2021年04月20日
【愛着障害との戦い】叔父の逝去、寂しさと戦い続けた59年間。
2021年3月、叔父がガンで亡くなった。
59歳。
原因は過度のアルコール、タバコ、不規則な生活、
そしてたび重なる転落でのケガで身体を壊したこと。
叔父はガンが発見されてから4年間、
入退院を繰り返し、壮絶な苦しみと戦っていた。
だけど僕は、
叔父はガンを患うずっと前から、何かと戦っていたように感じていた。
その相手は、ぼんやりした悲しみのような、
孤独感のような、実体の見えない幻影だった。
幼い僕には、その正体がずっとわからなかった。
大人になり、愛着障害について学んだことで、
叔父が戦ってきた相手の正体がわかった。
そして、いつしか僕は、
叔父の人生を勝手にこう解釈するようになった。
「愛着障害と戦い続けた59年間」
叔父は祖母や親からの愛情を充分に得られなかった。
その寂しさ、悲しみ、埋められない心の穴が叔父の心を閉ざし、
自己破壊的な行動に向かわせた。
叔父の命を奪ったのは確かにガンだ。
だが、叔父の戦いの人生を決めてしまったのは
「愛着障害という”死に至る病”」ではないだろうか。
ー目次ー
叔父は1960年代、4人姉弟の3番目、次男として生まれた。
家では跡継ぎが必要な稼業は営んでいなかった。
が、当時の農村にはまだ、長男が大切にされる風潮が残っていた。
家では、曾祖母が全権を握っていた。
家事は完璧にこなし、財布はすべて彼女が管理していた。
「女性が家を守る」を体現する、絶対的な存在だったという。
両親である祖父母は、
「子どもを養うため」という名目で外へ働きに出された。
そのため、母を含む叔父叔母たち姉弟を
まともに構うことができなかったという。
今にして思えば、
曾祖母は孫たちを独り占めしたかったんじゃないだろうか。
孫たちの目が、自分以外に向けられることを、
自分が見捨てられることを恐れたんじゃないだろうか。
末っ子である叔母の話によると、
曾祖母は長男に対して期待を抱いて接した。
次男である叔父は「ほったらかし」に近かったという。
そのせいか、
叔父は子どもの頃から他者に頼ることをしなかった。
どうせ誰も自分のことを構ってくれない
おばあちゃんも、父さん母さんも
家族ですら自分に興味がないのなら、
自分1人の力で生きてやる
叔父はそんな考えを強め、心を閉ざした。
家族へ助けを求めることも、
自分の気持ちを言葉にすることもなくなったという。
そして、叔父はかなりの”やんちゃ”だった。
グレるまではいかなかったが、”突っ張り”に近かった。
よく物を壊すいたずらをしては、周囲を困らせていた。
「直す兄、壊す弟」と呼ばれることもあったという。
それはきっと、
いたずらをすれば、悪いことをすれば叱ってくれる
そのひとときだけでも自分を見てくれるかも知れない
という、叔父の切なる願いだった。
僕が子どもの頃、
叔父は札幌で働きながら、一人暮らしをしていた
僕が小学生の時、一度だけ叔父のアパートへ遊びに行った。
部屋中にゲーム機、ゲームソフト(当時はファミリーコンピュータ)、
缶ビールの空き缶、お酒のボトルが散乱していた。
吸い殻のこぼれた灰皿がそこら中に置かれていた。
その部屋に足を踏み入れた時、
幼い僕が思ったことは「散らかってるな」ではなかった。
理由はわからないが、とっさに「寂しいのかな…」と思った。
この時に抱いた気持ちの正体は、
数十年後にようやくわかった。
愛着障害について学んだ僕は、
叔父が愛情を、ぬくもりを求めて、もがいていたことを確信した。
叔父は札幌で大工職やとび職などの仕事を転々としていた。
そして、たびたび屋根など高所から転落し、
大ケガを負って入院を繰り返した。
一時的に記憶の一部を失い、
見舞いに来た親族を思い出せないこともあった。
後から聞いた話では、転落の原因は過度な飲酒。
前日のお酒が抜けないまま出勤し、足を滑らせたことだった。
僕はその話を聞いた時、
「だったらお酒なんかやめればいいのに」とは思わなかった。
むしろ、叔父の散らかった部屋に入った時と同じ、
寂しい気持ちになった。
アルコールで酩酊した状態は、
母親に抱っこされている時の安心感と似ているそうだ。
アルコールやギャンブルに依存する原因は、
その麻薬的な快感がすべてじゃない。
そうまでしないと埋められない大きな穴が、
心に空いているからだ。
それは子どもの頃に得られなかった、
親からの関心、ぬくもりや安心感。
