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2019年08月11日

教師という職業

夕方学校に寄ると、今年卒業した教え子が来ていた。
大学受験を控えた高3の勉強の面倒を見てくれるらしい。

見れば、在学中の優秀生徒。まさに学校の頭脳とも言える面々だ。

彼らは私の姿に気がつくと、すぐさま近寄ってきた。

夏休み中だからと、交通費をかけてわざわざ学校に来て、何日間か高3のサポートをするらしい。

卒業すると皆立派になっていくように見える。

在学中は、中1から見ていることもあり、なんとなく子供っぽさが目についたが、卒業し、しばらく離れていると、一層逞しく見えてくるものだ。

こうした奉仕の精神で、実際に行動してくれるのは本当にありがたいし、また立派なことだと思う。

大抵の卒業生は私の姿を見ると、
「丹澤先生、変わらないですね…。」
と言う。

「歳を取らず、いつまでも元気な姿で駆け回っている」、と取るべきなのだろうが、私自身としては、「進歩がない」、と見られても仕方がない。

『常に新しいことにチャレンジし、進化し続ける』
ということを求められる時代であればこそ、私たち教員も、常に向上を目指し、学び実践し続けなければならないのだろう。

卒業生だって、歳を取り、衰え老けた恩師の姿など見たくはないに違いない。

そうは言っても、時の流れには逆らえない。
未来への希望は若者にある。

私たちのような中高年の屍を乗り越えて、新たなる未来へ歩んでゆくべき人間である。

教師という職業は、何とも都合の良い解釈をするもので、彼らが活躍すればするほど、何だか自分が活躍したような錯覚に陥り、育てた親のような慈愛の気持ちで、彼らを見ることができる上に、ちょっとだけ誇らしく思えたりする。

今日来てくれた彼らは、この先もっともっと活躍するだろう。
もしかしたら、人類史上初というような発見や、貢献をするかも知れない。

そう考えると、何だがにんまりする…。








2019年08月10日

荒れ放題の畑

ちょっと手入れをしないうちに、畑は荒れ放題になってしまった。
ほったらかしのトマトやキュウリがぐちゃぐちゃになるわ、サツマイモがどんどん地面を覆って、ネギがかくれてしまうわ、もちろんカボチャだって、全体の半分を覆っている。
しそは、背丈に近づくほどになり、ほかに植えたものは、見る影もない…。
やっぱり、毎日手入れをしないと大変なことになるのだなぁ、と反省しきり。

以前植えた枯れた土とは違い、自宅の畑は土が良いのか、ものすごい成長を見せる。
「こんなにも違うのか」、と改めて関心。

「でかいカボチャができななぁ」、と地面に接した部分に敷物を入れ、日に当たるようにひっくり返しておいたら、いつの間にかその部分が腐ってしまった。
「他の部分は食べれるかしらん」、と切り分けてはあるが、果たして味はどうだろう。

「朝は、蚊やブヨだらけだし、日中は暑くて動けないし…。そうしたものかなぁ。」
と、途方にくれている状態。

もっと広い範囲に、余裕をもって植えなければいけないらしい。

収穫は終わったが、唯一枝豆は美味だった。
今年も、放ったらかしで、摘心していないので、実は少なかったが、これはおいしかった。

大根は腐ってきたので、慌てて抜いたが、まずまずの味。

うーん。野菜を育てるのは難しい。
もう一度仕切り直しだな。

さて、どこから手をつけようか…。

少し動くと汗だくになる。
だから、一日何度もシャワーを浴びて、新しいシャツに着替える。
あっという間に洗濯物でいっぱいになる。

「昔はこんな汗かいたっけ」、と思いながら、これも加齢かしらん、と諦めの境地。

採れた野菜は、たいてい家庭科の先生でもある学年主任様に毒味をしてもらうのだが、だいたいは、「おいしい」、と言っていただけているので、本当は大しておいしくないはずなのだが、懲りずに貢ぎ続けている。

