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2020年01月24日
就労移行支援OB会、憧れの先輩に会って。
昨年末、突如として就職が決まり、
就労移行支援を卒業してから1ヵ月。
月1回のOBの集いに、先月初めて参加し、
今月も参加してきた。
→卒業当日、1人で密かに泣いて、
ひっそりお別れ。
「就労移行支援、卒業。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/395/0
先月、初めて参加した時は
クリスマスパーティということで盛大。
毎月のこじんまりした会は初めて。
僕が入るより先に卒業したOBの方が
7〜8名まったりされていた。
この事業所へ体験通所した初日、
卒業生として話をしに来てくれたTさんと、
初めてゆっくり話すことができた。
Tさんに「憧れの先輩なんです」と伝えた。
照れながらも、嬉しそうにしていた。
「そんな風に思ってくれるのは嬉しいです」
→体験通所、初日。
風邪で通所日がずれていなければ会えていなかった。
「就労移行支援事業所への体験通所-1日目-。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/173/0
人生の再出発のための道を模索していた当時、
いろいろ動いていたものの、
ここからどうやって立ち直ればいいか
見当がついていなかった。
生活力も味方もいない、家族とはうまくいかない、
そんな八方塞がりな毎日に絶望し、
今年で人生が終わってもいい気持ちが
今以上に強かった。
でも、Tさんの話を聞く機会に恵まれ、
ひきこもりから10年かけて少しずつ立ち直り
こうやって活躍するまでになった姿に憧れを抱いた。
ここへ通所しようと決めていたものの、
何をすればいいかわからなかった僕に、
「時間がかかったっていい、ゆっくり歩いて行こう」と
勇気を与えてくれた。
そんな昨年6月から半年あまり、
僕は気づいたら卒業し、
OBとして戻ってくるまでに立ち直っていた。
ここに出逢い、通わなければ
今頃どうなってたかわからない。
就労に繋がるような、
別のどこかには通っただろう。
でも、ここまであたたかくて
恵まれた環境に出逢わなければ、
立ち直って働くどころか、今こうして
人生が好転することもなかったかも知れない。
Tさんも、この場所に辿り着いたことを
とても幸運だったと仰っていた。
ここのあたたかい環境とスタッフさんは本当にすごい、
ここへ通えたから、今こうして働けている自分がいる、
とても感謝していると感慨深く語っていた。
10年かけて人生を立て直した憧れの先輩との、
夢のような語らいだった。
当時の僕は、身の回りで起きることや
自分の感情にさえも、達観したような諦めを感じていた。
投げやりを通り越したような冷めた状況だったのに、
人生の方向を変えるような大切な出逢いに恵まれた。
それはたぶん、生きることへの執着を
ほとんど諦めながらも、どこかで諦め切れず、
見苦しく足掻いたから。
孤独と諦めの境地で
ぼんやりしていた1〜2年前の自分に、
そんな行動力が残っていたことは不思議に思う。
もうどうにもならないと思っても、
何か行動を起こせば何とかなる。
完全に諦めたつもりでも、
とりあえず生きていれば
どこかで何かに出逢い、運命が動いていく。
半年前には考えもしなかった戻り方をしながら、
そんなベタな感想に浸っていた。
就労移行支援を卒業してから1ヵ月。
月1回のOBの集いに、先月初めて参加し、
今月も参加してきた。
→卒業当日、1人で密かに泣いて、
ひっそりお別れ。
「就労移行支援、卒業。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/395/0
先月、初めて参加した時は
クリスマスパーティということで盛大。
毎月のこじんまりした会は初めて。
僕が入るより先に卒業したOBの方が
7〜8名まったりされていた。
この事業所へ体験通所した初日、
卒業生として話をしに来てくれたTさんと、
初めてゆっくり話すことができた。
Tさんに「憧れの先輩なんです」と伝えた。
照れながらも、嬉しそうにしていた。
「そんな風に思ってくれるのは嬉しいです」
→体験通所、初日。
風邪で通所日がずれていなければ会えていなかった。
「就労移行支援事業所への体験通所-1日目-。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/173/0
人生の再出発のための道を模索していた当時、
いろいろ動いていたものの、
ここからどうやって立ち直ればいいか
見当がついていなかった。
生活力も味方もいない、家族とはうまくいかない、
そんな八方塞がりな毎日に絶望し、
今年で人生が終わってもいい気持ちが
今以上に強かった。
でも、Tさんの話を聞く機会に恵まれ、
ひきこもりから10年かけて少しずつ立ち直り
こうやって活躍するまでになった姿に憧れを抱いた。
ここへ通所しようと決めていたものの、
何をすればいいかわからなかった僕に、
「時間がかかったっていい、ゆっくり歩いて行こう」と
勇気を与えてくれた。
そんな昨年6月から半年あまり、
僕は気づいたら卒業し、
OBとして戻ってくるまでに立ち直っていた。
ここに出逢い、通わなければ
今頃どうなってたかわからない。
就労に繋がるような、
別のどこかには通っただろう。
でも、ここまであたたかくて
恵まれた環境に出逢わなければ、
立ち直って働くどころか、今こうして
人生が好転することもなかったかも知れない。
Tさんも、この場所に辿り着いたことを
とても幸運だったと仰っていた。
ここのあたたかい環境とスタッフさんは本当にすごい、
ここへ通えたから、今こうして働けている自分がいる、
とても感謝していると感慨深く語っていた。
10年かけて人生を立て直した憧れの先輩との、
夢のような語らいだった。
当時の僕は、身の回りで起きることや
自分の感情にさえも、達観したような諦めを感じていた。
投げやりを通り越したような冷めた状況だったのに、
人生の方向を変えるような大切な出逢いに恵まれた。
それはたぶん、生きることへの執着を
ほとんど諦めながらも、どこかで諦め切れず、
見苦しく足掻いたから。
孤独と諦めの境地で
ぼんやりしていた1〜2年前の自分に、
そんな行動力が残っていたことは不思議に思う。
もうどうにもならないと思っても、
何か行動を起こせば何とかなる。
完全に諦めたつもりでも、
とりあえず生きていれば
どこかで何かに出逢い、運命が動いていく。
半年前には考えもしなかった戻り方をしながら、
そんなベタな感想に浸っていた。
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2020年01月23日
【夢分析】はしごを上り切るも、次のはしごを探す夢。
まるで、白くて巨大な細長い花瓶。
何百メートルあるんだろう。
その大きな花瓶の曲線に沿って
架けられたはしごの中腹あたりに
僕は掴まっている。
このはしごはステンレス製だろうか、
きれいな銀色、しっかりした作り。
巨大な花瓶の真っ白な面との
美しいコントラスト。
なぜ、いきなり
このはしごに掴まった状態で
自分が登場したんだろう。
そして、なぜこのはしごを上っているんだろう。
わからないが、掴まっているからには
上ってみればわかると切り替え、
一段一段、着実に上っていく。
上に行くにつれて、花瓶の口は長く細くなり、
垂直に近づいていく。
それに合わせて、はしごの角度も
緩やかに角度が急になっていき、
両腕に疲労が溜まっていく。
それでも、まぁいいや、
行けるところまで行こうと
あまり深く考えずに、ゆっくり上っていく。
頂上が見えてきた。
この頃には完全に垂直になっている。
さすがに手が疲労で震えてきたが、
ここまで来て引き返す理由は特にないし、
休憩スペースもないので、力を振り絞って上る。
ついに頂上へ到着。
上り切った時の自分は
さぞかし達成感に溢れているかと思いきや、
着いた事実を冷静に受け止め、
少しの喜びを感じただけだった。
それどころか、たった今
険しいはしごを上り切ったばかりなのに、
やけに貪欲に次のはしごを探し始めた。
辺りを見回すと
ここはどこかの頂上や展望台ではなかった。
ガラス張りで、美しい景色が
眼下に広がるわけではない。
白い壁に囲まれ、まだどこかに
上へのはしごがありそうな、
建物の中腹、踊り場のような場所。
ここまで上れたことは確かに嬉しい、
ただそれ以上に、次のはしごに上りたい。
次のステージに上りたいと
僕の心はどんどん渇いていく。
両手に溜まった疲労をすっかり忘れ、
次へ行きたい気持ちが頂点に達した、その時…
ーーーーーーーーーー
正直、はしごが架かっているのが
大きな花瓶だったかは定かでない。
白かったのは印象的、
まぁ夢なので良しとしよう。
【キャスト】
・はしご
目標に向かい着実にステップアップする姿勢
目標までの道のり、新しい環境や目標への不安
はしごを上る
→目標への小さな一歩を積み重ねる
・白
真実、誠実さ
ここ最近で、コツコツ続けてきたことが
大きな結果として実ったことと言えば、
3ポイントシュートの成功率が
自分でも信じられないくらい上がったこと。
→「6Three Point、基本に立ち返り、地道に。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/415/0
この試合で6本の3ポイントを沈めてから、
8本、5本、3本、4本と
成功数がコンスタントに増えていて、
しかも約5割近い高確率。
自分の大きな武器にしたいと試行錯誤し、
