2016年11月04日
末期がんで無治療の希望と現実
ステージ4でスタートした肺がん
母の肺がんは、発見された当時すでにステージ4。
元気のあった母が、少しずつ弱っていった。
食欲はそんなに落ちていないし、
表情も良い方だと思っていた。
核酸ドリンクを飲み続けていることが
母の元気の源の一つであるとも考えていた。
核酸が母のがんの進行を遅らせている・・・
そう信じて!?飲み続けている母。
いや、そう信じさせるように仕向けていたのかもしれない。
胸の痛みは日に日に悪化していた。
何をしても痛む毎日だった・・・
薬が効かないという壁にぶつかったままだった。
咳の回数は、処方された薬では抑えきれない状況になっていた。
息苦しさを感じる回数も、その症状の悪化に合わせる
ように少しずつ確実に増えていった。
コデインリン酸塩10%の服用回数と服用タイミングとで
多少の調整は出来ていたのだが、それにも限界が訪れた。
真っ白になった両肺
母の両肺は真っ白で、手が付けられない状況となっていた。
化学治療を停止することを決断した母は
その後の4か月間を無治療で過ごしてきた。
驚くほどの速さで悪化という印象はなかった。
どちらかと言えばゆっくりと、着実に進行という印象だ。
肺がんの状態と、症状と、主治医から見ても
とても元気な状態ではいられないはずだった・・・
母の状態は、主治医からすると奇跡に近い状況だった。
転機
胸の痛みの影響で、行動範囲や活動レベルに
かなりの支障をきたしていた為か、
体力、気力を中心に大きく変わった・・・
そう感じとっていた母。
追加処方された痛み止めによって、一時的に痛みが軽減された・・・
しかしそれでも気力体力は取り戻せなかった。
自分のがんが来るところまで来てしまった事実と
それに伴った緩和ケアの対処方法が変わったことによって、
母本人が一番ショックを感じていた。
高濃度酸素吸入装置の処方については
まさか自分が使用することになろうとは
考えもしていなかっただろう・・・。
あの日の夜、母は私に「今までありがとう」と言った。
その言葉がすべてを物語っていた。
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