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2022年02月21日

雪、降り続く…

朝から埃のような雪が舞っている。
通常ならば、日中は雲が晴れ、雪も止んでいくものだが、今日は、晴れ間がさすことはなかった。
極めて強い冬型で、北の地方では大きな被害も出ている。

このあたりの積雪は大したことはないが、山では吹雪、大雪になっているようである。
山間部では連日除雪が大変らしい。

月曜日の朝のどんよりと曇った空には気持ちも萎える。
晴れやかは気持ちにはなりにくいのだ。
「今週も頑張るぞ!」という思いが湧いてこない。

ほんの少しの心の状態の影響なのかも知れないが、今朝は少しブルーな気分だった。

日中は少し休んだ。
放課後の部活は、グランド状況が悪かったので、自主練にした。
そして夜の補講。

先週は中止になったものだが、今日は高1、高2が十名ほど集まった。
彼等に授業をするのは、もはや一年ぶり、二年ぶりなのだ。

懐かしい顔ぶれに、私も顔がほころぶ。
しばらく教えていなかったので、レベルが分からなかったが、少し高度な話もした。

微積分の特別授業は一時間強で終わった。

初めは気が進まなかったが終わってみれば楽しかった。

いつしか雪は止んだが、恐らく今夜もちらつくのだろう。

いろいろな思いが巡る週初め。

彼等は、私の授業が受けたくて来てくれたようだ。
ありがたい…。

その思いが、雪の冷たさを溶かしていく…。




2022年02月18日

PC延命化

以前、『私のパソコンたち その2』でも述べたが、職員室のノートパソコンが不調である。

熱暴走気味なのだ。

CPUの温度を測るソフトを入れてモニターしているが、時に100℃近くになる。
今は監視ソフトで高温になると、自動的にスリープ状態になるようにしているが、これでは恐ろしくてパソコンが使えない。
以前は。一台のノートパソコンだけだったが、作業が偏り、負荷がかかったのか、もう一台のノートパソコンも同じような症状になった。

そこで、何とか延命措置をはかろうと、ノートパソコンを浮かせ、その下にそれぞれ8cmものファンを置いた。

原始的な空冷である。

いまのところ、この強制冷却で、なんとか60℃台をキープしているようだ。

何かの不具合で負荷がかかり、急速に温度が上がり気味のときは、手動でスリープにすればいい。

二台同時に高温になることはないだろう。

どちらも古いパソコンだが、まだまだ現役で動いてくれないと困る。

それほど重たい処理をさせているわけではないので、まだまだ使えるだろう。

しかし、まさかノートパソコンを強制的に空冷するとは思わなかった。
少し持ち上げられたノートは、キーボードも打ちにくい。

それでも、使えるうちは使い続けようと、愛着を感じている二台のパソコンたちに、日々向かい合う。

デスクトップのように、すぐにケースを開け、ファンの掃除ができればいいのだが、ノートではそうもいかない。

「まだまだ長く動いてくれよ」と、祈るばかりである。




2022年02月17日

保健所対応

このところの感染増加で、いよいよ地方の保健所もキャパオーバーになったようだ。
以前は、一人PCR検査で陽性者が出ると、一時間以上のヒアリングがあり、濃厚接触者を特定し、日々の健康チェックも保健所管理だった。

