2019年03月10日
長男の卒業〜その1
まもなく長男の中学校の卒業式です。
先日、高校受験が終わり、結果を待たずしての卒業です。
あまりレベルの高い高校ではありませんが、希望の高校を受験しました。
このブログをはじめた頃は、普通に高校受験が出来るとは思えなかったので、感慨深い思いです。
そうです、はじめた頃の話題の一つは「長男の不登校」でした。
あれから、月日は流れとうとう卒業です。
最近はそんな長男の話題が少し減っていましたね。
長男の不登校と、私の離婚は密接に関係しています。
結局のところ、元旦那から受けていた言葉の暴力によって、長男が不登校になり、私の離婚への決断に至ったのですから。
ある意味、私の決断が遅かったから、長男が不登校になったとも言えるのです。
元旦那はその数年前から、
「家族をもったことで、お金も時間も自由にならなくなった」と不満をぶつけていました。
私はいつものように、
「私が我慢をすればなんとかなる」と思っていました。
それ以来、私がしていた金銭管理を旦那に預け、それで満足してくれるものと高を括っていたのです。
子供たちが自立する年齢まで、私が我慢してこの家族を維持できれば、後は別れることを想定しての諦めの気持ちを含めた行動でした。
でも、金銭的に自由になった元旦那が思い描いているようには運ばなかったのです。
元々賭け事が好きな人。
その頃、大金を使っての投資に実父(私からは義父)と一緒にめり込んでいました。
そのためにお金を自由にしたかったようでした。
自分にはその才能があると思っていたみたいですが・・・
何百万損したのか、全貌はわかりません。
私の知る範囲は五百万ぐらいまで・・・
そんな損をした責任は、私や子供にあると言い出しました。
「家族なのに自分のやっていることに協力しないからだ」ということでした。
協力もなにもありませんでした。
実父と共に好き勝手にやっていたのですから。
そのうちに、損したんだから生活を切り詰めろと言い出しました。
もう切り詰めようもないのに。
と言うのも、子供と私の三人は日常を普通に送ることしか許されていませんでした。
連休だからと言って遊びに行くわけではなく、旅行にいくわけではなく、車もつかえず、ただいつもと同じ日を送るだけなのでしたから。
例え、私たちが遊びに出かけたとしても、元旦那が投資で失敗したお金の何十分の一しか使わないはずなのです。
とにかく、何もかもの責任を人に押し付けたい人でした。
その頃、子供たちに金銭的なことでの負い目を感じてほしくなくて、私はパートに出始めました。
友達の家族の楽し気な行楽の話を聞いては、羨ましがっている子供たちでしたから、少しでも満足をさせてあげたかったから、自由になるお金が欲しかったのです。
だからと言って、家事を分担してくれるわけではありませんから、まだまだ手がかかる小学生二人の世話と、自分では何もしない元旦那の世話でヘトヘトの毎日。
自然と元旦那との会話は減りました。
時間があれば子供たちとの会話の方を優先していたからです。
当然、元旦那にしたら自分にかけてくれる時間が減ったことを不満に思っていたようです。
依存心の強い人でしたから、私の状況なんて気にもせず、ただ自分に対して時間を使ってくれないことが不満だったのでしょう。
だったら、少しでも家事を手伝ってくれたり、いたわりの行動をしてくれたらいいものを・・・
パートナーに尽くすという気持ちの無い人でした。
「自分が尽くしてもらう」ということにしか考えがいかないのでした。
そんな中、いろんな不満をぶつける先が長男に向かっていたようでした。
私がいない時間、関わっていない二人だけの時間で、その暴言は続いていました。
ある日突然、長男は無気力になりました。
その兆候はあったのだと思います。
日々を送るのに精いっぱいで気づけなかったというのは、私の言い訳です。
無気力になり、ほぼ布団の中で過ごす生活。
何を思っているのかもわからないまま、半年が過ぎ・・・
理由がわからないままの不登校。
学校への対応や、自分へ目を向けてほしい欲求が強まる元旦那への苛立ち、仕事へ行けば笑顔でお客様に対応しなきゃならないことへのストレス、もう私自身も壊れそうでした。
