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2020年01月14日

チームメイトへの文句や暴言。

「ここにこう動け」
「なにやってんだ!」

「なんで〇〇しないんだよ!」
「ちゃんと見とけよ!」



先日のバスケ練習中、チームメイトへの
文句や暴言を言いがちだった選手が
やり過ぎなくらいに大暴れ。

試合は当然のようにボロ負け、
最悪な雰囲気のまま終わってしまった。

僕は「聞き流そう流そう」と必死だったものの、
気になるものは気になり、どんどん委縮。

最後の方はシュートを打つのも怖くなり
エアーボールまでやってしまった。



以前の記事で、
人に強い言葉を平気で言う心理を
分析してみたことがあった。

ただ、今回は周りが眉をひそめるくらいに
暴言がひどかったので、

悠長に「本当は自信がない裏返しなんだ」などと
客観視する余裕なく、心が折れてしまった。

→「強気な仮面の下は怯え。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/191/0



チームの代表も頭を抱えていた。

「彼は人数がギリギリだったら呼ぶことがあるけど、
今日ぐらいひどい日が続くようならもう呼ばない」
と憤慨していた。

1メンバーの僕でもきついのだから、
チームをまとめる立場から見たら
本当に頭が痛いだろう。



僕自身もその日は
同じコートに立ちたくないくらい
辛く腹立たしかった。

けど、一夜明けて理性を取り戻し、
客観的に見られるようになると、

笑えない冗談や、人を傷つけるようなからかいを
好き放題に言いまくる彼が少しかわいそうに見えた。



今まで誰も注意してくれる人がいなかったのかな。

言いたいことを何も我慢せず
好き放題言うのが許される環境で育ったのかな。

それとも、親や周りも同じように
好き放題に暴言を言いまくる人ばかりで、
ずっと傷つけられて育ったのかな。

そんな言葉が日常的に飛び交う毎日で、
冗談じみたけなし合いやブラックジョークが
当たり前のコミュニケーションだと学んだのかな。



その人の身体的な特徴を平気でいじったり、
僕自身は離婚歴があることをいじられたり、

人を傷つける冗談を言ってはいけないと
学ぶ機会に恵まれなかったのかな。



せっかくバスケが好き同士で知り合えて、
しかもかなり実力がある選手なのに、
自分の周りから人が離れていくことに気づかない。

彼が他のチームから出入り禁止にされているかは
わからないけど、

そこに気づこうとしないせいで
練習させてもらえるチームが減っていったら
もったいないな。



実力があって、自分の中で
こう攻めるべき、守るべきという
確たるイメージがあるんだろうな。

自分の思い描いた通りに周りが動かなかったり、
自分の理想的な試合運びじゃない状態を
きっと許せないんだろうな。

100パーセント彼のイメージ通りにプレーすれば
きっと何も言わないんだろうけど、

そんなことは難しいし、
彼のためにプレーしてるわけじゃない。

的を射てる指摘だけを受け止めて、
それ以外の雑言は流すしかないんだろうな。



捉え方によっては「上から目線」かも知れないが、
可能な限り冷静に、客観的に見た感想を
言葉を選びながら挙げてみた。

これだけ熱くなるくらいだから、
バスケが相当好きで負けず嫌いだろうし、
タフで闘争心が強い選手なんだと思う。

ただ、その表現方法を間違えてしまうと
1人がいくら上手くてもチームは勝てないし、
周りもついて来ない。

僕は普段は気さくに会話できる関係で、
いい面をたくさん持ってることを知っているだけに、

なおさら「もったいない」と思ってしまう。


posted by 理琉(ワタル) at 18:05 | TrackBack(0) | 人生観

2020年01月13日

生活保護廃止決定通知書。

2020年1月1日付けで
生活保護が廃止された。

12月中に区役所から
廃止になる見通しと電話をもらっていたが、

今年に入っても特に書類が届いたり、
電話があったりはしなかった。

→11月に生活保護の受給を開始。
 「生活保護開始決定通知書。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/352/0

