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2020年02月25日
令和ゆかりの地訪問と太宰府天満宮境内の碑と枝垂れ梅
先日の日曜日法事で福岡の実家に帰り、その翌日月曜日は令和になってぜひ一度行ってみたいと思っていた
令和ゆかりの地に行ってきた。
まずは令和に関しての簡単なおさらい。
・昨年2019年4月1日に新元号が令和となることが発表され、5月1日から令和の新時代がスタートした。
・これまでの元号は全て中国の古典から引用されたものであったが、令和は初めて日本の古典
「万葉集」から引用された。
・奈良時代の初め、当時の大宰府の長官であった大伴旅人の邸宅で開かれた「梅花の宴」で
32人が梅の花を題材に歌ったものを大伴旅人が取り纏めその「序」を書き万葉集に収められた。
・その「序」の中から令と和が選ばれ令和とされた。
・令和の意味としては、平和な時代になってほしいという思いが込められている。
・梅花の宴が開かれた邸宅の場所については諸説残されているが、そのうちの1つが太宰府跡にほど近い
「坂本八幡宮」付近とされる。
(尚令和の経緯や大宰府跡に関しての詳細は最後に参考サイトをご参照願います)
ということで、
令和ゆかりの地として、太宰府政庁跡(通称都府楼跡)と坂本八幡宮に行った。
その後最後の”締め”やはり太宰府天満宮へ。
境内で令和関連碑を”発見”。更に枝垂れ梅を堪能した。
まず
西鉄電車で二日市まで行き、そこから太宰府行きに乗り換えた。
太宰府行電車名は「旅人」と、長官名と旅行者を重ねており旅情を誘うネーミングだ。
太宰府駅も18年12月に全面リニューアルされ駅のホームや構内天井の朱色が鮮やかだ。
今回の行程、当初は太宰府駅で自転車を借りて現地までサイクリングするつもりだったが
当日天気は良かったもののまだサイクリングするには寒すぎたのでバスにすることにした。
駅の観光事務所で確認すると、駅前から太宰府市のコミューニティバスが出ていてどこまで行っても100円とのこと。このバスは多くの地元の人と観光客が利用しているようだ。すぐ長い列になった。
バスに乗り、途中広々とした草地が次々に右側車窓に現れるのを眺めながら、観世音寺を通りすぎると太宰府跡に着いた。
先ず目の前に大きな古代の倉庫風の建物があった。これは太宰府展示館(梅花の宴ジオラマ)という名称で、各種の歴史物品が収納されているのだがあいにく月曜は休館日となっていて見れなかった。その横には広々とした太宰府政庁跡(都府楼跡)があった。
団体客としてまたは効率的な訪問なら、まず南門跡ついで正殿跡、万葉歌碑(大伴旅人)、坂本八幡宮というルートになるのかも知れないが、今回は事前にルートを決めずに来たので気の向くままに進んでみた。
月曜だったためか、草が生えた広々とした跡地には人影が本当に疎らでなかなか普段経験出来ない情景であり、なんだか古代にタイムスリップしたような感じであった。
政庁跡地の右側(太宰府展示館左側)から歩き始め、最初に目に止まったのは歌碑と説明付帯物。
小野老の「あおによし・・・」の歌が刻んであった。
右辺を北上すると生け垣フェンスがあり、さらにそれを過ぎて進むと道に出た。
この道は歴史の散歩道と呼ばれる道で今回のメインの訪問先の一つの坂本八幡宮に続いている。
その途中に万葉歌碑(大伴旅人)があった。
しばらく道に沿って進むと遠くに目指す坂本八幡宮があった。
土日ならかなりの参拝客が来ているはずだが、今日は月曜のためか人の数は少なかった。
社務所はプレバブで、令和となり突然有名になったので急遽対応したという感じであった。
お参りを終え、社務所の横を通り、隣の梅林台地に出てしばし梅の花と香りを堪能。
さらに梅林台地からジグザグの木道を降りて行き、再び太宰府政庁跡に戻った。
広い原っぱには古(いにしえ)の建物の礎(いしずえ)となっていた大きな石が整然と並んでいる。
しばらく行くと太宰府政庁正殿跡に着く。ここには背の高い石碑が3つ建っていた。
更に正殿跡と南門跡の間の広場には大きな丸い二段の礎石が整然と並んでいた。
この環境の中にいると本当に古の世界に戻ったような気がした。
正殿跡、中間広場の礎石、南門跡を一通り見た後は、歩道が整備された道(76号線)を隣のバス停まで歩いた。
その途中戒壇院や観世音寺に立ち寄り、その後またバスで太宰府駅まで戻った。
太宰府天満宮には、今回は大鳥居をくぐり、太鼓橋を渡り、楼門をくぐりと中央参道から正規のルートで参拝した。
境内では、令和関連碑の”発見”と普段見ない穴場的場所の数々、それと枝垂れ梅を重点的に見て回った。
以下私が気ままに動いた順に写真を並べます。
(通常の順路ではありません、また枝垂れ梅はランダム記載)
バスに揺られながら、バス停数駅で太宰府跡に到着。
これからこの太宰府政庁復元図の右下から広い原っぱ全体を横目に見ながら堀川に沿って北上し
更に進むと歴史の散歩道に当たり、ここから西進し坂本八幡宮へ向かった。
古都太宰府保存への道南門全景
「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」(現在では「春を忘るな」が主流か?)
