アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2019年11月05日

辛抱強く待つことの難しさ。

生活保護の申請をしてから
今日でちょうど2週間。

10日〜2週間で結果の通知がくると
知らされていて、

悪い結果ばかり妄想しても仕方ないと、
今までは考えないようにしていた。

→「生活保護の申請。(1) -生活保護課への書類提出-
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/338/0

→「生活保護の申請。(2) -ケースワーカーによる家庭訪問-
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/339/0

→「生活保護の申請。(3) -民生委員による家庭訪問-
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/340/0



しかし、いざその期限を迎えても
ポストに何も投函されていないのを確認すると、

にわかに心がざわついてくる。

考えないように必死でしまいこんでいた
悪い結果が、頭の片隅から飛び出しそうになる。



もうひとつ、この期間中に
来月分の家賃の引き落とし日を過ぎてしまった。

つまり、来月分は残高不足で
まだ引き落とされておらず、
ここに住める保証を獲得できていない。

これも考えないようにしていたが、
頭の奥に閉じ込めておいたはずの
滞納の恐怖が少しずつこちらを覗きだす。



もう、自分にできることはやった。

辛抱強く待つだけ。

これが、ものすごく難しいことを
今、思い知っている。



…もうどんな未来も受け入れる
差し伸べられた手は掴む…!!

