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2021年12月03日
陰日向なく
元副校長で理事のKさん。野球部にはいろいろと気を掛けてもらっている。
夏の大会時にも遠方から応援に来てくれたくらいなので、野球好きでもあるのだろう。
私は当初、Kさんがグランドに来るのは、私を監視するためだと思っていた。
前校長から、野球部での不適切な指導の方法を指摘され、それが改善されているかをチェックしに来ているのかと思っていたのだ。
当時の私は、そこまで心が病んでいた。
だが、最近、「実はそうでく、私を励ましつつ、野球部を応援してくれた」のだと分かった。
Kさんは物静かながらも、勇気ある優れた方である。
私に到らぬ点があるときにも、穏やかに語り、その中に改善の芽を見いだそうとして下さる。
また、なんでもない話をする中に、私に、新たな目標をも示して下さる。
こんな風に、陰日向なく私を励まし、やる気を起こし、時に叱咤激励してくれたのだ。
Kさんとのつきあいは、もう10年を超える。
二人のご子息にも、私は丁寧に指導させていただいたので、そのことを恩義に感じているのかも知れない。
奥様とも、親しくお話させていただいていた。
野球は露出度が大きいので、格好の宣伝材料になる。
それはもっぱら高校野球なのだが、その人材供給源としての中学も意識してくださるのは嬉しい。
なんでもご相談できる方とまではいかないが、信頼のおける人格者であることは間違いない。
陰でも、こつこつと努力を重ね、徳を磨いていらっしゃるのだろう。
私も少し見習わねば、と反省しきりである。
Kにとっては、私は幼子のようなもので、「常に気にしていないと危ない存在」なのかも知れないが、頼れる存在はありがたいものだ。
いつか、お礼を申し上げたいと思う。
夏の大会時にも遠方から応援に来てくれたくらいなので、野球好きでもあるのだろう。
私は当初、Kさんがグランドに来るのは、私を監視するためだと思っていた。
前校長から、野球部での不適切な指導の方法を指摘され、それが改善されているかをチェックしに来ているのかと思っていたのだ。
当時の私は、そこまで心が病んでいた。
だが、最近、「実はそうでく、私を励ましつつ、野球部を応援してくれた」のだと分かった。
Kさんは物静かながらも、勇気ある優れた方である。
私に到らぬ点があるときにも、穏やかに語り、その中に改善の芽を見いだそうとして下さる。
また、なんでもない話をする中に、私に、新たな目標をも示して下さる。
こんな風に、陰日向なく私を励まし、やる気を起こし、時に叱咤激励してくれたのだ。
Kさんとのつきあいは、もう10年を超える。
二人のご子息にも、私は丁寧に指導させていただいたので、そのことを恩義に感じているのかも知れない。
奥様とも、親しくお話させていただいていた。
野球は露出度が大きいので、格好の宣伝材料になる。
それはもっぱら高校野球なのだが、その人材供給源としての中学も意識してくださるのは嬉しい。
なんでもご相談できる方とまではいかないが、信頼のおける人格者であることは間違いない。
陰でも、こつこつと努力を重ね、徳を磨いていらっしゃるのだろう。
私も少し見習わねば、と反省しきりである。
Kにとっては、私は幼子のようなもので、「常に気にしていないと危ない存在」なのかも知れないが、頼れる存在はありがたいものだ。
いつか、お礼を申し上げたいと思う。
2021年12月02日
血の池地獄
高1のH君が言う。
「丹澤先生、頭の中が性欲だらけになって、自制心もなくなり、性行為に溺れてしまうと、行き先は『血の池地獄』だそうですが、僕、一回は行ってみたいんですよね。」
要は、「燃えさかる欲望をコントロールするのが難しく、もう限界に近い」、と言っているようでもある。
「見てきたいってこと。それとも血の池に浸りたいってこと?。」
意地悪な私は、H君にそう畳みかける。
「どんな感じなんでしょうね…」、とH君。
私はまるで見て来たかの如く、血の池地獄の様相を話す。
そうだな…。タッパーみたいな容器を思い浮かべられる?
その入れ物に、ぎっしり大量のミミズが入っている姿を想像してごらん。
そこに、赤黒い液体が入っているんだ。
ミミズたちはのたうちまわり、ぴちゃぴちゃしているよ。
何だか見ていて気持ち悪いだろ。
血の池に落ちた人間たちの姿は、このミミズのようなものなんだ。
ミミズたちはその赤黒い液体の中で、体をくねらせている。
見た目は気持ち悪いが、彼等はその性行為の快感に浸っているんだ。
よくよく見ると、時々、ミミズと思っていた姿が、ちらっと人間の顔に見えてくる。
彼等は溺れながらも、気持ちよさが忘れられず、それこそ死にもの狂いで性行為をしているんだ。
これが血の池地獄の姿だ。
君はそのミミズとしての経験をしてみたいってことかな?