次の2枚の写真は、今回の旅の主目的の令和関連で、石碑の背が高いので縦版と横版の2枚掲載。
他の写真より多少高解像度になっていますので、拡大して和歌を読んでみてください。
以下境内の枝垂れ梅のかずかず
最後に
大宰府天満宮は梅の季節の2月が最適だが、太宰府政庁跡には桜の季節に行きたいと思った。
土日は混んでおり平日がいいと思うが、月曜は展示館が休館なので要注意。
上記とは別の行き方として、西鉄都府楼駅から歩いて現地迄行き見終わったらバスで太宰府天満宮へ行く方法もある。
車で行かれる場合、特に土日は駐車場の場所と待ち時間等をよく下調べしておかれたほうが良さそうだ。
春はサイクリングで廻るのもいいとおもいます。
<参考サイト>
令和関連:
◎NHK 平成から令和へ
◎万葉集に由来する「令和」に込められた、時代にふさわしい願い
明治大学 文学部 教授 山ア 健司
○日経新聞
新元号「令和」を読み解く 二文字が持つ意味は?
更に詳しくは
○ウィキペディア
太宰府(跡)関連:
◎太宰府政庁跡
○大宰府政庁跡(都府楼跡)
○太宰府について
◎太宰府天満宮
令和ゆかりの地に行ってきた。
まずは令和に関しての簡単なおさらい。
・昨年2019年4月1日に新元号が令和となることが発表され、5月1日から令和の新時代がスタートした。
・これまでの元号は全て中国の古典から引用されたものであったが、令和は初めて日本の古典
「万葉集」から引用された。
・奈良時代の初め、当時の大宰府の長官であった大伴旅人の邸宅で開かれた「梅花の宴」で
32人が梅の花を題材に歌ったものを大伴旅人が取り纏めその「序」を書き万葉集に収められた。
・その「序」の中から令と和が選ばれ令和とされた。
・令和の意味としては、平和な時代になってほしいという思いが込められている。
・梅花の宴が開かれた邸宅の場所については諸説残されているが、そのうちの1つが太宰府跡にほど近い
「坂本八幡宮」付近とされる。
(尚令和の経緯や大宰府跡に関しての詳細は最後に参考サイトをご参照願います)
ということで、
令和ゆかりの地として、太宰府政庁跡(通称都府楼跡)と坂本八幡宮に行った。
その後最後の”締め”やはり太宰府天満宮へ。
境内で令和関連碑を”発見”。更に枝垂れ梅を堪能した。
まず
西鉄電車で二日市まで行き、そこから太宰府行きに乗り換えた。
太宰府行電車名は「旅人」と、長官名と旅行者を重ねており旅情を誘うネーミングだ。
太宰府駅も18年12月に全面リニューアルされ駅のホームや構内天井の朱色が鮮やかだ。
今回の行程、当初は太宰府駅で自転車を借りて現地までサイクリングするつもりだったが
当日天気は良かったもののまだサイクリングするには寒すぎたのでバスにすることにした。
駅の観光事務所で確認すると、駅前から太宰府市のコミューニティバスが出ていてどこまで行っても100円とのこと。このバスは多くの地元の人と観光客が利用しているようだ。すぐ長い列になった。
バスに乗り、途中広々とした草地が次々に右側車窓に現れるのを眺めながら、観世音寺を通りすぎると太宰府跡に着いた。
先ず目の前に大きな古代の倉庫風の建物があった。これは太宰府展示館(梅花の宴ジオラマ)という名称で、各種の歴史物品が収納されているのだがあいにく月曜は休館日となっていて見れなかった。その横には広々とした太宰府政庁跡(都府楼跡)があった。
団体客としてまたは効率的な訪問なら、まず南門跡ついで正殿跡、万葉歌碑(大伴旅人)、坂本八幡宮というルートになるのかも知れないが、今回は事前にルートを決めずに来たので気の向くままに進んでみた。
月曜だったためか、草が生えた広々とした跡地には人影が本当に疎らでなかなか普段経験出来ない情景であり、なんだか古代にタイムスリップしたような感じであった。
政庁跡地の右側(太宰府展示館左側)から歩き始め、最初に目に止まったのは歌碑と説明付帯物。
小野老の「あおによし・・・」の歌が刻んであった。
右辺を北上すると生け垣フェンスがあり、さらにそれを過ぎて進むと道に出た。
この道は歴史の散歩道と呼ばれる道で今回のメインの訪問先の一つの坂本八幡宮に続いている。
その途中に万葉歌碑(大伴旅人)があった。
しばらく道に沿って進むと遠くに目指す坂本八幡宮があった。
土日ならかなりの参拝客が来ているはずだが、今日は月曜のためか人の数は少なかった。
社務所はプレバブで、令和となり突然有名になったので急遽対応したという感じであった。
お参りを終え、社務所の横を通り、隣の梅林台地に出てしばし梅の花と香りを堪能。
さらに梅林台地からジグザグの木道を降りて行き、再び太宰府政庁跡に戻った。
広い原っぱには古(いにしえ)の建物の礎(いしずえ)となっていた大きな石が整然と並んでいる。
しばらく行くと太宰府政庁正殿跡に着く。ここには背の高い石碑が3つ建っていた。
更に正殿跡と南門跡の間の広場には大きな丸い二段の礎石が整然と並んでいた。
この環境の中にいると本当に古の世界に戻ったような気がした。
正殿跡、中間広場の礎石、南門跡を一通り見た後は、歩道が整備された道(76号線)を隣のバス停まで歩いた。
その途中戒壇院や観世音寺に立ち寄り、その後またバスで太宰府駅まで戻った。
太宰府天満宮には、今回は大鳥居をくぐり、太鼓橋を渡り、楼門をくぐりと中央参道から正規のルートで参拝した。
境内では、令和関連碑の”発見”と普段見ない穴場的場所の数々、それと枝垂れ梅を重点的に見て回った。
以下私が気ままに動いた順に写真を並べます。
(通常の順路ではありません、また枝垂れ梅はランダム記載)
「旅人」号 | 欄干風ホーム |
駅事務所の横がレンタサイクル受付 | このバス停から乗車(この跡すぐ長蛇の列になった) |
バスに揺られながら、バス停数駅で太宰府跡に到着。
これからこの太宰府政庁復元図の右下から広い原っぱ全体を横目に見ながら堀川に沿って北上し
更に進むと歴史の散歩道に当たり、ここから西進し坂本八幡宮へ向かった。
参考サイトより転載 | 参考サイトより転載 |
碑が向こうに見える | 和歌石碑と全体 |
あおによし・・・文碑 | 万葉集筑紫歌壇碑 |
ココから散策開始全体 | 振り返り全景 |
歴史の散歩道途中の碑 | 碑の説明文 |
遠くに坂本八幡宮が見えた | 坂本八幡宮に到着 |
お参り | 神社由来 |
隣の梅林台地 | 正殿跡への木道 |
正殿裏の礎石 | 正殿跡の高い石碑 |
正殿跡の説明看板 | 正殿と南門の間の礎石群 |
太宰府跡説明写真と文看板 | 太宰府跡 |
古都太宰府保存への道南門全景
南門看板(古い1) | 政庁正殿周辺地図大 |
戒壇院へと続く道 | 観世音寺へと続く道 |
観世音寺 | 観世音寺の宝蔵 |
太宰府天満宮の参道へ | 太宰府入り口の大鳥居をくぐり |
太鼓橋を渡り | 楼門をくぐり |
本殿でお詣り | 言わずとしれた飛梅 |
「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」(現在では「春を忘るな」が主流か?)
