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2019年08月17日
浮かんだ世界。
ここ1年くらい、自分が地面から10センチくらい
浮いたような感覚がずっと続いている。
足は地面に着いている。
ちゃんと地面を踏んで、地面を蹴って歩いている。
走れば息が切れるし、つまづけば痛い。
けど、頭と視線は浮かんでいる。
何かが起きる、誰かがしゃべる。
それが目の前であっても現実感がなく、
自分が見聞きしたことを
地上の自分に教えてもらってるような感覚。
自分が二人いるわけじゃないけど、
地上にいる自分と、少し浮いている自分が
何となく独立してるように感じる。
こういうのを「離人感」と言うのだろうか。
何か声をかけられても、それは地上の自分と
浮いている自分のどちらに言われてるのか
わからなくなる時がある。
ちょっと前に、好きだった景色を見ても
好きな場所に来ても心が動かなくなったことを書いたが、
この動かない心を抱えてぼけっとしている瞬間も
やっぱり自分は浮かんでいた。
→「感情が消えた。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/268/0
道を歩いていると聞こえる車の走る音、
スーパーに行けば聞こえてくる騒がしさ、
色んな音が突き刺さるようだったのに、
今はヘッドホンを通して聞いているように
外の世界がぼやけている。
見える景色もまるで薄い膜がかかったように、
ぼやけて曖昧で、現実なのか夢なのかわからない。
誰かと話したり、聞いたりしたことは
必ず自分の左斜め下に見える自分に教えてもらう。
だから僕はいつも、自分の右側から自分の横顔を見て、
それが視界のどこかに映っては消えながら、
現実世界を泳いでいる。
幻覚と言われればそれまでかも知れないが、
僕は地上の自分の横顔を見ながら生きている。
必ず右側から。
今の自分が感じていること、見えている景色、
聞こえてる音を言葉で表現するとこうなった。
感情が動かなくなったのは最近数週間だけど、
浮かんだ感覚や横顔を見ながらの生活は前から続いている。
知りたがりの僕は正体を知りたくてたまらない。
スピリチュアル的なことは信じていないけど、
もし自分の内面に深く入り込むことができるなら、
正体を突き止めに潜り込んでみたい。
浮いたような感覚がずっと続いている。
足は地面に着いている。
ちゃんと地面を踏んで、地面を蹴って歩いている。
走れば息が切れるし、つまづけば痛い。
けど、頭と視線は浮かんでいる。
何かが起きる、誰かがしゃべる。
それが目の前であっても現実感がなく、
自分が見聞きしたことを
地上の自分に教えてもらってるような感覚。
自分が二人いるわけじゃないけど、
地上にいる自分と、少し浮いている自分が
何となく独立してるように感じる。
こういうのを「離人感」と言うのだろうか。
何か声をかけられても、それは地上の自分と
浮いている自分のどちらに言われてるのか
わからなくなる時がある。
ちょっと前に、好きだった景色を見ても
好きな場所に来ても心が動かなくなったことを書いたが、
この動かない心を抱えてぼけっとしている瞬間も
やっぱり自分は浮かんでいた。
→「感情が消えた。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/268/0
道を歩いていると聞こえる車の走る音、
スーパーに行けば聞こえてくる騒がしさ、
色んな音が突き刺さるようだったのに、
今はヘッドホンを通して聞いているように
外の世界がぼやけている。
見える景色もまるで薄い膜がかかったように、
ぼやけて曖昧で、現実なのか夢なのかわからない。
誰かと話したり、聞いたりしたことは
必ず自分の左斜め下に見える自分に教えてもらう。
だから僕はいつも、自分の右側から自分の横顔を見て、
それが視界のどこかに映っては消えながら、
現実世界を泳いでいる。
幻覚と言われればそれまでかも知れないが、
僕は地上の自分の横顔を見ながら生きている。
必ず右側から。
今の自分が感じていること、見えている景色、
聞こえてる音を言葉で表現するとこうなった。
感情が動かなくなったのは最近数週間だけど、
浮かんだ感覚や横顔を見ながらの生活は前から続いている。
知りたがりの僕は正体を知りたくてたまらない。
スピリチュアル的なことは信じていないけど、
もし自分の内面に深く入り込むことができるなら、
正体を突き止めに潜り込んでみたい。
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2019年08月16日
親子の役割逆転。
今回の帰省では
孫の僕と祖母の二人きりになる時間が多い。
6月に祖父が亡くなってから
しばらく抜け殻のようだった祖母は
かなり元気を取り戻してきている。
話し声に明るさが少しだけ戻り、
口数も以前ほどではないが戻りつつある。
孫の僕が来ることを知って、
今回新しい布団を敷いて待っていてくれた。
祖母とここまで多くのことを語ったことが
これまでなかったが、よくよく聞いてみると
祖母が話す内容には心配ごとが非常に多い。
もちろん、それは無理からぬこと。
祖父を失った悲しみ、自分の老いへの悲しみ、
できることが少なくなる悔しさ、悲しみ、
一人になることへの恐怖、寂しさ。
襲いかかってくるものの大きさは察して余りある。
人の性格は簡単に変わらない。
以前からこうだったか僕にはわからないが、
一つ言えることは親が心配事ばかり口にすると
子どもや孫は慰め役に回るしかないということ。
祖母の寂しさ、バックグラウンドを考えても、
親が慰められ、子どもが励ますことが日常になると
子ども本人の気持ちのやり場がなくなってしまう。
本当は親に聞いてほしいことがあるのに、
話したいことがあるのに、それを話したら
親の負担になってしまう。
だから子ども自身が親を慰め、支えよう。
という思考になってしまう。
これでは親子関係が逆転している。
今回、祖母の話をじっくり聞く中で、
無理もないとはいえネガティブな心配ごとが
発言の中にちょくちょく入ってくる。
僕も祖母に伝えたいこと、話したいことはあるが、
祖母の負担にならないよう、どうしても飲み込んでしまう。
孫の僕が慰め役になってしまっている。
僕の母は話しかけないと何もしゃべらない人だが、
もしかすると第一子で長女の母はずっと
祖母の慰め役だったのかも知れない。
だから自分がしっかりしなければ、
祖母の負担にならないように自分は弱音を吐かないぞ、
という思考から、何も外へ発信しなくなったのかも知れない。
母と祖母の親子間で、
すでに役割の逆転が起きていたのだろうか。
何があっても弱音や愚痴を言わない母は
祖母を「親の役割としての子」を担い
慰め続けるうちに、
いつしか自分の言いたかったことへの蓋が大きくなり過ぎて
掘り起こせなくなったのだろうか。
いずれにしても、祖母と二人きりでじっくり話してみて、
寡黙な母の性格と祖母が突然、一本の線で繋がった。
僕はどう振る舞えばいいんだろう。
今の状況で、祖母を含め僕の話を聞いてくれる人は、
たぶん親戚中で誰もいない。
しゃべっていないと自分が不安だからしゃべり続けていたり、
寡黙でこちらが話しかけないと話さなかったり。
僕の話を聞いてほしいという願いは
親戚の集まりでは持ってはいけないのだろうか。
だとしたら僕は本当に歓迎されているんだろうか。
親子の役割が逆転している中で、
僕はどう接すればいいんだろうか。
今回の帰省ではそんなことばかり考えている。
孫の僕と祖母の二人きりになる時間が多い。
6月に祖父が亡くなってから
しばらく抜け殻のようだった祖母は
かなり元気を取り戻してきている。
話し声に明るさが少しだけ戻り、
口数も以前ほどではないが戻りつつある。
孫の僕が来ることを知って、
今回新しい布団を敷いて待っていてくれた。
祖母とここまで多くのことを語ったことが
これまでなかったが、よくよく聞いてみると
祖母が話す内容には心配ごとが非常に多い。
もちろん、それは無理からぬこと。
祖父を失った悲しみ、自分の老いへの悲しみ、
できることが少なくなる悔しさ、悲しみ、
一人になることへの恐怖、寂しさ。
襲いかかってくるものの大きさは察して余りある。
人の性格は簡単に変わらない。
以前からこうだったか僕にはわからないが、
一つ言えることは親が心配事ばかり口にすると
子どもや孫は慰め役に回るしかないということ。
祖母の寂しさ、バックグラウンドを考えても、
親が慰められ、子どもが励ますことが日常になると
子ども本人の気持ちのやり場がなくなってしまう。
本当は親に聞いてほしいことがあるのに、
話したいことがあるのに、それを話したら
親の負担になってしまう。
だから子ども自身が親を慰め、支えよう。
という思考になってしまう。
これでは親子関係が逆転している。
今回、祖母の話をじっくり聞く中で、
無理もないとはいえネガティブな心配ごとが
発言の中にちょくちょく入ってくる。
僕も祖母に伝えたいこと、話したいことはあるが、
祖母の負担にならないよう、どうしても飲み込んでしまう。
孫の僕が慰め役になってしまっている。
僕の母は話しかけないと何もしゃべらない人だが、
もしかすると第一子で長女の母はずっと
祖母の慰め役だったのかも知れない。
だから自分がしっかりしなければ、
祖母の負担にならないように自分は弱音を吐かないぞ、
という思考から、何も外へ発信しなくなったのかも知れない。
母と祖母の親子間で、
すでに役割の逆転が起きていたのだろうか。
何があっても弱音や愚痴を言わない母は
祖母を「親の役割としての子」を担い
慰め続けるうちに、
いつしか自分の言いたかったことへの蓋が大きくなり過ぎて
掘り起こせなくなったのだろうか。
いずれにしても、祖母と二人きりでじっくり話してみて、
寡黙な母の性格と祖母が突然、一本の線で繋がった。
親が子供に苦労を訴えると、子供は親を怒れなくなってしまう。
こんなに苦労している、こんなに不幸だ、
こんなに辛いと親がこぼせば、子供は慰め役にまわらざるをえない。
実際、こうした状況での親は慰めや労わりを必要としているのであって、
自分を保護してくれる親の役割を求めているのである。
子供は臨機応変に対応するから、望めば保護者の役割も演じてくれる。
”逆転親子”が誕生し、ここでもまた、”子供らしい時代”が失われてゆく。
『アダルト・チルドレン「癒しと再生」』第六章 より
