アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2019年11月25日

テープの音に謝っている。

就労移行支援での軽作業の中で、
僕が一番苦手な音は、

テープを引っ張り出す時の
「ビーッ!!」という鋭い音。

この音に過剰に怯えてしまうので、
テープを使う作業の時は別室へ行き、
違う作業を当てがってもらっている。



どう怯えているかというと、
大きくて鋭い音がすると自動的に頭を守りながら
「ごめんなさい…」と言っている。

口ではなく、心の中で。

僕は一体、何に謝ってるんだろう、
何が「ごめんなさい」なんだろう。

原因は1つではないかも知れないけど、
今のところ思いつくトラウマ要素を考えてみた。



幼少期から今に至るまで、僕は親から
直接的な暴力を受けて育ったわけではない。

唯一の、父に手を上げられた記憶を
以前書いたことがあるけど、
憶えている限り直接殴られたのはこの一度。

思い出さないように封印されているものも
あるかも知れないけど、それはひとまず置いておく。

→「唯一の、手を上げられた記憶。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/164/0



どちらかというと、
制限時間を設けられての懲罰教育や、
インターフォンを鳴らしても出ないなどの
無視、無関心が多かった。

→「懲罰教育、ルールが支配する家。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/155/0

→「冷たいドアと黄昏と。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/227/0



テープを引っ張り出す音の他に、
エレキギターの引き裂くようなストローク音、

それから工事現場などで
削岩機(?)を使って地面を削るような音、

ドリルで穴を開ける時の
破裂音などにも、同じように謝りたくなる。

仕事中に響く音といえば、テープの他、
多めの冊子を整えるために、
テーブルに「ドン!」と叩きつける音。

同じ部屋でみんなで仕事していたら
当たり前に聞こえてくるような音なのに、
僕はいちいちびっくりしている。

何かが壊れる、引き裂く、脅す、
そう連想させる音が総じて苦手。



モノに限らず、
「何かが壊れる」ことを連想しているとしたら、
考えてみると少し身に覚えがある。

僕が子どもの頃の家は、誰も何もしゃべらない、
ただ同居人がいるだけのような静まり返った空間だった。

明らかに空気は張り詰めているのに、
それがなぜなのか誰からも説明がないので、
原因を自分で察したり考えるしかなかった。

その中で考えた可能性の1つ、
「自分のせい」。

誰も答え合わせなどしてくれない。

だから、自分がどうしていればいいか、
何をすればこの場がよくなるかがわからず、
大きな不安を抱えたまま、引き続き黙り込む。



そんな静かな空気の中に突然響く、
何かが壊れるような大きくて鋭い音。

「壊れる」を連想させる音は、
「自分のせいで雰囲気が壊れているんだよ」
という回答なんだろうか。

それすらも答え合わせはないから、
無意識に「壊したのは自分のせい」という回答が定着し、
大きくて鋭い音と紐づけられたんだろうか。

少し無理やりだけど、
もしかすると、こういうふうに
連想に次ぐ連想が起きているのかも知れない。



同じ部屋や空間に人が複数いるにも関わらず、
誰もしゃべっていない空気は今でも苦手。

いわゆる「気まずい」というものを通り越して、
僕は一人で「何とかしなきゃ…」と焦っている。

この現象も、もしかすると実家の静寂を連想して、
勝手に自分のせいにし、責任を背負っているのかも知れない。



大きくて鋭い音で大ダメージを受けるようになったのは
明確にいつからとは言えず、はっきりした原因も
今のところ思い当たらない。

少し無理やりながら、現時点で思いつくのは
不穏な静寂が漂う実家の空気と重ねているのかな、ってこと。

音については本当に些細なことでも
気を取られたりびっくりしてしまうので、

今後も何か思い出したら
随時、分析していきたいと思う。


2019年11月24日

生活保護の期間中、年金はどうするのか。

国民年金の督促状が届いてしまったことで、
すっかり忘れていた疑問が再浮上。

「生活保護を受けてる間、年金はどうなるんだろう」

ということで、年金事務所へ聞きに行ってきた。



1年ぶりに訪れた年金事務所には、
ある意味、苦い思い出がある。

昨年の今頃は、
障害年金を申請するために何度も予約をし、
数日おきに通い詰めた結果、見事に落ちた。

→2018年11月30日、障害年金を申請。
ダメモト障害年金。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/9/0

