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2021年09月03日

野菜おじさん

文化祭の舞台関係が延期になった。
展示は行うが、マスクを外さなくてはいけない舞台関係については、数週間延期。
後日、文化祭第二弾を行うことになった。

ますます規模が小さくなるが、教育活動としては貴重な機会。
単なる中止にならずに良かったと思う。

学年の居候を続けている私は、無意識のうちに、自分の存在意義がどこなるのかを模索しているようである。

せめて皆様に喜んでもらえるようにと、自宅の畑で作った野菜を皆に配っている。

思えば、毎日のように誰かしらに差し上げているようにも思う。

「こんなことくらいでしか、お役に立てないようになったのだな…。」
とも思う。

「人間関係構築の上での会話づくりのきっかけにしようとしているのかな…。」
などと考えてしまう自分もいる。

このところの私は、完全に『野菜おじさん』である。

できる野菜やその量は限られているが、たくさん収穫出来るものもある。
そんな野菜や果物を庭から収穫しては、皆に配っているのである。

「みんな、一生懸命働いているな…。」
と思う気持ちのあとには、「それに比べて自分は…」、という言葉が続きそうになるが、今は、このくらいのことしかできない。

「自分が、組織にとってどのくらい役に立っているのか」、ばかりを考えてしまうと、逆に自分を責めすぎて、気持ちが落ちてしまう。

だから、「今は許してもらうことにしよう」、と思っている。

かつて勤めた学校に定年(その学校は65歳)間近の老先生が何人かいた。

「僕なんか、もうお爺ちゃんなんだから、何にもできないんだよ。」
などと、言っていろいろご遠慮されている姿を見て、若かった私は苦々しく思ったことを思い出す。

だが、その老先生たちは、立派な先生であり、素晴らしい人格者でもあり、授業も、発言も立派だった。

当時は分からなかった、今となれば分かる。

そのことを思い出せただけで、今の自分にとっての救いになる…。

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2021年09月02日

頑張る担任たち

文化祭が近づいてきて、血相を変えて奔走しているのは中学の担任である。
若手の彼等は、生徒に寄り添いつつも、本番に向けて必死である。

中学のクラスでは、ほぼすべてが舞台発表の「劇」を行うのだが、一つの作品を作り上げるには、相応の時間とエネルギーが必要だ。

そんな中で、時間は無限にあると思っているかのような、生徒たちを先導し、動かし、またその上で、生徒たちが「自分たちでやった」感を出すのは、至難の業である。

若手の先生たちは、こうした行事を通じて、生徒との関わりを深め、また一緒に悩み、笑い、泣き、喜びを共有。

そして、一人前の教師へと成長していくのだ。

私は担任を外れて三年目になる。
担任をしていた頃は、「ベテランとしての力量を見せてやる」とばかりに、気張っていた。しかしそのうち、「若い衆に負けられるか」、という気持ちになり、いつしか増長してしまったようである。気がついたら転落していた。

こうした行事において、どれだけ生徒を掌握し、それなりの結果を出せるかどうか。
これが、ある意味担任の力量の見せ所であるとも言える。

彼等生徒たちは、毎年の経験を積み重ねて成長していく。

私にとっては、ほんの数年前のことであっても、「もう一度担任をやる」、となると、今や全く自信がない。

それどころか、「今の自分にはできないのではないか」、という思いが強く、やる気よりも不安と逃避感が強くなってしまう。

「もう、生徒たちと一緒になってはできないな…。」
そんな思いが心を渦巻く。

以前の私であれば、「担任を外れる」恐怖感にさいなまれていたが、今は逆になってしまった。

歳をとったということだろうか。
体力に自信が無くなったということだろうか。

若手の先生方の奮闘を見て、陰ながら応援する気持ちが湧いてきている…。

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2021年08月30日

新人戦延期

秋の新人戦が3週間ほど延期になるという連絡が入った。
おりしも緊急事態宣言下で、県下の学校も期間中部活動が停止になっている地域もあり、その後一週間ほどで大会、というのも、いささか無理であろう。

