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2022年02月25日

マスク社会を終わらせるのは、僕ら1人1人の”自由を勝ち取る意志”。

僕は外ではマスクをしません。
「マスク未着用お断り」という場所でのみ付けます。

僕は街を歩いていて、
ほとんどの人がマスクを付けて歩いている光景が異常に見えます。

「換気100%の外で、なぜみんなマスクをするんだろう?」

そんな疑問に答えられない日々に悶々としながら、
気づいたことがあります。



僕らはどこかで、
「コロナが終わったらマスクを外せる」
と考えているんだと思います。


それはどこか他人任せで、楽な考えです。

その他人とは、たとえば
「コロナ収束宣言」「マスクを外してよいというお達し」かもしれません。

僕は、マスクなんて付けずに生きる自由を、
自分で取り戻したいと思います。だから可能な限りマスクをしません。

僕ら1人1人がマスクを外したらコロナ茶番が終わるんだと思います。


ー目次ー
  1. 見せかけの自由は、お上の事情1つで制限される
  2. マスクは同調圧力対策の制服、”私は多数派にいます”
  3. 表情が読み取れない、共感能力が育たない恐怖
  4. マスク合法化社会に安堵する意見も
  5. マスク社会はおかしいので、マスクを外す

1.見せかけの自由は、お上の事情1つで制限される

マスク社会に不自由を感じている人は多いと思います。
息苦しい、耳が痛い、顔を覚えられないなど、弊害は多々あります。

ウィルスはマスクのすき間から素通りです。
お上は「飛沫感染が危険!」という訴えに必死ですが、

・日常的な酸素不足で脳の機能が低下
・表情を読み取れないことで共感能力が低下


の方が深刻です。

さらに、こんなに徹底してマスクをしたところで、
「カンセンシャ」と偽った陽性者の増減は起こっています。

カンセンシャとやらの数字を動かす力があるのはマスクではなく、
「ワクチンを打たせるノルマ未達時に増やされる検査数」
である可能性が高いです。


※日本政府に”ワクチン購入”ではなく
 ”打たせる”ノルマがあるらしいことは、

 「ワクチン3回目、1日100万回を目標」 
 「接種回数を増やさないと政権がもたない」発言や、

 YouTubeに「ワクチン3回目を打ちましょう」
 という広告をねじ込んできたことから推測されます。

僕らがいかに従順に
「マスク!免疫!ワクチン!」の大号令を守ったところで、
お上の事情1つで自由は制限されていくんです。


2.マスクは同調圧力対策の制服、”私は多数派にいます”

「マスク、無意味じゃない?」
「もうやめない?」

うっすらと、そう思っている人は多いはず。
にもかかわらず、なぜ未だにマスクを外さないのか。

それは、マスクの機能を度外視した、
集団心理の力が働いているからだと思います。

・「私は多数派にいます」というアピール
・「あなた多数派ですよね?」という同調圧力




人間は身の安全のため、多数派にいたい生き物です。
日本は横並び教育の弊害か、

 みんなと同じじゃないといじめられる
 非国民と言われる
 村八分にされる

という恐怖が強いと感じます。
背後にいるのは「同調圧力」というモンスターです。

強い同調圧力の前では、不合理だとわかっていても、
マスクを外して少数派になる方が怖いでしょう。
数の暴力に勝つことは困難です。

それを避けるためには、
「私にはその時の社会的正義に協力する意志があります」
「社会的多数派に属しています」とアピールする必要があります。


同じ制服を着ると、その人は同じチームに属している味方に見えます。

マスクを付けることは、機能的にどうこうではなく、
「同じ制服を着た仲間と見られたい」
「少数派になって叩かれたくない」
という心理の表れではと思います。

3.表情が読み取れない、共感能力が育たない恐怖

僕はマスクのもっとも大きな弊害は
「表情が読み取れないことで共感能力が育たない」だと思います。


赤ちゃんは生後3年くらいで、
まわりの人の顔を見て、表情から感情を読み取る力をつけるそうです。

このとき、親や身近な人がマスクをしていると、表情が見えないため、
感情を推測する力が育たない可能性があります。


人への共感や、感情の読み取りができないまま育つと、

・他人の痛みや苦しみに無関心
・目先の欲求や自分の不安しか考えられない


という人間になってしまう恐れがあります。
そして、そういう人が親になり、他人に無関心な子どもが育つという、
負の世代間連鎖が起きてしまいます。



他人への共感能力が欠如した親に育てられる恐ろしさを、
僕は知っているつもりです。

僕の両親がまさにそういう”命令だけをするロボット”だからです。

 「何が得意なのか、何に興味があるのか、何を考えているのか」
 「学校でどんなことがあったのか、嬉しかったのか、悲しかったのか」


親からそういうことを一度も尋ねられないまま育つと、
「わかってもらえた経験」のない、心の孤児になります。


コロナ茶番を終わらせてくれるわけでもないマスクが、
心に空洞を抱えた人間を量産する未来が恐ろしいです。

4.マスク合法化社会に安堵する意見も

一方、マスク社会になったことを歓迎する声もあるようです。

日頃からマスクを外したくない人や、
「だてマスク」をする人にとっては、
素顔をさらさずに済むことに安心感を覚えるといいます。

「顔にコンプレックスがある」
「マスクを外したらがっかりされたくない」
のような、自信のなさを隠せるという意見もあります。


こういう人にとっては、
マスクが合法的に市民権を得た今の方が生きやすい世界かもしれません。



日本人は人生への幸福度や、自己肯定感が低い傾向があるそうです。
それこそ、多くの人が素顔すら隠して生きていたいと思うほどに。


謙遜する文化や、”我慢が美徳”がそうさせたんでしょうか。
それとも、個性や自己表現より集団を優先する風土でしょうか。

マスクをする自由もあって然るべきだと思います。

僕は自分に自信がないし、自己肯定感も低いですが、
マスクをしない自由は勝ち取りたいと思います。

5.マスク社会はおかしいので、マスクを外す

メジャーリーグも、UEFAチャンピオンズリーグも、
すでに満員のスタジアムで観客が熱狂しています。

昨年、大谷翔平選手が大活躍したエンゼルススタジアムは、
マスクなしで熱狂する人の喝采で埋め尽くされていました。


外国と日本では状況も文化もちがうことはわかります。
それでも僕は、メジャーリーグのように
マスクなしで熱狂できる自由があっていいと思います。



自由を勝ち取るときには戦いが発生します。
フランス革命でも、ロシア革命でも、多くの血が流れました。

それでも「生き方は自分たちで決めたい」という意志が、
やがて社会を変えていきました。

不自由には、”管理されている方が楽”という側面もあります。
「おかしい」というわずかな疑問に目をつぶれば、
何も考えずに従っていればいいからです。

僕はマスクなしで外を歩くとき、
いまでもまわりの視線が気になることがあります。

それでも僕はマスク社会はおかしいと思うので、
終わらせるためにマスクを外します。









イーブックジャパン

posted by 理琉(ワタル) at 19:28 | TrackBack(0) | 生き方

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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