→2019年3月5日、障害年金に落ちる。
障害年金、落ちた。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/99/0



受付に並び、僕のすぐ前の人が
これから障害年金を申請したいと言っていた。

それこそ膨大な数の書類を集めたり、
病歴、成育歴を何枚もびっしり書いたことを思い出し、

これから棘の道を辿るんだなぁと
感慨にふけっていた。



さて、手続きの結果はというと、
生活保護を受けている間は年金支払いが免除。

生活保護の受給を開始した時点、ではなく
申請をした日から数えてとなる。

申請をする前に何らかのブランクがある場合、
例えば失業してから失業保険を受給し、
その後に生活保護を申請したような場合は

年金支払いが困難な期間ということで
減額や免除の対象になるかどうか審査される。



僕はこれに当てはまったので、
失業した日(会社を退職した日)を確認するために
失業保険をもらっていた時の書類のコピーを
郵送してくださいということで、その日は終了。

書類を送ってから2〜3週間の審査を経て、
減額の場合はその金額が書かれた納付書が届き、
コンビニなどで支払いをする。

その2〜3週間の間は、
減額されていない正規の金額が書かれた
払込用紙が届いてしまうが、払わなくていいそうだ。



年金事務所の入り口に、
障害年金の相談予約状況が〇×で書かれた
カレンダーが設置されていた。

1週間くらい先まで、ほとんど×
つまり予約でいっぱい。

僕の前に並んでいた人は
予約せず飛び込みで障害年金の相談に来たらしく、
2時間以上待ちと告げられていた。

予約で埋まっていた人の全員が
実際に申請までこぎつけるわけではないだろうけど、

毎日これだけの人が障害年金に
光を見いだそうと相談にくるんだ。

つまり、みんな苦しいんだ。

そんなことを思いながら、
自分が障害年金に落ちた時の絶望感も思い出しながら、
短かった待ち時間を過ごしていた。



何だか障害年金が話の中心になってしまった。

ひとまず、厚生年金ではない、
国民年金の納付額は恐ろしく高い。

金額は自治体によるかも知れないが、
1万数千円を毎月ちゃんと払える人は
いったいどれくらいいるんだろう。

納める必要があるもの、
とはいえ、これほど高額では、

もらう側になるであろう未来まで
生き延びることが難しい気もする。

命を繋ぐには、こんなにお金がいるんだ。


posted by 理琉(ワタル) at 16:06 | TrackBack(0) | 生き方

2019年11月23日

カレーの具材の贈り物。

母方の叔母から突然の荷物が届いた。

開けてみるとそこには
地元の農村で収穫した野菜、そして米。

「荷物を送ったよ」という連絡もなく、
本当に突然だったので驚いたけど、

気にかけてくれてることが嬉しくて
すぐにお礼のメールを送った。



「残念ながら肉は送れなかったけど、
カレーにでもして食べとくれ。」

カレー…?