今は冷静に物ごとを考えられるのだが、彼等は他のことは考えられない。
「自分はなんと愚かな行為を繰り返していたのだろう」、と気づくまで、この世界から逃れられない。
本当は、彼等自身が作った世界なのだが、「肉体がすべて、快楽が一番」、と思っているうちは、この世界にとどまる。
そして、いずれ人間であることすら忘れ、更に深い畜生道に落ちる…。
H君は、「それでも見てみたい」、と言う。
青春期の性欲のコントロールに苦しんでいるのだろう。
地獄は空想の世界ではない。
ましてや、人間が正しく生きるための教育上作られた架空の世界でもない。
現実にそうした世界は存在する。
そうした世界に落ちる人の心が作り出しているからだ。
世の中、性に関してはオープンになって、ますます「血の池」の様相になってきている。
だが、正しく人の道を生きることは、古来より変わっていない。
H君。最後の最後で踏みとどまれよ。
「丹澤先生、頭の中が性欲だらけになって、自制心もなくなり、性行為に溺れてしまうと、行き先は『血の池地獄』だそうですが、僕、一回は行ってみたいんですよね。」
要は、「燃えさかる欲望をコントロールするのが難しく、もう限界に近い」、と言っているようでもある。
「見てきたいってこと。それとも血の池に浸りたいってこと?。」
意地悪な私は、H君にそう畳みかける。
「どんな感じなんでしょうね…」、とH君。
私はまるで見て来たかの如く、血の池地獄の様相を話す。
そうだな…。タッパーみたいな容器を思い浮かべられる?
その入れ物に、ぎっしり大量のミミズが入っている姿を想像してごらん。
そこに、赤黒い液体が入っているんだ。
ミミズたちはのたうちまわり、ぴちゃぴちゃしているよ。
何だか見ていて気持ち悪いだろ。
血の池に落ちた人間たちの姿は、このミミズのようなものなんだ。
ミミズたちはその赤黒い液体の中で、体をくねらせている。
見た目は気持ち悪いが、彼等はその性行為の快感に浸っているんだ。
よくよく見ると、時々、ミミズと思っていた姿が、ちらっと人間の顔に見えてくる。
彼等は溺れながらも、気持ちよさが忘れられず、それこそ死にもの狂いで性行為をしているんだ。
これが血の池地獄の姿だ。
君はそのミミズとしての経験をしてみたいってことかな?
今は冷静に物ごとを考えられるのだが、彼等は他のことは考えられない。
「自分はなんと愚かな行為を繰り返していたのだろう」、と気づくまで、この世界から逃れられない。
本当は、彼等自身が作った世界なのだが、「肉体がすべて、快楽が一番」、と思っているうちは、この世界にとどまる。
そして、いずれ人間であることすら忘れ、更に深い畜生道に落ちる…。
H君は、「それでも見てみたい」、と言う。
青春期の性欲のコントロールに苦しんでいるのだろう。
地獄は空想の世界ではない。
ましてや、人間が正しく生きるための教育上作られた架空の世界でもない。
現実にそうした世界は存在する。
そうした世界に落ちる人の心が作り出しているからだ。
世の中、性に関してはオープンになって、ますます「血の池」の様相になってきている。
だが、正しく人の道を生きることは、古来より変わっていない。
H君。最後の最後で踏みとどまれよ。
2021年12月01日
冬の嵐
朝から嵐になった
強い寒冷前線が通過したのである。
この時期に激しい雨になるのは珍しい。
南寄りの風が吹き、寒さは感じなかった。上空の温度差が大きかったのだろう。
こうなると、その後の冷え込みがキツい。
寒冷前線通過後は、急速に冷たい空気が押し寄せ、一気に冷える。
このところ朝、自動車のフロントガラスの氷結が気になるようになった。
早朝の犬の散歩では、エンジンを始動させて、さっと犬小屋のある隠れ家に出掛けたい。
凍ったガラスが溶けるまで、自動車を動かせない、というのは時間がもったいない。
こんな気温との格闘が、春3月、下手をすると4月半ばまで続くのだ。
時に、寒さでエンジンがかからないこともある。
嵐は朝のうちにおさまり、午後からは晴れてきた。
山の雪もすっかり溶けてしまっただろうと思ったが、こんな雨でも、まだ少し残っていた。
この先の冷えこみで、水分を含んだ雪は、まさに氷の塊になるのだろう。
山は凍てつく冬の様相になる。
夕方、野球部の連中が訪ねてきた。
「丹澤先生、誕生日おめでとうございます!」、と彼等のメッセージ書かれた色紙をプレゼントしてくれた。
「いつの誕生日だよ…」、と皮肉交じりに受け答えしつつも、嬉しくて笑ってしまった。