いろいろやるべきことがあることが、幸せであるわけだ。
そういえば、学校で忙しくしているときも、その思いはあったな…。









2019年08月09日

研修の一日

学年団で研修を受けた。
学年として研修を受けるのは、私も初めてのことだったが、なかなか学びの多い、面白い研修になった。

ただ、朝から夕まで缶詰になったのはつらかった。
冷房の風が直接あたり、午前中で参った。
午後は、羽織を借りて着ていたくらいだ。

研修で学んだことだが、『単なる清貧の思想』は共産主義につながるのだという。
「儲けた人からばらまけばいい」、という考えは間違っている。
中国などを見て分かるとおり、結局は一部の特権階級が多くの利益を得て、資本主義国よりも貧富の差が広がっている。

一方、『勤勉に働いて、正当に成功すること』が大切だという。
さらには、その仕事が『本当に価値あるものであるか』の確認も必要だと教えられた。
『時間こそ最高の資源』と考え、『積小為大』の考えが良いと言う。

これを教員の仕事に当てはめると、要は『地道に働け』ということだ。チャンスを待つだけの成功や、浪費ばかりの生活では、富が訪れることはないという。

「一定の給与だから、それ以上の収入は望めない」、と考えることが自己限定だ。

午後の研修では、「心を見つめる」ことを学んだ。

「自分中心の思いや行いではなく、『他の人のための人生を生きる』ことが日常でありたい」、というものだ。

教員は、奉仕の精神にあふれている人が多いとは思うが、「その言動は本当に生徒のためか」、などとチェックをしてみると、実は「自分の都合」であったり、「そうならないと自分が困るから」、「自分のため」であることは多い。

生徒たちに寄り添い、彼らの心を成長させる中に、自分自身の心を磨いてゆくのがよいのだろう。

夕方からは、学年団で二学期の生徒指導についてブレスト。
一つの方向に思いを向けると、いろいろなアイデアが湧いてくる。

私が学年主任だったときは、思いも寄らなかった企画だけに、まさに脱帽であった。

その辺の教員研修とは比較にならないほどの学びを得た充実した一日となった。








2019年08月08日

変わらぬ日常

久しぶりに雷雨となった。
梅雨明け以来、雨らしい雨が降っていないので、畑もカラカラ…。
日中の気温も、35℃にも及ぶ。

ここ数日、昼すぎに雷鳴が聞こえたのだが、雨が降るには到らなかったので、「そろそろ雨が欲しい…」、と思っていたところの待望の雨。

さっと涼しくなった。

夕方の愛犬の散歩時にも、汗だくにならずに済んだ。

ただ、川の水が濁っていなかったので、上流では雨は降らなかったのだろう。
日没後のように暗くなったが、ほんの局所的な雷雨だったようだ。

今日は母が東京に帰って行く日。
愛犬を家に入れたら、我が物顔で闊歩している。

気に入ったソファーを見つけると、そこに陣取り、居眠りを始めた。
そこは、私のベットのちょうど頭上にある。
「なんだそばにいたいのか…。」
と、声を掛けるも、何も反応はしない。