ところが最近変わった。

まず、ヒアリングがなくなった。
陽性者本人に直接電話があり、「10日間隔離」が伝えられるだけ。
それ以外の濃厚接触者に関しても、学校長裁量に変わった。

重要かリスクも低く、発熱も一時的な症状の若者が多いということ。
合わせて、保健所業務の限界ということだろう。

この二年間、行政のコロナ対応は混迷を極めている。

以前の常識は常識ではなくなり、次々と濃厚接触者の定義も変わっていく。

「昨日までの生徒は一週間の隔離だが、今日からの生徒は三日で終わり」、と言う具合に、なかなか納得しがたい状況になった。

誰かが決めた基準が一人歩きする。
水際対策としての入国制限も、どれだけ科学的根拠があるかどうか分からない。

留学生受け入れの緩和を叫んでいる公明党は、中国人を意識してのことだろう。

「2類」として新型コロナを扱っているから、なおさらその混乱ぶりが目立つ。

どの国もコロナで経済は低迷し、国民も疲弊し、国力も低下している。

いい加減、中国に賠償責任請求をしたらどうか。

恐らくは、そうした国には、徹底的に新しいコロナ株をまかれ、多くの人類が危機を迎えるのだろう。

最後に、あれほど高圧的だった保健所対応が、昨今穏やかになったことを銘記しておく。

2022年02月14日

バレンタインデー

いつものように出勤し職員室の自分の机の上には、メッセージが書かれたチョコレートが置いてあった。

いつもメッセージは、励まし、褒め称えてくれるような、まさに私にとっては過分なお言葉で、いつも恐縮してしまう。

逆の見方をすれば、その言葉が「まったくの嘘」でないとするならば、褒めてくださるそのようなことが、「少しある」という訳だ。

その意味では、私も少しまだ役に立っている、組織として要らない存在ではない、ということなのだろう。

そう思わなければ、仕事を進めることなどできないし、モチベーションも上がらない。

だんだん朽ちてきて、使い物にならなくなったら、職場から去る、というは嫌だ。

若いときに迷惑をかけ、中年期にも迷惑をかけ、歳をとってからも迷惑をかけ、では情けない。

組織の中で、自分が必要とされる存在である限り、そこで働き続けることができるだろう。
だが、歳を取ることで、おのずとできないことも増えてくる。
理屈ばかりを言い、口だけの存在も嫌われる。

私の人生、「人目をあまり気にせず、わが道を行く」という感じで生きてきた。
親しい友人もいなければ、何でも話せる家族もいない。

教員として人生を捧げ、齢六十を前に、ふと、「これでよかったのか」と思う。
昨今は、その迷いによって、仕事のモチベーションも下がり気味だ。

素敵なメッセージを胸に秘め、チョコレート食べて、もっと元気になろう。

腰痛なんかに負けないぞ。

自分はもっとできるんだ!

