2022年02月28日
話が通じない親には”心の実体”が存在しないのではないか。
ー目次ー
「アダルトチルドレン」「毒親」という言葉が台頭した昨今、
親との関係が”実は苦しかった”と気づく人が増えたように思う。
「自分の親は”毒親”かもしれない」
「自分の苦しみ、寂しさ、孤独感、欠乏感の根源は、
親から十分な愛情や共感をもらえなかったことかもしれない」と。
あからさまな暴力やネグレクトは目立つから、
”苦しかった”と自覚しやすい。
しかし、そこまで目立たない”親からの巧妙な支配”の弊害は、
子どもが成長してから徐々に表面化するのでタチが悪い。
多くの人が苦しんでいる”親からの巧妙な支配”とは、
「親が一方的に命令したり、愚痴ったりするばかり」
「親が話を聞いてくれない、話が通じない」
ではないかと思う。
親からはずっと剛速球を投げられるのに、
こちらが投げたボールはすべて叩き落される。
あるいは、こちらが投げたボールが
まるで虚空へ消えていくように手ごたえがない。
この一方通行のような閉塞感はどこからくるんだろうか。
「同じ言語を母語とするのに、どうして親には話が通じないんだろう?」
それは親の本心が見えないからではないか。
いや、もっと言えば、
目の前にいるのは親ではなく、
「ヒト型をした、中身が空洞の何か」だからではないか。
まるで、あらかじめ打ち込まれたプログラムを、
機械的に出力するだけのロボットではないか。
親の本心なんて、親の本当の姿なんて、
実はどこにも存在しないんじゃないだろうか。
僕の両親は、まさに
「プログラムされた命令を機械的に繰り返すロボット」
だと感じている。
「〜しなさい」「〜しろ!」
という命令をするとき以外では、こちらへ関わろうとしない。
僕は幼少期に、親から
「学校で何があったの?」「何か楽しいことがあった?」
と尋ねられたことがない。
家での父親は数学教師としての業務に、母親は家事に、
文字どおり”没頭”していた。
僕の育った家は、プレハブの作業所のような冷たい場所だった。
誰もが無言で、持ち場の作業を淡々とこなしていた。
親子や兄弟姉妹は「他の作業員」。
会話も、おそらく互いへの興味もなかった。
僕は5歳くらいのとき、父親へ意志を伝える努力を放棄した。
「この人には何を言っても伝わらない」
あきらめが確信に変わったことを覚えている。
父親はしゃべり出すと長く、気性の荒い人だったので、
キャラクターがわかりやすかった。
母親は、僕がお世話になった多くの人に
「キャラクターがつかめない」と言わしめた。
母親は「夫より3歩下がって歩く」を体現していた。
傍から見れば「良妻賢母」だった。
父親は僕の投げたボールをすべて叩き落とした。
僕が小学校へ入るころ、父親との会話はゼロになっていた。
母親とは多くの口論をした。
だが「投げたボールが虚空へ消えていく感覚」が強かったのは、
むしろ母親に対してだった。
「この人の実体はどこにあるんだろう?」
僕は母親を思い返すたびにそう感じる。
もしも心に形があって、細胞のように”核”があるとしたら、
2人に感じた「話が通じない感覚」の中身はまったくちがった。
父親へ抱いた「話が通じない感覚」は、
『説教や暴言でガードされ、核へたどり着けない』
母親へ抱いたそれは、
『心も、その核も存在しない』だった。
”親からの巧妙な支配”は、
「親から共感してもらえなかった」という苦しみを生む。
なぜ、親は自分に興味がないのか。
なぜ、親は子どもの話を聞く気がないのか。
その理由は、僕が両親に対して感じた
