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2019年12月15日

祖母から父へ、受け継がれた「地獄演説」。

僕が大学生の時に亡くなった、父方の祖母は
孫の僕に対してはいつもあたたかく接してくれた。

一方で、幼いながらも印象的なシーンは、
祖母が母に対して長時間、一方的に
しゃべり倒している姿だった。

祖母の家に行くと毎回のように見られ、
当時は言葉を知らなかったが、いわゆる
「マシンガントーク」というやつだ。



どんな話をしていたかまでは
あまり憶えていないが、

姑として、嫁をいびり倒しているというよりは、
内容の薄い話を、思いつくままに
繰り返し話しているようだった。

母は今も昔も
自分の意見も愚痴も一切言わない人。

そんな気質も手伝ってか、
まるで相槌を打つだけの地蔵のように
祖母のマシンガントークをひたすら受け止めていた。

祖母のことは大好きだけど、
今考えると毎回あれをやられる母は
相当キツかったと思う。



祖父に先立たれ、長い一人暮らしの寂しさから、
たまに人が来た時につい話してしまうのかと思っていた。

もちろん、それもあるだろう。

ただ、理由はどうあれ、内容の薄い演説を
だらだらくどくど話す祖母の姿は、

つい昨日も僕に地獄演説を見舞って去った父と
まったく同じだと気づかされる。

※区役所でも、第三者がいようとも
 父はブレることなく「地獄演説」で僕を壊した。
→「延長戦決着、戦利品は”諦め”。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/389/0



内容が薄いとはいえ、
「我が子を心配している」と匂わす発言や、
子どものことを思っているかのような言葉が
ところどころに出てくる。

これによって
「自分のことを考えてくれてるのかな」と
騙されてしまう。

一方で演説の6割くらいは
自分の不安感や心配事の吐露なので、
聞かされるこっちまで不安になるし、

こんなに不安がる親を頼ってはいけない、
負担をかけられないと思わされる。

チクリと挟む嫌味や文句も痛いが、もっと痛いのは
長時間に渡って不安を伝染させられること。

子どもの支配、コントロール方法として、
怒鳴って抑えつけるのとどちらが強力だろうか。



おそらく父も子どもの頃、
昨日僕が見舞われたように祖母から長々と
内容の薄い演説を聞かされて育ったんだろう。

祖母の長話を父がどう受け止めていたかは
想像に留まる。

昨日の僕のように辟易していたかも知れないし、

「親というのは子どもにこういう風に接するものだ」と
親子関係のロールモデルを学んだかも知れない。

いずれにしても、
祖母のくどいマシンガントークを継承した父は、
見事な世代間連鎖を成立させたことになる。

”過去を理想化し、子供時代に味わっていた
苦しみを否定すればするほど、
無意識のうちに同じ苦しみを
次の世代に与えてしまう可能性が増す。”

