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2022年01月12日

ブランコ

野球部で借りている外部のグランドがある。
私はほぼ毎日、ここで練習させている。

このグランドを使うようになってから、もうずいぶん時が経つ。

これまでの先輩たちの汗が染みこんだグランドだ。

そこは昭和四十年代に廃校になった学校跡地だ。

以前、ヒマラヤ杉の巨木の枝に、ロープを張り、ブランコを作った。
空(くう)を飛ぶブランコは、気分の良いもので、練習後や休憩時間に皆が遊んだ。

これを作ってくれたのが、卒業生のY君だ。
彼は、昨年春に高校を卒業し、今は浪人生活をしている。

長い脚立で木に登り、さらに枝を登り、地上5m付近にロープを結びつけたのだ。

楽しいブランコだったが、一つ問題があった。
それは、毎日手が届かないところに片付けなくてはならなかったことだ。

近くの子どものが遊び、怪我でもしたら、それこそ一大事なので、ブランコやロープを絶対に手の届かないところに上げなくてはならなかったのだ。

面倒だったが、でも楽しかった。

私は、久しぶりに木の上に片付けられたブランコを見た。
自分が上に上がるのもはばかれるので、もう何年もそのままになっていたのだ。

ふと、「懐かしい」と思った。
そして、アニメ宇宙戦艦ヤマトの沖田艦長の最期の言葉を思い出した。

『地球か、何もかも、みな懐かしい。』

私もそんな心境になった。

今や卒業した私が関わった生徒たちは、今は元気にしているのだろうか。
あの頃は、私も必死だったようだが、とても懐かしく、楽しかった思い出だ。

「きっと、人生の終わりの時にも、こんな風におもいだすのだろうな…。」
私は、ひとりそうほくそ笑みながら、練習を続けている現役に部員たちを見る。

こうして歴史はつくられていくのだろう。

2022年01月11日

書き初め大会

世の多くの学校は、今日から学校が始まったらしいが、我が校では午後に恒例の『書き初め大会』が行われた。

体育館で中学生全員が、静寂の中で書き初めをする姿は壮観である。
今回は、「窓」がお題なのだそうで、中1が「窓辺の花」、中2が「車窓風景」、中3は「蛍光窓雪」だったが、どの学年も非常に上手だ。

書写の授業で、練習しているとは言え、この集中力は大したものだ。
時間内に二枚書く。
これに加え、立志式を控えた中2はさらに自ら決めた座右の銘を記す。

朝から雪の降る中、体育館はなかなか寒かったのだが、彼等の「書き初め」は熱かった。

この書き初め大会は、以前私が提案して、中1、中2で始めたが、数年前からは中学校全体で行っている。

中学全体の行事は、学年間で適度な緊張感が生まれ、教育効果が高いようだ。

一年の初めに心を落ちつかせつつ、一心に書に向かい合うのは良い。

私は相変わらずの写真撮影。

マスクをしているので、一人ひとりが書いているときの写真にはあまり満足がいかないが、一時マスクを外して、中学全校生徒で書き初めを掲げて撮った写真は、なかなか迫力あるものになった。