私の学校では、こんな風にお互い励まし合って過ごす。
その意味では、教員、生徒関係ない。
一定のけじめはあるが、仲良く過ごしている。
感謝の言葉を書き連ねると、心がほっこりする。
恥ずかしくて面と向かって口では言えなくても、文章なら書ける。
また、その文章を見ながら、また日頃の生活を思い起こし、報恩の思いも湧く。
さらには、自らの反省の行いも思い出す。
彼等は、さっと去っていった…。
師走初日。
嵐の如く駆け抜ける。
強い寒冷前線が通過したのである。
この時期に激しい雨になるのは珍しい。
南寄りの風が吹き、寒さは感じなかった。上空の温度差が大きかったのだろう。
こうなると、その後の冷え込みがキツい。
寒冷前線通過後は、急速に冷たい空気が押し寄せ、一気に冷える。
このところ朝、自動車のフロントガラスの氷結が気になるようになった。
早朝の犬の散歩では、エンジンを始動させて、さっと犬小屋のある隠れ家に出掛けたい。
凍ったガラスが溶けるまで、自動車を動かせない、というのは時間がもったいない。
こんな気温との格闘が、春3月、下手をすると4月半ばまで続くのだ。
時に、寒さでエンジンがかからないこともある。
嵐は朝のうちにおさまり、午後からは晴れてきた。
山の雪もすっかり溶けてしまっただろうと思ったが、こんな雨でも、まだ少し残っていた。
この先の冷えこみで、水分を含んだ雪は、まさに氷の塊になるのだろう。
山は凍てつく冬の様相になる。
夕方、野球部の連中が訪ねてきた。
「丹澤先生、誕生日おめでとうございます!」、と彼等のメッセージ書かれた色紙をプレゼントしてくれた。
「いつの誕生日だよ…」、と皮肉交じりに受け答えしつつも、嬉しくて笑ってしまった。
私の学校では、こんな風にお互い励まし合って過ごす。
その意味では、教員、生徒関係ない。
一定のけじめはあるが、仲良く過ごしている。
感謝の言葉を書き連ねると、心がほっこりする。
恥ずかしくて面と向かって口では言えなくても、文章なら書ける。
また、その文章を見ながら、また日頃の生活を思い起こし、報恩の思いも湧く。
さらには、自らの反省の行いも思い出す。
彼等は、さっと去っていった…。
師走初日。
嵐の如く駆け抜ける。
2021年11月30日
期末考査
期末考査が始まった。
考査前と考査中は部活がないので、日中であっても少し時間が取れる。
生徒たちには申し訳ないが、こんな時期にはすこしのんびりできる。
中1のある教室には、「5分前には片付け自ら座り、静かに運命を受け入れること」と記されていた。
何だか「運命を受け入れる」部分が面白くて、見入ってしまった。
試験が始まれば、もうジタバタできない。
自分の勉強成果を、答案に記すだけになる。
そんなときに、慌てて焦ってしまえば、覚えたものすら思い出せなくなるし、計算間違いもする。
勉強結果が「運命」かどうかの議論はあるが、「ここまで来たら、ジタバタしないで、自ら結果を受け入れなさい」とも読める。
学校の勉強は、確実に「因果の理法」が働く。
つまり、「きちんと勉強できた人は、相応の成績になり、そうでなかった人は、それなりの成績になる」ということだ。
「原因結果の法則」と言っても良い。
このように「やればやるだけ成果が出る」という成功体験は、学齢期ならでの修行で、この部分をきちんとできるかできないかが、その後の人生における生き方を左右するのだ。
「学生時代にいい加減だった奴は、社会人になってもいい加減だ」、などと言われることもある。
どこかで『心』変わりをし、自らの行動を劇的に変えない限り、こうしたことは十分起こりうる。
これは成績とは関係ない。
たとえ成績が良くても、適当に誤魔化し、要領よく過ごしていた人は、大人になっても同じようなことをする。
一方、たとえ十分な成果がでなくとも、努力を重ねて年月を過ごした者は、信頼のおける大人になるものだ。
学校時代に、その萌芽は見えているようでもある。
性格はなかなか変えられるものではないが、「ただただ要領良く生きる」ことや、「減点主義で失敗を怖れてチャレンジしない生き方」は、変えるべきものであることだけは、伝えていきたい…。
考査前と考査中は部活がないので、日中であっても少し時間が取れる。
生徒たちには申し訳ないが、こんな時期にはすこしのんびりできる。
中1のある教室には、「5分前には片付け自ら座り、静かに運命を受け入れること」と記されていた。
何だか「運命を受け入れる」部分が面白くて、見入ってしまった。
試験が始まれば、もうジタバタできない。