フォームをいじっておかしくなったり、
飛距離が落ちた理由がわからなくなって
シュートを打つ自信を失ったりしながら、
ひたすら練習を続けていた。
そして今回、ひょんなきっかけから
コツを1つ掴んだと思われる。
ただ、はしごを上り切った時に
達成感をあまり感じなかった通り、
一応は喜びながらも、
僕はもっと上手くなりたいと願っている。
3ポイントを多く決めた日でも、外したシュートや、
打てるのに打たなかった場面の方が思い浮かぶ。
あの外した1本を決めるには
もっと練習が必要だ、
打てるのにパスを出したあの場面では、
もっと状況判断力が必要だ、
そんな思いでいっぱいになる。
1つ、上達を実感できたけど、
次のレベルへ行きたくて
また練習を重ねたい気持ちが強かった。
だから、はしごを上り切って見たのは
ゴールテープでも展望台でもなく、
道の途中のような景色だったんだろう。
子どもの頃、どこで読んだか忘れたが、
幼いながら感銘を受けた言葉がある。
大横綱・千代の富士関が1000勝を達成した時の
インタビューで、次の目標を聞かれた時の答え。
「次は1001勝です。」
時間をかけてコツコツ積み上げることの
大切さに気づいた言葉。
何事もしぶとく、地道に続けることが
苦にならない自分の気質は
この名言の影響も大きい。
はしごの夢を掘り下げてみたら、
こんなところまでタイムスリップしてしまった。
何百メートルあるんだろう。
その大きな花瓶の曲線に沿って
架けられたはしごの中腹あたりに
僕は掴まっている。
このはしごはステンレス製だろうか、
きれいな銀色、しっかりした作り。
巨大な花瓶の真っ白な面との
美しいコントラスト。
なぜ、いきなり
このはしごに掴まった状態で
自分が登場したんだろう。
そして、なぜこのはしごを上っているんだろう。
わからないが、掴まっているからには
上ってみればわかると切り替え、
一段一段、着実に上っていく。
上に行くにつれて、花瓶の口は長く細くなり、
垂直に近づいていく。
それに合わせて、はしごの角度も
緩やかに角度が急になっていき、
両腕に疲労が溜まっていく。
それでも、まぁいいや、
行けるところまで行こうと
あまり深く考えずに、ゆっくり上っていく。
頂上が見えてきた。
この頃には完全に垂直になっている。
さすがに手が疲労で震えてきたが、
ここまで来て引き返す理由は特にないし、
休憩スペースもないので、力を振り絞って上る。
ついに頂上へ到着。
上り切った時の自分は
さぞかし達成感に溢れているかと思いきや、
着いた事実を冷静に受け止め、
少しの喜びを感じただけだった。
それどころか、たった今
険しいはしごを上り切ったばかりなのに、
やけに貪欲に次のはしごを探し始めた。
辺りを見回すと
ここはどこかの頂上や展望台ではなかった。
ガラス張りで、美しい景色が
眼下に広がるわけではない。
白い壁に囲まれ、まだどこかに
上へのはしごがありそうな、
建物の中腹、踊り場のような場所。
ここまで上れたことは確かに嬉しい、
ただそれ以上に、次のはしごに上りたい。
次のステージに上りたいと
僕の心はどんどん渇いていく。
両手に溜まった疲労をすっかり忘れ、
次へ行きたい気持ちが頂点に達した、その時…
ーーーーーーーーーー
正直、はしごが架かっているのが
大きな花瓶だったかは定かでない。
白かったのは印象的、
まぁ夢なので良しとしよう。
【キャスト】
・はしご
目標に向かい着実にステップアップする姿勢
目標までの道のり、新しい環境や目標への不安
はしごを上る
→目標への小さな一歩を積み重ねる
・白
真実、誠実さ
ここ最近で、コツコツ続けてきたことが
大きな結果として実ったことと言えば、
3ポイントシュートの成功率が
自分でも信じられないくらい上がったこと。
→「6Three Point、基本に立ち返り、地道に。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/415/0
この試合で6本の3ポイントを沈めてから、
8本、5本、3本、4本と
成功数がコンスタントに増えていて、
しかも約5割近い高確率。
自分の大きな武器にしたいと試行錯誤し、
フォームをいじっておかしくなったり、
飛距離が落ちた理由がわからなくなって
シュートを打つ自信を失ったりしながら、
ひたすら練習を続けていた。
そして今回、ひょんなきっかけから
コツを1つ掴んだと思われる。
ただ、はしごを上り切った時に
達成感をあまり感じなかった通り、
一応は喜びながらも、
僕はもっと上手くなりたいと願っている。
3ポイントを多く決めた日でも、外したシュートや、
打てるのに打たなかった場面の方が思い浮かぶ。
あの外した1本を決めるには
もっと練習が必要だ、
打てるのにパスを出したあの場面では、
もっと状況判断力が必要だ、
そんな思いでいっぱいになる。
1つ、上達を実感できたけど、
次のレベルへ行きたくて
また練習を重ねたい気持ちが強かった。
だから、はしごを上り切って見たのは
ゴールテープでも展望台でもなく、
道の途中のような景色だったんだろう。
子どもの頃、どこで読んだか忘れたが、
幼いながら感銘を受けた言葉がある。
大横綱・千代の富士関が1000勝を達成した時の
インタビューで、次の目標を聞かれた時の答え。
「次は1001勝です。」
時間をかけてコツコツ積み上げることの
大切さに気づいた言葉。
何事もしぶとく、地道に続けることが
苦にならない自分の気質は
この名言の影響も大きい。
はしごの夢を掘り下げてみたら、
こんなところまでタイムスリップしてしまった。
2020年01月22日
【夢分析】闇夜に怪しい中庭をひた走る夢。
雨でも曇りでもなく、
かといって月夜でもない、不思議な夜。
さらさらと吹きつける夜風が心地よい。
暑くも寒くもなく、じめじめもしていない、
暗いけど過ごしやすい夜。
オープンカーなのか、軽トラックの荷台なのか
とにかく何かの車の屋根に僕は乗っている。
僕と、知らない若い男女が数人、
知り合いのような気もするが、
顔を見たらまったくの初対面。
要は誰だかわからない。
そんな僕ら数人を乗せた車は
学校のような建物に到着した。
ここも学校ではないけど、
雰囲気としては学校に近いところ。
出迎えてくれたのは
これまた知らない若い男女数人。
ろくに電気も点けず
こんな暗い中で何をやってるんだろう。
笑顔を装ってはいるが
どこか不気味さを隠し切れていない彼ら。
そんな怪しい場所に連れて来られ、
どうしてここへ来たんだろうと考えながら、
僕は直感的に思った。
気を抜いたら、僕らは誰にも気づかれず
1人ずつ連れ去られるか、消されると。
さながら、人里離れた洋館で
1人ずつ殺されていく連続殺人事件の予感だ。
学校のような建物に着いてからも
なぜか僕らは車から降りない。
玄関はそのまま
車で通り抜けられるようになっていて、
その先には広大な中庭が広がっている。
森の中をまっすぐ続くような道、
外灯は点いておらず、
各々で持参した携帯用ライトで
手元を照らす程度の明かりのみ。
僕と同乗してきた男女数人と、
案内役を買って出た何人かと一緒に
車は中庭のさらに奥へ進んでいく。
明るく、気さくなフリをしながらも
どこか不気味な薄笑いを浮かべる案内役の若者。
気を抜いたら道路わきの茂みに連れ込まれ、
そのまま消されてしまいそうな
身の危険を常に感じる。
もちろん怖い。
が、恐怖に押し潰されることなく、
警戒心と、立ち向かってやるという闘争心も健在。
おかげで、これだけ暗く怪しい空間でも
心が折れずに正気を保っていられる。
ふと振り返ると、
一緒に乗ってきた人数が足りない気がする。
気のせいかと思い、視線を逸らす。
気のせいであってくれと願いながら、
もう一度振り返ってみると、明らかに数人足りない。
ついにこの時がきた。
何人かが人知れず連れ去られたのだ。
案内役と、中庭の歩道ですれ違う人たちは
どうかしましたかと言わんばかりに
しらばっくれたような薄笑いを崩さない。
油断したら、次は自分の番だ、
不安と恐怖は臨界点に近い。
でも一方で恐怖に打ち勝ち
生き残ってやるという闘争心も折れていない。
月明りが差してきて、闇夜が少しだけ晴れた。
あまりに広く、長い中庭の道路は
まだ終わる気配を見せない。
いったいどこまで続いてるんだろう。
相変わらず、不気味な薄笑いを崩さない若者たち、
先ほど確認してからは人数の減少はないようだ。
しかしまだ安心できないと、
引き続き警戒心を維持していたその時、
案内役の1人が僕に近づいてきた。
「何をそんなに緊張してるんです?」
人の不安を見て見ぬふりするような
皮肉めいた口調で話しかけられた瞬間、
僕はハッと我に返り、
まったく関係のない、ある約束を思い出した。
しかも集合時間はとっくに過ぎている。
まずい、完全に遅刻だ。
こんなところで恐れおののいている場合じゃない。
焦った僕は、これまで感じていた恐怖や警戒心を
すっかり忘れて立ち上がった、その時…
ーーーーーーーーーー
断片的な夢がほとんどだった最近、
これだけはっきり覚えている夢は久しぶり。
【キャスト】
・怪しいと感じる
怪しさを感じたものへの恐怖、不安、
ストレスや心身の不調
・知らない人
自分自身、自分の知らない一面
・一緒にいた人がいなくなる
いなくなった人との縁が切れたり疎遠になる
・命を狙われる
現状の打破や助っ人の出現、
死=再生、生まれ変わりの一歩手前
・身の危険と闘う
心の中の恐怖や問題を乗り越えようとしている
・約束を忘れる
約束した相手との付き合い方で悩んでいる
今回の夢では直接何かされたわけではなく、
感じた気持ちも「なんとなく怪しい」という
あやふやなものなので、