スポーツの世界は、体を動かしているからこそ、パフォーマンスが発揮される。
それに一週間休めば、一月くらい感覚を戻すのに時間がかかる。

私の学校では部活動は通常通り行われているが、体調不良者が複数出れば、当然、活動は停止になる。
これは、インフルエンザ流行時と同じだ。

だが、この夏の甲子園でもあったように、この日程であっても、急遽、出場辞退という学校も出てくるだろう。

たとえ、出場したとしても、感染対策の難しさには変わりはない。
その分、引率教諭の負担も増える。

時代は戦時下だ。
ウイルス戦争と言ってもよい。
ある意味第三次世界大戦。

ミサイルではなく、ウイルス兵器が世界中を苦しめている。
「そんな中で大会どころではないだろう」、というのが私の思いだ。

また、コロナを理由としたさまざまな規制は、全体主義国家への流れとも言える。
全体主義とは個人の自由を著しく制限し、為政者の思い通りにしようとする流れだ。

こうした制限が法整備されてしまったら、日本は中国と同じようになってしまう。

国民がどのような動きをしているか、資産をどのくらい持っているかを一元管理できる部門が、デジタル庁であるとも言える。

感染予防対策という名の様々な規制は、じつは全体主義、国家社会主義への道であることを声を大にして言いたい。

人は責任ある自由があってこそ、その尊厳を維持でき、また発展の余地がある。

学校現場は、いろいろな行事を中止にしないよう、いろいろ方策をたてつつ、模索しつつ行っている。

だが、そこに強権が働き、いつしかそれを当たり前のように感じてしまうならば、それは危険なことだろう。





2021年08月29日

文化祭が無観客に

文化祭が無観客になった。
保護者の来校も停止された。
文化祭には、保護者はもちろん、卒業生、地元の方、支援者など、たくさんの来校者を予定していたが、コロナ禍の中、今年は一切の来校がなくなった。

「来て下さった方に感謝の思いを…。」
と、文化祭準備にいそしんでいた生徒たち。
彼等の心中を察すと、とても複雑な心境になる。

「まだ、文化祭を実施するだけいい…。」
とも言える。

一生に一度しかない学校での教育活動。
そう易々と中止にしてはいけないことも事実。

過度なストレスは、免疫力をも低下させる。
また、ストレスの蓄積も、いつの間にか大きなものになり、それも危険だ。

クラス劇は、ネットでライブ配信する。
それ以外の展示は、ビデオ撮りして編集して、後日配信する。

全校集会で校長から発表されたが、中には泣き崩れた生徒もいた。
高2にとっては、最後の文化祭。
自分たちの集大成を、親に見てもらいたかった生徒も多いのだろう。

飲食店の売り上げも激減するのだろう。
保護者会企画も、卒業生企画も、地元企画もすべて中止。

体調不良者が出れば、あっというまに休校になってしまうリスクもあり、ここは教育活動継続のための判断と言える。

「授業だけは、淡々と続けられる状態にしたいのです。」
校長が熱く語る。

まさにその通りだ。
学校は学びの場だ。
学びの場であることを放棄すれば、学校の存在意義すら失われてしまう。

かつての一斉休校の呪縛が、文科省のみならず、教育委員会、学校現場、家庭に未だにダメージを与えている。

コロナ時代、何とか学校現場を維持しようと、皆が必死だ。

更に負荷が増して、先生たちの体調を崩さぬよう、細心の注意を払わねばなるまい…。

2021年08月27日

知的好奇心

成績中位の生徒を教えている昨今の私のテーマは、「いかにして、知的好奇心を湧き起こらせ、それを高めさせるか」、ということである。

上位クラスを教えていたときは、いろいろな関連事項の話もできたし、一つの問題でも、いろいろな別解を示すことで、生徒たちを、勉強面で刺激することができた。

だが、中位クラスでは、「理解させる」、ことが精一杯で、なかなか深い話ができない。
そんなことを言うものなら、せっかく分かりかけた例題すら、すっ飛んでしまいそうで、結果、例題解説して演習、という単純で、あまり面白みのない授業になってしまうのだ。

もちろん、さまざまな解き方、アプローチの方法は、普段の授業でも意識して組み入れている。

だが、理解度が今ひとつの場合、余分の話をすることで、彼等に混乱をもたらす場合だってある。
もしかしたら、その方が多いのかも知れない。

昨日の職員会議で、ある先生が、
「以前は、話をすれば『はい』と返事をして、見ながら指示どおりに勉強を進められた。だが、このところ、『はい』と言っても、内容を聞いていない。今年は、『はい』すら言わず、しかも話を聞いていない。生徒はそんな風に変わってきている。」
と主張されていた。

確かにその通りのようにも思う。
聞いているか聞いていないか分からない、分かっているか分かっていないかも分からない。ただただ蝋人形のように、そこに座っているだけのように見える生徒が多くなった。
しかも、マスクをしているので、彼等の表情も分かりにくい。
もしかしたら酸欠状態で、脳に酸素が回らず、考えられない状態になっているのかも知れない。

