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2022年07月19日

絶縁した父の危篤 〜人の悩みの小ささと、人生のあっけなさ〜。

ー目次ー
  1. 絶縁していた父の危篤
  2. 外敵だった父はもういない
  3. 醜い復讐の炎が消えた瞬間
  4. 自分だけは死なないから悩む
  5. 人生の残り時間はやりたいことに費やそう

1.絶縁していた父の危篤

絶縁していた父が「危篤」との連絡が来た。

それまで僕は、
たとえ父が亡くなっても葬儀には出ないと決めていた。

しかし、

「一度だけでも、父に会ってほしい」

母の言葉に、僕の心は不覚にも揺らいだ。



僕は父に、
積年の怨恨をすべてぶつける覚悟を決め、会いに行った。

が、
もう話すことすらできなくなった父の姿を見たら、
そんな気は失せてしまった。

人間の悩みの小ささ、人生のあっけなさを痛感した。




我慢して生きようと、愚痴ばかり吐いて生きようと、
最期はあっという間に来る。

人生の残り時間は決して増えない。

だから1つでも多く、
やりたいことをやって最期を迎えようと、改めて思った。


2.外敵だった父はもういない

僕が最後に父に会ったのは3年前。

当時、僕が生活保護を受けるにあたり、
最後の関門が「親族からの支援の有無」だった。

区役所の面談室では僕と支援員さん、
生活保護課の職員さんの3人で待ち構えた。

面談が始まると、
父は相変わらず1人で持論をしゃべり続け、僕を罵倒した。

母はやはり、父を止めることも、僕を助けることもなかった。



おそらく中〜重度の自閉症スペクトラムの父。
空気を読めず、どんな場所だろうと暴れる父。

「少しは人の気持ちを想像できるようになっているかも」

毎回そんな期待を捨てられず、
会うたびに傷つき、ついに絶縁した父。

僕にとって「危険な外敵」だった父。



あの日からたった3年後、
僕の目の前にはもう、そんな父はいなかった。


3.醜い復讐の炎が消えた瞬間

僕は家族と絶縁して以来、
親子問題や心理学の本を読みあさってきた。

ひたすら泣いて、泣いて、恨んで、叫んできた。

だから、僕の中に渦巻く恨みなど、
とうに出し切ったと思っていた。

会わないまま死別しようと悔いはないと思っていた。



…そんなはずはなかった。

「まだ、恨みをぶつけるチャンスがある」
僕の醜い復讐心が再燃した。




が、
実家のベッドに横たわっていたのは、
衰弱し、もうしゃべることも、目を開けることもできない父だった。

その姿を見た瞬間、醜い復讐の炎はふっと消えてしまった。



僕は少しうつむいたまま、父に語りかける母の声を聞いていた。

僕の心には同情と罪悪感、そして
「もう傷つけられない」という安堵感が同居していた。

同時に、僕はあまりに多くの時間を、
「家族との関係の悪さに悩む」ことに費やしてきたと気づいた。


4.自分だけは死なないから悩む

僕らはどうして悩むんだろう。

悩むより、悩みを解決するために動いた方が、
自分のためになるにもかかわらず。

僕らが悩むのは、どこかで

「自分だけは死なない」
「時間は無限にある」


と思っているからじゃないだろうか。




「悩みなんてくだらない」「時間をムダにすることは悪」
と言いたいわけじゃない。

悩みからの解放を目指して宗教が生まれるくらい、
人間にとって悩みは大きなものだ。

大切なのは悩みの大小ではなく「人生の時間配分」だと思う。
人は、自分が永遠に生きつづけるものと思っているからなのです。

自分の弱さなど少しも念頭になく、
どれだけの時間が失われたかにも気づかない。
涸れることのない泉か何かのように時間を無駄遣いしている。

そうやって他人やものごとのために使っている今日という一日が、
最後の一日かもしれないというのに。

死を免れない者として何もかもを恐れながら、
そのくせ不死の存在であるかのように、
何もかもを手に入れたいと望むのです。


『人生の短さについて』 より



たとえば、
ゲームの各キャラの能力値をどう振り分けるか。
力に全振りするか、バランス型にするか。

それと同じで
人生の時間の多くを「悩むだけ」に費やすか、
「解決」や「楽しみ」に振り分けるか。


僕はいつしか、
人の死に際に直面するたび、その答えを探すようになった。

5.人生の残り時間はやりたいことに費やそう

叔父が亡くなったときも、
父の姿を見たときも、僕はこう思った。

「自分にも同じところに癌ができて、同じように死ぬんだな」



僕にはいつからか、自分本体の中に、
自分を斜め上から見つめるもう1人の自分が生まれた。

心理学でいう「解離」という防衛行為の1つだろう。
任意でカメラ位置を切り替えられるので、バスケのプレー中は便利だ。

そのせいか、僕は親の死も、
未来の自分の最期も、ドライな目で見ていた。


それは「冷たい」「情が薄い」のかもしれないが、
人生の時間配分を考える上では役に立った。



 『どう生きようが、最期はあっという間に来る。
  3年前、区役所で暴れた父がこうなったように。
  だったら最期を迎えるまで、やりたいことをやろう』
と。



僕の親戚には、どこか悟ったような、達観した人が多い。

彼らは自らの病気や死を、笑いながら語る。
それは僕のように「解離」させて心を守ってきたからかもしれない。

そして彼らもまた、人生の時間配分を
「悩む」から「笑う」にシフトしたんだろう。

あまたの死に直面して。



悩むことは決してムダではない。
ひとしきり悩んだら、残りのライフはやりたいことに費やそう。









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posted by 理琉(ワタル) at 19:12 | TrackBack(0) | 家族

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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