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2019年12月25日
電車で足を開いて座る人の心。
満員ではないものの、少し混んでる時間帯。
空いている席が若干あるかないか、くらいの
微妙な乗車率の時。
何のことかというと、地下鉄の話。
目的地までの十数分、
立って過ごそうか腰を下ろそうかと少し迷う時、
どうしても目についてしまうものがある。
2人分の席に思いきり足を広げてドカッと座り、
ふんぞり返ったように乗っている人のこと。
乗っているたかが十数分なんだから、
気にしなければいいと言えばいいのだが、
こんなことを気にするあたり、
自分はまだ心が狭いなとも思う。
ただ、そうやって地下鉄の席に
ドカッと座る人がどういう心理なのかは
別途でとても気になったので探ってみようと思う。
少し調べたところでは、席を占有するように座るのは
男性に多く、主に以下の心理があるとのこと。
1.男性としての強さや支配欲のアピール
2.周りへの迷惑を想像する機会なく育った
3.実は自信がなく小心者なのを隠すための威嚇
どれも論理的で、すごく納得できる。
この中で僕が最も「なるほどな」としっくりきた理由は
3.の「実は自分に自信がない」説。
外敵から身を守るために大群を作ったり、
羽や身体の一部分を広げて自分を大きく見せたり、
そんな動物の本能的な威嚇と根は同じらしい。
本当の自分は弱くて、能力に自信がないのに、
それを認めたくない、知られたくない。
自分の弱さと向き合いたくないから
それを隠すためにしぐさは尊大になる。
しかもそれを身内の前ではなく、
他人しかいない場所でやることで、
内弁慶なだけじゃないんだぞというアピールにもなる。
この説を知った時、
確かにな、とすごく腑に落ちた。
それを知ってから、電車でふんぞり返る人を見ても、
これまでのように嫌な思い一色ではなくなってきた。
この人は、本当は自分の弱さを隠す裏返しで
こういう座り方をしてるのかな、
そしてたぶん、自信のない自分への盾と
自分で気づいていないんだな。
もちろん、全員がそうとは思わないけど、
尊大なしぐさは「隠れみの」という可能性を知ってからは、
少しだけ寛容な目線でその場を離れられるようになった。
「詰めればもう1人座れるのに」
「見てて気持ちのよいものではない」
僕もそう思ってきた1人だし、
鉄道会社が今後いくら呼び掛けても
きっとゼロにすることは難しいんだろう。
周りがイライラする気持ちもわかる。
とはいえ、人を変えることはできない。
だから、僕は電車内で心を健康に保つために、
彼らの「弱さの隠れみの」を思い出して、
静かにその場を離れることにする。
空いている席が若干あるかないか、くらいの
微妙な乗車率の時。
何のことかというと、地下鉄の話。
目的地までの十数分、
立って過ごそうか腰を下ろそうかと少し迷う時、
どうしても目についてしまうものがある。
2人分の席に思いきり足を広げてドカッと座り、
ふんぞり返ったように乗っている人のこと。
乗っているたかが十数分なんだから、
気にしなければいいと言えばいいのだが、
こんなことを気にするあたり、
自分はまだ心が狭いなとも思う。
ただ、そうやって地下鉄の席に
ドカッと座る人がどういう心理なのかは
別途でとても気になったので探ってみようと思う。
少し調べたところでは、席を占有するように座るのは
男性に多く、主に以下の心理があるとのこと。
1.男性としての強さや支配欲のアピール
2.周りへの迷惑を想像する機会なく育った
3.実は自信がなく小心者なのを隠すための威嚇
どれも論理的で、すごく納得できる。
この中で僕が最も「なるほどな」としっくりきた理由は
3.の「実は自分に自信がない」説。
外敵から身を守るために大群を作ったり、
羽や身体の一部分を広げて自分を大きく見せたり、
そんな動物の本能的な威嚇と根は同じらしい。
本当の自分は弱くて、能力に自信がないのに、
それを認めたくない、知られたくない。
自分の弱さと向き合いたくないから
それを隠すためにしぐさは尊大になる。
しかもそれを身内の前ではなく、
他人しかいない場所でやることで、
内弁慶なだけじゃないんだぞというアピールにもなる。
この説を知った時、
確かにな、とすごく腑に落ちた。
それを知ってから、電車でふんぞり返る人を見ても、
これまでのように嫌な思い一色ではなくなってきた。
この人は、本当は自分の弱さを隠す裏返しで
こういう座り方をしてるのかな、
そしてたぶん、自信のない自分への盾と
自分で気づいていないんだな。
もちろん、全員がそうとは思わないけど、
尊大なしぐさは「隠れみの」という可能性を知ってからは、
少しだけ寛容な目線でその場を離れられるようになった。
「詰めればもう1人座れるのに」
「見てて気持ちのよいものではない」
僕もそう思ってきた1人だし、
鉄道会社が今後いくら呼び掛けても
きっとゼロにすることは難しいんだろう。
周りがイライラする気持ちもわかる。
とはいえ、人を変えることはできない。
だから、僕は電車内で心を健康に保つために、
彼らの「弱さの隠れみの」を思い出して、
静かにその場を離れることにする。
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2019年12月24日
ストレートネックの再発にご用心。
就労移行支援を慌ただしく卒業し、
その次の日から就職先へ出勤、
2日間の勤務を終えた。
→「初出勤日が決定。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/391/0
初日は午前中にTV面談形式で研修、午後から実務。
2日目はフルで実務。
営業リストの作成がメインの
営業事務に従事することとなった。
仕事内容は今のところ、
ほぼ1日中PCに向かっている状態。
最後に勤務したPCソフトウェアのエンジニアでも
同じような感じだったので、慣れてる仕事ではある。
ただ、気をつけたいのは
以前、ずっとPCに向かうことでやらかした
ストレートネックを再発させないように、
姿勢とストレッチを十分に意識すること。
僕はもともと、
「緊張しなくていいよ」と言われるほど姿勢がよく、
猫背とは無縁だった。
前回の仕事ではPC画面を
猫背になって見続けたわけではないけど、
自分では気づかないうちに
首だけが前のめりになっていった。
結果、本来はS字の背中から首のラインが
真っ直ぐになってしまい、
首の付け根を痛めてしまった。
整形外科で「頚椎椎間板ヘルニア」と診断され、
仕事中は首輪のような装具を付けて、
首が前のめりにならないように矯正した。
ずっと付けていると首周りの筋肉が衰えるので、
PCに向かう時以外は外す。
帰宅したら鏡を見ながら
PCに向かっている時の姿勢をチェックし、
首が前に出ていたらフォームを細かく修正。
装具が取れて完治するまで数ヶ月を要した。
今回の新しい職場での勤務2日目、
フルで実務をこなした残り1時間というところで
急激に目の前が霞み、どっと疲れが襲ってきた。
肩甲骨あたりが硬直しているのがはっきりわかり、
首周りが明らかに凝ってきていた。
慌てて席を外し、小休憩。