先日の逃走事件依頼、犬舎のご主人が言うように、確かに私によく懐くようになった。

夕方、久しぶりに学校に行く。

明日の研修で必要な書類を忘れてきたからである。

数多くの高3が勉強していた。
私の姿に気づいた気づかないのか、よくは分からない。

ただ、私が二日間、学校にいなくても、通常通りに日常は回っていく。
果たして、二日私がいなかったことを知っている生徒は、どれだけいるのだろうか…。

よく、定年退職は寂しいと言う。

その人が退職していなくなっても、少し経てば、同じように会社は回っていくからだ。

「本当に自分が世の中に役に立っているのだろうか。」
と、自問自答したくなる気持ちも分かる。

「どうだ、勉強、楽しいか?」
と、高3に声を掛けてみたが、笑って誤魔化された。

「楽しい…。」
と、自信を持って言えるほどの心境には、まだ達していないらしい。

毎日の受験勉強を、同じ高3の仲間たちとの集団の力で、何とか回しているようにも見える。
「一人じゃ、なかなか勉強できないのだろうかな…」、と思う。

仕事だって、組織があるから何とか回っていくのだろう。
自分一人で、こなしてゆくには、かなりのエネルギーが必要なのだろう。

ここ二日間の休日でそのこともとてもよく分かった。

私自身、「自分で仕事を進めることは、果たしてできるのだろうか」、も問われた感じがする。

学校の外では、何人もの先生が、走ったり、自転車をこいだりと、トレーニングにいそしんでいた。

夕日が赤く染まった。
何人の人たちが、この夕日を見て、心を癒やされているだろうか…。

ふと、そんなことを考えた。

2019年08月07日

味噌汁の味

休みと言っても、出掛けるのは午前中で、午後はのんびり過ごしてる。
寝転がりながら、甲子園の野球を見て過ごしているのだ。

もはや、ショーになっている甲子園での野球だが、そうだと思いながらも、見入ってしまう…。
ここまで来るまでの彼等のドラマもあるだろう。
一生懸命さもあるだろう。
陰で支え続けた仲間の存在も、親たちの努力と汗と涙を感じるのかも知れない。

以前の私は、甲子園の野球は痛々しくて見ていられなかった。
一度崩れ出すと、坂道を転げ落ちるように落ちてしまう彼等のプレーに、耐えられなかったのだ。

だが、今はあえて、その姿を見るようにしている。

私も野球を教えている身として、そうしたときこそ、よく見ておくべきだと、考えを改めたからだ。

野球をやっていなければ分からないであろう、その苦労を、私は知っている。
そのことは、甲子園を見ている多くの人は知らないかも知れないけれども、私は、せめて私自身の思いを彼等に手向けたいと思っているのだ。

アルプススタンドで応援している生徒たちの姿もテレビで流れているが、その中にだって様々なドラマがある。

良いも悪いも乗り越えた中で、甲子園での試合がある。

そう考えながらも、うとうとして、記憶がなくなってしまうのだから、あまり説得力はない。

母が来て、一番ありがたいことは、毎食、味噌汁を作ってくれることだ。

実家の味噌とは違うが、おかずがなくとも、味噌汁は欠かさない。

その味は、もう何十年も慣れ親しんだ味だ。

甲子園の球児たちだって、それぞれの家庭の味噌汁の味は懐かしかろう。

合宿生活を送って、大会中はホテル住まいだ。

だが、大会が終われば、味噌汁の味にありつけるかも知れない。

負けないチーム他ただ一つだが、味噌汁の味は、家庭の数だけある。

人と人とをつなぐ絆が、ここにもあった…。

2019年08月06日

日常からの脱出

いつものように起きて愛犬の散歩。
いつもと違うのは、そのあと部活がないこと。
そして、今日は東京から母が出てくること。

隠れ家を手に入れてから、泊まりでやってくるのはこれが初めてだ。

母に地元を案内するのではあるが、生徒と関わることなく今日、明日を過ごすのは、これまでにはなかったことだ。

私の教員人生では、必ずどこかに生徒がいた。
それが、当然であり、必要不可欠なことであると思っていた。

だが、近年、「それではいけない。時に、生徒たちと離れることも必要だ」、と感じたのだ。
他の先生方にとっては当たり前のことが、私には当たり前のことではなかったのだ。

もちろん、母が来なければ、こういう機会もないのだろう。
以前なら、なんとなく寂しく感じていたのが、この頃は違う。
「こういう時間の過ごし方も、大切なことなんだろうな」、と考えるようになったのだ。

『我武者羅』だったのだろう。
人に評価されようとは思わなかったが、あまりに人から非難されるのは嫌だった。
それが評価と言えば、評価なのかも知れないが、褒められて育った記憶のない私には、激しい非難はかなりのダメージを受ける。

