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2020年01月04日

里帰り、そば打ち。

僕が高校生くらいまで、
祖母は頻繁にそばを打っていたが、
最近では年越し用に年1回だけ打つそうだ。

今回は久しぶりに、
祖母がそばを打つところを見られた。



そば粉を練り上げる。
つなぎ類は入れない。

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練り上げたそば粉を麺棒で十分に延ばす。

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麺棒で広げた生地を畳み上げ、
麺切り包丁で細切りに。

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切った麺を箱にしまい、
数時間〜数日寝かせて完成。

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年越しそばを自分で打つ家なので、
外に食べに行ったり出前を取ったりする文化を
僕はあまり知らないで育った。

年末年始に帰省しない場合、
母が市販の乾麺を使って作っていた。

たまにTVのある場所へ行って、
「そば屋さんは大忙し」特集を見たり、
年越しそばを食べに来ているお客さんの
インタビューを聞いたりすると、

あぁ、年越しそばを食べに行くって発想も
あるんだなと不思議な感じがした。

自分でそばを打つのは
どこでもやってるわけじゃないと知ったのは
中学生になる前後だった。



太くて不揃いの手作りそばを
食べられる贅沢を噛みしめながら、
年越し、年明けを迎えた。
タグ: 生きる
posted by 理琉(ワタル) at 17:18 | TrackBack(0) | 家族

2020年01月03日

里帰り、『紅い牙』柴田昌弘氏の世界にひたる。

叔父と叔母が
「帰っといで」と言ってくれて、
ただいま母方祖父母の家に里帰り中。

夏に祖父の四十九日で来て以来。

小さい頃から今に至るまで、
ここへ里帰りすると必ず
帰り際に泣いてしまう。

→「帰り際の涙。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/271/0



それはそうと、帰るたび
とても楽しみにしていることがある。

それは叔父叔母が学生時代に愛読していた
70〜80年代の漫画を読みふけること。

僕は子どもの頃、実家でも漫画はたくさん読んだが、
どちらかというと自分が生まれる前の漫画を
ここで読みふけって育った。



特に好きなのが、柴田昌弘氏の作品。

20191230_210949.jpg

少女漫画の雑誌で連載されたが、
どちらかというとSFに近い。

20191231_161525.jpg

『紅い牙』シリーズと、

ここには全巻はないが
『ラブシンクロイド』が一番好き。

20191231_162052.jpg



柴田昌弘氏の作品は、僕にとって
一度読んだだけでは世界観の理解が難しい、
設定がよくわからないまま終わるというのが
第一印象だった。

だけど何度も読み返して
世界観や設定が頭に入ってくると、
どんどん面白さが湧き出てくる。

そんな深すぎる、かつ話の規模が大きい
壮大な世界にじっくり浸れるところが好き。

後味の悪いラストやバッドエンドも多く、
人生や生き方、在り方など
いろいろ考えさせられるところも好き。



昨今はこういう深い作品よりも
日常を描いた、深く考えず軽く触れられるものが
人気が高いと聞いたことがある。

僕はそういうストーリーも好きだけど、
この前読んだ『風の谷のナウシカ』原作みたいに
じっくり考えて深く入り込める漫画の方が好ましい。

小さい頃から、こういう深く壮大な物語に
日常的に触れていたのが下地としてあったから、
ナウシカ原作にこれだけはまったのかもしれない。

「『風の谷のナウシカ』原作、残酷描写にいちいち心痛める。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/401/0



