪かったので、みんなたどたどしい発音で、ゆっくりしゃべっていた。そのおかげでちんぷんかんぷんということはなかった。語学のクラスでは、このみんな大体同じぐらいできるというのが重要である。一人だけ飛び抜けてできたり、できなかったりする人がいると、本人はもちろん、先生も大変なのだ。それに気づかされて、遠くから師匠にお詫びの言葉を送っておいた。
 このクラスがよかったのは、みんなチェコ語は下手くそだったけれども、安易に英語や自分の母語に頼らず、何とかチェコ語で表現しようと努力していた点だ。どんなに難しいことでも、とにかくチェコ語で表現しようとして悪戦苦闘する同級生たちの存在は、自分のチェコ語を使う姿勢にもいい影響を与えてくれた。もちろん、何をどう説明しても理解できなくて、グダグダになってしまうこともままあったけれども、それも外国人同士でチェコ語で話す楽しみのようなものだ。

 ただ、残念なことに、時の流れと、三回目のサマースクールの同級生たちの印象が強すぎるせいで、この年の同級生たちの記憶があいまいになってしまっている。フランス人のパトリックだったかとは、翌年のサマースクールでも再会して、名前が出てこなくて申し訳ないことをした。スイス人のマティアスには、いろいろお世話になった。授業中大抵隣に座っていて、わからないことがあると説明してくれたし。イタリア人の畏友アレッサンドロと出会ったのは、この年のこのクラスだったかなあ。カレル・クリルの話で盛り上がったのは覚えているから、多分そうだよなあ。
 昼食の時にコフォラを飲んでいて、授業中に同級生の知らない難しい言葉を使っていたのは、ドイツ人のカティだったかな。フランス人のちょっと姉御肌の確かサーラには、日本に荷物を船便で送ろうとしていたら、航空便にしろって怒られたのを覚えている。当時はチェコからの船便は、飛行機に乗せるなんて話は知らなかったから、言うこと聞いちゃったんだよ。
 他にも何人かいて、顔はうっすらと思い浮かべられるのだけど、名前とか、どんな人だったかとか、本当にこの年の同級生だったのかとか、肝心なことが思い出せない。結構一緒に食事に行ったり飲みに行ったりしたはずなんだけど。

 こんなことを懐かしく思い出していたら、授業中に困ったことも思い出した。動詞が、何格を取るのかを説明するときや質問するときに、みんなラテン語起源のゲネティフ、ダティフなんて言葉を使っていたのだ。「プルブニー」などの順番を表す言葉で済むと思っていて、そんな文法用語は知らなかったので焦った。何だか覚えにくい言葉で、サマースクールが終わるまでに完全に覚えることができなかったんじゃなかったか。今でもいくつか怪しいのあるし。
 それだけではなく、「kdo(誰)」「co(何)」の変化形で、格を示す人もいて、日本語の教科書や辞書の巻末の表をめくるのが大変だった。なぜか、日本で書かれて教科書では、これらの疑問詞の変化形があまり取り上げられておらず、ほとんど全く覚えていなかったのだ。こちらは書く変化だということで、繰り返し繰り返し書いて、必死に覚えたので今では問題なく使えるはずである。でも、覚えた後に、「誰の」は、二格の「koho」を使えばいいと思っていたのに、実は疑問文に使うには、形容詞化した「čí」を使うんだと言われたときには、ちょっと泣きそうになった。
 多分、語学なんてこんなもんなのだ。いくら完全にできたと思っても、完璧にわかったと思っても、それは誤解でしかなく、次々にわからないこと、できないことが出てくる。本当の意味で、母語と同じレベルで外国語を身につけるのは、不可能なことである。それでも、できるようになりたいと思うのが、人間というものなのだろう。
6月23日18時30分。


 この話は書き出すと止まらないだろうと思って封印していたのだけど、実際書いてみたら、いくらでも書くことが出てきてしまう。6月23日追記。
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