仕方ないので、「分かった人!」、と手を挙げさせることにした。

授業は、生徒と教員が、お互い顔を合わせ、表情を読みとり、言葉のキャッチボールをしながら進めるものだ。

だが、今は、それが極めて困難になりつつある。

機械が教えるのであれば、教員はいらない。
付加価値は、あくまで人間性。

人と人とのつながりであり、温もりだ。

この先、授業はどうなってしまうのだろう…。




2021年08月26日

マスクに思う

8月も終わりだというのに、猛暑が続いている。
お盆の一時期、雨続きで、急激に涼しくなったので、このところの暑さが特に身体に堪えるのだろう。

そんな中でマスクをしているのだから、学校現場ではなおさら厳しい。
濃厚接触者としての判定も、マスクの有無が重要のようで、生徒も先生も、苦しい中で学校生活を送っている。

マスクにより酸素量が減ると、頭痛が起こりやすくなる。
眼鏡も曇る。
顔の温度も上がる。
汗もかく。

こんな苦しいことを一日中強いられた人類は、有史以来初めてのことなのだろう。

今日も午前中から三十度を超える暑さになった。
教室にはエアコンがあるとは言え、やはり暑い。
マスクでさらに暑さが増す。

「先生、マスク取っていいですか?」
体育の授業のあと、汗だくになった生徒が言う。

結局、教員の立場としては、「教室での授業中は、マスクを着けなさい」としか言えない。

マスク着用者は、重病人として見られた数年前の世界の趨勢から、大きく変わってしまった。

かつてドイツのヒットラーは、選挙で圧倒的な勝利を収め、のちに総統になる。近隣諸国からは、「まさかそこまですることはないだろう」、という楽観が、あっという間に、ドイツの進軍を許してしまった。

今回、二十一世紀の時代に、「まさか中国がこんなことをすまい」、という油断が、コロナ兵器としてのウイルスを世界中に撒いてしまうという暴挙を許してしまった。
もはや、中国は、世界統一のために戦争を仕掛けたと言ってもよい。
コロナで経済をおとしめ、脱二酸化酸素で国力を下げさせ、化石燃料を独占しようとしているように見える。

そんな中でも、人類は息抜き、将来のためにも、学校も稼働し続けなくてはいけない。

今、世界は、時代の転換点にあるようだ。

外遊び好きのルーティンケアKHAKI


2021年08月25日

練習中止

「夏休みの宿題を誰か一つでも出していなかったら、練習をしない。」
そう、彼等に伝えて始まった二学期。

案の定、宿題を出さない者がおり、練習が中止になった。
今日で二日目である。
夏休み中にも再三の注意をしてきたのだが、今年も、残念ながら練習が中止になった。

彼等は、めいめい自主練をしているようだが、新学期早々、出鼻をくじかれるようでもあり、何とも野球の神さまに見放されるようなことばかりをしているようでもある。

私は、その時間、少しのんびりできるのでありがたい。
その一方で、毎朝6時前から朝練をしている中3を含む高校野球部の姿を見ると、あまりの情けなさに、あきれるばかりだ。

折しも緊急事態宣言下、「グランドの使用も自粛して欲しい」、とのことなので、ちょうどいいという見方もできるが、それにしてもだらしない。

「大丈夫ですよ。徹夜すれば何とかなりますから…。」
などと豪語していたYは、未だに終わらせることができずにいる。

「一日あたり10q走の貯金ね…。」
とは伝えたものの、いつまでこの状況が続くのだろうか。

近郊では、緊急事態宣言下の若年層への陽性者増加に伴い、始業が遅れたり、部活動が停止になったりしている。

そんな中、別の理由で部活動を停止するなんて、なんという愚かなのだろう。

このままずるずると、文化祭準備に突入すると、本当に練習ができなくなるのだが…。

断腸の思いをしているのはキャプテンだろう。
練習中もチームをまとめられず、日常生活でも思うようにいかない歯がゆさを感じ、悶々としているに違いない。

チームが強い時は、皆が同じ方向を向き、同じように頑張り、見えない努力を重ねている。

このチームがそのようになるのはまだまだ先の事なのだろう。

私はただただ見守るのみである。




2021年08月24日

夏休みの宿題

二学期の始業式になった。
学活で、すべtねお夏休みの宿題を回収する。

係が提出の有無をチェックして、担当の先生に持って行くのである。
それを担任が把握し、クラスの宿題提出状況表ができる。

中1のあるクラスの宿題提出状況表が私の元にも届いた。

驚くべき事に、7割くらいの生徒が、未提出の宿題があった。

「かつてこんな事が起こっただろうか」、と思うほどの未提出率だ。
教室の黒板には、担任が、「できるだけ早く、遅くても今週末までには終わらせて提出してね」、と記されている。