確固たる自分のスタイルが確立していたのだろう。

なりたくて教員になった。

小学生の頃からなろうと思っていた職業だった。

大学生のときは、ひたすら授業のシミュレーションをした。

教員になってからは、毎日生徒たちへの話の材料を集め続けた。

一生懸命になって、親を越えようとしてしまったこともある。

そうした人生を送ってきたのが私である。

『自らを愛することができるか』
と、問われれば、否と答える。

それではいけないことは分かっているが、自分自身に対して素直にはなれないことも事実だ。

母と少し山歩きをした。

「雄大な自然ね…。」
という母の言葉に、
「人間は、一年に何回か、こういう所で美味しい空気を吸い、景色を見て、英気を養わなければいけないんだ。」
と、私。

机に向かってばかりで仕事をした気になってはいけない。

時に自然の中に身を投じて見ると、また違った見方ができるはずだ。

毎日の繰り返しの中に、油断と隙があると思う。


2019年08月05日

逞しさ

ほんの少しかも知れないが、彼等は逞しくなった。

少し早いが、今日で夏休み前半の野球部の練習は終わり。
この先、まだ剣道部の活動が残っているが、それ以外の部活動はこの辺りで終了。

まだ夏休みに入って一週間だが、毎年この辺りでお盆休みを取る。

今年は四年ぶりの単独チームになって、まずまずの練習ができた。
ギリギリの人数だが、とりあえず野球はできている…。

贅沢を言えば切りがないが、以前のように数人の部員を、合同チームの学校へ連れて行き、練習させてもらっている状況とは劇的に違う。

自分たちのチームという意識が芽生え、以前とは違って必死で練習しているのだ。
当然、私も気合いが入る…。

当然、チームワークも高まってくる。
だらだら一日中練習することもやめ、今は短めの時間で、さっと集中が切れないうちにやめる。

彼等は、もっとやりたそうだが、もしかしたら、「もっとやりたい!」、と思う辺りで止めてしまう方が、モチベーションが上がるようだ。

彼等は、私の知らないところで、自主練習をしている。

もちろん、基本的な動作は厳しく躾ける。
バックのチャックが閉まっていなかったら、中身をぶちまけ、ダッシュが追加されるし、グランドで歩いていると雷が落ちる…。

それでも、彼等は生き生きとしていて、以前とは違う逞しさが見えるようになってきた。

「自分では気づかないかも知れないけど、みんな上手くなってきてるよ…。」
私は珍しく一人ひとりを讃えた。

技術的に優れた選手がいるわけではない。
どちらかと言えば、素人集団だ。

だが、そうした彼等をうまく育てて、強豪チームを倒したら面白いじゃないか。

逞しくなっているのは、もしかしたら、私自身かも知れない…。

休み中、どれだけ身体を動かしておいてくれるかな…。








2019年08月04日

日焼け対策

「どうしたの? そんなに赤くなって…」
お世話になっている学年主任に声を掛けられた。

ちょうど赤いTシャツを着ていたらからかと思ったら、違った
自分でも気づかないうちに、昨日の球審で、腕や顔が日焼けをしていたらしい。

久しぶりの球審で、「きちんとジャッジしなくては…」、という思いで、熱さやら日焼けやらは意識が薄れていたようだ。

『日焼けをしていて健康的』と言われた時代から変わり、今は、『嫌気は皮膚がんのもと』などと宣伝される時代になった。

先日の総体でも、同僚が、
「やべっ。日焼け止め忘れちゃった。○○先生貸して!」
と、声を掛けていたのを思い出す。
「皮膚がん、怖いよね…。」
とも、言っていた。

癌は多くの日本人の死因にはなっているが、精神的な部分の影響も大きいと言う。
「小さながんが、心の持ち方を変えたら、消滅してしまった」、なんていうことは日常茶飯事だし、末期癌であっても、治ってしまったり、それ以上進行しなくなってしまうことだってある。

