2020年02月25日
令和ゆかりの地訪問と太宰府天満宮境内の碑と枝垂れ梅
先日の日曜日法事で福岡の実家に帰り、その翌日月曜日は令和になってぜひ一度行ってみたいと思っていた
令和ゆかりの地に行ってきた。
まずは令和に関しての簡単なおさらい。
・昨年2019年4月1日に新元号が令和となることが発表され、5月1日から令和の新時代がスタートした。
・これまでの元号は全て中国の古典から引用されたものであったが、令和は初めて日本の古典
「万葉集」から引用された。
・奈良時代の初め、当時の大宰府の長官であった大伴旅人の邸宅で開かれた「梅花の宴」で
32人が梅の花を題材に歌ったものを大伴旅人が取り纏めその「序」を書き万葉集に収められた。
・その「序」の中から令と和が選ばれ令和とされた。
・令和の意味としては、平和な時代になってほしいという思いが込められている。
・梅花の宴が開かれた邸宅の場所については諸説残されているが、そのうちの1つが太宰府跡にほど近い
「坂本八幡宮」付近とされる。
(尚令和の経緯や大宰府跡に関しての詳細は最後に参考サイトをご参照願います)
ということで、
令和ゆかりの地として、太宰府政庁跡(通称都府楼跡)と坂本八幡宮に行った。
その後最後の”締め”やはり太宰府天満宮へ。
境内で令和関連碑を”発見”。更に枝垂れ梅を堪能した。
まず
西鉄電車で二日市まで行き、そこから太宰府行きに乗り換えた。
太宰府行電車名は「旅人」と、長官名と旅行者を重ねており旅情を誘うネーミングだ。
太宰府駅も18年12月に全面リニューアルされ駅のホームや構内天井の朱色が鮮やかだ。
今回の行程、当初は太宰府駅で自転車を借りて現地までサイクリングするつもりだったが
当日天気は良かったもののまだサイクリングするには寒すぎたのでバスにすることにした。
駅の観光事務所で確認すると、駅前から太宰府市のコミューニティバスが出ていてどこまで行っても100円とのこと。このバスは多くの地元の人と観光客が利用しているようだ。すぐ長い列になった。
バスに乗り、途中広々とした草地が次々に右側車窓に現れるのを眺めながら、観世音寺を通りすぎると太宰府跡に着いた。
先ず目の前に大きな古代の倉庫風の建物があった。これは太宰府展示館(梅花の宴ジオラマ)という名称で、各種の歴史物品が収納されているのだがあいにく月曜は休館日となっていて見れなかった。その横には広々とした太宰府政庁跡(都府楼跡)があった。
団体客としてまたは効率的な訪問なら、まず南門跡ついで正殿跡、万葉歌碑(大伴旅人)、坂本八幡宮というルートになるのかも知れないが、今回は事前にルートを決めずに来たので気の向くままに進んでみた。
月曜だったためか、草が生えた広々とした跡地には人影が本当に疎らでなかなか普段経験出来ない情景であり、なんだか古代にタイムスリップしたような感じであった。
政庁跡地の右側(太宰府展示館左側)から歩き始め、最初に目に止まったのは歌碑と説明付帯物。
小野老の「あおによし・・・」の歌が刻んであった。
右辺を北上すると生け垣フェンスがあり、さらにそれを過ぎて進むと道に出た。
この道は歴史の散歩道と呼ばれる道で今回のメインの訪問先の一つの坂本八幡宮に続いている。
その途中に万葉歌碑(大伴旅人)があった。
しばらく道に沿って進むと遠くに目指す坂本八幡宮があった。
土日ならかなりの参拝客が来ているはずだが、今日は月曜のためか人の数は少なかった。
社務所はプレバブで、令和となり突然有名になったので急遽対応したという感じであった。
お参りを終え、社務所の横を通り、隣の梅林台地に出てしばし梅の花と香りを堪能。
さらに梅林台地からジグザグの木道を降りて行き、再び太宰府政庁跡に戻った。
広い原っぱには古(いにしえ)の建物の礎(いしずえ)となっていた大きな石が整然と並んでいる。
しばらく行くと太宰府政庁正殿跡に着く。ここには背の高い石碑が3つ建っていた。
更に正殿跡と南門跡の間の広場には大きな丸い二段の礎石が整然と並んでいた。
この環境の中にいると本当に古の世界に戻ったような気がした。
正殿跡、中間広場の礎石、南門跡を一通り見た後は、歩道が整備された道(76号線)を隣のバス停まで歩いた。
その途中戒壇院や観世音寺に立ち寄り、その後またバスで太宰府駅まで戻った。
太宰府天満宮には、今回は大鳥居をくぐり、太鼓橋を渡り、楼門をくぐりと中央参道から正規のルートで参拝した。
境内では、令和関連碑の”発見”と普段見ない穴場的場所の数々、それと枝垂れ梅を重点的に見て回った。
以下私が気ままに動いた順に写真を並べます。
(通常の順路ではありません、また枝垂れ梅はランダム記載)
バスに揺られながら、バス停数駅で太宰府跡に到着。
これからこの太宰府政庁復元図の右下から広い原っぱ全体を横目に見ながら堀川に沿って北上し
更に進むと歴史の散歩道に当たり、ここから西進し坂本八幡宮へ向かった。
古都太宰府保存への道南門全景
「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」(現在では「春を忘るな」が主流か?)