僕はどう振る舞えばいいんだろう。
今の状況で、祖母を含め僕の話を聞いてくれる人は、
たぶん親戚中で誰もいない。
しゃべっていないと自分が不安だからしゃべり続けていたり、
寡黙でこちらが話しかけないと話さなかったり。
僕の話を聞いてほしいという願いは
親戚の集まりでは持ってはいけないのだろうか。
だとしたら僕は本当に歓迎されているんだろうか。
親子の役割が逆転している中で、
僕はどう接すればいいんだろうか。
今回の帰省ではそんなことばかり考えている。
2019年08月15日
感情が消えた。
お盆、帰省、
祖母や親戚と過ごす時間。
来るたびに癒やされる自然。
だけど今回はどうしてだろう、
あんなに好きだった自然の中を歩いても
感情が動かない。
泣きそうになるぐらい、
「今回が最後」と覚悟して毎回来てるのに、
感情が消えてしまったように
ただ淡々と散歩して帰ってくる。
人間はすごく便利にできていて、
その感情を感じてしまうと耐えられない、と
無意識に判断したら、
自動的に心に蓋をして、
何も感じないようにするらしい。
どこよりも来たい場所に来てるのに、
これほどまでに感情が閉じてしまってるのは、
きっと今の僕は喜怒哀楽を感じるのに
耐えられないと無意識に判断してるからだろう。
メールアドレスは残し、電話番号を消した実家から
「不安だから構ってほしい」と言わんばかりの
長文メールが来ていること。
そう遠くない未来に迫っているかも知れない
生活保護の申請、そして却下の恐怖。
客観的に見ると、自分の生活がいよいよ危うい中で
さらに負担がかぶさってきていた。
だから、「これ以上は心が壊れるよ」と
僕自身が無意識に判断して、感情を動かなくしたんだろう。
こうやって、平坦で上下のない鈍重な感情で過ごしていると、
もしかしたらずっとこのまま、感動のない気持ちが
続いていくのかも知れないと思ってしまう。
そんなわけない、頭でわかっていても、
何を見ても閉じたままの心から、返事は聞こえない。
何かする気はあったり、なかったり、
無気力とは少し違う、悪い意味で「鈍感」な心。
時間が解決してくれる。
あとは、心が動かざるを得ないことが起きて、
閉じた感情が爆発するイベントが発生する。
心配しなくても、人生はちゃんと帳尻を合わせてくれる。
少しでも筆が動くうちに、このとりとめのない、
まとまってもいない気持ちをこうして書き残す。
祖母や親戚と過ごす時間。
来るたびに癒やされる自然。
だけど今回はどうしてだろう、
あんなに好きだった自然の中を歩いても
感情が動かない。
泣きそうになるぐらい、
「今回が最後」と覚悟して毎回来てるのに、
感情が消えてしまったように
ただ淡々と散歩して帰ってくる。
人間はすごく便利にできていて、
その感情を感じてしまうと耐えられない、と
無意識に判断したら、
自動的に心に蓋をして、
何も感じないようにするらしい。
どこよりも来たい場所に来てるのに、
これほどまでに感情が閉じてしまってるのは、
きっと今の僕は喜怒哀楽を感じるのに
耐えられないと無意識に判断してるからだろう。
メールアドレスは残し、電話番号を消した実家から
「不安だから構ってほしい」と言わんばかりの
長文メールが来ていること。
そう遠くない未来に迫っているかも知れない
生活保護の申請、そして却下の恐怖。
客観的に見ると、自分の生活がいよいよ危うい中で
さらに負担がかぶさってきていた。
だから、「これ以上は心が壊れるよ」と
僕自身が無意識に判断して、感情を動かなくしたんだろう。
こうやって、平坦で上下のない鈍重な感情で過ごしていると、
もしかしたらずっとこのまま、感動のない気持ちが
続いていくのかも知れないと思ってしまう。
そんなわけない、頭でわかっていても、
何を見ても閉じたままの心から、返事は聞こえない。
何かする気はあったり、なかったり、
無気力とは少し違う、悪い意味で「鈍感」な心。
時間が解決してくれる。
あとは、心が動かざるを得ないことが起きて、
閉じた感情が爆発するイベントが発生する。
心配しなくても、人生はちゃんと帳尻を合わせてくれる。
少しでも筆が動くうちに、このとりとめのない、
まとまってもいない気持ちをこうして書き残す。
2019年08月14日
【英語シャドーイング学習】『Great Big Story "The Mysterious Origins of Maiden’s Castle"』 〜『乙女城の不思議な起源』〜。
僕は毎朝、以下の手順で
英語シャドーイング学習を続けています。
学習内容をブログとしてアウトプットすることで、
以下のメリットを実感しています。
「英語を理解できるようになりたいけど、
無理なく学習を続けるにはどうすればいいかわからない」
という方におすすめの学習方法です。
ー英語学習・目次ー
『Great Big Story "The Mysterious Origins of Maiden’s Castle"』
Floating on the Mediterranean Sea, this castle protected an ancient port city for hundreds of years.
It's also a place shrouded in myth where a legendary princess met a certain fate.
Just about 700 feet off the coast of Southern Turkey, the Kizkalesi, or maiden's castle, sits on an island so tiny it looks like it's standing on water.
The walls and towers of the castle date back to the early 12th century, although exactly who built is a mystery.
According to one legend, a Byzantine king built the castle after a fortune teller told him that his only daughter would die from a snake bite.
Despite the king's efforts to protect the princess, a snake snuck in by hiding in a fruit basket and the princess met her unfortunate fate.
Fortified walls wrap around the entire complex with eight towers providing 360-degree views, making the castle an effective first line of defense against enemy ships approaching the port.
The legend of the 12th century may be a thing of the past, but the stone walls of the fortress still stand today, keeping their secrets.
『乙女城の不思議な起源』
地中海に浮かぶこの城は、何百年もの間、
古代の港湾都市を守ってきました。
また、伝説の王女が
とある運命に出会ったという
神話に包まれた場所でもあります。
トルコ南部の海岸から
約700フィート離れたところにある
クズカレジ、別名「乙女の城」は、
水の上に建っているように見える
とても小さな島にあります。
城の壁と塔は12世紀初頭にさかのぼりますが、
誰が建設したのかは謎です。
ある伝説によると、
ビザンツ帝国の王が占い師に
「あなたの一人娘はヘビに噛まれて死ぬ」
という予言を伝えられた後で城を建てました。
王女を守るための王の努力にもかかわらず、
ヘビはフルーツバスケットに隠れて忍び込み、
王女は不幸な運命に遭遇しました。
要塞化された壁が複合施設全体を包み込み、
360度を眺望可能な8つの塔があり、
城は港に接近する敵船に対する
効果的な最初の防衛線となっています。
12世紀の伝説は過去のものかもしれませんが、
要塞の石垣は今でもその秘密を守って建っています。
なりたい自分は、
英文問題が解ける自分ではなく、
英語を聴いて、内容を理解できるようになる自分。
英語を話せるようになる自分。
そのために重要なのは、
単語や文法を覚えることではなく、
「聴いて、話すこと」
僕ら日本人は、
子どもの頃から日本語に囲まれて育った。
そうしたら、誰に教わったわけでもないのに、
いつの間にか日本語が話せるようになっていた。
それは、リアルな日本語を聴き、
真似て話しながら自然に身につけたもの。
だから英語の習得も同じように、
「聴いて、話すこと」が大切と教えてくれた。
英語シャドーイング学習を続けています。
- 英語動画を英語字幕で視聴
- シャドーイング
- 英語に文字起こし
- 日本語に翻訳
学習内容をブログとしてアウトプットすることで、
以下のメリットを実感しています。
- 復習が自然にでき、理解が深まる
- 文字に直すことで、
英文の読み書きの力も伸びる - シャドーイングするだけでは気づかなかった
熟語や言い回しに気づける - 1語1語の聞き取りが難しくても、
「映像」を見れば話している内容を絞れる
⇒「こういう時にはこう言っているんだな」とわかり、
英語字幕つき動画や物語を見るのが楽しくなる
「英語を理解できるようになりたいけど、
無理なく学習を続けるにはどうすればいいかわからない」
という方におすすめの学習方法です。
ー英語学習・目次ー
- 本日の参考動画
- 英語に文字起こし
- 日本語に翻訳
- 語学習得で大切なのは”聴いて話すこと”
1.本日の参考動画
2.英語に文字起こし
『Great Big Story "The Mysterious Origins of Maiden’s Castle"』
Floating on the Mediterranean Sea, this castle protected an ancient port city for hundreds of years.
