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2021年11月02日

【死は悪なのか?】「生きることが苦しいなら死ねばいい」に嫌悪感を示す人の心理。

「生きることが苦しいなら死ねばいいじゃないか」

人前でこう言ったことはありませんが、僕は賛成です。
ただ、実際にこれを言うと多くの否定的な返答が予想されます。

「冷たい」
「命への冒涜」
「生きたかった人もいるのに」と。

もし有名人がツイッターで同じことをつぶやいたら炎上するでしょう。



それにしても、なぜこの世界では
「生きる=善、死ぬ=悪」のように語られるんでしょうか。


なぜ生きる権利には肯定的なのに、
死ぬ権利には否定的な風潮があるんでしょうか。

「苦しいなら死ねばいいじゃないか」に
嫌悪感を示す人の心理とは何でしょうか。



ー目次ー
  1. ”私の方が不幸なのに我慢して生きている。なのにあなただけ”
  2. ”あなたが死んだら悲しむ人がいるから”は本質か
  3. 死への嫌悪感は、自分の嫉妬や被害者意識の裏返し?
  4. 支配者は”死”を悪者にしておく方が都合が良い
  5. ”生きる=善、死ぬ=悪”は、誰のためにあるのか

1.”私の方が不幸なのに我慢して生きている。なのにあなただけ”

結論から言うと、

『私の方が生きていることが苦しいのに
 お前だけ生きることから逃げるなんて許せない』


ではないでしょうか。



死を選択したい人はおそらく、
人生での幸福と不幸のバランスが

「幸福の量 <<< 不幸の量」
かつ、もうこれを覆す気力がないと確信したのでしょう。

そして、人生の幸福と不幸の量がわかるのは本人だけです。

傍から見れば楽しそうでも、
他人がうらやむような人生でも、
不幸かどうかの判断は本人だけができます。



「苦しいなら死ねばいいじゃないか」に嫌悪感を示すのは、
誰かが死ぬのがイヤなだけではなく、

「苦しいから死ぬという”選択”が気に入らない」
のかも知れません。

そして、
なぜ死ぬ”選択”が気に入らないかというと、
「自分の人生の方がずっと不幸なのに」
と思っているからではないでしょうか。

死を、生きている限り続く苦しみからの逃げと
捉えているのではないでしょうか。


2.”あなたが死んだら悲しむ人がいるから”は本質か

「命は大切だから」
「親(神)から授かったものだから」
「自殺が禁止されている宗教もあるから」
「あなたが死んだら悲しむ人がいるから」


これらは一見、尊い理由ですが、
はたして死への嫌悪感の本質でしょうか。

「幸福の量 <<< 不幸の量」

この人生をもう覆せないと絶望し、
死を選ぼうとしている人に響くでしょうか。
第9講「自殺」

自殺が自己利益の観点から
合理的なものとして受け入れられるケースでは、
その人は死んだほうがましだ。


人生が今提供できるものが全体としてマイナスなら、
早く死んだほうが良い。

それはもちろん、死は”本人には”悪いわけではなく、
むしろ”良い”ということだ。
たとえ自殺者の家族や友人や愛する人に
嘆きや痛みをもたらすという、
自殺のネガティブな結果があるとしても、

もしその自殺者にとって死んだほうが本当にましなら、
そのネガティブな結果をすべて考えても、
なお本人の受ける恩恵のほうが優るかもしれない。


『「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義』より


あなたが死んだら悲しむ人も、
親(神)から授かった命だから大切に思っている人も、
自殺したい本人ではありません。

「あなたが死んだら悲しむ人がいる」は
尊い意見ですが、それは周りの人の希望です。

「死を選びたい」という本人の希望を尊重していない、
形を変えた生の押しつけでもあります。



だから、命の尊さや、生の奇跡を説いた意見は、
死を否定する理由の本質ではないと思います。

「不幸な人生からお前だけ逃げるなんて許せない」
これを”あからさまな生の押しつけ”とするなら、

「あなたが死んだら悲しむ人がいる」は、
きれいな理由で本音を隠しているようにも見えます。


3.死への嫌悪感は、自分の嫉妬や被害者意識の裏返し?