次の2枚の写真は、今回の旅の主目的の令和関連で、石碑の背が高いので縦版と横版の2枚掲載。
他の写真より多少高解像度になっていますので、拡大して和歌を読んでみてください。
令和関連碑 | 令和関連碑 |
以下境内の枝垂れ梅のかずかず
最後に
大宰府天満宮は梅の季節の2月が最適だが、太宰府政庁跡には桜の季節に行きたいと思った。
土日は混んでおり平日がいいと思うが、月曜は展示館が休館なので要注意。
上記とは別の行き方として、西鉄都府楼駅から歩いて現地迄行き見終わったらバスで太宰府天満宮へ行く方法もある。
車で行かれる場合、特に土日は駐車場の場所と待ち時間等をよく下調べしておかれたほうが良さそうだ。
春はサイクリングで廻るのもいいとおもいます。
<参考サイト>
令和関連:
◎NHK 平成から令和へ
◎万葉集に由来する「令和」に込められた、時代にふさわしい願い
明治大学 文学部 教授 山ア 健司
○日経新聞
新元号「令和」を読み解く 二文字が持つ意味は?
更に詳しくは
○ウィキペディア
太宰府(跡)関連:
◎太宰府政庁跡
○大宰府政庁跡(都府楼跡)
○太宰府について
◎太宰府天満宮
2020年02月15日
浴室リモコンが故障したが製品の交換で復旧
10年以上使用してき我が家の風呂の浴室内リモコンが遂に故障した。
表示ランプが点かず、入浴中の操作が出来なくなったのだ。
幸いキッチンの給湯器リモコンから湯張りと温度設定は出来たので風呂に入ることは出来たが、
入浴中での操作(追い焚き、温度変更、湯量変更)が出来ず不便な入浴を強いられた。
家族からは早急な修理依頼を頼まれたがこの修理も自分でやってみたくなり、
ネットを調べると同じリモコン部品を売っていることが分かった。
そこで早速取り寄せDIYで無事復旧することが出来た。(その後全く問題なし)
以下その状況を次の項目について写真と説明でご紹介したい。
1.故障リモコン(ノーリツ製RS−7601S)の取り外し
2.購入リモコン(同じ型)について
3.購入リモコンの取付
(一旦迷ったが)
4.新旧基盤(裏面)の比較
5.故障原因の推定
1.故障リモコンの取り外し
2.購入リモコン
3.新リモコンの取付
購入リモコンは新設工事用で、壁裏からの接続部品と新リモコン固定枠が一体として同梱されていた。
そこでこの新固定枠も取り替えるべきかどうか迷った。
しかしパテ(シール材)が手持ちになく買いに行く手間も掛かり、若干の心配はあったが
そのまま前の枠が使えそうなので、これは敢えて新品と取り替えなかった。(しかしこれは正解だった)
4.新旧リモコンの基盤(裏面)の比較
10数年前の製品とはICチップが小さくなった位で外観上は大きな変化はない様だが・・・。
5.故障因の推定
液晶部の左上隅が黒ずんでいた。これが原因のようだ。
電気に詳しい人ならこれを修理することが出来るかもしれないが・・・。
最後に、
取説に注意書きしてあるが、この部品の取付工事で最も大事なのは、電子基板への防水、防湿を確実に行うことである。そのための設計がなされてはいるが、更に私はパッキンのの部分にシリコングリースや油を塗った。音声がでるスピーカー部の穴からの通水、透湿もできるだけ防ぐようにした。
ご自分で取替を行われる場合は特にこの部分に注意ください。
私は故障の原因を探すのの修理が好きで、修理出来るものは修理して使うという主義ではあるが、
今回は電子基盤には手が出ないので製品交換するしかない。
一般に耐用年数以上使用しているものは今使えていても何時壊れてもおかしくない状況にはあるので、
DIYでやろうとする人は前もって部品を購入しておくのが賢明なやり方であろう。
という訳でまだ順調には作動しているキッチンのリモコン(操作盤)も入手しておこう。
今回交換したのはこの製品でした。
リモコン:ノーリツ製RS−7601S
表示ランプが点かず、入浴中の操作が出来なくなったのだ。
幸いキッチンの給湯器リモコンから湯張りと温度設定は出来たので風呂に入ることは出来たが、
入浴中での操作(追い焚き、温度変更、湯量変更)が出来ず不便な入浴を強いられた。
家族からは早急な修理依頼を頼まれたがこの修理も自分でやってみたくなり、