野菜の内容はというと、
玉ねぎ、にんじん、ジャガイモ、

そして米(野菜?)。



あ、なるほど、カレーの定番具材。

ずいぶん洒落っ気を利かせた贈り物。



それにしても、
なぜこのタイミングで送ってくれたんだろう。

僕の誕生日は6月なので、
誕生日プレゼントやそれに準ずるものではない。

去年もこの時期にジャガイモをもらったので、
収穫期だろうか。



ところで、僕は生活保護を申請したことを
家族にはもちろん、親戚にも誰にも言っていない。

間違えた、1人を除いて誰にも言っていない。

それは叔母ではないのだけれど、
もしかしたらどこかで耳にして、
心配から送ってくれたのかも知れない。



母方の祖父母や叔父叔母は
僕が家族と上手くいかなかったことを知っている。

結婚する前後に訪れた時も、両親は
「恥ずかしいから連れていかないでくれ」
と僕を罵ったけど、

彼らは大らかに
「うちはそんなもん気にしないから、いつでも来い」
と言って、何も聞かずに出迎えてくれた。

細かいことや、複雑な事情を気にせず、
「そんなのいいから」と言ってくれる。

帰る場所がないことをずっと悩んできた僕は、
この大らかさに何度も救われている。



僕が今回、生活保護を申請したり、
いろいろあったことは、実はみんな知っていて、
あえて何も聞かないのかも知れない。

もしくは、そんな事情はまったく知らないで、
とにかく収穫した食糧を送ってくれただけかも知れない。

いずれにしても、
僕が抱えるいろんなことをあれこれ詮索せず、

「いいから食べな」と言わんばかりに、
贈り物をしてくれた叔母に、
その理由を聞くのは野暮というものだ。

だから僕も、
こうやっていろんな理由を思いつきながらも
それは心の中だけに留め、

ただ素直に「ありがとう」と言いたい。
posted by 理琉(ワタル) at 00:23 | TrackBack(0) | 家族

2019年11月22日

「いいことなんてないですよ」。

お昼休憩中。

就労移行支援での、
とある利用者さんと実習生さんとの会話で
利用者さんが言っていた言葉。

「生きとってもいいことないですよ、
しんどいことばっかりです。」



これを聞いた時、その人には悪いと思いながら、
僕は少し救われた気持ちになっていた。

その理由は、とっくにわかり切っていること、

いや、みんながわかり切ったフリをしながらも、
どこかで自分だけだと信じたいこと。

「あぁ、僕だけじゃないんだなぁ。」



みんな、何かしらのしんどいこと、辛いこと、
不安なこと、悲しい思い出、忘れたい過去を抱えてる。

それは、当たり前と言えるほど正論。

なのに、自分が辛い時は
その当たり前の正論は自分だけに当てはまる、
などと錯覚する。

いや、錯覚したいのかも知れない。

自分の苦しみが一番だと、みんな思いたい。



僕にだって、みんなにだって、
これまで生きてきて辛いこと一色じゃなくて、

大小いろんな「いいこと」があったはず。

苦しみは視野を奪う。

過去にあった「いいこと」や、
今この瞬間、自分に十分足りてることを、
目の前にあっても見えなくさせる。

僕は彼の「生きとってもいいことない」を聞くまで、
完全に視野を奪われていた。



あなたも辛いんだね、僕も一緒だよ、などという
仲間意識とは少し違う。

かといって、これを「共感」と呼べるのかは
わからない。

「僕だけじゃない」と気づいたことで、
少し心が軽くなったのは事実。

何とも中途半端であいまいな気持ちだけど、
今朝、死にそうな顔で出勤を諦めていたら
出逢えなかった言葉。

みんな何かを抱えてるという当たり前に
気づかせてくれた言葉。

今日、休まず行ってよかった。


posted by 理琉(ワタル) at 17:25 | TrackBack(0) | 生き方

2019年11月21日

「心の平穏」は贅沢な要求なのか。

やっと手に入れたと思ってた
家がなくなる恐怖から解放されて
心穏やかに過ごせる日々。

それが崩れるかも知れない事件が起きてから
一週間くらいが経過した。

→「やっと手に入れた平穏な日々に、急展開。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/362/0



区役所からは、まだ何の連絡もない。

生活保護が一旦廃止になるかも知れない、
関わった分だけ傷つく親に
関わらないといけないかも知れない、

この2つの恐怖がどちらも襲ってくるでもなく、
でもどちらの可能性も消えないという、
二重の悩みが煮え切らない日々は、

確実に僕の心へダメージを蓄積していた。



それがついに爆発。

家で一人、床に頭を付け、
床を拳で殴りながら泣き叫んだ。

