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2019年10月23日

抱っこされたかった思いを諦めきれない。

親が子どもをぎゅっと抱っこするシーンに弱い。

心臓をわしづかみにされるような感覚が走り、
気づいたら涙がこぼれている。



以前、温泉で
優しいお父さんが子どもを抱っこする姿を見て
ロッカールームの端で一人で泣いたことがある。

→「優しいお父さんと、抱っこをせがむ子と。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/283/0

そうやって自分の目で、現場を見た時も、
物語の中で描かれた親子を見た時も、
僕の胸に起きる反応は同じ。



ある夜、一人でこのシーンを観ながら
窓を閉めていてよかったと思えるぐらいに
涙でぐしゃぐしゃになっている自分がいた。



僕の中に残る幼少期の記憶には
抱っこされて見た景色がない。

自分の身長から、自分の目線の高さから
見える景色だけが残ってる。

そしてその景色の近くには、
僕と目線の高さを合わせたり、
僕の身体を包み込んだ親の姿は見えない。

自分のすぐ近くには誰もいなくて、
少し離れた周りに友達や誰かがいるという景色。



僕はどうして抱っこされなかったの?

「もっと近くにおいで」という
あたたかい言葉をかけられて、

寄って行ったら腕を回して抱きしめられることを
なぜされなかったの?



僕が2歳の時、妹が生まれて、
妹にかかりきりだったから?

僕は一人で絵本を読んでいるような子だったらしいけど、
まさか「寄ってこないから大丈夫」と思われたの?

父は他人の気持ちや都合を
考えることのできない人間だから、まだ諦めもつく。

母は昔も今も、自分から何も話さない人だけど、
例えば「愛情の示し方がわからない」みたいな理由で
自分から子どもに近づこうとしなかったの?



子どもがおつかいに行くTVを見て涙が止まらなくなった。
どのお母さんも「キミならできるよ。大丈夫」って励まして、
ゴールしたらギューッて抱きしめるの。

子どもの頃の私が
「いいなぁ。こんなふうにしてほしかった」って泣いた。


『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』 より

親にあたたかく抱っこされた思い出がほしかった。

今さらこんなことを望んでも手に入らないものだと、
諦めようとすればするほど、

心臓をぎゅっと握りしめられる感触が強くなる。

あたたかいスキンシップの経験を
この子にはあげずに大人になってもらおう、
そう決めた神様か誰かなんていないのは判ってる。

だけど、抱っこされたかった気持ちを
諦めなければいけない幼い頃の自分を、
どう説得しようとしても諦めてくれない。

手に入らないのに諦めきれない葛藤が
胸を掴まれる感覚と涙なんだろうか。



きっと僕はこれからも、
抱っこのシーンに出くわすたびに泣くんだろう。

「いいなぁ。こんなふうにしてほしかった」と
寂しがって泣くだけの自分を、どうすれば救えるだろう。

欲しがらなくなるまで、とことん泣いてもいいなら、

これからも、うんざりするほど羨ましがって、
窓を閉め切って泣きに泣いてやる。


posted by 理琉(ワタル) at 23:55 | TrackBack(0) | 家族

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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