「はいチーズ」と撮ったのだが、じつは集合写真のときにカメラの解像度を引き上げるのを忘れていた。

仕方なく、もう一度撮影することにした。

「ごめん、失敗じゃないけど、完璧じゃなかったので…」、と再撮影をする。

なかなかいい写真になった。

全員での書き初めはなかなか良い。

2022年01月10日

入学願書

私が最初に務めた学校は私立学校の高校所属だった。

何年かして、PC操作の長けていた私は、出願書類の入力を任せられた。
今現在と同じ仕事である。

ふと、思い出したことがある。

「こんな願書があります。」
私は、鉛筆書きで、写りの悪いスナップ写真を貼り付けられた願書を上司に見せた。

彼は一言。
「これは不合格だな…。」

筆記テスト、面接試験の結果も合わせて、その受験生は不合格になった。

私は願書だけで不合格になるなんて知らなかった。
結果的には、総合判定による不合格なのだが、この願書の印象はあまりに大きかったのだ。

当時は倍率も高く、ちょっとした不備のある受験生は、いとも簡単に不合格にできたのだろう。

一方で、私立学校ということもあり、どのような生徒、どのような親と関わるかを、入試を通して、あるていど選抜することができたという点も否めない。

滅茶苦茶な願書は、受験生やその家庭の印象を著しく下げ、「常識知らず」というレッテルを貼られ、不合格にさせられるということなのだろう。

現在では、こうした乱暴なことはできない世の中になってきているのだろうが、私が教員に成り立ての頃、今から三十年以上前には、普通に起こっていたことのようである。

私の学校でも、今年鉛筆書きの願書や、写真をマスキングテープで止めている願書などがあったが、それによって合否に影響することはない。

今や、いかに多くの受験生を受け入れ、入学定員を満たすか、ということが最重要課題になっている。

時代は変わっているのだ…。

2022年01月08日

三学期始業式

三学期の始業式が始まった。
本来ならば、皆が元気に登校しているかを楽しみに見て、声を掛けて回るのだが、今日はそれどころではなかった。

入試準備に追われたのである。
一昨日、教頭より連絡があり、今年は日程的に厳しいので、願書入力を急いで欲しいとのことだった。

従来の怠け者が、冬休みにすっかり怠け心が増大してしまった私にとって、ずっと先延ばしにしてしまっていたツケを、今日、払わなくなってしまったのだ。

7時前に出勤して、途中、始業式と掃除指導で抜けたが、それ以外はずっとコンピューターへの入力作業を行っていた。

概ね入力が終わったは午後1時頃であっただろうか。

このリストを、別の先生に何度かチェックしてもらい、正しい受験者リストを完成させる。
願書情報がすべて記載されたマル秘の表である。

入学試験後は、これをもとに審議資料をつくるのだが、その前段階。
入試に向けて生徒情報のリストをつくることが私の仕事だ。

入力中、「今日は部活できるかな…」、と思いつつも何とか終えることができた。

連休中に入力しようと思ったが、それでは遅いので、ちょっと頑張ったのだ。

おかげで、始業式にもかかわらず、ほとんど生徒と話をせずに終わった。

入試は来週末。
作業量は多いが、決して心をバタバタさせず、きちんと資料をつくらねばならないだろう。

この仕事を担当してもう十年以上になる。

決してミスの許されない仕事。
平静な心で、余裕を感じつつ務める必要がありそうだ。

2022年の出勤初日はちょっと忙しかった…。

2021年12月13日

S君のこと

部活が始まって間もなく、中2のSが連行された。

外部のグランドに学年の先生がやってきて、学校に取れ戻したのだ。
聞けば、午後の授業をさぼり逃げ回っていたらしい。それでいて、部活に来たものだから要指導となったわけだ。

私は、午後休みをもらっていたので、全然知らなかったが、「授業に出ないで部活に参加する」のは許されない。

Sはまだまだ自分のことしか考えられないのだ。

嫌なことからは逃げる。
怒りを溜めて、あるとき爆発させる。
責められると、まず自分を正当化する。

精神状態は、小学校に上がる前の子どものようで、体だけが中学2年生になったような感じだ。
もちろん、発達の偏りはある。
公立校なら、普通学級に置いておけない生徒なのだろう。