「僕はそんな無茶な要求してないでしょう」

「自分の心を傷つける者との関係を断ち切り、
不当な攻撃をされず、心穏やかに過ごしたいだけ。

そんな強欲なこと言ってないでしょう!」と。



事態が進んでいないので、
今は一応、生活保護の受給中。

だけど、だんだんと
こんな疑問を抱くようになってきた。

僕は生活保護を受ける資格はあるんだろうか、
僕は存在していてもいいんだろうか。



自分がここに、この家に今、
居てもいい確証が持てない。

帰る場所がない僕にとって、
寝泊まりできる唯一の場所であるこの家。

何の進展もないけど
恐怖だけはそのまま残っている現状に、
僕は明らかに苛立ち、平常心を失っている。



自分にとって
安らぎとは正反対の存在の親から離れ、
何者にも心を傷つけられず穏やかに過ごしたい。

僕が今、もっとも強く欲していることは
贅沢な要求なのだろうか。

自信が持てない。
posted by 理琉(ワタル) at 18:31 | TrackBack(0) | 人生観

2019年11月20日

「キレる」背景にある寂しさ。

よく買い物に行くスーパーで、
60代くらいの男性と、男子高校生らしき4人組が
口論を始めるところを目撃してしまった。

殴り合いにはならなかったものの、
高校生たちは意外と冷静だったのに対し、
男性はかなりヒートアップし続けていた。

距離があったので、
言い争いの内容は聞こえなかったけど、

どうやら発端は
「そこに立たれるとTVが見えない」と男性が怒り、
高校生たちに詰め寄ったのが原因らしかった。



高校生の誰かか、周りに居た人か、
誰が呼んだかわからないが、

最終的に警察が3人来て、
気が収まらない様子の男性を取り囲み、

店から連れ出してパトカーに乗せて
連行していった。



実は、僕は以前にもその男性が
高校生のグループに突っかかっていった現場を
何度か見かけたことがあった。

その時はいずれも警察沙汰にはならなかったけど、
周りに買い物客も店員も大勢いる中で

いきなり「おい!お前ら!」と
怒鳴り出したので、

怖いよりも、何が起きたか把握できずに
啞然としてしまった。



後日、そのスーパーへ買い物に行った時、
またその男性を見かけたので、
逮捕や出入り禁止などには至らなかったようだ。

公共の場で何度も騒ぎを起こしているから、
さすがに弁護はできないけど、

その人が「キレる」背景を想像すると、
むげに責めたりはできないかなぁと思った。



僕の勝手な想像だけど、その男性はきっと、
普段寂しいんじゃないかなぁ。

相手をしてもらえる人がいなくて、
誰かと関わりたくて、人のいる場所へ頻繁に通う。

だけど、普段あまり人と接する機会がなくて、
上手い付き合い方や関わり方がわからず、

「TVが見えない」「騒がしい」などの
ネガティブな面ばかりが目に入り、不満が溜まる。

その不満を作り出しているのが
自分よりもずっと年齢が下の学生たちなら、
自分の方が上だと言わんばかりに
強気な態度で挑める。

親に構ってほしくて悪さをする子どもの心理と
根底は同じなんじゃないかな、と思った。



僕がそのスーパーへ買い物に行く時間帯は
いつも同じ夕方。

僕自身も週に何度も行って、
けっこうな常連になってるけど、
行くたびにその人を見かける。

きっとあの人は毎日のように通ってるんだろう。

周囲に突っかかっていく人で、
しかもそのトリガーがわからないので、

どうしても
「怖い、喧嘩っ早い人」というイメージで見てしまい、
見かけたら距離を取ってしまう。

だけど、そうなってしまった背景を
こうやって想像してみると、

なんだか「ただのキレやすい人」で
片付けることはできなくなった。



周りにとっては良い影響とは言えない人なので、
繰り返すが弁護はできない。

だけど、八つ当たりではなく、もっと違う形で、
その人が抱える寂しさの埋め合わせが
できたらいいなとは思う。

それはあくまで、本人の問題なので、
見ず知らずの僕が考えるようなことではないけど、

寂しさや悲しみ、人生への不満や不安が
「キレる」という形で出ていると考えれば、
怖がる以外の対応もできるのかな、と思った事件だった。


posted by 理琉(ワタル) at 18:44 | TrackBack(0) | 人生観

2019年11月19日

地下鉄が嵐ファンで満車な1日。

日中、いつもの地下鉄に乗ろうとすると、
ものすごい混みようで驚いた。

それも女性ばかり。



帰宅ラッシュの時間でもないのに、
何があったと思いきや、

ほとんどの人が手にしていた
嵐のライブグッズを見て納得。

あぁそうか、
今日は嵐の活動休止前の
最後の地方公演か。



昔の知り合いが親子三代の嵐ファンで、
