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2020年02月03日

【夢分析】机を避けながら負け試合を闘う夢。

ここまで3試合とも女子チームにボロ負け、
この試合も大差をつけられ、試合時間は残り5分。

4戦連続で大差での負けが濃厚、諦めの空気が漂う中、
最後のタイムアウトがコールされ一旦ベンチに下がる。



疲労困憊で今にも倒れそうなチームメイト2人に、
僕は「まだだ、最後まで諦めるな!」と叫ぶ。

現実的に今から追いつける見込みはほとんどない。

だが、このまま終わるのだけは嫌だ。

どうせ負けるなら最後まで、
前のめりに倒れる姿勢を貫いて負けよう。



試合会場は体育館というより、
広めの会議室、もしくは学校の視聴覚室に似ている。

コート上には僕ら選手10人の他に、
たくさんの長机が不揃いな向きで置かれている。

こんなコートで今までどうやって
バスケの試合をしていたかわからないが、

最後に意地を見せてやると必死な僕は
それに疑問を持つことはなかった。



無造作に置かれた長机を避けながら
必死のオールコートディフェンスを仕掛ける。

追いつけなくても
このまま圧倒されたまま負けるのは嫌だ、
1点でも2点でも取り返して、一矢報いてやる。

さっきまで疲労で倒れそうだった仲間も
最後の力を振り絞り、ボールと相手を追いかける。



そんな中、僕がマークしている選手にパスが回った。

絶対に抜かせない、来るなら来いと
相手を睨みつけた瞬間、

バスケ選手らしくない
眼鏡をかけたきれいな顔立ちにハッとした。

このまま負けてたまるかと
半ばヤケになっていた気合が一瞬ゆらいだ、

その時…。



ーーーーーーーーーー



半年以上も前の夢でも、
机がたくさん置いてあるコートで
バスケの試合に出場したことがあった。

あの時はとてもいい感じの試合運びだったが、
今回は敗色濃厚。

これだけでも、気持ちが上りか下りかがすぐわかる。

→「レストランでバスケの試合に出る夢。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/205/0



【キャスト】
・バスケの試合
 日々の努力、掲げた目標へ向かう姿勢

・教室
 学業、仕事など社会活動をしている場所

・会議室
 自分がどうするか戦略を練る場所

・机
 学業、仕事、取り組むべき課題、訓練

 整理整頓されていない机
 やるべきことに集中できていない

・知らない女性
 自分自身の投影

・眼鏡
 自分の立ち位置を冷静に見極める必要性
 物事の本質を見極める判断力

 眼鏡をかけた人
 →他人の気持ちや心情など
  見えないものを見ようとする姿勢

ーーーーーーーーーー

うまくいかないこと、負けて悔しい気持ち、
それによって次々に増える、自分にとっての問題。

それらをがむしゃらに避けながら、でも負けそうで、
抗おうと必死にもがいているんだね。

だけど、ちょっと立ち止まって、
自分の現在地を確認してみようか。

あなたが「負けてたまるか」と必死で対抗している物事に、
視野が狭まった今の状態でぶつかってもいいの?

熱い気持ちは内側にたぎらせて、少しだけ冷静に
やるべきことを見極めてみてもいいんじゃない?

ーーーーーーーーーー



たぶんこれが、僕の深層心理が言いたかったこと。

焦り、悔しさ、寂しさ、孤独感、
今の僕はいろんな感情を抱えすぎている。

つい最近、いっぱいいっぱいになって
号泣したばかりだというのに。

→「泣きたい気持ちに重ねる、『手紙 〜拝啓 十五の君へ〜』。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/436/0



そんな状態で、乱雑に置かれた机を
避けようと必死に動いている。

何とかしようとする姿勢はいい、だけど、
少しだけ立ち止まって、落ち着いてからでも遅くはない。

きっと、そう忠告してくれたんだと思う。


posted by 理琉(ワタル) at 00:39 | TrackBack(0) | 夢の話

2020年02月02日

心の安全基地を、自分にする。

何かの役に立たなくても、
何か結果を出さなくても、

無条件で受け入れてくれる人を求め続け、
見つからなくて苦しんできた。

その役割はずっと親に求めてきたこと。

それは決して叶わないと悟る出来事を経験し、
その役を親以外の人に求めて良いのかを自問自答してきた。

→この人にわかってもらうのは、不可能だ。
 そんな決定的な諦めを悟った瞬間。
延長戦決着、戦利品は”諦め”。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/389/0



何があっても、この人だけは
無条件で自分を受け入れてくれる。

だけど現実的には、幻想とまでは言わないが
そんな存在は自分の身近にいない。

そのことに絶望した時に作った曲にも、
同じようなことを書いたじゃないか。

→「【オリジナル曲】「存在が罪」。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/165/0



求めては見つからず、彷徨い続ける中で、
1つの答えが出た。

心の悲鳴をどうしようもできなくなって、
逃げ帰れる場所が自分の外にないなら、

自分がその安住の地になるしかない。

どれだけ親しくなる人とも別れがあるが、
自分とは死ぬまでずっと一緒。

だったら、自分の心の中にいる自分を
何があっても逃げ帰れる安全基地にすればいい。
親の保護や導きも期待できず、
親代わりの存在も身近にいないという場合、
愛着障害を克服するための究極の方法は、
「自分が自分の親になる」ということである。


