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2019年08月12日

唯一の、家族旅行の記憶。

僕が小学3年の時、
当時の担任に机を隔離されるなど、
最も学校が苦しい場所だった時期の年末。

父から
「年末年始はディズニーランドに2回行く旅行をしよう」
という提案が飛び出した。

いつになく機嫌が良かったことはホッとしたが、
この機嫌の良さは続かない、何か裏があるのではと
気が気でなく、そわそわする自分もいた。



いわゆる「家族サービス」というものだろうか。

父は勤務先の高校で女子バスケ部の監督をしており、
土日は練習や試合で不在、夏休みも合宿や遠征で不在。

稀に食事に連れて行ってくれたものの、
旅行などの提案はこれまでなかった。

僕自身も多忙な父を見ながら、
貴重な休日を奪いたくないと気を遣っていた。



クラスで聞こえてくる家族旅行の話は
2種類の羨ましさで遠くから聞いていた。

1つ目は家族旅行に行けること、
そしてもう1つは家族の仲が良いこと。

お父さんと、お母さんと”楽しく”一緒にいられるのかな、
機嫌が悪い中で誰もが無言、怒りの原因の推測に必死になり、
心をすり減らすことなく一緒にいられていいな、と。

だから、いざ家族旅行に行けるとなったのに、
僕はどういう心構えと振る舞いをすればいいんだろうと
未体験の不安が大きかった気がする。



メンバーは両親、僕、妹、弟、そして
僕が大学生の時に亡くなった父方の祖母。

僕をかわいがってくれていた祖母と一緒にいれたのは
当時から両親と会話がほとんどなかった僕にとって
大きな救いだった。

さらに、これに首都圏に住む従姉妹家族も加わったので、
親との沈黙に耐えられない状況は免れ、
旅行期間中、気まずい思い出はさほどなかった。



初めてのディズニーランドは年末年始らしからぬ人の少なさで、
並びはしたが数時間単位とはならなかった。

入園後は各自、数人単位でバラけての別行動だったので、
ここでも両親と共に行動する必要がなかったことは救いだった。

人が多くてかなり並ぶことは事前に聞いていたため、
行動を共にしたら待ち時間の長さでイライラされるかと
実は憂鬱だったりした。

ほとんど別行動が取れたことと、
幸い大きな感情の爆発やイライラへの遭遇がなかったことで、
楽しかった以上に、胸をなでおろす自分がいた。



こうやって当時の僕の心境を文章にしてみると、
当時9歳の子どもがどうしてこんな深読みばかりを
重ねていたんだろうと不思議に思える。

初めての旅行を素直に喜べばいいし、
思い切りはしゃいだり楽しめばいいはずなのに、

「何か裏があるのでは」「今日は機嫌がよさそうだ」
などと親の顔色を伺ってばかりいた僕は今考えても
”子どもらしい子ども”の思考ではなかった。


どんなにコントロールばかりする親でも、たいていは、
時には子供をいたわったり、優しくなったり、
子供が喜ぶ顔を見たいと思う瞬間はあるものです。

子供を苦しめてばかりいる親でも、
自分の苦しみを止めたいのと同じように、
子供の苦しみも止めたいと思っているのかも知れません。

おそらく彼らは、どうやってそれをしたらよいのかが
わからないのでしょう。


『不幸にする親』第五章 より

「仕事ばかりで家庭を顧みない」ほどではないが、
きっと父は仕事と部活ばかりで家族を構っていないことで、
何かしたくて頑張ってくれたんだと思う。

普段から親の顔色と空気感を伺い、深読みばかりして
過ごしていた僕が、その好意を素直に受け止められず、
いつになくご機嫌な父に困惑してしまったのは否めない。

普段の振る舞いらしからぬ提案をしてくれた父と、
普段から素直に楽しめず警戒心いっぱいだった僕。

「日頃の行い」という一言で片付けられるほど、
単純じゃない気持ちが交錯した7日間。

それでも、はしゃぐことはできなかったが
初めてのディズニーランドは、きっと楽しかった。


posted by 理琉(ワタル) at 12:36 | TrackBack(0) | 家族

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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