無意識に姿勢が悪くなっていないかを確認し、
腕や肩をしっかり回してから席に戻った。
PCに向かう仕事には慣れていても、
そんな気持ちとは裏腹に身体はしっかり疲れているんだ。
肩こりや腰、首周りの故障、そして痔。
デスクワークが仕事の人にとって
避けて通れない傷病かも知れない。
前の職場でも、痔が悪化して大手術になった人や、
腰を痛めて退職せざるを得なくなった人を
何人か見て来た。
僕は一度、首を壊したから気をつけているとはいえ、
集中すると本当にパラレルワールド行きになるので、
姿勢だけは常にチェックしていきたい。
せっかく転がり込んだ、良い環境の職場と
自分の健康を大切にするために。
その次の日から就職先へ出勤、
2日間の勤務を終えた。
→「初出勤日が決定。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/391/0
初日は午前中にTV面談形式で研修、午後から実務。
2日目はフルで実務。
営業リストの作成がメインの
営業事務に従事することとなった。
仕事内容は今のところ、
ほぼ1日中PCに向かっている状態。
最後に勤務したPCソフトウェアのエンジニアでも
同じような感じだったので、慣れてる仕事ではある。
ただ、気をつけたいのは
以前、ずっとPCに向かうことでやらかした
ストレートネックを再発させないように、
姿勢とストレッチを十分に意識すること。
僕はもともと、
「緊張しなくていいよ」と言われるほど姿勢がよく、
猫背とは無縁だった。
前回の仕事ではPC画面を
猫背になって見続けたわけではないけど、
自分では気づかないうちに
首だけが前のめりになっていった。
結果、本来はS字の背中から首のラインが
真っ直ぐになってしまい、
首の付け根を痛めてしまった。
整形外科で「頚椎椎間板ヘルニア」と診断され、
仕事中は首輪のような装具を付けて、
首が前のめりにならないように矯正した。
ずっと付けていると首周りの筋肉が衰えるので、
PCに向かう時以外は外す。
帰宅したら鏡を見ながら
PCに向かっている時の姿勢をチェックし、
首が前に出ていたらフォームを細かく修正。
装具が取れて完治するまで数ヶ月を要した。
今回の新しい職場での勤務2日目、
フルで実務をこなした残り1時間というところで
急激に目の前が霞み、どっと疲れが襲ってきた。
肩甲骨あたりが硬直しているのがはっきりわかり、
首周りが明らかに凝ってきていた。
慌てて席を外し、小休憩。
無意識に姿勢が悪くなっていないかを確認し、
腕や肩をしっかり回してから席に戻った。
PCに向かう仕事には慣れていても、
そんな気持ちとは裏腹に身体はしっかり疲れているんだ。
肩こりや腰、首周りの故障、そして痔。
デスクワークが仕事の人にとって
避けて通れない傷病かも知れない。
前の職場でも、痔が悪化して大手術になった人や、
腰を痛めて退職せざるを得なくなった人を
何人か見て来た。
僕は一度、首を壊したから気をつけているとはいえ、
集中すると本当にパラレルワールド行きになるので、
姿勢だけは常にチェックしていきたい。
せっかく転がり込んだ、良い環境の職場と
自分の健康を大切にするために。
2019年12月23日
就労移行支援のOB会に出席 〜自分と向き合い、再出発を志した7ヶ月間〜。
「就労移行支援・OBの集い」に初めて参加してきた。
つい数日前まで、一緒に軽作業や庶務をしていた場所。
卒業生として戻るのは不思議な感覚だった。
僕が人生の再出発として通った就労移行支援。
OB会で聞いたスタッフさんや卒業生の話を書いてみる。
ー目次ー
まだ、卒業して数日。
僕が使っていたロッカーに、名前がまだ残っていた。
「理琉のロッカーまだ残ってるから使いな」
と言ってくれた時は嬉しかった。
今回はクリスマスバージョンということで、
いつもより豪華、参加人数も多かった。
主な参加メンバーは、僕が入る何年も前に就職した人たち。
初対面の方が多く、会話の輪には入れなかった。
それでもスタッフさんと、何名かの卒業生の先輩と
けっこう話せて嬉しかった。
『就労定着支援』として
引き続き担当してくれるスタッフさん、
それから今日話した卒業生さんがこう言っていた。
「就職を焦らず、そこまでガツガツしない人が
いい巡り合わせに出逢える傾向はありますね。
早く就職したい!という姿勢が悪いわけじゃないけど、
いつでも行ける準備をして、余裕を持って過ごした方に、
ふとしたご縁が巡ってきやすいです。」
これは障害者の就職に限った話ではないけど、
追うものは逃げる。
どっしり構えていれば、ふとしたチャンスは巡ってくる。
僕の就職が決まったのは、生活保護を巡って親が暴れた時。
「はっきり言って就職なんかどうでもいい時期」だった。
そんな経緯もあり、2人の言葉にすごく納得した。
今回の参加メンバーのほとんどは何年も前に就職し、
かつそれからずっと同じ職場に勤続していた。
最長で8年前に卒業し、
その時の就職先に今も在籍中という人もいた。
新しい進路にしっかり定着できてるのは、
就労移行支援でしっかり自分と向き合い、
寄り添ってくれる人たちに囲まれたから。
卒業から時間が経ってもOBとして戻ってくるのは、
僕と同じように、ここが大切な存在になった人が多いから。
卒業して3日目の僕は改めて、
ここは素晴らしい居場所だなと実感している。
今回、話ができたのは主にスタッフさんだった。
それでも、ここは大切な場所と再確認でき、
お腹も心も満たされたOB会となった。
都合がつく限り、大切なこの場所に戻ってきたい。
そして、他の卒業生さんの話をたくさん聞いてみたい。
つい数日前まで、一緒に軽作業や庶務をしていた場所。
卒業生として戻るのは不思議な感覚だった。
僕が人生の再出発として通った就労移行支援。
OB会で聞いたスタッフさんや卒業生の話を書いてみる。
ー目次ー
- ロッカーに残る自分の名前に感激
- 就職が決まるタイミングは、ガツガツしてない時
- 卒業生の多くは、就職先に長く定着
- 大切な居場所にまた、戻ってきたい
1.ロッカーに残る自分の名前に感激
まだ、卒業して数日。
僕が使っていたロッカーに、名前がまだ残っていた。
「理琉のロッカーまだ残ってるから使いな」
と言ってくれた時は嬉しかった。
今回はクリスマスバージョンということで、
いつもより豪華、参加人数も多かった。
主な参加メンバーは、僕が入る何年も前に就職した人たち。
初対面の方が多く、会話の輪には入れなかった。
それでもスタッフさんと、何名かの卒業生の先輩と
けっこう話せて嬉しかった。
2.就職が決まるタイミングは、ガツガツしてない時
『就労定着支援』として
引き続き担当してくれるスタッフさん、
それから今日話した卒業生さんがこう言っていた。
「就職を焦らず、そこまでガツガツしない人が
いい巡り合わせに出逢える傾向はありますね。
早く就職したい!という姿勢が悪いわけじゃないけど、
いつでも行ける準備をして、余裕を持って過ごした方に、
ふとしたご縁が巡ってきやすいです。」
これは障害者の就職に限った話ではないけど、
追うものは逃げる。
どっしり構えていれば、ふとしたチャンスは巡ってくる。
