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2022年10月31日

劣等感とは、誰と比べて”劣っている”のか。

ー目次ー
  1. 超・情報化時代は”劣等感の時代”
  2. ”こんなはずじゃない”とは”どんなはず”なのか
  3. ”シアワセのレール”を名乗るビジネス
  4. たどり着くことのない”親の理想の自分”
  5. 勝ち目のない”理想追い求めレース”から降りる

1.超・情報化時代は”劣等感の時代”

「比較は喜びを奪う」

セオドア・ルーズベルト

「他人と比べないで、自分らしく生きましょう」

これは現代の”超・情報化時代”が発する、
表向きのメッセージ。

一方、TVやSNSを開けば、
優れた人や恵まれた人の輝きを見せつけられる。

「他人と比べるな」「他人と比べろ」
矛盾したメッセージが交錯する、まるで劣等感の時代



日常に溶けこみすぎた劣等感だが、

本当に”自分と他人と比べている”のだろうか?
本当は誰に対して”自分は劣っている”と感じているのか?


 自分より能力のある他人
 自分が思い描く理想の自分

と比べて”自分は劣っている”
と思う回路を作り出したのは誰なのか?



そこにいるのは、
生まれてから人間関係の根本を作った親。

劣等感の根源には、
『親が押しつける”理想のあなた”』にたどり着けない
という苦しみがあるのではないか。


2.”こんなはずじゃない”とは”どんなはず”なのか

自分の劣等感が変換された言葉は、主に

「こんなはずじゃない」
「自分はもっとできるはずだ」
「自分はこんなところでくすぶっている人間じゃない」


だろう。



では、「こんなはず」とは「どんなはず」なのか?
たとえば、

 異性にモテている自分
 仕事で出世している自分
 お金持ちになっている自分
 希望の学歴を手にしている自分

そのはずが、現実の自分は、

 異性にモテず
 出世もできず
 生活に余裕がなく
 学歴にもコンプレックスがある…



これは一見、「理想の自分」と比べている。

その苦しみを、
自分が昇る力にできるうちはプラスに働く。

だがそれが叶わず、苦しみのはけ口が
「理想の自分」を手にしている他人に向かうと、


 嫉妬
 誹謗中傷
 負け惜しみ


になる。

3.”シアワセのレール”を名乗るビジネス

では、「理想の自分」は、
本当に自分が作ったものなのか?

人生が進む中で、自分で見つけたのか。
それとも社会的な”ジョウシキ”≒自分の理想になったのか。



 結婚すればシアワセです
 夢のマイホームを持てばシアワセです
 子どもを育ててようやく一人前です

など、”シアワセのレール”を名乗るビジネスがあふれている。

「これがシアワセだ、そこから外れたら不幸だ」
ささやきかけてくる。

無人島で1人でもない限り、
何の影響も受けずに生きることは難しい。

良くも悪くも、
自分の意志のようで、誘導されている。

自分で選んでいるようで、選ばされている。

4.たどり着くことのない”親の理想の自分”

多くの場合、僕らが生まれたとき、最初にそばにいるのは親。

多かれ少なかれ、
他人や理想の自分と比べて、劣等感に苦しんできた親。

そして親の強い劣等感は、
子ども無言のメッセージを伝える。

「親の理想に100%沿いなさい。」
「なぜって?”私の”劣等感を解消するため。」




親からの保護や愛情をもらう方法は、
親の理想を叶えること。

だから子どもは逆らえない。
親が求める理想の自分を目指す。



だが、親の理想を1つ叶えても、

 まだまだ
 クラスの●ちゃんの方が
 あぁ…そう…

否定される、褒められない、反応がない…。

子どもはどれだけ親の理想に近づいても、
ゴールにたどり着けない。

なぜなら、親自身が理想の自分にたどり着けていないから。


<現実否認する親と子>

恐ろしいほどの劣等感は、
父親に認めてもらえるような男になりたいという願望と、
現実の自分に対してのもの凄いギャップから生じる。


子供に対して常に非現実的なほど高い要求をしていたのは、
子供への要求であると同時に、自分の父親に対して
「僕はこんなにレベルが高いんだ」と叫んでいるのである。

『子供にしがみつく心理 大人になれない親たち』 より


劣等感とは誰と比べて”劣っている”のか?
他人?ジョウシキが作り出した理想の自分?

その相手は、元をたどれば、
存在するはずのない『親の理想の自分』だ。

5.勝ち目のない”理想追い求めレース”から降りる

劣等感は、成長するための力。
劣等感を自分に向ければ昇っていける。

そうではなく、
劣等感を他人との比較で解消しようとするのは、
ゴールのないマラソンを走り続けるようなもの。

たとえ勝ち続けていようとも、
競争のなかに身を置いている人は心の休まる暇がない。

敗者になりたくない。
そして敗者にならないためには、
つねに勝ち続けなければならない。
他者を信じることができない。

社会的な成功をおさめながら
幸せを実感できない人が多いのは、
彼らが競争に生きているからです。


『嫌われる勇気』 より

 嫉妬
 誹謗中傷
 負け惜しみ

などから、何かを言いたくなったら、
自分へ問いかけみてはどうだろう。

「本当は誰と比べているの?」
「その理想は誰に刷り込まれたもの?」




そして、無意識に
”親の理想”に近づこうとしていると気づいたら、
自分へ問いかけみてはどうだろう。

「親からの要求には終わりがないのでは?」
「勝ち目のない”理想追い求めレース”に引き込まれていないか?」




それが、矛盾が交錯する
”劣等感の時代”の処世術ではないだろうか。


子どもの人生は、親の人生の敗者復活戦のためにあるんじゃない。

親は変わらない、最大の復讐は自分が幸せになること。










posted by 理琉(ワタル) at 19:06 | TrackBack(0) | 生き方

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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