おれを裁く白刃も受け入れる…

もうジタバタしねェ
みんなに悪い

ポートガス・D・エース

『ONE PIECE(巻57)』 559話より

何かしなければいけないような焦り、

家賃が払えず滞納する恐怖、

考えても仕方ないとわかっていても、
どうしても浮かんでくる悪い結果の未来。

これらをすべて受け入れた上で、
辛抱強く待つことが、

今の自分に求められていること。



申請の段取りから尽力してくれて、
当日は生活保護課に同行してくれた
相談室の担当さん。

去年の今頃、食べ物にも困り始めた僕を
フードバンクに繋げてくれた
市の生活支援センターの担当さん。

今、お世話になってる
就労移行支援のスタッフさん。

たくさんの人に支えられて、
ここまで来たんだから、

僕はもう少し、ジタバタせずに待つんだ。

支えてくれたみんなに悪いから。


posted by 理琉(ワタル) at 18:17 | TrackBack(0) | 人生観

2019年11月04日

【夢分析】父に怒り、叫ぶ夢。

最近、夢の話がご無沙汰になっている。

というのは、以前に比べて
深く眠れるようになったからか、

起きた時に断片的には憶えてるけど、
ストーリー全体としては
憶えていないパターンが多いから。

眠りの質が向上したのは喜ぶべきことだけど、

夢の分析は自分の深層心理探し、
自分の本音探しの機会なので、少し寂しい。



そんな昨今だが、今日久しぶりに
衝撃的なシーンを夢で見た。

前後の内容を忘れてしまったが、
父が泣きながら僕に謝っているシーン。

謝りながらも、自分のことを尊敬してくれ、
お前のためを思ってしたことだ、と言っていた。

父は僕に対して、お礼を言ったことはもちろん、
謝ったことなど一度もない。

だから、そんな父が謝っている姿を
たとえ夢の中とはいえ見たのは衝撃的だった。



それに対して僕は怒っていた。
口には出さないが、心の中でこう思っていた。

今さら何を言い出すんだ、
「あなたのためを思って」というのは
考えを押し付ける親の典型的な思考じゃないか、

あなたは結局、どこまで行っても
僕の気持ちや考えに興味を持とうとしないばかりか、
一方的に自分の型にはめようとするだけじゃないか、と。

そんな怒りにかられる中で、僕の口から出た言葉。

「尊敬されたかったら、尊敬されるような言動をしろよ!」

起床した時、これ以降の場面は
残念ながら忘れていた。



父に認めてほしい、謝ってほしい気持ちは
9割捨てたつもりでいた。

それができる人なら、
僕は父に対してこんなに「一方的」という印象を
強く持たなかっただろうから。

だけど完全に諦め切れる日は
おそらく来ないだろうとも思う。

そんな、心のどこかで諦めきれない気持ちが、
ふとした拍子に出たんだろうか。

他人だったらとっくに諦められるのに、
どうして親子という関係なんだろうと思うこともある。



ここ最近は穏やかな気持ちで過ごせていたと思っても、
やっぱり何かの拍子で親への怒りは表出する。

むしろ最近は、心乱れないように
あえて考えないようにさせていたのかも知れない。

今は、目の前にいない親の問題よりも、
生活保護や目の前にあることに集中しなさい、と。

夢の中で怒り、叫んだ僕の深層心理は、
そんなメッセージを送っていたのかもなぁ。


posted by 理琉(ワタル) at 11:27 | TrackBack(0) | 夢の話

2019年11月03日

自転車のパンク。

自転車の後輪がパンクした。

空気が抜けてふやふやになったタイヤを触り、
最初に出てきた言葉は「このタイミングかぁ…。」だった。



”このタイミング”というのは、
2週間前に申請した生活保護の結果待ち期間で、
修理費の捻出が難しい時期という意味。

残されたお金は食費に優先して遣い、
ひとまず生き延びることが先決な時期だから、

気軽に修理しましょうとは
なかなか踏み切れない。



とはいえ、よく働いてくれたから、
むしろよく今までパンクしなかったなとも思う。

自宅から就労移行支援事業所までは
Googleマップによると片道3.5キロあり、
僕の家は小高い丘の上の地区にある。

行きはほとんど下り坂、帰りはほとんど上り坂で、
毎日何キロも斜面を上り下りさせていたから、
相当な負担をかけていただろう。

でも、おかげで冬に備えて
地下鉄ICカードの残高をかなりセーブできた。



寒くなってきたとはいえ、
本格的に雪が積もるまでは使いたい。

なるべく早く修理したいけど、
いつ修理できるだろう。

自転車のパンク修理費すら
気軽に出せない現状と、

その現実を作り出した自分を
つい責めてしまいそうになる。



この自転車はもらいもので、
僕が毎日乗り始めてからはまだ1年くらい。

だけど、もともとの持ち主が
10年近く乗ってきたので、かなりの高齢。

2年くらい前にパンク修理した時、
「使い込まれてるから、次は修理より買った方が安い」
と言われていたっけ。

もはや大ベテランの自転車だけど、
数千円で直せる範囲なら、ぜひまた乗せてほしい。



だいぶ前、1月の話になるけど、
今回と同じくお金を出しにくい時期にちょうど、
愛用のノートPCが逝去してしまった。

→「たたみかける試練。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/24/0

この時といい、今回といい、
なくすと困るものをなくすタイミングなんて
そんなものなんだなぁ。

巷でよく言われる言葉を使えば、
人生ってそんなもの、なのかな。

なくすことと、手に入れることが、
人生でちゃんと辻褄が合うというなら、

僕にできることは、自転車を直すタイミングを
逃さないよう、虎視眈々と狙うことだろう。
タグ:貧困 生きる
posted by 理琉(ワタル) at 23:19 | TrackBack(0) | 人生観