ネットを調べると同じリモコン部品を売っていることが分かった。
そこで早速取り寄せDIYで無事復旧することが出来た。(その後全く問題なし)
以下その状況を次の項目について写真と説明でご紹介したい。
1.故障リモコン(ノーリツ製RS−7601S)の取り外し
2.購入リモコン(同じ型)について
3.購入リモコンの取付
(一旦迷ったが)
4.新旧基盤(裏面)の比較
5.故障原因の推定
1.故障リモコンの取り外し
+ドライバーで順にネジを外す | 左右中央のやや大きな2つが壁固定用、その他は本体の水シール用 |
リモコンを取り外した | リモコン基盤の裏側 |
2.購入リモコン
着荷 | 開梱(下部の茶色枠は壁パッキン、壁取り付け枠は本体の裏側にあるがいずれも今回は不使用) |
3.新リモコンの取付
購入リモコンは新設工事用で、壁裏からの接続部品と新リモコン固定枠が一体として同梱されていた。
そこでこの新固定枠も取り替えるべきかどうか迷った。
しかしパテ(シール材)が手持ちになく買いに行く手間も掛かり、若干の心配はあったが
そのまま前の枠が使えそうなので、これは敢えて新品と取り替えなかった。(しかしこれは正解だった)
新リモコンを接続 | 点灯テストOK |
4.新旧リモコンの基盤(裏面)の比較
10数年前の製品とはICチップが小さくなった位で外観上は大きな変化はない様だが・・・。
旧パネル裏面(青線は取外している) | 新パネル裏面 |
5.故障因の推定
液晶部の左上隅が黒ずんでいた。これが原因のようだ。
電気に詳しい人ならこれを修理することが出来るかもしれないが・・・。
最後に、
取説に注意書きしてあるが、この部品の取付工事で最も大事なのは、電子基板への防水、防湿を確実に行うことである。そのための設計がなされてはいるが、更に私はパッキンのの部分にシリコングリースや油を塗った。音声がでるスピーカー部の穴からの通水、透湿もできるだけ防ぐようにした。
ご自分で取替を行われる場合は特にこの部分に注意ください。
私は故障の原因を探すのの修理が好きで、修理出来るものは修理して使うという主義ではあるが、
今回は電子基盤には手が出ないので製品交換するしかない。
一般に耐用年数以上使用しているものは今使えていても何時壊れてもおかしくない状況にはあるので、
DIYでやろうとする人は前もって部品を購入しておくのが賢明なやり方であろう。
という訳でまだ順調には作動しているキッチンのリモコン(操作盤)も入手しておこう。
今回交換したのはこの製品でした。
リモコン:ノーリツ製RS−7601S
2020年01月22日
トイレ水タンクの給水が故障。しかし部品交換で簡単に修理出来た。原因は弁の亀裂穴だった。
これまで10年以上使い続けてきた我が家のトイレ(TOTOSH381BA)がついに故障した。
用足し後、水洗レバーを回すと便器に水が出て処理出来たが、手洗い水が出てこない。
少し待ってまた回してみると今度は便器の方にも出てこない。水がタンクに溜まってないのだ。
そこで
タンクの上部の蓋(結構重い)を慎重にとり外し、更に内部のプラスチックの蓋を取って
内部をよく見るとお椀型のカップ(浮き球)の根本部分(ダイヤフラム収納部)から水が若干漏れていた。
十分時間が経つと満タンになり便器には流せるが、手洗いが出来ず、またすぐ続いて家族が使えない。
毎日使うものであり、早急に修理する必要がある。
自分で無理そうなら最初から修理を頼むが、出来そうなのでこれも自分でやることにした。
結果論的には、始める前に、TOTOのホームページや他のサイトを調べればより短時間に終わったであろうが、サイト等何も見ずに直接現物を見ていろいろ確認しながら余分なことも色々やったので遠回りし時間が掛かった。しかし色々分かり得ることはあった。
結局
修理の内容は、部品をホームセンターで買ってきて、取り替えただけ。
正味の交換時間だけでいうと5分以内であった。
技術や特殊な工具も不要だったので、原因が分かり交換部品があれば簡単で誰でも短時間で出来る作業だった。近頃はどんな部品も通販で入手出来るが、2、3日かかるだろう。ホームセンターなら即入手?