はっきり当てはまるものを見つけるのは難しかった。
恐怖、不安、ストレスといえば、
ある程度覚えている夢を見るようになった今週、
怒りを爆発させる人と遭遇する事件が2つあった。
1つは、バスケのチームメイトに文句や暴言を言いまくり、
周りを委縮させ、良くない雰囲気となった事件。
→「チームメイトへの文句や暴言。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/420/0
その数日後、ブックオフにて
店員に暴言を吐いて暴れる壮年に遭遇。
→「レジで店員にスゴむ壮年に遭遇。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/422/0
嫌な気持ちになるとともに、
大きな恐怖やストレスになったことは確か。
そうやってメンタルが少し崩れた矢先、
そういえば父が僕に対して暴れている間、
母は決して止めたり助けたりしなかったことを
思い出した。
→「助けなかった母。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/425/0
完全に嫌いにはなれない、父以外の家族。
2つのクレームに遭遇し、弱っていたせいか、
どうして助けてくれなかったんだろうとあれこれ考え、
1人で心の傷に塩を塗ってしまった。
思い当たる不安やストレスは、こんなところ。
ただ、夢の中の僕は恐怖に折れなかった。
次は自分が消されると恐れながらも、
その恐怖に打ち勝ってやると身構えていた。
つまり僕は、押し寄せる恐怖や不安から
目を逸らさず向き合い、乗り越えようとしている。
何ともあいまいで漠然とした夢だったけど、
自分の闘争心が健在だとわかっただけでもよかった。
かといって月夜でもない、不思議な夜。
さらさらと吹きつける夜風が心地よい。
暑くも寒くもなく、じめじめもしていない、
暗いけど過ごしやすい夜。
オープンカーなのか、軽トラックの荷台なのか
とにかく何かの車の屋根に僕は乗っている。
僕と、知らない若い男女が数人、
知り合いのような気もするが、
顔を見たらまったくの初対面。
要は誰だかわからない。
そんな僕ら数人を乗せた車は
学校のような建物に到着した。
ここも学校ではないけど、
雰囲気としては学校に近いところ。
出迎えてくれたのは
これまた知らない若い男女数人。
ろくに電気も点けず
こんな暗い中で何をやってるんだろう。
笑顔を装ってはいるが
どこか不気味さを隠し切れていない彼ら。
そんな怪しい場所に連れて来られ、
どうしてここへ来たんだろうと考えながら、
僕は直感的に思った。
気を抜いたら、僕らは誰にも気づかれず
1人ずつ連れ去られるか、消されると。
さながら、人里離れた洋館で
1人ずつ殺されていく連続殺人事件の予感だ。
学校のような建物に着いてからも
なぜか僕らは車から降りない。
玄関はそのまま
車で通り抜けられるようになっていて、
その先には広大な中庭が広がっている。
森の中をまっすぐ続くような道、
外灯は点いておらず、
各々で持参した携帯用ライトで
手元を照らす程度の明かりのみ。
僕と同乗してきた男女数人と、
案内役を買って出た何人かと一緒に
車は中庭のさらに奥へ進んでいく。
明るく、気さくなフリをしながらも
どこか不気味な薄笑いを浮かべる案内役の若者。
気を抜いたら道路わきの茂みに連れ込まれ、
そのまま消されてしまいそうな
身の危険を常に感じる。
もちろん怖い。
が、恐怖に押し潰されることなく、
警戒心と、立ち向かってやるという闘争心も健在。
おかげで、これだけ暗く怪しい空間でも
心が折れずに正気を保っていられる。
ふと振り返ると、
一緒に乗ってきた人数が足りない気がする。
気のせいかと思い、視線を逸らす。
気のせいであってくれと願いながら、
もう一度振り返ってみると、明らかに数人足りない。
ついにこの時がきた。
何人かが人知れず連れ去られたのだ。
案内役と、中庭の歩道ですれ違う人たちは
どうかしましたかと言わんばかりに
しらばっくれたような薄笑いを崩さない。
油断したら、次は自分の番だ、
不安と恐怖は臨界点に近い。
でも一方で恐怖に打ち勝ち
生き残ってやるという闘争心も折れていない。
月明りが差してきて、闇夜が少しだけ晴れた。
あまりに広く、長い中庭の道路は
まだ終わる気配を見せない。
いったいどこまで続いてるんだろう。
相変わらず、不気味な薄笑いを崩さない若者たち、
先ほど確認してからは人数の減少はないようだ。
しかしまだ安心できないと、
引き続き警戒心を維持していたその時、
案内役の1人が僕に近づいてきた。
「何をそんなに緊張してるんです?」
人の不安を見て見ぬふりするような
皮肉めいた口調で話しかけられた瞬間、
僕はハッと我に返り、
まったく関係のない、ある約束を思い出した。
しかも集合時間はとっくに過ぎている。
まずい、完全に遅刻だ。
こんなところで恐れおののいている場合じゃない。
焦った僕は、これまで感じていた恐怖や警戒心を
すっかり忘れて立ち上がった、その時…
ーーーーーーーーーー
断片的な夢がほとんどだった最近、
これだけはっきり覚えている夢は久しぶり。
【キャスト】
・怪しいと感じる
怪しさを感じたものへの恐怖、不安、
ストレスや心身の不調
・知らない人
自分自身、自分の知らない一面
・一緒にいた人がいなくなる
いなくなった人との縁が切れたり疎遠になる
・命を狙われる
現状の打破や助っ人の出現、
死=再生、生まれ変わりの一歩手前
・身の危険と闘う
心の中の恐怖や問題を乗り越えようとしている
・約束を忘れる
約束した相手との付き合い方で悩んでいる
今回の夢では直接何かされたわけではなく、
感じた気持ちも「なんとなく怪しい」という
あやふやなものなので、
はっきり当てはまるものを見つけるのは難しかった。
恐怖、不安、ストレスといえば、
ある程度覚えている夢を見るようになった今週、
怒りを爆発させる人と遭遇する事件が2つあった。
1つは、バスケのチームメイトに文句や暴言を言いまくり、
周りを委縮させ、良くない雰囲気となった事件。
→「チームメイトへの文句や暴言。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/420/0
その数日後、ブックオフにて
店員に暴言を吐いて暴れる壮年に遭遇。
→「レジで店員にスゴむ壮年に遭遇。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/422/0
嫌な気持ちになるとともに、
大きな恐怖やストレスになったことは確か。
そうやってメンタルが少し崩れた矢先、
そういえば父が僕に対して暴れている間、
母は決して止めたり助けたりしなかったことを
思い出した。
→「助けなかった母。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/425/0
完全に嫌いにはなれない、父以外の家族。
2つのクレームに遭遇し、弱っていたせいか、
どうして助けてくれなかったんだろうとあれこれ考え、
1人で心の傷に塩を塗ってしまった。
思い当たる不安やストレスは、こんなところ。
ただ、夢の中の僕は恐怖に折れなかった。
次は自分が消されると恐れながらも、
その恐怖に打ち勝ってやると身構えていた。
つまり僕は、押し寄せる恐怖や不安から
目を逸らさず向き合い、乗り越えようとしている。
何ともあいまいで漠然とした夢だったけど、
自分の闘争心が健在だとわかっただけでもよかった。
2020年01月21日
自動ドア無反応事件。
出社。
いつも会うお掃除の方にあいさつし
自動ドアの前に立つ。
反応なし。
上に取り付けられているセンサーには
ちゃんとランプが点いている。
ドアは開かない。
「あれ?おかしいですね…裏口ご案内します?」
お掃除の方が困惑する。
ドアから一旦離れ、再び近づいてみる。
遠ざかるとセンサーは消え、近づくと点く。
何度か繰り返すもドアは開かない。
そうこうしている内に
別の人が入ってきた。
自動ドアが反応し建物へ入っていった。
今考えれば、その人が入った後ろについて
僕も入ればよかった。
一向に自動ドアが開く気配がないので、
お掃除の方の誘導に従って裏口から入ろうと思った。
でもその前に、ある興味が頭から離れなくなった。
「反応しない自動ドアを手動で開けることはできるの?」
どうしても試してみたかった。
閉ざされたドアの縁に手をかけた。
重い。
自動ドアが自動なうちは
やはり手動では開けられないのか。
1回だけ踏ん張って、
ダメなら裏口から入ろうと思った。
かなり重かったが、
なんとかドアをこじ開けて入館に成功。
もう少しで、
「自動ドアが反応しなくて」という、
わりと珍しい理由で遅刻するところだった。
自動ドアや、普段は止まっているエスカレーターなど、
人を感知して動くものに自分が反応されなかった時、
何とも形容し難い悲哀を感じる。
「人間と認識されないくらいに
生気や存在感が薄くなっていたのか。」
そんな自虐的で皮肉めいた冗談を
思い浮かべたりする。
実際にはたまたま
機械の調子が悪いだけなのに、
笑い話に変えてしまえるくらい
僕は前向きになったなんて喜んでいる。
以前の自分だったら、
心の中に響く自責の声が
「お前には入館資格がない」と言っていると
本気で落ち込んだことだろう。
大げさではなく、
今以上に自己肯定感が低かった時は
本気でそう思ってもおかしくなかった。
それが今では、
あれだけ心を支配していた自責癖を
こんなふうに笑って書けるほど
上書きできるようになった。
「事実は事実以上の何ものでもない」と
気楽に捉えられるようになった。
健康的な思考を自然にできる人にとっては