→12月に保護廃止になる電話をもらう。
 「生活保護、廃止の見通し。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/403/0



歯医者と精神科にかかるために
国保に入る必要があったので、

国保加入手続きに行った際に
生活保護課から廃止通知書を手渡しでもらった。

忙しくて郵送が遅れていたそうだ。



地獄演説の大ダメージと引き換えに
親から受け取った資産を使い、

保護開始から廃止までに受け取った費用と、
その間10割負担でかかった医療費の合計、
約34万円を返還する。

返しても手元には100万円以上残るので、
就職して稼ぎ始めたお金と併せて
しばらくはこれでやっていく。



こんなに早く生活保護を卒業するとは思ってなかったが、
かといって何年も受給を続けるイメージも
できていなかった。

昨年は本当に不安と重圧に押し潰されそうな毎日で、
目の前を乗り切ることに精一杯だったから、
イメージどころじゃなかったかも知れない。

平穏な日々がほしいと言い続けたのとは裏腹に、
ことごとく暴風吹き荒れた1年だったけど、

結果的には最も大きな問題だった
「親への決定的な諦め」につながった。

→親の中にあるのは不安と自己愛、僕の姿はなかった。
延長戦決着、戦利品は”諦め”。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/389/0

→自分へ依存する親の姿をはっきり見る。
 「子どもの逃げ道を塞ぐ”生活保護封じ”。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/393/0