そんな中、とうとう目撃してしまったのです。
嬉しそうに長男に対して暴言を吐いてからかう元旦那の姿を・・・
これだったのか!と合点がいった瞬間でした。
原因はこれだったのだと確信しました。
誰が見ても親としてあるまじき言動でした。
子供の気持ちがやられるもの当然の言動でした。
そこから、一気に私の心は決まりました。
もう家族として一緒にいる意味はないと。
この決断を5年前にしていれば、こうはならなかったと後悔しました。
私さえ我慢すれば・・・なんて私の気弱な考えでしかなかったのです。
小6の途中から始まった長男の不登校。
別居することで中1からは立ち直れるものと期待していましたが、その後さらに1年近く続くことになります。
でも、私にはこの別居から今至る間の後悔はありません。
結果、中1の大半を不登校で過ごしてしまいましたが、このタイミングで別居しなければ今の長男はどうなっていたのか想像ができるからです。
続きます。
先日、高校受験が終わり、結果を待たずしての卒業です。
あまりレベルの高い高校ではありませんが、希望の高校を受験しました。
このブログをはじめた頃は、普通に高校受験が出来るとは思えなかったので、感慨深い思いです。
そうです、はじめた頃の話題の一つは「長男の不登校」でした。
あれから、月日は流れとうとう卒業です。
最近はそんな長男の話題が少し減っていましたね。
長男の不登校と、私の離婚は密接に関係しています。
結局のところ、元旦那から受けていた言葉の暴力によって、長男が不登校になり、私の離婚への決断に至ったのですから。
ある意味、私の決断が遅かったから、長男が不登校になったとも言えるのです。
元旦那はその数年前から、
「家族をもったことで、お金も時間も自由にならなくなった」と不満をぶつけていました。
私はいつものように、
「私が我慢をすればなんとかなる」と思っていました。
それ以来、私がしていた金銭管理を旦那に預け、それで満足してくれるものと高を括っていたのです。
子供たちが自立する年齢まで、私が我慢してこの家族を維持できれば、後は別れることを想定しての諦めの気持ちを含めた行動でした。
でも、金銭的に自由になった元旦那が思い描いているようには運ばなかったのです。
元々賭け事が好きな人。
その頃、大金を使っての投資に実父(私からは義父)と一緒にめり込んでいました。
そのためにお金を自由にしたかったようでした。
自分にはその才能があると思っていたみたいですが・・・
何百万損したのか、全貌はわかりません。
私の知る範囲は五百万ぐらいまで・・・
そんな損をした責任は、私や子供にあると言い出しました。
「家族なのに自分のやっていることに協力しないからだ」ということでした。
協力もなにもありませんでした。
実父と共に好き勝手にやっていたのですから。
そのうちに、損したんだから生活を切り詰めろと言い出しました。
もう切り詰めようもないのに。
と言うのも、子供と私の三人は日常を普通に送ることしか許されていませんでした。
連休だからと言って遊びに行くわけではなく、旅行にいくわけではなく、車もつかえず、ただいつもと同じ日を送るだけなのでしたから。
例え、私たちが遊びに出かけたとしても、元旦那が投資で失敗したお金の何十分の一しか使わないはずなのです。
とにかく、何もかもの責任を人に押し付けたい人でした。
その頃、子供たちに金銭的なことでの負い目を感じてほしくなくて、私はパートに出始めました。
友達の家族の楽し気な行楽の話を聞いては、羨ましがっている子供たちでしたから、少しでも満足をさせてあげたかったから、自由になるお金が欲しかったのです。
だからと言って、家事を分担してくれるわけではありませんから、まだまだ手がかかる小学生二人の世話と、自分では何もしない元旦那の世話でヘトヘトの毎日。
自然と元旦那との会話は減りました。
時間があれば子供たちとの会話の方を優先していたからです。
当然、元旦那にしたら自分にかけてくれる時間が減ったことを不満に思っていたようです。
依存心の強い人でしたから、私の状況なんて気にもせず、ただ自分に対して時間を使ってくれないことが不満だったのでしょう。
