2021年11月08日
スマホゾンビは格差社会へのあきらめの象徴ではないか。
スマホに夢中になるあまり、
周りで何が起きているのかさえ
気づかないような人を街で見かけることがある。
「スマホを支配しているのはあの人なのか、
それともスマホがあの人を支配しているのか?」
『スマホ脳』第6章 ”SNSー現代最強のインフルエンサー” より
僕は電車に乗ったときの、不気味な光景が怖いです。
それは右も左も、手前も奥も、
猫背のスマホゾンビであふれている光景です。
そして、そんな電車の中には不気味さと同じくらい、
疲れきった空気が充満しています。
誰も何も言いません。
ただ首を垂れ、取り憑かれたようにスマホを凝視するだけです。
ゲームやSNSが映った画面に、魂を吸われているようにも見えます。
スマホゾンビであふれる日本の電車内。
そこに漂う不気味さと、疲れきった空気。
僕はこの光景を見るたびに、
「スマホゾンビは格差社会へのあきらめの象徴ではないか?」
と思うようになりました。
ー目次ー
- ”頑張っても報われない現実”に気づいた日本人
- スマホ依存は”終わりなき劣等感を癒す場所”
- 日常すら手に入らないから”日常系アニメ”が増える
- スマホゾンビという抜け殻、スマホ依存は”ささやかな理想郷”への旅
1.”頑張っても報われない現実”に気づいた日本人
できるだけ長い時間
その人の注目を引いておくにはどうすればいい?
人間の心理の弱いところを突けばいいんだ。
ちょっとばかりドーパミンを注射してあげるんだよ。
ショーン・パーカー(フェイスブック社 元CEO)
『スマホ脳』第3章”スマホは私たちの最新のドラッグである” より
スマホの中の世界は依存物でいっぱいです。
その中身は「かもしれない」に対する期待です。
- ゲームで勝てるかもしれない
- ガチャでレアアイテムが出るかもしれない
- SNSで「いいね!」が付いているかもしれない
これらを期待するとき、
脳には快楽物質ドーパミンが出ているそうです。
またこの快楽を味わいたくてスマホを手に取り、
いつの間にか依存していきます。
「歩きスマホは危険、止めましょう」
そんなことはさんざん言われています。死亡事故も起きています。
でも止められません。早くドーパミンを出したいから。
目の前の快楽に依存しなければいけないほど、追い詰められているから。
仮想世界へ逃避しなければいけないほど、現実がつらすぎるから。
<お金も仕事も奪われる若者>
日本全体の金融資産の6割は60代以上の人が保有していて、
39歳以下はわずか6%しか持っていません。
つまり、もともとお金を持っている高齢者に、
貧乏な若者が年金を通してお金を渡し続けるシステムが
でき上がっているわけです。
日本には高齢の経営者は幹部がいつまでも残り続けている企業が多く、
結果として経営が弱体化しているのです。(中略)
多くの組織で旧時代的な考えの人たちがまだ上の立場にいるために、
数々のばかげた不条理がまかり通っています。
<1人1票が表す不平等>
実は、39歳以下の若者が全員、投票したとしても、
40代以上の40%が投票すれば
その数を簡単に抜かれてしまうのです。(中略)
どんなにすばらしい志を持っていても、
選挙で勝たなければ、政治家になることはできません。
だから、立候補者たちは人口で勝る高齢者の喜ぶ政策を
公約に掲げなくてはならないのです。
『叩かれるから今まで黙っておいた「世の中の真実」』 より
「格差社会」「デフレ」「失われた30年」と呼ばれ、
モノが売れない、給料が上がらない。なのに労働時間は上限なし。
職を探しても低賃金の非正規雇用ばかり。
正規雇用の狭き門をくぐっても、
上のポストは高齢の役員で埋まっていて出世の見込みはない。
なけなしの給料から、もらえる保証もない年金を払い続ける。
それも「もともとお金を持っている高齢者」に。
「選挙に行けば、1票を投じれば、この社会を変えられるかもしれない」
そう希望を持ちたくても、
圧倒的に人口比率が高い高齢者の意見を覆せない現実。
そんな社会で生きてきた大人たちと、
そんな大人たちを見て育った次の世代。
彼らは、いえ、大多数の日本人は
気づいてしまったんじゃないでしょうか。
もういくら頑張っても報われない現実に。
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2.スマホ依存は”終わりなき劣等感を癒す場所”
勝利もお金も出世も、幸せの絶対条件ではありません。
それでも、人間は優越性を求める生き物です。
人間の心は、劣等感を正面から受け止めて生きるのに
耐えられるほど丈夫にできていません。
にもかかわらず、現実では
終わりなき劣等感から逃れられる者は一握りです。
そして、「その一握りになってやろう」という気力すら、
自分には残っていないと悟ってしまったなら。
「2位じゃダメなんですか?」
「心身をボロボロにして働いても報われないんですか?」
そんな叫びさえ、