今後どういう思いに変わっていくかわからないが、
今この日この瞬間の気持ちとしては、
「あぁ、廃止になったか」。

渡された資産があるとはいえ、
本来なら「収入が…生活が…」などと
今後の不安をもっと考えていてもおかしくない。

なのに、今のところ大して焦りもせず、
不安も動揺もなく淡々と受け止めている。

以前に書いた覚えがあるけど、
僕にとって一番大きな障壁であり問題なのは
生活でも稼ぎでもなく親だったことがわかる。

今までだったら大崩れするところ、
親問題に比べたら「ああそう」と思ってるあたり、
良くも悪くも楽観的でいられるようになった。



このまま生活保護を継続で受けていたら、
本来は必要だった引っ越しをする機会がなかった。

生活保護を受給しながらの引っ越しを
経験してみたかった気持ちはあるが、
動きづらい真冬に大きな環境変化がなくてよかった。



何にせよ、ここからは収入の申告もないし、
何を持つのも自由であり自分次第。

意気込むでもなく淡々と始まった、
本当に自由な自分の人生に、何を描いていこうか。

それを考えつつ、これまで通りこつこつと、
できることを毎日積み上げることにする。


posted by 理琉(ワタル) at 18:49 | TrackBack(0) | 人生観

2020年01月12日

命との対話として同行した「釣り」。

父の実家は漁村で、里帰りすると
父は釣りに行くのを楽しみにしていた。

父は実家すぐ目の前の砂浜へ投げ釣りに出かけては、
カレイやクロダイを釣ってくることもあった。

投げ釣りに関しては「子どもには危ない」と言って
大人だけで行っていたが、

築港での「チカ」という魚釣りへは
家族で同行していた。



釣りに同行すること自体は嫌でなかったが、
釣り竿に餌をつけたり実際に魚を釣るのは苦手だった。

どうしても魚の気持ちになってしまい、
釣られる痛みや苦痛、理不尽さと人間の身勝手さに
心が痛んで悲しくなるからだった。

始めてから何尾か釣り上げると、
すぐに心が悲しみでいっぱいになって
離脱を繰り返した。



チカさんたち、僕らが今日来なければ
今もきっと自由に海を泳いで、
人生(チカ生)を謳歌していたかも知れない。

大海原で他の生き物に捕食されたり、
食べ物が見つからなかったり、
つらいこともあるだろうけど、

今日、僕ら人間の手によって
チカ生が終わる必要はなかったんじゃないか。



生き物はみんな、何かの命を奪って生きている。

釣りだって食べるため、生きるため、
だから決して命をもてあそんではいない。

それは仕方ないことと理解している。

けど、痛かったろうな…。

釣られてから死ぬまでの間、
苦しかったろうな…。

餌で釣って、針にかけて
痛い思いをさせた挙句に殺す。

僕らが今日来なければ、
こんなに苦しいチカ生の終わりを
迎えなくてもよかったんじゃないのかな…。



釣って帰ったら、祖母が料理してくれる。

チカの刺身、天ぷら、フライ。
すごくおいしい。

自分もそうやって命を食べて
生かされてるくせに、

「チカさん痛そう、かわいそう」だなんて
どの口が言うのかな。一方的だな。

本人(本チカ)が幸せだったか苦しかったかは
チカさんしかわからないことなのに。

そんな自分が罪深くて嫌になるけど、

せめて、いただく時には
「チカさんありがとう」という気持ちでいよう。



これが、釣りに同行した時に
毎回思っていたこと。

みかんの房の双子を見つけて泣いた時も、
『風の谷のナウシカ』原作を読んだ時も、

僕はとにかくすぐに感情移入する。

そして当事者の気持ちになり、
「自分がその場にいたらきっとこう思う」と
無限の想像が広がっていく。

→双子のみかんで泣く。
双子のみかんの気持ちになる。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/186/0

→『風の谷のナウシカ』原作で、
 殺される人たちの気持ちになる。
『風の谷のナウシカ』原作、残酷描写にいちいち心痛める。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/401/0

だからすぐ、釣られる側の気持ちになっては、
痛みや苦しみを想像して一人で悲しむ。

生き物の犠牲の上に今の自分が生きてることに
大きなジレンマを抱えながら。



いつ頃からこうやって
そのものの気持ちになるようになったんだろう。

少なくとも、初めて釣りに同行した時には
すでにこんな無限の想像を働かせていた。

生きる罪深さ、「かわいそう」と思う自分への疑問、

きれいごとでは決して向き合えない、
命との対話として「釣り」と関わっていた気がする。


posted by 理琉(ワタル) at 18:52 | TrackBack(0) | 生き方

2020年01月11日

やわらかいごはんと罪悪感。

父方の祖母は
僕が大学生の時に亡くなった。



父方の祖母は、まさに父の「地獄演説」の師匠で、
里帰りすると母が餌食になるのは見ていて辛かった。

それでも、正月には一緒に餅つきをしたり、

大人になってからは
祖母に向けたオリジナル曲を作ったりと、

なんだかんだで僕は祖母のことを慕っていた。

→父の地獄演説は祖母直伝。
 「祖母から父へ、受け継がれた「地獄演説」。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/390/0

→祖母との餅つきの思い出を歌った曲。
 「【オリジナル曲】「セピア色の約束」。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/126/0



