2016年05月09日
芸能ネタに見る本末転倒?
これも前から書きたかった事なので、ちょっと古いネタも含んでいます。
ベッキー批判のオリラジ中田敦彦「スタッフ間では好評」も、サンミュージックから猛クレーム!
http://news.livedoor.com/article/detail/11496995/
個人的意見です。オリラジ・中田の意見はごもっともですが、彼の発言の中でベッキーに対して「明確な説明と謝罪」(LINEでの「卒論」との表現や会見でのウソのこと)を要求していたのはどうかと。謝罪は無意味。覆水盆に返らずってヤツで、何をやっても以前にベッキーに戻るわけでもなく、「不倫した女」って事実まで忘れろってのは無理でしょう。
まぁ、単にパフォーマンスとしての謝罪と、それをしてしまえば「それでも許さない人間は酷いヤツら」とのレッテルを貼るための口実にしかならないと思うんで、やるだけやった方が良いんじゃない?
そう考えると、ベッキーがテレビに出演するのを抗議する人間は局側も無視して彼女を使えば良いだけの話。それで見ると言う人、嫌いだから見ないとする人、それぞれで結果は自ずと出てくるはずですから、直接的な抗議の数で彼女の起用を決める必要は無いのでは?
そこでちょっと古い話。
日清「カップヌードル」CM、1週間で突然「放送中止」 矢口真里、新垣隆ら起用に批判殺到して「謝罪」
http://www.j-cast.com/2016/04/08263606.html
これも単なる出来レースにしか思えず、放送中止までを含めたCMと思っていました。ネタにマジレスだが、本当に日清がこのCMで行こうと思っていたなら、抗議はごもっともと受け取りCMを続ければ良かった事。そもそものCMの良し悪しは売上に繋がるかであり、これで不買運動が広まれば止める、支持されて売り上げが伸びれば続けるのが正解でしょう。
本質を見失い、妙なプロセスを経て得た評価方法で判断を見失うってのは愚かな行為ではないかと思う。視聴率を取れるかどうかではなく、CMが売上につながるかどうかではなく、抗議の数で決める流れを疑問に感じます。同じく、本質を見誤った例ってのが多いと感じる今日この頃。次はそんなネタで。
ベッキー批判のオリラジ中田敦彦「スタッフ間では好評」も、サンミュージックから猛クレーム!
http://news.livedoor.com/article/detail/11496995/
個人的意見です。オリラジ・中田の意見はごもっともですが、彼の発言の中でベッキーに対して「明確な説明と謝罪」(LINEでの「卒論」との表現や会見でのウソのこと)を要求していたのはどうかと。謝罪は無意味。覆水盆に返らずってヤツで、何をやっても以前にベッキーに戻るわけでもなく、「不倫した女」って事実まで忘れろってのは無理でしょう。
まぁ、単にパフォーマンスとしての謝罪と、それをしてしまえば「それでも許さない人間は酷いヤツら」とのレッテルを貼るための口実にしかならないと思うんで、やるだけやった方が良いんじゃない?
そう考えると、ベッキーがテレビに出演するのを抗議する人間は局側も無視して彼女を使えば良いだけの話。それで見ると言う人、嫌いだから見ないとする人、それぞれで結果は自ずと出てくるはずですから、直接的な抗議の数で彼女の起用を決める必要は無いのでは?
そこでちょっと古い話。
日清「カップヌードル」CM、1週間で突然「放送中止」 矢口真里、新垣隆ら起用に批判殺到して「謝罪」
http://www.j-cast.com/2016/04/08263606.html
これも単なる出来レースにしか思えず、放送中止までを含めたCMと思っていました。ネタにマジレスだが、本当に日清がこのCMで行こうと思っていたなら、抗議はごもっともと受け取りCMを続ければ良かった事。そもそものCMの良し悪しは売上に繋がるかであり、これで不買運動が広まれば止める、支持されて売り上げが伸びれば続けるのが正解でしょう。
本質を見失い、妙なプロセスを経て得た評価方法で判断を見失うってのは愚かな行為ではないかと思う。視聴率を取れるかどうかではなく、CMが売上につながるかどうかではなく、抗議の数で決める流れを疑問に感じます。同じく、本質を見誤った例ってのが多いと感じる今日この頃。次はそんなネタで。
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