「好きな漫画」の話になった時、
僕は周りと話が合わなくなることを恐れ、
ずっと『紅い牙』『ラブシンクロイド』と
答えられずに過ごしてきた。

自分が生まれる前の作品、
カテゴリ的には少女漫画に分類、
だからなかなか「好きな漫画」と言えなかった。

書店やブックオフに行っても、
新しいものではないのでお目にかかれない。

でも、例えばネットショップなどで
手に入れるのは逆にもったない気もする。

里帰りして、この家で
少し色あせた初版本を読めることを
最高の楽しみにとっておきたいから。
タグ: 生きる

2020年01月02日

足腰が鍛えられた、カラオケ店アルバイト。

音楽活動とフリーターをしていた時、
3ヵ月ほどで終わってしまったけど
カラオケ店でアルバイトをしたことがある。

深夜帯を希望しながら、人員の関係で
朝シフトになったのはきつかったけど、

店舗の間取りが少し特殊だったこともあり、
この仕事をしている期間中は特に足腰が鍛えられた。



7階建てのビルがまるごと店舗、
1階がフロント、2〜6階が客室。

7階が厨房と事務室。

朝(早番)スタッフの主な仕事は
受付もやるけど、主に部屋の清掃と給仕。

早番は人数が少ないので、
1人1人の仕事量が多いのは大変だけど、

一番大変だったのは、この7階建てのビルを
ほぼ階段だけで昇り降りする必要があったこと。



スタッフ用の裏口エレベーターはあるけど、
使っていいのは主に1階フロントに急遽人員がほしい時。

それ以外は基本的に
階段を駆け抜けてくださいとのこと。

平日の午前中はお客さんが少ないから
まだよかったが、

開店前の全部屋の清掃が間に合わない時や、
朝から予想外に混んで部屋の清掃が追い付かない時は

悠長に歩いているヒマはなかった。



階段は一段飛ばしで駆け抜けるのが基本スキル。

何年も勤務しているベテランフリーターさんは
「スポーツはやっていない」と言いながら
力強く滑らかな足さばきを見せてくれた。

僕はバスケをずっとやってきて、
普段から何らかのトレーニングをしていても、

8時間の大半を階段の駆け抜けで過ごすのは
かなりきつかった。

勤務して最初の1週間くらいは
夕方になると足腰がガクガク震え、
これが今の自分の現状と思い知らされた。



そんな、天然トレーニングの毎日も
不思議なもので2週目くらいには慣れてしまった。

むしろ「鍛えられる」と喜んで
階段を駆け抜けるようになっていた。

人間の環境適応能力はすごい。

我が事ながら、”朱に交われば赤くなる”を
地で行くアジャストメントだった。



当時は抗うつ薬と睡眠薬の副作用で
強烈な眠気に悩まされていた。

これにより朝起きれず遅刻が増えたことで
残念ながら3ヵ月で退職してしまった。

それでも、この強化合宿のような勤務期間で
かなり足腰が鍛えられた。

7フロアあるカラオケ店は
もしかしたら少し特殊かも知れないが、

フロント受付に入らなければ
基本的に動き回って清掃をしている裏方業務は
すごく楽しかった。



辞め方が後味の悪いものになったのが
自分の中で申し訳ないけど、

鍛えられたこと、
カラオケ店の裏側を体験できたことには
とても感謝している。




posted by 理琉(ワタル) at 15:30 | TrackBack(0) | 働き方

2020年01月01日

友達と信頼は一生の財産。

社会人バスケの練習は
市内の小中学校の体育館で行っている。

会場は毎月の抽選作業で確保するので、
練習場所は基本的に毎回違う。

僕は近場なら自転車、遠方なら地下鉄、
駅から距離があればバスに乗り継いで通っている。



練習後、仲間の誰かが声をかけてくれる。

「乗って行かない?」と。

いつも、嬉しくて泣きそうになる。



先日、やはり練習帰りに声をかけてくれて、
乗せてもらった時、

どうしてこんなに
好意をしてくれるのか尋ねてみた。

すると、

「人柄がよくて好感が持てる人が困ってたら声かけたくなる。
嫌いな人だったら乗ってくかなんて聞かないよ。
何事も、その人が積み上げた関係性が大事。」

と言ってくれた。

感動して泣きそうになったけど、
そこは密かにこらえた。



僕はこんなに素晴らしい友達に恵まれている。

そして、素晴らしい人たちと
良好な関係性を作ることができてる。

そのことが嬉しくて誇らしくて、
どんな形で恩返しができるかを
いつも考えている。

もらってばっかりじゃないか、
僕は自分を信頼してくれる友達に
何を返せるんだろう、

そういうことに考えを巡らす。



かつて車を持っていたころ、
人を乗せて運転する側になったことがある。

そのころ、特に冬道は
どれだけ神経をすり減らすか、一応わかっている。

誰かを乗せる時の感覚は人によるだろうけど、
少し回り道をしたり、帰宅が遅れたり、
好意の裏にいろんな苦労が発生している。

それを承知の上で、
僕に声をかけてくれていることを