ここでは私が実施した写真の一部を添付します。
この後、購入したHH1113のダイヤフラム(下の方の写真ご参照)を取り出して以下の様に装着する。
修理の詳しい手順は最後に添付したTOTOのサイト及び関連サイトご参照ください。
修理の報告だけなら「部品を交換したら直りました」だけなので、本ブログでは修理の記録だけでなく、関連情報も少し追加しておきたいと思いました。
この水洗トイレの便器と手洗い水の基本の流れがどうなのかについて、
再確認しておきます。
(ただしウオッシュレット部及びフィルター部は今回の故障ではないので省略)
タンクが満水状態から
@まずタンクの側面にあるレバーを大、小どちらかに動かす。
Aすると玉鎖に繋がれたゴムカップの片側が引き上げられて水が流れる。
・大の時は一番下のカップを引き上げるので、全体が勢いよく流れる。素早くやめると途中ストップも
出来る。
・小の時は反対側の玉鎖が大のときのゴムカップ上に乗ったカップを引き上げるので水深が浅い分
流量が少なく、また浮き玉が一緒になっているのでゆっくり戻る。
B便器に水が流れるとタンク内の水位が一気に下がり、浮き球(半カップ)が下がる。
C浮き球が下がると今まで浮き球の柄がテコになっている支点の先の作用点で抑えていた最上部の
ダイヤフラム内の止水弁が緩み、水道水の圧力で水が勢いよく流れるようになる。
Dダイヤフラムから出た水は約3:7に別れて手洗い用と便器用に分流するが、両方タンクに溜まっていく。
E水位の上昇とともに浮き球(半カップ)が上がり、満タンになると作用点がダイヤフラムを押さえ止水する。
この止水のメカニズムと流水の再開がこのダイヤフラムのキモである。
旧タイプの止水部はボールが上がり水の吐出口を押さえていたのが見え止水状況がよくわかったが、
ダイヤフラムとなり止水のメカニズムが一寸分かり難い。
この止水のメカニズムは、浮き玉(半カップ)の柄の支点の先の作用点がダイヤフラムの頂上部の小さな穴を押さえて(穴を詰めて)ダイヤフラムを密閉空間とし、
ピンが通っている黒ゴムの穴から水が上部の空間に入ると、
パスカルの原理により水圧で上から下のゴム弁を押さえて水の流れを止める。
(小さな穴で通じた水圧は同じで上部空間の面積分の圧力になる)
そして
F次にトイレを使用すると@からの動作に戻る。
この丸い蓋を回して取り外し中を見ると、白いプラスチック部品と一体になった黒いゴムパッキンがある。
この一式がダイヤフラムと呼ばれるものでトイレの水の制御の要の部品だ。これが壊れている。
一日も早く復旧させたかったので、東急ハンズに確認すると在庫があるということで早速買いに行った。
現物を持参し同等製品を探すと
" target="_blank">HH11113という品番の部品があったので2個買った。
(壊れたのは2階のトイレだが、1階にも10年以上使用中のトイレがあるので)
早速この部品を交換すると無事これまでと同じ働きを取り戻すことができた。
不良の原因究明の為、交換したダイヤフラムと新品を比べたが外観的には全くわからなかった。
しかしパッキンを取り外して広げてみると亀裂があった。これが根本原因だったのだ。
考えてみればこの”小さなゴム”が毎日数回365日10年以上もよく働いてくれた訳だ。お疲れ様でしたと言いたい。
このゴムは取り外すときに手が真っ黒になった。練り込まれた炭素だろう。TOTOによると材質がフッ素ゴムだそうだ。
一方
筐体の方のプラスチックにはPOM、K31と印字されていた。(取り外した方はK24であった。K数の内容は不明)
左:新 右:旧
POMというのはポリオキシメチレンというエンジニアリングプラスチックで別名ポリアセタール樹脂とも言う。
このPOMは寸法安定性がよく水道水で劣化するようなものではない。(交換品は少し着色しているだけ)
だとすればダイヤフラムのゴムパッキンだけ買えばよかったのかも。
ダイヤフラム部品には通販サイトや動画をみるとHS504という品番もある。
これはHH11113とものは同じで取説は無し。(取説は両面印刷で図がわかり易い)
最後に
もしあなたの家のトイレの水が出なくなり、自分で修理される場合の参考になれば幸いです。
作業にあたっての注意点は
床に水漏れさせないように、
@元栓を締めてから作業し、確認のための水出しは少量づつ行うこと。
A電源コンセントがあれば抜いておく。
Bテストする時は手洗い水が飛び出さないように後ろにスクリーン等を立て、またタンクの内筒と外筒の隙間内に入らないようにすることが必要です。(隙間に入ったら床に漏れる)
尚
次回の修理の時用に、念の為ダイヤフラムの交換手順(含注意点)をメモしておこう。
@マイナスドライバーで止水栓を回し水を止める。
Aタンクの蓋(陶器製で重い)を持ち上げ、中のプラスチックのカバー大小を外す。
B浮き玉(半カップ)を取り付けているレバーを外す。ちょっと硬い(ラジオペンチが楽)
Cダイヤフラムを固定しているプラスチックの蓋(ナット)を左に回して取り外す。
この時下部の水が上がってくるパイプ(ボールタップ)を左手でしっかり固定し手作業する。
D中のダイヤフラム部品を取り外す。
E新しいダイヤフラム部品に交換する。(HS504かHH11113)
・この時ゴムを押さえて金属ピンが出ることを確かめる。
・黒ゴムが外れた時はゴムの小穴とピンを合わせてセットする。
・ダイヤフラムのセットは、取付部の左右の2つの大きさの違う切り欠きに合うようにセットする。
F先程外したプラスチック蓋(ナット)、浮き球(半カップ)レバー等を確実に取り付ける。
・蓋を右に回して固定する時は下部をしっかり固定して回して締め付ける。
G先程外したプラスチックカバー類を取り付け、タンクの蓋を手洗い水の出口部に合わせて取り付ける。
H水栓を開ける。
以上
<参考サイト>
1.TOTOのサイト
@先ずTOTOの
ダイヤフラム交換動画1を見てみよう。
A次に写真と文章による全体説明で理解しよう。
手洗い管から水がでない・タンクに給水されない
2.その他参考サイト
ダイヤフラムの交換が主体だが、それ以外が原因の時に参考になるサイト
@トイレの水が出ない時の原因とその対処法(文と写真で説明)
Aダイヤフラム部取替動画2
<ダイヤフラム構成材料について>
1.ポリアセタール樹脂(ポリオキシメチレン:POM)
2.パッキン:フッ素ゴムFKM
(FKMがなんの頭文字か調べてもよくわからなかった)
3.金属ピン
(金属ピンは取説にはクリーニングピンとなっており穴を掃除する、つまり穴詰まりを防ぐためと思われるのだが、本当の機能は真ん中の樹脂部品とパッキンがズレず、ダイヤフラムが確実に機能するためのものであるようだ。)
今度他の製品が故障してもやはり先ずサイトを調べDIYで最短で修理をやるようにしよう。
HH11113の入手はここから。
用足し後、水洗レバーを回すと便器に水が出て処理出来たが、手洗い水が出てこない。
少し待ってまた回してみると今度は便器の方にも出てこない。水がタンクに溜まってないのだ。
そこで
タンクの上部の蓋(結構重い)を慎重にとり外し、更に内部のプラスチックの蓋を取って
内部をよく見るとお椀型のカップ(浮き球)の根本部分(ダイヤフラム収納部)から水が若干漏れていた。
十分時間が経つと満タンになり便器には流せるが、手洗いが出来ず、またすぐ続いて家族が使えない。
毎日使うものであり、早急に修理する必要がある。
自分で無理そうなら最初から修理を頼むが、出来そうなのでこれも自分でやることにした。
結果論的には、始める前に、TOTOのホームページや他のサイトを調べればより短時間に終わったであろうが、サイト等何も見ずに直接現物を見ていろいろ確認しながら余分なことも色々やったので遠回りし時間が掛かった。しかし色々分かり得ることはあった。
結局
修理の内容は、部品をホームセンターで買ってきて、取り替えただけ。
正味の交換時間だけでいうと5分以内であった。
技術や特殊な工具も不要だったので、原因が分かり交換部品があれば簡単で誰でも短時間で出来る作業だった。近頃はどんな部品も通販で入手出来るが、2、3日かかるだろう。ホームセンターなら即入手?