自分の勉強成果を、答案に記すだけになる。
そんなときに、慌てて焦ってしまえば、覚えたものすら思い出せなくなるし、計算間違いもする。
勉強結果が「運命」かどうかの議論はあるが、「ここまで来たら、ジタバタしないで、自ら結果を受け入れなさい」とも読める。
学校の勉強は、確実に「因果の理法」が働く。
つまり、「きちんと勉強できた人は、相応の成績になり、そうでなかった人は、それなりの成績になる」ということだ。
「原因結果の法則」と言っても良い。
このように「やればやるだけ成果が出る」という成功体験は、学齢期ならでの修行で、この部分をきちんとできるかできないかが、その後の人生における生き方を左右するのだ。
「学生時代にいい加減だった奴は、社会人になってもいい加減だ」、などと言われることもある。
どこかで『心』変わりをし、自らの行動を劇的に変えない限り、こうしたことは十分起こりうる。
これは成績とは関係ない。
たとえ成績が良くても、適当に誤魔化し、要領よく過ごしていた人は、大人になっても同じようなことをする。
一方、たとえ十分な成果がでなくとも、努力を重ねて年月を過ごした者は、信頼のおける大人になるものだ。
学校時代に、その萌芽は見えているようでもある。
性格はなかなか変えられるものではないが、「ただただ要領良く生きる」ことや、「減点主義で失敗を怖れてチャレンジしない生き方」は、変えるべきものであることだけは、伝えていきたい…。
2021年11月29日
静かに過ごす
連日の降雪が終わり、今朝は山がきれいに見えた。
冬型が強まると、山には雪がかかる。
正確に言うと、山雪型の冬型のときでだが、こうした日には山に雪雲がかかり、雪が降る。
誕生日の朝である。
今年もたくさんの人に祝ってもらえた。
生徒たちは毎年忘れずに覚えていてくれる。
「こんな日は、静かに過ごしたいな…。」
どこに行っても、生徒たちが声をかけてくれたり、何かしらのプレゼントを持ってきてくれるので、ちょっと申し訳ない気持ちになる…。私は、一人静かに過ごすことにした。
私の学年では、誕生日になると先生方がメッセージカードを書き、プレゼントをする。
忘れていたが、今回は私の番。
このメッセージも、褒めすぎとも言えるようなものばかり。
私が思っている以上に、私の存在は大きいようだ。
それほどまでに自己卑下すべきではないのだろう…。
自らを愛せない者は、真に他の人を愛することができない、という。
私も、このように徹底的な愛の言葉を、他の人に投げかけなければならないのだと反省した。
プレゼントも、結構高価なものだった。ありがたく思う。
夕食は、スーパーで買ったお寿司に自家製の鍋料理。
「たまには自分へのご褒美だ!」、と思うことにした。
「一年一年、自分自身も成長していかなくてはいけないな…。」
できないことを考えるのではなく、「どうやったらできるか」を考えよう。
やりたいと思うことは、どんどんチャレンジすればいい。
怠け心と戦い、今日も一歩、駒を進めよう。
誕生日は、気持ちを新たにしてくれる。
皆さん、ありがとうございました。
冬型が強まると、山には雪がかかる。
正確に言うと、山雪型の冬型のときでだが、こうした日には山に雪雲がかかり、雪が降る。
誕生日の朝である。
今年もたくさんの人に祝ってもらえた。
生徒たちは毎年忘れずに覚えていてくれる。
「こんな日は、静かに過ごしたいな…。」
どこに行っても、生徒たちが声をかけてくれたり、何かしらのプレゼントを持ってきてくれるので、ちょっと申し訳ない気持ちになる…。私は、一人静かに過ごすことにした。
私の学年では、誕生日になると先生方がメッセージカードを書き、プレゼントをする。
忘れていたが、今回は私の番。
このメッセージも、褒めすぎとも言えるようなものばかり。
私が思っている以上に、私の存在は大きいようだ。
それほどまでに自己卑下すべきではないのだろう…。
自らを愛せない者は、真に他の人を愛することができない、という。
私も、このように徹底的な愛の言葉を、他の人に投げかけなければならないのだと反省した。
プレゼントも、結構高価なものだった。ありがたく思う。
夕食は、スーパーで買ったお寿司に自家製の鍋料理。
「たまには自分へのご褒美だ!」、と思うことにした。
「一年一年、自分自身も成長していかなくてはいけないな…。」
できないことを考えるのではなく、「どうやったらできるか」を考えよう。
やりたいと思うことは、どんどんチャレンジすればいい。