「母の過去を知って、少しは自分が
被害者だという気持ちが薄らいだ。

母は突然私を虐げるようになったわけではない。
彼女自身、子供の時には母親に虐げられていたし、
その母親も、そのまた母親も、みんな同じだったのだ。」


『不幸にする親』第五章 より


父は僕が取り乱しても泣き崩れても、
まるで意に介さずにしゃべり続ける人だが、

祖母も同じように、父が壊れても
しゃべり倒していたかどうかはわからない。

1つ言えるのは、子どもを壊す荒技「地獄演説」を
父は断ち切るどころか濃縮して受け継いでいて、
その悪しき習慣は何としても僕で止めるということ。



僕は今のところ、何があろうと子どもはほしくないので、
血筋的に断ち切れるのは嬉しく思っている。

なので、残る課題は地獄演説を浴び続けた僕が、
同じことを他人にしないよう気をつけること。

僕は止めどなくしゃべるのは苦手とはいえ、
無意識に親にされたのと同じことをするのが
世代間連鎖の構造。

だから僕は、彼らを反面教師にして気づき、
断ち切ってみせる。

親の気持ちばかりをサンドバッグのように浴びせられ、
子どもの気持ちに興味を持たれない悲しみは
もう誰にも味わってほしくないから。


posted by 理琉(ワタル) at 03:07 | TrackBack(0) | 家族

2019年12月14日

延長戦決着、戦利品は”諦め”。

※長文注意

生活保護の申請が通り、
やっと心穏やかな日々を手に入れた矢先、

僕の知らない口座を親が持っていることが発覚し、
親と会わなければいけなくなった問題。

会わなければ、連絡を取らなければ、
ただそれだけで心乱れ、鼓動が倍に跳ね上がり、
心身に異変をきたした1ヵ月。

→「罪悪感との延長戦。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/383/0

相談室と、保護課の担当ケースワーカーに
援軍として同席してもらい、本日決着を迎えた。



父は僕が小さい頃から中学生までは
口数少なめで怒鳴って抑えつけるスタイル。

高校生から現在までは、
責めるように説き伏せるようにくどくどと、
何時間も同じ話を繰り返すスタイル。

僕の成長に合わせるかのように、
一方的な2種類のコントロールスキルを駆使、

中でも長時間じわじわと傷ついていく強烈な長話に
僕は「地獄の演説」という技名をつけた。



父はとにかく、どんな状況でも
自分が言いたいことをすべて言い切る。

それが何時間になろうと、
僕が「もう止めてくれ」と耳を塞ぎ、
苦しみに転げ回っていてもまったく気にしない。

周りの人がどうなっているのか、
長引いたり、同じ話を繰り返したりで
閉口されていないか、などとは考えない。

ちょうど1年前、離婚と失業が重なり
泣き崩れた僕の前でもお構いなしにしゃべり続けた。

→「「またそうやって取り乱す。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/235/0

数年前には、結婚式直前にいきなり訪れ、
「結婚についてのアドバイス」と銘打ったはずが、

僕がどれだけ自分の理想から外れているかを
パートナーに延々と愚痴り続けた。

→「父の「学費返せ」発言の真相は。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/136/0



自宅へ招き入れ、1人で闘ったら二の舞になる。
それを警戒し、今回は2人の味方がいる。

しかも場所は区役所。
中立国での無観客試合に等しい。

「非難する気はない」と言ってきても、
多少の地獄演説の被害は覚悟していたが、

これだけ迎撃戦力を整えられた中、
今回こそはそこまで暴れないだろう。
十分、抑止できる。

などと高を括っていた自分は簡単に裏切られた。



通帳は渡された。

が、この後1時間、
ノンストップ地獄演説が炸裂。

場所のセッティング、援軍、
まるで何もなかったかのようにしゃべり倒され、

最後の数十分は1年前と同じく、
僕が耳を塞ぎ、半泣きでうずくまっても
お構いなしに続けられた。



「それはお前が小さい頃から苦労して貯めた
いずれ渡すつもりだったが一気に遣わないか心配だった

頭は大丈夫だがコミュニケーションに問題がある

実はさらに別銀行の口座もあり、
いずれ渡すつもりなので、
お前は今後数年、生活保護を再申請できない

が、それも一気に遣わないか心配なので
後見人か代理人に管理してほしいが幾らかかるのか

生きている確認がたまにできればそれでいいが、
なるべく連絡を取りたくない姿勢なのが残念だ」



僕の動悸が極限に達し、目の前がかすみ、
耳を塞いでうずくまるまでに聞こえた内容は
おおよそこの通り。

これを1時間、何度もくどくどと
一方的に説き伏せ続けた。

相談室の担当、区役所のケースワーカー、
2人とも絶句していた。



僕が最初にうずくまりかけたタイミングで、
ヒートアップする父を母が二度、静止した。

「その話は本人がもっと落ち着いてから…」

しかし父は「いや、今言い切る」と静止を意に介さず、
予定通りヒートアップ。

途中、今回の話とは関係ない
「貧困の世代間連鎖とは」に脱線していたようだった。



いつも通り、その場の発言権を独占した父は
ひたすら自分の心配な気持ちを吐露し続けた。

ずいぶん心を病んできたが、生きていればいい、
などという発言もあり、ハッとする場面もあったが、

”僕の気持ちを知りたい”旨の発言は一度もなかった。
とてもショックだった。

何十万も何百万も、派手に散財したことなどないのに、
繰り返し「一気に遣わないか…」と疑われたことが
とてもショックだった。



父以外ではごく限られた発言機会で、
母は相談室の担当に幾つか質問をしていた。

「相談室とはいつ頃つながったのか」
「お金を管理してもらう後見人には幾ら払えばいいのか」

細かい質疑応答を幾つかしていたようだが、
その中に”僕の気持ち”に関する問い掛けは1つもなかった。
とてもショックだった。

2人とも、お金と仕事と生活の心配ばかりするが、
僕が何を思い、なぜ親を避け、何に苦しんでいるかを
一度も心配しなかった。とてもショックだった。



一見、僕のことを心配しているようでいて、
実は自分たちの不安をぶつけているだけだと
見破ってしまった。

だから終始、僕の気持ちを聞かない、
知ろうとしない。

僕はどんなことにでも
「絶対無理」と言わないようにしているが、

今日ばかりはどうしても言わざるを得ない。

この親に、
僕の気持ちをわかってもらうのは無理なんだ。

この親は、僕が何を考えていて
どんなことで悩み苦しんでいるかに興味がないんだ。

自分たちの気持ちの吐露ばかり優先で、
僕の気持ちを知ろうとしないんだ。

地球を取り巻く大気圏よりも分厚い壁が
テーブル1つ隔てた先にはっきり見えた。



耳を塞ぎ、マフラーで目を覆い、
もう何も聞きたくない、見たくないと
崩れ落ちた背中をポンポンと叩かれた。

その手の主は担当のケースワーカーだった。
両親はすでに退席していた。

「大丈夫ですか?」

そう声をかけられた。

繰り返すがここは区役所の生活保護課、
一般の人も職員も大勢出入りしている場所。



公衆の面前で人一人をこれだけ取り乱させておきながら、
まるで目の前に誰もいないかのように
自分の言いたいことだけを言い倒す。

これが自分の親のすること?