It's also a place shrouded in myth where a legendary princess met a certain fate.
Just about 700 feet off the coast of Southern Turkey, the Kizkalesi, or maiden's castle, sits on an island so tiny it looks like it's standing on water.
The walls and towers of the castle date back to the early 12th century, although exactly who built is a mystery.
According to one legend, a Byzantine king built the castle after a fortune teller told him that his only daughter would die from a snake bite.
Despite the king's efforts to protect the princess, a snake snuck in by hiding in a fruit basket and the princess met her unfortunate fate.
Fortified walls wrap around the entire complex with eight towers providing 360-degree views, making the castle an effective first line of defense against enemy ships approaching the port.
The legend of the 12th century may be a thing of the past, but the stone walls of the fortress still stand today, keeping their secrets.
3.日本語に翻訳
『乙女城の不思議な起源』
地中海に浮かぶこの城は、何百年もの間、
古代の港湾都市を守ってきました。
また、伝説の王女が
とある運命に出会ったという
神話に包まれた場所でもあります。
トルコ南部の海岸から
約700フィート離れたところにある
クズカレジ、別名「乙女の城」は、
水の上に建っているように見える
とても小さな島にあります。
城の壁と塔は12世紀初頭にさかのぼりますが、
誰が建設したのかは謎です。
ある伝説によると、
ビザンツ帝国の王が占い師に
「あなたの一人娘はヘビに噛まれて死ぬ」
という予言を伝えられた後で城を建てました。
王女を守るための王の努力にもかかわらず、
ヘビはフルーツバスケットに隠れて忍び込み、
王女は不幸な運命に遭遇しました。
要塞化された壁が複合施設全体を包み込み、
360度を眺望可能な8つの塔があり、
城は港に接近する敵船に対する
効果的な最初の防衛線となっています。
12世紀の伝説は過去のものかもしれませんが、
要塞の石垣は今でもその秘密を守って建っています。
4.語学習得で大切なのは”聴いて話すこと”
なりたい自分は、
英文問題が解ける自分ではなく、
英語を聴いて、内容を理解できるようになる自分。
英語を話せるようになる自分。
そのために重要なのは、
単語や文法を覚えることではなく、
「聴いて、話すこと」
僕ら日本人は、
子どもの頃から日本語に囲まれて育った。
そうしたら、誰に教わったわけでもないのに、
いつの間にか日本語が話せるようになっていた。
それは、リアルな日本語を聴き、
真似て話しながら自然に身につけたもの。
だから英語の習得も同じように、
「聴いて、話すこと」が大切と教えてくれた。
2019年08月13日
3分間で12得点。
試合時間、残り3分、10点差で負けている。
僕の中で急に、何かのスイッチが入った。
ボールと味方と相手と、リングだけが
視界にくっきり浮かび上がるように飛び込んできた。
コートの外にあるものが視界からぼやけ、
まるで虫めがねを通して見ているようだ。
味方と相手の声と、バッシュが鳴る音と、
ボールの弾む音だけが耳に飛び込んでくる。
外野の声は頭でのみ響く、耳には入って来ない。
不思議な感覚になっていた。
45度の位置から3ポイントを沈め、まずは7点差。
相手のターンオーバーから3対2の速攻、
自分で決め切って2点。
直後にロング2ポイントを2本決めてもう4点。
これで1点差。
時間を使って攻めてくる相手の攻撃を守り切り、
残り50秒、
オフボールムーブで45度でフリーとなり
3ポイントを決めてついに逆転。
5本連続でシュートを沈め、
そのまま2点差で逃げ切り逆転勝利することができた。
連日の30度超えとなって以来、
疲労すると肩こりの影響からか上半身が固まり、
急に息ができなくなる症状に苦しんでいた。
充分に食事を摂り、マッサージをしても
固まった肩と首の筋肉は一朝一夕にはほぐれない。
スタミナ切れというより息ができなくなるのを恐れて
積極的に動けず、不自然な体力温存作戦は
逆にプレッシャーになっていた。
さらに年始から強化してきた上半身のトレーニングの影響か、
特に外角シュートが入らない期間がずっと続いていることも
苦しいバスケが続く要因となっていた。
ごく最近の試合で味方から「決めろよ」と
舌打ちされたことも切り替えられず引きずっていた。
ボールが軽くなり、飛距離が伸びて
楽にシュートが打てるようになった反面、
自分のシュートフォームや感覚が信じられなくなり
フリーなのに打たなくなり消極的になる、
悪循環に陥っていた。
ドリブルやハンドリングの練習を増やして地道にこなすも、
ためらうようになったメンタルと感覚を取り戻せず
トンネルの中をさまよっていた。
この試合の後、家に着いた瞬間、涙が溢れてきた。
シャワーにも入らず、しばらく一人で泣いた。
ずっと、地道に準備と練習してきたよね、
やっと報われたねと、
気づいたらセルフトークを繰り返していた。
あの3分間の自分をどう表現したらいいのかわからない。
どう動いた、どうシュートを打った、
ボールの感触はどうだった、すべて憶えていない。
1つ言えるとすれば「夢中」だった。
もし、この感覚を「ゾーンに入る」と呼んでいいのなら、
僭越ながらそう呼ばせてもらおう。
僕はバスケで生計を立てているプロではないし、
あくまで好きで取り組んでいること。
どれだけ地道に練習を続けても、
結果は保証されていないし、出ないかも知れない。
バスケが好きで、上手くなりたくて、
もっとシュートが入るようになりたくて、
試合に勝ちたくて真剣に取り組んでも、
シュートが入らない期間がずっと続くかも知れない。
方向性や方法が違って、入るようにならないかも知れない。
シュートの仕方を忘れたような
最近の苦しいバスケでも、続けてきた。好きだから。
何のために毎日練習するのか、それは
逆転勝利した今日の試合のラスト3分、あの瞬間のため。
僕の中で急に、何かのスイッチが入った。
ボールと味方と相手と、リングだけが
視界にくっきり浮かび上がるように飛び込んできた。
コートの外にあるものが視界からぼやけ、
まるで虫めがねを通して見ているようだ。
味方と相手の声と、バッシュが鳴る音と、
ボールの弾む音だけが耳に飛び込んでくる。
外野の声は頭でのみ響く、耳には入って来ない。
不思議な感覚になっていた。
45度の位置から3ポイントを沈め、まずは7点差。
相手のターンオーバーから3対2の速攻、
自分で決め切って2点。
直後にロング2ポイントを2本決めてもう4点。
これで1点差。
時間を使って攻めてくる相手の攻撃を守り切り、
残り50秒、
オフボールムーブで45度でフリーとなり
3ポイントを決めてついに逆転。
5本連続でシュートを沈め、
そのまま2点差で逃げ切り逆転勝利することができた。
連日の30度超えとなって以来、
疲労すると肩こりの影響からか上半身が固まり、
急に息ができなくなる症状に苦しんでいた。
充分に食事を摂り、マッサージをしても
固まった肩と首の筋肉は一朝一夕にはほぐれない。
スタミナ切れというより息ができなくなるのを恐れて
積極的に動けず、不自然な体力温存作戦は
逆にプレッシャーになっていた。
さらに年始から強化してきた上半身のトレーニングの影響か、
特に外角シュートが入らない期間がずっと続いていることも
苦しいバスケが続く要因となっていた。
ごく最近の試合で味方から「決めろよ」と
舌打ちされたことも切り替えられず引きずっていた。
ボールが軽くなり、飛距離が伸びて
楽にシュートが打てるようになった反面、
自分のシュートフォームや感覚が信じられなくなり
フリーなのに打たなくなり消極的になる、
悪循環に陥っていた。
ドリブルやハンドリングの練習を増やして地道にこなすも、
ためらうようになったメンタルと感覚を取り戻せず
トンネルの中をさまよっていた。
この試合の後、家に着いた瞬間、涙が溢れてきた。
シャワーにも入らず、しばらく一人で泣いた。
ずっと、地道に準備と練習してきたよね、
やっと報われたねと、
気づいたらセルフトークを繰り返していた。
あの3分間の自分をどう表現したらいいのかわからない。
どう動いた、どうシュートを打った、
ボールの感触はどうだった、すべて憶えていない。
1つ言えるとすれば「夢中」だった。
もし、この感覚を「ゾーンに入る」と呼んでいいのなら、
僭越ながらそう呼ばせてもらおう。
やればやった分だけ結果が出るなんてのは、
どこをどう探したって学校のテストだけです。
彼らがやろうとしていることは、
そんな嘘っぱちの努力なんかじゃない。
3年間春も夏も秋も冬も、毎日毎日同じことを
ひたすら繰り返すような、そんな努力なんですよ。
それでも結果は伴わないかもしれない。
ましてはインターハイに出場できるのなんて
ほんの一握りの人間だけです。でもそれがリアルでしょう?