「苦しいなら死ねばいいじゃないか」に嫌悪感を抱く人も、
「生きる=善、死ぬ=悪」と考える人も、

本当は生きる苦しみから逃げられる他者へ
嫉妬しているんじゃないでしょうか。




もちろん、死んだ後のことは誰にもわかりません。
転生するのか、無になるのか、死後の方が苦しいのか。

もし死後の方が苦しいなら、きっと
「苦しいなら死ねばいい」を否定する人はいなくなります。
それなら生きている方が”まだマシだから”です。



死や自殺に過剰反応して否定するのは、
「死後のことなどわからないから怖い」という理由もあるでしょう。

ただ、それだけではなく、
「自分の方が苦しいのに逃げるのか」という
嫉妬や被害者意識もひそんでいるように思います。


自分の現状への不満や、
世の中の不条理への怒りもあるでしょう。



でも、そういうドス黒い感情でいっぱいの自分など、
できれば見たくないのが本音です。

「自分が死や自殺を嫌悪する理由は、嫉妬や被害者意識かも知れない」
などと認めたくありません。


だから理由が必要になります。

死で逃げられることへの嫉妬を隠したい。
自分の黒い感情から罪悪感なく目をそらしたい。

そのために「悲しむ人がいる」「命の尊さ」などが
作られたんじゃないでしょうか。

4.支配者は”死”を悪者にしておく方が都合が良い

「生きる=善、死ぬ=悪」という風潮は
誰が作り出したんでしょうか。


・死を怖がるのは生き物の本能
・死に至るまでの苦痛が怖い
・だから死を忌み嫌うのは当然

本当にそれだけでしょうか。

「死ぬ選択はするなよ」みたいな相互監視の空気は、
生き物だからといって当たり前に作られるでしょうか。

「簡単に死を選択する人が増えたら都合が悪いから」
でもあるんじゃないでしょうか。



狩猟採集の時代は、
人手が減ったら食糧の調達が難しくなります。

危険な狩りで命を落とす人はいても、
そうでない場面で死なれたら集落全体の危機です。

農業革命の後は、一握りの支配者が民衆を動かします。

そのときもやはり、農作業の人手が減ることは損害です。
自分たちへの供物が減り、財を蓄えにくくなります。

強い軍隊を作るにも、人手は必要です。
戦争で損害が出るのは仕方ないにしても、
それ以外で簡単に死を選択されたら困ります。


”死への恐怖”が使えなければ、外敵を作り出すことも、
民衆の心の余裕を奪うことも難しくなります。



だから、支配者は「生きる=善、死ぬ=悪」
にしておきたいんじゃないでしょうか。

自力で生きていられる限りは、生きてもらいたい、
そして自分の支配力を維持するために使いたい。


「人は使い捨てなのか」と、暗い気持ちになりますが
それが”死を悪者にしておきたい理由”の1つだと思います。

5.”生きる=善、死ぬ=悪”は、誰のためにあるのか

『父が娘に語る美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。』
によると、英国で産業革命が起きた当時は
いま以上に”労働者は使い捨て”だったそうです。

ロンドンやマンチェスターには薄暗い工場が立ち並び、
子どもを含め多くの貧しい人たちが長時間、
過酷な労働に従事させられていました。
大多数の国民が
人間らしさを奪われた暮らしをしているのに、

何本かの道路を隔てた区画では、
一握りの富裕層がぜいたくに暮らしていた
ようです。



僕はこれを読んだとき、
「そんな苦しみがずっと続くなら生きなくてもいいのに」
と思いました。

「”貧しい工場労働者から抜け出してやる”という気概が足りない」
「苦しみにあふれた生の中で、小さな幸せを見つけて生きるんだ」
そういう意見はもっともです。

が、それはまるで
「他人のために無理やり生きさせられている」
「”生きる=善、死ぬ=悪”を押しつけられている」
ようにも感じるんです。



本人にとって圧倒的に「幸福の量 <<< 不幸の量」な人生、
なのに死を悪者のように否定する人がいる。

そこには自身の嫉妬や打算、被害者意識が
まったくないと言い切れるでしょうか。


「生きたかった人もいるのに」
「あなたが死んだら悲しむ人がいる」
それは死を選びたい人への嫉妬を隠すための、
”表面的な理由”じゃないでしょうか。

「生きる=善、死ぬ=悪」という風潮は、
本当に”生き物だから当たり前”なんでしょうか?









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posted by 理琉(ワタル) at 19:51 | TrackBack(0) | 人生観

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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