決して忘れずにいたい。

人格者や、立派な人を目指すわけじゃないけど、

この人を助けたい、信頼できると
思ってもらえるような人間でありたい。

今後、友達が困っている時には
迷いなく助けられる人間でありたい。


posted by 理琉(ワタル) at 15:26 | TrackBack(0) | 生き方

2019年12月31日

飲み会でくるくる働かないことを目標に。

今年は1度も飲み会に出席しなかった。

何度か忘年会に誘われたけど、
いずれもバスケと被ってしまい、
悩んだ末にバスケに行った。

やっぱり僕はバスケが1番好きなんだな。



アルコールの味が苦手で
飲み会に誘われる以外ではお酒は飲まない。

今年、唯一お酒を飲んだのは5月、
自分と親の確執に決着をつけるために
地元へ旅行した日の夜。

自分の問題と向き合いに
ここまでやって来た記念(?)として、
度数3パーセントの缶チューハイで1人乾杯した。

→「泣かないと決めてたのに。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/179/0



本当はみんなでワイワイしたい。

けど、いざみんなで食事や飲み会に行くと、
どうしても隅っこで微笑む係になってしまう。

あとは空いたグラスやお皿を片付けたり、
飲み物がなくなっていないか観察したりと、
身の回りのお世話に奔走してしまう。

本当はメインで話してる人たちに混じりたいけど、
1人で裏方仕事をくるくるとこなす自分がいる。



こういう、黙って裏方仕事を黙々とこなすところは
祖母と母に似ている。

祖母は姑であった曾祖母に長らく仕え、
僕が物心ついた頃にはすでに
笑顔で黙々と家事や畑仕事をする人。

→「姑と、嫁だった祖母の我慢。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/272/0

そんな祖母の我慢を見て育ったであろう母も、
夫を慎ましく立て、文句や愚痴を言わず
黙々と家事をこなす人。

→「時が止まった家。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/329/0

周りに役立ちそうな仕事を見つけて
くるくる働くことで存在を認められたい、
そんなマインドを僕も見事に受け継いでいる。



今年はバスケと被って行けなかったけど、
飲み会に誘われることは嬉しい。

面白いことを言ったり、場を盛り上げたりは
なかなか難しいけど、

そういうスキル関係なしに
誘ってもらえるのはすごく嬉しくて光栄。

「自分が役立つなら行っていい」だなんて、
誰も考えてないのにね。

そこに居ていい条件を
長年突きつけられて育ったマインドは
こういうところに残っている。



来年の小さな目標の1つは、
誘われた飲み会にありがたく出席すること。

そして、せっかく行ったなら
周りの世話や気遣いばかりせずに
もっと楽しむこと。

くるくる働きたい衝動を
うまくコントロールして、
仲間との時間を純粋に楽しむことを目指す。


posted by 理琉(ワタル) at 03:19 | TrackBack(0) | 生き方

2019年12月30日

凍瘡(とうそう)、回復。

足指の凍瘡(とうそう)=しもやけを放置し、
痛くて眠れなくなるほど悪化させてから
10日あまりが経過した。

このたび、めでたく凍瘡がほぼ治り、
歩くたびに患部に擦れて痛かった日々に
さよならすることができた。

※しもやけの痛みで眠れなかったエピソード。
 「凍瘡(とうそう)。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/392/0



整形外科から処方された
血行をよくする塗り薬を毎晩つける。

血が通うように足指をよく動かし、
毎晩マッサージとストレッチ。

そして何より、家ではケチらず
ちゃんとストーブをつけてあたためる。

これらを地道に繰り返した結果、
少し赤みの面積が減っていき、
傷もだんだんかさぶたになり、
痛みを気にせず歩けるまでに回復した。



靴が指先に触れないように
変な感じで足を引きずりながら歩かなくていい。

一歩ごとに指先が痛むことがない。

当たり前だと思っていた、この快適さ。

当たり前じゃなくなって初めて、
痛い目を見て初めて本当の貴重さに気づいた。



ONE PIECE には”病気”のことを
「ハッピー」と呼ぶ医師・Dr.くれはが登場する。

それは、病気やケガをして初めて、
健康な自分がハッピーだったことに
気づけるからだ、と言っている。

僕はまさに彼女の言葉通り、
今回しもやけをこじらせて初めて
普通に歩けるありがたみに気づいた。

〈Q〉
Dr.くれはの会話の中で
「ハッピー?」って子供に聞いてましたよね。

あれどういう意味ですか?
なぜ"病気"と書いて「ハッピー」とよませるのでしょう?