『愛着障害』第六章 より



幼少期を長く同居したり、
特別な時間を過ごしたからといって、
勝手に受け入れを期待しても傷つくだけ。

そんな独り相撲ばかり繰り返して、
勝手に落胆し続けるくらいなら、

何があっても自分を肯定してくれるのは
自分自身と考えればいいんだ。
親に期待するから裏切られてしまうのだ。
親に認められたいと思うから、親に否定されることを
つらく感じてしまうのだ。

もうこれからは親に左右されるのはやめよう。
あの人たちを親と思うのはやめよう。
その代わりに、自分が自分の親になるのだ。

自分が親として自分にどうアドバイスするかを考え、
「自分の中の親」と相談しながら生きていこう。


『愛着障害』第六章 より



誰も信じない、誰の意見も聞かない、
ということではなく、

世界の誰よりも自分を認めてくれるのは
自分なんだから、

心の拠り所を自分の中に作ろうということ。

辛い時は、自分の中に作った安全基地へ逃げ込み、
自分に向けて思いのたけをぶちまけよう、
泣きたいだけ泣いたらまた出発しよう。



そう開き直りながら今日も、

溢れ出しそうな寂しさと虚無感を
必死で抑えて生きている。


posted by 理琉(ワタル) at 23:22 | TrackBack(0) | 家族

2020年02月01日

受け止めてもらえなかった末に、出来上がるもの。

祖父母の家に帰省すると、
懐かしさやほっとした気持ちとともに、
ものすごい寂しさを抱えて過ごす。

自分を傷つける両親はここにはいない。
だから外敵から心を守るために構えなくていい。

そんな安心感や、ほっとした気持ちを話しても
「どうせ誰も受け止めてくれないから一人で楽しもう」
という、感情表現への諦めが、寂しさの正体。

満たされない承認欲求を表に出せない、
甘え下手の引っ込み思案ができあがる。

何を話しても、テンプレート通りの返答


祖父母の家にある、叔父叔母の漫画コレクション。

・『ブラックジャック』
・『紅い牙』シリーズ

この作品の、ここが面白かった、
この場面で泣きそうになった。

隣町のどこどこへ行ってきて、
ここが良かった、あの景色に感動した。

※「里帰り、『紅い牙』柴田昌弘氏の世界にひたる。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/410/0

