アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

2022年03月18日

子どもの人生は、親の人生の敗者復活戦のためにあるんじゃない。

「親が成し遂げられなかった夢を子どもに託す」
「親が道半ばで挫折した志を子どもが引き継ぐ」


こういう”親子鷹”のような話は美しく語られる。
ときには感動の涙を、ときには届かなかった夢の美化を誘ってくる。

「オヤジができなかったことをオレがやる!」
「私がお母さんの夢を叶える!」

と。



ちょっと待ってほしい。

それで幸せになるのは子どもだろうか?それとも親だろうか?
その人生は本当に子どもの意志で選んだものだろうか?
親が洗脳して選ばせていないだろうか?

子どもの人生は、
親の人生の敗者復活戦に利用されていないだろうか?
親の夢を子どもに託すことは、本当に美しいことだろうか?



ー目次ー
  1. 親は期待を押しつけるばかりではなかったか
  2. 人生の敗北者ではないと証明したい親
  3. 父の怒りは、祖父の人生の代理戦争を戦わされた怒り
  4. 子どもの人生は、子どもがやりたいことをやるためにある

1.親は期待を押しつけるばかりではなかったか

親の意志を継いで生きることが、心から幸せならそれでいい。

親の稼業や会社を継ぐこと、親の果たせなかった夢を追うことが、
心から満足できる人生なら。



ただ、思い出してみてほしい。

あの頃の親は、子どもであるあなたが
どういう気持ちでいるかを尋ねたことがあっただろうか?

あの頃の親は、
あなたが本当は何をしたいか、何が好きで何が得意かに
関心を持ってくれたことがあっただろうか?




たとえば勉強や習いごとを、
一方的に押しつけてこなかっただろうか。

あなたがやりたいかはおかまいなしに、
親がやらせたいことばかり投げてこかっただろうか。

本当はつらくても、弱音を吐いたり、辞めたいと言ったりすると、
言葉や手足の刃が飛んでこなかっただろうか。

親に怒りをぶつけられ、
辞めることへの罪悪感をかき立てられなかっただろうか。




そうやって「自分の意志」を押さえつけられるうちに、
いつの間にか「親がやらせたいこと=自分がやりたいこと」に
同化していないだろうか。

自分が満足するための人生が、
親を満足させるための人生にすり替えられていないだろうか。


2.人生の敗北者ではないと証明したい親

・親が果たせなかった夢を子どもに叶えさせようとする
・親がやらせたいことを子どもに押しつける

親がそんなことをする理由はおそらく、



「自分は人生の敗北者ではないと証明するため」

これは、
親が自分の人生で味わった敗北感を子どもの成功によって払拭し、
傷ついた自己愛を修復したいからだろう。

いわば敗者復活のために子どもに代理戦争を戦わせるわけで、
親の期待は親の自己愛の再生にほかならないと痛感する。

『子どもを攻撃せずにはいられない親』第2章”なぜ子どもを攻撃するのか”より

親は無意識に、子どもを人間ではなく
「自分の人生の正しさを証明するための道具」
と見ているのかもしれない。

子どもの気持ちや、本当にやりたいことに関心がないのは、
「自分の人生の正しさを証明する」役に立たないから。

子どもが親の期待に応えられないと攻撃するのは、
「人生の正しさ証明用ツール」を失うことが怖くてたまらないから。


親はそれを防ぐために、必死で子どもを脅す。
子どもに罪悪感を植えつけ、辞めさせまいとする。

親が抱く”人生そのものを否定される恐怖”が、
子どもに代理戦争を強制させるんじゃないだろうか。

3.父の怒りは、祖父の人生の代理戦争を戦わされた怒り

僕の祖父は貧しい農家の末っ子だった。
学びたい思いを押し殺したまま、中学生になれず奉公へ出された。

家族を持ってからは、
「子どもには絶対に大学へ行かせたい」
そう強く願い、命を削って働き、病死した。

祖父の願いを浴び続けた僕の父は、とにかく勉強した。
父は有名大学を出て、教師となり、定年まで働いた。
ワーカホリックで、朝6時まで仕事し、7時に起きていた。



祖父の悔しさや願いも、父の人生も否定するつもりはない。
だから、これは僕の勝手な推測だ。

父は、祖父の期待に応えるために勉強し、受験に成功した。
なのに、僕は父が「成功者として幸せに生きている人」には見えなかった。

父はなぜ、あんなに攻撃的で、一方的で、怒りに満ちていたのか。
「男は家族のためにすべてを犠牲にして働け」という価値観を押しつけたのか。

仕事のストレスや睡眠不足もあるだろう。
ただそれ以上に、



「祖父の人生の代理戦争を戦わされたことへの怒り」



があったんじゃないだろうか。
<筆者の母へ暴言を吐く父に対して>

父の母への怒りの源泉は、
ずっと両親(祖父母)の言うとおりの人生を
生き続けてきたことへの怒りにあったのだと思います。

父も、心の傷が癒えないまま大人になってしまったのでしょう。

『毒父家族 ―親支配からの旅立ち』第4章”いびつな夫婦関係” より

父が僕へぶつけた怒り、押しつけた価値観の正体は、
祖父へ言いたくて、言えなかった怒りではないだろうか。


「本当は別の人生を歩みたかった」と
言いたかったんじゃないだろうか。

そして、父もまた、僕を使って証明したかったんだろう。
「親の代理戦争を戦った自分の人生は正しい」ことを。


4.子どもの人生は、子どもがやりたいことをやるためにある

この世界には、親の人生の敗者復活戦を
戦わされていない子どもがどれだけいるんだろう。

「自分は親の人生の敗者復活戦をさせられている」
それに気づいて離脱できた子どもがどれだけいるんだろう。

「親の意志を受け継いで」「宿命」という言葉は、
親の正当化のために使われていないだろうか?




あなたの怒りは、本当に目の前のできごとに対してか。
その根源は、親へ言いたくて言えなかった怒りではないか。

あなたの空虚感は、「親の期待=自分の希望」に同化させられ、
自分の意志がわからないからではないか。



子どもの人生は、親の人生の敗者復活戦のためにあるんじゃない。
子どもの人生は、子どもが本当にやりたいことをやるためにある。











posted by 理琉(ワタル) at 19:39 | TrackBack(0) | 家族

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/11314419

※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
検索
プロフィール
理琉(ワタル)さんの画像
理琉(ワタル)
自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
プロフィール
最新記事
カテゴリーアーカイブ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。