自家発電するしかあるまい…。




2022年02月13日

よろしく

「あっ、丹澤先生!」
公用車の鍵を事務室に取りに行った時、校長から呼び止められた。

「来年度は中2ですから…。あと野球部もよろしく。」

これが私への来年度の配属の内示である。
簡単だ。

でも、さっぱりしていていい。
おそらく以前と大幅に変更になる場合は、長く面談をしているのだろうが、私の場合はこれでおわり。

ありがたい。

細々ながら、私を使ってくれるのは本当にありがたい。

公立中学なら60歳で定年。
私に当てはめるとあと三年くらい。
この歳で担任をしている先生はいないだろうし、野球部の顧問だって厳しい。

もう何年も前に、私と同年代の先生に、「丹澤先生はまだ担任をやってるの? 野球部も引退しないの?」と言われたことがある。

その時は、引退などとんでもないし、考えたこともないと、黙って笑って聞いていたが、今は、そのとき声を掛けてきた先生の気持ちが少し分かる。

私自身、歳を取り、体力的にも精神的にも、教員を続けることに自信がなくなりつつあるのだ。

そんな中でも、「よろしく」は、「来年度も頼みます」ということであり、「首がつながった」ということなのだろう。

思うに、簡単でさっぱりと聞こえた「よろしく」は、とてつもなく重く、深い意味を持っている言葉だったことが分かる。

「よろしく。」

これを励みに、もう一踏ん張りせねばなるまい…。




2022年02月12日

大学合格者

職員室前に昨年春の大学合格者が掲示されている。

彼等の名前を見ていると、今や、非常に懐かしさを感じる。

「みんな元気にやっているかな…。」
と、しばし立ち止まる…。

懐かしいな…。

私はめっきり歳を取ったようだ。
彼等との楽しい学校生活が、少しずつ蘇ってくる。

「どうか高校を卒業するときは、静かに消えるようにいなくなってくれ。淋しくて泣いちゃうから…。」

そう言って卒業させた学年。

私は、努めて距離をとり、情が移らないように、わざと疎遠にして、卒業式を迎える。
そうしなければ、悲しくてやっていられない。

大学合格者の中には、浪人生もいる。
今が正念場なのだろう。

私はじっと「吉報」を待つしか、すべはないのだ。

私の学校では、系列大学に進学が決まっても、さらに他の大学を受かって卒業することを求めている。
最後の恩返しとして、合格実績を作れ、ということだ。

来月の高3卒業式が終わると、これらはこの春の合格者に張り替えられる。

来年の今ごろ、私はまた、彼等の雄姿を見て、物思いにふけるのだろうか…。

こんなふうに学校の時間は流れていく。

2022年02月10日

練習動画

このところ毎日の練習に塁間のボール回しがある。
「10周、そして逆向きを5周、ミスなくできればクリアする」という目標を決めて、やっている。

だが、まだまだまともに捕送球できない彼等は、この練習だけで小一時間やっていることもある。

昨今は、キャプテンが決めたメニューを私は黙ってみているが、あと少しでクリアという時にミスが起こり、また一周目からやり直し。そんな事が何度も起こる。

基礎的な部分で問題があると私は気づいているが、なかなか改善されたいので、動画にして彼等に見せることにした。

ほんの短いボールを採って、次の塁に送球するだけのシーンだが、これを編集してつなげ、また、スローモーションにもしてみた。

最近の動画編集は、ずいぶん簡単にできる。
私が使っているデスクトップPCは、メインマシンが32G、サブマシンでも24Gのメモリを積んでいるので、処理が重くなってしまうということはない。

それでも、初めて使った編集ソフトには手間取り、少しT君に手伝ってもらった。

今日は職員会議で部活動はなかったが、編集した動画を入れたUSBメモリを貸し、生徒たちに見てもらった。

いくら説明しても分からないことでも、自分の動画を見れば、一目瞭然である。

この先の練習でどれだけ改善していくかが面白い。

大分以前は、バッティングやピッチングをビデオで撮り、それをコマ取り出しして、分解写真を作って、部員たちに確認させたこともある。

かつてのソフトはかなり面倒だったので、ほどなく止めてしまったが、今ならば、もっと簡単に作れるのだろう。

時に視覚に訴えることは、大きな効果をもたらすようだ。

時々撮影して、彼等に考えて練習する癖をつけさせたいと思う。




2022年02月07日

注意されるのも愛

人は、他の人の言葉や環境により、すぐに感情が揺れ動く。
だから、多くの学校現場では、多くの生徒や教職員たちが、「心のぶれ」をコントロールすることを知らないまま生活しているのだ。

よかれと指摘した先生の言葉が、生徒の気に触り、心を動揺させ、怒りの感情を引き出させてしまうことは、よくあることだ。

もちろん、これは学校にとどまらず、会社組織でも家庭でも大いに起こりうることで、そこに不幸が生まれ、悩みが発生し、時に感情が爆発し、誤った言動を引き起こす。

学校では、「あいつに何を言っても意味がない…」などと、生徒を「不良」というレッテルで張り、近づかず、触らぬように関わっている先生もいらっしゃることだろう。

人間対人間の関係なので、教師だって時にはへそを曲げたくなる。

「叱る」、「叱られる」という関係は、指導者側が「改善してよくなる」と信じることから始まり、受け入れる側も、指導者の「愛」を感じ、「素直な心で聞く」ことができてこそ成立するものだ。

その意味では、「人間関係がすべて」とも言える。

部活動内では、同級生同士で指摘し合ったり、先輩が後輩を教えたりする。
その時に、「やろうとしているんだよ」などと反発心が湧くこともある。
言われていることはその通りなのに、自分の不甲斐なさに、憤懣やり方ない状態になり、機嫌が悪くなったり、はたまた怒り出してしまうこともある。

そんな時に教えたいのが、「注意するのも愛」であるということだ。

相手が良くなって欲しいと思って指摘するのだから、まさに「愛」そのものでもある。
その「愛」を素直に受け入れられるか、それとも、自分に対する「敵対心」や「いじめ」と認識するかは、受けた側の心の状態による。

