2019年08月11日
父からの、大量の長文メール。
僕は実家の電話番号は消してしまったが、
余命1年以内と宣告されている
父のメールアドレスは残していた。
最近、その父のメールアドレスから
大量の長文メールが来るようになった。
5〜6通に分けて送られてくる長文メールを
僕は開いていない。
メール受信時に冒頭1行くらいは
どうしても表示されてしまうが、
そこ以外は中身を見ずに削除している。
目に入ってしまう冒頭部分だけを見ると、
家族の誰と何をしているという近況報告や
自身の不安感を露にするようなコメントが並んでいる。
その中の何通かの冒頭に、
「連絡をください」と書いてあったりなかったりするが、
僕の正直な気持ちを一言で表すと、
「もうこれ以上傷つけないでほしい」
離婚した直後、目の前で泣く息子に向かって
「またそうやって取り乱す」と言い放ったこと。
→「「またそうやって取り乱す。」」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/235/0
精神的に限界を迎え、仕事に行きたくないと
発狂し転げまわる僕に対し、僕を助けるどころか
「男とは全てを犠牲にして働くものだ」と持論を振りかざし、
耳を塞いで叫ぶ僕をさらに追い詰めたこと。
→「父の「学費返せ」発言の真相は。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/136/0
連絡をしたり、のこのこと会いに行ったりすれば
また傷つけられる、あの地獄が再現される。
関われば関わるだけ心に傷が増えるなら、
もういっそ関わりたくない気持ちが強い。
今回、中身は読んでいないが、
大量のメールが送られてくるのは、
僕の気持ちを知りたくて、僕のことを心配しているから
ではないことをわかっている。
その長文の中に例え「収入や生活はどうですか」
という記述があったとしても、
それは自分の不安感を書きなぐるのと共に、
音沙汰の一切ない僕に構ってほしい気持ちからであって、
彼の中に僕がいないことを知っているから。
→「それは愛情ではなく不安感。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/218/0
僕の家に訪ねて来た時も、
自閉症スペクトラム(ASD)の特性もあるだろうが
周りをはばからずひらすら自分の不安と不満を
大声でしゃべり続けるような人。
人は簡単には変わらない。
もし今、連絡を取ったり会いに行ったとしても、
僕の話を聞いてくれる可能性は限りなくゼロに近い。
長い自己主張の演説がまた繰り返されると思うと
余命云々を含めても構いたいと思えなくなってしまった。
歪んだ見方と言われるかも知れないけど、
それが今の僕の本音。
連絡をくださいと言われて連絡した結果、
いつも追加で傷ついてきた経験が
僕のメール返信を妨げている。
※本の中では母親の心理として書かれているが、
父の行動の裏側を的確に表した一節を紹介したい。↓
子どもの時はただひたすら威圧的で、
男とは、亭主とはこうあるべきだと大声で主張し、
常にいらいらしていて恐怖の対象だった父が、
今こんなふうに「構ってほしい」アピールを
何通もの長文メールにして送ってくる。
僕の中で「怖い」一色、仁王のようなだった父が
ただの寂しがり屋で弱い1人の人間にみるみる変わっていく。
それと同時に、僕の中に恐怖として住み着く父の影が
急速に小さくなっていく。
一時期は長いことメールアドレス自体を削除したり、
受信を拒否していたが、今回は一応それはしないでおこうと思う。
父から何通ものメールがもっと頻繁に来るようになり、
苦痛から心身に支障が出るようならまた考える。
ただ、僕に向けられていない内容のメールが大量に来るたび、
僕の心の中での父の存在がどんどん小さくなるのを実感する。
それは僕にとって、まだ恐怖に支配され、
恐れの対象として見ている親から解放される道のりなので、
メールの処遇についてはもう少し様子を見ようと思う。
もし、亡くなったという知らせを受けた時、
僕は「構いたくない」と思ったことに対して
罪悪感を抱くんだろうか。後悔するんだろうか。
後悔も葛藤もするだろう。
僕の反応が”彼らのニーズを満たす行動”と一致しないことで
「親不孝」「薄情」などと罵られるかも知れない。
そんな、考えても仕方ないような憶測を
とりあえず書き残して終わることにする。
余命1年以内と宣告されている
父のメールアドレスは残していた。
最近、その父のメールアドレスから
大量の長文メールが来るようになった。