僕の就職が決まったのは、生活保護を巡って親が暴れた時。
「はっきり言って就職なんかどうでもいい時期」だった。
そんな経緯もあり、2人の言葉にすごく納得した。
3.卒業生の多くは、就職先に長く定着
今回の参加メンバーのほとんどは何年も前に就職し、
かつそれからずっと同じ職場に勤続していた。
最長で8年前に卒業し、
その時の就職先に今も在籍中という人もいた。
新しい進路にしっかり定着できてるのは、
就労移行支援でしっかり自分と向き合い、
寄り添ってくれる人たちに囲まれたから。
卒業から時間が経ってもOBとして戻ってくるのは、
僕と同じように、ここが大切な存在になった人が多いから。
卒業して3日目の僕は改めて、
ここは素晴らしい居場所だなと実感している。
4.大切な居場所にまた、戻ってきたい
今回、話ができたのは主にスタッフさんだった。
それでも、ここは大切な場所と再確認でき、
お腹も心も満たされたOB会となった。
都合がつく限り、大切なこの場所に戻ってきたい。
そして、他の卒業生さんの話をたくさん聞いてみたい。
2019年12月22日
歯医者とピンセット。
※生々しい描写注意
高校1年の初秋。
二学期の期末テスト前で部活はお休み。
家に帰りたくなかった僕は放課後、
教室に1人残ってテスト勉強をしていた。
窓の外はすっかり暗くなり、
陽が落ちるのが早くなったなと思いながら
誰もいない教室を見渡したその時。
左下の奥歯にすさまじい痛みが走った。
空気を入れ過ぎた風船が破裂するように、
抑えられていた痛みが一気に襲い掛かってきた。
小さい頃から虫歯は適度にあり、
歯医者通いに抵抗はなかったものの、
高校に入ってしばらく歯医者とはご無沙汰。
なんとなく、水がしみるかなと思っても、
まぁ、大丈夫だろうと完全に油断していた。
あまりの痛さに、
これはテスト勉強どころじゃないと悟り下校。
自転車を飛ばし、ご無沙汰だった歯科へ駆け込んだ。
自転車のタイヤが道路のくぼみで跳ね上がるたび、
その衝撃はすべて奥歯に響き、涙目で視界がぼやけた。
痛がり方と、全体的な様子のおかしさから、
まるで緊急手術のような重火器が並べられた。
それまで経験のなかった麻酔を始めて歯茎に打たれ、
その痛みでまた涙目が加速。必死に意識を保った。
歯科医が慎重に患部を削る。
そして、見てはいけないものを見た時に特有の、
不自然な「うわぁ…」という声が漏れる。
麻酔が効き始め、脳天を貫くような歯の痛みを
ようやく感じなくなっていた僕の口から
歯科医がピンセットで何かを取り出した。
例えるなら、雨の日のグラウンドの土、
そんな泥色の、でろっとした物体をつまみ上げていた。
「これ何だと思います?」
いえ…。
「腐った歯の神経です。
よくこんなになるまで我慢してましたね。」
そう。この日の突然の激痛は
奥歯の神経が腐ってしまったことによる炎症。
水がしみる期間が続いた後、テスト期間に入って数日は
痛みがぴたっと止んでいた。
それは嵐の前の静けさだった。
腐った神経を完全に除去し、
患部の洗浄と薬を埋め込む治療に数週間。
周りの歯への影響がなくなるまで落ち着いてから
詰め物の型取りなどで数週間。
全治2ヵ月。
幸いにも隣の歯や骨への
感染拡大はなかったが、
もう少し放置していたら
けっこう危なかったらしい。
歯の痛み自体はその日で終わり、
期末テストを無事に乗り切ることができた。
あまりにも当たり前過ぎる教訓。
「歯の痛み、気づかないフリは止めましょう」
人間は痛い目を見なければ
変わることは難しいという、まさに典型例。
この時から、現在に至るまで
虫歯には定期的に見舞われているものの、
腐った歯の神経をピンセットでつままれたのは
16歳の期末テスト前が最初で最後。
歯医者、早めに行きましょう。
高校1年の初秋。
二学期の期末テスト前で部活はお休み。
家に帰りたくなかった僕は放課後、
教室に1人残ってテスト勉強をしていた。
窓の外はすっかり暗くなり、
陽が落ちるのが早くなったなと思いながら
誰もいない教室を見渡したその時。
左下の奥歯にすさまじい痛みが走った。
空気を入れ過ぎた風船が破裂するように、
抑えられていた痛みが一気に襲い掛かってきた。
小さい頃から虫歯は適度にあり、
歯医者通いに抵抗はなかったものの、
高校に入ってしばらく歯医者とはご無沙汰。
なんとなく、水がしみるかなと思っても、
まぁ、大丈夫だろうと完全に油断していた。
あまりの痛さに、
これはテスト勉強どころじゃないと悟り下校。
自転車を飛ばし、ご無沙汰だった歯科へ駆け込んだ。
自転車のタイヤが道路のくぼみで跳ね上がるたび、
その衝撃はすべて奥歯に響き、涙目で視界がぼやけた。
痛がり方と、全体的な様子のおかしさから、
まるで緊急手術のような重火器が並べられた。
それまで経験のなかった麻酔を始めて歯茎に打たれ、
その痛みでまた涙目が加速。必死に意識を保った。
歯科医が慎重に患部を削る。
そして、見てはいけないものを見た時に特有の、
不自然な「うわぁ…」という声が漏れる。
麻酔が効き始め、脳天を貫くような歯の痛みを
ようやく感じなくなっていた僕の口から
歯科医がピンセットで何かを取り出した。
例えるなら、雨の日のグラウンドの土、
そんな泥色の、でろっとした物体をつまみ上げていた。
「これ何だと思います?」
いえ…。
「腐った歯の神経です。
よくこんなになるまで我慢してましたね。」
そう。この日の突然の激痛は
奥歯の神経が腐ってしまったことによる炎症。
水がしみる期間が続いた後、テスト期間に入って数日は
痛みがぴたっと止んでいた。
それは嵐の前の静けさだった。
腐った神経を完全に除去し、
患部の洗浄と薬を埋め込む治療に数週間。
周りの歯への影響がなくなるまで落ち着いてから
詰め物の型取りなどで数週間。
全治2ヵ月。
幸いにも隣の歯や骨への
感染拡大はなかったが、
もう少し放置していたら
けっこう危なかったらしい。
歯の痛み自体はその日で終わり、
期末テストを無事に乗り切ることができた。
あまりにも当たり前過ぎる教訓。
「歯の痛み、気づかないフリは止めましょう」
人間は痛い目を見なければ
変わることは難しいという、まさに典型例。
この時から、現在に至るまで
虫歯には定期的に見舞われているものの、
腐った歯の神経をピンセットでつままれたのは
16歳の期末テスト前が最初で最後。
歯医者、早めに行きましょう。
2019年12月21日
週明けの地下鉄、お酒の匂いは悲鳴の残響。
最近の月曜火曜と2日連続で
22時台に地下鉄に乗る機会があった。
両日とも、始発に近い駅から乗ったので
隣には誰も座っていなかったが、
都心駅で一気に人が乗ってきて、
僕の隣にお酒の匂いがまあまあする人が座った。
僕は普段、まったくお酒を飲まず、
アルコールの匂いも苦手なので、
思わず立ち上がり、遠くへ避難してしまった。
ただ、月曜火曜で隣に乗ってきた人はどちらも、
出来上がって上機嫌、ではなかった。
お酒の匂いはけっこうするけど、
疲れ切ったようにうつむいた
サラリーマンらしき男性だった。
どちらも40〜50歳くらいだと思う。
一緒に飲んだ仲間らしき人はおらず、
少し悲しそうな表情をしながら、
とぼとぼと乗ってきたように見えた。
一人で飲みに行ったのかな…?