部活中にそんな話をしたら、キャプテンが、「注意される側も愛だ」と言った。

本来はその通りだろう。

「愛」は連鎖する。
連鎖してこそ、「愛」は流れ続ける。

途中で「愛」の連鎖を途絶えさせてはいけないのだ。

2022年02月02日

高校入試

少し早いが、高校入試があった。
といっても、私は引きこもってPCとにらめっこ。

絶対にミスの許されない作用に、ずっと緊張感は高いままだ。

こんな仕事をもう十年以上やっている。
続けているということは、「信頼されているということ」なのか、はたまた「他にできる者がいないということ」なのか…。

いずれにせよ、この機密性の高い仕事を、あまり焦らず、慌てず、着実に、淡々とこなしていることには違いない。

いつかはどなたかにこの仕事を引き継ぐことになるのだろうが、そう簡単なものではあるまい。

高校入試は、多くの生徒が人生最初の試練である。
少子化で、かつてほど倍率は高くなかったが、「試験」という緊張感は、その当日が近づけば近づくほど、「試練」という名にふさわしい。

自分自身を振り返ってみても、やはりそれなりに緊張感はあった。だが、試験当日のことは、まったく覚えていない。

私立高校を受け、第一志望の専願で、事実上合格は決まっていたようだが、受験生である私自身は、試験の結果で合否が決まると、ずっと思っていた。

高校受験は、十五歳としての一つの関門。
倍率こそ低くなったが、自分の人生を考える格好の機会だ。

そんな中学生たちが、プレッシャーと不幸な環境で押しつぶされないように、大人たちは細心の注意を払うべきだろう。

ネット発表が主流の昨今、担任の先生に報告するために学校に戻り、「〇〇高校合格しました!」という報告は、今では少なくなってしまったかも知れない。

「ちゃんと対面で報告する」ことは、この先の人生の上では大切だと思う。

人と人とのつながりは、つねに強く、そして太くなければならない…。

その意味では、引きこもりでは面白くない。

2022年02月01日

心がぶれる

先日、教員としての『喜怒哀楽』について述べたが、思春期を迎えた子どもたちにも、心を揺さぶられない努力は必要だ。

野球部の練習中もすぐにキレてしまうA君と、すぐに萎えてしまうB君がいる。

A君はいままで元気に出していた声が、突然聞こえなくなるので、すぐにそれと分かる。
自分ができなかったことを他の人に指摘されると、たいてい激しく怒り出す。

だが、私はそれを認めない。
できないプレーで、いちいち怒っていたら、きりがない。その中で、どう自らの心を落ち着かせ、コントールできるか、が大切だからだ。

A君にはまだまだ難しいのかも知れないし、ひょっとしたら大人だってできないことなのかも知れないが、せっかく野球を通して縁ができているのだから、私はその部分では妥協しない。

すると、その日の日誌にはちゃんと反省している。
自らの行為が軽率で、自分の心を制御できなかったことを悔やみ、次の日に向けた希望の言葉を書き連ねているだ。

これは成長だ。

中2の三学期になり、ずいぶん進歩した。
プレーそのものも上手くなってきているので、とても良い。

一方B君は、まだ中1だが、こちらもなかなか自分の心をコントロールできずにいる。

基本のプレーはできるようになってきたが、少し状況が変わるとパニクってしまう。
そうなると、自分を責め、できない自分に怒りを覚え、はたまた声が消える。

私は、「あら、またB君、萎えたか…」と気づく。
それはちゃんとキャプテンも分かっていて、たいてい私が気づいた直後に、声を掛けている。

「萎えたか!」

だが、そう言われて簡単に吹っ切れるB君ではなく、たいてい練習の最後までそれを引きずっている。

そうそう、もう一人、中1のC君も難しい。

週に一度くらい気が向いた時に練習に来て、機嫌良くやっている時はいいが、なかなかプレーができないと、ぼやきだし、元気がなくなり、ただただ立っているだけになる。
同じく心のコントロールができないのだ。

「簡単に心がぶれてはいけない!」
と、私は叫ぶ。

元気よく返事ができるのはA君とB君だ。

C君は翌日からまたしばらく来なくなる。
まだまだ時間がかかりそうだ…。
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