生まれてから20年近く、この親と同居していたの?
そりゃおかしくなるでしょ?

そんな愕然とした思いで頭がいっぱいになった。

この後、就労移行支援に戻り、
残りの仕事をこなしながら
今回の話をいろいろと聞いてもらった。

このことで、どれだけ救われただろう。



親は決して変わらない。

それを認めるのはアダルトチルドレンにとって
すごく辛いこと。

頭ではわかってる。
テストの答えとしてなら幾らでも書ける。

ただ、どんなに割り切ろうとしても、
1パーセントの「もしかしたら…」という期待を
捨てきれないのが親という存在。

だから余計に子どもは苦しむ。

今回、僕が深い心の傷と
引き換えに得た戦利品は親への”諦め”。

どうしても消せない親への期待を、
「もしかしたら…」を
真に捨てさせてくれるほどの。


posted by 理琉(ワタル) at 02:20 | TrackBack(0) | 家族

2019年12月13日

食べて生き延びて、見える明日。

先月、叔母からもらった
カレーの具材の数々。

激動の1ヵ月を過ごす中で
なかなか料理する気になれなかったが、
直近の休日を利用してカレーを作成した。

→「カレーの具材の贈り物。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/368/0



カレールウ1箱、
ジャガイモ5個、
ニンジン2本、
玉ねぎ2個。

具だくさん野菜カレーを
4日間かけて美味しくいただいた。



僕は料理に関しては横着なので、
まとまった時間がある時に
野菜をまとめて切って保存する。

今回は、
贈られてきたジャガイモ9個をすべて切り、
半分は次回の出番のために冷凍庫へ。

鮮度的にはあまりよくないかも知れないが、
今はこれで勘弁してもらおう。



叔母のおかげで、こうやって4日間
生き延びたことになる。

その4日間で何が見えたんだろう。



未知の通帳問題を巡り、
父とショートメールをやり取りする中で、

最初は「非難する気はない」と書いてきたが
だんだんとボロが出てきている。

嫌味な発言や、「お前が悪い」言い回しが
ところどころに増えてきて、
それについてはもちろん嫌。

だけど、
我が子にこれだけ警戒されているこの期に及んでも
「お前のせい」「してやっている」姿勢を崩さない父に
哀れみも感じている。



一方、カレーで生き延びている間に、
「今は別にいい」と思っていた就職が決定。

強く求めるものは逃げ、
追わないものがパッと手に入るという、
世の中の巡り合わせの不思議を思い知った。

→「唐突に、就職決定。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/386/0

人間は数日食べなくても死なないとはいえ、
少なくとも健康に生きれた4日間で
これだけ多くのものが見えた。



誇りに死ぬも構わねえが
食って生き延びれば
見える明日もあるんじゃねえのか

サンジ


『ONE PIECE (アニメ版)』21話 より

食うことは…生きる事じゃ!!!

