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2022年07月26日

【親子の役割逆転】子どもに”親のカウンセラー”をさせる親。

ー目次ー
  1. 子どもは”お母さんのお母さん”
  2. ストレスでしゃべる親、ケアをする子ども
  3. 子どもが”親のカウンセラー”にされる
  4. 歴代の親は”お母さん聞いて聞いて!”ができなかった
  5. 親は変わらないことを受け入れる覚悟

1.子どもは”お母さんのお母さん”

絶縁していた父が亡くなった。
葬儀のプラン決め、葬儀本番、つつがなく終了した。

僕は葬儀に出ないと決めていたが、
なんだかんだで出席した。涙は出なかった。



親戚が集まるといつも、女性陣は大騒ぎした。
一方、男性陣はかやの外で沈黙した。

そこには「話し合い」「共感」「関心」はなかった。
あるのは封殺だった。

僕は小さい頃から、
その空気に耐え難い息苦しさを感じてきた。
そして今回、改めて感じた。



僕が育った家庭は、やはり『機能不全家族』だったのだ。



おそらく、僕の家系ではずっと
親世代が子どもを「お母さん代わり」にしてきたんだろう。

親世代はまるで
「お母さん、聞いて聞いて!」と言うように、
自分の不安や愚痴を子どもにぶつけてきたんだろう。


2.ストレスでしゃべる親、ケアをする子ども

僕の家庭環境では、なぜこんなことが起きるのか。

「男女」と一括りにするのは好きじゃないが、
仕組み上は

「女はストレスでしゃべる、男はストレスで黙る」

からだろう。

ストレスがたまったり、強い重圧を受けたとき、
女のほうは言語機能が盛んになって、とめどなくしゃべりだす。

いまの悩み、過去の悩み、起こるかもしれない悩み、
解決しようのない悩み、そのすべてが話題になる。

そうやってしゃべることで心を落ちつかせ、
気晴らしをしているわけで、答えを探しているわけではない。



『話を聞かない男、地図が読めない女』第7章 より


遺影の写真も、葬儀プランも、談笑が長引いて決まらない。
葬儀屋さんは困り果て、精一杯の苦笑いを見せる。

それはきっと、葬儀屋さんへの嫌がらせじゃない。

彼女たちなりの、
「悲しみというストレス」を乗り越えようとする行動


なのだろう。

3.子どもが”親のカウンセラー”にされる

しゃべることで悲しみや不安をやわらげる。
ストレスを発散し、気持ちを落ち着かせる。

それ自体は必要なことだ。
ただそれを長年、子どもにやり続けるとどうなるか。



子どもはいつも、親がぶちまける不安の聞き役にされる。
子どもが「親のカウンセラー」にされる。

子どもは親の気持ちに寄り添わされ、
親の不安のケアをさせられる。

子どもは
「親は自分の話を聞いてくれる」
「親は自分の気持ちに共感してくれる」
という経験ができないまま大人になってしまう。



その結果、子どもの心には孤独感がつのる。

「親と一緒にいるのに寂しい」
「親は自分の気持ちに興味がない」

子どもに甘えていることにすら気づかない親に絶望する。
そして、親に何かを相談することをあきらめる。

4.歴代の親は”お母さん聞いて聞いて!”ができなかった

僕の親も親戚もそうであるように、
子どもをカウンセラーにする親の多くは変わらない。

子どもは不思議に思う。

「無自覚なのか?」
「どこかで自身を振り返るチャンスはなかったのか?」

そして、この疑問にたどり着く。

『なぜ親は子どもに「親のカウンセラー」をさせるのか?』




それはきっと、
親自身が「親の親のカウンセラー」をさせられてきたからだ。



親の親世代が、自分の子どもを聞き役にしてきた。
子どもは親の保護を失う恐怖から、その役割を拒否できなかった。

そんな彼らは、

「親に話を聞いてもらいたかった」
「親に気持ちをわかってもらいたかった」

という欲求が満たされないまま親になった。
すると今度は自分の子どもを「お母さん代わり」にした。



彼ら、彼女らは、親の姿をしているだけだ。
僕や従兄弟たちは、彼らから見て子どもの姿をしているだけだ。

親世代がやっていることは、いつまでも
「お母さん、聞いて聞いて!」であり、

子ども世代がやっていることは
「よしよし、つらかったね、あなたは悪くないよ。なでなで」だ。


おそらく一族の黎明までさかのぼっても、ずっと。




5.親は変わらないことを受け入れる覚悟

僕は束縛されるのが大嫌いだ。

自分でも極端に思うほど、自由への渇望が強い。
かなりの「回避依存」「脱走者」だ。

自由でいたいと思うのは、
どこかで「自分は自由じゃない」と思っているからだ。

そして、脱走者のように束縛を嫌うのは、
「もう、あんな息苦しさを味わいたくない」からだろう。


その息苦しさとは
「親の聞き役にされる閉塞感」であり、
「不安のはけ口にされる消耗感」だ。



大人になり、
子どもにカウンセラーをさせる親の仕組みは理解できた。

親は、

 自分の不安や寂しさでいっぱいいっぱいだった
 子どもに愚痴を吐き出すことしかできなかった
 子どもの気持ちを思いやる余裕も発想もなかった
 親の親のカウンセラーをさせられてきた


残る仕事は、時間をかけて
親は変わらないと受け入れていくことだ。

親は死ぬまで、
親子の役割が逆転していることにも、
子どもに「お母さん、聞いて聞いて!」をしていることにも、
気づかないだろう。




もしこの記事を、
「子どもに自分のカウンセラーをさせてきた」と
気づいた親が読んでくれているのなら。

親のカウンセラーをしてきた子どもが、
どんな願いを抱いているか伝えさせてほしい。

「子どもの気持ちに寄り添える親がほしかった」



話が通じない親には、”心の実体”が存在しないのではないか。






posted by 理琉(ワタル) at 19:55 | TrackBack(0) | 家族

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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