怠け心と戦い、今日も一歩、駒を進めよう。
誕生日は、気持ちを新たにしてくれる。
皆さん、ありがとうございました。
2021年11月27日
一足早い誕生日
中3の授業の時、私の誕生日を祝ってくれた。
ちょうど誕生日の当日、中3の授業がないので、二日ほど早くお祝いをしようという作戦のようであった。
一人ひとりのメッセージの書かれた色紙をもらった。
どれも私にとっては過分なほどの励ましばかりだった。
彼等も大人になったのだろう。
以前から、「誕生日はあまり嬉しくない」、とは言ってきたが、今回K君が鋭い言葉を私に投げかけた。
「丹澤先生、歳を取るの嬉しくないとは思いますが、一年経つたびに、『今年も生かされて良かった』と思えばいいんじゃありませんか。」
なるほど、私は自分のことばかりで、日々「生かされている」ことへの感謝の思いを忘れていたようだ。
「命があることそのものがありがたい」ことで、人はその中で人生修行をしている。
そんなことを生徒に教えられた。
K君は、色紙の中に、「いつか将来、先生が僕の教え子だと胸をはって言えるような、そんな世の中に役立つ人間になります」と書かれていた。
中1のときから折に触れて私に懐いてくれていた信頼のおける生徒である。
今は生徒会長も務めている。
私は老眼鏡をかけてもなお見えにくい、彼等の書いた小さな字を見ながら、「本当にありがたいな…」と思った。
私が楽しく授業をしていると、彼等も楽しい気持ちになるのだろう。
色紙の真ん中には、私の好物のモンブランがフルカラーで描かれていた。
その様は、とても美しく、美味しそうでもあり、それでいて品があった。
どうやらSさんが描いたらしい…。
ほっこりとした気分になった…。
ちょうど誕生日の当日、中3の授業がないので、二日ほど早くお祝いをしようという作戦のようであった。
一人ひとりのメッセージの書かれた色紙をもらった。
どれも私にとっては過分なほどの励ましばかりだった。
彼等も大人になったのだろう。
以前から、「誕生日はあまり嬉しくない」、とは言ってきたが、今回K君が鋭い言葉を私に投げかけた。
「丹澤先生、歳を取るの嬉しくないとは思いますが、一年経つたびに、『今年も生かされて良かった』と思えばいいんじゃありませんか。」
なるほど、私は自分のことばかりで、日々「生かされている」ことへの感謝の思いを忘れていたようだ。
「命があることそのものがありがたい」ことで、人はその中で人生修行をしている。
そんなことを生徒に教えられた。
K君は、色紙の中に、「いつか将来、先生が僕の教え子だと胸をはって言えるような、そんな世の中に役立つ人間になります」と書かれていた。
中1のときから折に触れて私に懐いてくれていた信頼のおける生徒である。
今は生徒会長も務めている。
私は老眼鏡をかけてもなお見えにくい、彼等の書いた小さな字を見ながら、「本当にありがたいな…」と思った。
私が楽しく授業をしていると、彼等も楽しい気持ちになるのだろう。
色紙の真ん中には、私の好物のモンブランがフルカラーで描かれていた。
その様は、とても美しく、美味しそうでもあり、それでいて品があった。
どうやらSさんが描いたらしい…。
ほっこりとした気分になった…。
2021年11月26日
授業のアンケート
二学期の授業アンケートが行われた。
合わせて、生徒が先生の評価をする。
例年、この評価の上位者が公開授業を行う。
私は、この歳になり、生徒達の評価が怖くなくなったが、若手の先生方は、戦々恐々なのかも知れない。
いわゆる「まともな授業」ができるようになるまで、早くて五年、たいていは十年くらいかかる。
私の場合、大学院時代、母校での非常勤が二年。この辺りは試行錯誤ながらも、新人としてはまずまずだったと思うが、その後、私立学校で専任となったときには、三年以上苦しんだ。
授業が安定するには、やはり十年近くかかったのではないだろうか。
自分では「よい」と思っていても、客観的にはどうだか分からない。
授業が分かりやすく楽しくても、生徒の実力が上がらない、ということもしばしばだ。
私の非常勤の時だって、母校ということ、大学院生であることへの甘えがあったことは否めない。
授業のアンケートでは、授業担当者への要望が書かれる。
私はもう何を書かれても動じないが、若手の先生たちには「結構こたえる」ようで、熱心な先生方は、名前部分が切り取られたその要望を、丁寧にメモされている。
