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2019年08月08日

なぜ親は僕をけなすのか 〜”自分は正しいはずなんだ”という、必死の叫び〜。

親はなぜ僕のことを

・あまりに自己中心的
・自分勝手
・問題ばかり起こす

などと言ってけなすのだろうか。

彼らからけなす言葉が出るタイミングには
共通点があるという話を書いたことがある。

→「残酷な言葉が出る時の共通点。
https://fanblogs.jp/yaritaikotohanokosazuyaru/archive/238/0

この記事の内容と少し被るかも知れないが、
今回はなぜ彼らは僕をけなし続けるのかについて
気づいたことを書いていきたい。



けなす前には多くの場合、
彼らから僕に対して何か要求や意見、提案がある。

そして僕がそれに従わなかった時、
高確率で残酷な言葉を浴びせてけなす。

もちろん本心は当人たちにしかわからないことだが、
理由をざっくり言ってしまうと、

要求や提案をするのは自分の思い通りにしたいからであり、
けなすのは”自分たちが”不安で仕方ないから。

彼らは自分たちの意見、生き方、価値観が正しいことを
子どもを使って証明したいのだ。
「常に自分の都合が優先する親」は、すべてを
「自分が何を得ることができるか」によって見る傾向があります。

そのため、子供のニーズと自分のニーズが衝突すると、
子供は「厄介者」「問題を起こす者」、または
「脅威」と映るのです。

そして子供は、注目されたり認められたり
周囲をコントロールしたいという”親の”渇望を
満たすために使われてしまいます。


『不幸にする親』第二章 より




自分たちが生きてきた中で作られた価値観、
その範囲内で好ましい、正しいと思われることを
子どもにやらせようとする。

子どもがその通りにやって結果が伴えば、
自分たちの考え方は、自分たちの人生は
正しかったんだと証明できて安心する。

まさに、
「私の言う通りにしていれば間違いないのよ」
と言わんばかりに。



もっと言うと、自分たちが正しいと思うことを
やらせようとする場合、何が起きるか想像が容易。

自らの想像の範囲を超えた
予想外の出来事が起きる可能性は低いため、
この点でも安心できる。

親に限らず、僕ら人間が最も恐れることの1つは、
誰にもわからないのに「未来がわからないこと」だから。

自分たちの辿って来た道と同じか似ていれば
どんな事件やハプニングが起きるか予想がつくので
やっている子ども本人ではなく”自分たちが”安心できる。



それなのに、子ども、つまり僕は
親の価値観に準ずるようなことに従わないか、
好まないことが彼らには面白くないんだろう。

こいつはどうしても思い通りにできない、
正しい(と彼らが信じている)ことをせっかく提案しても
正しくない(と彼らが嫌っている)ことばかりに手を出す。

思い通りにできないことで、けなす立派な理由が生まれる。
ゴールは、「私(母親)の言うことが正しい」ということです。

その結果、自分の思い通りの答えが返ってこない場合は、
娘が「正しくない」、「悪い」、「親不孝」という結論になるのです。


『長女が“母の呪縛”から自由になる方法』第三章 より



さらに、例えば公務員試験を受けず、資格も取らず、
立派な学校や成績を修めないという、反乱にも似た生き方で
もし子どもが大きな結果を出してしまったらどうなるか。

彼らが人生の中で必死に信じてきたもの、
生き方、働き方、考え方がひっくり返されたらどうなるか。

自分たちの価値観が”正しくない”ことに
なってしまうという大きな不安が生まれる。

それはつまり、自分たちの人生そのものが
否定されたことにも繋がりかねないので、
恐れにも似た不安感から当事者をけなすのだ。



「ああ、そういう生き方もあるんだね」で終われば
言葉の暴力は生まれない。

それが生まれるということは、
彼らが放つ言葉の暴力は、実は薄っぺらい盾だからだ。

もちろんその盾は、自分のプライドを傷つけられないよう
不安と恐怖の中でようやく絞り出したものに過ぎない。

恐れているのは彼らなんだ。



思い通りにならない面白くなさと、
想定通りのことが起きにくそうで未来が見えなくなり
この時点で二重の不安感が募る。

その上、思い通りにならないやり方で
成功でもされようものなら立場がないし、
人生の中で必死に守ってきた価値観が崩れる。

それだけはどうしても認めたくないから、
先に相手をけなして潰してやろう。

こういう大きな不安感と恐怖感から、
なおさら攻撃的になっていたのではないだろうか。
繰り返しますが、人格攻撃をしかけてくる母親は、
娘を自分の思い通りにしたいのです。

それができないから、
アタックしてあなたを弱らせようとしています。


『長女が“母の呪縛”から自由になる方法』第二章 より



こうやって冷静に、客観的に分析できるのは
もちろん顔を突き合わせていないから。

面と向かって攻撃されたら、
たぶんまだ耐性ができていないので
一方的に傷ついて終わってしまうかも知れない。

だけど、理解できたことは、
彼らは僕を攻撃しているようで実は
不安に押し潰されそうな”自分”を守るために
必死になっているということ。

彼らが繰り出す人格攻撃は
言ってしまえば「独り相撲」、

その視線の先に僕はおらず、
”自分の”不安があるだけだということ。


posted by 理琉(ワタル) at 19:30 | TrackBack(0) | 家族

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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