2019年10月22日
父の実家の解体に際して。
今はもう誰も住んでいない、
父の地元の漁村にある家を11月に解体するそうだ。
もう半年近く前になるのか。
当時、今よりも家族に対する恨みや怒りが大きかった時、
そんな過去と決別したくて父の地元の漁村に行ってきた。
→「泣かないと決めてたのに。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/179/0
→「じいちゃん、ばあちゃんへ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/180/0
この時、一目見れて本当によかった。
家の解体の話は父からのメールで知った。
以前、何通もの長文メールで
自分がいかにかわいそうで大変かを
アピールしてきた実績があったので、
メールの着信と宛名を見た時は
また自分語りアピールかと心臓の鼓動が早まった。
→「父からの、大量の長文メール。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/260/0
今回は二通だった。
前の長文メールは、どうしても表示される冒頭を見て
開封せずにすべて消去したけど、今回は開封して読んだ。
自分たちが現地に行く日程、
遠くに住んでいる叔父の家族が来る日程が
細かく書いてあった。
二通目の最後にこうあった。
「見れるなら見ておくように」
今回はただの事務連絡だけと期待したかった僕は
これを見た瞬間、
この人はどこまでも
自分のことしか見えていないんだ、
僕の心なんて見る気がないんだと
愕然とした。
もっと言うと、指示を出すような文面から、
やっぱりこの人にとって親子とは上下関係であり、
子どもには上から物を言って当然と考えているのが
透けて見えてしまった。
日程を書いておけば、もしかして
見に行きたいと連絡をくれて
一緒に行けるかも知れない。
目の届く距離に居るチャンスさえ確保できればこっちのもの、
自分がいかに大変でかわいそうで、家族のために犠牲を払い、
(祖父に刷り込まれた)理想の男を演じて
働き続けてきたかを演説できる。
そして、そんな素晴らしい自分の価値観に
まったく沿おうとしない長男は
いかに甘ったれているか、社会を舐めているかを
延々と語り続けることで、自分は上なんだ、
できた親なのだと証明できる。
そんな目論見が隠されていることを
僕は見抜いてしまった。
疎遠になった息子に会いたいだけ、
そんな歪んだ深読みをする必要がある?
と言われるかも知れない。
けどそれは、会いに行く人のことを
信用しているから生まれる発想だと思う。
僕は父のことを、家族のことを信用していない。
会いに行って、彼らが黙っていたことが一度もないから。
どれだけ大きなイベントで
僕をおびき寄せようとしたところで、
繰り広げられるのはいつも演説と自分語りと
一方的に僕の心に傷をつける行為だった。
もし半年前、家族との確執と決別したくて
あの漁村に行っていなかったとしても、
彼らの誘いに乗って近づくようなことはせず、
何としても一人で行っただろう。
祖父母との思い出の場所がなくなるのは寂しいけど、
そんな連絡でさえも子どもに響かないのは
これまで積み重ねてきた彼らの対応の結果。
「会えばまた傷つけられる、
一方的に語られる、心を殺される」
子どもから信用されないどころか、
寄りつきもされないような態度を
数十年も続けてきて
未だにそのことに気づいていない親。
自分たちが正しいと思い込んだままなんだな、
顧みるということをしない人なんだなと、
変わらない親への期待を捨てるステップを
また一歩、進ませてしまった。
父の地元の漁村にある家を11月に解体するそうだ。
もう半年近く前になるのか。
当時、今よりも家族に対する恨みや怒りが大きかった時、
そんな過去と決別したくて父の地元の漁村に行ってきた。
→「泣かないと決めてたのに。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/179/0
→「じいちゃん、ばあちゃんへ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/180/0
この時、一目見れて本当によかった。
家の解体の話は父からのメールで知った。
以前、何通もの長文メールで
自分がいかにかわいそうで大変かを
アピールしてきた実績があったので、
メールの着信と宛名を見た時は
また自分語りアピールかと心臓の鼓動が早まった。
→「父からの、大量の長文メール。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/260/0
今回は二通だった。
前の長文メールは、どうしても表示される冒頭を見て
開封せずにすべて消去したけど、今回は開封して読んだ。
自分たちが現地に行く日程、
遠くに住んでいる叔父の家族が来る日程が
細かく書いてあった。
二通目の最後にこうあった。
「見れるなら見ておくように」
今回はただの事務連絡だけと期待したかった僕は
これを見た瞬間、
この人はどこまでも
自分のことしか見えていないんだ、
僕の心なんて見る気がないんだと
愕然とした。
もっと言うと、指示を出すような文面から、
やっぱりこの人にとって親子とは上下関係であり、
子どもには上から物を言って当然と考えているのが
透けて見えてしまった。
日程を書いておけば、もしかして
見に行きたいと連絡をくれて
一緒に行けるかも知れない。
目の届く距離に居るチャンスさえ確保できればこっちのもの、
自分がいかに大変でかわいそうで、家族のために犠牲を払い、
(祖父に刷り込まれた)理想の男を演じて
働き続けてきたかを演説できる。
そして、そんな素晴らしい自分の価値観に
まったく沿おうとしない長男は
いかに甘ったれているか、社会を舐めているかを
延々と語り続けることで、自分は上なんだ、
できた親なのだと証明できる。
そんな目論見が隠されていることを
僕は見抜いてしまった。
疎遠になった息子に会いたいだけ、
そんな歪んだ深読みをする必要がある?
と言われるかも知れない。
けどそれは、会いに行く人のことを
信用しているから生まれる発想だと思う。
僕は父のことを、家族のことを信用していない。
会いに行って、彼らが黙っていたことが一度もないから。
どれだけ大きなイベントで
僕をおびき寄せようとしたところで、
繰り広げられるのはいつも演説と自分語りと
一方的に僕の心に傷をつける行為だった。
もし半年前、家族との確執と決別したくて
あの漁村に行っていなかったとしても、
彼らの誘いに乗って近づくようなことはせず、
何としても一人で行っただろう。
祖父母との思い出の場所がなくなるのは寂しいけど、
そんな連絡でさえも子どもに響かないのは
これまで積み重ねてきた彼らの対応の結果。
「会えばまた傷つけられる、
一方的に語られる、心を殺される」
子どもから信用されないどころか、
寄りつきもされないような態度を
数十年も続けてきて
未だにそのことに気づいていない親。
自分たちが正しいと思い込んだままなんだな、
顧みるということをしない人なんだなと、
変わらない親への期待を捨てるステップを
また一歩、進ませてしまった。
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/9305996
※言及リンクのないトラックバックは受信されません。
この記事へのトラックバック