若手の先生たちは、「授業が上手くいかない」だけでなく、その他の仕事上でも、さまざまな問題が起こるので、「まともな授業ができる」前に、教員を辞めてしまう人もいる。
苦難困難に打ちひしがれて、情熱ややる気を見失ってしまうのだ。
だから我々年配者は、彼等若手の先生たちが、気分良く、やりがいを感じて仕事ができるように、「励まして、励まして、励まして…」あげることが必要なのかも知れない。
「教員の世界は先輩の技術を『盗む』ものだ」、などという時代ではなくなってしまった。
独りよがりの年寄りの言うことなど、若手の先生は聞き流してしまう。
それよりも、生徒たちのためには、彼等を「真の教員」へと育てていくことが大事なのだろう。
授業アンケートを終えて、そんなことを考えた…。
合わせて、生徒が先生の評価をする。
例年、この評価の上位者が公開授業を行う。
私は、この歳になり、生徒達の評価が怖くなくなったが、若手の先生方は、戦々恐々なのかも知れない。
いわゆる「まともな授業」ができるようになるまで、早くて五年、たいていは十年くらいかかる。
私の場合、大学院時代、母校での非常勤が二年。この辺りは試行錯誤ながらも、新人としてはまずまずだったと思うが、その後、私立学校で専任となったときには、三年以上苦しんだ。
授業が安定するには、やはり十年近くかかったのではないだろうか。
自分では「よい」と思っていても、客観的にはどうだか分からない。
授業が分かりやすく楽しくても、生徒の実力が上がらない、ということもしばしばだ。
私の非常勤の時だって、母校ということ、大学院生であることへの甘えがあったことは否めない。
授業のアンケートでは、授業担当者への要望が書かれる。
私はもう何を書かれても動じないが、若手の先生たちには「結構こたえる」ようで、熱心な先生方は、名前部分が切り取られたその要望を、丁寧にメモされている。
若手の先生たちは、「授業が上手くいかない」だけでなく、その他の仕事上でも、さまざまな問題が起こるので、「まともな授業ができる」前に、教員を辞めてしまう人もいる。
苦難困難に打ちひしがれて、情熱ややる気を見失ってしまうのだ。
だから我々年配者は、彼等若手の先生たちが、気分良く、やりがいを感じて仕事ができるように、「励まして、励まして、励まして…」あげることが必要なのかも知れない。
「教員の世界は先輩の技術を『盗む』ものだ」、などという時代ではなくなってしまった。
独りよがりの年寄りの言うことなど、若手の先生は聞き流してしまう。
それよりも、生徒たちのためには、彼等を「真の教員」へと育てていくことが大事なのだろう。
授業アンケートを終えて、そんなことを考えた…。
2021年11月22日
学びの機会
人は五体満足で生まれることすら奇跡であるのだが、その上、発達の偏りなどもなく育つというのは、さらに希有なことなのだろう。
だが、そうした人の存在は、時に人間社会に大きな学びの機会を与えてくれる。
中2のS君がまた暴れた。
「殺してやる!」と、バットを持って中1を追いかけた。
私たちや他の生徒たちから見れば、ほんのささやかなことなのだろうが、Sからしてみると、生きるか死ぬかの大事件になるようだ。
悪いのは中1の方で、親しみを込めてちょっかいを出したことが原因だ。
Sにとっては、馬鹿にされるような態度が、「我慢ならない」のだ。
今回は、「後輩が、先輩を甘く見た」ために起こってしまったようである。
当然、誰かがSを止めなければ、下手をすれば殺人事件になる。
ため込んだ怒りが、あるとき頂点に達し爆発すると、S自身も、自分が分からなくなる。
霊的には、怒りを溜めた心が、阿修羅霊などに同通し、完全憑依されるのだ。
心が落ち着き、自分自身を取り戻せば、何ごともない。
何故、怒ってしまったのかもわからなくなる。
何ごとにおいてもSが機嫌良く行動できるように、周りで最大限の配慮をすることで、「怒りの感情」を沸き立たせないようにすることはできるが、一方で、本人自身の努力も必要になってくる。
この先、年齢が上がりなお、あまり改善できなければ、犯罪を行ってしまうことにもなりかねないのだ。
周りの生徒たち、先生たちも、Sに学ぶことは多いだろう。
それを期待するから、一緒に生活させているという面もある。
きっとS君にしかできないことがある。
そも特徴をさらに伸ばし、人間関係の部分を矯めていけば、社会人になっても自立してゆける。
「中学生には厳しいだろうな…」、とは思いつつも、貴重な学びの機会であることは間違いあるまい。
