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2022年09月29日

子どもがいらないのは、ずっと”親の親”をやってきたから。

ー目次ー
  1. 子どものままでいたいのは、”子どもでいられなかった”から
  2. 子守り唄ではなく、”親守り唄”を歌ってきた子ども
  3. 親になると、子どもに”与える役割”を強いられる
  4. 子どもは侵入者、”私から親の愛情を奪わないで”
  5. 子どものままでいたいなら、子どものまま生きればいい

1.子どものままでいたいのは、”子どもでいられなかった”から

「結婚はしたいけど、子どもはほしくない」
「結婚したくないし、子どももいらない」
「子どもがいても、いなくてもいいじゃないか」


ひと昔前よりも、
”子どものいない人生”が市民権を得てきた気がする。

僕は”子どもがいらない人”の1人なので、
この恩恵をありがたく受けている。



なぜ、子どもがいらないと思うのか。
ネットで検索すると、いろんな理由が出てくる。

・自由でいたい
・経済的に厳しい
・子育てするイメージがない
・パートナーとの時間を大切にしたい

どれも納得感がある。が、もっと根源的な理由は

「子どものままでいたいから」

ではないかと思う。



なぜ、子どものままでいたいのか。

それは子どもの頃に、
十分に”子ども”をすることができなかったから。

そして、
十分に”子ども”をすることができなかったのは、
ずっと「親の親」の役割を担ってきたから

ではないだろうか。

2.子守り唄ではなく、”親守り唄”を歌ってきた子ども

「お父さん、見て見て!」
「お母さん、聞いて聞いて!」

子どもは親にそう言いたい。親に話を聞いてほしい。
そして、親からのあたたかい反応がほしい。



ところが、

親が子どもの声をさえぎって、愚痴を聞かせ続けたら。
長い説教で子どもを縛りつけたら、どうなるか。

子どもは、親の心をケアするカウンセラーにされる。

「小さい頃から母親の愚痴の聞き役だった」
「父親の長い説教を聞かされ続けた」

それは、子どもが親をあやしている状態。


親が子どもに”子守り唄”を歌っているのではなく、
子どもが親に”親守り唄”を歌っている。

【親子の役割逆転】子どもに”親のカウンセラー”をさせる親。

3.親になると、子どもに”与える役割”を強いられる

親になると、子どもに”何かを与える役割”を要求される。

その人の心の底に、

「まだ子どものように、好きなだけ遊びたい」
「まだ子どものように、お母さんに話を聞いてほしい」


という欲求が残っていても関係なく。

現代の親たちの中には、無意識では
「親になるのは嫌だ、親になるのは嫌だ」
と叫んでいる人が多くいる。

「俺はまだ子供でいたいよ」と叫んでいる。

しかし現実はその叫び声を無視して、
子供も社会もその人に親の役割を果たすことを迫る。

『子供にしがみつく心理 大人になれない親たち』 より

親になると、子どもに与え、
子どものために我慢し、子どもの要求を受け入れる。

いや、「親なんだから受け入れろ」と強要される。

親自身が子どもの頃、親に与え、
親のために我慢し、親の要求を受け入れてきたのに?


十分に”与えられる側”として過ごせなかったのに、
親になったからといって、急に”与える側”になれるだろうか?

4.子どもは侵入者、”私から親の愛情を奪わないで”

親になってしまったら、
子どもでいさせてもらえなくなる。

子どものように親に甘えたいのに、
甘えさせてもらえなくなる。

親自身、親の親に甘えさせてもらえなくても、
心のどこかで”親に甘えるチャンス”を諦めきれずにいる。


なのに子どもができてしまったら、そのわずかな希望を奪われる。
親の愛情を独占できなくなる。

その人自身が子ども時代の課題を引きずっていて、
子ども時代を卒業できないでいる。

その人は、まだ子どものように自分が優先され、
愛される必要があるのだ。

そんな状態なのに子どもを持てば、
ただでさえ危うい状況を、さらに脅かすことになってしまう。

子どもは自分にとってライバルや侵入者となってしまい、
無意識の敵意を向けかねない。

そのことを本能的に感じ取っているから、
「子どもなんか、ほしくない」「子どもは嫌いだ」と思うのである。


『死に至る病 あなたを蝕む愛着障害の脅威』第5章 より

「子どもがいらない」
それは、子どものままでいたいという叫び。

そして、子どものままでいたい人は、

 「ママのひざまくらは自分だけの特等席だ!
  もう手に入らないことくらいわかってる。
  けど、せめて可能性をゼロにしないでくれ…!」


という心の叫びに気づいている人、ではないだろうか。

5.子どものままでいたいなら、子どものまま生きればいい

子どもがいらないと気づいているのは
「親子の役割逆転」で生きてきたから。
親の親をしてきて、十分に”子ども”ができなかったから。

その悲しみを背負って「子どものままでいたい」と言う人を、
誰が責められるだろうか。

子どものままでいたい気持ちを抱えたまま、懸命に親をしている人に、
「親の資格が」などと言えるだろうか。



そして、
「子どものままでいたい」の何が悪いんだろうか。

 「”大人になるべき”に囚われた人の、
 『自分は我慢してるのに許せない』という嫉妬を掘り起こす」

それ以外に、迷惑などかけていないではないか。



今は「子どもがいらない」と言っても、
社会的に抹殺されない時代。

どこかで村八分になっても、
「子どもがいらない」を肯定してくれるコミュニティへ移れる時代。


子どもがいらない。子どものままでいたい。
それでいいじゃないか。

幼稚?半人前?ピーターパン症候群?
言わせておけばいい。

子どもの頃に”子ども”として過ごせなかったなら、
残りの人生で”子ども”を取り戻していけばいいじゃないか。




反出生主義は、親に愛されなかった者たちがたどり着く救済思想。

話が通じない親には、”心の実体”が存在しないのではないか。










posted by 理琉(ワタル) at 19:14 | TrackBack(0) | 家族

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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