私達の社会そのままじゃないですか!
アイツラが挑戦しているのはそーゆう場所なんです。
九頭龍高校 男子バスケ部監督 五月先生
『あひるの空』 12巻 92話 より
僕はバスケで生計を立てているプロではないし、
あくまで好きで取り組んでいること。
どれだけ地道に練習を続けても、
結果は保証されていないし、出ないかも知れない。
バスケが好きで、上手くなりたくて、
もっとシュートが入るようになりたくて、
試合に勝ちたくて真剣に取り組んでも、
シュートが入らない期間がずっと続くかも知れない。
方向性や方法が違って、入るようにならないかも知れない。
シュートの仕方を忘れたような
最近の苦しいバスケでも、続けてきた。好きだから。
何のために毎日練習するのか、それは
逆転勝利した今日の試合のラスト3分、あの瞬間のため。
2019年08月12日
唯一の、家族旅行の記憶。
僕が小学3年の時、
当時の担任に机を隔離されるなど、
最も学校が苦しい場所だった時期の年末。
父から
「年末年始はディズニーランドに2回行く旅行をしよう」
という提案が飛び出した。
いつになく機嫌が良かったことはホッとしたが、
この機嫌の良さは続かない、何か裏があるのではと
気が気でなく、そわそわする自分もいた。
いわゆる「家族サービス」というものだろうか。
父は勤務先の高校で女子バスケ部の監督をしており、
土日は練習や試合で不在、夏休みも合宿や遠征で不在。
稀に食事に連れて行ってくれたものの、
旅行などの提案はこれまでなかった。
僕自身も多忙な父を見ながら、
貴重な休日を奪いたくないと気を遣っていた。
クラスで聞こえてくる家族旅行の話は
2種類の羨ましさで遠くから聞いていた。
1つ目は家族旅行に行けること、
そしてもう1つは家族の仲が良いこと。
お父さんと、お母さんと”楽しく”一緒にいられるのかな、
機嫌が悪い中で誰もが無言、怒りの原因の推測に必死になり、
心をすり減らすことなく一緒にいられていいな、と。
だから、いざ家族旅行に行けるとなったのに、
僕はどういう心構えと振る舞いをすればいいんだろうと
未体験の不安が大きかった気がする。
メンバーは両親、僕、妹、弟、そして
僕が大学生の時に亡くなった父方の祖母。
僕をかわいがってくれていた祖母と一緒にいれたのは
当時から両親と会話がほとんどなかった僕にとって
大きな救いだった。
さらに、これに首都圏に住む従姉妹家族も加わったので、
親との沈黙に耐えられない状況は免れ、
旅行期間中、気まずい思い出はさほどなかった。
初めてのディズニーランドは年末年始らしからぬ人の少なさで、
並びはしたが数時間単位とはならなかった。
入園後は各自、数人単位でバラけての別行動だったので、
ここでも両親と共に行動する必要がなかったことは救いだった。
人が多くてかなり並ぶことは事前に聞いていたため、
行動を共にしたら待ち時間の長さでイライラされるかと
実は憂鬱だったりした。
ほとんど別行動が取れたことと、
幸い大きな感情の爆発やイライラへの遭遇がなかったことで、
楽しかった以上に、胸をなでおろす自分がいた。
こうやって当時の僕の心境を文章にしてみると、
当時9歳の子どもがどうしてこんな深読みばかりを
重ねていたんだろうと不思議に思える。
初めての旅行を素直に喜べばいいし、
思い切りはしゃいだり楽しめばいいはずなのに、
「何か裏があるのでは」「今日は機嫌がよさそうだ」
などと親の顔色を伺ってばかりいた僕は今考えても
”子どもらしい子ども”の思考ではなかった。
「仕事ばかりで家庭を顧みない」ほどではないが、
きっと父は仕事と部活ばかりで家族を構っていないことで、
何かしたくて頑張ってくれたんだと思う。
普段から親の顔色と空気感を伺い、深読みばかりして
過ごしていた僕が、その好意を素直に受け止められず、
いつになくご機嫌な父に困惑してしまったのは否めない。
普段の振る舞いらしからぬ提案をしてくれた父と、
普段から素直に楽しめず警戒心いっぱいだった僕。
「日頃の行い」という一言で片付けられるほど、
単純じゃない気持ちが交錯した7日間。
それでも、はしゃぐことはできなかったが
初めてのディズニーランドは、きっと楽しかった。
当時の担任に机を隔離されるなど、
最も学校が苦しい場所だった時期の年末。
父から
「年末年始はディズニーランドに2回行く旅行をしよう」
という提案が飛び出した。
いつになく機嫌が良かったことはホッとしたが、
この機嫌の良さは続かない、何か裏があるのではと
気が気でなく、そわそわする自分もいた。
いわゆる「家族サービス」というものだろうか。
父は勤務先の高校で女子バスケ部の監督をしており、
土日は練習や試合で不在、夏休みも合宿や遠征で不在。
稀に食事に連れて行ってくれたものの、
旅行などの提案はこれまでなかった。
僕自身も多忙な父を見ながら、
貴重な休日を奪いたくないと気を遣っていた。
クラスで聞こえてくる家族旅行の話は
2種類の羨ましさで遠くから聞いていた。
1つ目は家族旅行に行けること、
そしてもう1つは家族の仲が良いこと。
お父さんと、お母さんと”楽しく”一緒にいられるのかな、
機嫌が悪い中で誰もが無言、怒りの原因の推測に必死になり、
心をすり減らすことなく一緒にいられていいな、と。
だから、いざ家族旅行に行けるとなったのに、
僕はどういう心構えと振る舞いをすればいいんだろうと
未体験の不安が大きかった気がする。
メンバーは両親、僕、妹、弟、そして
僕が大学生の時に亡くなった父方の祖母。
僕をかわいがってくれていた祖母と一緒にいれたのは
当時から両親と会話がほとんどなかった僕にとって
大きな救いだった。
さらに、これに首都圏に住む従姉妹家族も加わったので、
親との沈黙に耐えられない状況は免れ、
旅行期間中、気まずい思い出はさほどなかった。
初めてのディズニーランドは年末年始らしからぬ人の少なさで、
並びはしたが数時間単位とはならなかった。
入園後は各自、数人単位でバラけての別行動だったので、
ここでも両親と共に行動する必要がなかったことは救いだった。
人が多くてかなり並ぶことは事前に聞いていたため、
行動を共にしたら待ち時間の長さでイライラされるかと
実は憂鬱だったりした。
ほとんど別行動が取れたことと、
幸い大きな感情の爆発やイライラへの遭遇がなかったことで、
楽しかった以上に、胸をなでおろす自分がいた。
こうやって当時の僕の心境を文章にしてみると、
当時9歳の子どもがどうしてこんな深読みばかりを
重ねていたんだろうと不思議に思える。
初めての旅行を素直に喜べばいいし、
思い切りはしゃいだり楽しめばいいはずなのに、
「何か裏があるのでは」「今日は機嫌がよさそうだ」
などと親の顔色を伺ってばかりいた僕は今考えても
”子どもらしい子ども”の思考ではなかった。
どんなにコントロールばかりする親でも、たいていは、
時には子供をいたわったり、優しくなったり、
子供が喜ぶ顔を見たいと思う瞬間はあるものです。
子供を苦しめてばかりいる親でも、
自分の苦しみを止めたいのと同じように、
子供の苦しみも止めたいと思っているのかも知れません。
おそらく彼らは、どうやってそれをしたらよいのかが
わからないのでしょう。
『不幸にする親』第五章 より
「仕事ばかりで家庭を顧みない」ほどではないが、
きっと父は仕事と部活ばかりで家族を構っていないことで、
何かしたくて頑張ってくれたんだと思う。
普段から親の顔色と空気感を伺い、深読みばかりして
過ごしていた僕が、その好意を素直に受け止められず、
いつになくご機嫌な父に困惑してしまったのは否めない。
普段の振る舞いらしからぬ提案をしてくれた父と、
普段から素直に楽しめず警戒心いっぱいだった僕。
「日頃の行い」という一言で片付けられるほど、
単純じゃない気持ちが交錯した7日間。
それでも、はしゃぐことはできなかったが
初めてのディズニーランドは、きっと楽しかった。
2019年08月11日
父からの、大量の長文メール。
僕は実家の電話番号は消してしまったが、
余命1年以内と宣告されている
父のメールアドレスは残していた。
最近、その父のメールアドレスから
大量の長文メールが来るようになった。
5〜6通に分けて送られてくる長文メールを
僕は開いていない。
メール受信時に冒頭1行くらいは
どうしても表示されてしまうが、
そこ以外は中身を見ずに削除している。
目に入ってしまう冒頭部分だけを見ると、
家族の誰と何をしているという近況報告や
自身の不安感を露にするようなコメントが並んでいる。
その中の何通かの冒頭に、
「連絡をください」と書いてあったりなかったりするが、
僕の正直な気持ちを一言で表すと、
「もうこれ以上傷つけないでほしい」
離婚した直後、目の前で泣く息子に向かって
「またそうやって取り乱す」と言い放ったこと。
