2016年08月25日
余命は知るべきか・・・
余命とは、医学的な見地とデータの平均値などから算出される
残された命の時間。
真実を聞いた上で、予後の過ごし方を考え直すなどして
残された人生の残り時間を有意義に、大切に使おうとする。
これは病気で余命を言い渡されていなくても持っていたいと思う、
ある種、人生に必要な心構えでもある。
一人ひとりが真剣に時間と向かい合えば、経済は活気づいて
その国の文化さえ変わってしまうほどのエネルギーが発揮されて
新時代がやってくるのではないだろうか。
人は皆、やがて命の炎は尽きるが、いつ尽きるかは全くわからないし
真剣に考えたことも無い方もたくさんいると思います。
それは私にも言えることで、今こうして考えていても、実際にその
場面に直面しなければ気付けないことが多いと思う。
時に人は突然にして、何の前兆もなく命を奪われる。
すべての人に余命がある。
病気や疾患による突然死、事故死、殺人、自然災害・・・
突然にして逝かれてしまった場合、お別れの言葉も交わせません。
亡くなった方はもとより、亡くした家族も同じです。
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最期に一言・・・この願いはとても痛切なもので、
お別れが来るとわかっていれば・・・という、悲しく
悔しい思いに心を打ち抜かれてしまいます。
・・・となれば、私は母が近いうちに逝ってしまうことを知っていた。
それは母も同じで、私たちは色々な話をすることが出来ましたし
それなりの準備もすることができました。
そう考えると、少なくとも私たち家族は幸せでした。
お墓の話も出来ましたし、葬儀屋さんをお呼びして
母の死後についての話を聞いたり、相談したりすることができました。
その効果は、実際に葬儀準備に入った時から感じていました。
やるべきことの概略は頭に入っていましたので、
細かい部分の確認のみで、ある意味「淡々と」進めることが出来ました。
遺された遺族の悲しみ、悔しみ・・・
余命を知ることが出来るということが
どういうことなのか・・・
はたまた、余命を知らされた本人の想い・・家族の想いは・・・
知らされずに逝きたい人も決して少なくないはず・・・。
余命・・・余命を知るが良いのか、知らぬが良いのか、
それは自分自身の価値観でしかないのだろうか・・・?
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