次の2枚の写真は、今回の旅の主目的の令和関連で、石碑の背が高いので縦版と横版の2枚掲載。
他の写真より多少高解像度になっていますので、拡大して和歌を読んでみてください。
以下境内の枝垂れ梅のかずかず
最後に
大宰府天満宮は梅の季節の2月が最適だが、太宰府政庁跡には桜の季節に行きたいと思った。
土日は混んでおり平日がいいと思うが、月曜は展示館が休館なので要注意。
上記とは別の行き方として、西鉄都府楼駅から歩いて現地迄行き見終わったらバスで太宰府天満宮へ行く方法もある。
車で行かれる場合、特に土日は駐車場の場所と待ち時間等をよく下調べしておかれたほうが良さそうだ。
春はサイクリングで廻るのもいいとおもいます。
<参考サイト>
令和関連:
◎NHK 平成から令和へ
◎万葉集に由来する「令和」に込められた、時代にふさわしい願い
明治大学 文学部 教授 山ア 健司
○日経新聞
新元号「令和」を読み解く 二文字が持つ意味は?
更に詳しくは
○ウィキペディア
太宰府(跡)関連:
◎太宰府政庁跡
○大宰府政庁跡(都府楼跡)
○太宰府について
◎太宰府天満宮
令和ゆかりの地に行ってきた。
まずは令和に関しての簡単なおさらい。
・昨年2019年4月1日に新元号が令和となることが発表され、5月1日から令和の新時代がスタートした。
・これまでの元号は全て中国の古典から引用されたものであったが、令和は初めて日本の古典
「万葉集」から引用された。
・奈良時代の初め、当時の大宰府の長官であった大伴旅人の邸宅で開かれた「梅花の宴」で
32人が梅の花を題材に歌ったものを大伴旅人が取り纏めその「序」を書き万葉集に収められた。
・その「序」の中から令と和が選ばれ令和とされた。
・令和の意味としては、平和な時代になってほしいという思いが込められている。
・梅花の宴が開かれた邸宅の場所については諸説残されているが、そのうちの1つが太宰府跡にほど近い
「坂本八幡宮」付近とされる。
(尚令和の経緯や大宰府跡に関しての詳細は最後に参考サイトをご参照願います)
ということで、
令和ゆかりの地として、太宰府政庁跡(通称都府楼跡)と坂本八幡宮に行った。
その後最後の”締め”やはり太宰府天満宮へ。
境内で令和関連碑を”発見”。更に枝垂れ梅を堪能した。
まず
西鉄電車で二日市まで行き、そこから太宰府行きに乗り換えた。
太宰府行電車名は「旅人」と、長官名と旅行者を重ねており旅情を誘うネーミングだ。
太宰府駅も18年12月に全面リニューアルされ駅のホームや構内天井の朱色が鮮やかだ。
今回の行程、当初は太宰府駅で自転車を借りて現地までサイクリングするつもりだったが
当日天気は良かったもののまだサイクリングするには寒すぎたのでバスにすることにした。
駅の観光事務所で確認すると、駅前から太宰府市のコミューニティバスが出ていてどこまで行っても100円とのこと。このバスは多くの地元の人と観光客が利用しているようだ。すぐ長い列になった。
バスに乗り、途中広々とした草地が次々に右側車窓に現れるのを眺めながら、観世音寺を通りすぎると太宰府跡に着いた。
先ず目の前に大きな古代の倉庫風の建物があった。これは太宰府展示館(梅花の宴ジオラマ)という名称で、各種の歴史物品が収納されているのだがあいにく月曜は休館日となっていて見れなかった。その横には広々とした太宰府政庁跡(都府楼跡)があった。
団体客としてまたは効率的な訪問なら、まず南門跡ついで正殿跡、万葉歌碑(大伴旅人)、坂本八幡宮というルートになるのかも知れないが、今回は事前にルートを決めずに来たので気の向くままに進んでみた。
月曜だったためか、草が生えた広々とした跡地には人影が本当に疎らでなかなか普段経験出来ない情景であり、なんだか古代にタイムスリップしたような感じであった。
政庁跡地の右側(太宰府展示館左側)から歩き始め、最初に目に止まったのは歌碑と説明付帯物。
小野老の「あおによし・・・」の歌が刻んであった。
右辺を北上すると生け垣フェンスがあり、さらにそれを過ぎて進むと道に出た。
この道は歴史の散歩道と呼ばれる道で今回のメインの訪問先の一つの坂本八幡宮に続いている。
その途中に万葉歌碑(大伴旅人)があった。