→「「またそうやって取り乱す。」」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/235/0
精神的に限界を迎え、仕事に行きたくないと
発狂し転げまわる僕に対し、僕を助けるどころか
「男とは全てを犠牲にして働くものだ」と持論を振りかざし、
耳を塞いで叫ぶ僕をさらに追い詰めたこと。
→「父の「学費返せ」発言の真相は。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/136/0
連絡をしたり、のこのこと会いに行ったりすれば
また傷つけられる、あの地獄が再現される。
関われば関わるだけ心に傷が増えるなら、
もういっそ関わりたくない気持ちが強い。
今回、中身は読んでいないが、
大量のメールが送られてくるのは、
僕の気持ちを知りたくて、僕のことを心配しているから
ではないことをわかっている。
その長文の中に例え「収入や生活はどうですか」
という記述があったとしても、
それは自分の不安感を書きなぐるのと共に、
音沙汰の一切ない僕に構ってほしい気持ちからであって、
彼の中に僕がいないことを知っているから。
→「それは愛情ではなく不安感。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/218/0
僕の家に訪ねて来た時も、
自閉症スペクトラム(ASD)の特性もあるだろうが
周りをはばからずひらすら自分の不安と不満を
大声でしゃべり続けるような人。
人は簡単には変わらない。
もし今、連絡を取ったり会いに行ったとしても、
僕の話を聞いてくれる可能性は限りなくゼロに近い。
長い自己主張の演説がまた繰り返されると思うと
余命云々を含めても構いたいと思えなくなってしまった。
歪んだ見方と言われるかも知れないけど、
それが今の僕の本音。
連絡をくださいと言われて連絡した結果、
いつも追加で傷ついてきた経験が
僕のメール返信を妨げている。
※本の中では母親の心理として書かれているが、
父の行動の裏側を的確に表した一節を紹介したい。↓
子どもの時はただひたすら威圧的で、
男とは、亭主とはこうあるべきだと大声で主張し、
常にいらいらしていて恐怖の対象だった父が、
今こんなふうに「構ってほしい」アピールを
何通もの長文メールにして送ってくる。
僕の中で「怖い」一色、仁王のようなだった父が
ただの寂しがり屋で弱い1人の人間にみるみる変わっていく。
それと同時に、僕の中に恐怖として住み着く父の影が
急速に小さくなっていく。
一時期は長いことメールアドレス自体を削除したり、
受信を拒否していたが、今回は一応それはしないでおこうと思う。
父から何通ものメールがもっと頻繁に来るようになり、
苦痛から心身に支障が出るようならまた考える。
ただ、僕に向けられていない内容のメールが大量に来るたび、
僕の心の中での父の存在がどんどん小さくなるのを実感する。
それは僕にとって、まだ恐怖に支配され、
恐れの対象として見ている親から解放される道のりなので、
メールの処遇についてはもう少し様子を見ようと思う。
もし、亡くなったという知らせを受けた時、
僕は「構いたくない」と思ったことに対して
罪悪感を抱くんだろうか。後悔するんだろうか。
後悔も葛藤もするだろう。
僕の反応が”彼らのニーズを満たす行動”と一致しないことで
「親不孝」「薄情」などと罵られるかも知れない。
そんな、考えても仕方ないような憶測を
とりあえず書き残して終わることにする。
余命1年以内と宣告されている
父のメールアドレスは残していた。
最近、その父のメールアドレスから
大量の長文メールが来るようになった。
5〜6通に分けて送られてくる長文メールを
僕は開いていない。
メール受信時に冒頭1行くらいは
どうしても表示されてしまうが、
そこ以外は中身を見ずに削除している。
目に入ってしまう冒頭部分だけを見ると、
家族の誰と何をしているという近況報告や
自身の不安感を露にするようなコメントが並んでいる。
その中の何通かの冒頭に、
「連絡をください」と書いてあったりなかったりするが、
僕の正直な気持ちを一言で表すと、
「もうこれ以上傷つけないでほしい」
離婚した直後、目の前で泣く息子に向かって
「またそうやって取り乱す」と言い放ったこと。
→「「またそうやって取り乱す。」」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/235/0
精神的に限界を迎え、仕事に行きたくないと
発狂し転げまわる僕に対し、僕を助けるどころか
「男とは全てを犠牲にして働くものだ」と持論を振りかざし、
耳を塞いで叫ぶ僕をさらに追い詰めたこと。
→「父の「学費返せ」発言の真相は。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/136/0
連絡をしたり、のこのこと会いに行ったりすれば
また傷つけられる、あの地獄が再現される。
関われば関わるだけ心に傷が増えるなら、
もういっそ関わりたくない気持ちが強い。
今回、中身は読んでいないが、
大量のメールが送られてくるのは、
僕の気持ちを知りたくて、僕のことを心配しているから
ではないことをわかっている。
その長文の中に例え「収入や生活はどうですか」
という記述があったとしても、
それは自分の不安感を書きなぐるのと共に、
音沙汰の一切ない僕に構ってほしい気持ちからであって、
彼の中に僕がいないことを知っているから。
→「それは愛情ではなく不安感。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/218/0
僕の家に訪ねて来た時も、
自閉症スペクトラム(ASD)の特性もあるだろうが
周りをはばからずひらすら自分の不安と不満を
大声でしゃべり続けるような人。
人は簡単には変わらない。
もし今、連絡を取ったり会いに行ったとしても、
僕の話を聞いてくれる可能性は限りなくゼロに近い。
長い自己主張の演説がまた繰り返されると思うと
余命云々を含めても構いたいと思えなくなってしまった。
歪んだ見方と言われるかも知れないけど、
それが今の僕の本音。
連絡をくださいと言われて連絡した結果、
いつも追加で傷ついてきた経験が
僕のメール返信を妨げている。
※本の中では母親の心理として書かれているが、
父の行動の裏側を的確に表した一節を紹介したい。↓
母親がなぜ長文メールをせっせと送ってくるかというと、
娘とつねにつながっていたいからです。
娘がメールを読んでくれている間は、
母親のことを思い出してもらえる。
娘がせっせと返信すれば、
満足を得てさらにメールを送るようになるでしょう。
『長女が“母の呪縛”から自由になる方法』 より
子どもの時はただひたすら威圧的で、
男とは、亭主とはこうあるべきだと大声で主張し、
常にいらいらしていて恐怖の対象だった父が、
今こんなふうに「構ってほしい」アピールを
何通もの長文メールにして送ってくる。
僕の中で「怖い」一色、仁王のようなだった父が
ただの寂しがり屋で弱い1人の人間にみるみる変わっていく。
それと同時に、僕の中に恐怖として住み着く父の影が
急速に小さくなっていく。
一時期は長いことメールアドレス自体を削除したり、
受信を拒否していたが、今回は一応それはしないでおこうと思う。
父から何通ものメールがもっと頻繁に来るようになり、
苦痛から心身に支障が出るようならまた考える。
ただ、僕に向けられていない内容のメールが大量に来るたび、
僕の心の中での父の存在がどんどん小さくなるのを実感する。
それは僕にとって、まだ恐怖に支配され、
恐れの対象として見ている親から解放される道のりなので、
メールの処遇についてはもう少し様子を見ようと思う。
もし、亡くなったという知らせを受けた時、
僕は「構いたくない」と思ったことに対して
罪悪感を抱くんだろうか。後悔するんだろうか。
後悔も葛藤もするだろう。
僕の反応が”彼らのニーズを満たす行動”と一致しないことで
「親不孝」「薄情」などと罵られるかも知れない。
そんな、考えても仕方ないような憶測を
とりあえず書き残して終わることにする。
2019年08月10日
否定ばかりする人は”証明”を求めている。
友人
「見てこの指、内出血して真っ青。
こうなったことある?」
僕「痛そうですね…半年前にやって
骨折かも知れないから一週間安静でした。」
友人
「いやいや骨は絶対大丈夫なんだ、内出血かな。」
僕
「そうですね。念のため靭帯や腱損傷がないか、
整形外科行ってみてもいいかも知れませんね。」
友人
「いやいや靭帯も大丈夫、整形外科もいいんだ。内出血だし。」
僕
「そ、そうですか…。
じゃあ湿布で冷やしてもいいかも知れませんね。」
