アフィリエイト広告を利用しています

広告

posted by fanblog

2022年03月08日

大人になることは幸せか。

ー目次ー
  1. ドラえもんの言葉”おとなってかわいそうだね”
  2. 大人になるとは”逃げられない終身刑”の受け入れか?
  3. 大人を押し付け合う人たち”いい歳した大人が”
  4. 子どもの欲求を満たしてもらえなかった”子どもっぽい大人”
  5. 大人を強要するのは”親に甘えたかった欲求”を押し殺しているから
  6. 大人が『パパもあまえんぼ』に涙する世界は幸せか?

1.ドラえもんの言葉”おとなってかわいそうだね”

ドラえもんの名作に
『パパもあまえんぼ』というストーリーがある。

のび太のパパが酔っぱらって帰宅。
ドラえもんとのび太は「パパの親に𠮟ってもらおう」と思いつき、
タイムマシンで過去へ行く話。

過去へ着き、
のび太のおばあちゃん=パパの母親と再会したパパは、
おばあちゃんに泣きつき、こう叫ぶ。

「いじわるな部長が僕のことをいじめるんだ」

その光景を見たドラえもんがこう言う。

おとなってかわいそうだね。
自分より大きなものがいないもの。

よりかかってあまえたり、
しかってくれる人がいないんだもの。


『藤子・F・不二雄大全集 ドラえもん 5』”パパもあまえんぼ” より


大人とは何だろう。何をもって大人になるんだろう。

ドラえもんの言うように
”自分より大きなものがいない人”が大人だとしたら、

大人になることは本当に幸せなんだろうか。


2.大人になるとは”逃げられない終身刑”の受け入れか?

大人とは、
年齢を重ねて、外見がそれっぽくなった人だろうか。
「守られる者」から「守る者」になった人だろうか。

それとも、ドラえもんがパパに感じたように
「寄りかかって甘えたり、𠮟ってくれる人がいない存在」
になった人だろうか。

もし大人が

・他人に甘えてはいけない
・弱さを見せてはいけない
・我慢しなければいけない
・誰かを守らなければいけない

ことを強要される存在なら、
僕は一生、大人になどなりたくない。




僕がのび太くらいの年齢だった頃、
まわりにいた”大人”たちはみんな苦しそうに見えた。

家族を養う人も、1人で生活の糧を稼いでいる人も、
みんなみんな苦しそうだった。

僕には彼らが抑えている我慢の”カタチ”が見えていた。
時折、爆発する矛先が、いつ自分に向けられるかと恐れた。

そんな大人ばかり見て育った僕は、
自由を奪われることや、重責を背負うことを極度に嫌うようになった。

僕はこの頃から、家族や子どもを持つことを
「逃げられない終身刑」と捉えるようになった。


3.大人を押し付け合う人たち”いい歳した大人が”

「子どもっぽい言動」をする人に対して、
大人と呼ばれる人たちの反応は冷たい。


「いい歳した大人が」
「大人のくせに」
「我慢しなさい」


たとえば30歳の人が、25年前に同じことをしても、
「仕方ないね」「子どもだからね」で済まされる。

なのに25年後には「いい歳した大人が」と非難される。
この差は何だろう。

きっと、「いい歳した大人が」と言う背景には、
その25年で社会の掟を学んだはずだという期待がある。


そして、「いい歳した大人が」の辛辣さを高めるのは、
その人の「大人とはかくあるべき」という理想像との差分。



外見がそれっぽいというだけで、互いに
”大人でなければ許さない”という同調圧力をかけ合っている。

ただ25年の時間が流れただけ、というのも許されず、
常識という付加価値が増えていって当然とみなされる。

それ、大人になった人も、大人を強要される人も、苦しくないの?

4.子どもの欲求を満たしてもらえなかった”子どもっぽい大人”

「いい歳した大人が」と言いたい気持ちもわかる。

円滑に生きるためには、自分を抑える場面などいくらでもある。
自分が我慢していることを平気でする相手が許せないのもわかる。

ただ、他人に「いい歳した大人が」と言う人には、
1つ見落としていることがある。

 子どもっぽい大人は子どもの頃、
 のび太のパパのように甘えることができたのか?


という視点だ。



子どもっぽいことをするのは、
子どもの頃に、子どもの欲求を満たしてもらえなかったから。


子どもの頃に、親に寄りかかって、泣いて、
思う存分、甘えることができなかったから。


「中身が子ども」という言葉はたいてい、
子どもっぽい大人をけなす意味で使われる。

だけど、僕はその使われ方に違和感を感じる。
「中身が子ども」という言葉は、

 満たされなかった子どもの欲求を抱えたまま、
 身体だけ成長した悲劇


を表していると思う。

5.大人を強要するのは”親に甘えたかった欲求”を押し殺しているから

「いい歳した大人が」と言う人はきっと、
親に甘えたかった欲求を封じ込めている。


ドラえもんの言う「かわいそうな大人」を無理やり演じている。
だから余計に、子どもの欲求を露出する人に敏感になる。

子どもの欲求を封じ込めた自分と、
子どもの欲求を親に満たしてもらいたかった自分がぶつかる。


その葛藤を感じないために、
子どもっぽい大人を非難して自分を保っている。



『パパもあまえんぼ』のような作品が創られ、多くの人の涙を誘うのは、

 親に甘えたくて、甘えられないまま、
 子どもの欲求を封じ込めて生きている大人がいかに多いか

 のび太のおばあちゃんのように子どもの気持ちに共感し、
 何も言わずに包み込める親がいかに少ないか


という現実を表している。

6.大人が『パパもあまえんぼ』に涙する世界は幸せか?

大人になるとは、

 「あなたはこの先ずっと支える側です」
 「あなたは支えられてはいけません、大人なんでしょ?」

という終身刑を受け入れることだろうか。

・世の大人が『パパもあまえんぼ』に涙しなくていい世界
・『パパもあまえんぼ』という作品が存在しなくていい世界


などは、空想の中でしか存在できないんだろうか。


大人とは、
「学べよ」「成長しろよ」「我慢して当然」「年相応」
という重圧の押し付けを受け入れることだろうか。

なぜ、生きている年数に応じて”大人”を強要されるんだろうか。
まわりに大人を押し付け、自身は大人を演じる人たちは幸せなんだろうか。



のび太の目に、パパはどう映っているんだろうか。
”幸せに生きている人”か、”苦しみを押し殺して生きている”人か。

大人を強要し合い、苦しみを相互監視する世界を見て、
「大人になりたい」と思う子どもがどれだけいるだろうか。



大人になるとは、本当に幸せなことだろうか?




U-NEXT『とっておきドラえもん わきあいあい家族編』



posted by 理琉(ワタル) at 19:35 | TrackBack(0) | 人生観

この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/11296011

※言及リンクのないトラックバックは受信されません。

この記事へのトラックバック
検索
プロフィール
理琉(ワタル)さんの画像
理琉(ワタル)
自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
プロフィール
最新記事
カテゴリーアーカイブ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。