2008年01月13日
「占い」をどこまで許せるか?
え〜っと・・・先ほど「長野曲げ」の再録をしましたが、それでもまだ納得がいかない。スプーンが弱すぎたか?しかし既にカメラ不調でNGの連発、無駄にしたスプーンがあまりに多すぎ取り直す気力もありません。マイミクの一部の方にのみ公開を予定していますので、もう少しお待ちください。
さて、そんなこんなで動画にかまけていましたが、YouTubeにスプーン曲げをアップしてる人が結構いるって話を聞き、早速見てみましたが、それに比べれば及第点かな?と自画自賛。でもどうせアップしたらしたで他人の評価が気になってビクビクしてるんだろうねぇ。
さて話は変わって「占い」について。
まず占いの定義としてgoo辞書で調べてみると「(1)吉凶などをうらなうこと。卜占(ぼくせん)。(2)占いを職業とする人。占い師。」って感じの説明になっていない文章。だいいち、「占い」の説明で「・・・をうらなうこと」って国語辞書としてどうなの?
まぁ、私なりの説明で行くと「未来の出来事を何らかの根拠に基づき言い表す」事で、この根拠が科学的なことであれば「予測」であり、超常的なものになると「予知」になるかもしれません。そしてその中間を曖昧な形で漂うのが「占い」ではないか?と。
さてこの占い、私の立場をご存知の方なら否定的に扱っている事は容易に想像できるでしょうが、それでも「セラピスト的役割」ではある程度、肯定しています。ただ、このセラピスト的ってのが一番性質が悪いことも確か。そこには強烈な「依存」への発展の恐れがあり、同時に「依存された側」がそれを察知した時、財産的・精神的・時間的なものを搾取される危険性があります。
と、ここで話をリセットするような事を言ってしまいますが、極論すればこの「搾取」が一番気をつけなければならない点だとすると、「占い」は一つの(依存の)タイプでしかないことが分かります。そしてその切り分けが出来れば「占い」に関する不毛な議論もずいぶんと簡略化できるのではないか?と思っています。(同時に他の諸問題も「搾取」につながる「依存」を生み出しているかどうかを考えれば、かなり本質が直接見えてくるんじゃないかと)
まぁ、以前に交際する前段階(?)の女性から「貴方との出会いを占い師に言われてて・・・」と言われた時には「あぁ・・・コイツ、オレをどういう目で見てるの?そんな後押しでオレと話してるの?」って気になって引いた思い出があったもんで、ネタ切れのタイミングで取り上げました(笑)。
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