依存症は危険なだけではなく、
心をどうにか保ち、生き延びる手段でもある。
叔父の幼少期の様子は、すべて妹である叔母が話してくれた。
だから、僕ができるのはこうやって勝手に想像することだけ。
まだ生まれてもいなかった僕は、
叔父がどんな思いで生きたのか知る由もない。
それでも、叔父はきっと「死に至る病」を患っていた。
それはガンのことではなく「愛着障害」。
「家族に見捨てられた」
「自分はいらない存在なんだ」
「誰も自分に興味などないんだ」
叔父はその悲痛な胸の内を、僕に打ち明けることはなかった。
自分のことは決して語らないのに、
人の心配や気遣いばかり口にしていた。
そして、壊れた愛着を求めてさまようかのように、
自己破壊を繰り返し、59年で逝った。
僕は叔父に、自分と同じにおいを感じていたのかも知れない。
幼い頃に親と会話することや、甘えることを諦めたところ。
自分の殻に閉じこもってしまったところ。
幼いながらも感じた「寂しいのかな…」という思い。
それは、閉ざした心の中で
苦しむ叔父の姿を見たからかも知れない。
叔父の人生は一見、解せない自己破壊行動の連続だった。
その正体をこうして想像できたのは、
僕が親との関係で悩み、愛着障害を学ぶことができたから。
幼少期に親から与えられる愛情、ぬくもり、大切にしているという想い。
それが伝わるか否かが、1人の人生をここまで左右してしまう。
愛着障害について学ばなければ、
叔父が決して周りに助けを求めない理由も、
心を閉ざした理由も理解できなかっただろう。
叔父さん、59年間お疲れさまでした。
もし冥界があるのなら、もう戦わなくていいからね。
もし冥界があるのなら、もう寂しい思いをしなくていい世界であってほしいな。
59歳。
原因は過度のアルコール、タバコ、不規則な生活、
そしてたび重なる転落でのケガで身体を壊したこと。
叔父はガンが発見されてから4年間、
入退院を繰り返し、壮絶な苦しみと戦っていた。
だけど僕は、
叔父はガンを患うずっと前から、何かと戦っていたように感じていた。
その相手は、ぼんやりした悲しみのような、
孤独感のような、実体の見えない幻影だった。
幼い僕には、その正体がずっとわからなかった。
大人になり、愛着障害について学んだことで、
叔父が戦ってきた相手の正体がわかった。
そして、いつしか僕は、
叔父の人生を勝手にこう解釈するようになった。
「愛着障害と戦い続けた59年間」
叔父は祖母や親からの愛情を充分に得られなかった。
その寂しさ、悲しみ、埋められない心の穴が叔父の心を閉ざし、
自己破壊的な行動に向かわせた。
叔父の命を奪ったのは確かにガンだ。
だが、叔父の戦いの人生を決めてしまったのは
「愛着障害という”死に至る病”」ではないだろうか。
ー目次ー
- 【生い立ち】家の全権を握る曾祖母、構ってあげられない両親
- 【幼少期】優遇される長男、ほったらかしの次男
- 【青年期】やんちゃで突っ張り、自分を見てほしい願い
- 【一人暮らしの部屋】散乱する酒、タバコ、ゲーム、寂しさ
- 【アルコール依存とケガ】埋められない心の穴、得られなかったぬくもり
- 【死に至る病】愛情に飢え、人を気遣い、心を閉ざした59年間
- 【叔父が戦った相手】愛着障害との戦いに明け暮れた人生
1.【生い立ち】家の全権を握る曾祖母、構ってあげられない両親
叔父は1960年代、4人姉弟の3番目、次男として生まれた。
家では跡継ぎが必要な稼業は営んでいなかった。
が、当時の農村にはまだ、長男が大切にされる風潮が残っていた。
家では、曾祖母が全権を握っていた。
家事は完璧にこなし、財布はすべて彼女が管理していた。
「女性が家を守る」を体現する、絶対的な存在だったという。
両親である祖父母は、
「子どもを養うため」という名目で外へ働きに出された。
そのため、母を含む叔父叔母たち姉弟を
まともに構うことができなかったという。
今にして思えば、
曾祖母は孫たちを独り占めしたかったんじゃないだろうか。
孫たちの目が、自分以外に向けられることを、
自分が見捨てられることを恐れたんじゃないだろうか。
2.【幼少期】優遇される長男、ほったらかしの次男
末っ子である叔母の話によると、
曾祖母は長男に対して期待を抱いて接した。
次男である叔父は「ほったらかし」に近かったという。
そのせいか、
叔父は子どもの頃から他者に頼ることをしなかった。
どうせ誰も自分のことを構ってくれない
おばあちゃんも、父さん母さんも