宗教では、排他的な思いや攻撃的な思いが不調和を起こし、細胞に変異を起こして、がん細胞を作ると言う。
全身の細胞は一年で全部入れ替わるというから、変異を起こした細胞がすべて入れ替わってしまえば、がん細胞も消えてしまうという訳。

心の持ち方とは、ポジティブな思い。
人のせいにしたり、破壊願望ではなく、他の人のために自分が奉仕しようという善なる考えのことだ。
だからか、宗教的に他の人のために生きるスタイルに変わった人の病気が治ったりする。

今日の野球練習で私は帽子を忘れてしまった。
そう言えば、一昨日坊主にかっとしたばかり…。
「まずい。頭皮が焼けるとあとで面倒だったんだ…。」
と、タオルをかぶる…。まさに変なオジサンになってしまった。

明日で、夏休み前半の練習は終了。次は16日からだから、長い練習休みになる。
昨日の試合を受けて、今日はいい練習になった。

日焼けも少しは気にしながら、明日もいい練習にしたいものだ。










2019年08月03日

脱走 〜その後〜

やや標高が高いとは言え、とても野球をするような気候ではないが、準公式戦を行う。

私は久しぶりの球審。
最初、ストライクゾーンの感覚が掴めず、迷惑を掛けたが、直に安定したと思う。
複雑なプレーがなくてよかった…。

私の学校の試合は、第2試合と第3試合。
第2試合は、ぼろ負け。
全然アウトが取れなかった。

第3試合は昼食後。
この時期雷も多く、天気が怪しいので、12時過ぎに始めたが、非常に暑い。

初回にこのチーム初得点を得たが、最初の試合から投げているキャプテンでもあるピッチャーが、突然乱れ、ファーボールにおる押し出しで3点を与えてしまった。

その後、守備を変更し、キャッチャーにしたが、その次の打撃で、外野オーバーを打つも、途中でスタミナがなくなり、ホームでタッチアウト。

再び守備につくも、熱中症でこれ以上プレーができなくなった。

私のチームは9人。
変わりの選手がいなければ、没収試合。
初得点も幻の得点になりそうだ。

ちょうど応援に駆けつけてくれた職員がいたが、試合応援というよりも、彼の介護と通院目的に変わってしまった。

試合が終わると、気になるのは愛犬P太のこと。

隠れ家に教え子を迎えに行くと、犬舎のご主人から、私が受けた電話と同じことを言われたらしく、
「リードがついているから、どこかに絡まって、戻れないのかも知れない。」
と言う。

先ほどの電話でも、
「あとは、運を天に任せるしかない…。」
などという、恐ろしいことを言われた。

私は心底落胆した。

「今日も、隠れ家に泊まってP太の帰りを待とう」と決意した。
ふと、もう一度散歩道を探してみたくなり、ユニフォームから普段着に着替え、再度出掛けてみた。

どこかの草むらに入って、抜け出せないのかも知れない。
リードが枝や蔓に引っかかると、犬はぐるぐる回るので、ますます状況が悪くなり、自力では抜け出せなくなる。もしかしたら、いつも入ってい行く草むらで動けなくなっているのかも知れないと思ったのだ。