「何をそんな大げさな」と思うかも知れない。
その通り、ただ自動ドアが開かなかっただけ。
それ以上でも以下でもない。
だけど、自分の存在自体に
ずっと罪の意識を抱いていると、
事実の捉え方を変えることすら、
何年もかかる長い道のりになる。
こんなワンシーンのことを
そこまで深く掘り下げてるの?と自分でも思うけど、
いちいち自分に結び付けて
勝手に深刻にならなくなったことが嬉しかった。
一見、何の変哲もない遅刻のピンチで、
考え方の癖や認知の歪みが改善しつつあることを知った。
堅牢に積み上げられたネガティブ思考の城壁を
順調に壊せている。
自分に反応しない自動ドアは
そんな大切なことを教えてくれた。
いつも会うお掃除の方にあいさつし
自動ドアの前に立つ。
反応なし。
上に取り付けられているセンサーには
ちゃんとランプが点いている。
ドアは開かない。
「あれ?おかしいですね…裏口ご案内します?」
お掃除の方が困惑する。
ドアから一旦離れ、再び近づいてみる。
遠ざかるとセンサーは消え、近づくと点く。
何度か繰り返すもドアは開かない。
そうこうしている内に
別の人が入ってきた。
自動ドアが反応し建物へ入っていった。
今考えれば、その人が入った後ろについて
僕も入ればよかった。
一向に自動ドアが開く気配がないので、
お掃除の方の誘導に従って裏口から入ろうと思った。
でもその前に、ある興味が頭から離れなくなった。
「反応しない自動ドアを手動で開けることはできるの?」
どうしても試してみたかった。
閉ざされたドアの縁に手をかけた。
重い。
自動ドアが自動なうちは
やはり手動では開けられないのか。
1回だけ踏ん張って、
ダメなら裏口から入ろうと思った。
かなり重かったが、
なんとかドアをこじ開けて入館に成功。
もう少しで、
「自動ドアが反応しなくて」という、
わりと珍しい理由で遅刻するところだった。
自動ドアや、普段は止まっているエスカレーターなど、
人を感知して動くものに自分が反応されなかった時、
何とも形容し難い悲哀を感じる。
「人間と認識されないくらいに
生気や存在感が薄くなっていたのか。」
そんな自虐的で皮肉めいた冗談を
思い浮かべたりする。
実際にはたまたま
機械の調子が悪いだけなのに、
笑い話に変えてしまえるくらい
僕は前向きになったなんて喜んでいる。
以前の自分だったら、
心の中に響く自責の声が
「お前には入館資格がない」と言っていると
本気で落ち込んだことだろう。
大げさではなく、
今以上に自己肯定感が低かった時は
本気でそう思ってもおかしくなかった。
それが今では、
あれだけ心を支配していた自責癖を
こんなふうに笑って書けるほど
上書きできるようになった。
「事実は事実以上の何ものでもない」と
気楽に捉えられるようになった。
健康的な思考を自然にできる人にとっては
「何をそんな大げさな」と思うかも知れない。
その通り、ただ自動ドアが開かなかっただけ。
それ以上でも以下でもない。
だけど、自分の存在自体に
ずっと罪の意識を抱いていると、
事実の捉え方を変えることすら、
何年もかかる長い道のりになる。
こんなワンシーンのことを
そこまで深く掘り下げてるの?と自分でも思うけど、
いちいち自分に結び付けて
勝手に深刻にならなくなったことが嬉しかった。
一見、何の変哲もない遅刻のピンチで、
考え方の癖や認知の歪みが改善しつつあることを知った。
堅牢に積み上げられたネガティブ思考の城壁を
順調に壊せている。
自分に反応しない自動ドアは
そんな大切なことを教えてくれた。
2020年01月20日
母からもらいたかったもの。
行きつけのスーパー銭湯の
脱衣所の壁。
温泉でほかほかあたたまっている
かわいいマスコットキャラ。
ここへ来て、この子を見るたびに
泣いてしまうのは、
優しい親に抱っこされて喜ぶ子を
うらやましく思う自分と、
それを一番してほしかった母とを重ねるから。
→抱っこされて幸せそうな子を見ると
胸がぎゅっと締めつけられる。
「抱っこされたかった思いを諦めきれない。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/337/0
ええ、わかってるよ。
心から嫌いで敵なのは父だけだよ。
母も、妹も、弟も、心から嫌いにはなれないよ。
たくさん傷つけたし、傷つけられたけど、
憎しみだけじゃない、愛着もあるし、
本当にどうしようもない父と違って、
わかり合いたい気持ちは捨て切れないよ。
まるで記憶が封印されていたように、
今まで思い出せなかったけど、
母は抱っこしてはくれなかったけど、
子守歌を歌ってくれたことがある。
怒鳴り散らす父が怖かったからか、
僕は夜泣きと寝つきがかなりひどかったし、
中学生になる寸前まで夜尿症に悩まされた。
父がやりたい放題やっているその場では、
母は助けてくれなかったけど、
寝つけない僕に子守歌を歌って
寝かせてくれたことはあった。
良くしてくれたことも徐々に思い出してきたら、
傷つけられたり、放っておかれたり、
助けてくれなかったことへの憎しみだけじゃなく、
母なりの愛情はあったかも知れないなんて
考えるようになってきた。
抱っこされたかった、愛情がほしかった、
それをしてほしい相手は紛れもなく母だけど、
もらうことはもうできない。
一方で、周りの家族連れを見渡すと
それをもらっている子がたくさんいる。
羨ましいけど、よく思い出すと
母からもらったものもあった、
だから心から嫌いにはなれない。
かわいいマスコットキャラのほんわかした姿に、
僕はこれだけの感情を重ねているんだ。
あたたかくて、ゆるくて、
ほんわかしたものが好き。
特に、口の形が「ω」のキャラ。
こんなの→(*´ω`*)
脱衣所の壁でみんなを和ませているあの子も
同じ口をしている。
それは、ほんわかした表情に
母からもらいたかったものを重ね合わせているから。
帰宅してから、もう一度泣いた。
もらえなかったもの、もらえていたもの、
自分の中にある愛情への飢えの正体、
憎しみと愛着との狭間にある葛藤、
それらから逃げずに向き合う試みは、
今日もまた一歩、前に進んだ。
脱衣所の壁。
温泉でほかほかあたたまっている
かわいいマスコットキャラ。
ここへ来て、この子を見るたびに
泣いてしまうのは、
優しい親に抱っこされて喜ぶ子を
うらやましく思う自分と、
それを一番してほしかった母とを重ねるから。
→抱っこされて幸せそうな子を見ると
胸がぎゅっと締めつけられる。
「抱っこされたかった思いを諦めきれない。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/337/0
ええ、わかってるよ。
心から嫌いで敵なのは父だけだよ。
母も、妹も、弟も、心から嫌いにはなれないよ。
たくさん傷つけたし、傷つけられたけど、
憎しみだけじゃない、愛着もあるし、
本当にどうしようもない父と違って、
わかり合いたい気持ちは捨て切れないよ。
まるで記憶が封印されていたように、
今まで思い出せなかったけど、
母は抱っこしてはくれなかったけど、
子守歌を歌ってくれたことがある。
怒鳴り散らす父が怖かったからか、
僕は夜泣きと寝つきがかなりひどかったし、
中学生になる寸前まで夜尿症に悩まされた。
父がやりたい放題やっているその場では、
母は助けてくれなかったけど、
寝つけない僕に子守歌を歌って
寝かせてくれたことはあった。
良くしてくれたことも徐々に思い出してきたら、
傷つけられたり、放っておかれたり、
助けてくれなかったことへの憎しみだけじゃなく、
母なりの愛情はあったかも知れないなんて
考えるようになってきた。
抱っこされたかった、愛情がほしかった、
それをしてほしい相手は紛れもなく母だけど、
もらうことはもうできない。
一方で、周りの家族連れを見渡すと
それをもらっている子がたくさんいる。
羨ましいけど、よく思い出すと
母からもらったものもあった、
だから心から嫌いにはなれない。
かわいいマスコットキャラのほんわかした姿に、
僕はこれだけの感情を重ねているんだ。
”怒りが赦しに変わるとき”
過去の傷と向かい合う段階を徹底的に進めていくと、
ある時期から変化がみられるようになる。
否定的なことばかりを語り尽くした後で、
楽しかった経験や親(や養育者)が自分のために
骨を折ってくれたことをふと思い出して、
「そういえばこんなこともあった」と
語ったりするようになるのだ。
そのころから次第に、親の否定的な面ばかりではなく、
良かった面や愛情を受けたことにも向き合うようになる。
「すべてが悪い」という全否定ではなく、
悪い点や至らない点もあったが、親はそれなりに努力し、
愛情を注いでくれたのだ、
あるいは親もうまく愛せない事情を
抱えていたのだということを、
トータルな視点で受け止められるようになるのだ。
『愛着障害』第六章 より
あたたかくて、ゆるくて、
ほんわかしたものが好き。
特に、口の形が「ω」のキャラ。
こんなの→(*´ω`*)
脱衣所の壁でみんなを和ませているあの子も
同じ口をしている。
それは、ほんわかした表情に
母からもらいたかったものを重ね合わせているから。
帰宅してから、もう一度泣いた。
もらえなかったもの、もらえていたもの、
自分の中にある愛情への飢えの正体、
憎しみと愛着との狭間にある葛藤、
それらから逃げずに向き合う試みは、
今日もまた一歩、前に進んだ。
2020年01月19日
バス停で、第二の故郷を知る人に声をかけられた。
大学バスケ部のジャージを着てバスに乗り、
終点の地下鉄駅で降りた時、
仕事帰りと思われる50代くらいの男性に
声をかけられた。
「出身はこっち?ずいぶん遠い大学行ったんだね。
〇〇県でしょ?
