2019年10月24日
生活保護の申請。(1) -生活保護課への書類提出-
できる限り避けたいと
いろいろ動いてきたものの、
ついに申請することが決まった生活保護。
→「生活保護の申請日が決定。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/314/0
実際の生活保護申請から、結果が出るまでには
ざっくり分けて以下のプロセスがある。
1.役所の生活保護課への申請
2.ケースワーカーの家庭訪問
3.民生委員の家庭訪問
おそらく誰もが経験するわけではないこと、
そして自分が生きた記録、生き様として、
僕が経験した申請の過程を
今のところ3部作として書きたいと思う。
今回は第一弾、
区役所の生活保護課へ行った時の話。
ーーーーーーーーーー
当日の朝、就労移行支援へつなげてくれた
相談室の担当さんと二人で生活保護課へ。
ここに来るのは半年以上も前、
ただ孤独と闘っていた中、一人で足を運んで以来。
→「生活保護の話。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/41/0
この日は年金が出て間もなくだったからか、
収入を申告する人たちで混雑していた。
朝10時より申請開始の予定だったが、
担当職員さんが忙しく、
緊張の中で40分ほど待つことになった。
「2時間くらいかかるけどトイレ大丈夫?」
相談員さんが声をかけてくれた。
トイレというよりも、
お腹の変なところがちくちくと痛かった。
申請日が決まってからは、
ここまで来たらもう仕方ないと腹をくくったつもりでも、
いざ前日になると不安でほとんど眠れず、
寝不足と緊張から、全身に変な力みが走っていた。
席へ通されるまでに、相談員さんと最終確認。
就労移行支援を利用し再起を図っていること、
処分可能な財産を持っていないこと、
後日ある家庭訪問では変に構えずに、
生活に困窮している現状をそのまま伝えること。
そしてもちろん、
ずっと頼るつもりはないという意思。
この間もずっと、
変な力みの混じった眠気と、
「考え過ぎなくていいよ」と言われても
どうしても構えてしまう緊張感と格闘した。
11時前、担当の職員さんが足早に駆けて来て、
相談スペースへ通された。
「生活保護の申請に来ました」と、
”相談”ではなく”申請”に来たことをはっきりと伝えた。
ここで少しでもブレてしまうと、生活相談へ誘導されたりして
いわゆる「水際作戦」発動の隙を与えてしまうという。
事前に相談員さんがコンタクトを取ってくれていたこと、
そして市委託の相談室の職員の前では
ごまかしが効かない抑止力のおかげか、
席へ着いてからは、ただ説明を受けて、
必要書類を提出し記入するだけのスムーズな時間となった。
現在、手元にあって生きている通帳すべて、
マイナンバーカード、年金手帳、障害者手帳、
住宅の賃貸契約書、自立支援医療、
保険証などの必須書類の他、
ここへきて意外と役立ったのは
障害年金の不支給決定通知書と、
その申請の際に書いた病歴の申告書。
障害年金など、他に利用できる支援制度があれば、
まずはそちらに頼るよう促される可能性があるが、
事前にその道を断たれていたことが
皮肉にもスムーズな手続きを手伝ってくれた。
→「障害年金、落ちた。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/99/0
5種類ほどの書類に記入、捺印をする中で、
家族構成や連絡先、住所、職業などを書く時に
僕の手は止まりがちだった。
実家の住所も、連絡先も知らないので空欄、
誕生日や職業は曖昧、
携帯番号については、
着信拒否しているが残してある父の番号だけ書いた。
これについては、家族関係が破綻している場合、
知らないということはままあるらしいので、
書けるところだけでよいとのことだった。
すべての書類の記入が終わってから、
後日の家庭訪問を担当するケースワーカーが登場し、
訪問の日程を決めて終了となった。
申請の説明をしてくれた方、担当のケースワーカーの方、
どちらも若い女性で、
忙しく動き回っては
やや早口で必要なことを説明するような
かなりバタバタしている状況だった。
申請を阻止したり、生活相談へ誘導するようなことは
なかったというより、そんな暇もないような印象を受けた。
この日はたまたま
本当に多忙だっただけかも知れないが、
当日にはっきりと”申請”をさせてくれた
担当の相談員さんの根回しに心から感謝した。
申請が完了し区役所を出た後、
相談員さんに「恩人です」と深くお礼を伝えた。
区役所を出たのは12時過ぎ、
相談員さんは「思ったより早く終わったね」と言っていた。
その足で就労移行支援事業所へ向かい、
いつも通り仕事する時間を過ごした。
すごく眠かったはずなのに、
帰宅してからすぐには横にならなかった。
まだ結果は出ていないながら、
大きな肩の荷が降りた安堵感と、
まだ少し残る緊張感を噛み締めた。
本格的に眠くなる前に、
明日に控えたケースワーカーの来訪に備え、
家の中を少し掃除してようやく寝ることができた。
一般社団法人ボイス|悩みの無料相談の申込み
いろいろ動いてきたものの、
ついに申請することが決まった生活保護。