僕は何事も、その背景を想像するたちで、
週の始まりから一人で飲みに行ったであろう
あの両名が抱える闇を勝手に思い浮かべていた。
悲しげな表情と、
帰宅する足取りが重く見えたことを合わせると、
彼らはもしかして
飲まなきゃやってられないくらい
精神的に孤立しているんじゃないかと思った。
酔っぱらって「いい気分」になっているようには
全然見えなかったから。
居場所ってすごい大切。
きっと彼らは帰宅すれば家族がいて、
職場にはたくさん人がいて、
人に囲まれてはいるんだろう。
だけど、もしその中の誰一人、
自分のことを受け入れていなかったら。
疎ましく思われたり、陰口を叩かれたり、
心を支えてくれる仲間がいなかったら。
簡単に孤独になる。
居場所のなさから、自分の存在価値自体を
簡単に疑い始める。
周りに人がたくさんいるにも関わらず。
僕は家族がいながら、家族メンバー扱いされず
悲しい思いをたくさんしてきたから、
居場所がない孤独の辛さは嫌というほどわかる。
地下鉄で隣合った数分くらいで
その人のことを論じられるわけがない。
僕がただ「そう見えた」ことを書いただけ。
「周りに人はいるのに孤独を感じてきた人間」
というフィルターを通して彼らを見たら、
席を立つほどのお酒の匂いが
悲鳴の残響にも思えた。
22時台に地下鉄に乗る機会があった。
両日とも、始発に近い駅から乗ったので
隣には誰も座っていなかったが、
都心駅で一気に人が乗ってきて、
僕の隣にお酒の匂いがまあまあする人が座った。
僕は普段、まったくお酒を飲まず、
アルコールの匂いも苦手なので、
思わず立ち上がり、遠くへ避難してしまった。
ただ、月曜火曜で隣に乗ってきた人はどちらも、
出来上がって上機嫌、ではなかった。
お酒の匂いはけっこうするけど、
疲れ切ったようにうつむいた
サラリーマンらしき男性だった。
どちらも40〜50歳くらいだと思う。
一緒に飲んだ仲間らしき人はおらず、
少し悲しそうな表情をしながら、
とぼとぼと乗ってきたように見えた。
一人で飲みに行ったのかな…?
僕は何事も、その背景を想像するたちで、
週の始まりから一人で飲みに行ったであろう
あの両名が抱える闇を勝手に思い浮かべていた。
悲しげな表情と、
帰宅する足取りが重く見えたことを合わせると、
彼らはもしかして
飲まなきゃやってられないくらい
精神的に孤立しているんじゃないかと思った。
酔っぱらって「いい気分」になっているようには
全然見えなかったから。
居場所ってすごい大切。
きっと彼らは帰宅すれば家族がいて、
職場にはたくさん人がいて、
人に囲まれてはいるんだろう。
だけど、もしその中の誰一人、
自分のことを受け入れていなかったら。
疎ましく思われたり、陰口を叩かれたり、
心を支えてくれる仲間がいなかったら。
簡単に孤独になる。
居場所のなさから、自分の存在価値自体を
簡単に疑い始める。
周りに人がたくさんいるにも関わらず。
僕は家族がいながら、家族メンバー扱いされず
悲しい思いをたくさんしてきたから、
居場所がない孤独の辛さは嫌というほどわかる。
地下鉄で隣合った数分くらいで
その人のことを論じられるわけがない。
僕がただ「そう見えた」ことを書いただけ。
「周りに人はいるのに孤独を感じてきた人間」
というフィルターを通して彼らを見たら、
席を立つほどのお酒の匂いが
悲鳴の残響にも思えた。
2019年12月20日
就労移行支援、卒業。
いつも通りに出勤し、
いつもの作業をこなす。
午後、盛大な壮行会を開いてくれた後、
またいつもの作業をこなす。
お菓子と、お礼のメッセージを置く。
15時40分、
一日のスケジュールが終わり、
みんなが帰宅していく。
作業部屋に残るは僕一人、
あっという間だった7ヶ月間を思い出し、
ゆっくりと名残を惜しむ。
突然、何か抑え切れないものが込み上げる。
感情の正体がわかる間もなく、
涙が次々と溢れ出す。
廊下を挟んだ事務作業部屋に
声が漏れないように、
持っていたひざ掛けを目に押し当てる。
こんなところで泣いておいて言うのも変だけど、
誰にも見せない涙になりますように、
誰も来ませんようにと願う。
「よかったね、ここに出逢えて…。」
泣きながら、
自分の中に居る自分に向けて
繰り返し声をかける。
仕事の問題、生活の問題、そして親の問題、
1年くらい前の僕なら一人で立ち向かうとして
誰にも頼るまいと意地を張って潰れていただろう。
人に気を許したり、自分の深い話をすることが
今以上に下手だったろう。
自分が抱える問題は一人で解決できなきゃいけない、
そう思っていたのは自分だけだったことに気づかされた。
明日から新しい職場。新しい仕事。
今後もし働く場所が変わっても、
僕が本当の自分の人生をスタートさせた場所は
変わらずここ。
明日からは「就労定着支援」として、
スタッフさんには引き続きお世話になるから、
会えなくなるわけではない。
毎月の「OBの集い」でまた来れる。
なのに泣いたってことは、
それだけあたたかくて大切な場所だから。
感謝の気持ちをありふれた、短い言葉で言う。
「このご恩は、一生忘れません。」
いつもの作業をこなす。
午後、盛大な壮行会を開いてくれた後、
またいつもの作業をこなす。
お菓子と、お礼のメッセージを置く。
15時40分、
一日のスケジュールが終わり、
みんなが帰宅していく。
作業部屋に残るは僕一人、
あっという間だった7ヶ月間を思い出し、
ゆっくりと名残を惜しむ。
突然、何か抑え切れないものが込み上げる。
感情の正体がわかる間もなく、
涙が次々と溢れ出す。
廊下を挟んだ事務作業部屋に
声が漏れないように、
持っていたひざ掛けを目に押し当てる。
こんなところで泣いておいて言うのも変だけど、
誰にも見せない涙になりますように、
誰も来ませんようにと願う。
「よかったね、ここに出逢えて…。」
泣きながら、
自分の中に居る自分に向けて
繰り返し声をかける。
仕事の問題、生活の問題、そして親の問題、
1年くらい前の僕なら一人で立ち向かうとして
誰にも頼るまいと意地を張って潰れていただろう。
人に気を許したり、自分の深い話をすることが
今以上に下手だったろう。
自分が抱える問題は一人で解決できなきゃいけない、
そう思っていたのは自分だけだったことに気づかされた。
明日から新しい職場。新しい仕事。
今後もし働く場所が変わっても、
僕が本当の自分の人生をスタートさせた場所は
変わらずここ。
明日からは「就労定着支援」として、
スタッフさんには引き続きお世話になるから、
会えなくなるわけではない。