その一方で、
僕は小さい頃から父方祖母の家に
あまり里帰りしたくなかった。

理由は地獄演説や、
父と一緒に過ごす時間が苦痛という他に、
「ごはんがやわらかいから」というのが大きかった。

それも、米粒が気持ちやわらかい程度ではなく、
お粥になる少し手前の、原型は留めているが
もう少ししたら怪しいという状態。

悪い言い方を承知で言うと、幼い僕にとって
父方祖母の家に行くことは食事の苦痛を
何泊か我慢しに行くことに他ならなかった。



ごはんの固さは、歯の悪い祖母が
いつもの自分用に合わせて炊く。

そんな「少しやわらかい」を超えているごはんが口に合わず、
6歳くらいの頃に一度だけ「ごはんが柔らかい」と
口に出して言ってしまった。

怒鳴られたり、あからさまに怒られたりはしなかったが、
母に慌てて咎められ、祖母は少し悲しそうな顔をしていた。

食事が終わった後、

「おばあちゃんは歯が丈夫じゃないから
普通の固さのご飯を食べるのは大変なんだよ」と
母からこっそり諭された。

僕は祖母を傷つけてしまった罪悪感と、
思っても口に出してはいけないことを
言ってしまった軽率さを恥じ、

その場からいなくなってしまいたくなった。

以来、僕はやわらかいごはんに対して何も言わず、
我慢して食べるという配慮を見につけた。



そんなことを学んだ次の里帰りで、

祖母はいつものお粥に近いものより
少し固めにご飯を炊いて出してくれた。

本来なら、自分は無理をしてでも
僕が食べやすいご飯を用意してくた祖母の
優しさや愛情をいっぱいに感じて
満たされた気持ちになるところ。

なのに、僕はこの時に一番強く抱いた感情は
祖母の優しさや思いやりへの嬉しさではなかった。

祖母に気を遣わせてしまった罪悪感、

そこから派生して
父や母にわがままと思われたかも知れない不安、

さらに、食事のたびにそこをつつかれたら
どうしようという恐怖感に心が覆われ、

祖母の優しさを感じる気持ちが飲み込まれてしまった。



それまでは「ごはんがおいしくない」というのが
あまり来たくない主な理由だった。

だけど小学生になってからは
僕に合わせてくれる祖母への罪悪感と、

そのことで両親から責められるかも知れない
という恐怖感が加わり

いっそう憂鬱な里帰りになっていった。



振り返れば、7歳そこらの僕は
たかが里帰りにどれだけ気を遣ってるんだろう。

両親はもとより、ごはんを固めに炊いたり
優しくしてくれる祖母の顔色までも伺って。

7歳らしく、祖母に会いに行けることを
素直に楽しめばいいのに、それができなくなっていた。

こんなに色んなことを考えながら、
当時から会話が無くなっていた父と
長く同じ空間にいなければいけない。

「気疲れ」という言葉すら知らないまま、
気疲れと罪悪感に飲み込まれ続けた。



父方祖母の家では、ごはんがやわらかい他に、
漁村にも関わらず山菜を多く入れた雑煮も伝統だった。

これがまた曲者で、大量の山菜を煮込み、
決しておいしいとは言えないものだった。

雑煮については、ごはんの件で学んだからか
「おいしくない」と口を滑らすことはなかったが、
こっそり母に伝えてしまったことはあった。

その時に母は、

「ここの昔からの習慣でね、
わざとあまりおいしくないように作って、
これを食べることで山の幸の恵みへの感謝と
忍耐強さを学ぶのよ」と言っていた。



父の実家とはいえ、他人の家に来ている以上、
食事や慣習は違って当たり前。

それを理解しつつも、
ごはんがやわらかいと言ってしまった罪悪感は
あの日から消えることなく、僕の気持ちを支配した。

罪悪感、後ろめたさを抱えながら、
少し固いごはんを用意してくれる祖母に対して
どんな気持ちでいればいいのかわからないまま過ごした。



当時、家では「学校は休ませない」と怒鳴っていた父は
実家に帰ってきたからか、かなり機嫌がよかった。

ここでは父の機嫌が良いと学んでからは、
おとなしくしていれば怒鳴られないという
ある種の安堵感があった。

思っても口にしてはいけないことを学び、
祖母の優しさを感じることができた。