俺も20年前にあっちで仕事してたことあるけど、
あの県て本当に学力高いよね、すごいねー」
僕は気づかなかったが、
同じバス停からの乗車だったらしい。
並んでいる時、
背中の「〇〇UNIV.」の大学名を見て、
ずっと気になっていたそうだ。
僕は地元から
2000キロほど離れた県の大学へ進んだ。
だから、面識がある人には
「遠くへ行ったね」と驚かれることはあるが、
通りすがりの人に声をかけられたのは初めて。
学力がどうかについては答えられなかったが、
「ほんとにいい場所だよね」と言ってくれたことが
とても嬉しかった。
距離が距離だから、
現地に行ったり住んだりしたことのある人には
卒業して戻ってきて以来、会ったことがなかった。
僕自身も卒業して以来、再訪問はできていないが、
大学4年間を過ごした第二の故郷という思い入れがある。
だから「いい場所」と褒められると、
自分の育った地元が褒められているというか、
自分のことのように嬉しかった。
気さくに声をかけてくれたその人と
あの土地についてもっと話したかったが、
僕がそう思い始めるやいなや、
足早に改札を抜けて行ってしまった。
見ず知らずながら懐かしくなって、
つい声をかけてみたんだろうか。
列車を乗り継いで20時間、
飛行機は直行便がなく、
2回のフライトで着く。
ふと声をかけられたら
急に懐かしくなってきた。
大学時代を過ごした第二の故郷、
また行きたいなぁ。
終点の地下鉄駅で降りた時、
仕事帰りと思われる50代くらいの男性に
声をかけられた。
「出身はこっち?ずいぶん遠い大学行ったんだね。
〇〇県でしょ?
俺も20年前にあっちで仕事してたことあるけど、
あの県て本当に学力高いよね、すごいねー」
僕は気づかなかったが、
同じバス停からの乗車だったらしい。
並んでいる時、
背中の「〇〇UNIV.」の大学名を見て、
ずっと気になっていたそうだ。
僕は地元から
2000キロほど離れた県の大学へ進んだ。
だから、面識がある人には
「遠くへ行ったね」と驚かれることはあるが、
通りすがりの人に声をかけられたのは初めて。
学力がどうかについては答えられなかったが、
「ほんとにいい場所だよね」と言ってくれたことが
とても嬉しかった。
距離が距離だから、
現地に行ったり住んだりしたことのある人には
卒業して戻ってきて以来、会ったことがなかった。
僕自身も卒業して以来、再訪問はできていないが、
大学4年間を過ごした第二の故郷という思い入れがある。
だから「いい場所」と褒められると、
自分の育った地元が褒められているというか、
自分のことのように嬉しかった。
気さくに声をかけてくれたその人と
あの土地についてもっと話したかったが、
僕がそう思い始めるやいなや、
足早に改札を抜けて行ってしまった。
見ず知らずながら懐かしくなって、
つい声をかけてみたんだろうか。
列車を乗り継いで20時間、
飛行機は直行便がなく、
2回のフライトで着く。
ふと声をかけられたら
急に懐かしくなってきた。
大学時代を過ごした第二の故郷、
また行きたいなぁ。
タグ:生きる
2020年01月18日
助けなかった母。
「学校を休むのは許さん!」
「言いたいことがあるならしゃべれ!」
幼い頃、父が怒鳴りまくった時、
僕はやり場のない怒りを抑えつけたまま、
父の背中をすごい形相で睨むしかできなかった。
その様子を、母はただ黙って見ていた。
父が多少丸くなり、怒鳴る→長時間説教へ
支配スタイルを変更してからも、
母は相変わらず、父の暴走を
本気で止める素振りを見せなかった。
くどくど、ねちねちした地獄演説で
僕が「もう止めてくれ」と取り乱して泣き出しても、
落ち着かせも、黙らせもしない。
「ちょっとお父さん…」
と声をかけることはあっても、
必死で止めようとは決してしなかった。
→「延長戦決着、戦利品は”諦め”。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/389/0
僕が父に怒鳴られたり
地獄演説にさらされて苦しんでいるのを
目の当たりにしていながら、
どうして母は
僕のことを助けてくれなかったんだろう。
「お父さんは本当はね…」などと
父をフォローすることはあっても、
心を踏みにじられている僕のことは遠くから見るだけで、
ほったらかしにしたのはなぜだろう。
「どうして助けてくれないの?」
そんな僕の疑問と不信感は自分を責める方向へ舵を切った。
「父に何かされても助けてくれないのは、
自分が悪いからなんだ。」
「父が正しいことをしていて
僕が間違えているからなんだ。」
「だから、この怒りも悔しい気持ちも
僕が悪いのだから受け入れて我慢するしかないんだ。」
そんな罪悪感と自責の念は、
成長するにつれてこんな思いも生み出した。
「母は我が身と今の生活を守ることを優先し、
子どもを生贄にしているのでは?」
あの2人の夫婦喧嘩は見たことがない。
父が母に対して暴力や暴言を振るったり、
議論や説教で言い負かしたりしている場面は
少なくとも僕が知ってる場所では行われなかった。
母は三歩下がって父を立てる、
そして父はやりたい放題やるスタイルで、
力関係の上下のバランスが取れていた。
その意味では夫婦間の相性が良かったんだと思う。
だから母は、父がやることは
否定するべきではないという考えから、
子どもを助けたり、意見を受け入れていたら
立てるべき父の体面に影響が出ると判断して
止めなかった可能性はある。
もう1つ言うと、母には経済力がない。
僕が2歳の時、妹の誕生とともに
保育士を辞めてからずっと専業主婦。
父が外で働き、母が家を守るという、
明確な役割分担の中で家族を運営していた。
だから、立てるべき父の行動を
下手に止めて関係が危うくなったら
今後の生活が立ちいかなくなる。
そんな大きなリスクを取ってまで、
暴力を振るわれているわけでもない子どもを守るよりは、
生活を守ることを優先したのかも知れない。
僕が幼い頃は暴言で、大きくなってからは説教で、
それぞれ暴走する父に、母は加担することはなかった。
エスカレートする父に
「ちょっと…」と声をかけることもあったので、
母なりに心配はしていたんだと思う。
自分含め、生活基盤の死守を優先するのは
苦渋の決断だったことは理解する。
逆らうことなく、立て続けた夫に
ある意味で反逆することになるから、
その恐怖や不安があったことも理解する。
だけど、
「加担しなかったこと」と
「止めなかったこと」は違う。
止めなかった理由が
父の体面を優先するためだったにせよ、
経済力を失う恐怖だったにせよ、
子どもである僕が深く傷ついた事実に変わりはない。
「助けてもらえなかった、止めてもらえなかった
それは自分が悪いから、愛されていないからだ。」
そんな悲しい思いを抱いたことは事実。
本来は天秤にかけるものでないにせよ、
家族全体の維持のために僕1人の心を
「必要な犠牲」にしたと疑ったことも事実。
親は信頼に値しない、
いざという時に自分の味方には決してならないと
僕が思い込んでしまったことも事実。
母の母、つまり祖母は
姑である曾祖母から召使いのように扱われたと聞く。
それに黙って耐える祖母を長年見て来た母は、
「力を持つ者に付き従う」ことが生き延びる道だと
学んだ可能性はある。
→「姑と、嫁だった祖母の我慢。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/272/0
耐える内容の中にはもちろん、
弱い立場である子どもの怒りや悲しみも含まれて。
だから母は、姑だった曾祖母を
夫=僕の父に置き換えて従っていただけ、
それが当たり前の家族関係と思っていたのかも知れない。
そんな母の成育環境を考慮してもなお、
目の前で苦しむ自分を母は助けなかった、
生贄に捧げられたという思いは捨てられない。
きっと、ずっと背負って生きるんだろう。
もし今、母の口から本当の理由が語られたとしても、
すべては後の祭り。
覆水は盆に返らないが、
消せない心の傷とどう向き合って生きるかは
これからの僕自身が決められる。
傷跡を見るたびに怒りや恨みを募らせるか、
傷跡を超えた自負としてこれからを生きるかで、
人生を変えられるかが決まる。
「言いたいことがあるならしゃべれ!」
幼い頃、父が怒鳴りまくった時、
僕はやり場のない怒りを抑えつけたまま、
父の背中をすごい形相で睨むしかできなかった。
その様子を、母はただ黙って見ていた。
父が多少丸くなり、怒鳴る→長時間説教へ
支配スタイルを変更してからも、
母は相変わらず、父の暴走を
本気で止める素振りを見せなかった。
くどくど、ねちねちした地獄演説で
僕が「もう止めてくれ」と取り乱して泣き出しても、
落ち着かせも、黙らせもしない。
「ちょっとお父さん…」
と声をかけることはあっても、
必死で止めようとは決してしなかった。
→「延長戦決着、戦利品は”諦め”。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/389/0
僕が父に怒鳴られたり
地獄演説にさらされて苦しんでいるのを
目の当たりにしていながら、
どうして母は
僕のことを助けてくれなかったんだろう。
「お父さんは本当はね…」などと
父をフォローすることはあっても、
心を踏みにじられている僕のことは遠くから見るだけで、
ほったらかしにしたのはなぜだろう。
「どうして助けてくれないの?」
そんな僕の疑問と不信感は自分を責める方向へ舵を切った。