ここでは私が実施した写真の一部を添付します。
我が家のトイレ | 修理開始前に止水する |
全体をカバーする蓋を取った内部 | 浮き球とダイヤフラムを取る |
この後、購入したHH1113のダイヤフラム(下の方の写真ご参照)を取り出して以下の様に装着する。
ダイヤフラム部品装着 | 蓋で固定 |
浮き球取り付け | テスト満水で浮き球が上昇し水が止まった。 |
プラスチックのカバーをする | 最初に外した重い蓋を被せ最終テストOK |
修理の詳しい手順は最後に添付したTOTOのサイト及び関連サイトご参照ください。
修理の報告だけなら「部品を交換したら直りました」だけなので、本ブログでは修理の記録だけでなく、関連情報も少し追加しておきたいと思いました。
この水洗トイレの便器と手洗い水の基本の流れがどうなのかについて、
再確認しておきます。
(ただしウオッシュレット部及びフィルター部は今回の故障ではないので省略)
タンクが満水状態から
@まずタンクの側面にあるレバーを大、小どちらかに動かす。
Aすると玉鎖に繋がれたゴムカップの片側が引き上げられて水が流れる。
・大の時は一番下のカップを引き上げるので、全体が勢いよく流れる。素早くやめると途中ストップも
出来る。
・小の時は反対側の玉鎖が大のときのゴムカップ上に乗ったカップを引き上げるので水深が浅い分
流量が少なく、また浮き玉が一緒になっているのでゆっくり戻る。
B便器に水が流れるとタンク内の水位が一気に下がり、浮き球(半カップ)が下がる。
C浮き球が下がると今まで浮き球の柄がテコになっている支点の先の作用点で抑えていた最上部の
ダイヤフラム内の止水弁が緩み、水道水の圧力で水が勢いよく流れるようになる。
Dダイヤフラムから出た水は約3:7に別れて手洗い用と便器用に分流するが、両方タンクに溜まっていく。
E水位の上昇とともに浮き球(半カップ)が上がり、満タンになると作用点がダイヤフラムを押さえ止水する。
この止水のメカニズムと流水の再開がこのダイヤフラムのキモである。
旧タイプの止水部はボールが上がり水の吐出口を押さえていたのが見え止水状況がよくわかったが、
ダイヤフラムとなり止水のメカニズムが一寸分かり難い。
この止水のメカニズムは、浮き玉(半カップ)の柄の支点の先の作用点がダイヤフラムの頂上部の小さな穴を押さえて(穴を詰めて)ダイヤフラムを密閉空間とし、
ピンが通っている黒ゴムの穴から水が上部の空間に入ると、
パスカルの原理により水圧で上から下のゴム弁を押さえて水の流れを止める。
(小さな穴で通じた水圧は同じで上部空間の面積分の圧力になる)
そして
F次にトイレを使用すると@からの動作に戻る。
この丸い蓋を回して取り外し中を見ると、白いプラスチック部品と一体になった黒いゴムパッキンがある。
この一式がダイヤフラムと呼ばれるものでトイレの水の制御の要の部品だ。これが壊れている。
一日も早く復旧させたかったので、東急ハンズに確認すると在庫があるということで早速買いに行った。
現物を持参し同等製品を探すと
" target="_blank">HH11113という品番の部品があったので2個買った。
(壊れたのは2階のトイレだが、1階にも10年以上使用中のトイレがあるので)
購入部品(取説同封) | 説明は裏面に続く |
早速この部品を交換すると無事これまでと同じ働きを取り戻すことができた。
不良の原因究明の為、交換したダイヤフラムと新品を比べたが外観的には全くわからなかった。
ダイヤフラムセット部品(左:旧、右:新) |
しかしパッキンを取り外して広げてみると亀裂があった。これが根本原因だったのだ。
更に分離しても不明 | 発見!原因の亀裂(上の穴はピン用の穴)(下から照明) |
考えてみればこの”小さなゴム”が毎日数回365日10年以上もよく働いてくれた訳だ。お疲れ様でしたと言いたい。
このゴムは取り外すときに手が真っ黒になった。練り込まれた炭素だろう。TOTOによると材質がフッ素ゴムだそうだ。
一方
筐体の方のプラスチックにはPOM、K31と印字されていた。(取り外した方はK24であった。K数の内容は不明)
左:新 右:旧
POMというのはポリオキシメチレンというエンジニアリングプラスチックで別名ポリアセタール樹脂とも言う。
このPOMは寸法安定性がよく水道水で劣化するようなものではない。(交換品は少し着色しているだけ)
だとすればダイヤフラムのゴムパッキンだけ買えばよかったのかも。
ダイヤフラム部品には通販サイトや動画をみるとHS504という品番もある。
これはHH11113とものは同じで取説は無し。(取説は両面印刷で図がわかり易い)
最後に
もしあなたの家のトイレの水が出なくなり、自分で修理される場合の参考になれば幸いです。