なぜごはんがやわらかいか、
なぜ雑煮があまりおいしくないかの
論理的な理由を知ることができた。

知識、経験、倫理観は十分増えた。



だけど、
「そうだよね、少しやわらかいよね」と
僕が感じたありのままの気持ちを肯定してくれる人は
あの場にいなかった。

姑の家に来ている嫁という立場の母に
それを求めるのは酷だと知りつつも、

自分の素直な気持ちを誰も認めてくれない寂しさと、
素直な気持ちを抱いてはいけないという罪の意識は
里帰りした僕の無口をいっそう加速させた。



6歳ではっきり生まれた、
祖母に気を遣わせてしまったという
行き場のない罪悪感。

祖母、両親、そして、
感じたままの気持ちを受け止めてもらえなかった僕。

祖母が亡くなった今でも、
あの時どういう気持ちで過ごせばよかったかは
わからないままでいる。


posted by 理琉(ワタル) at 01:14 | TrackBack(0) | 家族

2020年01月10日

【一人暮らし料理】『ひたすらキャベツのコンソメスープ』。

おおよそ半年おきに
無性に食べたくなるものの1つ。

その名も
『ひたすらキャベツのコンソメスープ』



【材料】
・キャベツ半玉
・コンソメの素

【作成手順】
1.キャベツ半玉を適当に切る
2.コンソメの素で煮込む

※コンソメの素で足りなければ
 粉末だしや塩コショウを大雑把に足す。

20200105_154205.jpg

まさに一人暮らしの手抜き料理。



ひとたびはまると、
毎週キャベツ1玉が消費される。

はまる波が来る原因はわかっていない。

すこぶる簡単で手間いらずだからか、
とにかく何か野菜を食べた気になりたいからか。



昨年12月も下旬に差し掛かろうとする折、
この波がやってきて以来、

ここ3週間で3度作成、
キャベツ3玉を平らげている。

昨年末、まさに祖父母の家に里帰りする前夜に
12月3度目の波に見舞われて鍋いっぱいに作成。

出発の朝、完食に予想以上に時間がかかり、
危うく高速バスに乗り遅れるところだった。



スープがほしい、
でも味噌汁よりもう少しさっぱりといきたい。

それでいて、味噌汁を作る時の
味噌をとく作業がおっくう。

そんなめんどくさがりをこじらせた結果、
「切る、煮る」だけの極めて簡略化された工程で
スープにありつく方法を編み出したんだろう。

あとは大量のキャベツが手に入ったものの
消費に困っている場合も有効。



というわけで、一汁三菜とはいかなくても
毎食にしっかりスープ料理をつけたい、
且つ2〜3日同じメニューで過ごせる方はぜひ。


ーー食材調達は便利なネット通販にてーー



2020年01月09日

6Three Point、基本に立ち返り、地道に。

昨日の試合、
2番(シューティングガード)としてフル出場。

高さのある相手の
2-3ゾーンディフェンスを広げるため、

「パスを回しながらスペースへ移動し続け、
打てる状況なら迷わず打て」という指令を遂行。

結果、この日打ったシュートはレイアップ以外
すべてドリブルなしのキャッチアンドシュートで、

6本の3ポイント(試投数10)を含む
36得点となった。



試合自体は
最終クォーターで10点差を追いつき、
一時は逆転したものの、

残り5秒で相手に再逆転3ポイントを決められ
119-120で劇的な敗戦を喫した。



昨年11月頃から
急激に3ポイントシュートが入るようになってきた。

これまでシュートフォームを色々いじり
試行錯誤するも手応えがなかった。

ところが、秋口から
「地面をしっかり蹴って跳ぶこと」だけに
集中し出してから

シュートの飛距離も成功率も
信じられないくらい伸び始めた。



これまで、3ポイントシュートは
試投数が少なかった。

それは、「届かせよう」という意識が強く、
上半身が力む癖がなかなか取れず、
不必要に大きな労力を使うからだった。

シューティング練習で
ああでもないこうでもないと迷う中で、

「床を蹴った力をボールに伝える」という
ものすごい基本に立ち返ってから。