チケットが当たったと大喜びしては
3人でドームへ足を運んでいた。

混雑を避けるために
アンコールを待たずに会場を出ようとすると、
外に出られるまで最低2時間、

終演してから退場しようとすると、
一番近くのエントランスに辿り着くまでに
最低2時間という、

とにかくすさまじい人の波だと聞いた。

5万人が一斉に、
数十か所しかないドーム出入口に
殺到すると考えると、それもうなずける…。



それほど多くの人の注目を浴びている嵐は、
勝手なイメージかも知れないが
酷使されているように思える。

TV番組を何本も抱え、
忙しい合間にこうやってライブの練習、

休日どころか、
寝る時間はあるのだろうかと
彼らの健康がかなり心配になる。



人に夢を見せるアイドルという仕事は
本当に過酷そのもの。

彼ら5人の双肩に
ものすごい巨額のお金と、
世界中のファンの気持ちがのしかかっている。

そう考えると、1つの理由ではないにせよ、
芸能人を辞めて一般人に戻る選択をした人は、

どれだけのプレッシャーから解放されたんだろうと、
想像しただけで胸が痛くなる。



アイドルに夢中な人たちが
地下鉄にたくさん乗ってくるのを見ながら、

僕はアイドルが背負う重圧と責任を
最初に想像してしまった。

どうも僕は、「楽しかっただろうな」よりも、
それを提供する側の苦労や努力に先に目が行く。

僕は嵐のファンではないので、
ファンにとって彼らの活動休止が
どれだけ残念なことかはわからない。

けど、嵐の5人はもう
充分すぎるほどの夢を与えたから、

今まで休みなく働いてきた分も
ゆっくり休んでほしい、と思った。


タグ:生きる
posted by 理琉(ワタル) at 23:12 | TrackBack(0) | 働き方

2019年11月18日

初投稿から、1年。

このブログの初投稿は去年の11月18日、
ちょうど1年前の今日だった。

→「お初に。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/1/0



この初記事を含め、初期の記事を読み返すと
本当に今以上に拙くて、読みながら
顔から火が出そうになった。

初期の記事のいくつかは、
あまりのまとまりのなさに愕然とし、
ほとんど1から書き直したものもある。



この頃は毎日更新していなかったので、
日付が飛び飛びなことが個人的には気になる。

2019年に入ってから
1日に複数記事を書いたこともあったけど、

今日この記事が通算361記事目、
365にはわずかに届かなかった。

自分の気持ちを書くことに
そこまで本気になっていなかったのか、

今から考えるとそこが悔しい。



自分の生き様の記録、そして
発達障害のことをメインに書こうと始めたけど、

自分の中の問題が明らかになるにつれ、
気づけば家族カテゴリの記事が一番多くなった。

初記事を書いた時点ではまったく予想しておらず、
まさかこういう趣旨の記事がたまっていくなんて
思ってもいなかった。

それは、自分と向き合う時間、
自分と深く対面する時間があったからこそ。

当時は定期的に通う場所がなく、
孤独感を今以上に強く感じていた中だったけど、
結果的にはよかったと思う。



1年間、毎日更新したと言えるのは
来年の年明け。

ひとまず今日は、このブログの歴史が始まった
建国記念日とでも呼んでおこうか。

1年前の今日は、就労移行支援に通い、
企業実習に行き、生活保護を受け、
何より祖父が亡くなるなんて思いもしなかった。

ちょうど今も、生活保護の件で急展開を見せ、
人生はまさに予想外の連続。

→「やっと手に入れた平穏な日々に、急展開。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/362/0

直近の、この急展開はちょっといらない…。



そんな騒がしい1周年、
数えきれない変化、事件、挑戦を刻み続けてきて、

節目の365記事まで、そして1年連続投稿まで、あと少し。
posted by 理琉(ワタル) at 01:02 | TrackBack(0) | 人生観

2019年11月17日

やっと手に入れた平穏な日々に、急展開。

つい先日、
無事に生活保護の支給開始となり、

生きる心配もなく心穏やかに過ごせる日々を
やっと手に入れたと報告した矢先。

なんでこんなことが起きるんだと、
あまりの急展開ぶりに
自分でも気持ちの整理がついていないけど、

予想外のことが起きるのが人生なので
まだ混乱している中で書きたいと思う。

※生活保護が受理された話。
 「生活保護開始決定通知書。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/352/0