夕方、私はこのクラスに少し話をした。

----------
宿題を出さなかったことに大して、心の中に何か、モヤモヤ感がありませんか。
それが、まずいことをしたな、という良心の一部なのです。
これが、毎度のことになり、モヤモヤ感すら感じなくなってしまうことを、怖れてください。
宿題を提出しないことが当たり前になって、そのことについて、何も感じなくなってしまうことが、怖いのです。
私自身を振り返ってみると、中高時代、宿題を遅れて出した、という記憶はありません。
心の中のモヤモヤ感が自分自身を許せなくなるからです。
先生が許さない、というのではありません。自分が許せなくなるから、そういう状況にならないようにしたのです。

君たちも、この思いを大切にしてください。
このまま何年も過ごしてしまうと、おそらくモヤモヤ感は無くなります。
宿題を出さないことに対する、罪の意識が消えてしまいます。

そうならないように、今から「なすべき事はなす」、という姿勢は貫いてください。

提出期限を守ること。
これは、時間を守ること、とも通じるかも知れません。

今一度、自分の心の中を見つめ直して下さい。
----------

どれだけ伝わったかは分からない。

だが、私は語り続けるだろう…。

様々なニーズに対応するマスクラインナップ【We'll】

2021年08月23日

R君の小説

中3のR君が、新しい小説を持ってきた。
「夏休み中本屋で見つけたんです。表紙に惹かれて買ってしまいました」、と言う。
表紙には女子高生のイラストが書かれているが、本文にはイラストはない
ラノベに近いのだろう。
私もさっと読めた。

私がR君から借りた本を読むときは、オリジナルのブックカバーをつける。
本の保護ということもあるが、表紙を生徒たちに見せないためでもある。

そのブックカバーは、昨年、私の誕生日プレゼントとして、今の高1のS君が作ってくれたものだ。
フエルト生地に私のイニシャルが、貼り付けてある。
手触りもよく、私は密かに気に入っている。

何故かS君は、私を信奉していて、折に触れて私のことを褒めてくれた。
皆の前で発表するときにも、いつも私のことを言う。
そんなに親しく話をしたことがあるわけではないが、何故か彼にとっては、私がお気に入りのようだ。

また、R君の父親は作家である。
彼は、新作が出ると私の元に持ってくる。
なかなか知的で、考え抜かれた小説を書く作家だ。

今回持ってきた本は、父親の小説ではない。

「この小説、なかなかずるいな…。」
私は読後、そう思った。
読み始めてすぐにストーリーが見えてしまうのだが、いつの間にか引き込まれてしまう。
結論も分かってしまうのだが、それでも読み進めてしまう。
最後には主人公の高校生が病気で死んでしまうのだ。

独特の文体か、会話文の秀逸さか、何が功を奏しているのか、私には分からないか、結構流行っている小説のようだ。

もはや、自分で書店に行って小説を買うという機会は無くなってしまったが、R君が時々お気に入りの小説を持ってきてくれるので、私もそれを読んでいるという訳だ。

さすが作家の息子。
なかなか感度がいい。

私も楽しいひとときをごちそうになった…。




2021年08月22日

若手の台頭

中2の若手の担任は、以前私とペアを組んだ先生と、私の副担を務めてくれた先生だ。
彼等の成長が著しい。

いよいよ若者の時代になるのだな、と感じる。

朝の会、クラスの生徒を前に、堂々と語り、彼等を善導しようとしている。

「いい感じじゃないか…。」

私はそうほくそ笑みながら、教室の前を歩く。
生徒たちも、よく話を聞いている。

以前から私は、「朝の会では、連絡事項だけを伝えるようなことをしてはだめだ」、と主張してきた。だから、何も話すことはないから、チャッティングをして時間を潰すような、ことはしてはいけない。

そういう意味で、私は安易なチャッティング導入を反対してきたのだが、このことはあまり理解されなかった。

チャッティングも、いろいろな効果があり、私は全面否定するものではない。
だが、「担任が熱く語る」というスタイルも、捨てがたいものなのだ。

上手に共存できればいいと思う。

いよいよ彼等が学校の主力になる時代だ。
もう私は彼等に語ることはあるまい。

彼等を励まし、讃えてあげれば喜ぶのだろうが、何となく照れくさくって、私にはなかなかできない。

こうやって世代交代していくのだろう。

世の年配の先生方も、同じような気持ちで教育現場にいるのではないだろうか。

今日、卒業生がたくさんの小学生を引き連れて、学校見学に来た。
なかなかマネジメントに優れた若者だ。彼が帰りしな、「丹澤先生、元気ですか?」、と声を掛けてくれた。

彼等が在校していたときから10年余り、体力の衰えは否めない。

「もう、歳だからね…。」
そう応えて別れた。

「でも、中学の野球部はまだやっているんですよね…。」
そう、微笑みながら、彼は去っていった。

私もまだ、細々ながら、生きている…。




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