「父に何かされても助けてくれないのは、
自分が悪いからなんだ。」
「父が正しいことをしていて
僕が間違えているからなんだ。」
「だから、この怒りも悔しい気持ちも
僕が悪いのだから受け入れて我慢するしかないんだ。」
そんな罪悪感と自責の念は、
成長するにつれてこんな思いも生み出した。
「母は我が身と今の生活を守ることを優先し、
子どもを生贄にしているのでは?」
あの2人の夫婦喧嘩は見たことがない。
父が母に対して暴力や暴言を振るったり、
議論や説教で言い負かしたりしている場面は
少なくとも僕が知ってる場所では行われなかった。
母は三歩下がって父を立てる、
そして父はやりたい放題やるスタイルで、
力関係の上下のバランスが取れていた。
その意味では夫婦間の相性が良かったんだと思う。
だから母は、父がやることは
否定するべきではないという考えから、
子どもを助けたり、意見を受け入れていたら
立てるべき父の体面に影響が出ると判断して
止めなかった可能性はある。
もう1つ言うと、母には経済力がない。
僕が2歳の時、妹の誕生とともに
保育士を辞めてからずっと専業主婦。
父が外で働き、母が家を守るという、
明確な役割分担の中で家族を運営していた。
だから、立てるべき父の行動を
下手に止めて関係が危うくなったら
今後の生活が立ちいかなくなる。
そんな大きなリスクを取ってまで、
暴力を振るわれているわけでもない子どもを守るよりは、
生活を守ることを優先したのかも知れない。
”自分の子供を守れない親”
事情があり子供を連れて家を出ることができない場合でも、
少なくとも夫(妻)のしていることは間違っていると
子供に伝えることはできるでしょう。
子供に「あなたは悪くない」
「あなたを傷つけるのは間違っている」
「悪いのはあなたではなくお父さん(お母さん)のほうだ」
と教えるだけでも、子供には大きな違いをもたらします。
ところが「責任を果たせない親」は、
そのどれをすることもできません。
なかには子供を虐待している夫(妻)に同調していて
自分では手を出さないだけという妻(夫)もいます。
『不幸にする親』第二章 より
僕が幼い頃は暴言で、大きくなってからは説教で、
それぞれ暴走する父に、母は加担することはなかった。
エスカレートする父に
「ちょっと…」と声をかけることもあったので、
母なりに心配はしていたんだと思う。
自分含め、生活基盤の死守を優先するのは
苦渋の決断だったことは理解する。
逆らうことなく、立て続けた夫に
ある意味で反逆することになるから、
その恐怖や不安があったことも理解する。
だけど、
「加担しなかったこと」と
「止めなかったこと」は違う。
止めなかった理由が
父の体面を優先するためだったにせよ、
経済力を失う恐怖だったにせよ、
子どもである僕が深く傷ついた事実に変わりはない。
「助けてもらえなかった、止めてもらえなかった
それは自分が悪いから、愛されていないからだ。」
そんな悲しい思いを抱いたことは事実。
本来は天秤にかけるものでないにせよ、
家族全体の維持のために僕1人の心を
「必要な犠牲」にしたと疑ったことも事実。
親は信頼に値しない、
いざという時に自分の味方には決してならないと
僕が思い込んでしまったことも事実。
母の母、つまり祖母は
姑である曾祖母から召使いのように扱われたと聞く。
それに黙って耐える祖母を長年見て来た母は、
「力を持つ者に付き従う」ことが生き延びる道だと
学んだ可能性はある。
→「姑と、嫁だった祖母の我慢。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/272/0
耐える内容の中にはもちろん、
弱い立場である子どもの怒りや悲しみも含まれて。
だから母は、姑だった曾祖母を
夫=僕の父に置き換えて従っていただけ、
それが当たり前の家族関係と思っていたのかも知れない。
そんな母の成育環境を考慮してもなお、
目の前で苦しむ自分を母は助けなかった、
生贄に捧げられたという思いは捨てられない。
きっと、ずっと背負って生きるんだろう。
もし今、母の口から本当の理由が語られたとしても、
すべては後の祭り。
覆水は盆に返らないが、
消せない心の傷とどう向き合って生きるかは
これからの僕自身が決められる。
傷跡を見るたびに怒りや恨みを募らせるか、
傷跡を超えた自負としてこれからを生きるかで、
人生を変えられるかが決まる。
2020年01月17日
【夢分析】2つの視点を切り替える明け方。
毎朝、起床直前の、僕の頭の中。
※悪夢で飛び起きた日は除く
布団のぬくぬくが気持ちいい。
そろそろ朝だろうなぁ。
ぼやーっとしながらも、
今は夢を見るほど寝ていないとわかる。
ただ目を開けていないだけ。
目を閉じて横たわってる今の自分は、
「夢を見ていない」とはっきり認識している。
だけど、もしそれ自体が夢だったら、
「夢を見ていないと認識している夢」を見ていたなら、
目を開けた瞬間に夢から醒めてしまう。
夢から醒めて、この夢の内容を
忘れてしまっていたらもったいないなぁ。
目を開けるかどうかが
夢うつつの世界と現実世界の扉だと
はっきりわかっている。
そろそろ寝飽きたから、
扉を開けて現実世界へ移動したいけど、
夢なのか現実なのかあいまいな
この世界も心地良くて、移動をためらう。
そんな、あいまいな世界にいる時、
自分の意識というか視点は2つある。
1つ目は自分の頭の中心部、
ちょうど両目の奥深くあたり。
惑星で言うと核、コア部分あたり。
頭の内側から、
目を開けないまま寝転がってる自分を見ている。
2つ目は、寝転がって布団にくるまる自分を
ちょうど真上から眺める位置。
見えるのは自分だけじゃなく、
部屋の天井に設置されたカメラのように
視線を動かすことができる。
そして、目を開けるまでの間は、
TV番組でカメラを切り替えるように、
頭の中心部にある「意識その1」と
真上から眺めている「意識その2」を
自由に行き来できる。
2つの視点を自由に切り替えられるようになったのは
いつからかわからない。気づいたらできていた。
起きて活動している時は、基本的にできない。
今のところ、
寝てると言えるほど寝ておらず、
はっきり起床してもいない時の限定。
自分を真上から眺めている「意識その2」の方は
幽体離脱か何かだろうか、だとしたら実におもしろい。
昨年の夏、ものすごく落ち込んだ時
地上の自分と斜め上に浮かぶ自分の
2視点を体験したことがあった。
→「浮かんだ世界。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/270/0
自分の横顔が目の前に浮かび上がることもあった。
→「自分の横顔が視界に映りながら生きている。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/276/0
この時と今の違いは
精神的にかなり安定していること。
だから、何かの病気とは
今のところ思っていない。
これは誰にでもできることなのか、
それとも特技か何かなのかを知りたい。
自分がどうして、2つの意識や視点を
自由に切り替えられるかを知りたい。
そして、
もし自分を外から眺める視点の切り替えを
能力として鍛えられるとしたら、
千里眼のようにもっと遠くに視点を飛ばして
色んな場所を見てみたい。
もしくは自分の頭の奥深く、
まだ眠っている深層心理を見てみたい。
人間の脳は1割しか使われていないそうだから、
残りの9割を見れる位置に視線を飛ばして、
見たり語ったりしてみたい。
うとうとした朝方はいつも、
そんな想像の世界を膨らませている。
こうやって書いてみると、
起きる前から頭使い過ぎじゃないかと笑えてくる。
だけど感覚としては
頑張って考えてるのではなく、
自動的に想像が広がっていくイメージ。
広がり過ぎてキリがないくらい。
ともかく、そんな想像グセも
こうして記事としてシェアできたから、
一応は役立ってよかった。
※悪夢で飛び起きた日は除く
布団のぬくぬくが気持ちいい。
そろそろ朝だろうなぁ。
ぼやーっとしながらも、
今は夢を見るほど寝ていないとわかる。
ただ目を開けていないだけ。
目を閉じて横たわってる今の自分は、
「夢を見ていない」とはっきり認識している。
だけど、もしそれ自体が夢だったら、
「夢を見ていないと認識している夢」を見ていたなら、
目を開けた瞬間に夢から醒めてしまう。
夢から醒めて、この夢の内容を
忘れてしまっていたらもったいないなぁ。
目を開けるかどうかが
夢うつつの世界と現実世界の扉だと
はっきりわかっている。
そろそろ寝飽きたから、
扉を開けて現実世界へ移動したいけど、
夢なのか現実なのかあいまいな
この世界も心地良くて、移動をためらう。
そんな、あいまいな世界にいる時、
自分の意識というか視点は2つある。
1つ目は自分の頭の中心部、
ちょうど両目の奥深くあたり。
惑星で言うと核、コア部分あたり。
頭の内側から、
目を開けないまま寝転がってる自分を見ている。
2つ目は、寝転がって布団にくるまる自分を
ちょうど真上から眺める位置。
見えるのは自分だけじゃなく、
部屋の天井に設置されたカメラのように
視線を動かすことができる。
そして、目を開けるまでの間は、
TV番組でカメラを切り替えるように、
頭の中心部にある「意識その1」と
真上から眺めている「意識その2」を
自由に行き来できる。
2つの視点を自由に切り替えられるようになったのは
いつからかわからない。気づいたらできていた。