そんな自分の気持ちや感想を話しても、

「またおいで」

これは相手が何を話していたとしても、
内容に関係なく使える便利な返答。

悪く言えばテンプレート。

僕がどう感じたか、どんな気持ちになったかを話しても、
こういう型通りの返答しか返って来ないんだ。

否定されない分の安全は感じていても、
僕が感じたことに関心を持ってもらえなかったと
思い込む時間は変わらないんだ。

そのままの気持ちは、受け入れてもらえないと学習する


自分の気持ちをいくら伝えても
それに対しての反応テンプレートだと、

「自分の話は面白くないのかな」
「自分の気持ちには誰も興味ないのかな」

という不安と疑念が生まれてくる。

相手の真意はどうあれ、
「受け止めてもらえなかった」体験が積み重なる。

周りが気に入る話をしようと、自分を偽り始める


何を話しても受け止めてもらえない体験が続くと、
自分の素直な気持ちでは注目してもらえないと学習する。

自分が感じたままを話しても反応をもらえない、
だったら、自分を偽り、装飾してでも、
受け止めてもらえるだけの価値をつけなければ。

こうやって本当の気持ちを押し殺す。

どうすれば共感を得られるかを他人基準で繕い、
話を面白くすることに注力し始める。

やがて自己表現を諦める


それでも関心をもらえないと気づくと、
興味を引くような話を作り上げることを諦め始める。

「どうせ何を言ったって受け止めてもらえないんだ」
「誰も自分の気持ちになんて興味ないんだ」

「共感が欲して、もらえないと勝手に傷つくくらいなら、
最初から何も話さなければいいんだ」


そんな投げやりな、諦めの境地に向かっていく。

周りへの気遣いばかりで、自分の気持ちを押し殺す


さらに、そんな諦めをこじらせると、

「みんな自分のことで精いっぱいだから」
「僕の気持ちなんて受け止めてる余裕ないから」と
逆に周りに気を遣い始める。

小さい子が「学校でこんなことがあった」と
親に話しても受け止めてもらえない悲しみと、
大人の自分を同列に考えてはいけないんだ。

みんな自分の感情処理と忙しさで大変、
だから僕は本当の気持ちを話してはいけないんだ。

だったら、みんなの振る舞いや言葉の裏側や背景から
きっとこうなんだな、辛いんだなと想像して、
自分がしっかりしなければいけないんだ。


気持ちを話したり、頼ったり、甘えたりなんて、
余裕のないみんなに負担かけるような真似はできないんだ。

引っ込み思案の甘え下手ができあがる


こうやって、
一見しっかり者で何でもできそうだけど
自分の気持ちを表に出せない甘え下手ができあがる。

本当は甘えたくて仕方がない、
自分が感じたままの気持ちを受け止めてほしい、
そんな渇望ばかりが溜まり続けて飢餓状態になっている。


しかし、それをしても誰も受け止めてくれない。

自分の気持ちを話す試みを諦めていなかった頃、
話すたびに無反応に傷ついた経験をもう繰り返したくないから、

飽和状態の承認欲求は無理やり封印されたまま、
どこにも行き場がなくなっている。

無視、無反応は直接的な否定と同じくらい心を傷つける


共感や反応をもらえない、
投げたボールを受け取ってもらえない経験は、

頭ごなしに否定されるのと同じくらい
深い傷として積もっていく。

なにしろ、共感も反応もないというのは
あなたはそこに居ませんと言われているのと同じだから。

→直接的な否定と同じかそれ以上に、無視の威力は大きい。
冷たいドアと黄昏と。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/227/0

だから、せめて求められることができれば
存在を認めてもらえるかも知れないと思い、

先読みし、くるくる働き、
なんでもできるフリをしている。

自己主張への諦めと、愛情飢餓を抱えて


僕は自己主張への諦めと、
傷つくことへの極度の恐れと、
甘えられない飢餓感を抱え、

人を頼ってはいけないというルールで
自分を強く縛りつけた引っ込み思案。

今、どうして自分は人に甘えられないのか
ようやくわかった段階で、それを変えていく過程に
なんとか進もうとしているところ。

まだ、人に甘える自分は見えない。

受け入れてほしい欲求を抑え切れなくなり、
暴走したら何をしでかすんだろうと怖くなる。

この飢餓感が止む時はいつか来るの?