しばらく道に沿って進むと遠くに目指す坂本八幡宮があった。
土日ならかなりの参拝客が来ているはずだが、今日は月曜のためか人の数は少なかった。
社務所はプレバブで、令和となり突然有名になったので急遽対応したという感じであった。
お参りを終え、社務所の横を通り、隣の梅林台地に出てしばし梅の花と香りを堪能。
さらに梅林台地からジグザグの木道を降りて行き、再び太宰府政庁跡に戻った。
広い原っぱには古(いにしえ)の建物の礎(いしずえ)となっていた大きな石が整然と並んでいる。
しばらく行くと太宰府政庁正殿跡に着く。ここには背の高い石碑が3つ建っていた。
更に正殿跡と南門跡の間の広場には大きな丸い二段の礎石が整然と並んでいた。
この環境の中にいると本当に古の世界に戻ったような気がした。
正殿跡、中間広場の礎石、南門跡を一通り見た後は、歩道が整備された道(76号線)を隣のバス停まで歩いた。
その途中戒壇院や観世音寺に立ち寄り、その後またバスで太宰府駅まで戻った。
太宰府天満宮には、今回は大鳥居をくぐり、太鼓橋を渡り、楼門をくぐりと中央参道から正規のルートで参拝した。
境内では、令和関連碑の”発見”と普段見ない穴場的場所の数々、それと枝垂れ梅を重点的に見て回った。
以下私が気ままに動いた順に写真を並べます。
(通常の順路ではありません、また枝垂れ梅はランダム記載)
「旅人」号 | 欄干風ホーム |
駅事務所の横がレンタサイクル受付 | このバス停から乗車(この跡すぐ長蛇の列になった) |
バスに揺られながら、バス停数駅で太宰府跡に到着。
これからこの太宰府政庁復元図の右下から広い原っぱ全体を横目に見ながら堀川に沿って北上し
更に進むと歴史の散歩道に当たり、ここから西進し坂本八幡宮へ向かった。
参考サイトより転載 | 参考サイトより転載 |
碑が向こうに見える | 和歌石碑と全体 |
あおによし・・・文碑 | 万葉集筑紫歌壇碑 |
ココから散策開始全体 | 振り返り全景 |
歴史の散歩道途中の碑 | 碑の説明文 |
遠くに坂本八幡宮が見えた | 坂本八幡宮に到着 |
お参り | 神社由来 |
隣の梅林台地 | 正殿跡への木道 |
正殿裏の礎石 | 正殿跡の高い石碑 |
正殿跡の説明看板 | 正殿と南門の間の礎石群 |
太宰府跡説明写真と文看板 | 太宰府跡 |
古都太宰府保存への道南門全景
南門看板(古い1) | 政庁正殿周辺地図大 |
戒壇院へと続く道 | 観世音寺へと続く道 |
観世音寺 | 観世音寺の宝蔵 |
太宰府天満宮の参道へ | 太宰府入り口の大鳥居をくぐり |
太鼓橋を渡り | 楼門をくぐり |
本殿でお詣り | 言わずとしれた飛梅 |
「東風(こち)吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」(現在では「春を忘るな」が主流か?)
次の2枚の写真は、今回の旅の主目的の令和関連で、石碑の背が高いので縦版と横版の2枚掲載。
他の写真より多少高解像度になっていますので、拡大して和歌を読んでみてください。
令和関連碑 | 令和関連碑 |
以下境内の枝垂れ梅のかずかず
最後に
大宰府天満宮は梅の季節の2月が最適だが、太宰府政庁跡には桜の季節に行きたいと思った。
土日は混んでおり平日がいいと思うが、月曜は展示館が休館なので要注意。
上記とは別の行き方として、西鉄都府楼駅から歩いて現地迄行き見終わったらバスで太宰府天満宮へ行く方法もある。
車で行かれる場合、特に土日は駐車場の場所と待ち時間等をよく下調べしておかれたほうが良さそうだ。
春はサイクリングで廻るのもいいとおもいます。
<参考サイト>
令和関連:
◎NHK 平成から令和へ
◎万葉集に由来する「令和」に込められた、時代にふさわしい願い
明治大学 文学部 教授 山ア 健司
○日経新聞
新元号「令和」を読み解く 二文字が持つ意味は?
更に詳しくは
○ウィキペディア
太宰府(跡)関連:
◎太宰府政庁跡
○大宰府政庁跡(都府楼跡)
○太宰府について
◎太宰府天満宮
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