散歩道に入って程なく、リードを見つけた。
ゆっくりたどってみると、P太が動けなくなっていた。

一晩、正確には二十時間以上、草むらの中で動けず、苦しい思いをしていたのだ。

私は、太い茎や蔓が絡んだ草むらに少しずつ分け入り、何分も掛けて、リードをほどいて、P太を救出した。

足にもぐるぐるとリードが巻き付いていたので、本当に困ったに違いない。
P太の足下には、苦し紛れに土を掘ったあとがあった。

私は涙が出るほど嬉しかった。

この暑さの中、直射日光こそは当たらないが、苦しかっただろう。
私は十分に水を飲ませ、帰宅した。

そして早速、犬舎のご主人に電話をした。

本当に喜んでくださっていた。
「私も泣きそうになりながら、バイクをはしらせていた」、とご主人。

発見した散歩道は、三回も探したとも…。

とにかく良かった。
昨日から悪いことばかりが続いていたが、世の中、悪いこともどこかで止まり、良いことも訪れる。

半ば熱中症になりかけた私は、それでも元気が湧いてきた。

「丹澤さんに助けられたということで、これで、P太との絆が一層深まりますよ。」
と、ご主人に励まされた。

思えば、P太は、脱走と言うより、もっと散歩道で遊びたかったのだろう。

今夜は、愛犬と共に、ゆっくり休めそうだ。








2019年08月02日

脱走

愛犬P太が脱走した。
これで二度目。最初は、我が家に来て数日後。野球部が練習しているグランドに連れて行ったら、突然パニックなり、リード毎逃走した。
幸い、近くの家の車のタイヤにリードの持ち手が引っかかり、追いかけた中一に捕獲された。
パニック逃走はなかなか厳しい。

そして、今日。
散歩から戻り、今日は川に全身浸かっていないので、全身ずぶ濡れではないから、ブラッシングをしようと、ブラシを取ろうとした一瞬の隙に、一度私の顔を見た後、掛けだして、行ってしまった。

追いかけても姿が見えず、どちらの方向に行ったのかも分からなかった。
焦った。

私は早速、いつもの散歩コースを歩きながら、愛犬の名を呼んだが、一向に姿が見えない。
以前歩いたこともある散歩コースも探してみたが、やはり見つからない…。

次第に辺りが暗くなってきたので、自動車で少し走ってみたが、P太の姿は見えなかった。

とにかく犬舎のご主人に知らせようと、一方をメールで入れる。

結局、一晩中、隠れ家でP太の帰りを待ったのだが、朝4時過ぎに明るくなっても戻らず、だが、日中戻ってくるかも知れないので、教え子に隠れ家で待機してもらうことにした。

朝になって戻らないので、再び犬舎にメールを入れたら、ご主人がわざわざ探しに来てくださった。
近隣や、散歩コースをくまなく探し、近隣の集落に一つひとつ声を掛け、バイクで何時間も探してくださった。本当に犬に対して愛深い方である。

私は、今日は公式戦で生徒引率。
この日のために、夏休みの練習をしてきたようなもので、私が引率しなければ、試合にも出られず、朝からは愛犬捜索はできなかったのだ。

悪いことは、しばしば重なるものである。

散歩の前、畑のブルーベリーを収穫していたら、指にチクっとした痛みがあった。
「棘かな…。」
などと、余裕で、再び収穫していたら、今度は腕をチクり。

よく見ると、ブルーベリーに小さなアシナガバチの巣があった。
彼等は、巣を護るために私を刺したのだ。

痛みは程なく引いて、あとも残っていないが、いろいろ調べてみると、何度も蜂に刺されることは、危険らしい…。ちょっと焦った。

そんな中の逃走劇。

携帯に着信があったので、かけ直してみると、副顧問の先生。
「すいません、明日は高3の仕事で行けなくなりました。」
と言う。

「信じられない」、と思ったが、私は「分かりました」、と切った。
「もう二度と頼まない…」、と決意した。

夕食も食べる気持ちがなくなった。
取り立ての枝豆やトマトが寂しく台所に置かれているのを見るだけだ。

生徒を乗せた車は、山麓の学校に走る。
途中、P太が自動車にひかれた姿は見つけずに済んだ。

試合では、当然のごとく私が球審。
自分の試合の前に、ヘロヘロになった。

そんなとき、犬舎のご主人から電話が入る。

「見つからなかったよ…。」
と悲しそうな声。

「たった二ヶ月しか、P太と生活できなかったのは嫌だ。」
と、私は泣きそうになった。

(つづく)








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