家族ですら自分に興味がないのなら、
自分1人の力で生きてやる
叔父はそんな考えを強め、心を閉ざした。
家族へ助けを求めることも、
自分の気持ちを言葉にすることもなくなったという。
3.【青年期】やんちゃで突っ張り、自分を見てほしい願い
そして、叔父はかなりの”やんちゃ”だった。
グレるまではいかなかったが、”突っ張り”に近かった。
よく物を壊すいたずらをしては、周囲を困らせていた。
「直す兄、壊す弟」と呼ばれることもあったという。
それはきっと、
いたずらをすれば、悪いことをすれば叱ってくれる
そのひとときだけでも自分を見てくれるかも知れない
という、叔父の切なる願いだった。
4.【一人暮らしの部屋】散乱する酒、タバコ、ゲーム、寂しさ
僕が子どもの頃、
叔父は札幌で働きながら、一人暮らしをしていた
僕が小学生の時、一度だけ叔父のアパートへ遊びに行った。
部屋中にゲーム機、ゲームソフト(当時はファミリーコンピュータ)、
缶ビールの空き缶、お酒のボトルが散乱していた。
吸い殻のこぼれた灰皿がそこら中に置かれていた。
その部屋に足を踏み入れた時、
幼い僕が思ったことは「散らかってるな」ではなかった。
理由はわからないが、とっさに「寂しいのかな…」と思った。
この時に抱いた気持ちの正体は、
数十年後にようやくわかった。
愛着障害について学んだ僕は、
叔父が愛情を、ぬくもりを求めて、もがいていたことを確信した。
5.【アルコール依存とケガ】埋められない心の穴、得られなかったぬくもり
叔父は札幌で大工職やとび職などの仕事を転々としていた。
そして、たびたび屋根など高所から転落し、
大ケガを負って入院を繰り返した。
一時的に記憶の一部を失い、
見舞いに来た親族を思い出せないこともあった。
後から聞いた話では、転落の原因は過度な飲酒。
前日のお酒が抜けないまま出勤し、足を滑らせたことだった。
僕はその話を聞いた時、
「だったらお酒なんかやめればいいのに」とは思わなかった。
むしろ、叔父の散らかった部屋に入った時と同じ、
寂しい気持ちになった。
アルコールで酩酊した状態は、
母親に抱っこされている時の安心感と似ているそうだ。
アルコールやギャンブルに依存する原因は、
その麻薬的な快感がすべてじゃない。
そうまでしないと埋められない大きな穴が、
心に空いているからだ。
それは子どもの頃に得られなかった、
親からの関心、ぬくもりや安心感。
依存症は危険なだけではなく、
心をどうにか保ち、生き延びる手段でもある。
6.【死に至る病】愛情に飢え、人を気遣い、心を閉ざした59年間
叔父の幼少期の様子は、すべて妹である叔母が話してくれた。
だから、僕ができるのはこうやって勝手に想像することだけ。
まだ生まれてもいなかった僕は、
叔父がどんな思いで生きたのか知る由もない。
それでも、叔父はきっと「死に至る病」を患っていた。
それはガンのことではなく「愛着障害」。
「家族に見捨てられた」
「自分はいらない存在なんだ」
「誰も自分に興味などないんだ」
叔父はその悲痛な胸の内を、僕に打ち明けることはなかった。
自分のことは決して語らないのに、
人の心配や気遣いばかり口にしていた。
そして、壊れた愛着を求めてさまようかのように、
自己破壊を繰り返し、59年で逝った。
7.【叔父が戦った相手】愛着障害との戦いに明け暮れた人生
僕は叔父に、自分と同じにおいを感じていたのかも知れない。
幼い頃に親と会話することや、甘えることを諦めたところ。
自分の殻に閉じこもってしまったところ。
幼いながらも感じた「寂しいのかな…」という思い。
それは、閉ざした心の中で
苦しむ叔父の姿を見たからかも知れない。
叔父の人生は一見、解せない自己破壊行動の連続だった。
その正体をこうして想像できたのは、
僕が親との関係で悩み、愛着障害を学ぶことができたから。
幼少期に親から与えられる愛情、ぬくもり、大切にしているという想い。
それが伝わるか否かが、1人の人生をここまで左右してしまう。
愛着障害について学ばなければ、
叔父が決して周りに助けを求めない理由も、
心を閉ざした理由も理解できなかっただろう。
叔父さん、59年間お疲れさまでした。
もし冥界があるのなら、もう戦わなくていいからね。
もし冥界があるのなら、もう寂しい思いをしなくていい世界であってほしいな。
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