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2016年06月23日

サマースクールの思い出(二)――一年目初日(六月廿日)



 初日の月曜日の朝、日本から来ていた人たちと、一緒に学校に向かいながら、前日のクラス分けのテストについて話していたら、嫌な予想をされた。テストは簡単だったし、日本人は文法事項に関してはしっかり勉強して身に付けている傾向が強いので、一番上のクラスに行かされるかもよと言われたのだ。
 当時は、語学学校に通い始めてまだ半年足らず、自学自習を始めてからでも一年になるかならないかだったのである。そんな人間が初めて参加するサマースクールで一番上のクラスでなんて勉強できるはずはないし、放り込まれることはないと思いたかった。思いたかったのだが、前日の試験は妙に簡単で、できないことは一つもなかったし、ミスさえなければ満点だという自信はあったのが、不安をもたらした。こんな簡単なのほとんどみんな満点だろうとも思ったのだが、日本人以外は喋るのが上手な人でも、文法的なことは結構いい加減なことが多く、文法的な正確さを問う試験では、成績が悪くなる傾向があるのだという。

 ちょっとどんよりした気分で、クラス分けが発表されていた掲示板を見に行くとさらに気分は落ち込んだ。予想されたとおり、一番上のクラスに分配されていたのだ。一応、事務局に無理だから下のクラスに行かせてくれとお願いに行ったのだが、何とかなるかもしれないから、試すだけは試してみたらなどと無責任なことを言われて、一番上のクラスに送り込まれた。当時はまだチェコ人的なずうずうしさを身に付けていなかったので、事務局に言われたことを、嫌だなあと思いながらすんなり受け入れてしまったのだ。救いだったのは、学校まで一緒に来た日本人も、すごくチェコ語ができる人で、一緒に一番上に放り込まれたことだった。
 正直に言うと、このときテストの結果が一番上のクラスに入れられるほどよかったことに、そこはかとない満足感を感じていたのも事実だ。そして、口では無理だといってはいたが、頭の中ではテストもよくでできたんだから、もしかしたら一番上のクラスでも何とか勉強できるかも知れないという、今にして思えば、気が狂ったとしかいえない希望を抱いていたのだ。いや希望じゃないな、妄想だな。

 最初の授業が始まってから、その希望、ないしは妄想が現実によって木端微塵に打ち砕かれ、深い深い絶望に取って代わられるまでに、おそらく十分も要さなかったのではなかったか。自己紹介してもらいましょうという、後に我が師となる先生の最初の言葉は理解できた。難しい言葉はなかったし。だけど、それに続いた同級生となるべき人たちの発言が、日本に人のものを除いて、まったくと言っていいほど聞き取れなかったのだ。名前すら聞き取れなかった人も何人かいた。
 それから90分の間は、地獄のようだった。同級生達の発言は、何を言っているかすら聞き取れなかったし、師匠の言葉は聞き取りやすい発音だったのだけど、知らない言葉が多すぎて念仏を聞いているようなものだったし、時差ぼけ気味の頭で師匠の発音の美しさに聞きほれていると知っている言葉すら聞き取れないという絶望的な状況だった。最初の授業で何を勉強したのか、何か勉強できたことがあったのか、まったく記憶にない。ただ絶望感だけは、こうしてあのときのことを書いている今も、確実によみがえってくる。

 授業と授業の合間の休み時間には、みんな中庭に出て夏の日差しとさわやかな空気の中で、知り合いたちと情報交換をしたり、同級生達と会話を楽しんだりしていたが、私はベンチに座る気力も、立ち上がる気力もなく、しゃがみこんで周囲の幸せそうな風景を自分が入っていけそうにないことを悲しみながら眺めては、視線を地面に落としていた。頭の中には、もう帰ってしまおう、サマースクールなんか来ようと思ったのが間違いだったんだ、語学の勉強なんて自分には向いていないんだなんて考えが渦巻いていて、チェコ語はおろか日本語でも話せそうになかった。

 多少の光明が見えた気がしたのは、休憩の後の二コマ目に入ったときのことだ。一時間目にいたはずの人の姿が何人か消えて、新しい人が増えていた。訳知りの日本の方にこっそり話を聞くと、サマースクールでは最初に入れられたクラスに満足できない人が、クラス替えを求めることはよくあることらしい。つまりは、希望すれば下のクラスに行けるということだ。
 下に行けば何とかなる、下に行ってもどうせ駄目だという二つの気持ちの間で揺れながら、90分という時間をすりつぶし、授業が終わったら真っ先に教壇の師匠のところに向かった。勝手にクラスを移る人も多いようだが、日本人としては、まずは担任の許可をもらってからと考えたのだ。
「先生、私にはこのクラスは無理です」
「だろうね。私も下に行ったほうがいいと思う」
 師匠も快く許可をくれたので、心置きなく事務局に出向きクラス替えを申し出た。一つ下でいいよねと言われたのを、ごねて二つ下にしてもらった。ごねたといっても、クラスのリストを見せて、ここ、ここ、ここと繰り返しただけだけど。実は一番下のクラスに行こうと思ったのだが、一番下は英語かドイツ語で教えるクラスしかなかった。大学の授業で取って以来、ほとんど使う機会もなかった英語とドイツ語で、チェコ語のの授業を受ける自信は、チェコ語で授業を受ける自信以上になかったので、チェコ語で授業をする一番下のクラスを選んだのだ。

 もし、自費でサマースクールに参加していたら、初日の最初の授業で諦めて逃げ出していたのではないかと思う。奨学金を出してくれた大使館に迷惑をかけてはいけないという一心で、苦行と化したチェコ語の勉強に耐えていた。ただ、この初日が何の役にも立たなかったかというと、そんなことはない。下のクラスであまり理解できなくて苦しかったときでも、初日の地獄を思い出せば、大したことはないと思えたし、天狗になりかけていた鼻をぽっきり折ってもらえたのもありがたいことではあった。語学の学習においては、勘違いして自分ができるなんて思ってしまったら、成長は止まってしまうのだ。
 そういうことは、重々理解した上でなお、あのときはつらかったと、声を大にして言いたい。けれども、ここまで苦しい思いをしたのだから、できなくなる前にやめてしまったのでは、チェコまで来て苦しんだことが無駄になってしまう。だから、できるようになるまでは、チェコ語の勉強をやめるわけにはいけないという自分でもよくわからない論理で、チェコ語を勉強し続ける理由の一つになったのである。
6月22日22時。


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