それでも私は、他の生徒と同じように扱う。

いずれは、自分の性質を強く自覚して、それを矯正してゆく努力を重ねなければ、社会で困ることになるからだ。

そのためにも、集団生活内での社会性、人と人との関わり方については、徹底的に厳しく言う。

たとえ脳の機能的には厳しくても、心の部分には訴えかけたことが伝わることを信じていつからだ。

Sは困ったときにはヘラヘラ笑い、自分を誤魔化そうとする。
正確に言うならば、自分でどう対処してよいか分からないから笑うのだ。

だが、それが抑えきれなかった場合は、次の瞬間怒りが爆発し、暴れ出す。

結局、自らの心のコントロールがうまくいかないのだ。

基本的には、さぼらず毎日部活にやってくる。
一生懸命プレーもする。
大きな声も出す。

いいところ、成長している部分はあるのだ。

だから私も関わっている…。

2021年12月11日

合唱コンクール

恒例の合唱コンクールが終わった。
午前に中学生の部、午後に高校生の部があり、今回、ようやく保護者の来校が認められた。

そうなると、文科省指定の感染症対策が必要になったため、合唱はマスク着用、間隔も1m以上あけるというスタイルになった。

こうなると舞台には入りきれないので、ホールのフロアに合唱台を置き、特設舞台を作った。

ここ数年、合唱のレベルは上がっている。
中3だからと言って優勝するとは限らない。
もちろん、中3にとっては三回目の合唱コンクールなので、そのノウハウや練習スタイル、クラスのまとめ方など、経験値があることは事実だが、理想通りにできるかどうかは、また別問題だ。

だが、どのクラスもなかなか良かった。

私はホールのキャットウォークで撮影をしていたが、けっこう動き回ったため、落ち着いて歌を聴くことはできなかった。

恐らく、そのために、彼等の歌に涙することができなかったのだろう。

「本当に心に染み入ると、歌を聴いているときに自然に涙が流れてくるんだよね…」、と生徒たちには伝えていたのだが、残念ながらその機会はなかった。

保護者たちは、久しぶりの我が子の雄姿に感動してもらえたようで、マスク着用ながらも満足してもらえたようである。

歌が終わると、さっと近づき、マスクを外して記念撮影。
ほんの何十秒かだが、マスクを取った状態での撮影をすることができた。

いつの間にか、マスクをしないことが許されない世の中になってしまった。
おそらくは、マスクがあろうがなかろうが、感染するときは感染するのだろう。
だが、いざ感染したときに、マスクをしていないと、徹底的に責められる。

世界は、そういう暗黙の監視社会になってしまったのだ

彼等の歌声には、心がこもっている。
歌詞に、メロディに、そして、保護者や、お世話になった人たちへの感謝の思いを込めて歌っている。

感動しないはずはないのだ。

泣けなかった私の心が枯れているということか…。

2021年12月10日

休み時間も静かに!

地元のテレビ局の新春番組の収録が行われた。

日中なので授業時間中の収録になるのだが、そうなると、休み時間の時の撮影が厳しくなる。

中学生たちに、「休み時間は静かにしなさい」、というのは無理がある。
授業と授業の間で、彼等なりに気分転換、ストレス発散をして、次の授業に臨む訳だが、ここで、「静かに!」なんていう指導は、およそ教員にはできないことだ。

少し前、やはり日中の時間に、校内で映画の撮影があった。
「授業や学校にはご迷惑をおかけしないようにします」という触れ込みだったが、そんなことできるわけがない。

案の定、「休み時間は静かにしてください」、などと狂った放送が入った。
受け入れ窓口の事務長の声だった。

「そんなことできるわけないじゃない!」
と、中2の学年主任が叫ぶ。

「授業にならないわよ。音楽の授業で音を立てないでどうやって授業するの?」
と、別の教員。

撮影に協力するのはよいが、本来、撮影が学校を借りれば、百万単位のはずだ。
それをタダで使わせていながら、なお、授業に差し障るようならば、本末転倒と言わざるを得ない。

教頭もお怒りのようだった。

「これがこれからの、何かしらの教訓になればいい」、とおおらかにしていたら、今度はTV収録。

ここは子どもたちを教育する学校なのだ。

何かが間違ってはいまいか…。

2021年12月08日

授業評価

二学期の授業評価の結果が発表された。
昨今は、若手の先生たちが高評価になっている。
とてもいい傾向だ。

若い手の先生たちが、生徒から信頼され、高い評価になるのは、とても素晴らしいことだと思う。
こうなれば、学校はますます発展してゆくしかない。

一方で、いよいよ私たち年配の引退の時期が近づいているのだろう。

世の中はこうして代替わりをしていくのだ。

「〇〇先生の授業が楽しい」、というスタイルは、学校としては必要不可欠なことだ。
学びの楽しさを教え、学力をつけさせ、かつ、人間性を高めるべく人格教育も行う。

これが学校の大きな仕事だ。

生徒たちによる教員への評価も、昨今は珍しくなくなった。
教師が「お山の大将」であることが許されなくなったのだろう。
また、「尊敬される存在」であることも、とても薄らいでしまったのだろう。