だったら、少しでも家事を手伝ってくれたり、いたわりの行動をしてくれたらいいものを・・・
パートナーに尽くすという気持ちの無い人でした。
「自分が尽くしてもらう」ということにしか考えがいかないのでした。
そんな中、いろんな不満をぶつける先が長男に向かっていたようでした。
私がいない時間、関わっていない二人だけの時間で、その暴言は続いていました。
ある日突然、長男は無気力になりました。
その兆候はあったのだと思います。
日々を送るのに精いっぱいで気づけなかったというのは、私の言い訳です。
無気力になり、ほぼ布団の中で過ごす生活。
何を思っているのかもわからないまま、半年が過ぎ・・・
理由がわからないままの不登校。
学校への対応や、自分へ目を向けてほしい欲求が強まる元旦那への苛立ち、仕事へ行けば笑顔でお客様に対応しなきゃならないことへのストレス、もう私自身も壊れそうでした。
そんな中、とうとう目撃してしまったのです。
嬉しそうに長男に対して暴言を吐いてからかう元旦那の姿を・・・
これだったのか!と合点がいった瞬間でした。
原因はこれだったのだと確信しました。
誰が見ても親としてあるまじき言動でした。
子供の気持ちがやられるもの当然の言動でした。
そこから、一気に私の心は決まりました。
もう家族として一緒にいる意味はないと。
この決断を5年前にしていれば、こうはならなかったと後悔しました。
私さえ我慢すれば・・・なんて私の気弱な考えでしかなかったのです。
小6の途中から始まった長男の不登校。
別居することで中1からは立ち直れるものと期待していましたが、その後さらに1年近く続くことになります。
でも、私にはこの別居から今至る間の後悔はありません。
結果、中1の大半を不登校で過ごしてしまいましたが、このタイミングで別居しなければ今の長男はどうなっていたのか想像ができるからです。
続きます。
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ご無沙汰してしまいました。
こちらは雪解けが遅く、日によってはやっと出てきたアスファルトを覆うぐらいの雪が降る日があるんです。
それでも、日差しが春らしく感じる日も多くなってきました。
そんな日は、少しは気持ちも前向きになりますね。
私はただ今更年期症状の真っ只中。
のぼせ、ほてりなどの症状はないのですが、指の関節が痛くて仕方がありません。
これも更年期の症状なんですよ。
仕事柄重いものを持ったりが多いので、関節の症状ばかりがでるんでしょうね。
お互いに労わりながらがんばりましょうね。
今朝は雪が積もっていて焦って7時に家を出ました
雪は嫌ですね〜
すぐとけるでしょうけどね
あ〜
昨日は1日だけの休みでしたがアッと言う間に終わってしまいました
また今日も仕事だ〜
仕事したくない病にかかっています
今日も8時までコースだなぁ
重い荷物を運ぶのがハードで右手の痛みが応えます
この歳になると故障箇所が沢山出てやだわ
nanashikoさんは大丈夫ですか?
御祝いコメント、ありがとうございます。
私としては、日々起こる出来事をなんとかこなしているうちに卒業まで来てしまった感じです。
長男にしてみれば、ちゃんと通いだしてみると、あっという間に終わった中学生活だったらしく、充実した毎日だったようですよ。
通えなかった期間が悔やまれると言っていますから、高校生活はもっと充実したものにするつもりだと思います。
なにやら深く考えている様子、ほんとにぼんやりとしているようで結構考えているみたいです。
子供って知らないうちにしっかりしてくるもんなんですね。
私より考えているかもしれません、実に頼もしいですね。
ご長男さんご卒業おめでとうございます
あっという間に高校生ですか
早いものですね
気づけばうちの子も3年生になります
生活に必死で実感するのが遅い感じです
なんとか単位も落とさず先ずは一安心
しかしながらあと2年
まだまだ気は抜けませんが…
うちの子は私と違うので少し安心かな?
ぽやんとしてるけど結構考えているみたいです
1日1日をやっとやっとの私なんかよりたくましいかな?
今日も仕事行ってきます