この問いへの、イエスという答えがほしい。


posted by 理琉(ワタル) at 01:00 | TrackBack(0) | 家族

2020年01月31日

着席すべきか否かで迷う、電車の空席。

最近、地下鉄で自分が立っている時に
悩んでいることがある。

それは、ちらほら空き始めた空席に座るべきか、
それとも、席が必要な人が現れた時のために
このまま立っているべきかという悩み。

明らかに遠慮する気持ちが暴走し、
空気を読み過ぎて自爆している。



昨日、やはり空席が目立ち始め、
どこかに座ろうか、立っていようか考えていると、
小さい子を2人連れた4人家族が乗車してきた。

席はところどころ空いているものの、
連続した4人分のスペースはない。

上の子が着席を促したが、
お父さんが「3駅先で降りるよ」と言っていたので
おそらくこのまま立って過ごすんだろう。



彼らのすぐ隣に立っていた僕は
どうしようと迷い始めた。

僕は3駅より先、終着まで行くとはいえ、
立っている彼らを差し置いて着席してもいいんだろうか。

確かに連続して4人分空いている席はないが、
目の前で僕が座るのを見た子どもたちは
自分たちも座りたいと思うだろう。

いらぬ我慢の種を見せつけてしまうことに
なりかねない。



あるいは、
お父さんお母さんはどうして席が空いてるのに
座らないんだろうと考え、大人の事情を
あれこれ気を遣わせてしまうかも知れない。

その家族のすぐ隣に立っている自分の行動如何で、
あの子たちにいわゆる”忖度”をさせてしまうんだろうか。

いらぬ気を遣わせるくらいなら
このまま動かずに立っていた方がいいだろうか、
どうしようどうしよう。

こんなことをぐるぐる考えている内に
あっという間に3駅が過ぎ、
その家族は降車していった。



そう。

こんな余計な、考えても仕方ないことで
空気を読みすぎている。

他人のことなんて誰も気にしてないのに、
我ながら自意識過剰だと思う。

自分が降車する頃には、
両目に疲れが溜まってぐったり。

空席1つで過剰に周りに気を遣う、
いわゆる”日本人的な”気質なのか、
それとも敏感すぎるのか。



とはいえ、何だかんだ心配していても、
結局は自分が安心したいからなんだろう。

一見、家族を何とか座らせてあげたいという思いは、
そうしないと自分がどう振る舞えばいいか
不安になる気持ちが根底にある。

以前、息子への心配からあれこれ言い過ぎて
心を閉ざされてしまった母親のことを書いたが、
自分も根っこには同じ不安を抱えてるじゃないか。

→「それは愛情ではなく不安感。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/218/0



究極の答えは、身もふたもないが
「座りたいなら座ればいい」。

はっきり言って僕もそう思う。

いらないところで
ああでもないこうでもないと
1人で気をもむ自分が不思議に思える。

こんな取り留めない考えが瞬時に、
泉のごとく湧き出てくる不思議に。

周りのことを過剰に気にする人、
癖で空気を読み過ぎる人の頭の中を
少し覗いたと思ってご容赦願いたい。


posted by 理琉(ワタル) at 18:54 | TrackBack(0) | 生き方

2020年01月30日

泣きたい気持ちに重ねる、『手紙 〜拝啓 十五の君へ〜』。

うまくいっていた時には
まったく無関心だった心身の疲れ。

今日は明らかに自分という器が満杯で、
破裂しそうなのが感覚としてわかる。



思いきり泣きたい。

泣きたいのに
感情のシャッターが閉じてしまったよう。
平坦で起伏がなくなっている。

どうしよう。
泣くための材料を探す。



そういえば昨日、
外出先でたまたまかかっていたこの曲。

久しぶりに聴いて
目頭が熱くなりかけたから
慌ててその場を立ち去ったんだった。



『手紙 〜拝啓 十五の君へ〜』
アンジェラ・アキ



未来の自分に充てて書く手紙なら
きっと素直に打ち明けられるだろう
始まった途端、そんなに泣いて。
そんなに「悔しい…!」って叫んでさ。

ボロ負けしたあの試合、

特に自分がマークしてた相手に
抜かれたり、たくさん点を取られたり。

負けたのは誰が穴になったわけでもないけど、
自分のところでやられたと思い込んでいて。

まだ吹っ切れてなかったんだね、
悔しかったんだね。

自分がやられた場面ばかり思い出して悔しがったら、
チームの上昇より自分の活躍を優先している
セルフィッシュな選手と思われるかも知れない。

そんな心配ばかりして、悔しさを押し殺して
表に出せなかったよね。



ひとつしかないこの胸が
何度もばらばらに割れて
苦しい中で今を生きている
親、祖父母、親戚との複雑な関係。
ずっと悩んできた、彼らとの関係。

そんなに号泣しながらも
気づいたらつぶやいていた言葉。

「僕は誰かに愛されていたという答えをください」

そっか、怖いんだね。

もしかすると
誰からも愛されていなかったんじゃないか
誰も自分に愛着も関心もないんじゃないか

その恐怖はどれだけ諦めても、
悟りを開いても拭えないよね。

自分のルーツが出来上がる時期に
あまりにも長い時間を過ごしてしまったね。

でも一方で、何をしてくれたら
愛されてると心から実感するのか。
それがわからないのが、また怖いんだよね。

学び損ねたよね。



人生の全てに意味があるから
恐れずにあなたの夢を育てて
keep on believing
そうやって必死に胸を叩きながら唱える
「keep on believing」

自分を信じて、信じてと
無理して呪文のように言い聞かせてる。

自分が積み上げてきたものは本当に正しいのか、
今、つまずいたことで自信を失ってるんだね。



ああ 負けないで 泣かないで
消えてしまいそうな時は
自分の声を信じ歩けばいいの
自分のやっていること、練習してきたこと
積み重ねてきたことが正しいかどうか。

答えは自分の中にあるでしょ?