ジンベエ


『ONE PIECE』60巻 591話 より

僕は生きる意味がほしい。

自分が存在していい証拠がほしい。

自分の親に無条件に愛されなかったことを悲しみ、
家族という集団の中に自分の居場所がないことに苦しみ、

だったら生きるのは別に自分じゃなくてもいいのでは?
もっと生きたがっている人と命を交換すればいいのでは?と
何度も考えてきた。

きっとそれは僕だけじゃないと思う。
多くの人が考えてる。



そんな冷めた、明日を強く望んでいない僕が、
カレーを食べて生かしてもらった時間で、
これだけの明日を見ることができた。

カレーで生き延びたというと大げさかも知れない。

だけど今は、まるで生きる意味を求めるなど
小さなことと言うかのように、

2人の言葉が胸に強く突き刺さる。


posted by 理琉(ワタル) at 23:09 | TrackBack(0) | 家族

2019年12月12日

裏目に出た「俺の希望通りに接して来い」政策。


「お父さんがああやって
怒鳴ったり厳しくしたりするのは
何度跳ね返されても向かってきてほしいからなのよ。」

「泣かされても反対されても、
立ち向かって強くなってほしいから厳しくするのよ。」

僕が小学性の頃から、
怒鳴られる言い訳のように聞かされて
納得いかなかった言葉。



なるほど、あなたたちの希望はわかった。

でもこれは、裏を返せば
「俺の希望通りに接しろ、それ以外は認めない」
と言っているのと同じこと。

これはあくまで父の、親側の子どもに対する要求、
子どもにしてほしいことであって、

子ども側の希望、どう接してほしいかという要求は
完全に無視されている。



第一子で長男の僕はとことん反発し、
接すること自体を諦め無言無反応。

第二子で長女の妹は
父の希望通り毎晩怒鳴り合い、泣かされ、
それでも喧嘩し続けた。



奇しくも、父が要求した通りの接し方をした妹。

その理由はもちろん本人しかわからないが、

「接し方指定」された父への対処が下手で
仲が悪くなっていく兄を横で見て、
こうすれば上手く渡れるんだと学んだ可能性はある。

あるいは、
怒りや反発心を抑えて抱え込む兄と違い、
妹は親だろうと言い返すくらい勝ち気で、
真っ向勝負する性格なのかも知れない。



いずれにしても、真っ向から反発することも、
父への上手い接し方を学んで上手く渡っていくことも、
どちらも父の思い通りにコントロールされた結果。

「こう接して来い」という親の意向に逆らうか、
やむを得ず順応したかだけの違いで、

そうするしか自分の心を守れなかったから、
生き残る道がなかったから仕方なくやったという、
受動的に生まれた対応方法。



親は子どもにしてほしいことを指定できて、
子どもが親にしてほしいことは無視される。

妹は希望通り毎晩ぶつかっていって、
打たれ強くたくましくなったかも知れないし、

希望通りに接してきた娘に
親本人も満足していることだろう。

そして希望通りにぶつかって来ない息子は
思い通りに動かない上に反発ばかりするから、

後に「居候」発言が飛び出すような
「家族帝国」メンバー外のような扱いになる。

ただそれは、親に言わせれば
「お前が言うことを聞かないからだ」と
悪者扱いを正当化する理由がある。

結局は親の心の問題で
ベンチ入りしたり外されたりするようなもの。
”常に自分の都合が優先する親”