「そもそも親には”共感”も”話を聞く”もプログラムされていない」
ではないだろうか。
きっと、親は子どもの頃、親の親に共感してもらえなかった。
話を聞いてもらえなかった。
かわりに、親の親からこう求められ続けた。
「私(親の親)を満たしなさい」
親は、「親の親を満たしなさい」
という要求を受け入れるしかなかった。
それを拒否したら、捨てられるかもしれないから。
そうしているうちに、「親の親を満たしなさい」は、
親自身の欲求に取って代わってしまった。
『親は、子どもに「私を満たしなさい」と要求するものだ』
という、偽りのプログラムとして。
親自身の”心の核”は、もうどこへいったのかわからない。
子どもに対する説教や暴言、無関心は、
「親を満たしなさい」という要求の変形であることにすら気づかない。
それでも、脳は「生き延びろ」「子孫を残せ」と命令し続けた。
彼らの心は行方不明のままだが、身体は成長していた。
あるとき生殖機能を使い、新たな人間を作成した。
それが「話が通じない親」の正体ではないだろうか。
『「毒親」の正体―精神科医の診察室から―』によると、
”毒親”問題の現場では、親が発達障害であるケースが非常に多いという。
発達障害、特に自閉症スペクトラム(ASD)の場合、
「心の理論がインストールされていない」
「横のつながりが欠如している」
ために、”これをしたら相手が傷つくかもしれない”という想像が難しい。
僕は勝手ながら、自分の両親はともにASDではないかと思っている。
親の一方通行な言動の説明ができるからだ。
・一方的な命令、話を聞けない、相手の気持ちを尋ねない
→子どもを傷つけるかもしれないという想像力の欠如
・親の命令を断ると即座に「わがまま」「自分勝手」と断じてくる
→断られるという”奇襲”に被害者意識を抱いて反撃
両親に感じる「話が通じない」感覚も、
発達障害かもしれないなら納得がいく。
・どんなボールを投げても説教や暴言で叩き落される
→”相手が意志を伝えてくること”が想定外の変化球だから
・こちらが投げたボールが虚空へ消えていく
→親にはそもそも受け取るための「心の理論」がないから
実家の、作業所のような冷たさ。
親の、ロボットのような融通の利かなさ。
それは彼らにとって何もおかしくなかった。
「システムは正常に稼働しています」
だったのかもしれない。
「家族とはあたたかくて、安心できる場所」
「親とは優しく受け止め、包み込んでくれる存在」
それは、僕が”家族という理論値”に抱く幻想だろうか。
アイドルに求めるような、一方的な理想像だろうか。
「親に自分の心を受け止めてほしかった」
「親に共感される経験がほしかった」
それは、空想の中でしか手に入らない欲求なんだろうか。
心はどこにあるのか、脳と心はちがうのか、本当の自分なんているのか。
親は心を消し去ったのか、未インストールなのか。
そんなことはわからない。
わかっているのは、
「親に話が通じない」ことに苦しむ人は僕以外にもたくさんいるだろう
ということ。
ならば、その苦しみに理由を付けよう。
苦しみに理由や名前を付けることは、苦しみを癒すと思うから。
「親に話が通じない」のはなぜなのか。
本記事がそれを考える一助になれば嬉しい。
⇒親は変わらない、最大の復讐は自分が幸せになること。
⇒毒親の葬儀に出席するかどうかは、自分で決めていい。
- 一方的な親は、プログラムを機械的に出力するロボット
- 投げたボールが虚空へ消える感覚、”心の核が存在しないのか?”