人と比べたり、
目の前の結果が出たかどうかで判断したり、
それは誰でも持ち合わせてる感情だから自然なこと。

思ってはいけないと責める必要はない。

劣等感や悔しさ、虚しさだって自然な感情、
むしろ人間だから感じる気持ち。



もう何回リピート再生したかわからないけど、

涙でぐしゃぐしゃだった顔が
少しずつ落ち着いてきたら、

心の中の自分が何て言っているか
少しだけ耳を傾けてみて。

また泣いたっていいから。

何回でも聴いて、たくさん泣いて、
何回でも涙を拭けばいいから。
posted by 理琉(ワタル) at 23:30 | TrackBack(0) | 人生観

2020年01月29日

【夢分析】ガソリンスタンドに立ち寄る夢。

晴天に恵まれたドライブ日和、

大学生の時に9万円で買った中古の軽自動車、
ブルーのミニカを運転している。



高い建物はなく、緑も混じる郊外の道路。

とっくにお別れしたはずのミニカに
なぜ乗ってるんだろうと疑問に思うも、
そこは敢えて突っ込まず快調に走る。



道路の右側にセルフのガソリンスタンドがある。

すると、僕はすかさず右折、
残量計を見ずにスタンドへピットイン。

車から降りて給油口を開け、
慣れた手つきで給油を始める。



そこへ、数ヶ月会っていないバスケ仲間が登場。
こんなところで会うなんて奇遇だ。

笑顔で話しかけてくれたが、
何と言ったのかは残念ながら覚えられなかった。

一言二言、挨拶を交わし、
その友人は自分の車の方へ去っていった。



そろそろ満タンになる頃だろう。
給油量を示すメーターの動きが鈍り始めた。

それにしても青空がきれいだ。

適度に雲が浮かび、陽の光は遮られず、
まさに絶好のドライブ日和。

そんな素晴らしい青空に見惚れながら、
少し紫がかったブルーのミニカに
いろんな思い出を重ね始めた、その時…



ーーーーーーーーーー



出演してくれた友人が
何か大切なことを言ってくれた気がする。

起きてからも覚えていたいと全力で願うも、
起きる寸前に残念ながら消えてしまった。



【キャスト】

・青空
 素直な気持ち、澄み切った心

・ドライブ
 充実感、勢い、成功の可能性

 1人でドライブ
 →他の人に頼らず自力で成功への道を突き進む

・ガソリンスタンド
 →心身の疲労、私生活、

 ガソリンスタンドが登場する場合、
 車は自分自身を指す

 スタンドに立ち寄る、給油する
 →休息、リフレッシュの必要性がある



うん、

休息が必要ということだ。



今週前半にあった試合でボロ負けして以来、
明らかに気持ちが落ち、感情の起伏がなくなっていた。

ここまでずっと好調だったシュートが決まらず、
それで気持ちが前のめりになったのか
ディフェンスではギャンブルを多発。

焦って後手になった気持ちを
最後まで立て直せなかったことが悔しかった。

点差はそこまで開かなかったが、
自分の出来がボロボロだったことで
かなり落ち込んでいた。



それまでが上手くいき過ぎていたから、
知らず知らず溜まっていた疲れに
気づかなかったんだろう。

その日のボロ負けから、
調子が一気にガタっと崩れた印象。

仕事は日常生活は普通にこなしたが、
何だかぼーっとして無為に過ごしてしまった。

ここ数日、立て続けに夢の話を書いているのは、
実は眠りが浅くなってたくさん夢を見てるからだろう。



上手くいっている時にも、時には立ち止まって、
自分の疲れがどれくらい溜まっているかを
気にかけなさいよ。

晴天の下、残量計も見ずに
ガソリンスタンドに立ち寄った僕は、
そんな警告を伝えていた気がする。



それにしても、9万円のミニカ。

懐かしかったなぁ。


posted by 理琉(ワタル) at 22:53 | TrackBack(0) | 夢の話

2020年01月28日

何事も、言い方1つ、歯医者にて。

家のすぐ近くの歯医者へ。

先生の治療が始まる前に、
ここでは初めて会うベテラン歯科衛生士さんが
詰め歯を入れる前の高さ調整をしてくれた。

アシスタントなのか、
大学や専門学校の名前が入った制服を着た
実習生さんが2人、忙しく動き回っていた。



ベテランの歯科衛生士さんは
いかにも慣れた手つきと接し方で
てきぱきと仕事をこなしていたが、

アシスタントに付いている実習生への
指示の出し方を聞いていて、

もし自分がこう言われたら嫌だな、と思った。



「次、〇〇用意してって言ったよね?」

「ホラ、アンタも来て、よく見ときなさい」

「〇〇用意、早くして、何度も言わせないで」



声を荒げたり、いらいらした口調ではないが、
落ち着いた様子でけっこうきつい言い方。

うつむき加減で、
黙って備品を用意する実習生さんたち。

あまりよろしくない雰囲気の中で、
ただ寝そべっているしかできなかった。



ベテランさんが
詰め歯の高さを調整していて、

「高さ、これで大丈夫と思うんですよね。
じゃあ先生が来るまでお待ちください」



いや、あの…ちょっと高い…。



自分の仕事に自信があるのか、
後がつかえているから手早く済ませたかったのか、
危うく高さがかみ合わないままセットされるところだった。

そうなっては一生の問題なので、言いづらかったが、
なんとか「少し高いです」と伝えて再調整してもらった。



決めつけないで…。



いざ、詰め歯をセットする最終段階となった際、

「詰め歯の色、これで作りましたけど大丈夫ですよね。
付ける歯は白いけど、隣の歯が黄色いの目立ちません?」

僕は特定の歯の色があまり良くないのを気にしているので、
さすがに傷つき、これは指摘させてもらった。

「すみません、それ気にしてるので言わないでもらえますか」



気にしていることを直球で指摘され、
落ち込みながら治療は続く。

ここに居たくない気持ちに覆われる中、
何か納得できる材料を探そうと、