「常に自分の都合が優先する親」は、すべてを
「自分が何を得ることができるか」によって
見る傾向があります。

どのため、子供のニーズと自分のニーズが衝突すると、
子供は「厄介者」「問題を起こす者」、
または「脅威」と映るのです。

そして子供は、注目されたり認められたり
周囲をコントロールしたいという
親の渇望を満たすために使われてしまいます。


『不幸にする親』第二章 より


自分への接し方を指定し、子どもにばかり求め、
なのに子どもの願いは封殺するなんて、
子どもへの依存もいいところだ。

職場や知人関係のように
対等であることが予めわかっている間柄では、
おそらくこんなことはしないんだろう。

明らかに自分たちより力や立場が下(と思い込んでいる)の
子どもだったら、思い通りにする権利があると、
自分の依存心を変換し正当化しているように見える。

「王子、王女様扱いしろ」と言っているのと
本質的に変わりはない。



「敢えて厳しくするから意図を汲め」

そんな親本意のわかりにくい要求と、
その意図を汲みたくなかった結果が僕だ。

怒鳴られたり厳しくされて、
これは強くなってほしいからなんだと
気づく子どもがどれだけいるだろう。

気づいたとしても、
意図を汲んでその通りに動く子どもが
その中の何割いるだろう。

従うばかりでなく、逆らう可能性は
考えていなかったんだろうか。

しかも長男に対しては明らかに逆効果と
彼らも気づいていたはずなのに、
なぜスタンスを変えなかったんだろうか。

自分たちは親で、上の立場だから変える必要はない、
息子が喧嘩を吹っ掛けてきて毎晩言い合いになるまで
変えないというスタンスだったんだろうか。

とっくの昔に、長男に諦められていることに
彼らは気づかなかったんだろうか。



少なくとも僕の育った家庭では、
家族間の深い溝と不要な確執を生んだという点で、

「俺の希望通りに接して来い」政策は
完全に裏目に出たと言わざるを得ない。


posted by 理琉(ワタル) at 00:50 | TrackBack(0) | 家族

2019年12月11日

唐突に、就職決定。

世の中とは不思議なもの。

必死になって求めているものは
なかなか手に入らなかったり、

今はどうでもいいとさえ思っているものが
ぱっと手に入ったりする。



結論から言うと、就職が決まった。

つい先日、いきなりの求人紹介と
いきなりの面接受験の話を書いたところに、
あっさりと。

→「唐突に、明日面接。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/382/0



生活保護を巡る親問題で
心が乱れまくっていた僕は、

今は就職や面接どころじゃない、
悪く言えば、どうでもいいような気持ちで受けた。

初めてのTV面接に動揺し、
何を答えたかさっぱり覚えていないような
ぼろぼろの30分間を過ごしてきたし、

次の日も面接を受けたことすら忘れるように
淡々と仕事をこなしていた。



新たな就職先は物流会社の新部門、
仕事内容は営業に渡すためのリスト作成や
企業Webサイトの更新などがメイン。

障害者枠ではあるけど、
新しい企業の障害者雇用一期生なので、
お互いに手探り状態、らしい。

近々、勉強してみたいと思っていた
Wordpressにたくさん触れられるみたいなので、
タイミング的には願ったり叶ったり。



今回の採用枠は1人。

同じ就労移行支援に通う
もう1人のメンバーと一緒に受けた結果、
僕が採用された。

ということは必然的に、
もう1人は落ちたということ。

同じ場所に通っていると
これが露骨にわかってしまう。

入社時期はまだ決まっていないけど、
就労移行支援を卒業するまでの間、
この事実をどう抱えて顔を合わせればいいか
少し考えている。



また、僕は今回の突然の求人紹介まで、
ハローワークに行ったり求人を探したり、
面接練習をしたりは一切しなかった。

就職活動をまったくしていなかったと言っても
大げさではないくらい。

10月に企業実習に行ったものの、
実質的に大して動きもしていない僕に
パッと面接の話が来て、パッと決まってしまった。

懸命に就職活動をしている人にとっては、
複雑な気持ちにさせてしまうかも知れない。

その点も少し気になる。



何にせよ、結論は冒頭と同じ。

世の中の巡り合わせ、運、縁、タイミングは
本当に不思議。

必死に求めるものはなかなか手に入らず、
今は別にいいや、くらいに思っているものが
パッと手に入る。

こんなに不思議だと、
僕は「平穏な日々」を必死に求めているから
逆に激動の波ばかりが連続で来るのかと思ってしまう。

去る者は追わずと心得て、
激動上等くらいの余裕を持っていた方が、
もしかしたら獲得に近づくのかも知れない。




posted by 理琉(ワタル) at 14:55 | TrackBack(0) | 働き方

2019年12月10日

適度に、”人に頼る力”。

激動の1ヵ月を過ごすことになった
一番大きな問題、未知の口座発覚事件。

→「罪悪感との延長戦。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/383/0

僕はずっと、一人で闘うことばかり考えていたが、
思い切って、相談室の担当さんへ相談してみた。



あの親の待ち構える
ピラニアの池に飛び込む覚悟ができず、
悶々としたまま仕事する日々。

こんな、完全なる身内のごたごた、
極めてパーソナルな問題を相談することに
すごく申し訳なさを抱えていた。



しかし、ダメ元で相談したのに、
意外な答えが返ってきた。

「理琉が長年苦しんできた、問題の核となるのは
生活でも就職でもなく、親の問題。

それについて、一人で立ち向かうことに
大きな負担があるのならそこは気にせず
相談してください。」

「来週のどこかで、区役所の担当と自分が同席して
親と話し合いの場を設けましょう。」



というわけで、なんと同席してもらえることに。

なんてこと。

こんなに手厚くサポートしてくれるなんて。

なんだか大ごとになってしまったが、
予想もしていなかった2人の援軍をもらい、

ピラニアの池に一人で飛び込み
余計に傷ついて終わる可能性はぐんと低くなった。



僕は人を頼るのが下手だ。

誰にも相談せずに一人で抱えて、

どうしようもなくなったり
限界を超えて爆発して、
初めて周りが気づく。

だけど、おかしくなるまで
誰にも相談していないから、

周りからしたら、どうしていきなり爆発したり
様子がおかしくなったのかがさっぱりわからない。

だからこれまで、心身に不調をきたし、
いろんなパフォーマンスが落ちた時、

周りに状況を伝えていないせいで
「お前に責任がある」と見られたり
誤解されてきたんじゃないだろうか。



僕は人に頼っていい部分と、
自分でなんとかすべき部分の境界線を引くのが下手。

何かを人にお願いすることも下手。

自分でなんとかしようとする。

やむを得ず、人にお願いすることになっても、

それは自分でやれる範疇だったんじゃないか、
こんなことで人の手を煩わせて申し訳ない、
そんな思いが最初に出てきてしまう。



もっと人を頼っていいと言われても、
適切な頼り方をあまり学んでいないから、

自分ひとりでできる範囲を明らかに超え、
手遅れに近づいてから初めて打ち明け、
実際に手遅れになることが多い。

決して、「何が何でも一人でなんとかしてやる」と
意地になっているつもりはないのに、
気づいた時にはもうガス欠。

自分の問題は自分で何とかする、
と言えば聞こえはいいが、

そこには僕が大嫌いなはずの
精神論、根性論がかなり含まれている。

なんという矛盾。



自分の中だけではきっと、
相談室の担当さんとケースワーカーさんに
援軍同席してもらうという方法は思いつかなかった。

というか、
家族と悪い関係した作れなかったのは自分の問題なのに、
それに助け船を出してもらうなんて…と
恐れ多いような感情を持っていた。

障害者福祉に携わってる人たちはすごいなと、
改めて思った。



今回のように、僕には自分の体力、精神力で
やれる範囲とあふれる範囲を見極める力が必要。

そうしないとどんどん苦しくなるし、
周りもどう対応したらいいかわからなくて、
自他ともにマイナスになってしまう。

罪悪感、後ろめたさ、申し訳なさとうまく付き合って、
頼るべきは頼る。

一人で闘えないと判断したら、
適切な形で助けを求める。

この大きな山場を乗り越えた先には、
適度に人に頼る力を育てる自分がいる。


posted by 理琉(ワタル) at 00:34 | TrackBack(0) | 生き方

2019年12月09日

立ち食いそばで涙。

なんだかすっかりシリーズ化している
たまにごちそうを食べて号泣する話。

今日は、いわゆる給料日を迎えたので、
しばらく行っていなかった、お気に入りの立ち食いそば屋へ。

→「お寿司で泣いた。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/177/0

→「半年ぶりのマックで涙。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/327/0



就労移行支援での工賃支給日。

11月は朝からフルタイムで通えたのと、
庶務などの事務業務を多くこなしたおかげか、
けっこうな額が入っていた。

1万円札が複数入っているのを確認した時、
僕がこんなにお金をもらっていいんだろうか、
誰かの金額と間違えたのではないだろうかと、
スタッフさんへ2回ほど質問してしまった。