だが、そうした人の存在は、時に人間社会に大きな学びの機会を与えてくれる。
中2のS君がまた暴れた。
「殺してやる!」と、バットを持って中1を追いかけた。
私たちや他の生徒たちから見れば、ほんのささやかなことなのだろうが、Sからしてみると、生きるか死ぬかの大事件になるようだ。
悪いのは中1の方で、親しみを込めてちょっかいを出したことが原因だ。
Sにとっては、馬鹿にされるような態度が、「我慢ならない」のだ。
今回は、「後輩が、先輩を甘く見た」ために起こってしまったようである。
当然、誰かがSを止めなければ、下手をすれば殺人事件になる。
ため込んだ怒りが、あるとき頂点に達し爆発すると、S自身も、自分が分からなくなる。
霊的には、怒りを溜めた心が、阿修羅霊などに同通し、完全憑依されるのだ。
心が落ち着き、自分自身を取り戻せば、何ごともない。
何故、怒ってしまったのかもわからなくなる。
何ごとにおいてもSが機嫌良く行動できるように、周りで最大限の配慮をすることで、「怒りの感情」を沸き立たせないようにすることはできるが、一方で、本人自身の努力も必要になってくる。
この先、年齢が上がりなお、あまり改善できなければ、犯罪を行ってしまうことにもなりかねないのだ。
周りの生徒たち、先生たちも、Sに学ぶことは多いだろう。
それを期待するから、一緒に生活させているという面もある。
きっとS君にしかできないことがある。
そも特徴をさらに伸ばし、人間関係の部分を矯めていけば、社会人になっても自立してゆける。
「中学生には厳しいだろうな…」、とは思いつつも、貴重な学びの機会であることは間違いあるまい。
2021年11月21日
紙の無駄という幻想
教育現場ではタブレットが花盛りである。
昨今は、一人一台ずつのタブレット端末を配り、場合によっては自宅でも利用できる。
年寄りの私は、「そういう時代なのか」、と半ば諦めてはいる。
だが、『本』が『画面』になるだけでは、その教育効果は高くあるまい。
タブレットなりの、工夫なり、その特性が利用されなければ、時に危険なおもちゃを生徒達に与えるだけであろう。
スマホによるSNS系でのいじめを考えれば、同じような事件は、当然予想できるはずだ。
なりすましや、セキュリティホールを突いたハッキングなど、その種類も一気に増加する。
仮にこれらの対策がすべてなされたとしよう。
その時、タブレットは何をするものなのだろうか。
教科書がタブレットに変わったのだろうか。
ノートがタブレットに置き換わったのだろうか。
私は、はやり紙に書いてこそ、記憶に定着し、頭脳を鍛えられるように思えてならない。
確かに学校現場では大量の紙が消費され、しばしば「無駄」とされる。
だが、その紙は、生徒たちが何度も何度も演習するためならば、もはや「無駄」ではあるまい。
タブレットにしたから紙の量が減るというのなら、それは彼等の演習スタイルを崩し、新たな文明実験を始めたということになる。
紙の消費を自然破壊と結びつける人もいるが、おそらくは間違いであろう。
割箸は、資源を無駄にしないためのとても良い方法であることが知られている。
情緒でものごと判断しては駄目だし、単にイメージで世論を誘導しようとするマスコミの報道姿勢にも誠意が感じられない。
「ゲーム感覚で使えば、生徒を飽きさせることなく勉強させることができる」、らしいが、そもそも飽きさせるような授業をしてしまうのは、教師の責任でもある。
情報社会なので、その利用の方法はいろいろあってよい。
その検索や記録が得意な機器を使うことにも反対しない。
だが、人間が思考し、新しい価値を創造するには、沈黙の時間が必要だろうし、「書くこと」、「じっくり読むこと」が不可欠なはずだ。
年寄りの戯言だろうか…。
昨今は、一人一台ずつのタブレット端末を配り、場合によっては自宅でも利用できる。
年寄りの私は、「そういう時代なのか」、と半ば諦めてはいる。
だが、『本』が『画面』になるだけでは、その教育効果は高くあるまい。
タブレットなりの、工夫なり、その特性が利用されなければ、時に危険なおもちゃを生徒達に与えるだけであろう。
スマホによるSNS系でのいじめを考えれば、同じような事件は、当然予想できるはずだ。
なりすましや、セキュリティホールを突いたハッキングなど、その種類も一気に増加する。
仮にこれらの対策がすべてなされたとしよう。
その時、タブレットは何をするものなのだろうか。
教科書がタブレットに変わったのだろうか。
ノートがタブレットに置き換わったのだろうか。
