2021年11月21日

紙の無駄という幻想

教育現場ではタブレットが花盛りである。

昨今は、一人一台ずつのタブレット端末を配り、場合によっては自宅でも利用できる。
年寄りの私は、「そういう時代なのか」、と半ば諦めてはいる。

だが、『本』が『画面』になるだけでは、その教育効果は高くあるまい。
タブレットなりの、工夫なり、その特性が利用されなければ、時に危険なおもちゃを生徒達に与えるだけであろう。

スマホによるSNS系でのいじめを考えれば、同じような事件は、当然予想できるはずだ。
なりすましや、セキュリティホールを突いたハッキングなど、その種類も一気に増加する。

仮にこれらの対策がすべてなされたとしよう。
その時、タブレットは何をするものなのだろうか。

教科書がタブレットに変わったのだろうか。
ノートがタブレットに置き換わったのだろうか。

私は、はやり紙に書いてこそ、記憶に定着し、頭脳を鍛えられるように思えてならない。

確かに学校現場では大量の紙が消費され、しばしば「無駄」とされる。
だが、その紙は、生徒たちが何度も何度も演習するためならば、もはや「無駄」ではあるまい。

タブレットにしたから紙の量が減るというのなら、それは彼等の演習スタイルを崩し、新たな文明実験を始めたということになる。

紙の消費を自然破壊と結びつける人もいるが、おそらくは間違いであろう。
割箸は、資源を無駄にしないためのとても良い方法であることが知られている。

情緒でものごと判断しては駄目だし、単にイメージで世論を誘導しようとするマスコミの報道姿勢にも誠意が感じられない。

「ゲーム感覚で使えば、生徒を飽きさせることなく勉強させることができる」、らしいが、そもそも飽きさせるような授業をしてしまうのは、教師の責任でもある。

情報社会なので、その利用の方法はいろいろあってよい。
その検索や記録が得意な機器を使うことにも反対しない。

だが、人間が思考し、新しい価値を創造するには、沈黙の時間が必要だろうし、「書くこと」、「じっくり読むこと」が不可欠なはずだ。

年寄りの戯言だろうか…。
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