なんにせよ、お疲れさま会ということで、
地下鉄駅と地下街の接続部分にある
お気に入りの立ち食いそば屋へ。



330円のかけそばを大盛りにして390円。

一食に300円もかけることと、
券売機の前に立っていることで、
すでに後ろめたくなっている自分。

こんな贅沢していいんだろうかと、
お金を入れる手に躊躇がにじみ出る。

のれんをくぐっていいんだろうか、
外食なんてしていいんだろうか、
そんな迷いが歩幅に表れている。



この店はゆでそばではなくて、
たぶん乾麺を使っている。

ゆでそば特有の柔らかみがなく、
新鮮(?)なそばを安く食べられるので、
何年も前からたまに通っていた店。

椅子はなく、満席でも10名くらい。

お茶や水はセルフ。

あたたかい器を持ち上げながら、
一口目をすすった瞬間に涙。

「おそば…おいしいなぁ…。」



目の前には壁。すぐ横にキッチン。

見られたかも知れない。

お寿司の時、マックの時と同じように、
慌てて何事もなかったフリを取り繕う。



就労移行支援にしては
けっこうな工賃をもらったとはいえ、

5万に届かないどころか、
1ヵ月分の家賃にも足りない金額。

しかも今、生活保護が停止になるかどうかで
親とごたごたしている最中。

保護停止になったら、このお金は
区役所に返さないといけない可能性があるので、
お金をもらっても嬉しくない昨今。

→「余計な一言で…涙が怒りに変わる。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/380/0

罪悪感との延長戦。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/383/0



ほとんど消し飛んだはずの、
稼いだ金額への執着やありがたみ。

なのに、自分で稼いだお金で
たまにこうやって好きなものを食べる時、
込み上げるものが抑えられなかった。



「うわー…激動の1ヵ月だね…。」と
病院の先生も驚くような、エキサイティングで
予想外の出来事だらけだった先月。

自分の中の空き容量が急速に減っていく感覚から、
溢れ出して叫び倒したこともあった。

→「「心の平穏」は贅沢な要求なのか。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/366/0

だけど、この1ヵ月、
思い返せば泣いていない。

それまでは、ことあるごとに泣き崩れてきたというのに。

一杯のかけそばで、防波堤だった涙腺が決壊。

自分なりに耐えて、抑えてきた感情が
一気にあふれ出したのかも知れない。

よく耐えてきたね、って。



マックで泣いた時も書いたけど、
人によっては「立ち食いそばで?」と思うかも知れない。

マックと同じように、所持金の数字面では
週1回来ても問題はない。

金額面よりも、外で食べること自体を
自分自身に許可していない、
貧乏性によるところが大きい。

だから、お店に入るということは
僕にとって少し勇気のいること。

そこで食べるものには
「これで最後かも」という一期一会のような気持ちと、
「また来れた」という感謝が一層強くなる。



僕は社会人になって以来ずっと、
日本の年収分布グラフの中では最貧困層の一人。

常にギリギリで苦しかったし、
稼ぐ能力のない自分を責めたことは数知れず。

だけど、手に入るものが少ないからこそ、
僕は少しの特別も、小さな幸せも見逃さず、
大げさなくらい感謝できるようになったと思っている。

そんな自分のマインドを貧乏性と呼ぶのだとしても、
たまに食べる立ち食いそばで泣ける人間であることを
誇りに思っている。



「おそば…おいしかったなぁ。また行きたいなぁ。」
posted by 理琉(ワタル) at 22:56 | TrackBack(0) | 生き方

2019年12月08日

罪悪感との延長戦。

僕が知らない口座を
実家が持っているかもしれない件、

親が直接訪問した区役所から連絡があり、
「通帳が見つかった、渡したい」と
言っていることを告げられた。



恐れていた答えだった。

けっこうな金額のお金が入ることが
これほど嬉しくないなんて初めてだ。



通帳を受け取ったら、
今のところ2回受給している保護費を
その貯金の中から返還し、

残ったお金で
半年以上生活できると判断されれば
生活保護は一旦廃止となる

それは制度上、仕方ない。



ただ、区役所で父は
自身の命がもうあまり長くないことも
担当さんに話していたそうだ。

生活保護のルール上、財産が見つかった場合は
受け取れるなら受け取らなければならない。

だから僕は親がこういう意思表示をした以上、
受け取る必要があるわけだけど、

問題はそんな状況の人にもらうお金で
生きながらえることに、後味の悪さと
罪悪感を感じていること。



お金に人格があるかないか、
お金にきれい、汚いがあるかどうかは
世界中で議論されている。

