アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

2023年03月02日

【大人強要社会】ピーターパン症候群のまま生きて何が悪い?

ー目次ー
  1. ピーターパン症候群で何が悪い?
  2. 個人の幸せを無視する”大人強要社会”
  3. 嫉妬 -”私は遊びたいのを我慢してるのに許せない!”-
  4. 親の親をやってきた子どもは”まだ遊びたいお年頃”
  5. ”責任ある大人”のフリ、苦しくないですか?

1.ピーターパン症候群で何が悪い?

「ずっと遊んでいたい」
「できるだけ責任を負わず、気楽に生きたい」

大人と呼ばれる年齢の人がこう言うと、
こんな声が聞こえてこないだろうか。

「無責任」
「いい歳して」
「精神的に未熟」
「いい大人なら責任ある立場を引き受けるべき」


あるいは、まるで病人のように、こう呼ばれないだろうか。

『ピーターパン症候群』



決して、幼児のようにわがまま放題したいわけではない。

社会的なしがらみに縛られず、
遊びたいときに遊べる自由な人生を歩みたいのだ。


それをピーターパンと呼ぶのなら、
なぜ「ピーターパンでいたい」と言うと、
こんなにも批判されるんだろう。

まるで治療が必要かのように、
「大人になれ」と迫られるんだろう。



「大人になれなくて苦しい」
「自分は精神的に未熟なのではないか」
「自分はピーターパン症候群ではないか」


そう悩んでいても、
口に出せない”大人”はきっと多いだろう。

そういう人たちに、僕は言いたい。

他人の人生に迷惑をかけていないなら、
ピーターパン症候群のまま生きることは何も悪くない。

未熟だの子どもだの言われようと、
子どものまま、責任を回避して気楽に生きていい。


2.個人の幸せを無視する”大人強要社会”

社会はしきりに「大人になれ」と言ってくる。
どういう意味で言ってくるのか。

・家族の生活を背負え
・会社の将来を背負え
・社会貢献のために働け

それは正しい。
大人たちが責任や重圧を背負い、
働いてくれるおかげで生活できている。

何も間違っていない。が、

「大人になれ」「精神的に成熟しろ」
というメッセージの中には

 大人になって社会を支えるために
 自分の気持ちを諦めろ


という意味が含まれている。



社会が繁栄することと、
個人が幸せになることはイコールじゃない。
むしろ、全体のために個人の犠牲を強いられる。


農業が広まり、多くの食糧を得られるようになったから、
人口はどんどん増えた。

しかし農業のせいで労働時間は増え、
腰痛や脳の縮小、栄養バランスの偏りが大きくなった。
人類全体の人数は増えたが、個人は不幸になった。

僕らは、その歴史の延長線上に生きている。

だから、社会は相変わらず
「全体のため自分を犠牲にした働き手」を求めてくる。

 大人になって社会を支えるために
 自分の気持ちを諦めろ


と。




3.嫉妬 -”私は遊びたいのを我慢してるのに許せない!”-

ピーターパンたちが遊んで生きようが、
自分の人生には関係ない。

にもかかわらず、ピーターパンは
今日もどこかで「無責任」「未熟」などと言われる。

家族や仕事の責任を背負い、
立派に社会に貢献している”大人たち”から。

僕は、重圧に耐える彼らを尊敬する上で、問いたい。



本当は、うらやましいのでは?
本当は、ピーターパンのような生き方を選びたかったのでは?




批判を生むのは嫉妬だ。

自分が我慢していることを、
相手がしているのが許せないから、物申したくなる。

「イヤだ」「気に食わない」のウラには、
「自分もそうなりたいのになれない…」が隠れている。




”大人”になり、社会を支えるあなたたちは素晴らしい。
もしもあなたたちが

 大人になって社会を支えるために
 自分の気持ちを諦めろ


を忠実に守ったのだとしたら、
ピーターパンへの批判は心の中に留めてあげてほしい。

そして、自らの意見の後ろに、
こんな一文が隠れていないか考えてほしい。

「私だって遊びたいのに我慢してるんだから、お前も我慢しろ」

4.親の親をやってきた子どもは”まだ遊びたいお年頃”

エリクソンの発達心理学によると、
人の心の発達は8段階に分かれるという。

乳幼児期から始まり、
初期の課題をクリアできれば次の発達段階へ進む。

健全に心が発達すれば、
”まだ遊びたいお年頃”を卒業する可能性が高くなる。


「十分、遊んだから、そろそろ落ち着こう」
「家族を支えよう」「責任ある仕事をしよう」
と思えるようになる。



ところが、ピーターパンはそうならない。
いくつになっても「まだ遊びたいお年頃」だ。

なぜなら、ピーターパンの多くは
幼少期の心の発達課題が未解決だから。


・子どもの頃、
 無邪気に遊び回ることができなかった

・親の過干渉や束縛、厳しい管理をされ
 自由を奪われる経験ばかりしてきた

・親の愚痴の聞き役など
 親のカウンセラーをさせられた


ピーターパンたちは子どもの頃に、
もう十分と思えるほど遊べなかった。
子どもを卒業できなかった。

ずっと親の親をやってきたに過ぎず、
子どもをやったことがないのだ。

子どもがいらないのは、ずっと”親の親”をやってきたから。

【親子の役割逆転】子どもに”親のカウンセラー”をさせる家系。



「遅れてきた反抗期」と同じ。
だからピーターパンたちは”大人”と呼ばれる年齢になって、
初めて”子ども”をやっているに過ぎない。


それは確かに、心が未発達とも言える。

だが、彼らは幼少期に閉じ込められた”子ども”を、
やっと遊ばせることができている。




5.”責任ある大人”のフリ、苦しくないですか?

「いくつになっても”まだ遊びたいお年頃”」
「できるだけ責任を負わず、気楽に生きたい」


そのことで誰かを傷つけたり、不幸にしたりしない限り、



ピーターパン症候群のまま生きて何が悪い?



家族や従業員の生活を背負い、
大きな責任をモチベーションに変えて頑張る。
そんな生き方はもちろん尊敬したい。

だが、その生き方を選ばなかった人を
「未熟」「子ども」「いい歳して」と批判するのは
思いとどまってほしい。

僕たちピーターパンは、
大人強要社会からの圧力に抗い、
閉じ込められた子どもをようやく解放できた。

僕たちピーターパンは、自由に飢えていた。
そして”大人”と呼ばれる年齢になってようやく、
自由を満喫しているだけだ。


絶大なる権力を手に入れ、頂点まで登りつめた人びとは、
ふと、こんな本音を漏らすことがあります。

暇な時間がほしい、
時間のゆとりはどんな幸福にも替えがたいものだ、
と。

神皇アウグストゥスにしても、
国務から解放され、自由になることを願ってやみませんでした。


いつかは自分のためだけに生きる日が訪れるという思いは、
たとえ実現の見込みは薄くとも甘美な慰めとなって、
激務のつらさを紛らしていたのです。

『人生の短さについて』 より

ピーターパンへの批判が浮かんだら、
どうか、それを口に出す前に、自分の心の声を聞いてほしい。

「私だって、本当はまだ遊んでいたいよ!」
「本当は、プレッシャーに押しつぶされてしまいそう…。」


自分の心は、そう叫んでいませんか?
”責任ある大人”のフリ、本当は苦しくないですか?









posted by 理琉(ワタル) at 19:23 | TrackBack(0) | 生き方

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/11884905

※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
検索
プロフィール
理琉(ワタル)さんの画像
理琉(ワタル)
自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
プロフィール
最新記事
カテゴリーアーカイブ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。