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2022年06月17日

普通でいたいと思うのは、孤独になるのが怖いから。

「普通になりたい」
「普通はこうすべき」
「常識的に考えて」

そう言われたり、つい言ってしまうことはないだろうか。

普通とは何だろう。
なぜ普通でいたいんだろう。
なぜ他者にも普通を押し付けるんだろう。

なぜ、僕らは”普通”にこだわり、”普通”に怯えているんだろう?


ー目次ー
  1. 普通でいたいのは”孤独になって死にたくないから”
  2. 普通とは”自分を押し殺して他人に合わせる行為”
  3. 普通になるために生まれた”教育制度”
  4. 普通が苦しいなら”普通なんて目指さなくていい”

1.普通でいたいのは”孤独になって死にたくないから”

「普通でいたい」と思うのは、孤独になりたくないからだ。



普通とはその時代、その社会での多数派のこと。

そして人間は社会的な生き物なので、
多数派の集団に属していたいと考える。

少数派になると群れから追い出されるし、
数の暴力に勝つことは難しいからだ。



 集団に属していたい
 多数派の一員でいたい

という欲求を持つ人間の社会で、
普通から外れる、孤独になることは、

「仲間外れにされて死ぬ」ことを意味する。



普通じゃない人を攻撃することは、
生き残るための必死のアピールなのかもしれない。

いじめや悪口は、

「私は多数派と同じ考えなのでこの集団に置いてください」
「私は多数派に属しているので攻撃しないでください」


という訴えなのかもしれない。

2.普通とは”自分を押し殺して他人に合わせる行為”

普通でいることには「多数派に属せる」というメリットがある。
生き残って子孫を残せる確率が上がる。

「なら普通でいいじゃないか」
「”普通はこうすべき”という押し付けの何が悪いの?」

その通りだ。子孫を残すためなら普通は最適だ。



最適なのに、なぜこんなに苦しそうな人が多いのか?

なぜ人を見下す人、八つ当たりする人が多いのか?
なぜ死んだ目をしたスマホゾンビが溢れているのか?

普通を求めるとは
「自分を押し殺して多数派に合わせる行為」だからだ。




普通と言われていることと、
自分が望んでいることが一致しているなら問題ない。

普通でいることが苦しいのは、
自分の本当の欲求と一致していないからだ。


 「本当はゲーム実況がしたい、YouTuberになりたい、
  だけど普通でいるためにサラリーマンをしている」

 「本当はゴシックファッションが好き、
  だけど普通じゃないから我慢してスーツを着ている」

そのズレが、自分を縛るストレスになり、
普通じゃない誰かへの嫉妬になる。

普段から、無理して普通を演じている人ほど
普通じゃない人を叩きたくなる。

 「私は我慢して普通を演じているのに、
  あの人は好きなことをしているのが許せない」


から。

3.普通になるために生まれた”教育制度”

『人生の質なんてどうでもいい。とにかく子孫を残せ』
そう割り切るには、僕らの脳は発達しすぎてしまった。

「普通でいれば生き残れるが苦しい」
「でも仲間外れが怖いから普通を演じなければ」

そんな葛藤に折り合いをつけさせるために、
僕らは「普通になるための教育」を受けて育ってきた。



世界で義務教育が始まった理由の1つは、
「兵士たちに命令や情報を正確に伝えるため」だそうだ。

明治維新後の日本では、
教育は均質で命令に忠実な兵士を養成するために。

戦後の日本では、
教育はサラリーマンを養成するために。

いずれも
「その土地を征服した少数の支配者が、多数の現地住民を統治するため」
に作られたもので、少数の”普通じゃないトップ”を養成するためではない。


「普通でいるのが良いこと」と思わせ、
葛藤や苦しさを納得させるためだ。



もちろん、そのおかげで今がある。

これだけ恵まれた今があるのは、
普通を演じて働いている大多数のおかげ。

確かに社会”全体”は発展した。
決して「個人の苦しみ」が考慮されることのないまま。


4.普通が苦しいなら”普通なんて目指さなくていい”

「良い学校を出て、良い企業に入って、家族を養う」
「収入の高い人と結婚し、家庭に入って子どもを育てる」

それが”普通”であり、幸せのモデルだった時代もあった。
経済が上向きだったから、多くの人に実現の可能性があった。



しかし、収入が上がらないのに物価が上がる時代に突入した。

「良い企業」「結婚」など達成できそうもない人が増えたのに、
「普通の幸せのモデル」という残像だけが強く残った。


今、苦しそうな日本人が多いのはそのせいじゃないかと思う。



僕は上記のような”普通”にはとても届かない人生を送ってきた。
以前は普通になれない自分を呪い、苦しかった。

今は「自分を押し殺して普通にならなくていい」と思えるようになった。
それ以来、僕はずっと生きやすくなった。


非正規、低収入、家族なし、
それは”普通”とかけ離れているんだろう。

代わりに僕は好きなことをやって生きている。
バスケ、野球、ブログ、動画編集、読書…。

僕は普通じゃない自分に苦しむことがなくなった。



苦しいなら普通なんて要らない。
短い人生だ。自分がやりたいことをやればいい。







posted by 理琉(ワタル) at 19:44 | TrackBack(0) | 人生観

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理琉(ワタル)
自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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