お金自体に意思や人格がないとしても、
お金を出したり渡した人の状況次第では、
罪悪感も一緒に受け取ることになる。

その気になれば僕に渡さず
治療費や自分たちの生活費に
充てられたかも知れないお金を
受け取り拒否できないという罪悪感を。

「自分は長くないけど、お前にこれを託す」
それを愛情と呼ぶ人がいるのだとしたら、

愛情よりも罪悪感を強く感じている自分は
歪んでいるんだろうかという自責まで
新規作成されてくる。
”病気または年老いた親の場合”

親が年老いていたり、病気で体が弱っていたり、
障害があったりする場合、子供はなかなか
”対決”には踏み切れないことだろう。

親に対する嫌悪感に哀れみや
可哀相だと思う気持ちが混ざり合い、
身動きがとれなくなってしまうからだ。

そのような親に対するいたわりは
人間としての義務ではないか、
という気持ちが自体を複雑にする。


『毒になる親』第十三章 より


誰が図ったわけではなく、誰のせいでもないけど、
この状況を作り上げた神とやらがいるなら
あなたは残酷だ。

命を盾に取られたら、言える文句も言えない。

究極の口封じじゃないか。

渡さないという選択もできたはずのお金を
僕は受け取って生きるという十字架を背負うことになる。



「少しぐらいの嫌味や
いつもの説教演説なんか我慢して
1回ぐらい会えば終わりじゃないか」

そう割り切れるならこんなに苦しんでいない。

親に会ったり連絡がくるだけで
体調に異変が生じる人の話をたまに聞くけど、
僕はそれと同じ状態にある。

関係が悪いことでもっともダメージが大きい相手が親、

なのに、もっとも関係が悪くなりたくなかった相手と
悪い関係しか作れなかった自分には、
嫌悪感と罪悪感を簡単に向けてしまう。

家族、親子関係の特別さに
嫌気がさした回数は数えきれない。



これは僕の闘い。

心穏やかな日々を勝ち取るための闘い。

後味の悪いお金を受け取って生きる
罪悪感との闘い。

生活保護でようやくその闘いが、
試合が終わったかと思ったら、
延長戦にもつれ込んだようなもの。

そう、これは延長戦。

次々に起きる、心乱される出来事に、
そうやって無理やりにでも、折り合いをつける。

今にも崩れ、押し潰されそうな心を
なんとか踏みとどまらせるために。


posted by 理琉(ワタル) at 00:37 | TrackBack(0) | 家族

2019年12月07日

唐突に、明日面接。

「ピッタリな求人があるんです。
今日中に履歴書をデータで送ってもらって、
あさってTV面接ですけどどうですか?」

というわけで明日、
唐突に面接を受けることになった。



10月に一週間、実習に行った企業の
別部門の新規立ち上げのため、

PC操作がある程度できて
事務や庶務業務の経験者を探しているとのことだった。



6月から就労移行支援に通い始めて半年。

夏から担当している庶務業務などの
事務経験をたくさん積めて充実している最近、

このまま就労移行支援に在籍し、
事務スキルを磨きながら年越しすると思っていた。

そんな矢先の、急展開。
まさに青天の霹靂。



急すぎる面接の流れとなったが、
僕は今、まったく緊張していない。

落ちたら今と同じように、
引き続き就労移行支援で事務経験を積めばいいと、
良い意味で合否への関心が薄い。

唐突すぎて緊張する間もないというよりも、
今の僕にとって就職するかどうかの問題が
すごく小さく感じている。

それよりも今は、生活保護がどうなるか、
親と会わなければならないことの方が
遥かにプレッシャーが大きい。

→「余計な一言で…涙が怒りに変わる。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/380/0



今日は面接の前日ということで、
職場では一応、聞かれるであろう質問や
アピールポイントについての話し合いはしてきた。

面接練習らしいことは何一つせず、
PCを用いたTV電話面接のロールプレイングもせず、
本当にぶっつけ本番。

人生の大きめの曲がり角に直面したのに、
生活保護や親の問題に比べたら軽いと思っている自分。

「選考」に臨む際に、前向きな意味で
適当な気持ちになっているのは今回が初めてだ。



こんなことを言っていても、実際に落ちたり、
もう1人受けるメンバーの方が受かったりしたら、
多少は悔しがったり、無力感を感じるんだろう。

とはいえ、親や生活保護の問題で
いっぱいいっぱいなタイミングでの転機到来、

そんな時に
緊張のかけらも抱かずに済んでいることは、
ある意味ありがたい。

「親問題に比べたら」
そう言って大抵のプレッシャーを
跳ねのけられるような、

強心臓を体感するチャンスと見ている。




posted by 理琉(ワタル) at 00:50 | TrackBack(0) | 働き方

2019年12月06日

どうして親は子どもの気持ちを知ろうとしないの?