この人の気質やバックグラウンドを想像していた。



この人はたぶん、思ったことをストレートに言える、
自分の意見を遠慮せずに主張できる人。

そして、仕事ができて自分に厳しい分、
他人にも同じレベルを要求する。

自分ができる水準で他の人もできて当たり前という
明確な基準を持っていて、

それに満たなかったり、自分のペースに
ついて来られないことを許せない人なんだろう。

自分をちゃんと持っていて、
人に合わせるよりも人を引っ張っていく方が
きっと向いてるんだろう。



一方で、自分基準を
押し付けるような言い方が目立つ。

詰め歯の高さ調整のくだりでは、
自分が調整したのだから間違いないと
言わんばかりだった。

ちゃんと再調整してくれたからよかったが、
相手の意見をあまり聞かず、一方的な傾向があるから、
相性が合う、合わないは分かれるんじゃないかな。



あとは、実習生さんたちの精神、大丈夫かな。

わざわざ「早くして」「言ったよね」なんて
付けなくてもいいのに、ひと言多い人なのかな。

「〇〇お願いします」と、普通に言えば
角が立たないのにな。

同じ内容でも、伝え方1つで
周りの雰囲気が円滑にも不穏にもなり得るんだな。

仕事ができるお手本を間近で見られるのはいいけど、
そういう棘のある言い方を学んでしまったら、
実習生さんに後輩ができた時に連鎖させてしまわないかな。



そんな、いらぬ心配をつらつらと並べつつも、
この人は悪気があって自分を傷つけたんじゃないと
必死に取り繕っていた。

これはあくまで、僕が気になったことだし、
人を変えることはできないから、
分析して捉え方を変えるのが心の健康に最良。

ただ、やっぱり何事も「言い方1つ」というのは
すごく強く思った。

余計なお世話ながら、実習生さん方が
言い方きつめの上司がいる環境で
精神的に潰れてしまわないことを願う。


posted by 理琉(ワタル) at 18:12 | TrackBack(0) | 生き方

2020年01月27日

【夢分析】忘れ物のリュックを届けようとする夢。

ある晴れた日の夜。

流行りの白っぽいLEDライトではなく、
黄色がかった照明が印象的な室内。

体育館ほど広くはないが、競技室でもない。
床の木目がきれいな児童館か、
学校に少し似たような部屋。



僕の目の前には、見知らぬ母子。

10歳くらいの少しぽっちゃりした男の子と、
お母さんらしきスリムな若い女性。

やり取りは聞き取れないが、
楽しそうにしているように見える。



その親子が退室。

2人がいた場所にふと目をやると、
黒くて大きめのリュックが1つ置いてあった。

あの男の子が忘れたんだろうか。

まだ玄関にいるようなので、
僕は急いで後を追い、届けようと動き出す。



児童館のような建物を出ると、
周りはおしゃれな一軒家が整然と立ち並ぶ住宅街。

家が建つ前だろうか、四角い空き地もちらほらある。

きれいな碁盤の目に整備された夜道、
風は穏やかで過ごしやすい。



親子の姿を探すと、
男の子が勢いよく走っている。

お母さんはそれを必死に追いかけている。
見失わないよう、僕も後を追って走る。

建設予定地のような四角い空き地を通過し、
おしゃれな2階建ての一軒家の角を右折。

どうやら直進と右折を繰り返している。

男の子は足が速いわけではないのに、
なぜか追いつけない。

お母さんも走るが、その子との距離が縮まらない。

男の子、お母さん、そして僕と、
遠ざかるでも近づくでもない距離が保たれている。



そういえば僕は
その子の忘れ物と思われるリュックを
背負っていることを思い出した。

黒くて大きめの、おしゃれな外見が印象的。
膨らみがあって、何かが入っている。

開けていないので中身はわからないが、
不思議なことにまったく重さを感じない。



ちょうど空き地を通過し、
2回目か3回目の右折を確認。

僕が一瞬、そんなリュックの中身に
気を取られている内に、まずい、見失ってしまった。

男の子は黒っぽいスポーツウェア上下、
下はショートパンツだったのを覚えている。

お母さんはスキニーパンツに
デニムジャケット。とにかくスリムな印象。

そんな特徴を思い出しつつも、
忘れ物を届け損ない、見失ったことを悔やむ。



綿のように軽いリュックを背負い、
途方に暮れて立ち止まる。

「まぁ、仕方ないか」という思いも
顔を覗かせ始めた、その時…



ーーーーーーーーーー



どうにも心当たりを付けにくく、
解釈が難しい夢だった。



【キャスト】

・忘れ物
 忘れたいもの、忘れてはいけない大切なこと

 忘れ物を届ける
 →何か大切なことを忘れている

・知らない人
 自分の隠れた人格や一面の化身

・追いかける
 目標に向かう前向きな姿勢
 何かを掴みたい、達成したい願望

 追いつけない
 →目標に届かない焦りや努力の空回り

 逃げられる、見失う
 →目標が達成できないことへの不安
  または目標を見失っている

・リュック
 責任、悩み、プレッシャーの重さ、自分の才能

 黒いリュック
 →権力への服従、意見の主張へのためらい

・夜
 無意識、開放感、心身の疲れ

 夜道を走る
 →もがき苦しんでいる

・住宅街
 人間関係

 きれいな住宅街
 →精神的な安定

・右
 正しさ、積極性、現実的

 右折
 →正しい方向へ進んでいる



「たぶんこうかな?」程度ながら、
深層心理からのメッセージを書いてみる。

ーーーーーーーーーー

これまで自分が選び、辿ってきた道は間違えていない。

背負っていたプレッシャーから解放され、
自分にとって正しい道を真っ直ぐ走り続ける。

忘れ物として見つけたリュックは、
プレッシャーを感じていた自分が脱ぎ捨てたものだから、
本当は忘れて行ったんじゃない。

それを持ち主へ届けようとした時、
リュックが驚くほど軽いことに驚く。