友人
「いや湿布もいいんだ、指動くから」
僕
「……(全部否定するなら聞かないでよ…。)」
相手の言うことをことごとく否定する人は
少なからずいる。
その時は正直、
こちらが不快なモヤモヤした気持ちにさせられるが、
彼らがなぜ否定ばかりするのか考えてみると、
一歩引いた立場で見ることができる。
話しかけた時点で、彼らの会話のゴールは決まっている。
自分のことを認めてほしい気持ち、
それから自分の言うことが正しいと
他人を使って証明したい気持ち。
言い方が悪いかも知れないが、この2つを達成するために、
話しかけ易くて怒らなさそうな人を”使う”。
彼は自分が怪我をし、どれだけ痛い思いをしているか、
どれだけ大変なのか聞いてほしく、認めてほしい。
だから、質問形式でスタートしてはいるものの、
労いや同調、共感の言葉以外は最初から求めておらず、
相手の返事の内容にも恐らく興味はない。
質問形式でスタートしたのは、相手からの返事を
確実に引き出し、自分の第二波に繋げる可能性を
高めるための技術という見方もできる。
怪我の深刻さは本人だけがわかる。
自分が「内出血」と判断したことは正しいので、
もし整形外科で靭帯や骨に損傷があると診断されたら、
そもそも提案通りに整形外科に行ってしまったら、
自分の考えが正しくなかったと証明されてしまう。
自分が判断して決めたこと以外の意見を受け入れると
自分の正しさが脅かされる。
こいつなら自分のことを否定しない、
こいつなら自分に逆らわないだろうと思っている人の意見が
正しかったらどうしよう、耐えられないと不安感に襲われる。
そうなると自分が話しかけた目的が達成できないので、
共感や労いの言葉以外は否定し、相手が間違っていることにする。
結局、彼らは他人を使わないと
自分の正しさを証明できず、また自信もない。
自分に自信がないから、先に相手を否定して
「自分の方が上なんだ、自分の方が正しいんだ」と
主張しなければならないほど、実は不安を抱えている。
こう考えると、自分の心を守る有効な方法は
他人であれば距離を置くことと、
「ただ聞くだけに留める」ことと思えてくる。
下手に気を遣って、何か有効な情報を提案すると
壁に向かって話しかけることになり、自分の心が消耗する。
冒頭で迂闊にもいくつか提案をしてしまった僕のように。
彼らは「聞いて、すごい自分を労ってほしい」だけだから、
できるだけ心をすり減らさないように対応できればと思う。
「自分はすごいんだ、大変なんだ、労って」と
一方的な会話にせよ、自ら人に切り込めるところは
うらやましいとも思う。
僕はこれまでのところ、彼らの受け入れ先のような役回りで
自分から積極的に切り込むことがあまりできていないから。
「自分を守る」というのは、人の攻撃からだけでなく、
「我慢して自分を痛めつける自分」からも守ることだと実感する。
「見てこの指、内出血して真っ青。
こうなったことある?」
僕「痛そうですね…半年前にやって
骨折かも知れないから一週間安静でした。」
友人
「いやいや骨は絶対大丈夫なんだ、内出血かな。」
僕
「そうですね。念のため靭帯や腱損傷がないか、
整形外科行ってみてもいいかも知れませんね。」
友人
「いやいや靭帯も大丈夫、整形外科もいいんだ。内出血だし。」
僕
「そ、そうですか…。
じゃあ湿布で冷やしてもいいかも知れませんね。」
友人
「いや湿布もいいんだ、指動くから」
僕
「……(全部否定するなら聞かないでよ…。)」
相手の言うことをことごとく否定する人は
少なからずいる。
その時は正直、
こちらが不快なモヤモヤした気持ちにさせられるが、
彼らがなぜ否定ばかりするのか考えてみると、
一歩引いた立場で見ることができる。
話しかけた時点で、彼らの会話のゴールは決まっている。
自分のことを認めてほしい気持ち、
それから自分の言うことが正しいと
他人を使って証明したい気持ち。
言い方が悪いかも知れないが、この2つを達成するために、
話しかけ易くて怒らなさそうな人を”使う”。
彼は自分が怪我をし、どれだけ痛い思いをしているか、
どれだけ大変なのか聞いてほしく、認めてほしい。
だから、質問形式でスタートしてはいるものの、
労いや同調、共感の言葉以外は最初から求めておらず、
相手の返事の内容にも恐らく興味はない。
質問形式でスタートしたのは、相手からの返事を
確実に引き出し、自分の第二波に繋げる可能性を
高めるための技術という見方もできる。
怪我の深刻さは本人だけがわかる。
自分が「内出血」と判断したことは正しいので、
もし整形外科で靭帯や骨に損傷があると診断されたら、
そもそも提案通りに整形外科に行ってしまったら、
自分の考えが正しくなかったと証明されてしまう。
自分が判断して決めたこと以外の意見を受け入れると
自分の正しさが脅かされる。
こいつなら自分のことを否定しない、
こいつなら自分に逆らわないだろうと思っている人の意見が
正しかったらどうしよう、耐えられないと不安感に襲われる。
そうなると自分が話しかけた目的が達成できないので、
共感や労いの言葉以外は否定し、相手が間違っていることにする。
結局、彼らは他人を使わないと
自分の正しさを証明できず、また自信もない。
自分に自信がないから、先に相手を否定して
「自分の方が上なんだ、自分の方が正しいんだ」と
主張しなければならないほど、実は不安を抱えている。
”恐れる心と自己防衛”
人間の行動の、非情に興味深いことのひとつに、
「弱みがあると、それと正反対の行動をして補正しようとする」
というものがあります。
たとえば、自信がなくてひけ目を感じている人が、
ことさら格好をつけて実際の自分より大きく見せようとしたり、
感情が激しく上下する人が無理して
あたかも平然としているようにふるまうなどがそうです。
人から拒否されるのを恐れて、自分のほうから
先に相手を拒否するのも同じです。
『不幸にする親』第五章 より
こう考えると、自分の心を守る有効な方法は
他人であれば距離を置くことと、
「ただ聞くだけに留める」ことと思えてくる。
下手に気を遣って、何か有効な情報を提案すると
壁に向かって話しかけることになり、自分の心が消耗する。
冒頭で迂闊にもいくつか提案をしてしまった僕のように。
彼らは「聞いて、すごい自分を労ってほしい」だけだから、
できるだけ心をすり減らさないように対応できればと思う。
「自分はすごいんだ、大変なんだ、労って」と
一方的な会話にせよ、自ら人に切り込めるところは
うらやましいとも思う。
僕はこれまでのところ、彼らの受け入れ先のような役回りで
自分から積極的に切り込むことがあまりできていないから。
「自分を守る」というのは、人の攻撃からだけでなく、
「我慢して自分を痛めつける自分」からも守ることだと実感する。
2019年08月09日
酒臭い寝室からの脱出。
高校卒業まで過ごした実家では、
リビングルームの他にいくつか部屋はあったが、
なぜか6畳くらいの1部屋で
家族5人で布団を並べて寝ていた。
部屋の一番奥の布団が僕で、
母、妹、弟の順番は忘れてしまったが、
部屋の一番手前、出入り口の戸の近くは父だった。
朝方、僕は大きないびきと
部屋中に充満するアルコールの匂いで目が覚める。
寝相悪く布団を剥ぎ取った父が、
出入口の戸にしがみつき
大きないびきをかいて寝ている。
まだ明け方だが、耳を突くいびきの声と
ひどいアルコールの匂いから脱出したいので
寝ているみんなをそっと跨ぎながら戸を目指す。
父の戸へのしがみつき方によっては
起こさずに戸を開けることが難しいが、
僕は何とか音を立てずに戸を開けようと
おそるおそる引っ張ってみる。
「んー!んんんーー!!」
突然の唸り声とともに、戸を掴まれる。
驚いて心臓の拍動が一気に上がる。
怒らせてしまったか、それとも寝言か。
それとも抱き枕を取られた感覚だろうか。
そんな緊張感と闘いながらも、
再び戸の開放に挑戦し続け、何とか部屋を脱出。
だいたいその頃には日が昇りかけているが、
時刻はまだ5時半くらい。
リビングルームへ脱出した僕は
その辺に転がっている座布団やタオルケットを集めて
即席の寝床を作り、もうひと眠りにつく。
これが僕の、高校卒業までの明け方の過ごし方だった。
飲んで暴れる、暴力を振るう、絡み酒、各種上戸、
いわゆるアルコール依存症が進んだ時に
見られるような行動は、父はたぶんしなかった。
酔って誰かに絡みつくどころか、
いつも通り家では誰にも話しかけず、
どっしり腰掛けている姿が印象的だった。
※父に話しかける者も誰もいない。
母でさえも無言でお酒や肴を出し、
給仕する時以外はキッチンでの作業に没頭していた。
だけど、毎朝あれだけアルコールの匂いを
寝室中に充満させていたことを考えると、
毎晩かなりの深酒をしていたことは事実だろう。