作業にあたっての注意点は
床に水漏れさせないように、
@元栓を締めてから作業し、確認のための水出しは少量づつ行うこと。
A電源コンセントがあれば抜いておく。
Bテストする時は手洗い水が飛び出さないように後ろにスクリーン等を立て、またタンクの内筒と外筒の隙間内に入らないようにすることが必要です。(隙間に入ったら床に漏れる)
尚
次回の修理の時用に、念の為ダイヤフラムの交換手順(含注意点)をメモしておこう。
@マイナスドライバーで止水栓を回し水を止める。
Aタンクの蓋(陶器製で重い)を持ち上げ、中のプラスチックのカバー大小を外す。
B浮き玉(半カップ)を取り付けているレバーを外す。ちょっと硬い(ラジオペンチが楽)
Cダイヤフラムを固定しているプラスチックの蓋(ナット)を左に回して取り外す。
この時下部の水が上がってくるパイプ(ボールタップ)を左手でしっかり固定し手作業する。
D中のダイヤフラム部品を取り外す。
E新しいダイヤフラム部品に交換する。(HS504かHH11113)
・この時ゴムを押さえて金属ピンが出ることを確かめる。
・黒ゴムが外れた時はゴムの小穴とピンを合わせてセットする。
・ダイヤフラムのセットは、取付部の左右の2つの大きさの違う切り欠きに合うようにセットする。
F先程外したプラスチック蓋(ナット)、浮き球(半カップ)レバー等を確実に取り付ける。
・蓋を右に回して固定する時は下部をしっかり固定して回して締め付ける。
G先程外したプラスチックカバー類を取り付け、タンクの蓋を手洗い水の出口部に合わせて取り付ける。
H水栓を開ける。
以上
<参考サイト>
1.TOTOのサイト
@先ずTOTOの
ダイヤフラム交換動画1を見てみよう。
A次に写真と文章による全体説明で理解しよう。
手洗い管から水がでない・タンクに給水されない
2.その他参考サイト
ダイヤフラムの交換が主体だが、それ以外が原因の時に参考になるサイト
@トイレの水が出ない時の原因とその対処法(文と写真で説明)
Aダイヤフラム部取替動画2
<ダイヤフラム構成材料について>
1.ポリアセタール樹脂(ポリオキシメチレン:POM)
2.パッキン:フッ素ゴムFKM
(FKMがなんの頭文字か調べてもよくわからなかった)
3.金属ピン
(金属ピンは取説にはクリーニングピンとなっており穴を掃除する、つまり穴詰まりを防ぐためと思われるのだが、本当の機能は真ん中の樹脂部品とパッキンがズレず、ダイヤフラムが確実に機能するためのものであるようだ。)
今度他の製品が故障してもやはり先ずサイトを調べDIYで最短で修理をやるようにしよう。
HH11113の入手はここから。
2019年12月22日
皇居の紅葉と大嘗宮見おさめ
紅葉シーズンに合わせた秋恒例の皇居・乾通りの一般公開が11月30日に始まった。
公開のルートは、坂下門(東京駅側)から宮内庁庁舎前を通って乾門に抜ける約750メートルの並木道。
乾通りは平成の春にも通っていはいたが、令和初開催の今回は天皇ご即位後の大嘗祭の舞台となった
大嘗宮を見るのを主目的に行った。
大嘗宮の一般参観は21日から始まっていたが、いずれの公開期間も12月8日までだったので、
慌てて2日前に駆け込んだ。
朝9時ごろ私的に便利な有楽町線桜田門駅から歩いて坂下門に向かった。
当日は曇りでかなり肌寒い日ではあったが、多くの人達が来ていた。(団体が多かった)
坂下門に入る迄に荷物チェックとボディチェックを受け、皇居内に入ると、右回りの直接大嘗宮へ行く道とと乾通りの途中から入る2通りのルートがあった。一応紅葉も見ようと乾通りに進んだ。
曇天のせいか紅葉や黄葉は今一の感じではあった。(翌日は快晴だったので残念)
乾通りの途中から右折して蓮池濠に掛る橋を渡って皇居東御苑に入るとやや前方に大嘗宮が姿を現したが、
右回りのルートの始めのところまで戻るまでかなり歩かなければならなかった。
しかし途中竹や紅葉や江戸時代の遺跡等が見られ遠回りしたかいはあった。
最後やっと合流するような蚊形で大嘗宮に近づいた。
大嘗宮は江戸城の天守閣の横広場に砂を敷き詰められた中に、色々な役割を終えたいくつもの建屋があり、おごそかな雰囲気を漂わせていた。参観しながら、テレビで見たシーンを少し思い出そうとしたが、対応は全く判らず。ただ世紀の一瞬に立ち会えたという感じではあった。
以下皇居の秋と役割を終え取り壊される前の大嘗宮を少しの写真でご紹介します。
坂下門から入る 大嘗宮へは2つのルートがある
乾(いぬい)通りの紅葉を見ながら進む
モミジが鮮やかだった 途中から右折してお濠を渡り東御苑に入る。
途中にある各種の竹と説明パネル 大嘗宮入口目指して進む
大嘗宮入口目指して進む 先の方に大嘗宮が見えてきた
大嘗宮にほぼ到達 大嘗宮に沿って進んで行く
大嘗宮正門か?