2019年11月02日

今この時しか見られない、自然の表情。

晴れた日の日課のような
恒例になったような、近くの大きな公園散歩。

快晴といってもさすがに寒くなってきて、
日当たりのいい場所以外に長くいると
すぐに指先が白くなる。

それでも、美しい紅葉と
懸命に生きるマガモさんに会いたくて、
天気がよければつい通ってしまう。

20191027_150320.jpg



シダレヤナギのカーテンで
少し陰になった岸辺から撮影。

陽光を浴びる対岸。

20191027_150116.jpg



池をぐるりと一周する遊歩道、
日当たりのいい位置から、
真っ赤に染まった木の下で。

20191027_151323.jpg



ボート乗り場の営業が終了し、
マガモさんたちの居心地が前よりよさそう。

20191027_150130.jpg

ボートがたくさん浮かんでいても、
彼らはあまり気にしてなかった。

人が近づいてもお構いなし。

20191027_150156.jpg



この写真ではわかりにくいけど、
池の真ん中あたりにオスがたくさん集まっていた。

身体が灰色で首が緑なのがオス、
全身が茶色なのがメスとのこと。

20191027_152227.jpg



いつも通る遊歩道の並木。

ここまで大きく成長するのに
何十年かかるんだろう。

20191027_150423.jpg



太陽が少し雲に隠れても、
燃えるような紅はくっきり。

20191027_151949.jpg



泳ぎ疲れて、岸辺で一休み。
ちょこんと丸くなって昼寝している姿がかわいい。

20191027_150744.jpg



日の光が出ていても
15度を切るくらいまで寒くなったけど、

ふかふか羽毛に覆われた彼らには
まだまだ日向ぼっこ日和。

20191027_150908.jpg



今日もこの池の周りを散歩した後、
一番の日向にあるベンチでのんびり。

じっとしているとすぐに
指先の感覚が鈍くなっていくくらい
気温が下がってきたので、

残念ながら長時間の読書はできなかった。



今回はいつもよりたくさん写真を撮った。

自然の中でのんびりするのはもともと好きだけど、

今この時しか見られない自然の顔を
こんなに楽しめるようになったのは
ここ1〜2年くらいのこと。

つまりそれほど追い詰められ、
また自分を追い詰めて生きていたってこと。

自分を大切にしていいと気づけたから、
前にも増して自然の表情に感動できるように
なったのかな。
タグ:生きる 青空

2019年11月01日

「腹をくくったままでいいんです」。

「腹をくくって生活保護の申請を終えたんだから、
腹をくくったままでいいんです。

やれることはすべてやったんだから。

今は、通う予定の日にしっかり仕事に行って
体調と生活をリズムを安定させることを
ゆっくり続けていけばいい。

焦る気持ちもわかるけど
今はこれでいいんです。」



これは、通っている病院の先生の言葉。

どうしても周りと比べて、
自分を急き立てる気持ちが先行する僕を
助けてくれた言葉。



先日、病院までの7キロの道のりを
あえて自転車で行き、秋晴れを満喫した。

今から考えるとこれは、
秋を楽しみたい気持ちだけで動いたわけではなかった。

のうのうと交通機関を利用するより
少しでも何かをしたいという気持ちも、
サイクリングに駆り立てた一因だった。

→「紅葉ロードをサイクリング。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/345/0



生活保護の申請、
もみじロードのサイクリング、
就労移行支援に休まず通っていること。

やっていること、できていることを数えれば、
こういうふうにちゃんと出てくる。

なのに、常に足りないと感じ、
やってもやっても達成感が得られず、

次は何をしなければいけないんだと
自分を急き立てている。

決して褒められることのなかった子ども時代、
結果を出して褒められたくて渇いていた頃の
非充足感をまだ引きずっている。



僕はずっと「今はこれでいいフリ」をしている。

心の中ではいつも満たされておらず、
何をやっても足りない感覚で埋め尽くされている。

やれることをやり尽くしたとしても、
どこからともなく次の「やるべきこと」を
無理やり見つけて来る。

先生はそれを見抜き、
自分への非充足感でいっぱいな僕を
それでいいと認めてくれた。



僕はまだ、
人に影響されず自分の意思を信じることが
できていないのかも知れない。

自分の意思を認められてこなかった、
もしくは認められていてもそれに気づけなかった。

僕は自分を肯定された時、戸惑う癖が抜けていない。

嬉しいけど、どう反応していいかわからず、
うまく言葉が出てこなかったりする。

今回、先生に対してもそれは同じで、
口ごもってしまい、うまく返事ができなかった。

お礼は言えたけど、また伝えたかったことがあったので
それは心残り。



現状に満足しないのは、良く言えば向上心がある。

悪く言えば、いつまでたっても自分を認めてあげられない、
自分を無価値な存在と思い込んでいる。

先生の言葉は、僕がおろそかにしがちな
自己肯定感を育てる手助けをしてくれた。


posted by 理琉(ワタル) at 02:31 | TrackBack(0) | 生き方

2019年10月31日

周りと比べると生まれる焦燥感。

大きな迷いと葛藤を乗り越えて
生活保護の申請を終えてから一週間。

実際に申請をすると決めた時、
もう何が起こっても身を任せようと
開き直り、腹をくくった。

→「生活保護の申請。(1) -生活保護課への書類提出-
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/338/0