だから僕は当時、21時までに布団に入ることへの
プレッシャーと闘いながら、
明け方にアルコールの匂いで目覚めるのも嫌で、
安心して寝られるとはどういうことかがわからなくなっていた。
→「懲罰教育、ルールが支配する家。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/155/0
テストの採点や授業の準備といって
父のデスクがある部屋で徹夜で仕事をする時は
僕はアルコールの匂いが充満する部屋から
脱出しなくてもよかった。
この時は一応、ホッとするのだが、
逆に父の仕事部屋にはずっと灯りが点いていて、
リビングにいるといつ部屋から父が出てくるか
気が気ではなかった。
たとえ父が、机に突っ伏して寝ていると
わかっていても。
明け方にリビングに脱出して二度寝するのが
半ば習慣になっていたので、そういう時は
アルコールの匂いのしない寝室から勉強部屋の様子を伺い、
ここの方が安全と確かめてから二度寝していた。
直接危害を加えるでも、暴れるでもない、
酩酊状態かと言うとそうでもないし
仕事や生活に支障をきたす様子もない。
だから僕は、父がアルコール依存症だったのかは
正直言ってわからない。
母はお酒を一切飲まない人で、晩酌するでもなく、
「お酒は控えめにしなさい」みたいなことを言う者も
家には誰一人いなかった。
誰もがただ無言。
一人で煙草を吸い、一人で飲む父。
これが「あたたかい家庭」なのか、「普通の家族」なのか、
僕にはさっぱりわからなかった。
それよりも、明日の明け方どうやって寝室から脱出するか、
そちらの方が僕にとっては差し迫っていた。
ただ1つ、僕の人生に役立ったことといえば、
アルコールの匂いを充満させながら
寝室の戸を抱え込む父の寝姿を見て、
僕はお酒に呑まれるようなことは
絶対にしないと誓えたこと。
そのおかげか、僕はお酒の席以外では
基本的にアルコールは摂取せず、自宅にもお酒がない。
お酒、煙草、ギャンブルのいずれにも
手を出さなかったことは大きなプラスになっている。
※アルコールの味と匂いが苦手で
自分から進んで飲むことをしないのは
子どもの頃に毎朝嗅ぎ続けて嫌だったからかも知れない。
ストレス、不安、恐怖、思い通りにならない子ども、
何かに逃げたくなる気持ちはわかる。
だけど、どうにかならなかったんだろうか。
あの無言家庭で、もし何かに救いを求めるとしたら
一体どうすればよかったんだろうか。
あの異常な集団を抜け出して
やり直すしか方法はなかったんだろうか。
僕を含め、勇気ある一言を誰も言わなかったのは
僕ら子どもにも責任があるのか、
それともアルコールは親の問題だからと
僕ら子どもは責任を感じなくてもよかったのだろうか。
繰り返すが、僕にはさっぱりわからない。
今言えるのは、あの空間、あの家庭、
あの集団は病的だったということ。
リビングルームの他にいくつか部屋はあったが、
なぜか6畳くらいの1部屋で
家族5人で布団を並べて寝ていた。
部屋の一番奥の布団が僕で、
母、妹、弟の順番は忘れてしまったが、
部屋の一番手前、出入り口の戸の近くは父だった。
朝方、僕は大きないびきと
部屋中に充満するアルコールの匂いで目が覚める。
寝相悪く布団を剥ぎ取った父が、
出入口の戸にしがみつき
大きないびきをかいて寝ている。
まだ明け方だが、耳を突くいびきの声と
ひどいアルコールの匂いから脱出したいので
寝ているみんなをそっと跨ぎながら戸を目指す。
父の戸へのしがみつき方によっては
起こさずに戸を開けることが難しいが、
僕は何とか音を立てずに戸を開けようと
おそるおそる引っ張ってみる。
「んー!んんんーー!!」
突然の唸り声とともに、戸を掴まれる。
驚いて心臓の拍動が一気に上がる。
怒らせてしまったか、それとも寝言か。
それとも抱き枕を取られた感覚だろうか。
そんな緊張感と闘いながらも、
再び戸の開放に挑戦し続け、何とか部屋を脱出。
だいたいその頃には日が昇りかけているが、
時刻はまだ5時半くらい。
リビングルームへ脱出した僕は
その辺に転がっている座布団やタオルケットを集めて
即席の寝床を作り、もうひと眠りにつく。
これが僕の、高校卒業までの明け方の過ごし方だった。
飲んで暴れる、暴力を振るう、絡み酒、各種上戸、
いわゆるアルコール依存症が進んだ時に
見られるような行動は、父はたぶんしなかった。
酔って誰かに絡みつくどころか、
いつも通り家では誰にも話しかけず、
どっしり腰掛けている姿が印象的だった。
※父に話しかける者も誰もいない。
母でさえも無言でお酒や肴を出し、
給仕する時以外はキッチンでの作業に没頭していた。
だけど、毎朝あれだけアルコールの匂いを
寝室中に充満させていたことを考えると、
毎晩かなりの深酒をしていたことは事実だろう。
だから僕は当時、21時までに布団に入ることへの
プレッシャーと闘いながら、
明け方にアルコールの匂いで目覚めるのも嫌で、
安心して寝られるとはどういうことかがわからなくなっていた。
→「懲罰教育、ルールが支配する家。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/155/0
テストの採点や授業の準備といって
父のデスクがある部屋で徹夜で仕事をする時は
僕はアルコールの匂いが充満する部屋から
脱出しなくてもよかった。
この時は一応、ホッとするのだが、
逆に父の仕事部屋にはずっと灯りが点いていて、
リビングにいるといつ部屋から父が出てくるか
気が気ではなかった。
たとえ父が、机に突っ伏して寝ていると
わかっていても。
明け方にリビングに脱出して二度寝するのが
半ば習慣になっていたので、そういう時は
アルコールの匂いのしない寝室から勉強部屋の様子を伺い、
ここの方が安全と確かめてから二度寝していた。
直接危害を加えるでも、暴れるでもない、
酩酊状態かと言うとそうでもないし
仕事や生活に支障をきたす様子もない。
だから僕は、父がアルコール依存症だったのかは
正直言ってわからない。
母はお酒を一切飲まない人で、晩酌するでもなく、
「お酒は控えめにしなさい」みたいなことを言う者も
家には誰一人いなかった。
誰もがただ無言。
一人で煙草を吸い、一人で飲む父。
これが「あたたかい家庭」なのか、「普通の家族」なのか、
僕にはさっぱりわからなかった。
それよりも、明日の明け方どうやって寝室から脱出するか、
そちらの方が僕にとっては差し迫っていた。
”アルコール中毒の親”
自分たちを”ノーマルな家”のように見せかけようとする家族の態度は、
とりわけ子供の心を歪めてしまう。
なぜなら、子供は生まれつき自然なので、
家のことについては当然疑問がわくが、
そういう自分の感覚を無理やり否定しなければならないからだ。
自分が感じたり考えたりしていることと違うことを
絶えず自分や他人にいっていなくてはならない状態では、
自分に対する信頼感を育て、自信ある人間となることは不可能である。
『毒になる親』第四章 より
ただ1つ、僕の人生に役立ったことといえば、
アルコールの匂いを充満させながら
寝室の戸を抱え込む父の寝姿を見て、
僕はお酒に呑まれるようなことは
絶対にしないと誓えたこと。
そのおかげか、僕はお酒の席以外では
基本的にアルコールは摂取せず、自宅にもお酒がない。
お酒、煙草、ギャンブルのいずれにも
手を出さなかったことは大きなプラスになっている。
※アルコールの味と匂いが苦手で
自分から進んで飲むことをしないのは
子どもの頃に毎朝嗅ぎ続けて嫌だったからかも知れない。
ストレス、不安、恐怖、思い通りにならない子ども、
何かに逃げたくなる気持ちはわかる。
だけど、どうにかならなかったんだろうか。
あの無言家庭で、もし何かに救いを求めるとしたら
一体どうすればよかったんだろうか。
あの異常な集団を抜け出して
やり直すしか方法はなかったんだろうか。
僕を含め、勇気ある一言を誰も言わなかったのは
僕ら子どもにも責任があるのか、
それともアルコールは親の問題だからと
僕ら子どもは責任を感じなくてもよかったのだろうか。
繰り返すが、僕にはさっぱりわからない。
今言えるのは、あの空間、あの家庭、
あの集団は病的だったということ。
2019年08月08日
なぜ親は僕をけなすのか 〜”自分は正しいはずなんだ”という、必死の叫び〜。
親はなぜ僕のことを
・あまりに自己中心的
・自分勝手
・問題ばかり起こす
などと言ってけなすのだろうか。
彼らからけなす言葉が出るタイミングには
共通点があるという話を書いたことがある。
→「残酷な言葉が出る時の共通点。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/238/0
この記事の内容と少し被るかも知れないが、