生活保護を申請する際には、
手元にあって生きている通帳をすべて出す。

そして区役所側で、提出された銀行を調べ、
同じ名義の別口座がないか、
申告された残高が正しいか、などを調べる。

僕はゆうちょ銀行の口座を自分名義で2つ持っていて、
手元にある通帳とキャッシュカードももちろんその2つ。

郵政民営化する前から持っているので、
通帳には「郵政公社」と刻まれている。

ゆうちょ銀行は今は使ってないけど、
解約しておらず手元にある口座情報なので、
申請時にこの2つを提出した。



無事に初回の保護費を受け取り、
ほっとしてから一週間と少し。

昨日、区役所から
「お尋ねしたいことがある」と電話があった。

ちょうど収入申告もあったので、
区役所の保護課へ直接訪れた。

そこで知らされた、衝撃の事実。

僕が知らず、
手元にある2つのどちらでもない、

しかし僕名義のゆうちょ銀行口座を
親が持っているらしい、とのこと。

しかもその口座には150万円以上の
残高があると。



両隣で普通に窓口対応をしている中で、
僕は驚きのあまり「えぇっ?!!」と
声を出してしまった。

ここ1年で一番驚いた。
一瞬うるさくしてしまって申し訳ない。

こういったケースで考えられるのは、
普通預金などとは別の、定期預金や積立などで
親が子ども名義で別口座を作っていることだそうだ。

担当職員さんも、
「銀行の調査結果を見た時、私も目を疑いました…」
と驚いたと仰っていた。



驚愕のすぐ後、
恥ずかしさのような罪悪感のような、
とても居たたまれない気持ちになった。

嘘の口座情報を申告していた、
不正受給をしようとしていたと
疑われていたらどうしよう、という心配。

次に、保護申請にあたり
サポートしてくれた相談室の担当さんに
申し訳ないという気持ち。

※疑い云々については、
 区役所側がそういうニュアンスで接してこなかったのなら
 心配しなくても大丈夫ですよ、知りようのなかったことですから
 とのことだった。



そして3番目に、
もし親がお金を譲渡すると言ってきたら、
彼らと関わらないことでやっと手に入れた心の平穏が
崩れ去ってしまうという心配。

これだけの金額を受け取れるのなら、
まずはそれを使って生活するよう指示され、
生活保護は当然廃止になる。

親から受け取ることになると、
彼らがそう思うかは別として
僕は親に借りを作ることになる。

この衝撃の事実発覚で
僕が一番心配したのはこの点だった。

「お金があります」と聞いて
これほど嬉しくなかったことは初めて。



このけっこうな額を親が譲渡、仕送りという形で
渡すかどうかについては、区役所側で連絡し、
意思確認するそうだ。

変な話、僕は「譲渡しません」と
答えてほしいと思っている。

生活保護が廃止になった場合については、
相談室の担当さん曰く「また申請すればいい」。

だけど「譲渡しない」と言ってくれれば、
これも変な話だけど保護廃止にならず、
家族に借りを作ったり関わったりせずに済む。

極端に言えば、僕は生活がどうなるかよりも
家族と関わることで心がさらに傷つくのを
何よりも恐れているんだ。



つい昨日見た、
自分を針で刺すよう命じられた直後に
葬式が始まるという急展開すぎる夢。

→「自分を針で刺しなさいと命じられる夢。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/361/0

知らない人の葬式の夢は
思いがけない幸運という意味もあるらしい。

僕にとっては「幸運」と捉えることはできないけど、
予想外のことが起きると、予知していたのなら
人間の直感とは本当にすごい。

昼寝をして少し落ち着いた今は、

どうなるかわからない反応を心配してどうする、
区役所からの連絡と、成り行きに任せようと
無理やりセルフトークをしている。


posted by 理琉(ワタル) at 23:29 | TrackBack(0) | 人生観

2019年11月16日