生活保護の申請。(2) -ケースワーカーによる家庭訪問-
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/339/0

生活保護の申請。(3) -民生委員による家庭訪問-
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/340/0



申請をする前も、した後も、
同じ生活をしている。

平日は就労移行支援へ通い、
軽作業や庶務、片付け当番の仕事をこなす。

もう腹をくくったんだから、
これまで通り穏やかに過ごして
結果を待てばいいはず。

なのに、ここへきて
何かしなければという焦燥感が生まれている。



こんなにのんびり穏やかに過ごしていて
いいんだろうか。

のんびりしている暇があるなら、
少しでも今後の仕事のスキルになることを
見つけるために何かをした方がいいんじゃないか。

そんな焦り。

何かしなければ、でも具体的に何かはわからない。

ただ、心穏やかに過ごしていることへの
謎の後ろめたさ。



就労移行支援では最近、
僕と同時期かそれより少し前に入った人が何人も
面接や企業見学で積極的に動いている。

毎日通っていれば
積極的に動く彼らと顔を合わせ、
面接や就職活動の話を聞き、
時にはスーツ姿を見かけることもある。

対して僕は、企業実習には一度行ったが
それ以外は目立った就職活動を何もしておらず、
数日後にある企業の合同面接会も不参加。



焦燥感の正体はこれかも知れない。

無意識のうちに周りと自分を比べてしまっている。



自分が動くべき時、次の進路が見つかる時には
運、縁、タイミングがある。

彼らは今がその時であり、僕はその時ではない、
本来はそれだけのこと。

それに、今の僕の心を覗いてみると、
彼らの姿を見て焦りながらも
早期就職を望んでいない。

それどころか、
就労移行支援を利用できる期間上限の
2年間じっくり通ってもいいと思っている。



周りと比べて「自分は何もしていない」と、
相手基準で自分を評価し、急き立てている。

一方で、
心の奥ではせっかく手に入れた束の間の平穏を
今は崩したくないと思っている。

周り基準と、自分の心の叫び基準。
どちらに従えばいいか迷っているのが
焦りとなっているのかも知れない。



何に焦っているかわかったんだから、
どうすればいいかは明快。

自分の心が叫ぶままに、
今ようやく手に入れた心の平穏を選択すればいい。

家がなくなる恐怖、すべてを失った喪失感、
一人で泣き叫んだ日々、無気力で寝込んだ日々、

そういう苦しみを乗り越えて迎えた今。

周りがどうであろうと、
それにつられて自分のお尻を叩くより、
幾つもの涙を越えてきた自分の心を
労ってあげればいい。

何かしなければと焦っている自分も
認めてあげればいい。



周りと比べてしまうんだね、わかるよ。
焦ってしまうよね。何とかしようと思ってるんだね。

いいんだよ。

せっかく穏やかに過ごせる日々を手に入れたんだから、
それに感謝して過ごせばいいんだよ。


posted by 理琉(ワタル) at 02:38 | TrackBack(0) | 生き方

2019年10月30日

紅葉ロードをサイクリング。

今日は二週に一度の精神科通院日。

いつもは地下鉄かバスで
30分くらいかけて通っている。

最近、この時期らしくない
温暖で穏やかな日が続いていて、
今日もあたたかくて天気がよかったので、

今しかないこの秋晴れを楽しまないのは
何だかもったいない気がした。

そこで、ちょっと距離はあるけど、
病院まで7キロの道のりを自転車で行くことにした。



病院は隣の区。

自宅から2キロくらい進めば、
信号のないサイクリングロードがあり、
病院の近くまで止まらずに行ける。

毎年春には桜並木の桜ロードになるので、
今の季節は紅葉ロードになっていることを期待していた。

20191024_150017.jpg

期待通り、左側に鮮やかなイエロー、
道は落ち葉で彩られた紅葉ロード。



病院のすぐ近くには高速道路が通っている。

この高速道路をまたぐようにかけられたブリッジから、
川辺の緑地を一望できる。

ちょうど15時になったところ、
もう日が落ち始めている。

20191024_150524.jpg



今日は診察までの待ち時間が少なかった。

病院近くの薬局で薬をもらい、