僕には子どもがいないから、親の目線は未経験。

そんな僕でも、自分の親の言動を思い返したり、
うまくいっていない親子の話を聞くたびに
質問したくて仕方ないことがある。

それが、

どうして親は、子どもがどう思っているかを知ろうとしないの?

という質問。


ー目次ー
  1. どう思っているかを一度も聞かれたことがない
  2. 結婚、離婚、改名。何をしてもモノを与えてくるだけ
  3. "親の義務感で生かしてるだけなの?"という疑念が積もる
  4. 怒られてでも、子どものいる人にしてみたい質問
  5. 見つからない"子のエゴ"の終着点

1.どう思っているかを一度も聞かれたことがない


僕の親は暴力や育児放棄をしたわけではなく、
学校や家や食べ物は与えてもらった。

離れてからも、疎遠になる前は食糧をもらったり、
仕事、稼ぎがあるかを気にかけてきた。

「稼いで、食べて、命を維持する」という
物質的、機能的なことは満たしてもらった。



だけど、モノをくれても、僕の親は
一度たりとも「僕がどう思っているか」を聞いてこない。

どうして?

その人に興味があれば、もっと知りたい、
どういう考えなんだろうと気になってもよさそうなのに。


友達関係だって恋愛だって、始めはその人への興味から、
気が合うかを知りたい思いから発展するだろうに。

2.結婚、離婚、改名。何をしてもモノを与えてくるだけ

僕が幼少から父のことをシャットアウトしたり、
どれだけ怒鳴られても無言を貫いたりした時、
それがどうしてなのかを決して聞かれなかった。

毎晩のように母と喧嘩したり、
大人になってからは家を飛び出したり、

結婚や離婚、果ては名前を変えた時でさえ、
理由を尋ねられるどころか、反応すらもなかった。


※旧名:『航(ワタル)』→現在の名前:『理琉(ワタル)』
「戸籍”改名”、その先へ。」

そういう大きな事件があった後で、会う機会があっても、
仕事や食べ物などの機能的な部分を満たそうとするばかりだった。

3."親の義務感で生かしてるだけなの?"という疑念が積もる

僕が何をしようと、ひたすらモノを与え続けるのは
「生きてさえいればいい」というサインなんだ。

そんな前向きな捉え方をしようとしたことは何度もある。

そうであってほしい、たとえ淡い期待だったとしても、
そう捉えなければ崩れてしまうと言い聞かせてきた。

だけどやっぱり、物質的にいろいろもらっても、
自分の内面、心の内と向き合おうとしてこないことで、

「僕がどう考えているかに興味がないの?」
という疑念は嫌でも浮かんでくる。



親子という義務感や責任で生かしてるの?

僕がこの性格で、この姿だから関心を持たれないの?
妹弟や他の誰かだったら聞きたいと思ってたの?

僕が何を考え、何に悩み、どんなことで泣いたか、
あなた方にとっては知る価値のない情報なの?


彼らにどれほど崇高な本音が隠されていようとも、
そんな疑念ばかりが心に積もっていく。

4.怒られてでも、子どものいる人にしてみたい質問

子どものいる人に、こんな質問はしにくい。

「どうして子どもの気持ちを知ろうとしないんですか?」
などという挑発めいた、怒らせるような質問は。

だけど、できるならインタビューしてみたい。
理由が知りたい。

物質的に満たされるのは、もちろんありがたい。

だけど、モノは与えても心に興味を示さず、
機械的に生かすだけの対応をどうしてするのか、聞いてみたい。


たとえ、そのインタビューへの回答が
「お前の考えに興味はないから」だったとしても。


5.見つからない"子のエゴ"の終着点

僕は矛盾したことを言ってる。

「お前の考えに興味はないから」と答えられたら、
悲しみ、怒り、泣くくせに、それでもいいと言ってる。


実に矛盾したことを言ってる。
心のどこかで、都合のいい回答を期待してる。

「私の親からもそう育てられたの。
子どもの心に関心を向けるという概念を学ばないまま
あなたを育てることになったの。」


こう答えてほしいなどと考えてる。

そんな、やり場のない「子のエゴ」の終着点を、今日も探している。



posted by 理琉(ワタル) at 23:29 | TrackBack(0) | 家族
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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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