毎月の「OBの集い」でまた来れる。
なのに泣いたってことは、
それだけあたたかくて大切な場所だから。
感謝の気持ちをありふれた、短い言葉で言う。
「このご恩は、一生忘れません。」
2019年12月19日
区役所で怒鳴る人に遭遇…。
区役所の生活保護課を訪れると、
男性の怒鳴り声が響いていた。
長靴に帽子、長髪を後ろで束ねた
60歳前後と思われる人が
カウンター(?)で2人の職員を相手に
わめき散らしていた…。
その怒鳴り声を聞いて
僕はすぐに気持ち悪くなってしまい目を伏せた。
それを見たケースワーカーさんが
「少し離れた席へ行きましょうか」と
遠い席へ誘導してくれた。
1年ほど前、保健福祉課の窓口で
怒鳴り散らしている男性と遭遇した。
区役所で怒りを露にする人に出逢うのは
今回で二度目だけど、慣れるものではない。
「タクシーの領収書が〇〇なんて知らん!」
「古着屋で売った額まで知らせろってのか!」
「俺は〇〇しろなんて話は聞いてねぇぞ!」
そんなようなことを
繰り返し叫んでいた気がする。
雇用保険の受給と違い、
生活保護を受けるとお年玉やお小遣いを含め
文字通りすべての収入を知らせないといけない。
リサイクルショップで何かを売った額も、
メルカリやフリマの売上金額も。
そんな収入申告の関連で不満を訴えていたのかなと
勝手に想像しながらも、耳を塞いで遠ざかった。
「生活保護課には、ああいう人は多いですか?」
ケースワーカーさんに聞いてみた。
「まぁ、たまに居ますね…。」
少し申し訳なさそうに答えてくれた。
クレーマーと呼んでいいのかわからないが、
所得が少ない人の生活に直接関わる部署だけに、
なおさら心に余裕がない人が怒鳴り込んでくるんだろう。
僕は今、こうして生活保護の受給者となるくらいだから、
本当に食べ物や家がなくなる恐怖に潰れかけたことはあるし、
どれだけ人から余裕を奪うかは一応わかるつもり。
一時期は食欲でさえも、あるのかないのか
わからなくなったこともあった。
→「食の選択肢が狭いとどうなるか。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/317/0
擁護するわけではないが、あの怒鳴ってた人も
相当追い詰められてるんだろう。
家を失うレベルまでお金の心配が大きくなると、
本当に目の前以外の何も見えなくなる。
少し前の話だけど、よく行くスーパーで
やっぱり60代くらいの男性が学生相手にキレて、
警察沙汰になるシーンを目撃した。
この人もそうだし、区役所の人もそうだと思うけど、
明日の生活費も見えない不安に加えて
人から相手にされない寂しさも
きっと追い打ちをかけている。
貧困と孤独の二重苦が
彼らから余計に自制心を奪っている。
→スーパーで遭遇した警察沙汰事件。
「「キレる」背景にある寂しさ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/364/0
ただね、
怒りとして出しちゃアカンよ。
誰も救われないよ。
公共の場で怒鳴り散らしてる人に
手を差し伸べたいと寄り添ってくれる人は
きっと少ないよ。
本心では悲鳴なんだと思う。
どうしようもできない無力感、一向に上向かない生活水準、
明日への大きな不安、人が離れていく孤独感。
なのに、表現方法として怒鳴ることを選んでしまった。
だから誤解を生み、軋轢を生み、余計に人が離れる悪循環。
「伝え方が9割」と聞くけど、本当にその通りで、
自ら助け船を遮断してしまってる。
もっと違う方法で助けを求められれば、
敵を増やさなくて済んだのになぁ。
あの場ではすごく嫌な思いをしたし、
彼の怒鳴り声で嬉しい気持ちになった人は少ないだろう。
だけど、あんなふうに感情に自制心が呑み込まれた人は
いなくならないのかなぁと、悲しい気持ちになった。
古着を売った金額よりも、タクシーがどうのこうのよりも、
本当は何に怒ってるんだろう。
怒りに満ちた人生の根本には
どんな寂しさや悲しみが潜んでいるんだろう。
男性の怒鳴り声が響いていた。
長靴に帽子、長髪を後ろで束ねた
60歳前後と思われる人が
カウンター(?)で2人の職員を相手に
わめき散らしていた…。
その怒鳴り声を聞いて
僕はすぐに気持ち悪くなってしまい目を伏せた。
それを見たケースワーカーさんが
「少し離れた席へ行きましょうか」と
遠い席へ誘導してくれた。
1年ほど前、保健福祉課の窓口で
怒鳴り散らしている男性と遭遇した。
区役所で怒りを露にする人に出逢うのは
今回で二度目だけど、慣れるものではない。
「タクシーの領収書が〇〇なんて知らん!」
「古着屋で売った額まで知らせろってのか!」
「俺は〇〇しろなんて話は聞いてねぇぞ!」
そんなようなことを
繰り返し叫んでいた気がする。
雇用保険の受給と違い、
生活保護を受けるとお年玉やお小遣いを含め
文字通りすべての収入を知らせないといけない。
リサイクルショップで何かを売った額も、
メルカリやフリマの売上金額も。
そんな収入申告の関連で不満を訴えていたのかなと
勝手に想像しながらも、耳を塞いで遠ざかった。
「生活保護課には、ああいう人は多いですか?」
ケースワーカーさんに聞いてみた。
「まぁ、たまに居ますね…。」
少し申し訳なさそうに答えてくれた。
クレーマーと呼んでいいのかわからないが、
所得が少ない人の生活に直接関わる部署だけに、
なおさら心に余裕がない人が怒鳴り込んでくるんだろう。
僕は今、こうして生活保護の受給者となるくらいだから、
本当に食べ物や家がなくなる恐怖に潰れかけたことはあるし、
どれだけ人から余裕を奪うかは一応わかるつもり。
一時期は食欲でさえも、あるのかないのか
わからなくなったこともあった。
→「食の選択肢が狭いとどうなるか。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/317/0
擁護するわけではないが、あの怒鳴ってた人も
相当追い詰められてるんだろう。
家を失うレベルまでお金の心配が大きくなると、
本当に目の前以外の何も見えなくなる。
少し前の話だけど、よく行くスーパーで
やっぱり60代くらいの男性が学生相手にキレて、
警察沙汰になるシーンを目撃した。
この人もそうだし、区役所の人もそうだと思うけど、
明日の生活費も見えない不安に加えて
人から相手にされない寂しさも
きっと追い打ちをかけている。
貧困と孤独の二重苦が
彼らから余計に自制心を奪っている。
→スーパーで遭遇した警察沙汰事件。
「「キレる」背景にある寂しさ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/364/0
ただね、
怒りとして出しちゃアカンよ。
誰も救われないよ。
公共の場で怒鳴り散らしてる人に
手を差し伸べたいと寄り添ってくれる人は
きっと少ないよ。
本心では悲鳴なんだと思う。
どうしようもできない無力感、一向に上向かない生活水準、
明日への大きな不安、人が離れていく孤独感。
なのに、表現方法として怒鳴ることを選んでしまった。
だから誤解を生み、軋轢を生み、余計に人が離れる悪循環。
「伝え方が9割」と聞くけど、本当にその通りで、
自ら助け船を遮断してしまってる。
もっと違う方法で助けを求められれば、
敵を増やさなくて済んだのになぁ。
あの場ではすごく嫌な思いをしたし、
彼の怒鳴り声で嬉しい気持ちになった人は少ないだろう。
だけど、あんなふうに感情に自制心が呑み込まれた人は
いなくならないのかなぁと、悲しい気持ちになった。
古着を売った金額よりも、タクシーがどうのこうのよりも、
本当は何に怒ってるんだろう。
怒りに満ちた人生の根本には
どんな寂しさや悲しみが潜んでいるんだろう。
2019年12月18日
子どもの逃げ道を塞ぐ”生活保護封じ”。
生活保護を巡る親との直接対決を書いた時は
さらっと触れただけだが、
僕がその場に崩れ落ちる前に
父がとんでもない自爆をしてくれたので、
今回は自爆に隠された彼の
依存的な本音を分析してみる。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/389/0
区役所が調べて出てきたのは
「ゆうちょ銀行」の2つの通帳。
これを渡すかという話で終わるはずなのに、
なぜわざわざ区役所の人がいる前で暴露するのか。
「いずれ渡すつもり」などと取り繕ってあるが、
翻訳するとこういうことだ。
「今回渡した通帳でも、今後生活に困窮したら
お前は俺を頼ってくるしかないんだ」
自分たちは子どものためにずっとお金を貯めてきた、
すべては子どものため。
その気持ちも含まれていることは分かる。
ただ、そこにどれだけ尊い犠牲心があっても、
今回の暴露行為は申し訳ないが
”親心”と受け取るには無理がある。
長い目で見て、自分たちへの金銭的な援助依頼を
避けられなくするための強要行為だ。
「ずいぶん嫌な思いをしてきたから、
なるべく親との接触を避けたいんだと思う」と
あの場で言っておきながら、
やっていることは
今後の生活保護の再申請封じと
自分たちへの接触の強要。
子どもを助けたいのか、
それとも逃げ道を封じて苦しませたいのか
さっぱりわからなかったが、
『毒になる親』の一節を読んですべてが繋がった。
気遣いの言葉は支配の隠れみの。
自分たちが避けられていることに、
彼らは本心ではぜんぜん納得していない。
なのに理由を知ろうとしないのは、
親である自分にも非があるんじゃないか
という事実を認めたくないから。
「あいつが言うことを聞かず勝手に離れていった」と、
子どものせいにして自分を正当化していないと
不安で仕方ないから。
非を認めた時に襲い掛かるであろう、
自分の人生自体への否定的な感情と
向き合うのが怖いから。
そのために優位性を保とうと必死になる。
経済的な逃げ道を塞いで
向こうから接触せざるを得ない状況を作る。
「お前の運命の主導権はこちらにある」と、
力関係で上に立っていようとする。
一見、子どものために財産を渡すという
尊い行いのようでいて、
本心では自分たちの支配圏内から
脱出させないための包囲網を張っている。
数年前の、親への怒りに満ちていた頃の僕なら
気づけなかったかも知れないが、
今は「あなたのため」の裏側が
こうして手に取るようにわかってしまう。
今月、就職が決まり、
父への諦めという戦利品も手に入れて、
ようやく一区切りがついた。
心を切り裂かれたのはあの日だけ、
これから新しい仕事をして再出発しよう、
そういう気持ちでいた。
だが、親の呪縛、絡みつきはなかなかに強力。
後遺症として、次回の生活保護封じを残していった。
子どもを気遣うフリをしたコントロールから
這い出る闘いは、まだ終わっていなかった。
さらっと触れただけだが、
僕がその場に崩れ落ちる前に
父がとんでもない自爆をしてくれたので、
今回は自爆に隠された彼の
依存的な本音を分析してみる。
実はさらに別銀行の口座もあり、→「延長戦決着、戦利品は”諦め”。」
いずれ渡すつもりなので、
お前は今後数年、生活保護を再申請できない
が、それも一気に遣わないか心配なので
後見人か代理人に管理してほしいが幾らかかるのか
『延長戦決着、戦利品は”諦め”。』より引用
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/389/0
区役所が調べて出てきたのは
「ゆうちょ銀行」の2つの通帳。
これを渡すかという話で終わるはずなのに、
なぜわざわざ区役所の人がいる前で暴露するのか。
「いずれ渡すつもり」などと取り繕ってあるが、
翻訳するとこういうことだ。
「今回渡した通帳でも、今後生活に困窮したら
お前は俺を頼ってくるしかないんだ」
自分たちは子どものためにずっとお金を貯めてきた、
すべては子どものため。
その気持ちも含まれていることは分かる。
ただ、そこにどれだけ尊い犠牲心があっても、
今回の暴露行為は申し訳ないが
”親心”と受け取るには無理がある。
長い目で見て、自分たちへの金銭的な援助依頼を
避けられなくするための強要行為だ。
「ずいぶん嫌な思いをしてきたから、
なるべく親との接触を避けたいんだと思う」と
あの場で言っておきながら、
やっていることは
今後の生活保護の再申請封じと
自分たちへの接触の強要。
子どもを助けたいのか、
それとも逃げ道を封じて苦しませたいのか
さっぱりわからなかったが、
『毒になる親』の一節を読んですべてが繋がった。
コントロールしたがる親の多くは
自分が必要とされなくなることを恐れているため、
子供の心の中に非力感を植え付け、
それが永久に消えないようにと望む。
表面的に見れば、それは子供を自分に
依存したままにさせておこうとする行為だが、
実は自分が子供に依存していることの裏返しなのだ。
彼らの言う
「あなたのためを思ってしているんです」
という言葉の本当の意味は、
「私があなたをコントロールするのは、
あなたがいなくなってしまうことがあまりにも不安なので、
あなたを行かせないで”みじめな思いをさせるため”なのよ」
ということにほかならない。
『毒になる親』第三章 より
気遣いの言葉は支配の隠れみの。
自分たちが避けられていることに、
彼らは本心ではぜんぜん納得していない。
なのに理由を知ろうとしないのは、
親である自分にも非があるんじゃないか
という事実を認めたくないから。
「あいつが言うことを聞かず勝手に離れていった」と、
子どものせいにして自分を正当化していないと
不安で仕方ないから。
非を認めた時に襲い掛かるであろう、
自分の人生自体への否定的な感情と
向き合うのが怖いから。
そのために優位性を保とうと必死になる。
経済的な逃げ道を塞いで
向こうから接触せざるを得ない状況を作る。
「お前の運命の主導権はこちらにある」と、
力関係で上に立っていようとする。
一見、子どものために財産を渡すという
尊い行いのようでいて、
本心では自分たちの支配圏内から
脱出させないための包囲網を張っている。
数年前の、親への怒りに満ちていた頃の僕なら
気づけなかったかも知れないが、
今は「あなたのため」の裏側が
こうして手に取るようにわかってしまう。
今月、就職が決まり、
父への諦めという戦利品も手に入れて、
ようやく一区切りがついた。
心を切り裂かれたのはあの日だけ、
これから新しい仕事をして再出発しよう、
そういう気持ちでいた。
だが、親の呪縛、絡みつきはなかなかに強力。
後遺症として、次回の生活保護封じを残していった。
子どもを気遣うフリをしたコントロールから
這い出る闘いは、まだ終わっていなかった。
2019年12月17日
凍瘡(とうそう)。
10月の半ばくらいから、
両足の指先が徐々に赤く腫れてきたものの、
なんとなく見なかったことにしてきた。
が、12月に入り、腫れが拡大したり、
マメのように水疱ができたりで、
歩くと擦れて気になり始めた。
それでも「まぁ、治るでしょ」と思っていたら、
昨夜は足指の痛みで眠れず、うなされることに。
靴を履くと擦れて痛くても
さすがに見なかったフリをできなくなったので、
ついに観念して整形外科へ行ってきた。
結果、
「凍瘡(とうそう)」
いわゆる「しもやけ」の
ひどくなり始めた状態とのこと。
靴下を脱いで見せた時、
最初は医師もびっくりしていた。
「うわぁ腫れてるね、何なんだろうね?」
職場は室内で、暖房が効いているし、
不潔にしたり極端な環境にさらしたりは
特にしていないと伝えると、
ちょっと調べてくるから待っててと
一旦席を外し、数分後に戻ってきた。
「やっぱりしもやけに見える」そうだ。
これだけ暖房設備が充実した時代に、
まさかしもやけの痛みで眠れなくなるとは…。
凍傷ほどひどくはないものの、
慢性的な指先の冷えによる血行不良が
積み重なったのでは、とのこと。
思い起こせば、確かに最低限の暖は取るも、
足指はいつも冷たかったが、
毎年のことなので気にしていなかった。
寒くなってからも自転車をかなり使っていて、
それがじわじわと効いていた可能性もある。
しもやけが悪化するのは未成年に多いそうだが、
ここまで腫れたり痛みが出たことはなかったので、
油断していたかも知れない。
「大人でこんなにしもやけが悪化するって珍しいよ」と
先生も言っていた。
血行をよくする塗り薬を処方され、
お風呂やマッサージでしっかりあたためて
部屋はちゃんと暖房をつけてください、と
指示をもらい診察終了。
原因がわかったのと、
水虫や感染症の類じゃなくてひとまずほっとした。
今年の2月に、ストーブを一度もつけず
どれだけ暖房費を節約できるかという
チャレンジに挑んだことがあるが、
そんなことをしている場合じゃないってことか。
→「ストーブ点けないチャレンジ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/70/0
→「【2019.2成績】ストーブ点けないチャレンジ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/93/0
ちなみに、
足指のことなので今回は整形外科へ行ったが、
皮膚科でも対応可能らしい。
冬を舐めていたわけではないにせよ、
寒さが身体に少しずつダメージを蓄積するのを
僕は見逃していた。
腫れや痛みが長いこと続いても、
そのうち何とかなると油断もしていた。
痛い目を見てから気づくパターンなのが
情けないけど、
あたためて血行をよくするという
冬の過ごし方の基本に立ち戻って
身体をいたわりたい。
両足の指先が徐々に赤く腫れてきたものの、
なんとなく見なかったことにしてきた。
が、12月に入り、腫れが拡大したり、
マメのように水疱ができたりで、
歩くと擦れて気になり始めた。
それでも「まぁ、治るでしょ」と思っていたら、
昨夜は足指の痛みで眠れず、うなされることに。
靴を履くと擦れて痛くても
さすがに見なかったフリをできなくなったので、
ついに観念して整形外科へ行ってきた。
結果、
「凍瘡(とうそう)」
いわゆる「しもやけ」の
ひどくなり始めた状態とのこと。
靴下を脱いで見せた時、
最初は医師もびっくりしていた。
「うわぁ腫れてるね、何なんだろうね?」
職場は室内で、暖房が効いているし、
不潔にしたり極端な環境にさらしたりは
特にしていないと伝えると、
ちょっと調べてくるから待っててと
一旦席を外し、数分後に戻ってきた。
「やっぱりしもやけに見える」そうだ。
これだけ暖房設備が充実した時代に、
まさかしもやけの痛みで眠れなくなるとは…。
凍傷ほどひどくはないものの、
慢性的な指先の冷えによる血行不良が
積み重なったのでは、とのこと。
思い起こせば、確かに最低限の暖は取るも、
足指はいつも冷たかったが、
毎年のことなので気にしていなかった。
寒くなってからも自転車をかなり使っていて、
それがじわじわと効いていた可能性もある。
しもやけが悪化するのは未成年に多いそうだが、
ここまで腫れたり痛みが出たことはなかったので、
油断していたかも知れない。
「大人でこんなにしもやけが悪化するって珍しいよ」と
先生も言っていた。
血行をよくする塗り薬を処方され、
お風呂やマッサージでしっかりあたためて
部屋はちゃんと暖房をつけてください、と
指示をもらい診察終了。
原因がわかったのと、
水虫や感染症の類じゃなくてひとまずほっとした。
今年の2月に、ストーブを一度もつけず
どれだけ暖房費を節約できるかという
チャレンジに挑んだことがあるが、
そんなことをしている場合じゃないってことか。
→「ストーブ点けないチャレンジ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/70/0
→「【2019.2成績】ストーブ点けないチャレンジ。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/93/0
ちなみに、
足指のことなので今回は整形外科へ行ったが、
皮膚科でも対応可能らしい。
冬を舐めていたわけではないにせよ、
寒さが身体に少しずつダメージを蓄積するのを
僕は見逃していた。
腫れや痛みが長いこと続いても、
そのうち何とかなると油断もしていた。
痛い目を見てから気づくパターンなのが
情けないけど、
あたためて血行をよくするという
冬の過ごし方の基本に立ち戻って
身体をいたわりたい。
2019年12月16日
初出勤日が決定。
スピード決定した就職先への初出勤日が
来週某日に決定。
これにより、現在お世話になっている
就労移行支援に通うのはあと2日となった。
6月、誕生日を迎えた直後に通い始め、
気づけば半年以上。
3箇所の事業所を見学した中で唯一、
希望しない限りPCを使うことがなく、
スピード面で苦手な軽作業中心の事業所を選んだ。
→「就労移行支援事業所へ正式通所。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/195/0
ここで行う軽作業のスピードは
7ヵ月従事した中で結局そこまで上がらなかったけど、
ここで取り組んだ多くの作業スキルが
日常生活に生きているのを実感している。
僕は今もたまにメルカリを販売メインで行っているが、
就労移行支援で行っていた商品の検品作業は
梱包前に不備がないかの確認に役立っている。
ダイレクトメールの封入や封止め作業は
検品した商品を丁寧に梱包したり、
それ以前に適切な梱包材を100均で用意したり、
商品を包むスキルを上げてくれた。
他の場所では、実務経験がないと
多くの場合はやらせてくれないであろう、
庶務に従事できたのも大きい。
備品の発注は大きな責任が伴うものの、
今回の就職先でもいずれ従事する可能性がある。
また、備品の過不足を調べる過程で、
いろいろな事務用品の名前や使い方を
じっくり学ぶことができた。
書類の補充では、どういう書類が
普段やり取りされているか目を通せて、
どういう書類上の手続きがあって
事業所が運営されているかを垣間見ることができた。
他にも、現在いろんな場面で応用できるスキルを
この7ヵ月間で磨かせてもらった。
他の事業所の見学に行っていた頃、
一日中PCを触っている事業所を選ばず、
あえて苦手な作業中心の場所を選んだことは、
結果的に大成功だった。
何より、今の事業所のスタッフさんはあたたかくて、
僕が親問題でたびたび苦しんでいる時も
親身に相談に乗ってくれた。
もう昔のことのように思える
区役所での親との直接対決も
ずっと気にかけてくれていて、
個人面談の時間を作ってくれたりもした。
親問題を1人で乗り切ろうとして
潰れかけていた僕は、
スタッフさんの支援にどれだけ救われただろう。
就労移行支援は、次のステップに進むための場所。
通えるのは最長2年まで。
そうは言っても、僕は人生でも指折りの
大変な時期にお世話になったこともあり、
卒業するのがものすごく寂しい。
せめて年内いっぱいは通いたい気持ちもある。
でも、長くいればいるだけ、後ろ髪を引かれそうなので、
このくらい急に卒業する方が僕にはきっといい。
人生屈指の荒波の連続だった今年を
乗り越える支えとなった場所。
毎月のOBの集いはできる限り来たい。
そして、僕が体験入所した1日目に来ていた、
尊敬と憧れを抱いた卒業生さんのように、
「卒業生の話」をする機会に
また戻って来たい。
来週某日に決定。
これにより、現在お世話になっている
就労移行支援に通うのはあと2日となった。
6月、誕生日を迎えた直後に通い始め、
気づけば半年以上。
3箇所の事業所を見学した中で唯一、
希望しない限りPCを使うことがなく、
スピード面で苦手な軽作業中心の事業所を選んだ。
→「就労移行支援事業所へ正式通所。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/195/0
ここで行う軽作業のスピードは
7ヵ月従事した中で結局そこまで上がらなかったけど、
ここで取り組んだ多くの作業スキルが
日常生活に生きているのを実感している。
僕は今もたまにメルカリを販売メインで行っているが、
就労移行支援で行っていた商品の検品作業は
梱包前に不備がないかの確認に役立っている。
ダイレクトメールの封入や封止め作業は
検品した商品を丁寧に梱包したり、
それ以前に適切な梱包材を100均で用意したり、
商品を包むスキルを上げてくれた。
他の場所では、実務経験がないと
多くの場合はやらせてくれないであろう、
庶務に従事できたのも大きい。
備品の発注は大きな責任が伴うものの、
今回の就職先でもいずれ従事する可能性がある。
また、備品の過不足を調べる過程で、
いろいろな事務用品の名前や使い方を
じっくり学ぶことができた。
書類の補充では、どういう書類が
普段やり取りされているか目を通せて、
どういう書類上の手続きがあって
事業所が運営されているかを垣間見ることができた。
他にも、現在いろんな場面で応用できるスキルを
この7ヵ月間で磨かせてもらった。
他の事業所の見学に行っていた頃、
一日中PCを触っている事業所を選ばず、
あえて苦手な作業中心の場所を選んだことは、
結果的に大成功だった。
何より、今の事業所のスタッフさんはあたたかくて、
僕が親問題でたびたび苦しんでいる時も
親身に相談に乗ってくれた。
もう昔のことのように思える
区役所での親との直接対決も
ずっと気にかけてくれていて、
個人面談の時間を作ってくれたりもした。
親問題を1人で乗り切ろうとして
潰れかけていた僕は、
スタッフさんの支援にどれだけ救われただろう。
就労移行支援は、次のステップに進むための場所。
通えるのは最長2年まで。
そうは言っても、僕は人生でも指折りの
大変な時期にお世話になったこともあり、
卒業するのがものすごく寂しい。
せめて年内いっぱいは通いたい気持ちもある。
でも、長くいればいるだけ、後ろ髪を引かれそうなので、
このくらい急に卒業する方が僕にはきっといい。
人生屈指の荒波の連続だった今年を
乗り越える支えとなった場所。
毎月のOBの集いはできる限り来たい。
そして、僕が体験入所した1日目に来ていた、
尊敬と憧れを抱いた卒業生さんのように、
「卒業生の話」をする機会に
また戻って来たい。