【夢分析】自分を針で刺しなさいと命じられる夢。

窓の外は初雪が降っている。

ふと気づくと、僕は利き手である左手に
長い針を持っている。



近くには30〜40代くらいの
知らない女性が立っている。

どなたさまかと戸惑っている僕に構わず、
その女性は僕に向かって、その手に持っている針で
自分の身体のどこかを刺しなさいと命じる。

他にも何かしゃべっていたが、
それは残念ながら忘れてしまっている。

自分を刺すなんて、
そんな痛いことはしたくないのに
なぜか逆らえない。

仕方なく、まずは自分の右膝に針を突き立ててみる。



しかし、そのまま深く刺す勇気が出ずに
刺す場所を変えようと迷い始める。

どうして自分に針を刺さないといけないのか、
平静な時ならそう思うだろう。

だけどなぜか、とにかく自分の身体を
針で傷つけることに躍起になる自分がいる。



ようやく覚悟が決まり、両腕のどちらかに
一思いに刺してやろうと決意する。

が、その直後、
先ほど僕に針を刺すように命じた女性が
亡くなったとの知らせが舞い込んでくる。

状況がさっぱり呑み込めないまま、
急遽、その場でお葬式が始まる。

いつの間にか、やはり知らない人が
何人も参列しているかと思えば、
その女性の棺を担いで僕の前を通り過ぎていく。



人が突然、それもついさっきまで
元気だった人が亡くなったと知らされたのは
とてもショックだけど、

それよりも、僕はとにかく
急展開すぎる状況に置いてけぼりのまま。

周りにいる全員がまったく知らない人なので、
弔いの気持ちよりも戸惑いを感じながら、
ただ葬式を見送るしかない。



女性が埋葬された棺が僕の目の前を通り過ぎ、
棺を担ぐ人たちの後ろ姿が小さくなり始めた頃、

いつの間にか、僕の手に握られていた針が
なくなっていることに気づいた。

何もかもが唐突すぎて、何が起こったか
さっぱり掴めないのは相変わらずだけど、

あぁ、これでひとまず
自分を刺さなくていいんだとほっとしたところで、

少し汗ばんで起床した。



ーーーーーーーーーー



【キャスト】

・針
 苛立ち、敵意、罪悪感
 針を持っている場合、刺す対象に対して
 敵意や批判、嫉妬などマイナスな感情を
 持っていることを示す

・知らない女性
 自分では気づいていない、自分の一面、
 自分自身

・葬式
 再生、人生の節目、再出発、
 清算したい過去

・棺桶
 人生の転機、再生
 知らない人が棺に入っている場合は
 自分自身が生まれ変わるか
 新しい方向へ進むことを示す



棺に入った知らない女性、
そしてその棺を運ぶ知らない人たちは
きっとみんな、僕自身の感情の一部。

きっと僕は自分自身の嫌なところに対して
嫌悪したり消し去りたいと思ったりし、
敵意の針を向けていたんだろう。

ところが、思いがけず葬式が始まり、
その嫌だった僕自身の一部が葬られた。

針で刺してやりたいと思うほど
自分の嫌で仕方がないところが見送られ、
もう敵視しなくてよくなったところで、
再出発の道を歩き出す。

登場人物から分析する精神状態としては
こんな感じ。



自分を責めたり否定したりせず、
穏やかな今を過ごせることをありがたく思い、
やっと訪れた心が平穏な日々。

のはずだったけど、僕はまだどこかで
自分のことを嫌い続けているのだろうか。

辿り着いた心の平穏を享受することを
まだどこかで否定しているんだろうか。

少しぐらい否定しても何でもいいから、
今あるものを土台にして出発しようよ、という
心からのメッセージなのかも知れない。


posted by 理琉(ワタル) at 12:30 | TrackBack(0) | 夢の話
検索
プロフィール
理琉(ワタル)さんの画像
理琉(ワタル)
自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
プロフィール
最新記事
カテゴリーアーカイブ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。