ここで、実は自分が背負っていた重圧は
思っているほど重くなかったことに気づく。



自分にとって最良の道を走り続けるも、
何か大切なことを忘れていることに
その子を追う母親は気づいて追いかける。

忘れ物を拾った僕もそれに気づこうとして追いかける。

なかなか追いつけないことと、
きれいだが人通りのない住宅街を見て、

本当にこの道で合っているのか、
目標へ辿り着けるのかと不安にかられる。

本当に自分の目指すものに届くのか、
自分が今、忘れている大切なことは一体何なのか。

2人を見失ったことで立ち止まり自問自答する。



実は重くなかったリュック。

あのまま走り続ける自分にとって、
これを届けることにさほどの意味はないんじゃないか。

だとしたら、姿を見失ってしまった今、
返せなくても仕方ないんじゃないかと
割り切り始めている。

忘れてしまっている大切なものが何なのかは、
目覚めた後でじっくり考えてみてくれ。

自分の選択と判断、そして積み上げてきたものに
自信を持って進んでくれ。

ーーーーーーーーーー



書いている今も、
何を忘れているかは不明なまま。

立ち止まる機会をくれた夢として
長くなったけど書き残しておく。


posted by 理琉(ワタル) at 18:10 | TrackBack(0) | 夢の話

2020年01月26日

「書くことがない」の中身を考える。

いつものように、今日は何を書こうかと
朝からいろいろ考える。

見るものや触れるものを通じて
「これについて書いてみようか」
などとネタを探しながら過ごす。

お題は無限に転がっている。

なのに、この日は自分の癖とも言える
「深く掘り下げる」特技が働かず、

文章の広がりがないまま
「この話はまた今度にしよう」と没にしていく。



そんなことを繰り返し、いざPCに向かっても
「書くことがないなぁ」などと悩み始め

気づいたら、特に何も書かないまま
1時間以上も経過していた。

どうしよう、書くことがない、
そうつぶやき続けるだけの1時間を
逆によく過ごせたなと思った。

本やブログを書く人が一度は経験する、
ネタ切れというやつだろうか。



でも、僕の深く考える癖はここで発動した。

書くことがないと困っているんなら、
書くことがないと困っているのはなぜなのかを
考えてみよう、と。



「書くことがない」を連呼していたが、
厳密に言うとそれは嘘だ。

生きて動く限り、周りにあるものは常に変化し、
自分の感情もめまぐるしく変わる。

ネタ自体は無限に転がっている。

だから本当は「書くことがない」ではなく、
「書けるほど話が広がらない」が正しいんじゃないか。

そしてそれは無意識に、自分のブログのハードルを
上げてしまっている。



せっかく自分の考えを書くなら、
ある程度の文字数でしっかりまとめたい。

そのネタに対して
一言二言ぐらいは思うことがあっても。
1000文字ぐらいまでには広がらない。

広げる自信がないから没にしよう。

そんな無意識の欲や完璧主義によって、
せっかく浮かんだ短い感想を閉じ込めている。

長さや文字数なんて決まってないんだから
短くてもアウトプットすればいいのに、
もったいない。



自分の障害のこと、親との関係、
怒りをぶちまける人の心理、
自分が泣いたり悲しんだりする時の共通点。

これまでいろんな分析をしたきたが、
結論の着地点が似通ってきている。

それは自分の考え方の偏りが
ある程度はっきりしてきたということ。

1つの話題に対して、
現時点で絞り出せる自分の視点や考え方が
頭打ちになりつつあるとも言える。



これまでの人生で学び、蓄えた知識や経験を
すべて出し切ったとは思っていない。

けど、自分の中にまだ眠っているネタを引き出し、
文章として表現するためには、次の段階へ
進む必要があるんじゃないだろうか。

蓄えだけでやってきた今までから一歩進んで、
アウトプットのための引き出しを増やす段階へ。



300記事を書き終えるあたりまでは
アダルトチルドレンや発達障害の本ばかり読んでいた。

最近では、読む本のジャンルが広がってきて、
孤独、愛着障害、境界性パーソナリティー障害の本に
興味の対象が派生している。

それらについて長く書けないのは、
まだ理解が浅く、自分のものにできていないから。

読んだ本に自分の考えを重ねられるようになれば、
もっといろんなことを書けると楽しみにしている。

※「300記事目。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/302/0



ネタが切れることはあり得ない。

今、ネタ切れてきているのはたぶん
自分のアウトプット能力。

それを伸ばすには時間と実践が必要。

だから今後も、PCに向かって
「書くことがない」を連呼する光景は
何度もあるだろう。

なんだかんだ言いながら言葉を絞り出して、
自分らしくこつこつゆっくり伸ばしていくんだろう。



あれ、なんだ。

書くことがないと言っていたくせに、

書くことがない理由をこんなに書けるじゃないか。


posted by 理琉(ワタル) at 19:44 | TrackBack(0) | 人生観

2020年01月25日

駅のホーム、スマホゾンビが放つ”無機質・無関心なオーラ”が怖い。

最近、いちばん怖いと思う場所は地下鉄の駅のホーム。
特に、電車のドアが開いた瞬間の光景には背筋が凍る。

なぜなら、
大勢のゾンビが放射状に出てくるから。


ー目次ー
  1. スマホゾンビが放つ、無関心なオーラ
  2. 乗車の列に整然と並ぶゾンビが怖い
  3. 苦手なホラー映画の世界の疑似体験
  4. 現実世界にあるのは身体だけ
  5. 寂しさと孤独感が生み出す、無機質な空気
  6. 首の付け根の痛みに思いを馳せる
  7. スマホゾンビをする理由を尋ねてみたい