〈A〉
病気になると、病気じゃない時の
ハッピーを知ることが出来るからだと、
彼女は言っていました。


『ONE PIECE(巻16)』SBS(質問コーナー) より



傷や水ぶくれになった部分は癒えたが、
まだ赤みは少し残る。

そしてこれから、
1年で最も寒い1月2月を迎える。

少しでも油断して、
足指が冷えたままにしておくと、
おそらく簡単に再発するだろう。

痛みで眠れなかった日の苦しさと、
快適に眠れていた時のハッピーを忘れず、

冷えやすい指先は今後もしっかりケアし
寒い季節を乗り切りたい。


タグ:生きる 貧困
posted by 理琉(ワタル) at 01:38 | TrackBack(0) | 生き方

2019年12月29日

居酒屋の年末年始、18時出勤、朝9時退勤。

6〜7年前の今時期、
僕は深夜の居酒屋ホールのアルバイトをしていた。

1年目はホール / キッチンの区別がなく、
洗い物も自分たちでする焼き鳥屋、

2年目は異動し、ホールとキッチンが明確に分かれ
深夜のホールをワンオペでこなすスタンダードな店。



2年連続、クリスマスと年明けは店で過ごしたが、
どちらも年末年始の飲み会ラッシュで
少なくとも12連勤以上はしていた。

完全な昼夜逆転生活もそうだけど、
特に1年目の焼き鳥屋に在籍した時の
年末年始はすさまじく大変だった。

※禁止されているゲームセンターでの業務両替を
 店長に無茶振りされたのもこの焼き鳥屋だった。

→「両替逃亡劇〜前編〜。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/295/0

→「両替逃亡劇〜後編〜。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/296/0

ちょうど24日、25日が土日に重なったのもあり、
連勤を終え1月5日の休みを迎える頃には廃人になっていた。



朝4時半ラストオーダー、5時閉店。
5時になっても店内は半分近く埋まっている。

朝5時半、ようやくお店が空になると、
70席くらいある店内のテーブルにはお皿の山。

当然、キッチンに下げたお皿も片付けられず、
洗っていない食器が山積み。

テーブル上のお皿を今下げてきても、
バックヤードに置くスペースがないので放置。



朝3時くらいには店長と僕の2人になっており、
店長はレジ締めなど閉店作業に取り掛かる。

僕はというと、
店にある食器が出尽くしたかのような光景を
1人で洗って片付ける作業を前に、一旦茫然とする。



まずはバックヤードの山積みを
洗って片付けるのに1時間。

食器を下げてくるスペースが確保できたら
全テーブルの食器を下げて席をセットするのに1時間。

客席の片付けが終わり、下げてきた食器を
すべて洗って片付けるのに1時間。

ここまでで朝8時くらいになっていた。

食器の片付けがすべて終わったら、
そこから本来の閉店作業に取り掛かって30分。

朝9時〜9時半。空は完全に明けていた。

9時を過ぎても終わりが見えない時は、店長が
「今日は締め作業はここまででいいよ、
どうせ明日も片付けに追われるから」と
無理やり帰らせてくれたこともあった。



普段は23時〜5時のシフトだが、
繁忙期で18時〜19時に出勤していた。

なので、朝9時くらいまでかかると
勤務時間がすごいことになった。

へろへろになりながらお店を出ると、
さわやかな真冬の朝日が差し込む。

開いてるのか閉じてるか、
もはやわからない両目に強烈な光が入り、
まぶしいを通り越して痛かった。

吹雪にでもなってくれた方がマシとさえ思った。



そんな大変だった焼き鳥屋は1年で異動、
キッチンがちゃんといる店に行った年は
さすがに朝9時までかかることはなかった。

朝7時くらいで帰れていたから、
異動してよかったと思っていたが、

これも今考えると感覚が完全に麻痺している。

業界大手の企業が展開するチェーン店で、
年末年始とはいえこんな勤務実態がバレていたら
世間から袋叩きにされたかも知れない。



思い返せばむちゃくちゃな働き方のおかげで、
アルバイトとしては破格のお給金をもらった。

今となってはこうして笑って書ける話だけど、
もし今、ヘルプで来てくれと言われたら
さすがにもうこりごり。

2年目に在籍した店はもう潰れてしまったが、
初年度の焼き鳥屋はまだ残っている。

→「働いていた店が潰れると、なんだかんだ寂しい。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/294/0