- 親の親に刷り込まれたプログラム、消し去られた心
- 親が発達障害の可能性、”心の理論”が未インストール
- 苦しみに名前を付け、苦しみを癒す一助に
1.一方的な親は、プログラムを機械的に出力するロボット
「アダルトチルドレン」「毒親」という言葉が台頭した昨今、
親との関係が”実は苦しかった”と気づく人が増えたように思う。
「自分の親は”毒親”かもしれない」
「自分の苦しみ、寂しさ、孤独感、欠乏感の根源は、
親から十分な愛情や共感をもらえなかったことかもしれない」と。
あからさまな暴力やネグレクトは目立つから、
”苦しかった”と自覚しやすい。
しかし、そこまで目立たない”親からの巧妙な支配”の弊害は、
子どもが成長してから徐々に表面化するのでタチが悪い。
多くの人が苦しんでいる”親からの巧妙な支配”とは、
「親が一方的に命令したり、愚痴ったりするばかり」
「親が話を聞いてくれない、話が通じない」
ではないかと思う。
親からはずっと剛速球を投げられるのに、
こちらが投げたボールはすべて叩き落される。
あるいは、こちらが投げたボールが
まるで虚空へ消えていくように手ごたえがない。
この一方通行のような閉塞感はどこからくるんだろうか。
「同じ言語を母語とするのに、どうして親には話が通じないんだろう?」
それは親の本心が見えないからではないか。
いや、もっと言えば、
目の前にいるのは親ではなく、
「ヒト型をした、中身が空洞の何か」だからではないか。
まるで、あらかじめ打ち込まれたプログラムを、
機械的に出力するだけのロボットではないか。
親の本心なんて、親の本当の姿なんて、
実はどこにも存在しないんじゃないだろうか。
2.投げたボールが虚空へ消える感覚、”心の核が存在しないのか?”
僕の両親は、まさに
「プログラムされた命令を機械的に繰り返すロボット」
だと感じている。
「〜しなさい」「〜しろ!」
という命令をするとき以外では、こちらへ関わろうとしない。
僕は幼少期に、親から
「学校で何があったの?」「何か楽しいことがあった?」
と尋ねられたことがない。
家での父親は数学教師としての業務に、母親は家事に、
文字どおり”没頭”していた。
僕の育った家は、プレハブの作業所のような冷たい場所だった。
誰もが無言で、持ち場の作業を淡々とこなしていた。
親子や兄弟姉妹は「他の作業員」。
会話も、おそらく互いへの興味もなかった。
僕は5歳くらいのとき、父親へ意志を伝える努力を放棄した。
「この人には何を言っても伝わらない」
あきらめが確信に変わったことを覚えている。
父親はしゃべり出すと長く、気性の荒い人だったので、
キャラクターがわかりやすかった。
母親は、僕がお世話になった多くの人に
「キャラクターがつかめない」と言わしめた。
母親は「夫より3歩下がって歩く」を体現していた。
傍から見れば「良妻賢母」だった。
父親は僕の投げたボールをすべて叩き落とした。
僕が小学校へ入るころ、父親との会話はゼロになっていた。
母親とは多くの口論をした。
だが「投げたボールが虚空へ消えていく感覚」が強かったのは、
むしろ母親に対してだった。
「この人の実体はどこにあるんだろう?」
僕は母親を思い返すたびにそう感じる。
もしも心に形があって、細胞のように”核”があるとしたら、
2人に感じた「話が通じない感覚」の中身はまったくちがった。
父親へ抱いた「話が通じない感覚」は、
『説教や暴言でガードされ、核へたどり着けない』
母親へ抱いたそれは、
『心も、その核も存在しない』だった。
3.親の親に刷り込まれたプログラム、消し去られた心
”親からの巧妙な支配”は、
「親から共感してもらえなかった」という苦しみを生む。
なぜ、親は自分に興味がないのか。
なぜ、親は子どもの話を聞く気がないのか。
その理由は、僕が両親に対して感じた
「そもそも親には”共感”も”話を聞く”もプログラムされていない」
ではないだろうか。
きっと、親は子どもの頃、親の親に共感してもらえなかった。
話を聞いてもらえなかった。
かわりに、親の親からこう求められ続けた。
「私(親の親)を満たしなさい」
経済的、肉体的、心理的に自立出来ていない子供を使って、
親は自分の「昔の心の傷」を癒している。
子供は、親のぬいぐるみになっている。
「親子の役割逆転」をする親は、子供を「揺りかご」にする。