1.スマホゾンビが放つ、無関心なオーラ

スマホゾンビというのは、
歩きスマホをする人を例えた言葉のこと。

首を前に倒し、背中を丸め、周囲を気にするでもない。

イヤホンをつなげたスマホ画面を凝視しながら
電車から無言で降りてくる。

スマホ画面以外への無関心さ、その時の視界や世界の狭さを
全身からオーラのように発している。

その無機質な空気感が融合、増大し、
渦を巻くようにホーム全体を覆っている。


2.乗車の列に整然と並ぶゾンビが怖い

降りてくる人たちだけでなく、
乗車の列に並んでいる人たちもまたスマホゾンビ。

傾けた首と、曲げた背筋をまっすぐにするでもなく、
手にした電子機器を凝視したままふらふらと乗り込む。

ゲームにSNSに夢中、それ以外の世界に興味がなく、
「前の人が進んだから、何となく進んだだけ」にも見える。

なのにマナー良く、整然と並ぶ姿も、おどろおどろしく見える。

彼らが発する無関心な空気とかみ合わない、
異様なギャップがなおさら怖い。

3.苦手なホラー映画の世界の疑似体験

駅のホームを闊歩するスマホゾンビたちが、
どうしてこんなに怖く感じるのか。

僕はホラーやスプラッタ系の映画が苦手。
誰かが死ぬようなシーンは、できれば見たくない。

スマホを凝視し、のろのろと向かって来るさまは、
まるでホラー映画の世界に実際にいるような怖さを感じる。

ここは現実世界、気を抜いたら襲われるような場所じゃない。
なのに、身の危険が付きまとう世界にいる。

そんな錯覚を覚えるのかも知れない。

4.現実世界にあるのは身体だけ

押し寄せるスマホゾンビたちは
現実世界に身体だけを残し、意識は画面の中。


身体は現実世界、駅のホームにあるのに、
みんなゲームやSNSの世界にいて、この世の住人ではなくなってる。

身体は仕事や用事などで移動するために、
便宜上、この世界に残してあるだけ。

”心ここに在らず”
魂の入っていない、入れ物だけの集団の行進みたいに感じる。


5.寂しさと孤独感が生み出す、無機質な空気

以前、歩きスマホの人たちが抱える
孤独感や寂しさを推測してみたことがあった。

彼らが発する"無機質無関心なオーラ"はもしかすると、
そんな負の感情が形を変えた姿かも知れない。

「歩きスマホの心の中は」。



みんな承認欲求に飢えている、
本当はそれを声を大にして訴えたい。

でも現実世界では受け止めてくれる人がいないから、
いくら飢えていてもそれを言えず、飲み込むしかない。

そんなもどかしさ、非充足感を、
画面越しの世界に現実逃避して一時的に満たす。


言いたいのに言えない孤独感と承認欲求への飢え。
無言の「寂しい、助けて」という悲鳴。

そんな、言葉にならない叫びが
ホーム全体に充満しているようにも感じる。

6.首の付け根の痛みに思いを馳せる

僕はかつて、別の理由で頚椎椎間板ヘルニアを患い、
首輪のような装具を付けながら数か月を過ごしたことがある。

「ストレートネックの再発にご用心。」

そうやって何とか矯正できた僕は、
スマホゾンビたちの猫背と首の痛みが気になる。

あれだけ首を突き出し、スマホを食い入るように覗き込んでいて、
首の付け根、痛くないんだろうか?

経験者として本当に伝えたい。
ストレートネックを治すのはけっこう大変。

7.スマホゾンビをする理由を尋ねてみたい

僕はスマホゾンビたちが孤独なんじゃないかと思う。

「満たされない現実世界に残しておくのは身体だけでいい。
孤独感や承認欲求を満たしてくれる世界へ旅立ってしまおう。」

無機質な空気をまとい闊歩する彼らには、
もしかするとそんな意識が根底にあるような気がする。

こんなことを聞いたら怒られるかも知れないけど、
僕はスマホゾンビに直接、

「どうしてスマホゾンビをしているんですか?」

と尋ねてみたい。

彼らに対し、僕が感じる怖さの正体を、本人に聞いてみたい。



posted by 理琉(ワタル) at 18:48 | TrackBack(0) | 人生観
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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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