あの店では今も、閉店したものの
全席ぐちゃぐちゃ、バックヤード山積みの光景が
再現されているんだろうか。





posted by 理琉(ワタル) at 02:21 | TrackBack(0) | 働き方

2019年12月28日

生活保護、廃止の見通し。

不本意ながらも、
親から受け取れる資産が見つかったことで、
生活保護の廃止が見えてきた。

返還してもらう金額の計算が完了次第、
1月上旬をめどに保護廃止を予定していると
担当のケースワーカーから連絡があった。



返還するのは11月、12月の2回分と、
その間にかかった病院の費用。

※生活保護の受給中、医療費は
 国が10割負担するため保険証を返還する。

精神科と、歯科に一度かかったので、
その分は返さなければならない。



先日の直接対決の時、
「実はまだ、別途で渡せる通帳がある」と
父がわざわざ区役所で暴露してくれたので、

次にもし困窮しても生活保護が使えないという
少し不利な状況。

→「子どもの逃げ道を塞ぐ”生活保護封じ”。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/393/0

就職したとはいえ障害者雇用枠、
給料は高くなく、質素な生活は続く。



不安になってもおかしくない状況ながら、
今はなぜか楽観的でいられる。

あんな親と接触するなんて絶対嫌だと
ずっと思っていたが、

親のことを決定的に諦められたからか、
万が一の時は文句言えばいいや、ぐらいに思っている。

言い方は悪いかも知れないが、

地獄演説は自分しか見えていない愚行、
実の子に拒絶されてるのにまだ変わらないなんて
憐れな人たちだ、そんな心境。

一生そうやって、人のせいにして生きる人たちに
真剣に傷ついてきた自分がバカみたい。



まだ廃止が正式に決まっていないが、
生活保護を受ける上でのデメリットや
マイナスな体験をほとんどしなかったのは
恵まれていたと思う。

受ける前も、受けた後も、変わらず、
目の前のことに精一杯ぶつかる日々。

僕の場合、受給が決まってからの動きが激し過ぎて、
それどころじゃなかったのかも知れない。



何にしても、廃止が正式に決まったら、
願わくばもう生活保護に頼ることのない人生にしたい。

決して嫌だったからではなく、
親問題を乗り越えた先、本当の自分の人生は
自分で道を作っていきたいから。

ただ、もし本当にどうにもならなくなって、
また行政の助けを借りることになった時は、
変な意地を張らずに保護課に駆け込みたい。

この先は、どうにもならなくなることも含めて
本当の自分の人生だから。
posted by 理琉(ワタル) at 00:42 | TrackBack(0) | 人生観

2019年12月27日

400記事目。

僕の人生の軌跡を書き続けて、
これが400記事目となる。

3月に100記事目、
6月に200記事目、
9月に300記事目と、

自分らしく
コツコツ地道に積み上げてきたかなと思う。

→「100記事目。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/102/0

→「200記事目。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/202/0

→「300記事目。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/302/0



最近ではGoogleやYahoo、Twitterなどから
キーワード検索で見にきてくれることが
少しずつ増えてきて、

自分のブログが成長していることを
嬉しく思う。



今年はとにかく予想外な事件だらけだったけど、
中でも300記事目から今日までの100日間は
特にエキサイティングだった。

大きく分けると生活保護、親との対決、
そして突然の就職。

この間、僕は記事で何度も
「平穏がほしい」と書き続けてきたのに、
まったく反対の大波だらけだった。

あまりに急展開が多いから、
最期の方は平穏な日々がほしいとは
敢えて言わなくなり、

悟りの境地に達したように
「激動上等」と言い出す始末。

追われれば逃げるのは人だけじゃないと悟った。



そんな濃密な100日間を乗り越え、
心の平穏を望むことを止め始めた昨今、

新しい就職先での実務に慣れ、
逆にようやく落ち着きつつある。

心乱れる最大の障壁である親に対して
決定的な諦めを感じられたからこそ、
多少のことは問題にしなくなったかも知れない。

人を諦めることはすごく辛い選択だったけど、
自分の成長という面では結果的によかったのかな。

※「延長戦決着、戦利品は”諦め”。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/389/0



なんにせよ、一通りの事件が起こり終わったからか、
今は「これからどうしよう」という不安があまりない。

目の前の瞬間を楽しもうとしている感覚。

こうやって余裕が出てきたフリをしていると、
年末年始にでも大きな事件が発生しそうだ。

せっかく悟りを1つ開いたので、
400記事記念に一言、強がっておく。

「だいたい何が起きても親問題よりずっとマシ。」


posted by 理琉(ワタル) at 01:46 | TrackBack(0) | 人生観

2019年12月26日

『風の谷のナウシカ 原作』 〜理不尽に訪れる死、あっけなく終わる生〜。

『風の谷のナウシカ 原作』

全7巻を10日間かけて読了。

映画版の清々しいラストシーンとはかけ離れた、
死の恐怖と、人間の醜さであふれる世界。



こんなに気軽に、理不尽に命が奪われる世界で、
一体どう思えばいい?