帰路に着いたのは16時過ぎ。

いつもより断然早い。

この時期らしからぬ気温の高さ、
しかし夕闇の足音は確実に早まっている。



薄暗くなったサイクリングロード。

写真は撮らなかったけど、
暗闇でも赤と黄色ははっきり見て取れる。

落ち葉を踏むと、カサカサと音をたてる。

いつ急激に寒くなってもおかしくないこの時期、
往復15キロの紅葉ロードを存分に満喫した。



秋を半日味わった今日、
このまま帰るのがもったいなかった。

17時前、家から一番近いブックオフに立ち寄った。

前半は宇宙の本、地理の本、考古学の本。
後半は漫画。

長時間立ったままで、足の付け根が痛くなり、
そろそろ帰ろうと時計を見た。

21時30分を過ぎていた。

ブックオフで本に夢中になり、
気づいたら4〜5時間経過しているという、
お決まりのパターンだ。



自宅から一番近いこのブックオフも、
歩くとけっこうな距離がある。

だから雪が積もり、自転車が使えなくなると
これまでより気軽には来れなくなる。

地下鉄ですぐ行ける繁華街のブックオフはあるけど、
なんとなく、自転車で来るブックオフが好き。

だからある意味、今のうちだから来れる場所。



加えて今日は、残り少ないであろう
あたたかい秋晴れの中をサイクリング。

今しか味わえないことを2つも堪能できた。

つい先週まで、生活保護の申請で
バタバタしたり緊張したりしていたのが嘘のように
穏やかな通院日を過ごすことができた。
タグ:青空 生きる

2019年10月29日

去年の今日も、きれいな紅葉だった。

ちょうど1年前の今日、
僕は母方の祖父母の家を訪れていた。



当時は会社勤めを辞めて2ヶ月、離婚して1ヶ月、

なんだかんだあって、
失業保険をもらい始めるのは、この翌月。

企業勤め以外の働き方を模索し、
文章を書いて仕事にできないかと考え、
クラウドワークスでWEBライターに取り組んでいた。

しかし収入面ではまだまだだったので、
会社勤めをしていた頃の
僅かな蓄えで生き延びていた。



今年は思いのほか、あたたかい日が続いている。

去年の今頃は昼間でも10度以下が多く、
曇りの日が続いて寒くなるのが早かった。

だけど、祖父母の待つ山村へ行く前日くらいに
急にあたたかく、天気も回復してくれた。



束の間の晴天、そして温暖で穏やかなひととき。

黄色と赤の葉でいっぱいの木、
その真下から撮った一枚。

44515345_1140195389463171_3638475437362905088_n.jpg



山の向こうにほとんど沈んだけど、
まだ少し残るオレンジと暗がりが美しい一枚。

44458113_1140195366129840_4662517909858287616_n.jpg

早いなぁ。

もう1年も経つのか。



この時も、この半年後に急死した時も、
祖父は元気だった。

耳はかなり遠くなっていたけど、
独りぼっちになった僕の事情も何も聞かず、

いつものようにニコニコしては
早寝早起きの健康的な毎日を送っていた。

※「母方祖父の逝去。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/199/0



自宅近くの、お気に入りの大きな公園では
今年もきれいな紅葉に彩られている。

幸運にもあたたかい日が続く最近は
毎週のように訪れては癒されている。

→「晩秋と紅葉と快晴と。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/341/0



祖父母のいる、いや、
今は祖母のいる山村もきっと、
見渡す限りきれいな紅葉なんだろう。

僕にとって、去年との違いは
祖父がもういないこと。

なのに、
まるでそんなことがなかったかのように、
変わらずに色づく木々。

無情なまでに止まらない、時の流れ。

誰がいなくなっても意に介さず、
ただ繰り返していく季節の移り変わり。

あまりに儚い、命の営み。



祖父母に会いに行く時はいつも、
これが最後かも知れないという思いでいるけど、

まさかこれが、祖父と生きて会う最後になるなんて。

ふと、携帯に保存しておいた写真を見返して、
ちょうど1年前の日付だった2枚を見つけ、
僕はそんな感傷に浸っていた。
posted by 理琉(ワタル) at 18:45 | TrackBack(0) | 人生観