私は、はやり紙に書いてこそ、記憶に定着し、頭脳を鍛えられるように思えてならない。
確かに学校現場では大量の紙が消費され、しばしば「無駄」とされる。
だが、その紙は、生徒たちが何度も何度も演習するためならば、もはや「無駄」ではあるまい。
タブレットにしたから紙の量が減るというのなら、それは彼等の演習スタイルを崩し、新たな文明実験を始めたということになる。
紙の消費を自然破壊と結びつける人もいるが、おそらくは間違いであろう。
割箸は、資源を無駄にしないためのとても良い方法であることが知られている。
情緒でものごと判断しては駄目だし、単にイメージで世論を誘導しようとするマスコミの報道姿勢にも誠意が感じられない。
「ゲーム感覚で使えば、生徒を飽きさせることなく勉強させることができる」、らしいが、そもそも飽きさせるような授業をしてしまうのは、教師の責任でもある。
情報社会なので、その利用の方法はいろいろあってよい。
その検索や記録が得意な機器を使うことにも反対しない。
だが、人間が思考し、新しい価値を創造するには、沈黙の時間が必要だろうし、「書くこと」、「じっくり読むこと」が不可欠なはずだ。
年寄りの戯言だろうか…。
2021年11月20日
人事面談
教頭との人事面談があった。
毎年必ずこの時期に行われるものである。
必ず尋ねられるのが、仕事をしている中での「良かった点」と「悪かった点」である。
学年の居候になってはや三年目。
担任も学年主任も外れた私の仕事量は各段に減った。
保護者とのやりとりも激減して、心を揺らすこともほとんどなくなった。
私にとっても一番のストレスは、保護者対応であったので、その意味では心の平静を保つことができていて、とてもありがたい。
「子どもが好きなだけでは駄目なんです。彼等が卒業後、どのように成長していくかまで考えて、指導してください。」
数日前、校長が皆に伝えた。
確かに、教員で子どもが嫌いな人は、あまりいないだろうが、卒業まで意識する教員も少ないのではないか。
面談は、例年通り当たり障りもなく終わった。
大して仕事をしていない私に、言うべきことはあまりないのかも知れない。
「本当に私は、この職場で役に立っているのだろうか…。」
と考えてしまう。
優秀な若手も育ってきている。
カウントダウンはしたくはないが、時の流れもとても早い…。
何とかこれまでの経験で得た智慧を、若手に伝えなければなるまい。
「聞かれればいろいろアドバイスするのですが…。」
私は教頭からの問いにそんな風に答えた。
「昨今は、聞いてくる若者が少なくなっていますからね…。」
彼も、そのことを感じているらしい。
世代が変わると、特徴が変わってくる。
それを見て、「今の若者は…」と言われて続けて人類の歴史は刻まれている。
若者なりの良さもあるのだろう。
教育の中の普遍的な真理を追究しつつ、我々の仕事は続いている…。
毎年必ずこの時期に行われるものである。
必ず尋ねられるのが、仕事をしている中での「良かった点」と「悪かった点」である。
学年の居候になってはや三年目。
担任も学年主任も外れた私の仕事量は各段に減った。
保護者とのやりとりも激減して、心を揺らすこともほとんどなくなった。
私にとっても一番のストレスは、保護者対応であったので、その意味では心の平静を保つことができていて、とてもありがたい。
「子どもが好きなだけでは駄目なんです。彼等が卒業後、どのように成長していくかまで考えて、指導してください。」
数日前、校長が皆に伝えた。
確かに、教員で子どもが嫌いな人は、あまりいないだろうが、卒業まで意識する教員も少ないのではないか。
面談は、例年通り当たり障りもなく終わった。
大して仕事をしていない私に、言うべきことはあまりないのかも知れない。
「本当に私は、この職場で役に立っているのだろうか…。」
と考えてしまう。
優秀な若手も育ってきている。
カウントダウンはしたくはないが、時の流れもとても早い…。
何とかこれまでの経験で得た智慧を、若手に伝えなければなるまい。
「聞かれればいろいろアドバイスするのですが…。」
私は教頭からの問いにそんな風に答えた。
「昨今は、聞いてくる若者が少なくなっていますからね…。」
彼も、そのことを感じているらしい。
世代が変わると、特徴が変わってくる。
それを見て、「今の若者は…」と言われて続けて人類の歴史は刻まれている。
若者なりの良さもあるのだろう。
教育の中の普遍的な真理を追究しつつ、我々の仕事は続いている…。