こんなに愚かで醜い人間は、生とどう向き合えばいい?


生きるとは何か。
命とは、人間とは何かを考えさせてくれる。


ー目次ー
  1. 命はあまりにも気軽に、あっけなく奪われる
  2. 死者たち1人1人の人生を、想像して止まらない
  3. コマに描かれない多くの死に、どう思えばいいんだろう
  4. どんな思いで死に、どんな思いで生きればいいんだろう
  5. 醜さ、愚かさの闇がある、だからこそ命は輝く

1.命はあまりにも気軽に、あっけなく奪われる

土鬼(ドルク)の国土へ侵攻するトルメキア軍。
攻め落とした街の住民を大量に殺す。

土鬼(ドルク)軍は腐海の菌を生物兵器として利用し、
国土も住民もおかまいなしに殺す。



両軍の兵士たちがゴミのように消し飛ぶ。
多くの人命を乗せた飛行船が簡単に落ちる。

まるで、
「軽く一杯、飲みに行こうぜ!」くらいの勢いで、
「ちょっと殺しとくか」と言わんばかりに。




戦争、蟲、腐海の毒。
大きすぎる力の前では、命はあまりに軽々しい。


2.死者たち1人1人の人生を、想像して止まらない

読了に10日もかかった理由。

それは、
1コマに描かれた死者たち1人1人の人生を、
想像して止まらなかったから。



蟲に襲われ、野ざらしで倒れている兵士。
腐海の毒で全滅した村のシェルターに横たわる住民。

どんな人生を歩み、どんな家族と過ごし、
どんな友人と語り合ったんだろう。

どんな理由で兵士を志し、
何を心の拠りどころにし、
大切な誰を守ろうと生きてきたんだろう。




なのに、
こんなにあっけなく終わってしまうんだ。

3.コマに描かれない多くの死に、どう思えばいいんだろう

ページのコマに描かれたのは、いわば採用された場面。
描写に採用されないところで、おそらく数百倍の人が死んでいる。



戦場となった土鬼(ドルク)では、
腐海に怯えながらも村が栄え、人の暮らしがある。

ある日突然、異国の軍隊が襲ってくる。
ある日突然、来るはずのない方向から腐海の毒が襲ってくる。

一部の権力者のせいで理不尽に死ぬことになり、
わけもわからず苦しむ住民。

描かれない多くの死に、僕は一体どう思えばいんだろう。
「悲しみ」なんて言葉では表せない。


4.どんな思いで死に、どんな思いで生きればいいんだろう

どんな思いで死んでいったんだろう。

そして、
あまりにも多くの死を目の当たりにしながら、
生き残った者は何を思えばいいんだろう。




すべてが終わった後。

「どんなに苦しくとも、生きねば」とつぶやいた裏には、
道半ばで死んだ者たちへの、どんな思いがあったんだろう。




いずれ滅びるかも知れない運命の中、
「遅かれ早かれだ」と投げやりになる日をどう迎えるんだろう。




きっと、苦しみながらもすべて乗り越え、
それでも生きていくんだろう。

5.醜さ、愚かさの闇がある、だからこそ命は輝く

人間の欲望、愚かさは、多くの命を軽々しく奪う。

そんな人間の醜さをすべて受け入れた上で、
ナウシカたちはそれでも生きることを選ぶ。




人間は、命は、きれいなだけじゃない。
希望の光だけが命じゃない。

醜さ、愚かさがもたらす闇を持つからこそ、
命はその中で光る。




こんなに深い作品に出逢えて、本当によかった。



『風の谷のナウシカ』 〜生とは、死とは何かを問う、壮大なストーリー〜

posted by 理琉(ワタル) at 00:17 | TrackBack(0) | 生き方
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理琉(ワタル)
自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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