大嘗宮とお別れ
大嘗宮を後に平川門へ向かう 説明パネル
尚、大嘗宮はその後取り壊されるが、資材は再利用するとされている。
平成の時は廃材の多くが焼却設備で燃やされたそうだが、今回は有効活用することにしたという。
大嘗宮の敷地の砂利や建物を囲った芝垣等は皇居内の庭園資材として再利用される予定。
主材である木材の一部は今回の大風で被害に遭った人に向けられるとも聞きこれはいいと思ったが、
有効利用という名目でバイオマス発電の燃料にされるとの記事もあった。
しかし発電の燃料としては非常にもったいないと感じた。
使用された木材は恐らく立派な物であったはずで、発電の燃料なら間伐材、建築廃材でも間に合うのだから。
ところで、
今回の一般公開は8日に終了したが、公開期間中(18日間)に約78万人が訪れたそうだ。
これは平成の時の約44万人を大きく上回った。
2019年11月30日
迎賓館(東京)訪問記
以前当ブログの「大幅に広がった国の施設」の記事の中で、赤坂迎賓館を取り上げていた。
その後一度中庭には入った事があったものの本館に入れず、次は是非内部の見学をしたいと思っていた。
そこで全て(本館と別館と中庭)の予約を2ヶ月前に入れ当選したので、昨日11月29日午後から出かけた。
今日は昨日と打って変わっていい天気。寒いが雲一つない完全快晴だ。良かった。
テレビでは日本を訪れる賓客を天皇陛下や総理大臣がもてなす場面を見られたりするが、
一部のみで豪華そうだなと思うだけで、良く解らないし、また全体は見れない。
そこで今回良く見ておこうと意気込んで出かけた。
先ず四谷駅(JR,地下鉄)で降りて歩いて約7分。大勢の人が押し寄せていた。
大多数は当日の団体旅行者の様だ。予約の人は別ルートで入場でき、少し気持ちが良かった。
本館は博物館ではなく、現実に接遇に使われていて予定がない時のみ一般開放されているので
そこは当然建物と人の安全に注意がはらわれているはずだ。
チケットを買う前に、荷物検査を受けた。ただ一般参賀の様な厳しさではなかったが、
日本庭園と和風別館を見るには、小グループ(10人前後)で一人解説者が付いて案内して貰えるシステムになっている。
その為予定時間(申込時に決めた)前に噴水池の横に集まり注意を受けたあと引率されて進んで行く。
順序は、日本庭園→和風別館「遊心亭」(各部屋の中にスリッパで入る)→日本庭園の順で案内された。
見学は事前に申し込んでいた和風別館の見学を先にそれから本館の順で行った。
日本庭園までは自由に写真を撮れたが、遊心亭内(後の本館も)は撮影禁止だったので、内部の状況は
サイトをご参照ください。
遊心亭の室内では、安倍首相夫妻がトランプ米大統領夫妻等の賓客をもてなす映像が流れていた。
(後の本館もそうだが、2ヶ月前に写真やビデオが全面最新版に更新されているので、安倍首相の画像が多かった)
和風別館では、家屋の中で靴を脱ぐ習慣の無い外国人に靴を脱がせるの苦労したらしく、結局畳の上をスリッパで歩いて貰うようになったとの解説には、他の例も含め文化の違いを克服するいろいろご苦労が関係者にあったと思わされた。
四谷駅から迎賓館を目指す | 当日申し込み者の列 |
本館裏側正面 | 前方に噴水が見えてきた |
見事に整列された花カンラン | 本館裏庭の噴水池 |
ガイドの後を和風別館遊心亭へ | 説明を聞きながら遊心亭を眺める |
遊心亭の池に黄金で長鰓のすごい鯉がいた | 演壇を飾る待機中の盆栽達 |
英賓客記念植樹
この後
和風別館遊心亭を後にし、本命の本館に向かった。
本館への入場は正面からではなく端の入り口から入ることになっている。
本館内は、説明が聴けるレシーバーを装着して、各場所での説明ポイントを聞きながら見学した。
普通に見るだけでは気付かない部分が見れたり詳しい説明が聴けるのが良かった。
レシーバーはぜひ借りて聞きながら見て廻るのがお勧めです。
本館内は撮影禁止なので、それぞれの本館内の写真は参考サイトから借用した。
正面玄関 | 朝日の間 |
彩鸞の間 | 羽衣の間 |
花鳥の間
<参考サイト>
〇迎賓館赤坂離宮 一般公開ガイド
〇迎賓館赤離宮
〇赤坂離宮歴史(これまでの歩みと天井・壁画修復の詳細)
◎迎賓館 赤坂離宮本館
◎迎賓館赤坂離宮別館 游心亭(ゆうしんてい)
・参観概要
・一般公開ガイド
夕暮れの本館前広場 | 前庭にある表示板 |
<感想>
今回念願の本館内に入ることが出来、各豪華絢爛な天井、壁、床、調度品を見ることが出来満足した。
これまで、外国の賓客のおもてなしを歴代の首相や天皇陛下がされている場面をテレビでは見てきたが、
その現場に入ることが出来、しばし其の当時の雰囲気に浸れたような気がした。
昔は入れなかったのが入れるようになったので、まだ行かれたことの無い方には絶対お勧めです。
非日常の世界に浸って下さい。
事前申し込みが必要ですが、日本様式のおもてなしが行われる和風別館の方も同時に見られたいいと思います。
次は京都の迎賓館を見てみたい。
京都迎賓館