2019年08月16日
親子の役割逆転。
今回の帰省では
孫の僕と祖母の二人きりになる時間が多い。
6月に祖父が亡くなってから
しばらく抜け殻のようだった祖母は
かなり元気を取り戻してきている。
話し声に明るさが少しだけ戻り、
口数も以前ほどではないが戻りつつある。
孫の僕が来ることを知って、
今回新しい布団を敷いて待っていてくれた。
祖母とここまで多くのことを語ったことが
これまでなかったが、よくよく聞いてみると
祖母が話す内容には心配ごとが非常に多い。
もちろん、それは無理からぬこと。
祖父を失った悲しみ、自分の老いへの悲しみ、
できることが少なくなる悔しさ、悲しみ、
一人になることへの恐怖、寂しさ。
襲いかかってくるものの大きさは察して余りある。
人の性格は簡単に変わらない。
以前からこうだったか僕にはわからないが、
一つ言えることは親が心配事ばかり口にすると
子どもや孫は慰め役に回るしかないということ。
祖母の寂しさ、バックグラウンドを考えても、
親が慰められ、子どもが励ますことが日常になると
子ども本人の気持ちのやり場がなくなってしまう。
本当は親に聞いてほしいことがあるのに、
話したいことがあるのに、それを話したら
親の負担になってしまう。
だから子ども自身が親を慰め、支えよう。
という思考になってしまう。
これでは親子関係が逆転している。
今回、祖母の話をじっくり聞く中で、
無理もないとはいえネガティブな心配ごとが
発言の中にちょくちょく入ってくる。
僕も祖母に伝えたいこと、話したいことはあるが、
祖母の負担にならないよう、どうしても飲み込んでしまう。
孫の僕が慰め役になってしまっている。
僕の母は話しかけないと何もしゃべらない人だが、
もしかすると第一子で長女の母はずっと
祖母の慰め役だったのかも知れない。
だから自分がしっかりしなければ、
祖母の負担にならないように自分は弱音を吐かないぞ、
という思考から、何も外へ発信しなくなったのかも知れない。
母と祖母の親子間で、
すでに役割の逆転が起きていたのだろうか。
何があっても弱音や愚痴を言わない母は
祖母を「親の役割としての子」を担い
慰め続けるうちに、
いつしか自分の言いたかったことへの蓋が大きくなり過ぎて
掘り起こせなくなったのだろうか。
いずれにしても、祖母と二人きりでじっくり話してみて、
寡黙な母の性格と祖母が突然、一本の線で繋がった。
僕はどう振る舞えばいいんだろう。
今の状況で、祖母を含め僕の話を聞いてくれる人は、
たぶん親戚中で誰もいない。
しゃべっていないと自分が不安だからしゃべり続けていたり、
寡黙でこちらが話しかけないと話さなかったり。
僕の話を聞いてほしいという願いは
親戚の集まりでは持ってはいけないのだろうか。
だとしたら僕は本当に歓迎されているんだろうか。
親子の役割が逆転している中で、
僕はどう接すればいいんだろうか。
今回の帰省ではそんなことばかり考えている。
孫の僕と祖母の二人きりになる時間が多い。
6月に祖父が亡くなってから
しばらく抜け殻のようだった祖母は
かなり元気を取り戻してきている。
話し声に明るさが少しだけ戻り、
口数も以前ほどではないが戻りつつある。
孫の僕が来ることを知って、
今回新しい布団を敷いて待っていてくれた。
祖母とここまで多くのことを語ったことが
これまでなかったが、よくよく聞いてみると
祖母が話す内容には心配ごとが非常に多い。
もちろん、それは無理からぬこと。
祖父を失った悲しみ、自分の老いへの悲しみ、
できることが少なくなる悔しさ、悲しみ、
一人になることへの恐怖、寂しさ。
襲いかかってくるものの大きさは察して余りある。
人の性格は簡単に変わらない。
以前からこうだったか僕にはわからないが、
一つ言えることは親が心配事ばかり口にすると
子どもや孫は慰め役に回るしかないということ。
祖母の寂しさ、バックグラウンドを考えても、
親が慰められ、子どもが励ますことが日常になると
子ども本人の気持ちのやり場がなくなってしまう。
本当は親に聞いてほしいことがあるのに、
話したいことがあるのに、それを話したら
親の負担になってしまう。
だから子ども自身が親を慰め、支えよう。
という思考になってしまう。
これでは親子関係が逆転している。
今回、祖母の話をじっくり聞く中で、
無理もないとはいえネガティブな心配ごとが
発言の中にちょくちょく入ってくる。
僕も祖母に伝えたいこと、話したいことはあるが、
祖母の負担にならないよう、どうしても飲み込んでしまう。
孫の僕が慰め役になってしまっている。
僕の母は話しかけないと何もしゃべらない人だが、
もしかすると第一子で長女の母はずっと
祖母の慰め役だったのかも知れない。
だから自分がしっかりしなければ、
祖母の負担にならないように自分は弱音を吐かないぞ、
という思考から、何も外へ発信しなくなったのかも知れない。
母と祖母の親子間で、
すでに役割の逆転が起きていたのだろうか。
何があっても弱音や愚痴を言わない母は
祖母を「親の役割としての子」を担い
慰め続けるうちに、
いつしか自分の言いたかったことへの蓋が大きくなり過ぎて
掘り起こせなくなったのだろうか。
いずれにしても、祖母と二人きりでじっくり話してみて、
寡黙な母の性格と祖母が突然、一本の線で繋がった。
親が子供に苦労を訴えると、子供は親を怒れなくなってしまう。
こんなに苦労している、こんなに不幸だ、
こんなに辛いと親がこぼせば、子供は慰め役にまわらざるをえない。
実際、こうした状況での親は慰めや労わりを必要としているのであって、
自分を保護してくれる親の役割を求めているのである。
子供は臨機応変に対応するから、望めば保護者の役割も演じてくれる。
”逆転親子”が誕生し、ここでもまた、”子供らしい時代”が失われてゆく。
『アダルト・チルドレン「癒しと再生」』第六章 より
僕はどう振る舞えばいいんだろう。
今の状況で、祖母を含め僕の話を聞いてくれる人は、
たぶん親戚中で誰もいない。
しゃべっていないと自分が不安だからしゃべり続けていたり、
寡黙でこちらが話しかけないと話さなかったり。
僕の話を聞いてほしいという願いは
親戚の集まりでは持ってはいけないのだろうか。
だとしたら僕は本当に歓迎されているんだろうか。
親子の役割が逆転している中で、
僕はどう接すればいいんだろうか。
今回の帰省ではそんなことばかり考えている。
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