2017年03月10日
出来そうでできない両親の終活
備えあれば憂いなし
母が余命宣告をされた時、
私の右となりに母が居た。
じっと黙って医師の話を聞いていた。
うろたえることも、たじろぐこともせず
・・・母は強い人だった。
当時から遡ること3〜4年前だったと思う、
母が突然お墓の話を持ち掛けてきたことがあった。
何か胸騒ぎでもしていたのか、
年齢的に準備をとでも思ったのかはわからない。
ただ、我が家にはお墓が無かった。
いつかは準備をしなければならないものだ。
母にとってその時がそうだったのかもしれない。
でも、私はそんな母の言葉をまるで戯言のように感じ、
まるで相手にしなかった・・・まだ早い・・・そう思った。
その数年後に母が他界するなんて思いもしなかった。
23歳の頃、当時の会社に出入りしていた生命保険の
セールスの女性の方にすすめられた骨折保険。
骨折すると一時金で5万円が支払われるという特約タイプ。
俺は骨折なんてしない・・・と鼻で笑って聞き流した。
その二週間後、私は骨折した。
凄く恥ずかしい偶然だった。
虫の知らせに気づけない悲しいタイプ・・・それが私だ。
・・・備えあれば憂いなし・・・
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その時が来てからでも大丈夫
もって一年・・・もって数か月・・・
そう告げられても、意外と動けないと思います。
実際、私と母で準備できたのは葬儀の事くらい。
お墓も仏壇も母が他界した後に慌てて準備しました。
だから慌てなくても大丈夫です・・・
バタバタしますけど、何とかなります。
バタバタ劇の最中は、もう少し準備しておけばよかったと
内心嘆いていましたが、終わってみると
そうでもなかった印象だけが残った。
生きているうちにすべての準備が整っていることは
正に備えあれば憂いなし・・・の状態だと思います。
葬儀〜四十九日〜納骨がスムーズに済みます。
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錯覚に惑わされた
闘病中、なんだかんだで過ぎて行く毎日でした。
母の容態が良い時も悪い時も
毎日一緒に過ごしました。
自宅で一緒にいると、母の死という未来がぼやけてしまい
このままズルズルと生きていてくれるようにも感じました。
現実逃避であったかもしれない・・・
心が麻痺してそんな錯覚に陥っていたのかもしれない。
でも、実際同じような感覚になる方は少なくはないのでは・・・
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