起きて活動している時は、基本的にできない。
今のところ、
寝てると言えるほど寝ておらず、
はっきり起床してもいない時の限定。
自分を真上から眺めている「意識その2」の方は
幽体離脱か何かだろうか、だとしたら実におもしろい。
昨年の夏、ものすごく落ち込んだ時
地上の自分と斜め上に浮かぶ自分の
2視点を体験したことがあった。
→「浮かんだ世界。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/270/0
自分の横顔が目の前に浮かび上がることもあった。
→「自分の横顔が視界に映りながら生きている。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/276/0
この時と今の違いは
精神的にかなり安定していること。
だから、何かの病気とは
今のところ思っていない。
これは誰にでもできることなのか、
それとも特技か何かなのかを知りたい。
自分がどうして、2つの意識や視点を
自由に切り替えられるかを知りたい。
そして、
もし自分を外から眺める視点の切り替えを
能力として鍛えられるとしたら、
千里眼のようにもっと遠くに視点を飛ばして
色んな場所を見てみたい。
もしくは自分の頭の奥深く、
まだ眠っている深層心理を見てみたい。
人間の脳は1割しか使われていないそうだから、
残りの9割を見れる位置に視線を飛ばして、
見たり語ったりしてみたい。
うとうとした朝方はいつも、
そんな想像の世界を膨らませている。
こうやって書いてみると、
起きる前から頭使い過ぎじゃないかと笑えてくる。
だけど感覚としては
頑張って考えてるのではなく、
自動的に想像が広がっていくイメージ。
広がり過ぎてキリがないくらい。
ともかく、そんな想像グセも
こうして記事としてシェアできたから、
一応は役立ってよかった。
2020年01月16日
レジで店員にスゴむ壮年に遭遇。
先日のバスケ中、
チームメイトへの文句や暴言で
暴れまくる選手とのやり取りに続き、
またしても険悪な場面に遭遇してしまった。
今回は「店員にスゴむ壮年」に遭遇した話。
年明けから順調にいき過ぎていたから、
今週はそういう波風の立つような、
怒りを溜めた人に出くわす週なのかも知れない。
仕事終わりにブックオフへ立ち寄ると、
カウンターの方から男性の怒鳴り声が聞こえてきた。
「んなこともわかんねぇのかよ!」
「たった200円だぞ、おいコラ!」
中略
「俺は穏やかだからよかったけど、
他の奴にやったら殴られてっぞ!」
まるで、突っ張ってる人が弱い者にスゴむような、
大げさなくらいにオラオラした巻き舌。
僕はその時、ちょうど本棚の陰で
カウンターが見えない位置にいた。
恐ろしく思いながらも、
一体どんな”いかつい人”がスゴんでいるのかと
カウンターが見える位置に移動してみた。
若い女性店員が2人、
カウンターに肘をつき、
2人の方へ身を乗り出すように立っていたのは、
身長160センチくらいで
ものすごく細い、50代くらいの男性。
お世辞にも強そうには見えなかった。
人を見た目で判断するのはよくなし、
そういう外見だから強そうに見えないというのは
僕の偏見だとわかっている。
ただ、それを差し引いても、
腕っぷしが強かったり、地位や権力を持っていたり、
反社会的勢力に出入りしているようには
とても見えなかった。
会話の内容から、お金の計算を間違えたと思われる。
ただ彼の言っている通り、「たかが200円」のことで
公衆の面前で理不尽にキレるのはデメリットしかない。
それを知ってか知らずかはともかく、
冷静に考えたらとてもできないような暴挙に
敢えて踏み切ったということは、
彼はキレる相手と場所とチャンスを
探していたんじゃないだろうか。
接客の現場でよく聞く話、
お店で偉そうにしたり、
店員に横柄な態度を取ったり
キレる客というのは相手を選んでいる。
立場の弱い、何も言い返してこないであろう人にだけ、
客という安全と優位性が保証された場所から牙をむく。
だから、もしあの時カウンターにいたのが
大きくて強そうな男性だったりしたら
きっとあんなことをしなかったんじゃないだろうか。
本当は脆くて自信がなくて、打たれ弱い。
けどそれを自分で認めたくないから、
反撃される可能性が極めて低い相手にだけ
大きな態度を取るんじゃないだろうか。
そんな分析をしながら、
過去にキレる壮年に出くわした時と同じように、
彼の生い立ちや普段の生活についても
思いを巡らせた。
これだけの怒りを爆発させるということは、
彼らは普段、よほど抑えつけられているか
幸せではないんだろう。
自分が不幸で、孤独で、認められていない。
大切に扱われていない。
不満、怒り、寂しさ、
溜まりに溜まった負のエネルギーを
本来ぶつけるべき人にぶつけられないから、
自分より弱い立場の人に向ける。
かまってほしい、認めてほしい、
自分はすごい人間なんだと誇示したい。
自分はもっと大切に扱われるべきなのに、
誰も自分を特別扱いしてくれない。
自分の怒りを本当に向けるべき相手は、
目の前にいる店員ではないのに、
そのことに気づかないまま、
不幸や不満のはけ口を無意識に探し、
ここぞとばかりに爆発させたんだろう。
→スーパーにて、学生とやり合う壮年に遭遇。
警察沙汰になり連れて行かれた。
「「キレる」背景にある寂しさ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/364/0
→区役所の生活保護課にて、
窓口で職員に怒鳴り散らす壮年に遭遇。
「区役所で怒鳴る人に遭遇…。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/394/0
また偏見から物を申すと、
通りすがりの僕から見ても
強そうに見えなかったあの人は、
自分より大きくて強い人間から
虐げられた過去があるんじゃないだろうか。
それは職場の上司や学生時代のいじめ、
もっと遡れば親の虐待や無関心など、
勝てそうにないような力や権限を持った人間から。
いじめや虐待のターゲットにされ、
良い扱われ方をされなかった怒り、恨みを、
やり返してこないとわかっている相手に
置き換えてぶつける。
親子関係でも、虐待の世代間連鎖が問題になるけど、
それと同じで、やられたことを違う相手に
やり返しているんじゃないだろうか。
彼が他の店でも
怒鳴りまくった履歴があるかはわからないけど、
そんな時代背景があるのではと思った。
とはいえ、やっていいことと悪いことは
学ばないといけないし、
あれくらい汚い言葉で罵ると
下手すれば恫喝で警察沙汰、
出入り禁止もあり得る。
何より、関係のない店員も周りの人も
嫌な気分になるし、一生残る心の傷、
トラウマにだってなりかねない。
聞いていた限り、
店員はちゃんとした対応だったので、
スゴんだり汚い言葉で迫るのは間違ってると思う。
本当にものすごく不幸なんだとしたら
そこには同情するけど、
こんな方法でしか自分をアピールできないのは
人間としてみっともない。
というわけで、熱く語ってしまったけど、
彼の心の問題なのに被害を受けるお店は
本当に大変だと思う。
僕にはどうしようもないとわかっていても、
客が店員に怒鳴り散らす光景は無くなってほしいし
何とかできるものならしたい。
人間の二次感情に怒りや恨みがある限り、
接客の現場では無くならないだろうけど、
せめてあの2人の店員さんの心の傷が
少しでも癒されてほしいと願うばかりだった。
チームメイトへの文句や暴言で
暴れまくる選手とのやり取りに続き、
またしても険悪な場面に遭遇してしまった。
今回は「店員にスゴむ壮年」に遭遇した話。
年明けから順調にいき過ぎていたから、
今週はそういう波風の立つような、
怒りを溜めた人に出くわす週なのかも知れない。
仕事終わりにブックオフへ立ち寄ると、
カウンターの方から男性の怒鳴り声が聞こえてきた。
「んなこともわかんねぇのかよ!」
「たった200円だぞ、おいコラ!」
中略
「俺は穏やかだからよかったけど、
他の奴にやったら殴られてっぞ!」
まるで、突っ張ってる人が弱い者にスゴむような、
大げさなくらいにオラオラした巻き舌。
僕はその時、ちょうど本棚の陰で
カウンターが見えない位置にいた。
恐ろしく思いながらも、
一体どんな”いかつい人”がスゴんでいるのかと
カウンターが見える位置に移動してみた。
若い女性店員が2人、
カウンターに肘をつき、
2人の方へ身を乗り出すように立っていたのは、
身長160センチくらいで
ものすごく細い、50代くらいの男性。
お世辞にも強そうには見えなかった。
人を見た目で判断するのはよくなし、
そういう外見だから強そうに見えないというのは
僕の偏見だとわかっている。
ただ、それを差し引いても、
腕っぷしが強かったり、地位や権力を持っていたり、
反社会的勢力に出入りしているようには
とても見えなかった。
会話の内容から、お金の計算を間違えたと思われる。
ただ彼の言っている通り、「たかが200円」のことで
公衆の面前で理不尽にキレるのはデメリットしかない。
それを知ってか知らずかはともかく、
冷静に考えたらとてもできないような暴挙に
敢えて踏み切ったということは、
彼はキレる相手と場所とチャンスを
探していたんじゃないだろうか。
接客の現場でよく聞く話、
お店で偉そうにしたり、
店員に横柄な態度を取ったり
キレる客というのは相手を選んでいる。