最初は慣れないので足指が痛くなったが、
慣れてからはどこからでも打てるから、
他のプレーに余裕が生まれている。



「理琉は淡々とシュート決めていくとこがすごい」

仲間にこう褒められた。

傍から見ると、僕のシュートには
「決めてやる!」という熱さがなく、

どんな状況でもいつも通り、
同じように打っているように見えるという。

打てる状況でボールをもらった時、
「シュートを打とう」というよりは
「よし、蹴ろう」だけを考えてるからかな。

マルチタスクが苦手だから
1つの動きだけに集中していることが
良い結果に繋がっているのかも知れない。



バスケが楽しくて仕方ない。

もっと上手くなりたい。
もっとシュートが上手くなりたい。

3ポイントシュートはようやく
1試合に1〜2本決めれるようになってきたが、
今はまだ、かすかに上半身に力みが入る時がある。

もっと練習して、
もっと滑らかに打てるようになりたい。

今までと同様、これからもコツコツ地道に
練習を積み重ねて、

来年か再来年の今頃には、
もっと滑らかに打てるようになっていたい。



なりたい自分になるために、
時間をかけて、少しずつ。
posted by 理琉(ワタル) at 02:14 | TrackBack(0) | バスケ

2020年01月08日

驚愕の、1日1000アクセス。

自分の記事が
Googleアプリの「おすすめ記事」欄に載ると

一気にアクセスが集中するという
Google砲の話を書いたことがある。

→「Googleからの初アクセス記念。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/290/0

今回、またこのGoogle砲を疑うような
信じられない数字が目に飛び込んできたので、
その辺を書いてみようと思う。



日中に記事を編集し、夜はバスケで外出。
この日のアクセス数は夕方で100未満。

帰宅し、再び記事を編集しようとすると、
アクセス数が1000を超えていた。

不在にしていた数時間で900アクセス。



びっくりして調べてみると、
GoogleやYahooからの流入はゼロ。

検索ワードからの訪問もゼロ。

?!

何があった?!

出どころは謎ながら、
とりあえず初めての1日1000アクセスを祝う。



アクセス数なんて単なる数字とはいえ、
Google砲の記事でも書いたけど
気になってしまうのが人情。

自分のブログがどれだけ成長しているかを
具体的な形で見られる1つの方法なので嬉しい。

もちろん、それだけ多くの人が
自分の考えを読んで何か思ってくれてることも嬉しい。



広く世界に役立つ情報を発信してるわけじゃない、
極めて私的な体験やそれについての考えを書いている。

そんな一市民の私的な意見なんて、
ほしい人いるの?というのは時々思う。

もっと役に立つような有益なことを
取り上げるなりしてもいいんじゃないかと、
商業的な目線に傾きそうにもなる。

そう思うたびに再確認するのは、
ほしがられるために書いてるんじゃない、
自分が書きたいから書いてるってこと。

他人のために義務感でやってるんじゃなく、
自分がやりたいからやってるってこと。



自分が思っていることを、
誰に邪魔されるでもなく、自由に表現できるところ。

頭で考えてるだけではまとまらないものを
書き出すことによって整理させてくれるところ。

そうすることで、自分の本当の気持ちに
気づかせてくれるところ。

そして、自分が作ってきたものの成長を
感じられるところ。

最初は単に
「1日1000アクセスにびっくりした」
感想を主張したかっただけなのに、
書き進めるとこんなに自分の気持ちが出てきた。

深く考える癖は、話を掘り下げることに
うまくつながってる。



僕が家族に求めて得られなかったもの、
自由に自分の感情や考えを表現する場所。

1つの記念を迎えた今回、
自分のために書いてるんだよってことを、
初心として再確認できた。
posted by 理琉(ワタル) at 18:07 | TrackBack(0) | 人生観

