2019年08月10日
否定ばかりする人は”証明”を求めている。
友人
「見てこの指、内出血して真っ青。
こうなったことある?」
僕「痛そうですね…半年前にやって
骨折かも知れないから一週間安静でした。」
友人
「いやいや骨は絶対大丈夫なんだ、内出血かな。」
僕
「そうですね。念のため靭帯や腱損傷がないか、
整形外科行ってみてもいいかも知れませんね。」
友人
「いやいや靭帯も大丈夫、整形外科もいいんだ。内出血だし。」
僕
「そ、そうですか…。
じゃあ湿布で冷やしてもいいかも知れませんね。」
友人
「いや湿布もいいんだ、指動くから」
僕
「……(全部否定するなら聞かないでよ…。)」
相手の言うことをことごとく否定する人は
少なからずいる。
その時は正直、
こちらが不快なモヤモヤした気持ちにさせられるが、
彼らがなぜ否定ばかりするのか考えてみると、
一歩引いた立場で見ることができる。
話しかけた時点で、彼らの会話のゴールは決まっている。
自分のことを認めてほしい気持ち、
それから自分の言うことが正しいと
他人を使って証明したい気持ち。
言い方が悪いかも知れないが、この2つを達成するために、
話しかけ易くて怒らなさそうな人を”使う”。
彼は自分が怪我をし、どれだけ痛い思いをしているか、
どれだけ大変なのか聞いてほしく、認めてほしい。
だから、質問形式でスタートしてはいるものの、
労いや同調、共感の言葉以外は最初から求めておらず、
相手の返事の内容にも恐らく興味はない。
質問形式でスタートしたのは、相手からの返事を
確実に引き出し、自分の第二波に繋げる可能性を
高めるための技術という見方もできる。
怪我の深刻さは本人だけがわかる。
自分が「内出血」と判断したことは正しいので、
もし整形外科で靭帯や骨に損傷があると診断されたら、
そもそも提案通りに整形外科に行ってしまったら、
自分の考えが正しくなかったと証明されてしまう。
自分が判断して決めたこと以外の意見を受け入れると
自分の正しさが脅かされる。
こいつなら自分のことを否定しない、
こいつなら自分に逆らわないだろうと思っている人の意見が
正しかったらどうしよう、耐えられないと不安感に襲われる。
そうなると自分が話しかけた目的が達成できないので、
共感や労いの言葉以外は否定し、相手が間違っていることにする。
結局、彼らは他人を使わないと
自分の正しさを証明できず、また自信もない。
自分に自信がないから、先に相手を否定して
「自分の方が上なんだ、自分の方が正しいんだ」と
主張しなければならないほど、実は不安を抱えている。
こう考えると、自分の心を守る有効な方法は
他人であれば距離を置くことと、
「ただ聞くだけに留める」ことと思えてくる。
下手に気を遣って、何か有効な情報を提案すると
壁に向かって話しかけることになり、自分の心が消耗する。
冒頭で迂闊にもいくつか提案をしてしまった僕のように。
彼らは「聞いて、すごい自分を労ってほしい」だけだから、
できるだけ心をすり減らさないように対応できればと思う。
「自分はすごいんだ、大変なんだ、労って」と
一方的な会話にせよ、自ら人に切り込めるところは
うらやましいとも思う。
僕はこれまでのところ、彼らの受け入れ先のような役回りで
自分から積極的に切り込むことがあまりできていないから。
「自分を守る」というのは、人の攻撃からだけでなく、
「我慢して自分を痛めつける自分」からも守ることだと実感する。
「見てこの指、内出血して真っ青。
こうなったことある?」
僕「痛そうですね…半年前にやって
骨折かも知れないから一週間安静でした。」
友人
「いやいや骨は絶対大丈夫なんだ、内出血かな。」
僕
「そうですね。念のため靭帯や腱損傷がないか、
整形外科行ってみてもいいかも知れませんね。」
友人
「いやいや靭帯も大丈夫、整形外科もいいんだ。内出血だし。」
僕
「そ、そうですか…。
じゃあ湿布で冷やしてもいいかも知れませんね。」
友人
「いや湿布もいいんだ、指動くから」
僕
「……(全部否定するなら聞かないでよ…。)」
相手の言うことをことごとく否定する人は
少なからずいる。
その時は正直、
こちらが不快なモヤモヤした気持ちにさせられるが、
彼らがなぜ否定ばかりするのか考えてみると、
一歩引いた立場で見ることができる。
話しかけた時点で、彼らの会話のゴールは決まっている。
自分のことを認めてほしい気持ち、
それから自分の言うことが正しいと
他人を使って証明したい気持ち。
言い方が悪いかも知れないが、この2つを達成するために、
話しかけ易くて怒らなさそうな人を”使う”。
彼は自分が怪我をし、どれだけ痛い思いをしているか、
どれだけ大変なのか聞いてほしく、認めてほしい。
だから、質問形式でスタートしてはいるものの、
労いや同調、共感の言葉以外は最初から求めておらず、
相手の返事の内容にも恐らく興味はない。
質問形式でスタートしたのは、相手からの返事を
確実に引き出し、自分の第二波に繋げる可能性を
高めるための技術という見方もできる。
怪我の深刻さは本人だけがわかる。
自分が「内出血」と判断したことは正しいので、
もし整形外科で靭帯や骨に損傷があると診断されたら、
そもそも提案通りに整形外科に行ってしまったら、
自分の考えが正しくなかったと証明されてしまう。
自分が判断して決めたこと以外の意見を受け入れると
自分の正しさが脅かされる。
こいつなら自分のことを否定しない、
こいつなら自分に逆らわないだろうと思っている人の意見が
正しかったらどうしよう、耐えられないと不安感に襲われる。
そうなると自分が話しかけた目的が達成できないので、
共感や労いの言葉以外は否定し、相手が間違っていることにする。
結局、彼らは他人を使わないと
自分の正しさを証明できず、また自信もない。
自分に自信がないから、先に相手を否定して
「自分の方が上なんだ、自分の方が正しいんだ」と
主張しなければならないほど、実は不安を抱えている。
”恐れる心と自己防衛”
人間の行動の、非情に興味深いことのひとつに、
「弱みがあると、それと正反対の行動をして補正しようとする」
というものがあります。
たとえば、自信がなくてひけ目を感じている人が、
ことさら格好をつけて実際の自分より大きく見せようとしたり、
感情が激しく上下する人が無理して
あたかも平然としているようにふるまうなどがそうです。
人から拒否されるのを恐れて、自分のほうから
先に相手を拒否するのも同じです。
『不幸にする親』第五章 より
こう考えると、自分の心を守る有効な方法は
他人であれば距離を置くことと、
「ただ聞くだけに留める」ことと思えてくる。
下手に気を遣って、何か有効な情報を提案すると
壁に向かって話しかけることになり、自分の心が消耗する。
冒頭で迂闊にもいくつか提案をしてしまった僕のように。
彼らは「聞いて、すごい自分を労ってほしい」だけだから、
できるだけ心をすり減らさないように対応できればと思う。
「自分はすごいんだ、大変なんだ、労って」と
一方的な会話にせよ、自ら人に切り込めるところは
うらやましいとも思う。
僕はこれまでのところ、彼らの受け入れ先のような役回りで
自分から積極的に切り込むことがあまりできていないから。
「自分を守る」というのは、人の攻撃からだけでなく、
「我慢して自分を痛めつける自分」からも守ることだと実感する。
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