立場の弱い、何も言い返してこないであろう人にだけ、
客という安全と優位性が保証された場所から牙をむく。
だから、もしあの時カウンターにいたのが
大きくて強そうな男性だったりしたら
きっとあんなことをしなかったんじゃないだろうか。
本当は脆くて自信がなくて、打たれ弱い。
けどそれを自分で認めたくないから、
反撃される可能性が極めて低い相手にだけ
大きな態度を取るんじゃないだろうか。
そんな分析をしながら、
過去にキレる壮年に出くわした時と同じように、
彼の生い立ちや普段の生活についても
思いを巡らせた。
これだけの怒りを爆発させるということは、
彼らは普段、よほど抑えつけられているか
幸せではないんだろう。
自分が不幸で、孤独で、認められていない。
大切に扱われていない。
不満、怒り、寂しさ、
溜まりに溜まった負のエネルギーを
本来ぶつけるべき人にぶつけられないから、
自分より弱い立場の人に向ける。
かまってほしい、認めてほしい、
自分はすごい人間なんだと誇示したい。
自分はもっと大切に扱われるべきなのに、
誰も自分を特別扱いしてくれない。
自分の怒りを本当に向けるべき相手は、
目の前にいる店員ではないのに、
そのことに気づかないまま、
不幸や不満のはけ口を無意識に探し、
ここぞとばかりに爆発させたんだろう。
→スーパーにて、学生とやり合う壮年に遭遇。
警察沙汰になり連れて行かれた。
「「キレる」背景にある寂しさ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/364/0
→区役所の生活保護課にて、
窓口で職員に怒鳴り散らす壮年に遭遇。
「区役所で怒鳴る人に遭遇…。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/394/0
また偏見から物を申すと、
通りすがりの僕から見ても
強そうに見えなかったあの人は、
自分より大きくて強い人間から
虐げられた過去があるんじゃないだろうか。
それは職場の上司や学生時代のいじめ、
もっと遡れば親の虐待や無関心など、
勝てそうにないような力や権限を持った人間から。
いじめや虐待のターゲットにされ、
良い扱われ方をされなかった怒り、恨みを、
やり返してこないとわかっている相手に
置き換えてぶつける。
親子関係でも、虐待の世代間連鎖が問題になるけど、
それと同じで、やられたことを違う相手に
やり返しているんじゃないだろうか。
彼が他の店でも
怒鳴りまくった履歴があるかはわからないけど、
そんな時代背景があるのではと思った。
とはいえ、やっていいことと悪いことは
学ばないといけないし、
あれくらい汚い言葉で罵ると
下手すれば恫喝で警察沙汰、
出入り禁止もあり得る。
何より、関係のない店員も周りの人も
嫌な気分になるし、一生残る心の傷、
トラウマにだってなりかねない。
聞いていた限り、
店員はちゃんとした対応だったので、
スゴんだり汚い言葉で迫るのは間違ってると思う。
本当にものすごく不幸なんだとしたら
そこには同情するけど、
こんな方法でしか自分をアピールできないのは
人間としてみっともない。
というわけで、熱く語ってしまったけど、
彼の心の問題なのに被害を受けるお店は
本当に大変だと思う。
僕にはどうしようもないとわかっていても、
客が店員に怒鳴り散らす光景は無くなってほしいし
何とかできるものならしたい。
人間の二次感情に怒りや恨みがある限り、
接客の現場では無くならないだろうけど、
せめてあの2人の店員さんの心の傷が
少しでも癒されてほしいと願うばかりだった。
2020年01月15日
冬の乾燥、指先と爪の間を切る。
ある日の練習前、
シューティングをしていると
指先に突然の痛み、そして出血。
僕は左手の人差し指にシュートマメがあって、
最初はそれが潰れたのかと思った。
が、よく見てみると、
もっと痛いやつ。
爪と指先の間が裂けて出血していた。
ああ、やっちゃった…。
冬、乾燥の季節。
手荒れ、肌荒れ、指荒れ、
油断するとあらゆる場所が切れる季節。
そうでなければいい、
シュートマメが潰れたのであってほしいと
現実から目を逸らしながら、
切れてほしくない場所が切れた現実。
ハンドクリームでの手入れを怠っていた
油断いっぱいの自分と
向き合わなければいけない瞬間がやってきた。
指先の、爪との間のくぼみ、
裂けるとかなり痛い場所。
部位の名前がわからなかったので調べてみると
「ハイポニキウム」というらしい。
洗い物など、水仕事をしている最中に
切ったという体験談が多いようだ。
実はこのハイポニキウム、
毎年1度は切っている。
切るタイミングも毎年同じ、
ハンドクリームでの手入れを怠った数日後、
シュートを打った瞬間に鈍痛と出血。
今年は初めて足指のしもやけをこじらせたものの、
手指の状態はよかったので完全に油断していた。
→足指のしもやけがひどくなり不眠に。
「凍瘡(とうそう)。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/392/0
→必死の手入れで回復。
「凍瘡(とうそう)、回復。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/405/0
ということで、怠惰な自分への戒めと
指先の治療を開始。
寝る前、ハンドクリームをしっかり爪の中まで塗る。
そして塗り薬を爪の中に詰め込み、
指先を薄めのテーピングで二重巻き。
人差し指はなるべく水につけないよう、
洗い物や手洗いを極めて不自然な手つきで遂行。
バスケ時はスポーツ用のテーピングで
指先をぐるぐる巻きにして保護。
傷口が一度ふさがっても、
指の中で最も使われる部位の1つなので、
皮膚が引っ張られて
裂けるクセがついてしまう。
だから一旦は治っても
その冬が終わるまでは再発の恐れがあり、
普段とバスケ時のテーピングは欠かせない。
小学生の頃は手の乾燥がもっとひどく、
手の甲があかぎれだらけで足の踏み場がなかった。
その頃に比べたらだいぶマシになったけど、
切れたら痛い場所がピンポイントで切れるという、
要点抑え型の手荒れに変化してきた。
今年の冬はたぶん例年よりあたたかい。
そして、信じられないくらい雪が少ない。
それもあって、今年は全体的に
「冷え」に対して無防備な傾向がある。
もともと冷え性な上に、手入れを怠ると
足指の時みたいに病院に行くほど悪化。
今年の冬も、人差し指を水につけないよう、
変な動作でかばいながら過ごすことになりそうだ。
シューティングをしていると
指先に突然の痛み、そして出血。
僕は左手の人差し指にシュートマメがあって、
最初はそれが潰れたのかと思った。
が、よく見てみると、
もっと痛いやつ。
爪と指先の間が裂けて出血していた。
ああ、やっちゃった…。
冬、乾燥の季節。
手荒れ、肌荒れ、指荒れ、
油断するとあらゆる場所が切れる季節。
そうでなければいい、
シュートマメが潰れたのであってほしいと
現実から目を逸らしながら、
切れてほしくない場所が切れた現実。
ハンドクリームでの手入れを怠っていた
油断いっぱいの自分と
向き合わなければいけない瞬間がやってきた。
指先の、爪との間のくぼみ、
裂けるとかなり痛い場所。
部位の名前がわからなかったので調べてみると
「ハイポニキウム」というらしい。
洗い物など、水仕事をしている最中に
切ったという体験談が多いようだ。
実はこのハイポニキウム、
毎年1度は切っている。
切るタイミングも毎年同じ、
ハンドクリームでの手入れを怠った数日後、
シュートを打った瞬間に鈍痛と出血。
今年は初めて足指のしもやけをこじらせたものの、
手指の状態はよかったので完全に油断していた。
→足指のしもやけがひどくなり不眠に。
「凍瘡(とうそう)。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/392/0
→必死の手入れで回復。
「凍瘡(とうそう)、回復。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/405/0
ということで、怠惰な自分への戒めと
指先の治療を開始。
寝る前、ハンドクリームをしっかり爪の中まで塗る。
そして塗り薬を爪の中に詰め込み、
指先を薄めのテーピングで二重巻き。
人差し指はなるべく水につけないよう、
洗い物や手洗いを極めて不自然な手つきで遂行。
バスケ時はスポーツ用のテーピングで
指先をぐるぐる巻きにして保護。
傷口が一度ふさがっても、
指の中で最も使われる部位の1つなので、
皮膚が引っ張られて
裂けるクセがついてしまう。
だから一旦は治っても
その冬が終わるまでは再発の恐れがあり、
普段とバスケ時のテーピングは欠かせない。
小学生の頃は手の乾燥がもっとひどく、
手の甲があかぎれだらけで足の踏み場がなかった。
その頃に比べたらだいぶマシになったけど、
切れたら痛い場所がピンポイントで切れるという、
要点抑え型の手荒れに変化してきた。
今年の冬はたぶん例年よりあたたかい。
そして、信じられないくらい雪が少ない。
それもあって、今年は全体的に
「冷え」に対して無防備な傾向がある。
もともと冷え性な上に、手入れを怠ると
足指の時みたいに病院に行くほど悪化。
今年の冬も、人差し指を水につけないよう、
変な動作でかばいながら過ごすことになりそうだ。
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