2020年01月07日

「『男なんだから』大きな声でしゃべりなさい」。

祖母
『男なんだから、大きい声出すんだから、
そんな小さい声じゃ聞こえませんよ。』



僕自身は
「男のくせに」
「男なんだから〇〇しなさい」
と言われることや、そういう価値観が嫌い。

男らしく、女らしくなんてどうでもよくて、
自分らしくいたいと思っている。



KERAの服もレディースの服も
(女装ではないが)気に入ったものは着るし、

里帰りすれば
カテゴリ的には少女漫画に入る
『赤い牙』シリーズや『超少女明日香』
といった漫画も好んで読む。

一方で、
『FUGA』『トルネードマート』
のような渋谷系の服も好き。

強くて頼り甲斐があり、
人を引っ張っていくような、
「俺について来い」は目指しておらず、

目の前のものが気に入れば「好き」
そうでなければ「こういうものもあるんだ」
と受け止めていたい。



祖母は自分の中にある
男性の「べき像」に従って言っただけ。

男は強く、声も力も大きく、
頼れる一家の大黒柱。

男とはそういう生き物で、
そうあることが善しとされた時代。

祖母が触れ、見てきた男性像に基づいて、
聴き取れない声でしゃべった僕に言っただけ。



僕は歌う時以外は声をあまり張らない。

だから時々、声が小さいと言われる。

耳が遠い祖母に、声を張り過ぎて
怒っているように聞こえさせたくなくて、
かえって聞き取りづらくさせてしまった。

そんな、声が小さくて
何を言ってるのか聞き取れない僕を見かねて、
祖母が「男だから声を…」と言っただけ。



ただの価値観の違い、それだけ。

なのに、言われた直後の僕はどうして
あんなに腹を立ててしまったんだろう。

間接的に「男らしくない」と言われたことで、
自分に対する否定と捉えてしまったんだろうか。

「男らしくしろ」と言われるのが嫌いな僕の価値観を
否定されたと思ってしまったんだろうか。

僕より半世紀以上も前の世界を見て来た祖母と
時代背景や考え方が違うのは当たり前なのに、
押し付けられたように感じて反発したんだろうか。



1つ言えるのは、僕は大人になって
色んな知識、価値観、考え方に触れてきたから
こうやって客観的に見られるってこと。

何も知らない子どもの頃からずっと
こうやって「男」のロールモデルを押し付けられて育ったら
それが当たり前の価値観として定着しただろうってこと。

「男とはこうあるべき」に対し、
おかしいと思わず過ごしたか、

思っても口や態度に出せないまま
自分の好みや生き方を押し殺していたかも知れない。

祖母が悪いというわけではないが、
親からの価値観の押し付けは
こういう見えにくいところからでも
着実に子どもに染み込んでいく。



僕とは違う考え方の意見、
間接的に「男は大きな声でしゃべりなさい」
と言われ、腹が立ってしまった。

その時は腹立てた自分を後悔したし、
罪悪感を覚えた。

だけど今、ようやく
怒りを覚えていいことに気づいた。

湧き上がるどんな感情にも
良し悪しはなく、人間の自然な姿。

「男なんだから」と言われて腹を立て、
怒りを覚える自分もありのままの自分。

そんな自分を受け入れ許したい気持ちと、
怒りへの罪悪感に揺れながら、

少し吹雪が弱まったバス停に佇み、
帰路に着こうとしていた。


posted by 理琉(ワタル) at 18:15 | TrackBack(0) | 家族

2020年01月06日

「育ててもらったのに、勝手じゃないの?」。

祖母
『実家には帰ってないの?』

理琉
「…うん。」

『どうして?かわいそうでしょ?』

「歓迎されてないから。」

『お父さん亡くなったらどうするの?それでも帰らないの?』

「絶対帰らない。あんな奴らは親でも家族でもない。」

『お父さんお母さんどっちも?』

「…うん。」



僕は言葉足らずだった。

耳の遠くなった祖母に対し、
長い文章での返答を避けようとするあまり、
実家に行きたくない理由を伝えられなかった。

完全なる後出しじゃんけんであり、
実はこう言いたかったという言い訳でしかないが、

この時に時間をかけてでも、
「一方的で、子どもの気持ちに無関心だから」
「子どもを支配したいだけで愛情なんかないから」と
少しでも伝えられていたら。

直後の祖母の言葉を真に受けて
余計に傷つくことは避けられたかも知れない。



祖母
『せっかく育ててもらったのに…それは勝手じゃないの?』

理琉
「生んでくれなんて頼んでないから!」

『あぁ〜、私の若い頃に1人いたわ。そう言ってた人。』

「…。」

『私も〇〇(叔父)にどう思われてるかねぇ…。』

「…。」



わかってる。
祖母に悪気はまったくない。

毒になる親や、アダルトチルドレンなんて概念が
なかった時代の価値観で生きてきた人。

親は無条件で立場が上、子どもは下で、
子どもは親に対し「生んで育ててもらった」と
考えるのがスタンダードな時代だったこと。

お金やモノじゃなく、子どもの「心」に寄り添うことが
重要視されていなかったであろう時代だったこと。
多くの親は
「子供は親をうやまい、親に忠実で、親に感謝しなければならない。
なぜなら子供は親に育ててもらった”借り”があるからだ」と信じています。

