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2014年04月06日
エセ懐疑論者の語る「呪い」の話(おわり)
 「呪い」の話の最終回。

 今回、ここで取り上げる「呪い」は「誰かの怨念に起因するに限定して話をします。

 まず、呪いが実際にあるかどうかをしっかりと検証するなら、恨みの深さや厄災の量を客観的に評価できる形にする(可視化や数値化など)必要がありますが、説明するまでもなくこれは不可能。ただ、性質の悪いビリーバーっぽい言い回しになりますが、存在するかどうかを客観的に評価する手段がないからと言って、それが即、その存在を否定するものにはなりません。(もちろん、あると言う根拠にもなりません(笑))

 そうなると、何となくあるんじゃないかなと思う人と、頑なに否定する人の平行線になることは目に見えていますが、私の見解としては「呪い」と言うモノはそのはざまに存在するようなものじゃないか?と、何とも歯切れの悪い結論に落ち着いています。

 キレイごとになりますが因果応報が現実のものとなった時、それは恨む側が「人を怨む心の呪縛」から解き放たれるきっかけとすべきでしょうし、恨まれる側は自身の反省の機会とすべきですが…恨む側の怨念はなかなか枯れるものではありませんし、恨まれる側も反省するような人間って少ないでしょう(笑)。

 事実、前回までの話で言うところの前者であるA、後者であるBはそれぞれの生き方を変えていませんし。


 もう一度冷静に呪いを考えてみますと、やっぱり「バイアス」とか「ジーン・ディクスン効果」なんかが多分に影響していて、ことさらその様に見える、つまり呪いによる不幸(「罰が当たった」の方がより分かりやすい?)と見えてしまう事なのでしょう。

 さらにもう一つ。恨まれるような人間の人間性から不幸を招き入れるって可能性もあるのでは?

 例えば人からの手助けが期待できないとか、程度の低い人間としか付き合えない、人からも裏切られる。何か不幸があっても同情されず…と、結局は寂しい人生を送るって事かも。


 まぁ、他人を怨み続ける人間(同じく、前回までの話のA)も人間的に落ちて行ってるから大差ないけど。その点で「人を呪わば穴二つ」って言葉も頷ける(笑)。


 個人的な結論として、呪いって存在することも否定することもできない。肯定するも否定するも、どちらももっともらしい材料を並び立てるだけで結論を出せない。ただ、個人感情として…痛快なものであれば肯定したい…って事なぁ?

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