→「生活保護の申請日が決定。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/314/0
実際の生活保護申請から、結果が出るまでには
ざっくり分けて以下のプロセスがある。
1.役所の生活保護課への申請
2.ケースワーカーの家庭訪問
3.民生委員の家庭訪問
おそらく誰もが経験するわけではないこと、
そして自分が生きた記録、生き様として、
僕が経験した申請の過程を
今のところ3部作として書きたいと思う。
今回は第一弾、
区役所の生活保護課へ行った時の話。
ーーーーーーーーーー
当日の朝、就労移行支援へつなげてくれた
相談室の担当さんと二人で生活保護課へ。
ここに来るのは半年以上も前、
ただ孤独と闘っていた中、一人で足を運んで以来。
→「生活保護の話。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/41/0
この日は年金が出て間もなくだったからか、
収入を申告する人たちで混雑していた。
朝10時より申請開始の予定だったが、
担当職員さんが忙しく、
緊張の中で40分ほど待つことになった。
「2時間くらいかかるけどトイレ大丈夫?」
相談員さんが声をかけてくれた。
トイレというよりも、
お腹の変なところがちくちくと痛かった。
申請日が決まってからは、
ここまで来たらもう仕方ないと腹をくくったつもりでも、
いざ前日になると不安でほとんど眠れず、
寝不足と緊張から、全身に変な力みが走っていた。
席へ通されるまでに、相談員さんと最終確認。
就労移行支援を利用し再起を図っていること、
処分可能な財産を持っていないこと、
後日ある家庭訪問では変に構えずに、
生活に困窮している現状をそのまま伝えること。
そしてもちろん、
ずっと頼るつもりはないという意思。
この間もずっと、
変な力みの混じった眠気と、
「考え過ぎなくていいよ」と言われても
どうしても構えてしまう緊張感と格闘した。
11時前、担当の職員さんが足早に駆けて来て、
相談スペースへ通された。
「生活保護の申請に来ました」と、
”相談”ではなく”申請”に来たことをはっきりと伝えた。
ここで少しでもブレてしまうと、生活相談へ誘導されたりして
いわゆる「水際作戦」発動の隙を与えてしまうという。
事前に相談員さんがコンタクトを取ってくれていたこと、
そして市委託の相談室の職員の前では
ごまかしが効かない抑止力のおかげか、
席へ着いてからは、ただ説明を受けて、
必要書類を提出し記入するだけのスムーズな時間となった。
現在、手元にあって生きている通帳すべて、
マイナンバーカード、年金手帳、障害者手帳、
住宅の賃貸契約書、自立支援医療、
保険証などの必須書類の他、
ここへきて意外と役立ったのは
障害年金の不支給決定通知書と、
その申請の際に書いた病歴の申告書。
障害年金など、他に利用できる支援制度があれば、
まずはそちらに頼るよう促される可能性があるが、
事前にその道を断たれていたことが
皮肉にもスムーズな手続きを手伝ってくれた。
→「障害年金、落ちた。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/99/0
5種類ほどの書類に記入、捺印をする中で、
家族構成や連絡先、住所、職業などを書く時に
僕の手は止まりがちだった。
実家の住所も、連絡先も知らないので空欄、
誕生日や職業は曖昧、
携帯番号については、
着信拒否しているが残してある父の番号だけ書いた。
これについては、家族関係が破綻している場合、
知らないということはままあるらしいので、
書けるところだけでよいとのことだった。
すべての書類の記入が終わってから、
後日の家庭訪問を担当するケースワーカーが登場し、
訪問の日程を決めて終了となった。
申請の説明をしてくれた方、担当のケースワーカーの方、
どちらも若い女性で、
忙しく動き回っては
やや早口で必要なことを説明するような
かなりバタバタしている状況だった。
申請を阻止したり、生活相談へ誘導するようなことは
なかったというより、そんな暇もないような印象を受けた。
この日はたまたま
本当に多忙だっただけかも知れないが、
当日にはっきりと”申請”をさせてくれた
担当の相談員さんの根回しに心から感謝した。
申請が完了し区役所を出た後、
相談員さんに「恩人です」と深くお礼を伝えた。
区役所を出たのは12時過ぎ、
相談員さんは「思ったより早く終わったね」と言っていた。
その足で就労移行支援事業所へ向かい、
いつも通り仕事する時間を過ごした。
すごく眠かったはずなのに、
帰宅してからすぐには横にならなかった。
まだ結果は出ていないながら、
大きな肩の荷が降りた安堵感と、
まだ少し残る緊張感を噛み締めた。
本格的に眠くなる前に、
明日に控えたケースワーカーの来訪に備え、
家の中を少し掃除してようやく寝ることができた。
一般社団法人ボイス|悩みの無料相談の申込み
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/9316583
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック