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2019年12月05日

余計な一言で…涙が怒りに変わる。

昼休み、昼寝から醒めると
1通のショートメールが入っていた。

「区役所から連絡が来たので、今区役所に居る。
帰りに食糧を持って寄る。」

…父からだ…。



生活保護の受給を開始した後、
僕の知らない口座を実家が持っていて
そこにけっこうなお金があることが発覚した。

そのお金の動向によっては
生活保護が一旦廃止になるかというごたごたで、
僕の運命を親に握られているような感覚が消えず、
落ち着かない1ヵ月を過ごしてきた。

→「やっと手に入れた平穏な日々に、急展開。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/362/0

今回、どうして区役所に直接乗り込んだかについては
一切書かれていなかったが、間違いなくこの件だろう。



メールに気づいたのは昼休みの終わり際で、
どちらにしても夕方まで仕事だったので、

いきなり自宅に乗り込まれて
強制的に顔を合わせることは避けられた。

※父はいつも相手の都合を考えず一方的、
 差し入れはありがたいものの、
 来る連絡はいつも直前。

→「一方的な父のASD特性。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/221/0



ついに、関わらなければいけない時が来た。

鼓動が乱れ、背中に寒気が走る。

みるみるうちに平常心が奪われていく。



帰りの地下鉄で、形式的なお礼の返信と、
平日何時までは仕事で不在ですと書いた。

1年半ぶりの連絡。

するとすぐに、こんな返信が来た。

「仕事があってよかった、食べて栄養つけてください」



…ずるいじゃないか…。

どうしてこんな時だけ「優しく見守る親」面するのさ…。

僕が今まで、親に認められたい、受け入れられたい、
居候扱いしないで家族と認めてほしい、
僕の何がそんなに気に入らないのさなんて、

一人で悩んで泣いてきたのがバカみたいじゃん。

僕の独り相撲みたいでさ…。

車両の連結部近く、隅っこの席で涙をこらえた。

この気持ちで今日が終わるはずだった。



玄関の前に段ボールが2つ置いてあった。

食糧を置いていくと書いてあった通り、
たくさん差し入れてくれたんだろう。

しかし、1段目の段ボールに貼ってあった書置きを見て、
さっき地下鉄で「もう許してもよくない?」と、
不覚にも心が揺れ動いたことを後悔した。

「食糧を置いていきます。
『まずは素直に』食べてください。」



『まずは素直に』



どうしてこういう、余計な一言を、
嫌味ったらしい言葉をわざわざ付け加えるんだろう…。

まるで、自分たちが困ったり、
区役所まで行くことになったのは
お前の態度が頑ななせいだ、お前が悪いと
責められているような気持ちになった。

わざわざ来てやったのに不在で、
自分の思い通りにならないのが不満な息子に
いつもの長い説教演説をぶつけられなかったのが悔しい。

食糧という恩義と、罪悪感を感じさせるように仕向けてやろう、
「言ってやったぞ」と、チクっと棘を刺してやろう。

本人が無意識に書いたのかはわからないが、
僕は父の「言ってやりたい」魂胆を見透かしてしまった。



子どもを苦しめる親は無自覚。

そもそも原因は子ども側にあると思っていて、
自分たちは子どものためにやっているだけだ。

だから、彼らがいずれ変わることを期待しても
落胆と傷が増えるだけだから捨てよう。

そんな理論はアダルトチルドレン関連の本を
何冊も読むたびに出てきたこと。

僕自身、かすかな期待を裏切られて
何度も心の傷を増やしていったんだから、
もう諦めて然るべきでしょ?

もう懲りてるはずでしょ?

なのに、どうして地下鉄で一瞬でも、
捨てたはずの期待に期待して涙なんか流したのさ?



不用意に敷居を跨がせた結果、
僕が発狂して転がり回っても
構わず僕への文句を延々と言い続ける人だよ。

→「父の「学費返せ」発言の真相は。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/136/0

離婚の傷心から、目の前で泣き崩れても
「またそうやって取り乱す」で片付ける人だよ。

→「「またそうやって取り乱す。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/235/0

「お前のためにしてやった」姿勢を崩すことなんて
もう期待しちゃいけないと痛感してるはずでしょ?

彼らが変わることはない、これを受け入れないと
余計に傷つくだけだよ、だから捨てようよ。

僕がもっと合理性に溢れた人間だったなら、
これができたかも知れない…。



「優しい親」であるかのような甘い内容の返信に、
一瞬でも期待した自分がバカだった。

今まで何度も、不用意な期待からおびき寄せられて、
そのたびに心に切り傷を増やしてきたのに。

僕には学習能力がないのか。

1つ言えるのは、相手が親じゃなかったら
引っ掛かりも期待も最初からしてないってこと。

もっと警戒してたってこと。

親という存在は本当に大きな枷。
他人だったらどんなに楽だろう。



彼らは、どうして僕と連絡が取れないのか、
呼びかけに応じず疎遠にされているかに気づいていない。

会うたびに傷ついてきた長年の実績から、
僕に警戒されていることにおそらく気づいていない。

気づくような人たちなら『まずは素直に』などと
一言多いチクっとした台詞は控えるはず。

たかが言葉の端々かも知れないけど、
「してやっている」「言ってやりたい」はバレる。

魂胆や本心は透けて見えてしまう。

さすがにもう懲りてほしい自分に向けてもう一度、
彼らは、変わらない。


posted by 理琉(ワタル) at 02:14 | TrackBack(0) | 家族

2019年12月04日

学習漫画で育った、言葉への興味。

僕は小学校の頃から人の輪に入るのが苦手で、
いじめを警戒して周りと距離を保つような子どもだった。

言葉を口に出して表現するのが苦手な代わりに、
当時から言葉遊びや、言葉を書いて表現することに
興味を持っていて、

短編詩や俳句、標語などを作ると
なぜか入選する現象が起きていた。



小学3年生の時、
「宇宙」をテーマに書いた短編詩が
どういう経緯か市のラジオ局に知れ渡り、
ローカルのラジオ番組で朗読紹介された。

小学5年生の時、
標語コンクール・テーマ「健康」部門に

「健康は 誰のものでもないけれど
みんなほしがる宝物」

という、
その場の思いつきで作った標語を出したところ、

これがなぜか市長賞か何かに入選し
ショッピングモールの広場で行われた
大々的な表彰式に呼ばれた。

こんな大ごとになったのは、
確か当時の小学校の授業で作品を作り
それをコンクールに応募してみましょう
というような経緯だった気がする。



言葉遊びに興味を持ったきっかけは
たぶん小学2年くらいから読み出した学習漫画。

特に四字熟語と慣用句の学習漫画が好きで、
全ページ、全コマの台詞をすべて暗記したり、

巻末にある用語や意味解説の一覧を
すべて憶えるまで読み込んだりしていた。

この2冊は地図帳と並んで、
小学生の時の愛読書だった。↓



言葉を口で表現することは苦手でも、
「言葉を覚えて、書いて伝えること」に
この頃から楽しさを見つけていたらしい。



この2つのように大ごとにはならなかったが、
小学3年生の時に自由作文で書いた「第三次世界大戦」は
学校内のコンクールで入賞した。

日本が持つ世界的に重要な技術力やノウハウを
他国が強行に奪いにきたことに端を発し、
連合国に日本が攻められるという状況、

僕を含め大人になったクラスの生徒のほとんどは
兵役に従事し、他国の侵攻を阻止するために闘う、
そんな登場人物設定。

多くのピンチを乗り越えながら、
最終的には敵国が強奪を諦め撤退、
戦争以外での解決策を探すこととなり、
何とか日本を守り切って完結。

今こうやって、思い出せる限りで
作文の内容を書いていると、

これが9歳の発想なのか?と疑ってしまった。



言葉を書いて表現するのが好きだった他の要因は
家に「美味しんぼ」が全巻あって、
それを読みふけっていたことで
ストーリーを意識するようになったこと。

美味しんぼは父が集めていて、
仕事部屋にずらっと並んでいた。

美味しんぼの台詞に出てくるほとんどの漢字には
青年漫画雑誌の作品だけあって
フリガナが振られていない。

当時はスマホも電子辞書もなかったから、
読めない漢字は文脈から読み方を考えるか、
それでもわからなければ辞書で調べる癖がついていった。



発達障害、とりわけ自閉症傾向に特有の
「興味の対象が狭く深い」という特性に
言葉遊びが上手くはまる結果となった。

当時は発達障害という概念がなく、
本当に偶然の出会いではあるけれど、

多くの言葉、文字に触れ、
わからない言葉があれば考え、
自主的に調べる癖が早くからついたことは
その後の大きなプラスとなった。

当時は今と違い、字ばかりの本は嫌いだったけど、
学習漫画をたくさん読んでいたことで、
読む、書く、表現することへの興味が育った。

これが現在の漫画好き、
ブックオフ好きにつながったんだと思う。

2019年12月03日

「アンタなんかに屈しないからね!」。

僕は長い長い反抗期の中で
ほぼ毎晩、母と喧嘩していた。

始まりはだいたい、
母が「家事を手伝いなさい」と僕を呼び出した時
僕が「勉強の邪魔をするな」と反発することに端を発した。

今思えば、これは発達障害特有の
「自分のペースを崩されることに対する嫌悪感」も
強く影響していたんだと思う。

→「長かった、僕の反抗期。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/351/0



その言い合いはたいてい、
父の車のライトが窓から見えることで終わった。

父には声も姿も晒したくない思いと、
多少は減ったとはいえ、怒鳴るイメージへの恐怖感から、
喧嘩を終わらせないと命が危ないという思いが交錯した。



そんな、期間限定の喧嘩で言い合ったことなど
内容はほとんど忘れてしまっているが、

その中で僕が今でも憶えている、
母に言われた言葉がある。

「アンタなんかに屈しないからね!」



お互い熱くなっての、
ただの売り言葉に買い言葉だろう。

たぶん、それ以上でも以下でもない。

だけど、反発心の塊だった当時の僕は
この言葉を聞いた以降、その勢いが少しだけ折れた。

おそらく咄嗟に出たであろう、母のこの言葉。
その意味を深く考え始め、純粋な反発心に迷いが生まれた。



僕は母にとって、
アンタ「なんか」という程度の存在だったんだ。

母にとって僕は、家族ではなく
負けない、屈しないという感情で見られる
「敵」という存在だったんだ。

僕は親に「お前には負けない、屈しない」と
張り合われる対象だったんだ。

この人にとって親子や家族は
支配と被支配、勝ち負けのある上下関係だったんだ。
そこに対等な人間関係を求めてはいけないんだ。

そして、こんな言葉が咄嗟に出たということは、
これが母の本音なんだ…。

反発心、怒り、憎しみに溢れていた心に
迷いという亀裂が入り始めた。



僕はその日から、自分の何が親にとって
そんなに気に入らないのかを探し始めた。

どうして勝負事のように張り合われるんだろう、
自分が親の能力を超えたり脅かしたりした覚えがないかを
掘り返し始めた。

何もかもに反発し、自分たちの思い通りに
支配できないことに苛立っていたのか。

自分では気づかなかったけど、
親自身が学生だった頃よりも
僕が何かの能力で勝っている点があって、
それに対して敵対心を燃やされたのか。

僕が今から従順になれば、煩わしい敵対心や
出どころ不明なライバル心を抱かれずに済むのか。

こんな風に、とにかくいろんな可能性を
一人で考えることしか当時はできなかった。

ストレートに
「僕の何がそんなに気に入らないんですか?」
と尋ねることはできなかった。
”子供と競おうとする親”

心の健康な親にとっては、子供が成長して
さまざまなことができるようになってくるのは、
喜び以外のなにものでもない。

だが心の不健康な親は、
自分から何かが奪われていくような気分になり、
子供に「かなわなくなってくる」ように感じる。

だが、子供に対抗しようとする親のほとんどは、
なぜ自分がそういう気持ちになるのかに気づいていない。


『毒になる親』第五章より



迷いながらも僕は結局、中高6年間
ずっと強烈な反抗期を過ごした。

その後も勉強中に呼び出されては
言い合いを繰り返した。

僕は自分が今している言い合いに
迷いがあることを認めながらも、
平和的に終了し気持ちよく手伝うことは
ついに一度もなかった。



大学進学で実家を離れてからも、
親がどうして僕に張り合おうとするのか
答えは出なかった。

親の優位性を脅かすようなことを
僕は何かしたのか、それは何なのか。

答えは今も謎のまま。

もし、この時のことを話す機会があったとしても、
彼らはきっと「憶えていない」と言うだろう。

喧嘩して言い合って、熱くなった中での
たった一言。

僕は今も、もし反抗期のどこかで
自分が一歩でも引いたり変わることができていれば、

ずっとほしかった「あたたかい親子関係」が
手に入ったのではないかと夢見る時がある。

自分が変われば、もしかしたら
一方的な彼らと「わかり合う」という
理論値に辿り着けたかも知れない、

そんな、夢みたいな幻想を
今もまだ捨て切れていない。


posted by 理琉(ワタル) at 23:42 | TrackBack(0) | 家族

2019年12月02日

承認欲求をひたすら並べる。

帰る場所がほしい。

帰りたくなったら気軽に連絡して、
いいよ、帰っておいでと言ってもらえる場所がほしい。



居ても煙たがられない場所がほしい。

「〇〇するなら置いてやる」
「いつまで居るつもりだ」
「帰れ帰れ!」
「居候」

滞在条件や罵声がない場所がほしい。



早く引っ越ししなければと
心を急き立てることのない場所がほしい。

生活保護を受けたんだから
引っ越しは必要なことなんだけど、

申し訳ない、引っ越しに動く元気が残ってない。



僕が生まれてよかったと言われたい。

僕は生まれてきてくれただけでよかった、
それ以上は何もいらないと言われたい。

僕は生まれてきてもよかったのか、
という問いにイエスと答えてほしい。



そんなことばかりを
自分以外に求める自分を受け入れたい。

大き過ぎて受け止めきれないほど、
「無条件の愛情」を他人に求める
依存的な一面がある自分を責めずにいたい。

心の中でこれだけ
「無条件の受け入れ」を求めているのに、

いざ人前に出ると何も言えず、
ただ無言で意見を押し殺している自分も
紛れもない自分なんだと肯定したい。



別に自分が生き続けなくてもいいんじゃない?
と考えていることも受け入れたい。

こんなに次々と色んなことで悩むのに疲れたから、
もう別に生き続けなくてもよくない?
と考えていることも否定せずにいたい。

去年の今頃は
2019年没で全然構わないと思っていて、

今年の今頃は
長くてあと数年後没でもういいや
と思っている自分も、そうなんだねと受け止めたい。



僕はずっと愛情飢餓に陥っていることを
素直に認めたい。

周りがどれほど「充分与えた」と言っても、
僕自身が愛情に飢えていて、
もらえなかったと思っていることを
隠さずに受け入れたい。



自分は生まれてきてもよかったんだと、
自分で断言できるようになりたい。

人から認めてもらうばかりではなく、
自分は生まれてきて存在してもいいんだという
確たる自信がほしい。



自分は生まれてきてもよかった証拠がほしい。


posted by 理琉(ワタル) at 23:52 | TrackBack(0) | 人生観

2019年12月01日

【オリジナル歌詞】『がんばるきみへ』

きみは弱くなんかない 決して間違ってなんかない
こんな風に弱音こぼせること それがきみの強さ

街の慌しさに 飲み込まれてしまってもなお
涙ひとつ見せず 誰かのため がんばってるきみへ

  こんな僕を頼ってきてくれて 本当に本当にありがとう
  励ますことくらいしかできないけど きみが心から笑顔になれますように



社会の常識だとか 果たすべき役割だとか
守れないからと落ち込む必要なんてないさ

きみはもう充分 周りに幸せ運んでる
だから僕はあえて言うよ がんばらなくていいから

  汗を拭き 誰かのためと願う ひたむきなその姿が眩しくて
  遠く遠く離れた場所で 僕は そんなきみと出逢えたこと 誇りに思うよ



  こんな僕を頼ってきてくれて 本当に本当にありがとう
  これからもずっとずっと祈ってる きみが心から笑顔でいられますように




ーーーーーーーーーー



「何気ない優しさが、一生の救いになることがある」
そんな実感から書いた歌詞。



数年ぶりに再会した友人が、僕にこう言ってくれた。

 「私が落ち込んでいたとき、励ましてくれましたよね。
 あのときの嬉しさは今でも忘れていませんよ。」


僕はこのことを忘れてしまっていた。

でも友人にとっては、
この頃のやり取りがずっと励みになったと言ってくれた。

「何もない自分でも、人を助けられるんだ。」

そう教えてくれた友人に感謝している。



⇒過去作品
【オリジナル歌詞】『優しいきみへ』

【オリジナル歌詞】『キセカエ人形』





posted by 理琉(ワタル) at 02:06 | TrackBack(0) | 歌詞

2019年11月30日

【オリジナル歌詞】『明日が来る奇跡』

どうしようもないことが 立ち塞がるばかりで
どれだけ僕が無力か思い知った

それでもこの世には 消えていい命なんて
一つもないと頑なに信じたい



TVニュース 今日もどこかで戦争が起き
罪も無い人が巻き添えにされてる
恐怖に怯える夜 光の見えない朝
迎えるために僕ら 生まれたんじゃない

どうして大切な命 奪い合うの?
憎しみ合い殺し合うために僕ら 生きてきたんじゃないだろう

  もしも僕らを作った神さまがいるとしても
  争い 負の感情ぶつけ合いなんて 望んでるはずないさ
  正義や平和なんて かざすつもりはない
  ただ大切にしよう 明日が来る奇跡を



今日も新聞一面 悲しい記事ばかり
いじめ 自殺 心締めつけられる
追い込まれ絶望しても 命を絶つことしか
選べない社会って一体何だろう?

僕だけの力じゃどうすることもできない
わかっていても叫ばずにはいられない 何とかしたいと

  何気なく生きてる今日 何となく迎える朝は
  誰かが本気で生きたかった 待ち望んでた朝だから
  世界を変えようなんて大口叩けない
  ただ大切にしよう 明日が来る奇跡を



  西の空 綺麗な夕日 まどろみ溶けてゆく
  明日もこの空拝める保証なんて どこにもないから
  悔いのない1日を過ごせてありがとう
  ただ大切にしよう 明日が来る奇跡を




ーーーーーーーーーー




⇒過去作品
【オリジナル歌詞】『権力という虚像』

【オリジナル歌詞】『色恋シゴト』



posted by 理琉(ワタル) at 02:08 | TrackBack(0) | 歌詞

2019年11月29日

「ここに居ていい」と言われたい。

僕はここに居てもいいのか、
僕はここに存在していてもいいのか、

その答えがほしい。
居てもいいよと言われたい。

生きていてもいいのか、というよりも
「始めから居なかったこと」にならなくていい、
存在自体はしていいんだよと認められたい。



ある程度の人がいるのに
誰も話していない空間が苦手。

特に気まずくなくても、
ごく普通のありふれた日常風景であっても。

沈黙の中にいるとすぐに、背中に悪寒が走る。

「出て行け」と言われているのではないかと
勝手な妄想が繰り広げられる。

何の変哲もない日常の1シーンなのに、
背中越しに感じるその場の空気が
ちくちくと突き刺さる。

そんなことになるのはきっと、
僕はここに居てもいいのかダメなのか
説明も回答もないのに耐えられないから。



高校の時はバスケ部の先輩から、
大学の時はバスケ部の同級生から、

自分にだけ声をかけられなかったり、
いないものとして無視されたりしていた。

社会人になってからは、
親から「居候」と呼ばれ
家族扱いされなかった。

僕はこの場所に居てはいけない、
始めから居なかったと回答された経験だった。

→「”居候”という言葉が嫌い。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/188/0



何の期待に応えなくても、
何も価値を生み出さなくても、
何かの役割や仕事をこなさなくても、

居るだけでいい、と言ってくれる場所がほしい。

人がいるのに沈黙が漂う場所で
自分の存在に対して勝手に罪悪感を感じる。

勝手に背中をすくませながら、
自動的な自責を上書きしようと試みる。

「いやいや、この沈黙には何の意味もないよ」と。



音楽を始めた理由は
ずっとやってみたかったから。

けどそれは表面的な興味で、
本当の根源的な理由は自分の存在の主張。

僕はここに居る、いいでしょ?
この問いに、誰かに答えてもらいたかったから。

→「音楽活動を始めた本当の理由。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/252/0



僕にとって、本当に心から好きで
損得抜きで没頭できることは、
バスケだけかも知れない。

音楽を始めたり、一時期モデルをやったり、
ヒーローショーのアクターをやったり、
ダンスをやったり、

人前で何かを表現する活動を
いろいろとやったのはすべて、

自分の存在を認めてほしい、
自分はここに居る、居てもいいと答えてほしいという、
存在することへの承認欲求だったんだろう。



僕は一見、やりたいことをやってきたようでいて、
実は自分の存在への肯定をずっと求めてきた。

だからたぶん、本当の意味でやりたいことは
まだバスケしか見つけられていない。

この先も存在許可を求めてさまようのか、
そんなこと抜きに、本当にやりたいことを見つけるのか。

「居るだけでいい」と言われたい心と
どう折り合いを付けていけばいいだろう。


posted by 理琉(ワタル) at 00:37 | TrackBack(0) | 人生観

2019年11月28日

「マンハッタン」は本当に方言?

僕は高校卒業と同時に実家を離れ、
人生をリセットするために
2000キロ遠方の大学へ進学した。

それだけ離れているくらいだから、
いろんなカルチャーショックがあったけど、

一番困ったのは方言の違い。

最初の数ヶ月は、せっかくできた友達が
話している言葉が理解できず取り残されたり、

逆に僕が話すと
「そんなにかしこまった喋り方せんでも」
と言われたりした。



大学でもバスケ部に入り、
同級生からは「いないもの」として
扱われたこともあったけど、

よくしてくれる先輩はいた。

→同級生の家から、裸足で追い出された事件。
父との関係。(5) -大学〜就職-
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/43/0

その先輩の中の一人が、
「これはここの方言」と言っていた
インパクト大の言葉がある。



バスケにおいて最も痛い部類の接触事故といえば、
太ももやふくらはぎに相手の膝が刺さること。

ここでは主に太ももの打撲のことを指そう。

地元ではたまに「ももかん」と聞いていたけど、
正式名称をはっきり知らないまま
バスケ人生を送っていた。

ある日の練習中、その先輩の太ももに
相手の膝が刺さる事件が発生した際、
痛がる先輩が

「マンハッタンや!」

と叫んでいた。



マンハッタン?



ニューヨーク?



その先輩は県内の隣町の出身。

バスケ中に相手の膝が太ももにズシリと刺さり、
あの何とも言えない重たい痛みがしばらく続く現象を

この県の方言で
「マンハッタン」と呼ぶんだよと教えてくれた。



当時はまだ方言の違いに戸惑っていて、
同じ日本なのに言葉が通じない感覚が残っていたので、

僕はあまり疑うことなく受け入れてしまった。

方言がカタカナ?和製英語?と
僅かな疑問はあったものの、

別の県の方言では駐車場のことを
「モータープール」と呼ぶと聞いていたので、

若者言葉のような方言なのかな、と
すっかり納得していた。



とはいえ、本当にマンハッタンが方言なのか
気になったので、その後何人かに聞いてみた。

近隣の県出身の先輩は二人とも、
「マンハッタンなんて言わん(笑)」と否定していた。

県内の他の都市出身の人に聞くと、
同じ答えが返ってきた。

なので、
マンハッタンが本当にこの県の方言なのか、
それとも先輩の出身都市だけの言葉なのか、
先輩個人の造語なのかは結局わからなかった。

当時は他にもわからない方言が多く、
いろんな言葉の意味を人に聞きながら覚えていったけど、

最も強烈なインパクトを残した方言(?)が
この「マンハッタン」だった。



「方言 マンハッタン」もしくは
「ももかん 方言」で検索しても

マンハッタンらしき証拠は見つけられなかったので、
本当に方言なのかは未だに謎のまま。

僕の地元からあまりにも遠いので、
卒業後は一度も行けていないけど、

いつかまた母校を訪れたなら、
「マンハッタン」は本当に方言なのかを
もう一度確かめるのが楽しみ。


posted by 理琉(ワタル) at 22:51 | TrackBack(0) | 生き方

2019年11月27日

【部活の理不尽】補欠選手の渇き

学校の部活経験者なら、
多くの人に「補欠」の経験があると思う。

そして補欠を長く経験した人ほど、
試合の日が1番憂鬱だったんじゃないか。

たとえば大人になってから学生の大会を観戦に行ったら、
1番気になるのはどこだろう?

1点を争うコート上?
祈るように見つめるベンチ?
大声で指示を出すコーチ?
悲鳴と歓喜に沸く父兄応援団?

違う。

ずっと補欠選手だった人が気になるのは、
そんな華やかなオモテ面じゃない。

ベンチに入れず、2階席で応援する補欠選手たちだ…。



僕は小学生からバスケを始めたが、
小中高大と試合に出られなかった。
ベンチにも入れない時間の方が長かった。

正直に言うと、
僕は試合の日なんか少しも嬉しくなかった。


試合の日は、
練習の成果を出すチャンスが
与えられないことが確定している。

悔しさや惨めさを嚙みしめて
1日が終わることが確定している。

なのに、悔しさや惨めさを押し殺して
「チームのため」の振る舞いを求められる。

なのに僕は、どうしても
「チームのため」と思えない自分が嫌だった。

・部活に所属している以上、
 チームの成功を喜ばなければいけない

・「自分が出られないならどうでもいい」と
 投げやりになってはいけない


本当は投げやりになっているのに、
自分にそんなウソをつく自分が嫌だった。




ユニフォームをもらっている選手なら、
点差が開けば出場のチャンスがある。

勝敗がほぼ決した終盤だけでも、
「試合に出られるかも」という希望を持てる。

補欠選手はどうか?
補欠選手にはそんなわずかな希望すらない。

おそろいのチームジャージを着ているのに、
ウォームアップすらできずに1日が終わる。

悔しさ、惨めさ、消化不良が募ったまま、
チームが勝てば喜んだフリをする。
チームが負けたら残念なフリをする。

「ずっとレギュラーで活躍してきた」という人は、
補欠選手がどんな気持ちで家路につくかを
想像したことがあるだろうか?

「チームのためなら」

そんな美しい自己犠牲の言葉は、
補欠選手には響かない。


それが響くのは、
試合にたくさん出場している選手だけだ。

人間はきれいな生き物じゃない。

悔しさ、惨めさ、嫉妬心をすべて捨てて、
無心に応援できる聖人君子じゃない。




僕は社会人バスケを始めてから、
今までがウソのようにバスケが上達した。
試合にも出られるようになった。

けど、今でも試合の日は憂鬱だ。
普段の練習に行く時の方が何倍も楽しい。

試合の日は10〜30分しかバスケができない。
練習なら2時間びっちりゲームができる。

僕にとって、ゲームに出られるなら、
それが公式戦でも練習中の紅白戦でもどっちでもいい。

とにかくたくさんゲームに出たい。
本当は2時間じゃ足りない。

社会人バスケでは、
1日に2試合を消化することは稀だ。
1試合分では足りないから、本当は2〜3試合やりたい。

補欠選手は、とにかく喉が渇いている。

試合に出られない悔しさと、
1日をムダにしたような消化不良感を
長く味わってきたからだ。


コートに立てない選手たちも、
僕と同じように渇いているんだろうか。

試合に出られずに終わった1日を悔やみ、
平日への絶望を抱えているんだろうか。

「チームが勝って嬉しい」
自分にそんなウソをついているんだろうか。



「嫌なら部活を辞めろ」
「レギュラーになれないお前の自己責任だ」


という意見もあるだろう。
これ以上ないくらい合理的な解決策だ。

補欠選手の悲哀が
「負け犬の遠吠え」に映る人もいるだろう。


その通りだ。
実力不足か、何かの理由かわからないが、
補欠選手はどこかで負けたから補欠だ。

が、それを責めることで誰が幸せになるだろう?

「自分は補欠でも我慢してきたんだ」
「そんな利己的なことを言うヤツが許せない」


というなら1度、
学生の大会を観戦に行ってみてほしい。

そしてコートではなく、
2階席で応援している補欠選手たちの声を
よく聞いてみてほしい。


彼らの声援の成分は、純度100%の励ましだろうか?
きっと、励ましなんて1割くらいだろう。

大部分は「飢え」「渇き」だ。

補欠選手だった者だけが聞き取れる”悲鳴”だ…。




部活の理不尽「補欠」

僕は幸運だった。

補欠選手の渇きが、
「もっとバスケがしたい」という情熱に変換されたから。

けど、人によっては
「試合に出られないからバスケを辞めよう」
に繋がったんじゃないか。


一生の趣味になったかもしれない。
プロ選手や指導者として活躍できる素質を持っていたかもしれない。

なのに補欠が溢れるスポーツ環境がつまらなくて、
多くの人が辞めてしまったら、とてつもない損失ではないか。


本来、わくわくするはずの試合の日。
その日が1番憂鬱だなんて、あまりにも悲しい…。



⇒他記事
【遅咲き】何かを始めるのに年齢は関係ない、楽しいかどうかで決めればいい

【バスケ心理分析】ディフェンスをサボる理由は、強い承認欲求と自己否定ではないか


⇒参考書籍




posted by 理琉(ワタル) at 00:41 | TrackBack(0) | 部活

2019年11月26日

笑いの力を過小評価していた。

やっと生活保護を受けて、
心穏やかに過ごせると思った矢先に
急展開があってから、10日前後が経過した。

未知の自分名義口座を親が持っているかも知れない、
そのお金の動向次第で生活保護が一旦廃止になるかも知れない、

何より僕にとって最も心が乱される存在である
親と関わらなければならない、

そんな不利な選択肢に葛藤する日々だった。

→「やっと手に入れた平穏な日々に、急展開。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/362/0

→「「心の平穏」は贅沢な要求なのか。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/366/0



この期間、ただ転げ回っていただけじゃなくて、
1つ意識して取り組んでいたことがある。

それは「たくさん笑う」こと。

いわゆる「しょーもないこと」でも、
何でもいいからとにかく笑い転げること。







YouTubeで毎日観るものといえば
ほとんどNBAなどバスケ関連の動画だったけど、

苦しい時だからこそ、とにかく笑えば
何か変わるかも知れないと思い、

かつてないほどに笑える動画を探していた。



この10日あまりは顔が死に気味だったものの、
とにかく笑いまくった結果、

最近やっと、良い意味で「どうでもいい」と
少し思えるようになってきた。

どうやら僕は、親関連で心が乱れた場合、
回復するのに一週間と少しの療養期間が必要らしい。

回復ペースは人それぞれといえど、
もう少し早くなってくれればいいなと思う。



笑うことは、自分を楽にする。

泣くことですっきりすることも
もちろんあるけど、

笑う時間を少しずつ増やすことで、
抱えている悩みにが次第に
「そんな小さなこと」になっていく。

その瞬間だけでも、蹴り飛ばせるようになる。

それを積み重ねていくことで
知らず知らずのうちに心が少し楽になっている。



調子に乗ってくると、自分の不利な状況に対して
「塞翁が馬」などと言えてしまう。

笑うことの大切さ、
笑うことがもたらしてくれる力、偉大さ。

わかっているつもりでも、いざ落ち込んだ時に
意識して笑い転げられるかどうかが、
その後の心持ちを大きく左右する。

そんなことに今さら気づいた。



この期間、もし笑おうとしていなかったら、
夏に陥ったような無気力状態になり、
立ち上がれないくらい落ち込んだかも知れない。

地上にいる自分の右上に、
浮かんだもう一人の自分がいるような
離人感がまた強くなっていたかも知れない。

→「無気力な日々。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/274/0

→「浮かんだ世界。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/270/0

この時ほど深く落ち込まなくて済んでいるのは、
たくさん笑うことによって元気が残っていたから。

笑うことの力を、僕はまだ過小評価していた。



いずれ訪れるであろう、親と対峙する日。

僕はその時、「そんな小さなこと」と
言っていられるだろうか。

どれだけの覚悟を決めていられるかは、
これからいかにたくさん笑うかにかかっている。


posted by 理琉(ワタル) at 00:33 | TrackBack(0) | 生き方
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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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