社会や宗教の多くはこの考えを助長しますし、
私たちのほとんどはそう教えられて育っているからです。


『不幸にする親』第五章 より



里帰りするたびに、
祖母はこの同じ質問を僕にする。

実家には帰ってないの?と。

昨年は受け流すというか、
濁す対応ができた。

でも今回はできず、
心と口調が乱れてしまった。

僕と重ならないタイミングで母や妹弟も里帰りし、
そこで僕の話題になるんだろう。

「理琉は帰って来ないかい?」といった調子で。

そこで実家がどんな話をしたかわからないが、
多くを語らない母の様子を見て、
祖母なりに心痛めているんだろう。



『勝手じゃないの』の一言で
必要以上に傷ついてしまった僕は、
言葉が出なくなり、伏し目がちになった。

つい1ヵ月くらいの間で
親と心を通わせるのを真に諦める事件に至るまで、
どれだけの自責と葛藤があったかを
1から説明する気力は残っていなかった。

→「延長戦決着、戦利品は”諦め”。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/389/0

自分の長女と孫がうまくいっていない、
その両者を目撃し心痛めていたり、

自分が母や叔父を育てた時のことと重ねて
思い出すところがあったりするだろう、
などと配慮する余裕は僕になかった。



これ以降、僕は帰るまでほとんど祖母と
口を聞かずに別れてきてしまった。

平常心で話せなかった自分、
心乱れて投げやりになってしまった自分を
今でも後悔している。

自分の親は完全に諦めても、
家族というつながり全体に対して、
そして祖母に対しては諦められていなかった。

子どもの気持ちに寄り添う、受け止める、
そういう概念が薄かったであろう時代背景と環境。

だから僕の親族としてつながっている人には
僕の気持ちが理解されることはない、
そうわかった気になっていただけだった。

諦めなければならないことを
割り切って諦められないから苦しい。

心配性な祖母の言葉1つ1つが、
より重く、苦しくなってしまった。


posted by 理琉(ワタル) at 18:40 | TrackBack(0) | 家族

2020年01月05日

里帰り、吹雪吹雪、また吹雪。

三が日は雪が横に降っている。

僕が到着した日は地面が見えていて
あたたかいから雨が降る始末。

この冬は雪少なく過ごせそうだという
淡い期待を1日で捨てさせてくれた。



到着した次の日で、風が一番強かった。

20200101_104654.jpg

薄暗く見えるが、撮影時刻は午前中。
薄暮を思わせるほど、横殴りの吹雪が強烈。

20200101_105631.jpg



2日目の夕方16時頃。

ようやく風が止み、雪がハラハラと舞い出した。

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20200102_160911.jpg



1日3回の叔父による雪かきを手伝う。

前回きれいにしたはずなのに、
そこにはもう20センチ以上の
パウダースノーが降り積もっている。

かなり落としたはずの、車庫の屋根に積もった雪、
むしろ落とす前よりモッサリ積もっている。



ここは豪雪地帯、
パウダースノーの降る山村。

際限なく積もる雪を
雪かき作業で路端に積み上げれば、
道路の両端には雪の壁ができる。

到着した日に地面が見えていたり
溶けかかっていたのは、本調子じゃなかったから。

年始にはしっかり帳尻を合わせ、
いつも通り雪まみれの景色を作り上げてきた。



朝昼晩の雪かきで
二の腕はすっかり筋肉痛になっている。

吹雪の三が日、ひたすら雪かきと、
柴田昌弘氏の『紅い牙ブルーソネット』読破に集中。

バスケットボールを触れないのは寂しいが、
こんなにのんびり過ごせたのはいつ以来だろう。

正月期間は運休だった、
村から高速バス乗り場へ行くバスが明日から動く。

それに乗って、今回の里帰りから帰還する。

パウダースノーの壁を見られるのは、
明日でひとまず終了だ。
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理琉(ワタル)
自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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