今回はなぜ彼らは僕をけなし続けるのかについて
気づいたことを書いていきたい。
けなす前には多くの場合、
彼らから僕に対して何か要求や意見、提案がある。
そして僕がそれに従わなかった時、
高確率で残酷な言葉を浴びせてけなす。
もちろん本心は当人たちにしかわからないことだが、
理由をざっくり言ってしまうと、
要求や提案をするのは自分の思い通りにしたいからであり、
けなすのは”自分たちが”不安で仕方ないから。
彼らは自分たちの意見、生き方、価値観が正しいことを
子どもを使って証明したいのだ。
自分たちが生きてきた中で作られた価値観、
その範囲内で好ましい、正しいと思われることを
子どもにやらせようとする。
子どもがその通りにやって結果が伴えば、
自分たちの考え方は、自分たちの人生は
正しかったんだと証明できて安心する。
まさに、
「私の言う通りにしていれば間違いないのよ」
と言わんばかりに。
もっと言うと、自分たちが正しいと思うことを
やらせようとする場合、何が起きるか想像が容易。
自らの想像の範囲を超えた
予想外の出来事が起きる可能性は低いため、
この点でも安心できる。
親に限らず、僕ら人間が最も恐れることの1つは、
誰にもわからないのに「未来がわからないこと」だから。
自分たちの辿って来た道と同じか似ていれば
どんな事件やハプニングが起きるか予想がつくので
やっている子ども本人ではなく”自分たちが”安心できる。
それなのに、子ども、つまり僕は
親の価値観に準ずるようなことに従わないか、
好まないことが彼らには面白くないんだろう。
こいつはどうしても思い通りにできない、
正しい(と彼らが信じている)ことをせっかく提案しても
正しくない(と彼らが嫌っている)ことばかりに手を出す。
思い通りにできないことで、けなす立派な理由が生まれる。
さらに、例えば公務員試験を受けず、資格も取らず、
立派な学校や成績を修めないという、反乱にも似た生き方で
もし子どもが大きな結果を出してしまったらどうなるか。
彼らが人生の中で必死に信じてきたもの、
生き方、働き方、考え方がひっくり返されたらどうなるか。
自分たちの価値観が”正しくない”ことに
なってしまうという大きな不安が生まれる。
それはつまり、自分たちの人生そのものが
否定されたことにも繋がりかねないので、
恐れにも似た不安感から当事者をけなすのだ。
「ああ、そういう生き方もあるんだね」で終われば
言葉の暴力は生まれない。
それが生まれるということは、
彼らが放つ言葉の暴力は、実は薄っぺらい盾だからだ。
もちろんその盾は、自分のプライドを傷つけられないよう
不安と恐怖の中でようやく絞り出したものに過ぎない。
恐れているのは彼らなんだ。
思い通りにならない面白くなさと、
想定通りのことが起きにくそうで未来が見えなくなり
この時点で二重の不安感が募る。
その上、思い通りにならないやり方で
成功でもされようものなら立場がないし、
人生の中で必死に守ってきた価値観が崩れる。
それだけはどうしても認めたくないから、
先に相手をけなして潰してやろう。
こういう大きな不安感と恐怖感から、
なおさら攻撃的になっていたのではないだろうか。
こうやって冷静に、客観的に分析できるのは
もちろん顔を突き合わせていないから。
面と向かって攻撃されたら、
たぶんまだ耐性ができていないので
一方的に傷ついて終わってしまうかも知れない。
だけど、理解できたことは、
彼らは僕を攻撃しているようで実は
不安に押し潰されそうな”自分”を守るために
必死になっているということ。
彼らが繰り出す人格攻撃は
言ってしまえば「独り相撲」、
その視線の先に僕はおらず、
”自分の”不安があるだけだということ。
・あまりに自己中心的
・自分勝手
・問題ばかり起こす
などと言ってけなすのだろうか。
彼らからけなす言葉が出るタイミングには
共通点があるという話を書いたことがある。
→「残酷な言葉が出る時の共通点。」
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/238/0
この記事の内容と少し被るかも知れないが、
今回はなぜ彼らは僕をけなし続けるのかについて
気づいたことを書いていきたい。
けなす前には多くの場合、
彼らから僕に対して何か要求や意見、提案がある。
そして僕がそれに従わなかった時、
高確率で残酷な言葉を浴びせてけなす。
もちろん本心は当人たちにしかわからないことだが、
理由をざっくり言ってしまうと、
要求や提案をするのは自分の思い通りにしたいからであり、
けなすのは”自分たちが”不安で仕方ないから。
彼らは自分たちの意見、生き方、価値観が正しいことを
子どもを使って証明したいのだ。
「常に自分の都合が優先する親」は、すべてを
「自分が何を得ることができるか」によって見る傾向があります。
そのため、子供のニーズと自分のニーズが衝突すると、
子供は「厄介者」「問題を起こす者」、または
「脅威」と映るのです。
そして子供は、注目されたり認められたり
周囲をコントロールしたいという”親の”渇望を
満たすために使われてしまいます。
『不幸にする親』第二章 より
自分たちが生きてきた中で作られた価値観、
その範囲内で好ましい、正しいと思われることを
子どもにやらせようとする。
子どもがその通りにやって結果が伴えば、
自分たちの考え方は、自分たちの人生は
正しかったんだと証明できて安心する。
まさに、
「私の言う通りにしていれば間違いないのよ」
と言わんばかりに。
もっと言うと、自分たちが正しいと思うことを
やらせようとする場合、何が起きるか想像が容易。
自らの想像の範囲を超えた
予想外の出来事が起きる可能性は低いため、
この点でも安心できる。
親に限らず、僕ら人間が最も恐れることの1つは、
誰にもわからないのに「未来がわからないこと」だから。
自分たちの辿って来た道と同じか似ていれば
どんな事件やハプニングが起きるか予想がつくので
やっている子ども本人ではなく”自分たちが”安心できる。
それなのに、子ども、つまり僕は
親の価値観に準ずるようなことに従わないか、
好まないことが彼らには面白くないんだろう。
こいつはどうしても思い通りにできない、
正しい(と彼らが信じている)ことをせっかく提案しても
正しくない(と彼らが嫌っている)ことばかりに手を出す。
思い通りにできないことで、けなす立派な理由が生まれる。
ゴールは、「私(母親)の言うことが正しい」ということです。
その結果、自分の思い通りの答えが返ってこない場合は、
娘が「正しくない」、「悪い」、「親不孝」という結論になるのです。
『長女が“母の呪縛”から自由になる方法』第三章 より
さらに、例えば公務員試験を受けず、資格も取らず、
立派な学校や成績を修めないという、反乱にも似た生き方で
もし子どもが大きな結果を出してしまったらどうなるか。
彼らが人生の中で必死に信じてきたもの、
生き方、働き方、考え方がひっくり返されたらどうなるか。
自分たちの価値観が”正しくない”ことに
なってしまうという大きな不安が生まれる。
それはつまり、自分たちの人生そのものが
否定されたことにも繋がりかねないので、
恐れにも似た不安感から当事者をけなすのだ。
「ああ、そういう生き方もあるんだね」で終われば
言葉の暴力は生まれない。
それが生まれるということは、
彼らが放つ言葉の暴力は、実は薄っぺらい盾だからだ。
もちろんその盾は、自分のプライドを傷つけられないよう
不安と恐怖の中でようやく絞り出したものに過ぎない。
恐れているのは彼らなんだ。
思い通りにならない面白くなさと、
想定通りのことが起きにくそうで未来が見えなくなり
この時点で二重の不安感が募る。
その上、思い通りにならないやり方で
成功でもされようものなら立場がないし、
人生の中で必死に守ってきた価値観が崩れる。
それだけはどうしても認めたくないから、
先に相手をけなして潰してやろう。
こういう大きな不安感と恐怖感から、
なおさら攻撃的になっていたのではないだろうか。
繰り返しますが、人格攻撃をしかけてくる母親は、
娘を自分の思い通りにしたいのです。
それができないから、
アタックしてあなたを弱らせようとしています。
『長女が“母の呪縛”から自由になる方法』第二章 より
こうやって冷静に、客観的に分析できるのは
もちろん顔を突き合わせていないから。
面と向かって攻撃されたら、
たぶんまだ耐性ができていないので
一方的に傷ついて終わってしまうかも知れない。
だけど、理解できたことは、
彼らは僕を攻撃しているようで実は
不安に押し潰されそうな”自分”を守るために
必死になっているということ。
彼らが繰り出す人格攻撃は
言ってしまえば「独り相撲」、
その視線の先に僕はおらず、
”自分の”不安があるだけだということ。