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第206回 野狐さん [2016/05/22 17:34]
文●ツルシカズヒコ
……永代静雄のやつてゐるイーグルと云ふ月二回かの妙な雑誌があるね。
あれに面白い事が書いてある。
自由恋愛実行団と云ふ題の、ちよつとした六号ものだ。
『大杉は保子を慰め、神近を教育し、而して野枝と寝る』と云ふやうな文句だつた。
平民講演の帰りに、神近や青山と一緒に雑誌店で見たのだが、神近は『本当にさうなんですよ』と云つてゐた。
青山は、あなたが僕に進んで来て以来、僕等の問題に就いては..
第74回 堀切菖蒲園 [2016/04/10 12:35]
文●ツルシカズヒコ
一九一三(大正二)年六月中旬。
野枝がらいてうの書斎を訪れ、奥村の話に一段落ついた後、野枝が堀切菖蒲園の話をらいてうに振った。
そのちょっと前、らいてうが田村俊子と堀切菖蒲園を訪れていたからである。
「この間の堀切行きは面白かつて?」
「えゝ、面白かつたわ。田村さんがすつかり酔つぱらつて大手をひろげて駆け出す恰好つたら……」
平塚さんはさも可笑しさうに一人で笑つた。
「..
第63回 姉様 [2016/04/01 17:17]
文●ツルシカズヒコ
青鞜社講演会の後、おそらく一九一三(大正二)年二月半ばのころであろうか。
野枝は当時の青鞜社内部の人間関係について、こう記している。
もっとも紅吉はすでに青鞜社の社員ではないのだが。
紅吉と平塚さんの間は旧冬の忘年会以後、ます/\妙なことになつて来てゐた。
平塚さんは西村さんと、哥津ちやんの交渉が後もどりをすると、だん/\に西村さんの方に心をよせて行つた。
神経過敏の紅吉は..
第39回 青鞜 [2016/03/22 18:12]
文●ツルシカズヒコ
一九一二(大正元)年九月十三日、明治天皇の大喪の礼が帝國陸軍練兵場(現在の神宮外苑)で行われた。
乃木希典と妻・静子が自刃したのは、その日の夜だった。
野枝がらいてうから送ってもらった旅費で帰京したのは、「伊藤野枝年譜」(『定本 伊藤野枝全集 第四巻』)によれば九月の末だが、秋たけなわというような「日記より」の文面やサボンの旬は十月ぐらいからなので、野枝の帰京は十月に入ってからかもしれない。
野枝..
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