2019年10月28日

「資格か公務員の勉強するなら置いてやる」。

僕は大学を卒業し就職するも、
鬱病にかかり実家に戻ってしまった経緯がある。

寝たきり状態から徐々にアルバイトをし始め、
お金を貯めて再独立するまで約3年間、
実家にお世話になった。

この間に親から言われた言葉の中で、
最も僕の心をえぐったのは、

父が顔を合わせるたびに言い続けた
「資格か公務員試験の勉強するなら置いてやる」だった。



一人暮らしを続けて
「自立」していけるはずだったのに、

新卒入社した会社を半年で辞め、
鬱病で実家に帰ってしまった僕は
どうしようもない罪悪感でいっぱいだった。

それは僕が高校生の頃、父が常々、
「(自立するために)18歳になったら家に置かない」と
言っていたことに従えなかったから。

→「「18になったら家に置かないからな」。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/325/0

きょうだいの中で、長子の僕に適用されても、
妹弟には適用されない独自ルールを理不尽に感じながらも、

自分の力で稼いで暮らすことができない自分は
ここに居てはいけないと自責する毎日だった。

今から考えれば、親の期待に応えられないと
嘆く子どもの典型だった。



僕は大学で学芸員の資格を取ったものの、
4年間の勉強や実習で、この道を究めることに疑問を感じ、
博物館や埋蔵文化財センターなどの道には進まなかった。

在学中は母に何度となく「教員免許を取れ」と勧められたが、
教員である父のようには絶対になりたくなかった僕は
その勧めを4年間断り続けて卒業した。

→「父との関係。(5) -大学〜就職-
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/43/0

僕にとって、資格を生かしたり公務員になることには
良いイメージが持てていなかった一方で、

他に何がやりたいかもわかっていない、
何をすればいいかわからない迷走が続いていた。



実家に帰っての療養初期は
できるアルバイトの日数が少なかったため、
出勤しない日は父とはち合わせることが多かった。

子どもの頃のように、
噴火の如く怒鳴ることはなくなったが、

僕に対する少ない口数のほとんどが
「18になったら家に置かないと言ったはず」
「資格や公務員の勉強をするためなら居ていい」だった。

18歳を過ぎたのに
おめおめと帰ってきたことへの罪悪感に苛まれていた僕には
取りたい資格も、なりたい公務員も思いつかなかった。

鬱病を克服し、お金を貯めて再独立するという
目標は持っていたものの、

では何の仕事をすればいいかがわからず、
「資格、公務員」とひたすら言われることがただ苦痛だった。



父に何度言われても、僕は何も言葉を返せなかった。

取りたい資格も、なりたい公務員もないなんて
もし父にバレたら、家を追い出される。

そんな恐怖が募っていった。

そしてその恐怖は、いつしかこんなふうに飛躍し始めた。

「資格の勉強”するなら”ということは、
しなければ家族の一員として認められないのだろうか。

僕は”条件次第で居させてやってもいい”程度の、
親にとって大切じゃない存在なんだろうか。

どうして妹弟には同じことを言わないんだろうか。」



僕は何か資格の本や問題集を買ったり、
公務員試験の資料を集めることはしていなかった。

でも家にいればいるだけ、条件を突きつけられるから、
気分の落ち込みや体調に関わらずアルバイトを増やして
家にいない時間を多くするしかなかった。

意地でも公務員になりたくない、
かといって欲しい資格も思いつかない。

衣食住を与えられる条件を満たせないのに
今日もあの家に帰って寝ている自分。

僕は自立できていないから
鬱病にもなったし親から大切にされないんだ。

そんな罪悪感と自責の念に飲み込まれていった。



鬱病の罹患から1〜2年で
パキシルの服用量が上限に達した。

パキシルを止めるまでに、ここから10年を要した。