5〜6通に分けて送られてくる長文メールを
僕は開いていない。
メール受信時に冒頭1行くらいは
どうしても表示されてしまうが、
そこ以外は中身を見ずに削除している。
目に入ってしまう冒頭部分だけを見ると、
家族の誰と何をしているという近況報告や
自身の不安感を露にするようなコメントが並んでいる。
その中の何通かの冒頭に、
「連絡をください」と書いてあったりなかったりするが、
僕の正直な気持ちを一言で表すと、
「もうこれ以上傷つけないでほしい」
離婚した直後、目の前で泣く息子に向かって
「またそうやって取り乱す」と言い放ったこと。
→「「またそうやって取り乱す。」」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/235/0
精神的に限界を迎え、仕事に行きたくないと
発狂し転げまわる僕に対し、僕を助けるどころか
「男とは全てを犠牲にして働くものだ」と持論を振りかざし、
耳を塞いで叫ぶ僕をさらに追い詰めたこと。
→「父の「学費返せ」発言の真相は。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/136/0
連絡をしたり、のこのこと会いに行ったりすれば
また傷つけられる、あの地獄が再現される。
関われば関わるだけ心に傷が増えるなら、
もういっそ関わりたくない気持ちが強い。
今回、中身は読んでいないが、
大量のメールが送られてくるのは、
僕の気持ちを知りたくて、僕のことを心配しているから
ではないことをわかっている。
その長文の中に例え「収入や生活はどうですか」
という記述があったとしても、
それは自分の不安感を書きなぐるのと共に、
音沙汰の一切ない僕に構ってほしい気持ちからであって、
彼の中に僕がいないことを知っているから。
→「それは愛情ではなく不安感。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/218/0
僕の家に訪ねて来た時も、
自閉症スペクトラム(ASD)の特性もあるだろうが
周りをはばからずひらすら自分の不安と不満を
大声でしゃべり続けるような人。
人は簡単には変わらない。
もし今、連絡を取ったり会いに行ったとしても、
僕の話を聞いてくれる可能性は限りなくゼロに近い。
長い自己主張の演説がまた繰り返されると思うと
余命云々を含めても構いたいと思えなくなってしまった。
歪んだ見方と言われるかも知れないけど、
それが今の僕の本音。
連絡をくださいと言われて連絡した結果、
いつも追加で傷ついてきた経験が
僕のメール返信を妨げている。
※本の中では母親の心理として書かれているが、
父の行動の裏側を的確に表した一節を紹介したい。↓
母親がなぜ長文メールをせっせと送ってくるかというと、
娘とつねにつながっていたいからです。
娘がメールを読んでくれている間は、
母親のことを思い出してもらえる。
娘がせっせと返信すれば、
満足を得てさらにメールを送るようになるでしょう。
『長女が“母の呪縛”から自由になる方法』 より
子どもの時はただひたすら威圧的で、
男とは、亭主とはこうあるべきだと大声で主張し、
常にいらいらしていて恐怖の対象だった父が、
今こんなふうに「構ってほしい」アピールを
何通もの長文メールにして送ってくる。
僕の中で「怖い」一色、仁王のようなだった父が
ただの寂しがり屋で弱い1人の人間にみるみる変わっていく。
それと同時に、僕の中に恐怖として住み着く父の影が
急速に小さくなっていく。
一時期は長いことメールアドレス自体を削除したり、
受信を拒否していたが、今回は一応それはしないでおこうと思う。
父から何通ものメールがもっと頻繁に来るようになり、
苦痛から心身に支障が出るようならまた考える。
ただ、僕に向けられていない内容のメールが大量に来るたび、
僕の心の中での父の存在がどんどん小さくなるのを実感する。
それは僕にとって、まだ恐怖に支配され、
恐れの対象として見ている親から解放される道のりなので、
メールの処遇についてはもう少し様子を見ようと思う。
もし、亡くなったという知らせを受けた時、
僕は「構いたくない」と思ったことに対して
罪悪感を抱くんだろうか。後悔するんだろうか。
後悔も葛藤もするだろう。
僕の反応が”彼らのニーズを満たす行動”と一致しないことで
「親不孝」「薄情」などと罵られるかも知れない。
そんな、考えても仕方ないような憶測を
とりあえず書き残して終わることにする。
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