親は自分が子供時代に十分に揺りかごを揺すってもらえなかった。
その欲求不満を、子供で満たそうとしている。
『子供にしがみつく心理 大人になれない親たち』 より
親は、「親の親を満たしなさい」
という要求を受け入れるしかなかった。
それを拒否したら、捨てられるかもしれないから。
そうしているうちに、「親の親を満たしなさい」は、
親自身の欲求に取って代わってしまった。
『親は、子どもに「私を満たしなさい」と要求するものだ』
という、偽りのプログラムとして。
親自身の”心の核”は、もうどこへいったのかわからない。
子どもに対する説教や暴言、無関心は、
「親を満たしなさい」という要求の変形であることにすら気づかない。
それでも、脳は「生き延びろ」「子孫を残せ」と命令し続けた。
彼らの心は行方不明のままだが、身体は成長していた。
あるとき生殖機能を使い、新たな人間を作成した。
それが「話が通じない親」の正体ではないだろうか。
4.親が発達障害の可能性、”心の理論”が未インストール
『「毒親」の正体―精神科医の診察室から―』によると、
”毒親”問題の現場では、親が発達障害であるケースが非常に多いという。
発達障害、特に自閉症スペクトラム(ASD)の場合、
「心の理論がインストールされていない」
「横のつながりが欠如している」
ために、”これをしたら相手が傷つくかもしれない”という想像が難しい。
<心の理論>
この状況では相手はこんなふうに思っているはずだ、とか、
こんなふうに言ったら相手はこう思うだろう、というような常識的な「読み」です。
ASDの人には「心の理論」がもともとインストールされておらず、
一度体験してパターン認識することで蓄積していくしかなく、応用は利かないのです。
”第2章 毒親の抱える精神医学的事情” より
<横のつながり>
1つのテーマを突き詰めることについてはとても秀でているのですが、
例えば「でもそんなことを言うと、お嬢さんの生き方を否定することになりますよね」と、
異なる視点からのコメントをすると固まってしまう、という特徴です。
固まった結果、とりあえず反撃する、という人も少なくありません。
”第2章 毒親の抱える精神医学的事情” より
僕は勝手ながら、自分の両親はともにASDではないかと思っている。
親の一方通行な言動の説明ができるからだ。
・一方的な命令、話を聞けない、相手の気持ちを尋ねない
→子どもを傷つけるかもしれないという想像力の欠如
・親の命令を断ると即座に「わがまま」「自分勝手」と断じてくる
→断られるという”奇襲”に被害者意識を抱いて反撃
両親に感じる「話が通じない」感覚も、
発達障害かもしれないなら納得がいく。
・どんなボールを投げても説教や暴言で叩き落される
→”相手が意志を伝えてくること”が想定外の変化球だから
・こちらが投げたボールが虚空へ消えていく
→親にはそもそも受け取るための「心の理論」がないから
実家の、作業所のような冷たさ。
親の、ロボットのような融通の利かなさ。
それは彼らにとって何もおかしくなかった。
「システムは正常に稼働しています」
だったのかもしれない。
5.苦しみに名前を付け、苦しみを癒す一助に
「家族とはあたたかくて、安心できる場所」
「親とは優しく受け止め、包み込んでくれる存在」
それは、僕が”家族という理論値”に抱く幻想だろうか。
アイドルに求めるような、一方的な理想像だろうか。
「親に自分の心を受け止めてほしかった」
「親に共感される経験がほしかった」
それは、空想の中でしか手に入らない欲求なんだろうか。
心はどこにあるのか、脳と心はちがうのか、本当の自分なんているのか。
親は心を消し去ったのか、未インストールなのか。
そんなことはわからない。
わかっているのは、
「親に話が通じない」ことに苦しむ人は僕以外にもたくさんいるだろう
ということ。
ならば、その苦しみに理由を付けよう。
苦しみに理由や名前を付けることは、苦しみを癒すと思うから。
「親に話が通じない」のはなぜなのか。
本記事がそれを考える一助になれば嬉しい。
⇒親は変わらない、最大の復讐は自分が幸せになること。
⇒毒親の葬儀に出席するかどうかは、自分で決めていい。
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