実家に戻り、寝たきりから脱し、
週一回の家庭教師から始めたアルバイトを少しずつ増やし、
3年かかったが一人暮らしの資金を貯めることができた。

不動産屋を回り、見つけてきたアパートへ引っ越す時、
父は資格とも公務員とも言わなかった。

励ましや応援の言葉もなかった。



パキシルの量は減っていなかったが、
家を出るという目標は果たした。

なのに、この時の僕は
独立したぞ、自由だ、これから何をしようという
”希望に満ちた未来”が見えていなかった。

居ることに罪を感じ、いつも追い立てられる
針のむしろから、ようやく脱出できた安堵感でいっぱいだった。

アパートで一人でいると、安堵感の次に
幾つもの疑問が湧き上がってきた。

実の家族と一緒に過ごすのがどうしてこんなに苦しんだろう?

どこよりも大きな”居場所のなさ”を感じる場所が、
どうして実家なんだろう?

やっぱり僕は彼らにとって
家族ではなく居候でしかなかったんだろうか?



父は「自立しろ」と言いたかったんだと思う。

それは高校生の頃も、
実家で居づらさを感じている頃も読み取れていた。

だけど、大きな挫折をした上、
身体と心が思うように動かなくなっていた僕には、
条件付きの滞在許可は「早く何かしろ」という催促でしかなく、
ただただ追い詰められていった。

彼らは自分たちの思い通りに動かない僕にイライラしていた。

僕は自分を追い詰める親に対し、
自分への愛情はないんだという悲しみと
不信感ばかりを募らせていた。


posted by 理琉(ワタル) at 23:23 | TrackBack(0) | 家族

2019年10月27日

晩秋と紅葉と快晴と。

夜は6度くらいまで下がり、
めっきり寒くなってきた。

もう公園でのんびり読書するのは
難しいかなと思っていたら、今日は快晴。

18度くらいと、かなりあたたかくなったので、
お気に入りの公園に、マガモウォッチと
紅葉を堪能しに行ってきた。



20191014_152459.jpg

これは先週行った時の写真。
ボート乗り場は先週いっぱいで営業終了。

だけどカモさんはまだ、
池のほとりにたくさん残ってくれていた。



20191020_143135.jpg

今日は雲ひとつない快晴。

岸辺でのんびりするカモさんは少なく、
ほとんどが池に浮かんで水草を食べていた。

なので、昼寝するカモさんを
間近で写すことはできず。



20191020_143257.jpg

ここは街中にある大きな公園なんだけど、

こんなに紅葉がきれいな場所に
自転車10分で行けるのは嬉しい。



午後に行って2時間くらい、
あたたかい日差しを浴びながら
ベンチでのんびり読書。

少し風が出てきた。

日差しは相変わらずあたたかいけど、
ちょっと強めに風が吹くと
やっぱり冷たくて、

確実に冬に近づいてるんだと思い知らされる。



ここ一週間くらい、
雪虫が大量に飛び回っている。

あぁ、もうすぐ雪が降るんだなと
ある種の覚悟を決めさせてくれる。

それにしても今年は
彼らの人数、ちょっと多すぎる。

雪の多さが比例するわけじゃないけど、
そんなに大雪を予言してくれてるんだろうか。



毎年、一年の半分くらいは雪と氷の世界。

それはわかってるはずなのに、
寒い季節が長いのはいつまでも慣れない。

でも、冬が長いからこそ、
残りの半年で見れる自然の姿はまた別格。

寒くなるのは憂鬱だけど、
その前に、こうやってきれいな紅葉を楽しめる。

半年間しかない春夏秋だからこそ、
いっそうの貴重さと味わいがあるのかも知れない。



今年はあと何回、
こうやって快晴の公園を楽しめるかなぁ。
検索
プロフィール
理琉(ワタル)さんの画像
理琉(ワタル)
自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
プロフィール
最新記事
カテゴリーアーカイブ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。