一部の親たちから見れば、子どもは人質。
不安があっても、ストレートにはぶつけにくい。
一方で、理不尽な要求も、当たり前のように言える世相でもある。

生徒たちだって、好き勝手に教員を批判できる。

だが、本質はそこではない。
常に学び続け、最善を求め続ける教員のその努力を、生徒たちは感じることができる。
そこに、畏敬の念が生まれ、学ぶ側としての立場を改めて自覚し、教員に従う。
このサイクルが、師弟関係を築き、教育効果を高めるのだ。

だから単に「人気取り」の教員は、いつしかそのメッキがはがれ、信頼を失っていく。
信頼を失った教員は、生徒への指導はできなくなる。

やはり大切なことは、「努力に努力を重ねる」教員の真摯な姿勢だろう。

その意味では、こうした授業評価は、ある程度の精度で指標になる。
頑張れ! 若手の先生たち!

2021年12月06日

音楽のM先生

校内合唱コンクールが近づいてきた。

この時期、活躍するのが音楽のM先生である。
中1から高2までの全クラスの合唱指導をし、コンクールの運営のすべてを取り仕切る。

公立学校経験のベテランの先生なのだが、本来、能力の高い先生なのだろう。

その指導は非常に細かい。
歌の解釈から音楽性はもちろん、発声練習や練習方法に到るまで、すべてに関わっている。
実際は、それぞれのクラスのパードリーダーたちが、動くのだが、それを統括し、当日までのすべてを切り盛りするのだ。

こうなってくると、「私の言うとおりにやらないなら、知りませんよ」、という具合になりそうなものだが、M先生の場合、それほどギラギラしていないのだ。

中3でご自身のクラスを持ち、指揮者練習、伴奏者練習などなど、精力的に動き回っている。

昨今、合唱のレベルも上がってきた。
合唱コンクールを通して、クラスのまとまりが出てきて、歌に思いが乗り、更に音楽性もアップしてきたからだ。

これもM先生のなせる業である。

クラス担任の力量に関係なく、合唱曲を仕上げてゆく様は、まさに痛快とも言える。

以前、M先生が赴任されたばかりの頃は、不平不満ばかりで、なかなか協力してくれる先生方が少なかったのだが、今は違う。

「すべてをM先生に委ねたい」という思いが先生方の中でも高まっているようだ。

M先生、本当にお疲れ様です。今週末が本番ですから、もう一踏ん張りよろしくお願いします。

今回、合唱コンクールは保護者参観になった。

きっと大成功するだろう…。

2021年12月04日

朝の職員打ち合わせ

最近、心が安定しているのか、他の人の心の状態が伝わってくるようになった。
自分の心がワサワサしていれば、相手の心を読むことなどできないが、平らかで揺れない心でいると、他の人の心が見えてくる。

毎朝、教職員の打ち合わせがある。
7時40分からだが、この始まりにもチャイムがなる。
このチャイムがなっているときに、ガヤガヤしていると、教頭はイライラするのだ。

めったにイライラしない教頭だが、最近はそんな日が多くなった。

「鐘がなっているのだから、さっと会話を止めて下さい。ガヤガヤしているのは、非常に波動が悪いです。」

彼は、もう何度もこの言葉を叫んだ。
正論であり、その通りではあるが、私は彼のイライラの思いを受けている。

だから、私の心もちょっと揺さぶられるのだ。

人のイライラ波動は、他の人を不幸にする。
そこで断ち切れればいいが、それが他の人に伝播してしまうと、イライラする人が増えていく。
中には、イライラから怒りに変わってしまう人もいる。

そういう連鎖が人々の不幸を生み、社会全体の不幸へとつながっていく。

指導者たる立場の人が、心を乱せば、その影響は計り知れない。
多く人にいい影響を与えることもできれば、多くの人を惑わしてしまうこともできる。

上に立つ者は、そういう責任を負っている。

「教頭先生、ちょっと心が乱れてますよ。」

私はそういう思いで苦々しく彼の言葉を聞いている。

ほんの数年前、私がそのようなネガティブ思考の塊であったことを棚に置いて、今は、彼を批判しようとしている。

愚かだ…。
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