資本主義社会の競争にかき消されるとしたら…。
スマホの仮想世界は、自分の思い通りです。
自分の好みのキャラクターに望みのストーリー。
敵キャラに勝つことも、レベルやお金をカンストすることも、
恋愛も結婚も、ヒーローになることもできます。
課金すれば、自分の分身を無限に強くできます。
それらは現実では決して手に入らない、いえ、
もう「手に入れてやろう」という気力すら
残っていないのかもしれません。
だから、せめて移動時間くらいは夢を見させてほしい。
つらい現実から目を背けて、自分の有用性を確かめさせてほしい。
会社では報われない仕事に疲れ、
家に帰れば孤独な家庭生活に疲れ、
それが良くなる未来すら見えない。
ならばせめて、誰にも邪魔されない時間くらいは、
この劣等感から逃げさせてほしい。
スマホゾンビ度が強い人ほど、
いつでもどこでも歩きスマホをする人ほど、
そんな「あきらめの悲鳴」が大きいのではないでしょうか。
スマホゾンビにとって、バスや電車、歩道は
「ひとときの癒しの場」なのかもしれません。
3.日常すら手に入らないから”日常系アニメ”が増える
僕はアニメに詳しくありませんが、
最近は自分が子どもの頃よりも「日常系アニメ」が増えたと思います。
もちろん、「サザエさん」「ちびまる子ちゃん」など、
以前から人気の日常系アニメはあります。
それでも現在、街中で見かけるアニメキャラクターの多くは、
日常系アニメの主役である”かわいい普通の女の子”でしょう。
今の日本で日常系アニメが増えた理由として、
鋭い考察をしている方がいらっしゃいました。
→なぜ日常アニメが今急速に増えているのだろうか?
大きな夢や壮大なものを思い描く想像力や体力はなくなり、
日本人は現在疲労しているのである。
もはや日本人は日常にさえ疲れるようほど体力がなくなった。
そしてその「日常」さえ実は手に入っていないのである。
「リアルで頑張ることって意味があるのかな」
と考え始めた人たちが今バーチャルの世界に
これまでリアルで当たり前にあるはずだったものを
求めるようになっている。
頑張ることに疲れた、いや頑張っても夢がない社会になった。
日本人が現実に気付いてきた。
「そんな世界はない、高価な物なんて買えない、
頑張っても夢をかなえられる人はごく一部」だという真実に。
資本主義社会は残酷です。
「いちばん良いもの」「いちばん安いもの」
以外は生き残れず、つねに1位を獲るよう急き立てられます。
そこには圧倒的に大量の敗者が生まれます。
今やクレヨンしんちゃんの野原家は「勝ち組」で、
サザエさんの磯野家に至っては「豪邸」です。
「時代背景がちがう」
「高度経済成長期やバブル期が特殊だっただけ」
そんなことは言われなくてもわかっています。
現代は、かつて中流だった人から見れば「失われていく一方」です。
以前は当たり前だった”日常”すらも。
それが余計につらくて、屈辱なんじゃないかと思うんです。
自分が手に入れられない”日常”を「日常系アニメ」に求めること。
電車や歩道で、疲れた身体を丸めてスマホをのぞき込むこと。
この2つは”救いを求める先”がちがうだけで、
根底にある「あきらめの感情」は共通じゃないでしょうか。
「理想の”日常”と、現実の間には大きなギャップがあるけど、
それを頑張って埋める意味あるの?頑張ったら埋まるの?」
「スマホ依存症?歩きスマホは危険?興味ないね。
今、楽しければいいじゃん。今時、歩きながらでもゲームできるし。
頑張ってもムダなんだから」
そんな、悟りを開いたようなあきらめを、
胸にしまって生きているんじゃないでしょうか。
4.スマホゾンビという抜け殻、スマホ依存は”ささやかな理想郷”への旅
かつて、格差社会に絶望した農奴たちは、
反乱を起こして領主や王朝を倒してきました。
結果、そのリーダーの一部に富が集中し、
また反乱が繰り返されました。
20世紀、格差社会に絶望した労働者たちは、
格差をなくすために共産主義の国を作りました。
結果、「頑張っても給料は一緒だから」
人びとの勤労意欲が下がり、資本主義に移りました。
現在、資本主義を勝ち抜いた一握りの勝者と、
大多数の「2位の敗者」の格差が拡大しました。
平等では意欲が失われる。
かといって、追いつけないほどの格差がつけば、
意欲云々を通り越して”あきらめの境地”に達する。
スマホゾンビのうなだれた姿は、
奪われる意欲や、もう追いつけない格差への
”あきらめの境地”を表しているような気がします。
世界には全員が幸せになれるだけの富があるはずなのに、
全員に行き渡ることはありません。
そんな不条理に抗う気力もなくなり、手元にある薄い機械で
ささやかな”理想郷への旅”ができればそれでいい、と。
電車に並んだ、猫背の身体たちは抜け殻。
彼らの心は、不気味さと疲れきった空気を残して、
”あきらめの果て”に旅立っているんじゃないでしょうか。
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